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2014年10月27日月曜日

ロシアのラストエンペラー 後編

 昨日に引き続きロシアのラストエンペラーことニコライ二世について書いてきます。昨夜はやる気満々だったけど、今日ちょっと頭痛くて調子悪いですが期間空けられないのでこのまま頑張って書くことにします。
 
 前編ではその生い立ちから即位、そして日露戦争に至るまでを書きましたが、日露戦争中に戦争の中止、並びに憲法制定など民主化を求めた大衆のデモ隊に発砲して千人以上が亡くなる(どっかの国もあったような……)「血の日曜日事件」が起こりました。この頃から王制に対する批判も激しくなってき始めバリバリの王権神授説論者のニコライ二世も日露戦争後はセルゲイ・ヴィッテらが提出した民主化改革案の「十月詔書」にサインして一旦は歩み寄る姿勢を見せますが、すぐさま翻意してヴィッテを首相から降ろすと折角開設した国会でも議員の選挙方法を回改正して貴族寄りの政策に方針に変えています。
 
 ニコライ二世というかロマノフ朝は元来、皇帝の側近が中心となり政治を取ることが多いのですが、この頃のニコライ二世の傍に最も近かった人物というのはあの有名な怪僧、グレゴリー・ラスプーチンでした。その圧倒的な存在感から現代においても様々なサブカルチャー作品に登場するだけでなく「外務省のラスプーチン」こと佐藤優氏(何気に同門)を始め多数の人物のニックネームにも使われる彼ですが、特に宗教教育を受けたわけでもない農夫だったのに突然、「巡礼に出る」といってロシア国内を流浪し、首都サンクトペテルブルクで彼の祈祷で病気が治る人が続出したことから王室にも出入りするようになりました。
 ここでニコライ二世の家族について触れますが、彼と妻のアレクサンドラとの間には一男四女が生まれ、写真で見る限りですとどれもみな粒ぞろいの美男美女ばかりです。ただ長男のアレクセイは当時としては不治の病だった血友病キャリアで、しかも重度の症状を患っていました。彼の血友病は元代においてヴィクトリア女王の血統によるものとみられていてほんのちょっとのあざでもなかなか治らず寝たきりになるため、両親は息子の将来とその健康を非常に心配していたそうです。そこへさっそうと登場したのがラスプーチンで、彼が祈祷をするやアレクセイの病状や気分がぐんとよくなることが多かったため、ロシア皇帝夫妻はラスプーチンを深く信用して王室内への自由な出入りすら認めるに至りました。
 
 こうしたラスプーチンへの贔屓が面白くなかったのは言うまでもなくロシア貴族たちで、ただでさえ怪しい人物が妙な祈祷をして皇帝夫妻に取り入るのを見るにつけ、「何か裏があるに違いない」と誰もが思ったことでしょう。そうした不満は主に皇后のアレクサンドラに向かい、元々社交的でなく王室行事にも率先して参加したがらない彼女がロシア国民から嫌われていたのもありますが、当時からもラスプーチンと密通しているのではという噂がまことしやかに流れ王室への信頼が日に日に薄れていく事態となりました。
 ここでちょっと早いですが私の見解を述べると、元々ニコライ二世は極端な保守的政策を取ったことからロシアの一般国民からは即位当初からそれほど敬われていたようには見えません。そんな彼が支持基盤として固めていたのは特権を持つ貴族層で、彼らの利益を代弁する形で政権を維持してきましたが、このラスプーチンへの肩入れによって貴族層からの支持も薄れていき、それが彼の末路へと導いて行ったように思えます。もっとも本人は国民からは信頼を得ていると考えていた節があり、敢えて言うならちょっと古いタイプの王様でフランス革命以降の時代の変化を嗅ぎ取れず実感しきれなかったことがドイツ王室と共通し、英国王室と異なっていたのかもしれません。ボナパルト家はまぁ別だけど。
 
 話は戻りますが、ニコライ二世のみならず欧州すべての国にとって運命の転換点となった第一次世界大戦が1914年のサラエボ事件をきっかけに勃発します。この大戦でロシアはバルカン半島での利害関係がぶつかるオーストリア、そしてその同盟国のドイツと対戦しますが近代兵器を多数保有していたドイツに対して日露戦争同様に連戦連敗を重ねます。また総力戦に対する対応も遅れ国内では経済の混乱、物資の不足が起こり日に日に王室への批判が高まっていきました。
 しかも間の悪いことにニコライ二世は自ら前線へ赴き戦争指揮を手掛けたため、首都では嫌われ者の皇后アレクサンドラが主に政治を執り、その傍らにはラスプーチンも控えていたことからとうとう沸点を越える事態こと「二月革命」が1917年に発生。首都は革命勢力が実権を握り前線にいるニコライ二世は軍を率いて首都奪還を図るも現場指揮官全員から拒否され、強制的に退位させられることとなります。
 
