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2015年4月4日土曜日

ワルシャワ蜂起(1944年)

 昨年から東欧史に凝っているのですが、今日は私の世代ではまず知っている人はいないと思われるので1944年のワルシャワ蜂起について解説します。

ワルシャワ蜂起(Wikipedia)

 ワルシャワというのは言うまでもなくポーランドの首都ですが、かつての二次大戦下のこの場所で三ヶ国の思惑が入り乱れた戦闘がありました。二次大戦の開始当初、ポーランドはドイツとソ連の密約によってこの二ヶ国から同時攻められ、そのすべての国土が占領される憂き目に遭いました。その後、今度はポーランドを攻めたドイツとソ連同士で戦争が起こり(独ソ戦)、序盤はドイツ軍がリードする形でソ連領内を深く攻め入ったもののスターリングラード戦に代表されるソ連のバグラチオン作戦によっては攻守は逆転し、1944年時にはソ連はドイツを自国領内から追い出した上で逆にドイツの占領地域へ攻勢をかけている状況でした。

 ソ連軍は1944年夏にはポーランド東部へ進撃し、7月30日には首都のワルシャワまでわずか10kmの地点まで到達していました。このソ連の進撃に合わせてワルシャワ市内にいたポーランド人によるレジスタンス組織は国外に組織された亡命政府などを経由する形でソ連軍と連絡を取り、ソ連軍による市外からの攻撃に合わせて市内で蜂起し、ワルシャワから一挙にドイツ軍を叩きだす計画を持ち上げ、これを8月1日に実行することで確認し合いました。いわば内と外から攻める計画と言え、仮に実行できていればドイツ軍に大きな損害を与えワルシャワ解放の実現性も決して低くなかったでしょう。

 結果から述べると、ワルシャワ市内の蜂起は実際に行われたもののワルシャワの解放はこの時には実現しませんでした。

 8月1日、ワルシャワ市内のレジスタンスことワルシャワ国内軍はほとんど武器らしい武器も持たずにドイツ軍の宿舎や軍営を襲いかかったものの、正式装備されたドイツ軍駐留部隊に歯が立たずほぼすべての襲撃箇所で撃退されます。この時、市外からの攻撃支援を約束していたソ連軍は全く動かず、市内で行われている戦闘に対して傍観するだけでした。

 一体何故ソ連軍は目と鼻の距離にいたにもかかわらずこの時に動かなかったのか。理由として挙げられているのは蜂起日の前日に当たる7月31日にドイツ軍の反撃を受け、大きな損害を受けて戦線を後退していたためというものがあります。実際にこの時のソ連軍は補給線が長く伸びきっており、他の周辺の東欧諸国での戦闘も影響して戦線の維持が難しい状態にあったなどと言われています。
 もっともこのような理由は過分にソ連側の意向を組んだ主張であるとしか思えません。何故かというと実際には8月1日より大分前の時点でワルシャワ解放作戦の中止が決まっていたにもかかわらずラジオなどで蜂起を促す放送を続け、また市内のレジスタンスへ作戦中止の通達も行わず、事実上見殺しにしているからです。

 どうしてソ連はこのような行動に出たのか。ソ連だからと言えばそれまでですが、大方の見解では戦後のポーランド支配を見据えてポーランド市内の国内軍を敢えて壊滅させることが目的だったと見られています。というのも国内軍を指導していたのはロンドンに拠点を置くポーランド亡命政府だったのでしたが、この亡命政府とは別にソ連はいつもの如くというか「ポーランド国民解放委員会」という傀儡政権を既に樹立しており、戦後のポーランド運営に当たってこの傀儡政権に主導権を取らせるため敢えてレジスタンスが潰されるよう蜂起を促したとされており、私もこの説が真実であろうと考えています。

 このようなソ連の思惑を知ってか知らずか蜂起したポーランド市民は外部から何の支援も受けられないまま続々と増援の来るドイツ軍の反撃を受け、蜂起から約二ヶ月間に渡ってワルシャワでは徹底した破壊と虐殺が繰り返され、推定数は複数説ありますが約20万人もの市民が殺害されたと言われています。同時に生き残った市民約70万人も次の蜂起への警戒から市外へと追放されています。
 この蜂起失敗から約三ヶ月後の1945年1月、満を持してソ連軍はワルシャワへの進撃を開始してこの都市を占領します。占領後にソ連軍はレジスタンス幹部の逮捕を行いました。

 二次大戦はドイツのポーランドへの侵攻によって切り開かれましたが、この時ポーランドに侵攻したのはドイツだけではなくソ連も一緒でした。そのソ連は独ソ戦後に再びポーランドへ進撃しており、いわばポーランドは一度の戦争期間中に二度もソ連に侵略されたと言っても過言ではないでしょう。ちょっときわどい意見となるでしょうが正直に述べると、ソ連のポーランドへの仕打ちを考えると日本はこの大戦中、まだマシな方だったのではなどという気持ちがもたげてきます。

