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2014年8月7日木曜日

社会主義と共産主義の違い

 最近関わることがだいぶ減っていますが、もし大学生、それも経済学部や政治学部の学生に合うことがあれば、「社会主義と共産主義の違いは?」という質問を投げかけたいです。さらに、「一体何故社会主義者はいろんな国で弾圧されたのか?」という質問もつけて。
 恐らく、こんな質問をしたところで100人中1人もまともな回答をすることが出来ないでしょう。この問いに対する明確な答えを学校も教えないし、自分から興味を持って調べるような人間もほとんどいません。しかし歴史の流れ、特に二次大戦後にソ連を筆頭として生まれていった共産圏、そして冷戦の構造を考える上でこの社会主義と共産主義の違い、この二者の思想の相違点を把握しておかなければまともな理解も生まれず、また現代日本の社民党、共産党の違いも理解できないままというのは誠惜しいものなので、今日は浅学ながら私なりにこの二つの違いについて解説しようと思います。
 
 結論から述べます。社会主義と共産主義の違いは究極的には「政府の存在を認めるか否か」です。
 両者の思想に共通している諸条件としては、
 
1、労働者を中心とした社会
2、富・財産の共有(私有を認めない)
3、可能な限りの平等な世界
 
 この三つに関しては共通していると言っても過言ではありませんが、これらの理想を達成するための手段として政府というもの認めるか、認めないかで異なります。この場合ですと、後述しますが用語の関係もあって断言できるわけではないものの、少なくとも日本における社会主義は国家による政府の支配はそれ自体があってはならないものと考え、その存在を否定しています。対する共産党としては、同じく支配階級による国家政府は打倒すべきとしながらも、富の再分配や効率的な社会運営のためには強大な権力を持った政府が必要だとして、政府の存在を認めます。もっとも認めるったって共産党は、その強大な政府機能は共産党自身が果たさねばならず、ほかの政党の存在はあってはならないとして排除します。この辺は今の中国政府と中国共産党が一番わかりやすいモデルケースですね。
 
 社会主義、共産主義共に既存の国家政府、現代の日本やアメリカといった民主主義的選挙で選ばれた議員、そして官僚によって運営される政府は打倒すべきであることは一致しています。ただ社会主義は既存政府を打倒した後は政府はなるべく市場に関与すべきではなく国家防衛にのみその機能を持てばいい(=夜警国家思想)という考えを持っているのに対し、共産主義は既存政府亡き後を放任した所で世の中平等にはならないので、社会全体での平等の実現に向けてはやっぱり中央組織がある程度管理、運営せねばならないという考えにあり、政府(共産党の言い分としては「政府」ではなく「党」)が必要という立場を取るわけです。
 ただどちらにしろ社会主義も共産主義も既存政府を打倒する、取って代わるべしという思想を持っているわけで、そのため19世紀から20世紀にかけて両者は時の政府によって弾圧されたわけです。まぁ「いつかぶっ倒す!」と言ってるんだから政府が弾圧するのも当然と言えば当然な気がしますが。
 
 さて、書いてしまえば400字程度の簡単な解説で済むわけですが、こうした両者の違いについて理解している人はどうして世の中崇ないのでしょうか。この原因を私なりに書くと、社会主義陣営の人たちは相手が理解できないようなやたら難しい言葉で説明することがさも価値があるかのように考えてるようで、この手の簡単な内容について回りくどくかつ意味のない専門用語を駆使して主張することが多く、そのためこうした違いについて本人たちもわかってないのではないかと内心考えています。また最初に「用語の関係」と書きましたが、日本語において複数の意味が一つの言葉にごっちゃになっていることが多く、それがため混乱を招いているともいえるかと思います。
 
 こっからちょっとディープな話になりますが、用語を一つ一つ整理します。
 まず「社会主義」という言葉ですが、これは本来なら平等思考で労働者よりの思想を包括する大きな枠を指す言葉で、言ってしまえば「共産主義」も社会主義の中の一つのグループと言えます。なのに何故私はここで社会主義と共産主義を別々のものに熱かったのかというと、日本において社会主義はどちらかというと無政府主義(アナーキズム)という意味で用いられることが多いからです。
 社会主義の中にある大きなグループの分け方としては、私の理解だと以下の三つに分かれます
 
