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2014年12月23日火曜日

デフレはトヨタの賜物か

 
 目下の自動車業界のホットな話題となるとまず間違いなくタカタ問題ですが、私が個人的に気になる問題としては上記のようなトヨタの問題についてです。トヨタとくれば日本の稼ぎ頭といって間違いないのですが、その一方で今日の記事の結論でもありますが日本経済の最大の問題点であるデフレの主因ではないのか、そのような不信感を強く抱いています。
 
 トヨタは現在アベノミクスの追い風を受けて今年9月期の中間決算で過去最高益を記録するなど絶好調が続いています。しかし世間の景況感は未だ悪いままで、しかも過去最高益のトヨタの下請けに至っては上記ロイター(ネタ元は帝国データバンク)のニュースによると7割がリーマンショック前の売上げに回復しておらず、残り2割も「横ばい」と答えるなど全く恩恵を受けていない状態にあるようです。
 それもそのはずというかトヨタは下請け企業に対してほぼ毎年、部品製品のコストダウンを要求しており、その要求値下げ率も大体三年くらいのペースで数十パーセントという、言ってはなんですが途方もない数字をさも平気そうに言ってきます。過去最高益を記録した今年もまた同じくらいのコストダウンを要求しているというような情報をちょっと耳にしたのですが、調べてみたら上記リンク先のニュースにも乗ってますがさすがに今年は多少空気を読んだのか一切のコストダウン要求はしないという方針をトヨタは発表しています。もっとも、冷静に考えるとこれもおかしな言い方にしか聞こえてこないのですが。
 
 というのもトヨタはリーマンショック以降の過去数年間、円高による海外市場の苦戦とやらを理由に下請け企業に対して厳しいコストダウンを要求し続けてきました。これを現在の状況に置き換えるなら、大幅な円安に転じたのだから今まで散々安く買い叩いていた部品の値上げを認めるのが筋じゃないのか、こんな風に思え「今年はコストダウンを求めないよ」なんていうのはちょっとふざけた言い方にしか聞こえません。それに多分、コストダウンを求めないのはあくまで今年だけの話であって、来年はまたいつもの如くコストダウンを要求するのが目に見えています。
 
 ここで私が何を言いたいのかというと、順調に増益に次ぐ増益を達成しているにもかかわらず異常ともいえるコストダウンを連年下請けに課しているトヨタは紛れもなく下請け企業の利益を吸い取っており、ひょっとしたらトヨタこそがデフレを加速させている主要な要因じゃないかとこの頃強く思えてきました。またトヨタのコストダウン要求は明らかに業界における強い立場を利用しての行為であって、小売企業に対し消費税還元セールを独禁法で禁止するくらいならトヨタのコストダウンも独禁法でそろそろしょっ引くべきではないでしょうか、本気でデフレ対策をしようというのであれば。
 
 ちょっと気になったので現在の日本国内の自動車販売台数シェアをこのサイトを参考に調べてみましたが、今年1~11月の軽自動車を除く販売台数シェアだとトヨタは45.2%を占めています。これに実質的にトヨタ傘下であるスバルの3.8%を足すと49%に達しており、さらに軽自動車では同じく傘下のダイハツが単体で30.5%を占めており、こう言ってはなんですがもうそろそろ独禁法かけてもいいくらいのシェアじゃないかと思います。
 トヨタが大した企業であることは認めますが、その無茶なコストダウン要求振りは日本国内の経済を歪な形にさせているように見え、何かしらの形で締め付ける必要があるのではと言いたいわけです。本当の意味でアベノミクス(の目指そうとしているもの)を成功に導くためにも、トヨタを叩くことこそが今大事なように思えます。それこそ狙い撃ちにするような形となってでも。
 