 この前線での退位の際にニコライ二世は自分の後継として病弱な息子ではなく弟が次の皇帝だと指名しますが、革命勢力に対する報復を恐れた弟はこの使命を拒否してしまいます。ニコライ二世としては自分が退位させられても王朝はまだ続けられると考えていたようですが時すでに遅しで、仮に革命前に周囲の一部から薦められていたように譲位していればもうちょっと反応は違ったでしょう。
 また退位後の決断においても結果論ではありますがニコライ二世は鈍さを見せています。ニコライ二世は当初、従弟であるジョージ五世が国王だった英国への亡命を企図して打診しましたが、英国は国内の社会主義勢力を警戒してこの打診を黙殺します。その一方で、対戦国同士であるものの個人的な関係は非常に親密であった同じく従弟でありドイツ皇帝だったヴィルヘルム二世は「ドイツにおいでよ」と誘ってくれましたが、対戦国同士ということを懸念してかニコライ二世はこの誘いを断り、ロシア国内にとどまってしまいました。まぁ難しい決断ではありますが。
 
 こうしていよいよフィナーレへと至ります。ロシアにおける革命の革命こと「十月革命」によってロシアの実権はレーニン率いる社会主義勢力ボリシェビキが握ります。ボリシェビキはニコライ二世一家をエカテリンブルクの屋敷内に監禁し、翌1918年にレーニンの決断によって一かとその使用人の計11人が処刑というべきか、一応殺害されます。殺害時の現場は当時の関係者が数多く証言しており比較的詳細にわかっており、当日の深夜、というか直前に地下室に集められて、「これから処刑する」と一方的に伝えられてニコライ二世、長男アレクセイ、皇后アリックス、そして四姉妹の順番で射殺されたようです。その際に皇后は娘達の除名を求めましたが通ることもなく、痛ましいことに全員が殺害されしばらくは、「皇帝のみ処刑して家族は無事」とソ連政府が喧伝したことから後に四女アナスタシアを名乗る偽物がでる事態も招いています。
 
 同じく一次大戦中に退位することとなったドイツのヴィルヘルム二世は亡命先で天寿を全うしていることと比べると、ニコライ二世の末路は本人に全く責任がないというわけではありませんがやや不憫にも感じます。特に一家全員が問答無用で殺されているのは素直に同情心を覚えると共に、国王と皇后が処刑されたものの子供たちは名目上は放免となったフランス革命と比べてもそのやり口の強引さは目に余ります。
 そのフランス革命との比較ですが、国王ルイ16世の処刑は一応は議会での決議を踏まえた上でその暴力が実行されていますが、ニコライ二世のケースだとトロツキーの反対があったにもかかわらずレーニンが何の議会、裁判手続きを踏まえず命令しており、この辺がロシアの国民性なのかと言われればそうなのかもしれないと私なら答えます。昨夜も友人に話しましたがレーニイズムとスターリニズムは基本的な軌を一にしており、違いがあるとしたらその期間と粛清された人数くらいししか案外ないのではと思います。
 
 まとめになりますが一次大戦によってロシア、ドイツ、オーストリアという列強各国で各王朝が滅亡しています。その要因は戦争に負けたことが大きいのはもちろんですが、20世紀に入り国の形が変わったというか植民地主義こと世界戦国時代の風潮が薄れ思想が変わっっていったのに対して各国の皇帝がその辺かを受け入れなかった、対応しきれなかったことが背景としてあると私は見ています。逆を言えば、そのような時代の変化にも鋭敏に反応して役割を変えた存続し続けた、もっと溯れば17世紀の時点で政治実権を議会に譲り渡した英国王室というのはやはり際立った存在のように感じます。
 英国が何故強いのかと問われるならば、変化に対応できる王室がいるということも十分要素に入ってくるでしょう。逆に変化に対応できなければロマノフ朝の様に滅ぶこともあり得、日本の皇室もその辺を頭の隅っこに入れておいた方がというのがちょっとした私の意見です。念のため書いておくけど、別に私は社会主義者みたいに皇室の廃立はのぞんでませんからねっ。

ロシアのラストエンペラー 前篇

 日本でラストエンペラーとなると中国清朝の最後の皇帝である「溥儀」の名前が挙がってきますが、ラストエンペラーはその王朝の数だけ存在しておりそれは何も中国に限るわけではありません。例をあげればフランス第一帝政であれば初代のナポレオン・ボナパルトがそのままラストエンペラーですし、日本も将軍をこの類として考えれば徳川慶喜がラストエンペラーです。
 そうした滅びゆく王朝の最後の権力者として人生を歩んだ人物の中で比較的近代だと、ロシアとドイツでそれぞれ一次大戦末期に国内で革命が起こり、二人のラストエンペラーがほぼ同時に生まれました。最もロシアはその後「紅い皇帝(つるふさの法則)」の時代を経て現在はKGB皇帝が君臨していますが、名目上のラストエンペラーであるニコライ二世については日本と深い関わりを持っているにもかかわらずいまいち認知度が低いような気がします。そこで今日は詳しい内容までは踏み込めませんがさらりと紹介するような具合で、ニコライ二世についてその経歴と私の見解を述べていくこととします。さらりと紹介と言いながら前後編にするのもあれですが。
 
ニコライ二世(Wikipedia)
 