 なおこのワルシャワ蜂起について、高校の世界史教科書、参考書にはまずもってこの事件は紹介されておらず、知っている人間となるとポーランド通か、東欧史を専門にしている人間か、二次大戦マニアかの三種類に絞られてくると思います。ただ以前というか私より上の世代はどうも違うようで、うちの親父は何故かこの事件を知っており、時代の差によって取り扱われるかが、知識が共有されるかが案外変わるのかもしれません。
 では私は何故この事件を知ったのかですが、先ほどの三種類で言えば二番目に近く、東欧史に興味を持ってあれこれ調べている過程で知ることが出来ました。最初、私はポーランドの民主化過程で活躍したレフ・ヴァウェンサを調べていたのですが、彼の経歴を調べる過程でヴァウェンサの実質的な対立相手であり民主化以前に民主化勢力を弾圧する側の首相だった、ヴォイチェフ・ヤルゼルスキに興味を持ち、彼の経歴を調べたことが一つのきっかけでした。

 詳しくは彼のウィキペディアのページを是非読んでもらいたいのですが、彼はここで紹介しているワルシャワ蜂起時に親ソ連派のポーランド人軍団士官として、ワルシャワ市街にソ連軍と共に駐屯していました。彼のいたポーランド人軍団はソ連軍が傍観を決め込む中、単独で市外から市内の蜂起勢力へ補給物資を輸送するなど支援を行っていたものの、結局は破壊されるワルシャワをただ眺めることしかできなかったそうです。この時の気持ちをヤルゼルスキはソ連軍に対して涙ながらに悔しさを感じたと自伝にて書いており、こうした彼の経験が東欧の旧共産圏においてポーランドだけが唯一、無血で民主化に成功するきっかけの一つになったのかもといろいろなことを考えながら、2014年に亡くなったヤルゼルスキを偲びつつ思い浮かべました。

2015年4月2日木曜日

猫に好かれる政治家


 ニュースの鮮度で言えばやや古いニュースですが、何度見ても衝撃的な映像なので記念に書き残しておきます。

 上記のYoutubeの動画はテレビ東京の「週間ニュース新書」という番組の今年3月21日放送分です。この番組は政治や経済といったお堅いニュースを様々なゲストを呼んで解説する硬派な番組である一方、何故か収録スタジオ内に猫をフリーダムに離しており、多分この番組の視聴者はスタジオ内を動き回る猫を目当てに見ている人の方が多いのではと思うくらい一部でカオスな人気があります。

 そんなこの番組のこの日のゲストは民主党の岡田代表だったのですが、この岡田代表に対して番組、というよりテレビ東京の看板猫の「にゃーにゃ」が不自然なくらいに懐いていました。どれくらい懐いていたのかは是非映像で見てもらいたいのですが、番組開始当初から岡田代表の膝の上にスタンバイしており、その後もずっと膝の上で毛づくろいしたり自分の爪舐めたりと非常にリラックスし続け、途中で真面目な話をするため膝の上から降ろされたのですが、降ろされたにゃーにゃはまたすぐ膝の上に飛び乗る始末。岡田代表もしょうがないからそのまま膝の上であやしながら語り続けていましたが正直な所、膝の上の猫が気になって語っている内容がほとんど耳に入ってきませんでした

 この「にゃーにゃ」は、先代の「まーご」もそうでしたがほとんど人見知りしない猫で、いつも出てくるゲストの周りをうろついたりすれば目の前の机を横切ることも日常茶飯事です。しかしゲストの膝の上に乗る、しかも降ろされてもまた乗り返してくるなんて今の今まで見たことがなく、岡田代表には明らかにほかのゲストとは一線を画す懐き方をしています。
 私は番組の放映直後にネットの掲示板で騒がれているのを見てこの映像をしったのですが、その掲示板でもこの異常な懐き方に対して大きく議論されており中には、「きっとスーツにマタタビを仕込んでいたに違いない」、なんていう陰謀論まで出てくる始末でした。実際、私もこのマタタビ陰謀論を少し疑ったし。

 こうした陰謀論はひとまず置いといてこの映像から言えることは、岡田代表は猫に好かれる政治家だということです。だからなんだと言われれば豆知識で終わってしまうし、猫じゃなくて人に好かれないと政治家は駄目なのですが、次の選挙時にでも池上彰氏がネタにでもしないかなとちょっと期待してます。

2015年3月30日月曜日

「KINGSOFTオフィス」の感想

嫌われ者の俺が海外修学旅行のリーダーになったらクラスがほぼ全滅したwww(アルファルファモザイク)

 本題とは全く関係ありませんが、上記のまとめ掲示板を読んで強い違和感を感じたのでその点を突いておこうと思います。上記の掲示板の中身は修学旅行で行った中国でクラスが様々なトラブルに遭い、その中には現地の中国人とも買い物でもめて警察沙汰になったと書かれてあります。ただそのトラブルの中で、「店員から『他殺』『自殺」』書かれた紙を渡されクラスメイトが切れる」ということがあったと書かれていますが、中国語における「自殺」と「他殺」という言葉は日本語と同じ意味なので少なくともケンカした相手に紙で書いて渡すなどということはまず有り得ないように思えます。
 単純に「死ね!」という意味の中国語なら「去死」ですし、第一いくら相手が中国語通じないからって中国人はそんなのお構いなしに延々と中国語でまくしたててくると経験上思えますし、そのほかの体験談もちょいちょい違和感を覚えるのでこの掲示板を立てた人は相当話を盛っているのではないかと強く疑問に覚えます。