 最後にもう一言だけ書いておくと、かつては画期的な経営手法と言われていたトヨタの「カンバン方式」ですが、ここ数年は経済誌などでもすっかり目にすることがなくなりました。そのきっかけは間違いなく東日本大震災によって起こった生産停止で、あれでこの方式はただ単に不測事態の在庫を一切持たないだけのノーガード戦法に過ぎないということが露呈したからでしょう。これに限ることではないけど、日本人は全体として起こってほしくな自体は起らないことを前提に物事を計画するので緊急時となると異常に弱くなりがちで、いい加減、二次大戦の頃の反省を生かせばいいのにとつくづく思います。

2014年12月22日月曜日

STAP騒動の顛末について

 もはや詳細は語るまでもなく論評だけ書くことにしますが、先週理研はSTAP細胞の再現実験が失敗し、研究を打ち切ることを発表しました。この結果自体は初めから見えていたことで特に驚きもなく、小保方氏の処遇についても本人から辞職願があったのでそれを認めたということも予定調和と言える気がします。その上でこの一連の騒動を総括するなら、2014年はアベノミクスよりもイスラム国よりも、小保方晴子氏とSTAP細胞の一年だったと思えるくらいにこの事件はインパクトがあったという気持ちを覚えます。
 
 この事件の何がすごいのかっていうと、ちょうど一年間で栄光から凋落まできれいに完結できている点です。今年一月末に英科学誌ネイチャーでの論文発表によって一躍「リケジョ」の星だなんて持て囃されたかと思えば4月ごろには研究内容を疑問視する声が出ると共に過去の論文盗作疑惑が噴出し小保方氏も会見に出るなど情報が錯綜する中、再現実験はなかなかうまくいかず8月には理研での上司に当たる笹井氏が自殺し、そして今月12月にはやっぱり作れなかったという幕切れとなります。
 ちょうどこの2014年の一年間を通して定期的に物事が動いていったため終盤までニュースとして腐らず飽きられず、その上でたった一年で「ノーベル賞候補」とされた存在が「疑惑の研究者」として研究現場から離れるというハイスピードな展開振りで。佐野眞一氏のような言い方をするならばその流転っぷりは人として何とも言えない魅力があります。それこそ「オボカタ 奴の正体」みたいな連載記事とかもあってもいいかもしれませんし、もしこんな連載あったら自分も毎週読んでみたいです。
 
 もちろん冗談ではありますが歴史の教科書に、「2014年:小保方の乱」みたいに書いたっていいくらいこの一連の騒動は日本国中、ひいては関連する研究業界に、内容はどうあれ、過去に例のないくらい大きなインパクトを与えた事件だったと思います。何故それほどのインパクトを残せたのかというと、STAP細胞という存在してたら本当にとんでもない価値を持つ研究であったことは元より、過去から現在に至るまで疑惑に満ちた研究人生を送っていながらあくまで自分はシロだと言い続けた小保方氏のキャラクター性があったがゆえといえるでしょう。
 
 このブログでも何度かこの事件は既に記事化しておりますが、過去の記事ではさすがに人格批判になるかもと思ってはっきりとは書かなかったものの、彼女の言動を見ていると明らかに矛盾した内容を口にした上で問題に核心については曖昧に口を濁すなど確信犯的な態度もみられましたが、その一方で自分の嘘を自分自身で本気で信じ込んでいるような、一番厄介な虚言癖を持ってそうな雰囲気を感じました。近いタイプを挙げると鳩山由紀夫元首相もそうでしたが、小渕優子議員や渡辺善美元議員のように人間は嘘をついているような痛い所を突かれると一瞬、「うっ」というような苦しむような表情や詰まったような返答をするのが自然ですが、小保方氏は会見でそういう面を一切見せることはなく、それでいて核心はきちんとはぐらかしてくる点が良くも悪くも常人とは異なるという印象を覚えました。あの佐村河内ですら会見では苦しそうな表情や強がるような素振りを見せていたというのに。
 