1、社会民主主義:既存政府による統治の中で選挙といった政治活動を通して理想の実現を目指す
2、無政府主義:既存政府を打倒し、労働者同士のコミュニティーの中で理想の実現を目指す
3、共産主義:既存政府を打倒し、共産党が労働者を組織、指導して理想の実現を目指す
 
 この三つをまとめて「社会主義」と呼ぶのが正しいのですが、日本だとどうにもそうはいかず、少なくとも「社会民主主義」と「無政府主義」は日本だと完全に別個となってて社会主義というとどっちかというと「無政府主義」を指すことが多いため、この際用語をそのまま使いました。ちなみにこれは共産主義の中の話ですが、社会運営の中心となるのは普通だと「労働者」ですが、これを「農民」に差し替えたバージョンも存在します。労働者が資本家(=企業経営者)と対立構造であるのに対し、農民バージョンは「農奴VS地主」という対立構造を煽って支持者を獲得するという戦略でこのバージョンは生まれていきました。旧ソ連はまだともかく、中国共産党は明らかにこっちの農民バージョンで支持者を獲得していったわけですが、なんでそうなったのかというと戦前戦後の中国は工場で働く労働者よりも農民のが多かったことが背景にあります。
 
 久々にやや難しい内容を書きましたが、ここで書いたのはあくまで私の理解であるため必ずしも正しい解説というわけではありません。ただ先ほどにも書いたようにこの辺の解説においてどこも用語の不統一がひどく、誰かがこの辺をしっかり整理しないといけないのではないかと思い自分なりにこうして記事にまとめてみることにしました。
 しかし改めてまとめてみると、結構小さな違いを社会主義陣営はこだわって、思想の遠い資本主義陣営よりも同じ社会主義陣営でしつこく争っていたんだなというのを感じました。さっきも書いたけど、本人たちも自分たちがどういう思想を持って行動しているのか、あんま理解してなかったんじゃないかなぁ。

2014年8月5日火曜日

中国の部屋に良くあること

 前回記事でも詳しく書いてありますが、先々週の土曜に引っ越して新居に移りました。その新居ですが先週土日に本格的に掃除してようやく一心地着いたのですが、掃除している最中にいくつか思い当たる節があるので今日はそういった、中国の部屋にあるある的な話を書いてくことにします。
 
 まず前提の話として、私個人の特徴として非常に掃除好きです。部屋の埃を気にするのはもとより窓ガラスなどは異常なまでに吹き続ける癖もあり、学生時代のバイト先だった喫茶店では掃除に力入れ過ぎて逆に注意されたこともありました。そんな自分に言わせると中国の部屋は「腕が鳴るぜ!」と言いたくなるほど汚れているところが多い、というより退去、入居に合わせて掃除することがまずないです。
 日本人の感覚ですと退去前に住人はある程度部屋を掃除してなおかつ余計なごみやいらなくなった家具とかを処分する必要がありますが、中国ではそんな感覚は全く以ってナッシングです。でもって日本だと家主は新しい入居者が来る前に業者などを使って掃除しておくことが普通で、掃除されてなかったらむしろどうなってるんだとクレーム物ですが、ここまで言えばわかるでしょうが中国ではそんな気を使ったサービスはほとんど皆無です。中には家主負担、または入居者負担で業者に掃除させる部屋もありますが、基本的には入居者自身が引越しと共に掃除しなきゃいけません。まぁ中には掃除しないで汚い環境に適応するような奴もいますけどね。
 
 そのため、引っ越しは家具やら生活用品とか買い物に合わせて家具の配置などいろいろ忙しいですが、中国の場合ですとそれに加えて掃除という作業も求められ、引っ越しに使うエネルギー量は日本なんかと比べてもかなり多くてそれで私も体調崩したんでしょう。じゃあどれくらいその掃除がハードというかどういう共通点があるのか、既に中国国内だけで六部屋も渡り歩いた自分の経験を紹介します
 
  1、釘
 これは三回目に住んだ部屋が最も特徴的でしたが、何故か中国の部屋はやたらあちこちにちっちゃな釘が落ちていることが多いです。今の部屋も棚の後ろとか引き出しの中とかどこに使うんだというような釘がやたら多いですが、三回目の部屋は床が絨毯で、その絨毯に折れ曲がった釘が何本も絡まってたため掃除する度に見つけてはほどいて捨ててました。多分、拾った合計では100本越えてたような。
 