 そんな個人的所感は置いといて本題に入りますが、昨日の記事で私は新規に購入したエプソンのノートPC「Endeavor NY2400S」についてレビューを書きました。このパソコンは会社での仕事用に購入したもので、仕事に使うのであればもちろんWordやExcelといったOfficeのソフトも必要です。しかしOfficeソフトを購入するとなると2万円は料金が上乗せされるため、なるべくなら避けたいと考えていました。そこで代替策はないかとあれこれ練った所、行き当たったのが下記のソフトでした。

「KINGSOFTオフィス」紹介ページ

 言うまでもなくMicrosoft社のOfficeは業務用ソフトとして一種インフラのような役割を果たしており、電子データ上で各種の書類や計算表などを使う場合はほぼ必須とも言えるソフトです。そんなOffice系ソフトに対して世の中には「Office互換ソフト」というものがあり、Office系のソフトを通常通りに開いて閲覧、編集できるソフトを一部のメーカーが製作、販売しております。このキングソフトオフィスもその一つで、聞くところによれば日本産のOffice互換ソフトとしてそこそこの知名度とシェアを持っているそうです。

 それでこのキングソフトオフィスはどんなソフトかですが、言ってしまえば安い値段でMicrosoftのOffice系ソフトが使えるようになれるソフトです。収録しているのはWordとExcel、Power pointの互換ソフトで、購入するバージョンによってマクロが使えるか否か、パワポ互換ソフトが入っているか否かが変わってきますがすべてコミコミにしても6,480円(税込)なのでOfficeの代金と比べるとかなり割安です。ちなみに私が購入したのはこの最上級グレードですが、パワポを使わずマクロも使えないという人が個人用PCに買うのであれば一番安いグレードの3,980円のバージョンでも十分かと思われます。
 一にも二にも安さ、といったらちょっと言いすぎかもしれませんが、正直に言ってこの値段設定は非常にありがたいものがありました。購入前は実際に使えるかどうかがわからなかったものの、この値段であれば駄目なら駄目であきらめ切れるだろうと考えられたのも購入を決断する要因になっています。さすがに一万円越して駄目だったらハートに来る。

 そんなこんだでオンラインの決済で購入したところ、まさに決済したすぐ直後にソフトを使うためのプロダクトコードがメールで送られてきました。このキングソフトオフィスはいつでもホームページからソフトをダウンロードすることが出来、インストール前にプロダクトコードを入力することで使用できるようになるため、このようにすぐコードを送ってもらると購入して即日使えるのでなかなか便利です。
 というわけで今度はソフトをダウンロードしようとサイトのダウンロードボタンを押しましたが、Officeの互換ソフトだから容量はそこそこ行くだろうな、ダウンロード時間長いだろうななんて予想していたところ、ダウンロード量はわずか110メガだったので実際にはあっという間のダウンロードでした。でもってインストールもあっという間で、「やべぇOfficeが急に使えなくなった!」みたいな展開になっても、多分一時間以内にこのキングソフトオフィスを代替として使うことも不可能じゃない気がします。

 では実際の使用はどうか。結論から言うと非常によく出来ており、全く違和感なく従来のOffice系ソフトのようにして編集作業を行うことが出来ます。もちろん以前に保存したOffice系ファイルも問題なく開けますし、逆にキングソフトオフィスで編集したデータを他人に送りつけても向こうは向こうでちゃんとOffice系ファイルとして認識して業務上に全く支障がありません。
 まだマクロに関してはそんなに弄ってはいませんが、Excelでの自動計算や数式もきちんと機能しており、ちょっと持ち上げ過ぎな気もしますがこの値段でこの性能は破格といってもよく、もう少し高い値段を払ってやっても良かったなとすら思える出来です。さらに買ったばかりのためまだ私は未体験ですが今後もアップグレードがあれば無料で対応してくれるとのことで、これは大手を振ってほかの人にも勧められるソフトだと思えるだけにこのブログでも紹介しようと思う充実ぶりです。

 総評として、非常に買いなソフトです。操作インターフェースも現在のOffice2013に合わせた画面とそれ以前の2010くらいの画面、二種類を自由に選ぶことが出来て、いまいち新しいOfficeになれない方にとってもかえって使いやすい仕様になっています。今後も新しいPCを買うことがあればこのソフトを使い続けようと思える逸品なので、Officeの購入で迷われている方はぜひ試してみてください(無料体験版もあり)。