 今後の理研はどうなるのか、小保方氏は今後どうなるのか、芸能界入りか?、などがこの騒動に対する現在の主要な議題でしょうが、私自身は逆にこの議題はあまり興味がなく、むしろ一連の騒動の展開とどれだけ多くの日本人の興味をかっさらってったのかという影響を考え分析する方に興味があります。まぁ事件の影響と言っても大きいのはやっぱりアカデミックに対する影響で、この事件以降は早稲田大学以外でも論文の盗用があちこちで明るみに出るなど、ちゃらんぽらんな論文審査が現場で続いていたということに対し一石を投じたのは間違いありません。なおアカデミックに対しこれほど大きなインパクトを与えた事件となると私の中では2000年の旧石器捏造事件くらいしか浮かばず、十年に一度くらいのペースと言えるくらいの大きな捏造事件だったのではと思います。
 
 もう一つ書きたいことを書くと、冒頭にも書きましたがNHKは「リケジョ」という単語をもう一回使ってはくれないのかなと皮肉っぽく思います。もはやこの言葉は小保方氏の枕詞としてしか機能せず、普通に理系学部に通う女性に対して「リケジョだね」なんて言ったら嫌な顔されること間違いなしでしょう。この「リケジョ」という言葉といい、「鉄子」とか「歴女」、「カープ女子」など、本当に一瞬で終わるような流行り言葉を女性に付ける風潮が実は非常に嫌いです。理由は簡単で、そもそもこれらの言葉が女性に冠せられるほど流行していないのと思うのと同時に、試用期間が一瞬ですぐに廃れるなど言葉として軽すぎる印象があるからです。ですから私としてはSTAP騒動に懲りずマスコミ各社はもっと「リケジョ」という単語を連発しまくって流行らせるよう、普及するよう努力するべきだしそれが彼らの責任だと私は思います。そんな責任被りたくないというのなら無用な言葉を作るなんて馬鹿なことをするべきじゃないと言いたいです。
 それにしても、「リケジョの星」は一瞬で、まっさかさまに流れて消えてったなぁ。
 
  おまけ
 「歴女」という言葉がありますが、今の今まで自分が及第点を出すほど歴史知識をちゃんと持っている女性は私は見たことがありません。何も世界史、日本史両方の基礎知識が出来る水準まで求めるつもりはありませんが、せめてどっちかの現代史位は把握してもらいたいのが本音です。「死のう団事件」とか解説できる女性がいたら一発で惚れるんだけどなぁ。

2014年12月20日土曜日

「司馬史観」の影響と現状

 
 上記のニュースは先月、作家の司馬遼太郎の夫人にあたる福田みどり氏が亡くなったことを報じたニュースです。このニュースを一目見た時にパッと私の頭に思いついたことは、「そういえば『司馬史観』という言葉もすっかり聞かれなくなったな」という思いでした。
 
 司馬遼太郎について説明する必要はないでしょうが昭和を代表する人気歴史作家で、河合継之助など彼が小説に書いた影響で一躍人気となった歴史上の人物が数多くいるなど現代においても計り知れない影響を与えた人物です。先に白状すると私は彼の小説だと「太閤記」しか読んでおらず、中学生時代に名古屋に左遷されたうちの親父からこれ読めあれ読めと勧められつつもなんかはまることが出来ず現在においてもほとんど全く手に取っておりません。もっともよく人に驚かれるくらいに普段から本を読まない性質であるのですが……。
 