  2、トイレの固定ボルト
 これはほぼ100%、どの部屋でも共通してますが、トイレの中蓋を固定するボルトがどこも初期状態ではゆるゆるです。ゆるゆるのため中蓋は座るたびにずれるというか動きまくるくらいなのでいっつも締め直すのですが、なんでどこもゆるゆるなのか、ってか普通に使っててこのボルトは緩むはずないと思うのだけれどと不思議でしょうがありません。
 
  3、ベッドの下の埃
 大体どこも埃まみれなのは共通してますが、その中でもひときわ強烈なのはベッドの下です。業者が掃除した部屋でもベッドの下は放置されていることが多く、夏場なんかは寝具にダニ付くと嫌なので私なんかは頑張ってベッドをずらすなどして掃除するのですが、これは一体何年物だと問いたくなるような埃の量に毎回うんざりします。今の部屋も、全身でダイブしても埃がクッションとなって衝撃が幾分和らぐんじゃないかと思うような量で、ぶつくさ文句言いながらモップかけて掃除しました。
 
  4、風呂場ガラスの水滴痕
 これなどは中国ならではの特徴ですが、中国の水はカルシウム成分の多い硬水のためガラスの水滴痕というものが付きやすいです。ただそれを考慮しても、風呂場のガラスは向こう側が見えないくらいびっしり水滴痕がついているというのは、単に定期的な拭き取りをサボっている故に起きているものだと思います。
 この水滴痕ですがついたばかりの頃であれば普通のスポンジで取れますが、大分年月が経つとガラスの一部のように固定化しちゃってたわしでこすっても取れません。専用のやや酸性の強い洗剤であれば取れるでしょうがさすがにそこまでは頑張らず、三回目の部屋では定期的に力入れて擦っていたら退去する頃には大分クリアになるくらいに削り取れていたので、新しい部屋でも毎日ちょっとずつ擦ってこうと思います。
 
  5、大量のゴミ
 最初にも触れていますが、とにもかくにも前の住人のゴミが室内に放置されてます。今の部屋なんか冷凍庫開けたらキムチくさかったので絶対韓国人だろうと思ってたら案の定ハングルの書かれた紙がすぐ見つかったのですが、そうした紙ぐらいならともかく、水が入ったままのペットボトルがベランダに数本放置されているのはちょっと自分もゾッとしました。このほかよくあるものとしては雑誌、洗顔液、よくわからない食品とかで、これらをゴミ袋に入れるだけでも結構手間です。
 
 こんな風に書いていますが実は今の部屋なんかまだマシな方で、酷い部屋なんか腐った食品が冷蔵庫の中に眠ってて冷蔵庫全体がカビでびっしりとか、目の前をやけにでかいゴキブリが飛び交うような部屋だって平気であります。日本人からしたらそんな汚い部屋に入居者が来るわけないのだし少しは掃除して見かけをよくしないのかと思うでしょうが、中国人はそんな風には思わないようです。
 逆を言えば日本の不動産仲介サービス、そして入退去のマナーはかなりしっかりしているといえるのですが、その一方で家賃代の支払いに応用が無かったりしたり、電気家具とかきれいなままなのに置いて行けず処分してしまうなど無駄だと思える点もあります。まぁ住というのはかなり文化の違いが出るところだし、いちいち比較するのも野暮かなと思いますが。

2014年8月3日日曜日

引越しの顛末

 昨日の記事にも書いたように先週土曜の7/26に引っ越しを行いました。引っ越した理由は何度もこのブログに書いたように、前の部屋があるマンション内にフィットネスクラブがあって、夜に全力で壁を叩くくらいの低音ベース音が鳴り響くのが嫌だったからです。新しい住居ではそんなこともなく、しかも前より家賃が安いのに面積は広くなって大分快適なのですが、今回の引っ越しはなかなかにスピーディだったのにその顛末を書き残しておくことにします。
 
 
  7/23(水)
 この日に会社をちょっと早退させてもらって不動産屋を訪問。いくつか部屋を紹介してもらう。
 
  7/24(木)
 前日に紹介してもらった部屋の中から一つを決めて、仮契約をもう結んでしまおうとローカルスタッフと共に不動産屋へ行く途中、「もっといい部屋が見つかった」と、不動産屋の事務所目の前で電話が来る。とりあえず言われた通りにその部屋を案内してもらうと確かにいい部屋で、じゃあここにしようかな、来週の土曜辺りから入居でいいかと後からやってきた大家に伝えると、「今すぐ契約してよ」と言い返される。
 不動産屋がすかさず間に入り、正式な契約書をまだ準備していないから最低でも次の7/26(土)からと説明し、じゃあその日に正式契約ということで話が落ち着く。
 