2015年3月29日日曜日

ノートパソコン「Endeavor NY2400S」の感想


 先日、プリンタでお馴染みのエプソンからノートPCの「Endeavor NY2400S」を購入しました。一通り操作を試してみたので、今日はこのパソコンに対する私の感想というかレビューを書こうと思います。
 それにしても、昨日は大塚家具を書いてその前はマッドシティを書いて今日はノートPCのレビューと、相変わらず統一感のないブログだと我ながら呆れてきます。

Endeavor NY2400S(エプソン公式販売サイト)

 このパソコンは上記のエプソンによる公式販売サイトを通じて購入しました。CPUやメモリといったスペックはこの記事では省略するので、これらのスペック情報を見たい方は上記サイトを訪れてください。
 まずなんでこのパソコンを購入しようとしたのかというと、それまで中国の職場でASUSのノートPCを使っていましたがこれだとOSは海賊版だしシステム言語は中国語のため、一応表示言語は日本語に変えられるものの一部の言語は中国語で表示され続けるのもあり、そして何よりOfficeのソフトが中国語版、しかも2003年度版とやけに古い仕様だったのでこの際日本で新しいのを買ってしまおうと思い立ったわけです。

 購入するに当たって重視したのは画面サイズと価格でした。仕事で使用するノートPCのため出張時に持ち運ぶことも多く、サイズと重量的には14インチが案外ちょうどいいと考えていました。現在主流の15.6インチは人の頭を殴ったりするのにはちょうどいい重さと大きさですがこれだとビジネスバッグに入れると結構嵩張り、重量もそれなりにあるので私個人的には14インチが仕事用として理想的だと考えています。
 ただこの14インチ、一時期はたくさん販売されていたもののこのところは各社ともラインナップに入れるサイズから外す傾向にあり、意外とこのサイズでノートPCを売るメーカーは少なかったりします。その中でエプソンがちょうど廉価モデルで用意してくれており、価格も私の購入時は46,000円とBTOパソコンらしく手ごろだったので、ほとんど一択のような感じでこのパソコンを選びました。
 なお、私はこれ以前にも2012年にエプソンでネットブックのノートPCを購入しています。その時の製品も納得のいく仕上がりだったことからエプソンへの信頼感も今回の購入の要因です。

 それでは早速レビューを始めます。画面サイズに関しては先ほども述べた通りに14インチで、可もなく不可もないサイズです。ではハード性能に関してはどうかですが。CPU、メモリともに現在における個人用ノートPCとしては一般的な性能を満たしており、少なくともオフィスワークで使うに当たっては全く問題ない水準にあると言えます。
 むしろ、1990年代であればハードの性能によってパソコンの動作速度は大きく変わりましたが、現在は各部品の技術革新も進んでよっぽど低い性能でない限りは動作速度にほとんど差がないのではないかと思います。IT関連技術者であれば話は別でしょうが普通にネット見て、文章書いて、エクセル使ってというレベルであれば大差はないでしょう。

 次にデザイン面についてですが、こちらに関しては文句なしに太鼓判を押します。製品写真からは判別できませんが実際の製品表面にはに薄く「擦り」が効かせられており、特にキーボード脇の部分ではうっすらと紋様めいた模様が浮かんでいます。またタッチバッド表面も幾重もの輪が重なっている模様が入れられており、パソコンは普段からよう使うものだけにこうした意匠があるのは私個人としては非常にうれしい仕様です。
 ただ一つだけ欠点もあり、それはズバリ言うと色です。BTOパソコンでなおかつ価格を抑えた製品なのですからしょうがないとは思うもののボディ色が黒一色しか選択できないというのは少し残念なところで、せめてもう一色くらいほかに選べたらなと思えてきます。なお私がノートPCの色で好むのは白か赤で、何気に黒が一番嫌いです。何故嫌いかというとほかの人も黒いのばっかで同じ黒だと個性が出ない気がして、この際黒でなければ青でも茶でもピンクでもいいのが本音です。

 話は変わり今度は外部接続の配置に関してですが、これははっきり言いますが非常に問題があり、低い水準にあるとしか言いようがありません。まずUSB端子はUSB2.0の端子が1個、USB3.0の端子が2個ついていますが、これらがすべて本体左右の手前部分にあるのはどうにかならなかったのかと不満を覚えます。左手前はまだ理解できますが右手前部分だとUSBメモリなんかを指し込むと本体から端子が飛び出すので、右手でマウスを動かしてたりすると手がぶつかりやしないかとどうしても気になってしまいます。私が自宅で使っているNECのLaVieなんかは左手前こそ同じ配置であるものの右側面のUSB端子は手前ではなく奥にあり、そのかわりCDの挿入箇所が手前に来るなどエプソンとは対照的です。
 ただこのUSB端子ならば左手前部分の端子だけを使うことによってまだ我慢できますが、本当にどうにもならないのはキーボードの配置です。まず下記の画像をご覧ください。