 そんな大作家、司馬遼太郎の影響力を示す言葉として上記の「司馬史観」という言葉があります。この言葉は司馬遼太郎の小説で語られる歴史の見方でもって各歴史的事件や人物を評価しよう、分析しようとするような見方で、どちらかと言えば影響を受けた読者たちが持った歴史観として使われます。この言葉自体はさすがに昭和期を一桁しか生きていないためどのように発生したのかライブで見ていないためわかりかねますが、少なくとも私が子供だった頃は社会に定着して、この司馬史観に則って実際の歴史を評価しようという動きは確かにあったように思われます。
 具体的に述べると一番大きく取り上げられていたのは日露戦争以前と以後の日本に対する評価で、「坂の上の雲」で日本は日露戦争まではまだまともだったがそれ以降は列強になったという驕りを持ってしまいその後の二次大戦に至るまでの暴走を始めたという考え方を描いた、とするのが司馬史観を代表する歴史観だとして、90年代末期なんかは戦前の日本の行動を肯定的に見る右翼などから批判されていたのを一緒になって批判していた右系少年だった自分が見ています。まぁ今となったら「日比谷焼打ち事件」が確かにターニングポイントだったと思えてきたが。
 
 ただこうした司馬史観は司馬遼太郎本人を置き去りにして広まっていったというのが本当の所のようで、ウィキペディアの記述を信用するなら本人は特に明確な思想でもって小説を書いて行ったわけでもないそうです。また自分の記憶する限りだと本人がこの司馬史観について言及したり歴史観をインタビューで披露するようなことはそんな多くなかったことから独り歩きすることにあまりいい気はしてなかったんじゃないかなと勝手に考えています。まぁ思想というのは一人歩きするから思想と呼べるのですが。
 
 あと司馬史観からちょっと意味が離れるもしれませんが、彼が小説で面白くするために書いたフィクション部分がその影響度の高さからさも歴史事実のように世間で受け止められてしまうということも非常に多かったです。一例をあげると「国盗り物語」で、現代においては一介の油売りから美濃を乗っ取った斎藤道三とされる人物は実は一人ではなく、実際には親子二代の乗っ取り劇だったということがほぼ確実視されていますが、当時の研究のせいもあるでしょうがこれを小説では一代記にして書かかれたために現代においても斎藤道三は一人と見ている人が多数であると思えます。
 ある意味で人気作家であったために起こった弊害と言えますが、彼の小説は歴史事実に対して基本的には即しておりフィクションとノンフィクションがわかり辛いことは確かです。また今のようにインターネットがなく最新の史料研究を知る術がないことを考えると、「司馬遼太郎の小説に書かれているから事実だ」とかんがえるような、一つの司馬史観が流行るのも無理ない気がします。
 
 そろそろ話を戻しますが、現代において司馬史観がどうだこうだという論争はおろか、彼の小説に書かれていたから実際の歴史はこうだ、なんていう主張はここ数年全く見ることはありませんでした。それどころか彼の小説タイトルが話題に挙がることもほとんどなく、逝去からそこそこの時間が経っているとはいえ90年代の頃にあった隆盛ぶりと比較すると隔世の感があります。それこそ90年代ならば、「司馬遼太郎を読まずして歴史ファンとは言えない」というような風潮も感じられ、周囲から何度も薦められていただけにちょっと変わり過ぎではとまで思えてきます。
 
 その上で現代について述べると出版不況を象徴するかのようですが、世の中を動かすくらいの大ヒットする誰もが読むような歴史小説はとんとなくなりました。強いて挙げれば塩野七生氏の「ローマ人の物語」とかくらいで、歴史小説自体がやっぱいろいろ厳しい時代になってきているのかもしれないとともに、ある意味そういうのに盛り上がれる時代だったのかなと振り返りながら思います。

声を失った酒田市長に対する辞職勧告案について

 またなんか香港で動きがあったのか知りませんが今日の夜の時間帯はやけにVPNが繋がり辛く、あれこれしこ錯誤しているだけで位時間も費やしてしまいました。仕事をするなら最高の環境で、と言いたいところですがそんなのは甘えであって不利な状況下で必要とされるパフォーマンスを発揮してこそ一流だという自負がありますが、さすがにネット環境くらいに関してはもうちょっとマシな状態になってもらいたいのが本音です。「企業居点」の方も前は中国のネット回線で作業できましたが、十月くらいから締め付けきつくなってVPNでしか作業できなくなったし。同じWordpress使っている後輩も同じ状況なようで、二人で一緒にため息ついてました。
 ついでに書くとやや説教くさいですが、日本のジャーナリストが政府の規制とか情報統制とか抜かしているのを見ると本気で腹立ちます。数メガバイトの写真ですらまともに送信できない中国で仕事してからもう一度言ってみろと胸倉掴みたくなります。