  7/25(金)
 とりあえず次の日から新居に入居できる事が確定したが、じゃあ今いる部屋をいつ退去しようかとやや思案に暮れる。というのも翌々日の7/27(日)は上海で人と合う約束が出来ていたため、実質土曜日しか引越しの作業に従事できない。土日二日間動けるのなら問題ないが一日だと心もとないし、また今いる部屋もそんなスムーズに退去できるのかとちょっと不安だったが、強行スケジュールでこの際一気に片付けようと決心。今いる部屋の大家にメールで、「土曜日引っ越すからその日の午後五時に退去でいい?いいならその時に前払いの家賃を返して」と伝える。
 
  7/26(土)
 運命の土曜日。昼過ぎに引っ越す先の部屋で大家と契約書を交わす。その後、ローカルスタッフと上司に手伝ってもらって元の部屋から荷物を運び出し、新居に突っこむ。更にその後、今度は自分一人で通信会社の事務所に行って、引っ越すことになったからとネットの開線工事を依頼して翌日の午前に来てくれと頼んだが、その時間はすでに埋まっているという回答を受ける。翌日午後からは上海に行くため仕方なく翌週の8/2(土)午前で予約を取る。
 通信会社を出るとその足で列車チケットの外部販売所に20分くらい歩いて向かって上海行きチケットを購入。そしてその足でまた20分くらい歩いて最初の部屋に戻り、退去前の確認として大家を待つ。
 
 ここで驚いたのですが、大家を待っていると最初の部屋、新しい部屋を共に紹介してくれた不動産屋が先に来て、自分が退去した後に入居を考えているという客も一緒に引き連れていました。自分は今回の引っ越しをわずか二日(実質一日)で決断してその二日後には引越し&退去を決めたというのに、もう新しい入居希望者を見つけて来たとはと舌を巻きました。
 そうこうしているうちに大家がやってきたのですが、なんとその大家もまた別の不動産屋、そしてその不動産屋の客と共にやってきました。自分が退去するといったのはわずか一日前の金曜だというのにもう新しい入居希望者を見つけてくるこのハイスピードぶり。自分の慌ただしい引越しもさることながら中国の不動産市場の異常なまでのハイペースぶりをまざまざと見せつけられました。
 
 その後は大家に確認してもらい、既に支払っていた家賃の一部を途中解約として返してもらい、無事滞りなく退去は終わりました。もっとも、慌ただしい環境の変化と夏の暑さにやられたのか翌日から夏風邪を引き、さらには引越しに伴う新居の掃除もあって先週一週間は地味に生きてて辛かったです。熱によるだるさはほとんどなかったものの鼻水が出るのと、たまに頭痛がするのとやる気がわかないのでしんどい限りでしたが、今日あたりからようやく回復して元気になってきました。掃除の顛末に関してはまた次の記事で詳しく書きます。

2014年8月2日土曜日

昆山市内の爆発事故について

 日本でも報道されているようですが本日、私の住んでる中国の江蘇省昆山市内にある工場で爆発事故が起こりました。
 
 
 自分の部屋は前回記事で書いたように引っ越した関係でネットがつながっておらず、今日の午前中にまさに回線をつないでもらったばかりだったのですが、例の上海人から電話があってこの爆発事故を知りました。報道によると事故が起きたのは「中栄金属製品有限公司」という会社で、ホームページを見る限りですと合金を使用したホイールのメーカーのようです。
 
 事故が起きた場所は昆山市内の開発区、言うなれば工業団地にあるため、事故が起きた今朝の午前八時に私は爆発音が全く耳に入りませんでした。むしろ近くで新装開店した店の爆竹の方がうるさいくらいだったし。なので友人が教えてくれるまで全く事故を知らなかったのですが、同じ昆山市内となれば話は違うなと思い、バスを乗り継いで事故現場へ行ってみて、撮ってきた写真というのが一番上の写真です。
 見てもらえばわかる通り、事故現場となる工場の目の前のとおりは警察によって封鎖されており、遠目にも爆発現場を見ることはできませんでした。でもって私と同じような理由というかたくさんの野次馬は詰めかけており、この後に夕立が降るとみんなあれよあれよと帰っていきましたが。
 