 ロシアのロマノフ朝第14代皇帝にして最終皇帝のニコライ二世は1868年、時の皇帝のアレクサンドル二世の息子で皇太子であった後のアレクサンドル三世の長男として生まれます。生まれながら将来の皇帝を約束され両親からの教育も帝王学に沿ったものでしたが、コライ二世の幼少期の行常はそんなに良くなかったようで勉強にはそれほど熱心でなく、またやや気弱で女の子っぽい所もあったことから父親は少し心配していたようです。
 成人に至る前のニコライ二世に大きな影響を与えた事件として、祖父であり皇帝のアレクサンドル二世の暗殺事件がよく挙げられています。アレクサンドル二世は進歩的な改革者でロシアでの国会開設を目指し一般市民の権利向上など人民に寄った政策を取ってきたのですが、国内の過激な民主派によって爆殺されてしまいました。この事件は当時13歳だったニコライ二世にとって、「人民に肩入れしても平気で裏切られる」という感情を持たせたのではと言われておりますが、祖父がこういう死に方したらそう考えるのも無理ない気がします。
 
 こうして成長していったニコライ二世が日本と初めてファーストコンタクトを持ったのは彼が23歳だった1891年のことで、父親の勧めで前年から世界旅行に出かけていたニコライ二世は最後の渡航地として日本を訪れます。当時の日露関係は樺太(サハリン)の帰属を始め決して良いものではなかったものの、来日したニコライ二世に対して日本政府は礼を尽くして歓迎し、ニコライ二世自身も率先して長崎の街を回るなどそこそこ堪能していたようです。
 それが暗転したのはニコライ二世が大津に入ったその日でした。わかる人には早いですがこの時に警護を行っていた警察官の津田三蔵が突然ニコライ二世に斬りかかるという大津事件が起こり、ニコライ二世は津田に右耳のあたりをサーベルで少し切られます。幸い、怪我自体は大したこともなくその後に明治天皇がわざわざ神戸まで訪れ謝罪し、日本国内から見舞いの手紙や品がたくさん送られてきたこともありロシア側は外交問題に発展させず矛を収めましたが、当事者であるニコライ二世自身がどのような感情を持ったかについては諸説あり、彼自身が日本側の対応に好感を持って事件かを見送ったとも、内心では相当腹に据えかねていてそれが後の日本との対立を作る要因になったとも言われております。
 私個人の見解を述べるとこの時のニコライ二世は残っている記録などからそこそこ日本側の対応に満足していたのではないかと思うものの、その後日本と外交で対立する機会に直面するに至って、「そういやあの時に日本人には酷い目に遭わされたな」という具合に、後から思い出して憎悪の種にしたのではという風にみています。そういう意味では日露関係を悪くさせた要因と呼んでもよい事件でありますがサラエボ事件と比べると即火種にはならなかっただけに、ほんとこの時死ななくてよかったなんても思います。なおこの大津事件当時、ニコライ二世に対して申し訳ないと自決した女性もいました。
 
 話は戻りますがニコライ二世がロシアに帰国して数年後、彼が26歳の時に父親であるアレクサンドル三世が病に倒れこの世を去ります。初めから後継者と決まっていて特に争いは起らずニコライ二世は皇帝に即位し、また父の逝去前から付き合いの続いていたヴィクトリア・アリックス(ロシア語読みならアレクサンドラ)と結婚します。アリックスについて少し述べると、彼女の母親は英国のヴィクトリア女王の娘で父親はヘッセン大公国(現在のドイツヘッセン州)の大公でした。ドイツで生まれますが生後すぐに母親が逝去した6歳からはずっと英国のヴィクトリア女王の下で育ち、ロシアに来るまではほとんど英語しか話せなかったようです。だけど後年ロシア人からは「ドイツ女」なんて呼ばれて批判されちゃってますが。
 皇帝となったニコライ二世は側近に後の好敵手とも言うべきセルゲイ・ヴィッテを採用し、彼の主張に合わせシベリア方面に鉄道を敷き(シベリア鉄道)、ロシアは東アジアでの勢力拡大を図ることとなり、特に日清戦争後の中国では列強による分割が進められていただけに国境を接するロシアにとっても重要な狩場の一つだったっことでしょう。しかも満州地域はロシアが太平洋へ出るに当たって重要な地域で、日清戦争後に中国から旅順を租借した日本に対し三国干渉を行って中国に返却させるなどかなり早い時期から干渉というか目をつけています。
 
 しかし「極東の和を乱す」として日本に旅順を返却させながら、極東進出の足掛かり並びに不凍港として価値があるという周囲の声に押されニコライ二世はヴィッテに反対されながらも1898年に中国を脅迫し、旅順と大連を中国から無理矢理租借します。この行為に怒ったのは言うまでもなく三年前にロシアに言われて旅順を返却した日本で、国民の間でも打倒ロシアという感情が明確に生まれ明治政府としては国内政策がやりやすくなった一方で外交に苦慮することとなるわけです。
 ロシア側でもこの時期から対日政策についての議論が活発となり、前述のヴィッテなどは対日融和派で日本も模索していた「満韓交換論」こと満州はロシア、朝鮮半島は日本がそれぞれ管轄するというか住み分ける方針を唱えていましたが、ニコライ二世はこれとは別の満州も朝鮮も両方まとめて切り取るべしと主張する強硬派の意見を採用する形でヴィッテを罷免させてしまいます。こうしたロシア側の態度を見て日本も対露同盟派は瓦解し、将来の対決を見越して英国との間で日英同盟を締結するなどして準備を進めます。そして1904年、日本人のノスタルジーともいえる日露戦争がついに火蓋を切って開戦へと至るわけです。
 