 一通り愚痴ったところで本題ですが、私以外にも取り上げている方も多いのでスルーしようかとも考えましたが一応記事化しておこうと思います。内容に関しては大きく取り上げられているので知ってる方も多いでしょうが、咽頭がんの手術で声帯を失い、人口声帯を使用している山形県酒田市の本間市長に対し、同市の市議会会派「市民の会」とやらに所属する武田恵子委員が業務に支障をきたすという理由でもって辞職勧告決議案を提出しようと他会派に働きかけていたそうです。もっともこの働きかけは他会派が応じなかったことで流れましたが、この武田委員の行動に対してネット上では極端な行動だとして批判する声が上がっており、また障害者差別に当たるのではと同じ病気を抱える人たちの団体などからも問題視する意見が聞かれます。
 結論から述べると私もこの武田委員の行動は理解できず、逆にこの人に対して辞職勧告案を出すというのなら理解できます。

 武田委員は声が本間市長の声が聞き取り辛いという理由でもって辞職すべしと主張しましたが、ほかの記事でも書かれている通りに聞き取り辛いのであれば聞き取りやすくする方法を探すのがまず第一でしょう。それこそ市長の傍に立って市長の話す内容を復唱する人間を置くなり、パソコンを使って入力した言葉を発声させる方法などいくらでも対策は浮かびます。そうした手段をすっとばして選挙を経て選ばれる市長をいきなり辞職させようだなんてせっかちを通り越して何を考えているのかその無神経さを疑います。しかもこの人の一番わからない点は、こんなすっ飛ばした考えをほかの人間にも平気で口にした上で実際に発議まで持っていった点で、自分が批判されるかもしれないとは思わなかったのか、よくそのような迂闊さで今まで大過なく過ごしてこれたものだと呆れます。

 人口声帯が無くては声が出ないというのはハンデと言えば確かにハンデで、政治家にとって支障がないかと言えば全く支障がないとは言えません。仮にこういうことが中央政府の総理や大臣職などにいる人物に起これば外交や行事参加などの影響を考えると私も辞職もやむを得ないかと思いますが、地方自治体の首長レベルであれば周囲の理解とバックアップさえあれば特に問題はないと思います。またこうした障害を持つ人間もいるのだということがある意味大きく顕示されるので同じ障害を持つ方たちへの理解の広がりにもつながると思えるし、個人的にもハンデを持ちながらもそれに対応していこうという人は応援したくなります。それだけに障害を持った本間市長に理解を示さないどころか一方的に排除しようと動いた武田委員は私からすれば共感の持てない人物であるように思え、議員としてあまりいてもらいたくない人物だと言いたくなります。

2014年12月18日木曜日

どうでもいい近況

 
 上の写真はまたネットで拾ってきた猫写真ですが、そのあまりの構図にびっくりするとともにはまってみてます。写真って奥が深いな。
 
 さて今日はSTAP細胞か市民の会かについてでも書こうかとも思いましたが、ぶっちゃけ寒くてやる気が出ません。昨日よりかは大分マシですが妙に眠いのと寒くて手がかじかむので重たいテーマは書きたくないのが本音です。眠たいのはいつも夜中三時くらいにパッと目が覚めちゃうのが原因かなぁ。
 なもんだからどうでもいいこと書こうかと思い立ったわけですが、今日仕事場で革命的な出来事が起こりました。どんな出来事かというと、暖房が突然直りました。
 