 そんなわけで特に収穫もない遠出となってしまいましたが、周辺の工場を見た限りだとガラスはどこも割れておらず(元々割れてたようなガラス窓はあったが)、爆風が広がったような形跡は見られませんでした。それと来ていた警察ですが、二十人くらいの一団が数回に分けて入っていって、恐らく現場検証でしょうが人数はすこぶる多かったように思えます。
 
 それにしても復帰一日目からこういう記事とは。あと関係ないけど帰宅後、昼間に食べた饅頭なのかどうかはっきりしませんがなんかお腹下しました。ここだけの話、昆山来てからお腹を下すことが非常に多いです。中国には何度も来ているのにこれだけお腹下したことは今までなく、また今度お話ししますが昆山の衛生が意外に悪いのではないかと疑っている次第です。あまりにも下すもんだから、いま中国で絶好調のヤクルトを買ってきちゃったしなぁ、効果あるかわからないけど。

2014年7月29日火曜日

8/2までおやすみ

 先週土曜に引っ越しを行った関係から現在自宅でネット回線が使えません。8/2に回線工事を行う予定なので、この間ブログ更新をお休みさせていただきます。
 さて、この間にどのゲームをやって時間つぶすかが問題だなぁ。

2014年7月25日金曜日

自分の趣味範囲

 知ってる人には早いですが、記憶力というか知識量において私は絶対の自信を持っており、絶対的な知識量ではただ一人を除けば今まで生きてて誰かに劣っていると感じたことは本当にありません。なおその一人というのは大学で授業してもらった講師でしたが、「ああこの人に俺は絶対敵わないからケンカしないでおこう」と思うほどプレッシャーを感じたほどで、逆を言えば同じようなプレッシャーをその講師を除けば誰にも覚えたことはないので多分ほかの人には負けてないだろうと思うわけです。
 
 そんないつも通りに自信過剰な私ですが、どうも周りから見ると外見がそうでもなさそう、というか趣味や知識の範囲が狭そうに感じる外見のようです。なもんだから初対面の人物と話し込むと、「こんなにいろんなことを知っている人だとは思わなかった」といっつも言われるのでいい加減、うんざりしてます。
 そういう私の知識量が本領を発揮するのは言うまでもなく趣味の世界で、やはり周囲からは多趣味だとよく言われます。といってもここの趣味の範囲ではその趣味を専門的にしている人と比べて浅い程度ですが、話しを合わせる、ある程度知識を持っているというレベルでいいなら自分でも多方面に地盤を築いたと考えており、そこで今日は自分を見つめ直そうと大体どんな範囲が得意なのかいくつか考えながら挙げてくことにします。
 
  一、相撲
 ここ数年ずっと中国入るせいで行けてませんが、一時期は国技館とかにもしばしば赴くくらい相撲は好きです。主要な力士の得意な立ち回りを覚えていることはもとより、平幕からずっと頑張っている力士についてはどういう経歴なのかも大体わかるので、相撲ファンとしては中ごろのレベルだと自認してます。なおお気に入りの力士を挙げると以前は豊真将で、最近は豪栄道です。豪栄道の何がいいかってそこそこ地力がある上に稀勢の里と違って突き相撲だけでなく投げ技も状況に応じて繰り出せる万能さで、相撲に限らず万能型、もとい器用貧乏型を好む傾向があります。
 今思い出したけど、既に引退してしまった琴欧洲が初優勝した時、家近いからわざわざ松戸の優勝祝賀会見に行ったなぁ、何も知らない友人を無理やり誘って。
 
  二、歴史
 分野別の知識量で行ったら間違いなくこの歴史が私の中で最も大きいでしょうが、特筆すべきは日本史、世界史、中国史を問わずかつ古代から中世、近代にいたるまでめちゃくちゃな範囲をカバーしてるっていう点でしょう。唯一苦手としているのはインド史ですがインド旅行に行った時にはインド人ガイドから「インド詳しいね!」と言われたのでそれでも並以上な気はします。たまになんで歴史学者になろうとしなかったのと聞かれますが、歴史を専門的な学問として取り扱ったら嫌いになりそうだったし興味なかったことと、案外日本の歴史学会ってしょうもないことにこだわるし自由な主張を許してくれない雰囲気があるので昔から敬遠してました。
 