 日露戦争についてはさすがにいちいち説明しませんが主要な戦闘では日本が文字通り連戦連勝で、最後の逆転をかけたバルチック艦隊も日本海海戦で完敗と言ってもいい大敗北を喫します。ロシアの敗因はウィキペディアの記事を引用すると、戦地が首都から遠いだけでなくシベリア鉄道もまだ整備しきれてなくて動員力で日本に大きく劣っていたことと、軍の指揮官同士が仲が悪く戦争指揮で拙いミスが連発されたことが挙げられています。
 さらに開戦当初はともかく序盤から負け続けたことから国内でも厭戦気分が高まり、ついには戦争中止、憲法の制定と施行を求めた市民グループが宮殿前をデモ行進している最中に兵士が発砲するという「血の日曜日事件」が起こり、国内でも革命の機運が高まり支配体制が大きく揺らいでいくこととなりました。ついには軍隊内でも「戦艦ポチョムキンの反乱」で有名な水兵の反乱が起こり、ここに至ってロシア側も日本との講和交渉へと臨まざるを得なくなります。
 
 米・ポーツマスで開かれた講和会議には日本側からは小村寿太郎が出て、ロシア側からは急遽呼び戻されたヴィッテが全権代表として望みます。先程私はこのヴィッテを好敵手と呼びましたが、戦前からの外交判断も大したものでしたが彼はこのポーツマス会議での日本側の態度から継戦能力はほとんどないと見抜き、当初強気だった日本側に対して一歩も引かず賠償金を放棄させた上で講和条約をまとめてしまいます。彼がニコライ二世の側近で居続ければ日露戦争はなかったかもしれず、彼がポーツマスにいなければ日比谷焼打ち事件はなかったかもしれません。敵ながら、これほどの巧者はあまり目にかかれないでしょう。
 
 日露戦争終結後、ヴィッテは仲間と共にニコライ二世に対して国会開設や普通選挙実施を含む改革案の「十月詔書」を提出します。ヴィッテとしてもこれまでの王族と貴族を中心とした体制ではロシアは続かないと考えていたのでしょうが、ニコライ二世は当初はこの詔書に署名こそするもののすぐに後悔し、実際にその後すぐに選挙法を改正して貴族に有利な制度に変えてしまいます。そしてヴィッテの方も、初代首相になるもののニコライ二世にまた嫌われていたのもあってか国会の承認が得られずすぐ辞任し、政治の一線から引退する羽目となります。
 先程の「血の日曜日事件」を受けてからニコライ二世はしぶしぶですが民主化に少しは動いたものの、すぐまた旧制度への転換を図ろうとするなど強い保守主義的傾向を見せています。また一応は開設された国会では首相となったストルイピンが自作農の創出を図るなど改革を進めましたが、その彼も1911年に暗殺されたことから中国の光緒帝同様に改革は頓挫し、そのままのロシアであり続けたまま(れりごー)1914年の一次大戦を迎えることとなるわけです。ってことで、残りはまた次回に。

2014年10月25日土曜日

予告先発報道での食い違い

 細かいことかもしれませんが気になったので記事にして記録に残しておきます。変な積み重ねかもしれないけど、このブログも10年くらいの地に資料的価値持つかなぁ。
 
日本Sは予告先発!初戦メッセvsスタン(日刊スポーツ 18時3分配信)
 
 上記のニュースはどれも本日報じられたニュースですが、見出しを見てわかる通りに午前中には野球の日本シリーズで予告先発にソフトバンクの秋山監督は応じないと報じられていたのに対し、夕方のニュースでは快諾したと報じています。しかもニュース記事の内容を見ると監督会議の場で秋山監督の方から阪神の和田監督に持ちかけたと書かれており、一体午前のニュースはなんだったんだと思わず首をひねります。
 私が最初に見たのは予告先発で合意を報じる夕方のニュースだったのですが、Yahooニュースでは「予告先発に合意」と書かれた見出しの横で、「日本シリーズでの予告先発を"拒否"した秋山監督」というキャプションがついた写真画像があってなんじゃこりゃと思ったことからさっき調べたのですが、ここまで報道と結果が異なるニュースもまた珍しいものです。
 
 仮に東スポだけがやらかしてたらいつものことと片づけられるのですが、さすがに三紙が揃って同じ報道をしていて秋山監督の談話もほぼ一致していることから飛ばし記事ではなかったと思います。恐らく昨日の23日に秋山監督は応じないというセリフを記者に言ったものの、球団などから考え直すよう求められてそれに応じたのかもしれません。もしそうだったら逆に誤報流すこととなったメディアに同情します。
 
  おまけ
 以前に東スポが誤報による名誉棄損か何かで訴えられた際に東スポ側が裁判で、「うちの記事内容を本気で信じる奴などいない」と弁論で言ってのけたことがあったそうです。しかも判決でもこの主張が認められて実質東スポ側が勝利したのですが、判決後に裁判官からは、「自分とこの報道が信頼性に欠けるだなんてメディアに携わる人間が言うべきことではない」とたしなめられたそうです。チャンチャン。