 自分の仕事場にはもちろん空調があるのですが夏場の冷房は機能していたものの何故か暖房は機能せず、昨日まで従業員みんなでコート着ながら仕事してました。もうこんなん我慢するとこちゃうと思って自腹切ってもいいから直そうよと上司と同僚に話したところ、「去年も一昨年もこれで越冬できたから大丈夫」とアザラシみたいな回答されたものの、ひとまずフィルター掃除してみようとという話になり、フィルター掃除したらあっさり直りました。恐らく、フィルターのつまりで風が届かないかなんかで暖房スイッチが機能しなかったのではとみんなで相談しています。
 これで仕事に集中できると思いましたがいつも震えながら作業していたこともあり、急にあったかくなったので眠気を覚えるなどあんま集中できませんでした。まぁずっと英文の規格書眺めてたのも影響してるだろうが。
 
 プライベートの方では今日、「監獄学園」という漫画の最新刊がKindleで発売されているのを知って先程ダウンロード購入しました。いつも通り期待を裏切らない面白さでしたが、実は昨日にも同じくKindleで「ウィッチクラフトワークス」の三巻を買うなど散財が続いています。
 監獄学園についてはレビューはいいですが、ウィッチクラフトワークスは日本の本屋店頭に並んでいた表紙を昔に見ており、当時は「また典型的な萌え漫画だろうな」と思って意に介しませんでしたが、去年に公開されたアニメを試しに見たところキャラクターの設定や性格が面白く、萌え漫画として切って捨てるにはもったいないと思って漫画喫茶で全巻読んだ後、今ちょこちょこ単行本を買い揃えています。
 
 大学生だった頃、自分とそりの合わなかった指導教授(何か指導を受けた覚えはないが)がある日、「そもそもかわいいって概念はなんやろな」とつぶやいたことがありました。言われてみるとかわいい物は溢れているのに「かわいい」を定義するのは難しいと自分も感じたのですが、このウィッチクラフトワークスを読んでると「かわいいとはまた異なるかもしれないが、ファンシーという概念はこの漫画が最も的確に表現しているのでは」なんてつくづく思います。既に読んでる人には早いですが、作中では魔女がたくさん出てくる上に熊や兎のぬいぐるみがしょっちゅう巨大化して戦ったりしていて、そのデザイン性は読んでて現代の漫画家の中でも図抜けている、というよりよくこんな多才な絵柄を描けるもんだと驚かされます。
 ファンシーとは離れますがこの漫画で何よりすごいと思うのは背景です。連載が始まったばかりの一巻の頃はまだそうでもないですが、二巻以降はどのページも異常な奥行感とともに背景が割合びっしりと描かれています。それでいて人物の描画は崩れないのですから、どういう見方で世界を見ているんだとこの点でも驚かされます。もっと早くこの漫画に注目できていればよかった。
 
 最後これは予告も入りますが、最近読んだ漫画の中では「もっけ」という漫画が最も面白いと感じ、こちらに関してはそのうちレビュー書きます。この「もっけ」は既に連載を終えていますが、こちらこそどうして連載中に手を取らなかったのだ俺はと心底後悔するほどよくできた漫画です。中国にいながらこういうこと書ける環境になったのも、素直にうれしいものです。

2014年12月17日水曜日

日本と中国の妙なコーヒー事情

 今日また知り合いの中国人に日本語を教えるためケンタッキーに長居しましたが、日本人はクリスマスにケンタッキーを食べる習慣があるのだよと教えたら中国人はどんな反応するのかちょっと気になりました。ちなみに先日同僚に、「クリスマス近いけど、このハイトゲージに取り付けられるダイヤルゲージをサンタさん持ってきてくんないかな……」と、製品検査しながら妙な愚痴をこぼしました。あと望むらくならキーエンスの最新式ビッカース硬度計も欲しい。
 