 注目してもらいたいのは右端近くにある「Enter」キーです。写真からだとわかり辛いかもしれませんが、実物で見るとこれが非常に小さく、何で一番打鍵回数の多いこのEnterキーをわざわざ小さいサイズにしたのか不思議でしょうがありません。しかもその左手前にある鍵括弧の『「』と『」』キーも、何故かこれだけほかのキーに比べ2/3程度の大きさにされており、ブラインドタッチで叩いていると通常のキーボードと感触が違ってすごい迷うし実際にミスタイプすることが多いです。真面目な話、文字入力で変換後に確定しようとEnterキーを押そうとしたらその右隣の「PgUp」、「PgDn」を押してしまうミスタイプなんて、このノートPCに触れて初めてやらかしました。
 このキー配置の仕方は本当に不思議で、ボディを見る限りだとキーボードの両側面はまだ幅があるように思えるし、キーボード幅が変えられないにしても左端の「Tab」キーと「Caps Lock」のキーの方が打鍵回数は少ないのだからこっちを逆に小さくすればいいのではないかと思えて仕方ありません。私のようにやたらキーボードを叩く回数の多い人間からしたらこのキー配置は閉口するよりほかなく、無線接続キーボードでも使おうかなと検討してます。

 以上がこのノートPCに対する主だった評価ですが、総合して評価を下すならばコストパフォーマンスには非常に優れたパソコンだと言って間違いありません。キーボードの配置だけは本当にひどいものですがそれ以外であれば同クラスの他社製ノートPCに大きく劣ることはなく、それでいてこの値段であれば個人のネット観賞用、オフィスワーク用であれば十分実用に耐えうるでしょう。

 あと隠れた長所として、パソコンの初期設定が他社製と比べて格段に優れています。エプソンのパソコンはすべてネットを通して注文を受けてから組み立てられて出荷されるBTO(Build to order)パソコンなのですが、製品が家に届いた段階でOSなどはすぐ使用できる状態にされており、そして何より余計なアプリケーションソフトが一切入れられていません
 この辺り、NECや東芝、あと富士通辺りのパソコンに顕著なのですが、新品を買うとまず使うことがないであろう余計な補助ツールやセキュリティー、写真編集ソフトなどがやたらめったらインストールされており、開梱後はこれらのソフトを全部アンインストールするところから始めなければなりません。しかしエプソンのパソコンに関してはユーザー登録を促すアプリを除いて余計なソフトは一切なく、文字通り受け取り後にすぐ使用できるので地味に使い勝手がいいです。

 そういうわけでこのパソコンの各ポイントをA~Eの5段階評価でまとめると以下のようになります。

PC性能:C 可もなく不可もなく使用に当たって全く問題ないレベル
デザイン:B シンプルながら意匠が行き届いている。ボディ色さえ選択できれば文句なし
外部接続:D 壊滅的とまではいかないがあのキー配置だけは理解し難い
初期設定:A これ以上の水準は多分ないであろう
コストパフォーマンス:B この性能でこの価格なら十分お得

ただ単純に価格だけを追い求めるのであればLenovoやASUS、、Acerといった中華系メーカー、そして米国のDELLの方が安くてPC性能も高いラインナップを揃えているので、コストパフォーマンスではエプソンがナンバー1ってわけにはなりません。それでもこのエプソンのパソコンを私が選んだ理由を挙げるとまずはデザイン性、そしてこれは変な話ですがレアリティです。エプソンのパソコンは先ほどにも書いたようにBTOなので出回っている数が少なく、持ってるだけで一つの個性つを発揮できるくらいです。実際に中国に持って帰ってきて事務所の複合機の設定を業者の人間呼んでやらせたところ、「何このブランド?見たことない」って驚いてくれました。

 最後にこのノートPCの価格について、通常価格は46000円(税抜き)ですがちょうど今セールをやっていて3000円がここから差っ引かれます。なおこのセールはちょうど私が購入した直後に始まったもんだから、「デスクリムゾン」に出てくる伝説の傭兵「コンバット越前」のように「やりやがったな!」などと口走ってました。

大塚家具の一連の騒動について

 やっとというべきか、先月頃から各種の報道を騒がせ世間の関心を一手にかっさらっていた大塚家具の親子対決が昨日、ようやく決着がつきました。

 もはや説明する必要はないでしょうが後年を見越して簡単に説明しておくと、家具販売大手の大塚家具で、創業者でもあり会長である大塚勝久氏とその娘で現社長の大塚久美子氏が社長職を巡り昨日の株主総会で激しく争い合いました。結果は株主から多くの支持を得た久美子氏の勝利となり、敗北した勝久氏はそのまま期間満了ということから取締役が解任され、事実上経営から追い出されることとなりました。
 両者の対決はそこそこ年季が入っているというか結構まだるっこしい所があるので、年表にして簡単にまとめてみましょう

<2007年5月>
 勝久氏が行った自社株のインサイダー取引に対し金融庁から追徴課税を受ける。
<2009年3月>
 インサイダー問題の引責として勝久氏が社長職から退き、久美子氏が社長に就任する。
<2014年7月>
 て勝久氏の提案から久美子氏が社長職から解任され、勝久氏が社長に再就任する。
<2015年1月>
 4期ぶりの営業赤字となったことから取締役会で、4対3の僅差ながら勝久氏の社長職解任が決議され、久美子氏が社長に再就任する。取締役会の翌日、勝久氏は3月の株主総会で久美子氏の解任動議提案を出す方針を明らかにし、久美子氏側も勝久氏を含まない新役員の任命提案を出し、株主委任状の争奪戦が勃発する。