2014年10月24日金曜日

就職活動における交通費

 本題と全く関係ありませんが先週苦労の末、「極黒のブリュンヒルデ」の電子書籍10巻のダウンロードに成功して読むことが出来ました。以前から評価している作者と作品でありこの巻も満足できるクオリティだったのですが読んでて一つ気になったこととして、ほかの漫画なら四肢切断シーンが出るとちょっと「うっ」となるのに、何故だかこの漫画では何とも思えず全く気になりません。わかる人にはわかるでしょうがこの漫画の作者である岡本倫氏の漫画では四肢切断や首チョンパなんて当たり前のようにバンバン出てくるため、読んでる側も「ああいつものね」って感じで感覚が麻痺してきます。
 
 そういうわけで本題に入りますが、中国で生活していて日本とのギャップを大いに感じる点の一つとして交通費が上がってきます。というのも中国の交通費はどこでも非常に安く、上海の地下鉄は初乗り3元(約51円)で遠くまで行っても5元くらい(約85円)で済みます。バスに至っては2元(約34円)で、上海以外の地方ならもっと安く私の住んでる昆山市なんてプリペイドカード使えば0.6元でそこそこの距離を移動できます。このほか都市間を結ぶ鉄道も比較的安価に抑えられてて東京から大阪くらいの距離でも5000円くらい払えば快適に移動できるし、タクシーも地方都市なら初乗り10元(約170円)程度なのでちょっとの距離でも割と気軽に使えます。
 中国で交通費が安いのは物価の差もありますがそれ以上に建前上は社会主義国家であることも大きく影響していると見られ、食費というか農作物の価格もかなり抑えられていて最低限生きてく上でのコストは本当に安いです。では中国以外の国はどうなのかですが、実を言うと案外日本の交通費が突出して高いのではないかと密かに考えています。
 
 これまで行ったことのある国を挙げていくと香港、シンガポール、インド、米国、英国といったところで実のところそんなに海外旅行は好きではないのですが、シンガポールとインド、米国はそんなに公共交通使わなかったのであまり意識はありませんが、英国は消費税率が高いため物価はかなり高いですがこと交通費に関してはロンドン地下鉄は2ポンド(約300円)で指定エリア内をその日一日乗り放題となり、大阪地下鉄みたいに初乗りだけで200円以上取られることを考えるとお得感がありました。しかも一週間単位でも定期で購入すると様々な割引がついてきて、ほかの物価が異常に高いと感じる一方で交通費に関しては悪くはないという印象を覚えました。
 それに対して我らが日本は同じ東京内の移動でも1往復とかで1000円くらい達してしまうこともざらで、観光などできて何度も乗り降りしたりJRと地下鉄を乗り換えたりすると結構な金額を取られたりします。詳しく検証してみないと何とも言えませんが、都市交通費だと下手したら世界屈指の金額になるんじゃないかな。
 
 とはいえ日常生活ならそんなに気にならず、また通勤でも日本の場合は会社が大体払ってくれるので意識することはないでしょう。しかし就職活動時となると話は違います。私はこれまでに日本で二度も就職活動をする羽目となりましたがどちらの時も面接の度に交通費がかかり、この金を別方面に使えてればと面接に落ちる度に歯ぎしりする思いをしました( ゚皿゚)キーッ!!
 昔なら面接先の会社が交通費を捻出したでしょうが現代では一次面接でそういうの払ってくれる会社なんてまず皆無でしょうし、金のない学生時代の就活となると活動費をどれだけ使えるかは地味に大きなハンデとなりうる可能性があります。特に都市部在住の学生ならともかく地方在住となると面接は本社の集中している東京の場合が多く、直接見たりしたことはありませんが話しで聞く限りだと種且つシーズンならほぼ毎週、地方の学生は夜行バスに乗って面接に行くなんていう話を聞いたりします。
 
 この交通費の負担は学生に限らず成人の、特に失職者の再就職活動においても地味に負担が大きい、というか自分自身で体験したからよくわかるけど遠距離にある会社なんてその時点で面接に行くのに気後れしてきます。ただでさえ収入が途絶えているのに見込みのない面接なら初めから呼ぶなとも言いたくなり、特に履歴書に書いてある内容しか聞いてこなかったスギムラ化学なんて面接官に対して「てめぇ人生舐めるなよ」なんて言いたくもなりました。なんか自分でも脈絡ないセリフな気もするけど。
 
 えらく前振りが長くなってしまいましたが私の言いたいことを述べると、上記の様にただでさえ日本は公共交通料金が半端なく高くて就職活動者の金銭的負担も大きいのだから、政府は就職支援であれこれアドバイスとか変な訓練に給付金出すくらいなら交通費の補助なり免除なりをやった方が良いのではと言いたいわけです。面接後に訪問した会社の確認が得られたら実費精算するのでもいいし、なんなら多少悪用される可能性を考慮してもJRならフリーパスになるカードも渡したっていいでしょう。家に引きこもられたりするくらいなら。
 なんでこんなこと言うのかというと一つは求職者に対して積極的に動いてもらえるよう支援できそうに思えることと、上記にも書いてあるように遠距離から面接に来る地方在住者の負担があまりにも大きく、そのハンデを解消させてやるのも行政の務めだと思うからです。たった30分程度の面接に数万円の交通費をかけて来なければならないなんて普通に考えておかしいと言いたいのですが、最近の日本ではおかしいことを誰もおかしいと言わなくなってきたしなぁ。
 