 そういうわけで本題ですが、今日はケンタッキーでコーヒー飲んできたのでコーヒーの話か来ます。コーヒーというと日本では最近だと100円払えばコンビニでもそこそこいいコーヒーが飲めるようになり非常に身近な飲み物となっていますが、中国では大都市を除いてまだまだコーヒーを飲む習慣自体がありません。上海なんかだと日本同様に各コンビニチェーンがコーヒーをそれこそ一杯100円くらいで販売をしてますが喫茶店とか行くと20~30元(400~600円)くらいして、ほかの物価と比較すると何となく高い買い物している気がします。
 とはいっても以前と比べるなら物価水準に比してコーヒーの価格は下がってきており、たとえば私が北京に留学していた2005年などはチャーハンが一皿5元だったのに対してコーヒーは今と同じ30元くらいで、「この一杯がチャーハン六皿分か……」と思うといたたまれなくなりました。今だとチャーハンも7元はするようになって、以前に比べれば差は確実に縮まってきています。
 
 話は戻って中国のコーヒーについてですが、日本では一般的なコーヒーを頼む際は「ブレンドコーヒー」とオーダーします。しかし中国には「ブレンドコーヒー」という呼称は存在せず、「普通のコーヒー」といってもちょっと通じ辛いです。ではどのような呼ばれ方をしているのかですが大まかに二種類あり、一つは「経典珈琲」という、敢えて日本語訳するなら「クラシックコーヒー」という呼び方があります。これに対してもう一つの呼称は「美式珈琲」で、この「美式」というはどういう意味かと敢えて言うなら「アメリカン」、そう「アメリカンコーヒー」と言うと中国ではブレンドコーヒーが出てきます。なおアメリカの中国語は「美国」です。
 
 日本人からしたら「アメリカンコーヒー」というと通常のコーヒーをお湯でやや薄めたコーヒーを指しますが、中国では何故か普通のコーヒーを指します。ただそもそもの話、アメリカに「アメリカンコーヒー」なんてものはなく、この言葉自体が日本の造語でもあります。一体何故かこの日本人は薄めたコーヒーのことをアメリカンなんて言い出したんだろう。
 昔喫茶店でアルバイトしていた時にこの話題が出てきて、折角だから対になる言葉を作ってはどうか、たとえばめちゃくちゃ濃いコーヒーを「アフリカン」と呼んではどうかと私は提案してみましたが、「それ普通にエスプレッソやん」とツッコまれました。むしろエスプレッソをこれから「アフリカン」と呼ぶべきだなんて思うのはきっと私だけでしょう。ブラックな感じが如何にもアフリカっぽいイメージなんだけど。
 
 最後ほんとどうでもいいことですが、中国ではスターバックスが進出してからまともなコーヒー需要が出てきたこともあってスタバが主力とするエスプレッソやカプチーノの方が人気高いように思います。そのカプチーノですが中国語の発音だと「カァプチィルォ」みたいな発音になるため、発音する度に物凄い違和感を感じるので敢えてオーダーせずいっつも「美式珈琲」を頼んで飲んでます。なおマクドナルド、ケンタッキーのコーヒーは日本も中国もほぼ同じです。

2014年12月15日月曜日

浜口雄幸にまつわるエピソード

 またどうでもいいですが前髪が長くなってきたせいで非常に気になります。基本自分は髪型に一切のこだわりがなく「伸びたら切る」の精神でもってきっかり三ヶ月ごとに一回、年四回だけ理髪店に行きますが、中国の床屋だと頼みもしないのに勝手にパーマをかけ始めたり、田舎出身の理髪師が多くて自分の標準的な中国語が通じなかったりするのであまり行きたくありませんが、来週あたり腹くくっていかないとなぁ。海外生活で困るのは一に食事、二に床屋、三にカレーだと思う。
 そういうわけで本題に入りますが、このところ日本史ネタをほとんど取り扱ってないのでパッと書ける浜口雄幸に関する話でも紹介します。
 
浜口雄幸(Wikipedia)
 