 以上が両者の争いの大雑把な流れです。最終的には先ほど述べた通り株主からの支持数で勝った久美子氏の提案が株主総会で通り、この壮大な親子喧嘩は娘の勝利で終わったと言えます。
 両者のケンカの種ともいうべき経営方針の違いとは、細かく説明するのは野暮なので簡単に言えば、父親が従来の営業方法を重視したのに対して娘なよりカジュアルに変革しようとするなどいわば保守VS変革と呼べるような違いからの対立だったと言われています。

 このニュースに対する私の意見を述べると、まず一言で言うと見ていてすっごく面白かったです。仮に自分が大塚家具の社員だったらこんな風には言えませんが、縁もゆかりもない傍観者の立場からするとこの因縁深くリアルタイムで物事が動いた両者の争いはエンターテイメントとしてこの上なく、当事者たちには本当に申し訳ないのですが堪能させていただきました。
 中にはそんな言い方は不謹慎だなんていう人もおられるかも知れませんが、死者を冒涜したり他人の人生をふいにさせるなど度を越したものでなければ楽しいと思えるニュースは素直に楽しんだ方がいいと個人的に考えています。

 ただ一連の騒動に対する事前報道からすると、今回の結果はやや意外さを覚える結果でした。というのも株主総会前の報道を見ているとほぼすべてのメディアで、「父親が有利」という下馬評が出ており、蓋を開けてみたら娘の久美子氏が勝ったもんだから、「あれ、予想報道と全然違うじゃん」なんて拍子抜けました。票読みが難しい案件であったことは確かですが、それならそれで「どっちに転ぶかわからない」という報道をすべきだったのではないか、一体日系メディアは何を根拠に父親有利説を出したのかとすこし憤りを感じます。もっとも、反省もしないでしょうし検証もしないでしょうが。

 その上で今回の結果に対する感想を述べると、久美子氏が勝利して良かったのではないかと私個人としては考えています。やはりどう考えてみてもインサイダーやらかしたり、業績をまた悪化させたりと勝久氏の経営能力や人物は如何なものかと思え、久美子氏のカジュアル路線が今後成功するかどうかはまだわかりませんが、少なくとも勝久氏の保守路線はどのみち駄目だろうという気がしてなりません。その上で、久美子氏のやり方が成功すればそれはそれでいいでしょうが、失敗すれば恐らく勝久氏が再就任していたよりも早く潰れるだろうし、業界全体の発展にとってもその結果はいい効果を生むはずだと見ています。

 こうした意見は今回見ていてほかに誰も言っていなかったのですが、良くなる会社はどんどん良くなって売上げや利益を増やすだけ増やした方がいいと思いますが、逆に駄目な会社はどんどん駄目になってなるべく早く潰れてくれた方がいいと私は考えています。何故なら経営方法が悪い会社が潰れればその分の売上げが経営のいい会社に流れ、経済合理性ともいうべきか業界や社会全体に取っていいサイクルが加速するからです。逆に経営の悪いゾンビみたいな会社がしぶとく生き残れば業界の足を引っ張ることとなり、実質それが失われた十年を生む要因になりました。

 そういう意味で今回久美子氏が勝利したことによって、大塚家具はまた久美子氏流のカジュアル路線への変革に突き進むでしょう。変革には投資も必要で、失敗した場合は何もしなかった場合よりも間違いなく寿命を縮めます。成功すればもちろんいうことなしですし失敗すれば早く潰れる可能性が高まるのだから、やや皮肉っぽい言い方ですが私は今回久美子氏が勝って家具販売業界全体にとっては間違いなくプラスだろうなという風に今回の結果を見ています。もちろん、誰が言い出したか知りませんが「家具屋姫」こと久美子氏には無事変革を成し遂げ、立派に成功してもらいたいとは祈ってはいますが。

 最後にこれは私ではなく友人の意見ですが、今回の騒動を見ていて大塚家具は詰めが甘いという指摘が来ています。今回の騒動中、勝久氏も久美子氏も揃って何度も会見を開きメディアを通して自身の正当性を訴えてきましたが、そのどれもがオフィスとか普通の会見場だったそうです。その友人曰く、「折角家具のショールームを持っているのだからそこで会見し、自社の商品を映像に流して大きく宣伝するべきだった」と述べ、ややみっともない内輪もめとはいえそれすらもビジネスチャンスにつなげる努力が足りないと話していました。
 その上で友人はソフトバンクの孫正義社長が一時期流行った「アイスバケツチャレンジ」を行った際、きっちり自社の「SOFT BANK」という会社ロゴの前でやってみせてその画像をツイッターで流すという抜け目のなさを見せたことと比較し、経営者としての格の違いが出ていると断じています。私もこの友人の意見に至極同感なのですが、孫社長のアイスバケツチャレンジの写真を見て最初に思ったのは、「やっぱこの人が水被ると頭の方が余計みすぼらしくなるな……」ってことで、会社ロゴよりも孫社長の頭の方に目が行ってました。