  三、パソコン
 恐らく専門的な人から見たら自作も出来ないしプログラムも組めないので私なんて素人同然でしょうが、案外素人に毛が生えた程度である今の水準だからこそ求められるものがある気がします。私がやれることと言ったらエクセルでマクロ組んだりネットの検索や多少使いやすいソフトを知ってる程度なのですが、実生活で使う範囲と言ったら大体この水準を超えることがないことと、こういってはなんですがパソコンに非常に詳しい人は素人に対して「なんでわからないの」という態度を前面にだし、指導の仕方も悪いように感じます。自分は先ほども言った通り素人レベルを越えませんが、逆を言えば素人の気持ち、どこがどうしてわからないのかをまだ理解できるのでどの会社に行ってもやたらとパソコンの使い方を聞かれます。中でも一番驚いたのは、別の場所にあるオフィスからわざわざ電話でどうすればいいかって聞かれた時です。サポートセンターじゃあるまいし。
 
  四、政治
 これはもうマニアと言っていいレベルです。なんでもいいから政治が絡むと外交だろうと内政だろうとその流れ、構造を知りたくなるし、政策案の問題点やら改善点を議論したくなります。なんでこんな政治好きになったのかというと中学生の頃に興味を持ったものの周りにこういう話題を話せる人間がおらず、やたらと内省を深めていった結果がこれなのでしょう。ほかの分野にも言えますが、全体がどういうグループに分かれ、またどういう目的や動機によってその構造が生まれ、何がファクターになっているのかをあれこれ模索して分析するのが理由もなく大好きです。自分で書いてて意味が分からねぇ……。
 
  五、ゲーム
 これも玄人と言われるほどやってはいませんが、周囲からはやり過ぎだと言われるくらいに遊んでたし今も携帯ゲーム機を手放せません。案外この分野は外から入り込み辛い分野のため新聞記者時代は「ゲーム業界の記事は花園に」を合言葉に全部振られて書いてましたが、自分の場合は遊ぶだけじゃなくある程度整理した上で解説できる点で、その点でやや特殊だったなという気がします。あと一応日本ゲーム業界の黎明期から全盛期、衰退期を目前で見てきたのもあり、そういった歴史について語れるのもやや強いかな。
 
  六、社会主義
 恐らく私と同年齢で、私ほどマルクス経済の仕組み、並びに社会主義と共産主義の違い(大まかに言えば政府の有無)を詳しく解説できる人間はほとんどいないでしょう。恐らく上記の歴史と政治好きが組み合わさって、「一時代を築いた社会主義ってなんだろな?」って具合で興味持ってこんなに勉強したのだと思いますが、それにしても中国やロシアなど旧社会主義国がやたら好きになる点から言っても元々こっち分野に適性があったのかもしれません。後輩にも、「花園さんは全共闘の時代にいたらきっとヒーローでしたよ!」と言われ、なんか素直に喜べなかったし……。
 
  七、オカルトと宗教
 子供の頃に今はオシャレなゲームで有名な「ペルソナ」ってゲームをやってからやたら各地の神話や宗教を勉強し始め、大学入ってからは新興宗教、並びに新々興宗教も一通り調べたのでもはや立派なマニアとなってます。さすがに仏教各宗派の経文とか違いまでは判りませんが、新興宗教に関しては成り立ちから軋轢、主要人物についてはそこそこ話せるし、あと社会的な影響、創価学会のピークシフトとか知ってるのと真如園についてはガチで集団念仏会に参加する羽目になったので詳しいです。でもって不思議なことに、何故か宗教やってる人間にやたらモテます。なにもこんなところでモテなくていいのに……。
 
  八、もういいや
 なんか適当に書いてきましたが、如何に自分が統一感のない人物であるかがよくわかった気がします。友人にもこのブログについて、「雑誌にたとえると、文芸春秋と東洋経済とファミ通とアニメージュと人民日報が一緒になったくらい統一感がない」と指摘されてますが、自分でもそう思います。と言ってもジャンルを統一してしまうと記事書くモチベーションが上がらないため、自分としてはこの統一感のないスタイルを貫こうと考えてます。