 浜口雄幸とは大正から昭和初期にかけて活躍した政治家で、政党政治を徹底して貫いた上で総理にも昇りつめた人物です。名前が「雄幸(おさち)」と一回聞いたら大体一発で覚えられそうな特徴的な名前をしていますがこれには実はわけがあり、生まれた当初に両親は彼の名前を「幸雄」と名付けようと思ってたところ父親が出生届を出しに行く時に酔っぱらったまんま出かけちゃったもんだから、届けに書く名前をあべこべに書いて「幸雄→雄幸」となってしまったそうです。いい加減にしろよこのクソ親父と思いたくなるエピソードですが、こんな親の下でも総理になれるんだから親は無くとも子は育つもんだなぁ。
 
 浜口雄幸は幼少時から秀才であったことは間違いなく、地元高知の学校を卒業した後は東大に進学してそのまま大蔵官僚になります。その官僚時代に割と人材コレクターな気のある後藤新平に目をつけられて引っ張られる形で政界入りし、所属する憲政会の中でもその謹厳実直な性格が周囲に受け入れられていき徐々に有力議員として周囲からも目されるようになります。
 昭和四年(1929年)に起こった張作霖爆殺事件について天皇から叱責を受けた田中義一内閣が退陣すると、その後継として当時憲政党の総裁であった浜口雄幸に組閣の命が下ります。こうして発足した浜口内閣はやっぱり浜口自身の人望が高かったこともあり高い人気でありましたが、時は昭和恐慌の時代であったため民衆が彼に求めたのは現代同様に経済の立て直しでした。
 
 経済を立て直すに当たって浜口は蔵相(この言葉を使うのに懐かしさを覚える)に任命した井上準之助と共に金本位制の復帰を強行し、そこへニューヨーク発の大恐慌が襲ったことから景気はそれ以前よりも一層厳しい状態を迎え、文字通りデフレスパイラルに入ってしまいました。この金本位制の復帰は実施当時であっても経済政策として間違っているなど批判にさらされており、現代の分析においても逆行させる悪手であるとの評価が多いです。私自身の考えも同様で、浜口、井上の人格はともにしっかりしたものだし信頼に足るような人物ではあったものの、経済政策に関しては弁解のしようがありません。特に井上の後を引き継いだ高橋是清が全く逆の政策でもって一気に金融を立て直した実績と比べると尚更です。
 
 その後の浜口ですが大方の人間も歴史の時間で学んだ通り、最終的に右翼青年によって暗殺されます。この暗殺劇ですが銃撃されて即死亡したわけではなく、襲撃直後の浜口は一命を取り留めておりました。しかし当時は政党政治が悪い意味で発達し始めた時代で、野党の立憲政友会はこれこそ政権奪回のチャンスとばかりに総理の浜口のいない間に散々あることないこと批判を行った挙句、「総理、怪我したとか言い訳してないで出てこい」とばかりに攻撃し、これに応える形で治療中の浜口は無理をして国会に出席する日もありました。しかしその代償は大きく、出席してからというもの浜口の容体は悪化して総理の職からも引きましたが時すでに遅く、襲撃から9か月後の1931年8月に逝去します。
 
 なおこの時に激しく浜口の登壇を求めたのはほかならぬ鳩山一郎でした。また浜口を襲った人物は襲撃理由を浜口内閣が統帥権の干犯を犯したからだと主張しましたが、「統帥権の干犯とはなんだ?」という警官の質問については何も答えられなかったそうです。
 これも知ってる人からしたら有名ですが、「統帥権の干犯」という言葉を生みだしたのはほかならぬ鳩山一郎でした。ぶっちゃけいこいつさえいなければ浜口雄幸も死なずに済んで、その後の軍部の暴走も起こらなかったんじゃないかなと思えてきます。また浜口を襲った襲撃犯についても、いつの時代も下らない人間ほどどうしようもないことをしでかすものだと、現代にありながらこの人物に対して見下げた感情を覚えます。