2015年3月27日金曜日

千葉のマッドシティ~縁のある有名人

 また本題と関係ありませんが昨日勤務先の工場に警官二人が来て、何でも先日に工場近くの川で死体が見つかったので何か心当たりはないかと尋ねて情報提供を呼びかけるチラシを置いて行きました。チラシによると死体は壮年男性で身長は162センチ。赤いジャンパーを着ていてその写真もついていましたが、有力情報提供者には1万元(約20万円)を出すと書かれてあったので殺害されたような跡でもあったのかもしれません。ちなみに同僚たちは、「うわー死体だって。どうしよー」などと女子高生みたいにちょっと盛り上がってました。

 そういうわけでまたマッドシティ。毎回、地元の人間以外を置き去りにしたネタばかりを展開しているので今日はもうちょっととっつきやすく松戸市に縁のある有名人をいくつか紹介しようと思います。

松戸市出身もしくはゆかりの有名人(Wikipedia)

 正直な所、私の記事読むくらいなら上のウィキペディアの記事読んだ方が早いだろうし詳しいでしょうが、ひとまず松戸市に縁があって私もそこそこ知っている人を幾人かピックアップして紹介します。

 まずスポーツ選手の枠で語れば、阪神タイガースの現監督である和田豊氏の名前が私の中で真っ先に挙がってきます。和田氏は松戸市出身ですが高校は別の市の高校に通っており、その高校では「ガンダムF91」の主役であるシーブックの声優をしていた辻谷耕史氏と、「少年アシベ」にでてくるアザラシのゴマちゃんの声をしていたこおろぎさとみ氏と同級生だったようです。ちなみにこおろぎ氏はゴマちゃんの収録中、喉から血を出したと聞いております。
 同じ野球枠だとかつての西武のエースで現在は千葉ロッテに在籍する涌井秀章選手も地味に松戸市出身です。また松戸市出身ではないものの、新松戸にあったスケートリンクにはこの前引退したフィギュアスケートの男子選手の町田樹氏が幼少の頃に通っていました。

 次に芸能人枠だと私が反応できる名前は安倍サダヲ氏、高木美保氏、あとラッシャー板前氏がウィキペディアのリストから上がってきます。なんでこの三人なんだろうという気もしますが、この三人以外だといまいちピンと来ないのが本音です。あと押切もえ氏も一応反応できるが、彼女は今どこで何やってるんだろう?
 文化人の枠だともう少し反応できる人が増え、「どうぶつ奇想天外」などで活躍された千石先生こと千石正一、女性宇宙飛行士の山崎直子氏など著名な人物も名を連ねています。特に山崎氏に関しては松戸市も地元の英雄のような扱いをしていて、松戸駅内の通路には常に山崎氏が写ったポスターが貼られてあるくらいです。

 そんな有名どころの下、既にウィキペディアのリンク先を見た方ならもう察しが付くでしょうが、先の二人を軽く凌ぐような超大物の名前がさりげなく書かれています。そう、小保方晴子氏です。去年の騒動の際には彼女が松戸出身であることがネットの掲示板に書かれるたびに、「またマッドシティ出身かよ」などと書かれることもあり、「またってなんだよ……」なんて妙な感想を覚えました。
 それにしても去年の今頃はSTAP細胞でちょうど大騒ぎし始めた頃でしたが、今年も既にみつきも過ぎているにもかかわらず、佐村河内、野々村前議員といった世間の関心を一挙にさらうような人物が一人も出てきていません。当時からも実感していましたが去年はなんかこう、十年や二十年に一度歩かないかってくらいの人材の当たり年だったんだなぁとしみじみ思います。

2015年3月26日木曜日

文章は口ほどに物を言う

 この頃、初赴任地が金沢だったので飲めないのにヤケ酒するほど落ち込んだことのあるうちの親父から送られてくるメールに、「ブログの文章が荒れているが何か嫌なことでもあったの?」とか、「最近ブログが落ち着いてて調子良さそうだね」などという文言が書かれてあり、どうやらこのブログの文章から勝手に私のメンタルチェックを行っているもようです。文章からメンタルチェックをするというと多分大半の人が「なんやねんそれ」とか思うかもしれませんが、私個人としてはあながち親父のこの行動を的外れなものだとは考えておらず、私自身もよく他人の文章を読んで書き手の性格、知識、当時の心境などを分析してます。そんな私に言わせれば文章というのは書き手の人間性を強く出すもので、時と場合によっては書き手の意図しない部分まで見せることもあると考えております。