2014年7月24日木曜日

日本製品の品質の変遷

 昨夜しゃべりだすと自分以上に止まることのない先輩がスカイプチャットで唐突に、「掃除機壊れたから捨ててくる」といって会話を中断して園に出て行き、数分後にまた戻ってきました。その先輩によると捨てられた掃除機はなんと購入から20年も経った代物で、吸口のゴム部分が腐食して使えなくなったもののフレーム部分には全く問題はなく、ゴムさえよければまだ使えるほどの代物だったそうです。
 戻ってきた先輩は軽くこの事実を自慢するとともに、「昔の日本製品はほんと丈夫だったけど、最近のはなんか壊れやすい気がする。そうは思わんかね?」と自分に聞いてきました。それに対し自分も、「ソニータイマーに代表されるように保証期間内はもつものの、20年以上も壊れないとかいう桁違いに丈夫なのは確実に減りましたね」と話し、ちょっと盛り上がったのでこの辺について今日は書いてきます。
 
 ソニータイマーについては過去に書いた「ソニータイマーの真実」という記事でも触れていますが、ソニーの製品は保障期間を過ぎると都単位すぐ壊れるという妙な都市伝説があります。ただあながち都市伝説として流せるものでなく、ソニーに限らず自動車を含む日本製品は一定の期間を過ぎるとほぼ同じタイミングで壊れる傾向があるという噂が中国では割と一般的です。自動車なら購入してから8年後とかにぴったりどこかしら壊れるとか、電化製品も友達同士で一緒に買ったら同じ時期に壊れたりといった具合に。
 
 こうした日本製品の特長について過去の記事では、日系メーカーは製品を構成する部品の耐久度をきっかり分析しており、保証期限をギリギリ越える時期に合わせて品質を調整しているためだと指摘し、耐久度を正確に計算しつくした製品に仕上げているためある意味ですごい品質管理能力だと分析しております。しかし逆を言えば、現代の日系メーカーは耐久度を品質保証期間まで持たせればいい、必要以上に耐久性を高める必要はないという方針を取っているともいえ、それが最初に挙げた20年物の掃除機が現代だと見当たらないという事態を招いているといえます。
 
 どうして耐久性を必要以上に高めなくなったのか、答えは簡単で生産コストを削減するためです。そうした目的の下に公然と品質を落としたのは何を隠そう天下のトヨタ自動車で、ここは三代前の社長の奥田碩氏が社長在任中、「普通のドライバーは新車購入から7~8年で乗り換える。何も10年以上も壊れない車にする必要はない」と述べ、社内でのコスト削減を指揮したと聞きます。実際に奥田体制下でトヨタは純利益を増大させるなど躍進しましたが、こうした方針が後の大量リコール問題にもつながったと指摘されており、評価の難しいところです。
 私個人の見方で述べると、一企業経営者として奥田氏の決断は決して間違っていないように思えます。しかし私が子供の頃、日本製品は何年経っても壊れないほど丈夫だと海外で言われているという話を何度も聞きましたが、ここ数年、というか2000年以降は決して誇張ではなくそういう話はついぞ聞かなくなりました。私もかれこれ中国にも長く滞在していますが、日本製は中国製や韓国製より品質がいい(デザインは悪いが)という話は聞きますが、「絶対に壊れない」、「何年経っても丈夫」という言葉までは出てきません。
 
 日系メーカーは中国をはじめとした海外で品質の良さをアピールしますが、それは相対的な比較レベルでの品質の良さで、絶対的な品質の良さではないでしょう。確かに製品も複雑化していて耐久度の概念が昔と違うのかもしれませんが、バブル期以前の日本製に対する絶対的な信頼度を勝ち取るまでの品質はもはやないと言っても過言ではありません。
 
 私がこの記事で言いたいのは、オーバースペックと言われるかもしれませんがかつてのコストを度外視したかのような品質を取り戻すのか、それともコストを優先して他国のメーカーよりはマシな品質に落ち着かせるのか、この問いを一回は持つべきじゃないかと思います。無論、昔と違って現代は激しいグローバル競争の中にありますが、短期的な利潤よりも長期的な信頼を勝ち取るのが日系企業と常日頃ほざいておきながら今の状況はちょっと乖離しているように思えるとともに、少なくとも昔ほどの信頼性が今の日本製品にはなく、品質重視というのもそろそろ厳しいのでは、言うほど品質の良さに違いがあるのかと言いたくて書いてみた次第です。