 最後に現在ハローワークなどが行っている就職支援について一言述べると、金の使い道をもう少し考えろと言いたいです。知ってる人には早いですが最近ハローワークでは求職者が就職できるよう職業訓練にやたら金かけてて、外部の訓練、教育機関と提携して求職者に講座なり訓練なりを無料で施しています。そしたら案の定ですが実際は受講者が来ていないにもかかわらずこれだけ教えたからこれだけ補助金頂戴とハローワークに申請して横領する会社が出てきて、またムダ金を使っていたわけです。
 こうした詐欺事件の横行だけならまだ許せますが前にテレビで見たのだとネイルアートの訓練にも金を出してて、しかもその訓練を受けた女の子はネイルアートとは全く関係ない所に就職してました。感覚にもよるでしょうが、就職希望者も多いネイルアートに国が金をだして訓練を受けさせる価値があるかとなると私にはないと思います。

2014年10月22日水曜日

道徳科目の正式教科化方針について

 
 今日辺り二週間前に思いついた就職活動における交通費優遇案について書こうと思っていましたが久々に家でご飯炊いてカレーとおにぎりで一気に二合ぐらい食べたらちょっとボーっとしてきたので、やっぱり気軽に書ける時事ものにします。時事ものを気軽に書くというのもなんだけれど。
 ってわけでサクサク本題に入りますが、上記リンクは今日出ていたニュースなのですが「道徳」を小中学校で正式科目に昇格させる方針を中央教育審議会が出したそうです。結論から述べると基本的に私もこの方針に賛成ですが、やるなら思い切りやった方が良いと思います。
 
 道徳を正式科目に引き上げる背景としては現在の形態ではやっぱりサブ的な扱いで学校など教育の現場ではそれほど力を入れて授業が行われていないそうです。実際に私が通っていた小学校ではほぼすべてのクラスが土曜日(当時はまだ第二だけ休み)に授業を持っていき、道徳科目の研究を行うよう上から言われたていた学校なのに授業数が少ないと指摘されたと聞いています。こうした授業コマ数的な問題はもとより、教師の裁量によって授業が行われ教科書も自治体によってかなりまちまちであることが問題点として挙げられており、今回出た方針では検定教科書の導入を入れる一方、各地方ごとに郷土資料も活用するという案も提示されています。
 
 あと地味に私が今回の方針で評価した点として、正式科目には挙げるものの数値による成績評価は不適切としている点です。もし仮に道徳で音楽や書道などの科目同様に数値評価となればそれこそ学校による価値観の押し売りとなると共に、教師の恣意的な価値観で内申点が変動することもあって教育にとって非常に良くないものとなる気がします。しかし今回の方針では数値評価は避け指導要録に文章で記録するだけにするべしと書かれてあり、また倫理観などを育てると共に情報モラルも扱っていく方針も出ていて、ちょっと誉め過ぎな気もしますが非常にバランスがよくまともな提案じゃないかと感じます。
 
 何気にこれも今度別に記事で書く予定ですが今の中国ではかつての日本の様に受験競争が非常に激しくなっており、親も学校側も各試験科目の成績アップにしか眼中になく子供のモラルや倫理観について誰も教育しようとしない、昔より悪くなっているなどと言われてはちょっとした社会問題となっております。義務教育の学校で倫理観を育てるというのは考えようによっては国家による思想教育とも取られますが、全くそういった教育が行われていないであろう中国にいて街中や電車の中でやたらと奇声をあげる子供をしょっちゅう見ているだけに、やっぱり多少はこういう独特教育も学校に必要なんだろうなと思っていた矢先だっただけに、このニュースを見てちょっとホッとした気がしました。ってかこっちいるとたまに、本気で奇声上げる子供を殴りたくなるほどイライラします。
 
 話は戻って道徳教育ですが、私が子供だった頃は倫理観や公共意識の重要さが示される有名なエピソード、体験談の話を授業で読み、それらのエピソードについて班ごとに感想をまとめるようなやり方が多かったです。パッと思いつく当たりだと、副島種臣が主役のマリア・ルス号事件なども読んでおり、最近だと元阪神の藤川球児選手の戦力外間近から不動のストッパーに至るまでのエピソードも題材となっているようです。
 
 確かにこうしたエピソードを読むだけでもやらないよりはやった方がよく当たり障りはないのですが、友人にもたびたび注意されるほど極端な方面に私は走りがちで、どうせ正式科目に引き上げるんだったら倫理の限界まで悩み抜いた方が良いのではと個人的に思います。具体的にどうすればいいのかというと、タブーなど普通じゃ議論できないことについて道徳の授業で取り上げて真剣に意見を交換し合うというやり方です。それもなるべく現実世界にベースを置いた内容で。
 それこそ今なんか中学生に議論させてみたら面白そうなテーマがたくさんあって、パッと思いつくのをまた書いてくと以下のようなのがあります。
 