 実際にこのブログを定期的に読んでいる方ならわかるでしょうが、私の文章は書いた当時の気分を割とストレートに出しているので、記事ごとにどんな気分で書かれたのかがわかりやすいと思います。しょうもない内容を嬉々として書いていることもあれば明らかにやる気がなく何か義務的に書いている感じもする文章もあり、叩き甲斐のある相手を見つけて多少の正義感と共にニヤニヤした感情剥き出しで書いてある文章なんかは、「ああ、あるある」って具合で思い当たることも多いことでしょう。また私に限らずとも他の人でも、ブログの文章にプライベートで切羽詰っていそうな印象を覚えることもあれば、本気で悩んでそうだったり、逆にうれしくてしょうがなそうだったりと、表現力の差はありますが多かれ少なかれ書かれた当時の心境が出てきてしまっています。

 しかし、文章から読み取れるのは何も書かれた当時の心境だけでなく、読み方によってはそれ以外のパーソナリティも一瞬で喝破することができると断言します。その一例と言ってはなんですが先日、友人が「こんなメールが来たんだけど」と一通のメールを見せてくれました。そのメールの内容は友人がやっているサイドビジネスに関する問い合わせで、何かコラボできないかと提案した上で今度お会いしたいと書かれていたのですがこのメール文を一読して言った私の返答はなんだったのかというと、

「メール文を読む限りこの人はそんなに頭が良くないから、提携する、しないという議論以前にビジネスパートナーとして頼りにならないだろう。会うのは勝手だがあんまり期待しない方がいいかもしれない」

 という、我ながら身も蓋もない返答の仕方をしました。恐らく友人は向こうの提案内容について私に意見を求めたのでしょうがこんな返事が返ってきて、「え、なんなんそれ(;゚Д゚)」という具合でやや唖然とした顔を浮かべていました。それからしばらくしてこの友人が実際にメールの送信主に会ってきたので印象を尋ねると、「花園君の言う通り、確かに馬鹿そうだった(;´Д`)」、などと言うもんだから、「だろぉ(・∀・)ニヤニヤ」と言って私もどや顔を浮かべてました。
 この時の種明かしをすると、その問題のメール文ではまず接続詞の使い方が未熟で文章のつながりが悪かったことと、ビジネスプランの説明の際に余計な修飾語を頻繁に使ってくどく長くわかり辛い文章に仕立ててビジネス文書としては核心が掴み辛くふわふわした文章だったので、恐らく書き手は事務的な見かけにこだわるあまりに本題を上手く伝えきれないタイプの人間で対面で説明聞いてもなんかピンと来ない説明のされ方をするだろうと判断しました。友人にこの分析を話したら、「大体そんな感じ」と言われてここでもまたガッツポーズしました。

 文章だけでそこまで分かることが出来るのかと思われるかもしれませんが、案外わかるというか私の実感では分析の的中率はそこそこ高いような気がします。もちろん万能というわけでなく外れることもありますが、やはり文章がわかりやすくまとまっている人は話を聞いていても賢そうだなぁと思えますし、逆に単文を何度も区切ってほとんど複文を使わずに文章をまとめる人は話しを聞いててて失礼ながら、「一体何を言いたいんだこの人?」って言いたくなる人が多いです。
 このほか内容の少なさの割に文字数が多い人は体面を気にしやすかったり、カタカナ語を多用する人はボキャブラリーが少なかったり、私に言わせれば文章というのは相手の人格分析をするに当たって宝の山みたいなもんです。あとこれは偏見かもしれませんが、無駄に難解な言葉を使用しようとする人は左翼的な平等思想の持ち主が多いような気もします。

 こうした文章に滲み出る人格というのは、意識して集中すれば覆い隠すことは不可能ではありません。しかしいちいち書く文章にそこまで気を使う人はまずおらず、大抵は馬脚が出るというか少なからず性質が出てくるでしょう。私などはそういう文章に出てくる性質こそがその人が持つ個性だし隠すべきじゃないと思うのでむしろ露骨に出すようにして書いていたら、「ブログが無駄に攻撃的過ぎる」と注意されるようになったわけですが、逆を言えばきちんと自分の個性をうまく表現できている証拠かなと前向きに見ています。

 以上までがまた私の独創的な考え方というか暴論のあらましですが、最後にもう一つだけ文章から読み取れる性格分析方法を記しておくと、文章から相手を一番簡単に図れる指標は文字数です。
 それこそ「ソ連は何故崩壊したのか」というような壮大なテーマであれば文字数が多くなるのは仕方ないですが、「よいコミュニケーション方法とは?」などといういかにも採用試験で出てくるようなどうでもいいテーマに対する文章で大量の文字数で書いてくる人間を私は評価できません。先程にも書いた通りに内容に対して文字数が少なければ少ないほど簡潔にかつ分かりやすくまとまっていると言え、数式で書くなら、「内容/文字数」の数値が高ければ高いほど評価できます。それだけにしょうもない内容に対して長ったらしく書くのは書き手にも読み手にも無駄な行為でしかなく、先ほどの様に人をおちょくっているとしか思えないテーマであれば自分の考えを一言述べればそれでOKだし、私はそういう人間ほど評価します。
 なお先ほどのテーマに敢えて回答するなら私は、「目と目で通じ合う」とだけ書きます。こんな返答の仕方ばっかしてたから書類で落とされまくってたんだろうな俺。