・いい政治を行うために賄賂や裏金を取ることは許されるのか
・会見で大泣きすれば許されるれのか
・大津のいじめ事件の犯人は制裁を受けるべきか
・悪いことしても自殺すれば許してあげるべきか
・すき家のワンオペは容認すべきか
・お金を稼ぐために従業員をこき使うのは許されるのか
・先輩だからといって後輩をしごいてもいいのか
・ナベツネと清武はどっちが悪いのか
 
 適当に考えた内容ですがまさにホットな話題だからこそいま議論すべきだと私は思いますし、中には中学生にはまだ早いと思う人もいるかもしれませんが、議論をするのに早い遅いは関係なく今やるか否かだというのが私の隠れた信条です。でも深刻なテーマについてわからないなりにでも中学生くらいから手を付けた方が良いんじゃないかというのは真面目な意見です。

2014年10月20日月曜日

昨夜見た恐ろしい夢( ˘ω˘ ) スヤァ

 雨雲が近づいているのか今日は昼から頭痛がしてブログは休もうと考えておりましたが、昨夜に見た夢が相当なインパクトがあったので「ゆめにっき」とばかりにここで書いておくことにします。
 
 その夢で最初に視界に入ったのはセミナー会場らしき広いイベントホールの中で、そこで自分の席の後ろにいる人に回ってきた紙の束を手渡しした所、「花園君じゃない?」と手渡した女性から声をかけられました。見てみると相手は小学校時代の同級生で、私を見ながら「昔と全然雰囲気が変わっていない」という、リアルでもしょっちゅう言われることを言ってきたので、この時点で夢にしては変な内容だと思い始めました。
 なおこの夢に出てきたその同級生ですが初恋の相手でもなんでもなく、むしろクラス内で騒ぐことが多かったので内心で嫌な女だとみなしていた子でした。同級生だった頃もそれほど頻繁に会話したこともなければ卒業後は一瞥すらしたことありません。
 
 話は夢の内容に戻りますがやや思い出話をした後に連れだって外へ出ると、その子は雨が振りしきる中でブームも沈静化してきた「アイスバケツチャレンジ」をやおら自分の目の前でおっぱじめました。しかも二回も。この行為に私が興味なさそうにしていると今度はライターに火をつけ、その火をそのまま自分の鼻の穴に入れて鼻毛を一気に焼き切る妙なパフォーマンスをやりだしたので、「自虐的な行為はよせ」と、そこで私もさすがに止めに入りました。そのシーンを最後に目が覚めたわけです。
 
 読んでて何を言ってるんだと思うでしょうが、夢を見た本人である私も「なんだったんだ今の?(´゚ω゚` )」という具合で、起きたあとはしばらく悩みました。夢というのは基本カオスなものでカオスだからこそ面白いのですがこの夢は近頃見た中でもカオスっぷりが飛びぬけており、特に鼻の穴にライターの火を突っこむシーンは思い出そうとすればするほど触れてはならないものに近づいているような奇妙な感覚があります。
 自分は神様を信じていなければ(悪魔はちょっと信じてる)それほど信心深い方でもありませんが、ちょっとこのカオス極まりない夢を見ただけに、その同級生だった女の子の身に何か起きたのではないかと少し心配です。もちろん確認する気はさらさらありませんが、その身の安全を陰ながら祈りつつ今日は寝ようと思います。

2014年10月19日日曜日

ゲームレビュー~ウォーシップガンナー2 鋼鉄の咆哮

 現在このブログはVPNを繋げて中国から直接アクセスすることも可能ですが、VPNが無ければ無理なので普段はメールアドレスを設定してそこにメールを送ることで記事を投稿しています。ただ最近気が付きましたがアップロードされる際に改行が無くなっていることが頻繁に発生しており、昨日の記事もさっき見たらそうなっていました。一応気が付いたら修正しますが、改行ないとやっぱ見辛いな自分の文章。
 そういうわけでサクサクと本題に入りますが、現在PSPのゲーム「ウォーシップガンナー2 鋼の咆哮」というゲームにはまり、休日が来るのがリアルに楽しみなほどはまっています。
 
ウォーシップガンナー2 鋼鉄の咆哮(Wikipedia)
 
 このゲームはどんなゲームかというと、軍艦を使って海上でひたすら戦う海戦シューティングといったところです。世間が「艦隊これくしょん」で盛り上がっている中、こういうゲームするのもなかなかオツな感じがします。
 
 大まかなあらすじを紹介すると、ストーリー内の世界は二次大戦期の年代に設定されており、主人公はシベリアにある架空の小国の主人公で日本や米国、イギリスなどの国々を渡りながら各海域で敵軍とドンパチし合うと言ったところです。ストーリールートは三種類用意されててそれぞれのルートで副官が変わり、昔堅気の老軍人(日本)、美人でメガネな女性科学者(ドイツ)、主人公の士官学校時代の後輩(主人公の国)と、よくわかっている人選がなされております。
 
 ゲーム中では軍艦であればどんなものでも使え、駆逐艦、巡洋艦、戦艦、空母はもちろんのこと、潜水艦や最新のフリゲート艦などもストーリーの進行に合わせて使えるようになります。またこのゲームの醍醐味として、各軍艦はパーツを組み込むようにして自ら設計していくようになっており、多種多様な兵装の中から好きなものを選ぶだけでなく機関に通常のボイラーを使うのか、熱量の大きいが重量のある原子炉を用いるか、コンパクトなディーゼル機関を使うのかと色々思案に暮れているだけでも楽しいくらいです。
 特に兵装については本当に幅が広く、魚雷や砲はもちろんのこと、ロケット弾から火炎放射器、巨大機銃など戦闘に合わせていろいろな組み合わせが試せます。しかもゲーム序盤は設定された時代に合わせた小さな砲や原始的な魚雷とかしか使えませんが、ストーリが進むにつれて使える兵器はどんどんと増えていき、最終的には後半に至っては酸素魚雷や誘導弾、果てにはミサイルやレーザーまで使えるようになります。
 またこのゲームにはいわゆるボスキャラに当たる「超兵器」と呼ばれる巨大な軍艦などが登場しますが、その超兵器が使う兵器がかなりぶっ飛んでおり、いくつか例を挙げると艦首にまんま巨大なドリル付けた奴とか、宇宙戦艦を彷彿とさせるような波動砲とかが普通に出てきます。しかも攻略することでプレイヤーも波動砲をぶっ放せるようになるし。
 
 あと軍艦がメインなためサブな感じは否めませんが、空母などであれば戦闘機を搭載し運用することもできますが、その戦闘機のバリエーションも半端な量じゃありません。お馴染みのゼロ戦はもとよりスピットファイア、スツーカは当たり前で、最新鋭のホーネットやファントム、でもって銀色の円盤状したUFOとか普通に飛ばせます。なおこのゲーム中盤で非常に威力を発揮することから、スウェーデンのサーブが作っている「グリペン」って戦闘機が大好きになりました。ウィキペディアの記述を見ると、現実でも傑作機として高く評価された機体のようです。
 
 私の主観で述べると、案外こういう軍艦シューティングというのはありそうで今までなかったような気がします。なもんだからこういうゲームがあると知って、「まさにこういうのを遊びたかったんだ」と思い、先月の日本帰国時にPSVitaでダウンロード購入をしたのですが、期待に違わず自分がやりたかったゲームのジャンルにぴったりと合致しました。
 ただこのゲーム、PSP版だと特にその傾向が激しいとレビューでも語られていますが、正直に言って非常に難しいです。後半に至ってはこちらが一隻に対して百隻くらいの軍艦を相手にさせられるステージもあり、レビューにも経験者であっても最初は難易度EASYからやるべしと書かれているくらいで事実私も一週目ではNORMALではどうやっても越せないステージがありました。それでもどうにか一週目を攻略して開発した兵器を引き継ぐ二週目は余裕でクリアできるだろうと思っていたら、二週目には強力な敵艦が新たに配備されるようになり一週目以上に苦戦する面が増える始末でした(ーー;)
 
 とはいえ難しくてなかなかクリアできなくても不快に感じることは少なく、むしろ「次はこういう設計と組み合わせで戦ってみよう」といろいろと兵装を変えて望んだりして、負け続けていても楽しさを覚えられます。なお私が試した組み合わせとしては、戦艦に小型サイズの砲をあらん限り搭載し、最終的には一隻に36門もの砲を搭載するという設計がお気に入りです。砲が小型なため射程や威力は確かに小さいですが一旦接近してからはマシンガンの如く異常な量の砲弾を絶え間なく打ち込めるので、単位時間当たりの破壊力は目を見張るものがありました。そのほかとしては「にゃんこビーム」は面白いんだけど使い勝手があまりにも良すぎてかえって使う気にならず温存してます。
 
 あとこのゲームで使ってみて初めて、酸素魚雷がこれ一つで戦況を変えるくらいの威力を持つ強力な兵器であることを実感しました。詳しくはリンク先のウィキペディアの記事を見てもらいたいのですがこの酸素魚雷というのは推進剤に空気ではなく純酸素を用いた魚雷のことを指し、爆発事故を頻発させるほどの整備性の悪さから各国で研究、開発が進んだものの、二次大戦中に実際の運用までこぎつけたのは日本だけだったというやや特殊な兵器です。
 特徴としては推進剤が空気より燃焼効率の高い純酸素であるため推進力が高い上に射程距離が半端なく長く、燃焼後に発生するガスが炭酸ガスのため水に溶けるので航跡が読み辛くなり通常の魚雷と比べ相手側に気付かれにくいという長所があります。その上で破壊力も半端じゃなく、実際の戦闘で使用された際は目標の敵艦を撃沈しただけでなく、撃ち洩らした酸素魚雷がその延長方向先にある別の艦も撃沈してしまったという例までありました。
 なお私が高圧ガス業界にいた際、当時は広島に左遷されていたうちの親父がこの酸素魚雷について話しだし、どこのガスメーカーが絡んで酸素魚雷は開発されたのかと聞いてきました。業界人ったってそんなのわかる奴なんて普通いないだろ(;´Д`)