ページ

2015年4月16日木曜日

中身を見ようとしない日本社会

 先日、例の上海人の友人から、「日系企業にいるなら間違っていると思っても上司の言うことを黙って聞かないと駄目だよ」と諭されました。実際、相手が誰であろうと文句があればすぐ言う性格なので間違っているわけではないのですが、まさか中国人に日本の雇用慣行を諭されるとは夢にも思わなかった……。

 そんな日本の雇用慣行について今日は書くつもりなのですが、ちょうど去年の今頃というか4月頃は例の小保方騒動が一番ヒートアップしていた頃だと思います。この騒動においては理研の研究審査体制や体質、女性研究者であることを理由に過剰なまで持ち上げたメディア、コピペ問題などいろいろな問題点が挙げられてましたが、私が内心一番大きな問題だったと思うのはどうして小保方氏が理研に研究員として採用されたのか、その選考方法にあるのではないかと考えています。
 報道によると小保方氏はハーバード大留学という経歴を引っ提げて理研に入ったとのことですが、この際に通常の選考で課される英語でのプレゼンは免除されていたそうで、万能細胞という魅力的な研究テーマでもってほぼ一本釣りみたいな形で採用されたと聞きます。しかしその実態はすでに報道されている通り、博士号論文をコピペして出すわ、研究ノートもまともにつけられないは、自然発光かどうかも疑わなかったなど研究者としては全く実力がなく、はっきり言えば中身が全くない人物だったと言っても過言ではありません。ただそんな小保方氏ですが去年の釈明会見を見て私は、「ああ、この人ならどんな採用面接でも受かるだろうな」という印象を覚えました。

 何故そのように思ったのかというと、とにもかくにも見せ方というかプレゼンが非常に上手かったからです。大学もAO入試で入ったというだけあって恐らく昔からその手のセンスが鋭かったのだと伺えますが、今の日本だとこのように、中身が全くなくても面接時などの見せ方、しゃべり方が上手かったらそれだけで評価されて通してしまうことが多いように思えます。換言するならば外見と比べて中身はほとんど評価されない傾向にあり、真面目系な大学生ほど就活では苦戦するという話をよく聴くし、私のある後輩なんかまさにそうでした。

 何故がさっきから続きますが何故日本社会は中身を評価しようとしないのか。多分一番多いであろう言い訳としては「コミュニケーション能力が求められているからだ」という回答でしょう。確かに私もそれを否定しませんがでは何故(またか)コミュニケーション能力が求められるのか、その理由について考えている人は今の今まで私は出会ったことがありません。
 私的な意見を述べると、比較的年齢の高い現役世代があまりにもコミュニケーション能力が低くて意思疎通がほとんど図れないためか、若手の世代が同じように低いか、中身のない人間が多すぎてコミュニケーションする内容がないのか、この三択じゃないかと思います。私が考える原因はこの三つともで、特に理解してもらうよう説明することに努力を払わない人間が多すぎることが大きいと考えています。

 中身のない人間が何故評価されるかについて話を戻しますが、基本、中身がある人間と比べてない人間の方が口は軽いに決まっています。物がわかっている人間なら軽々に、「ハイできます」なんて言えるわけないですし、慎重にならざるを得ませんが、小保方氏の様に初めからあるかどうかすらも認識できないなら、「STAP細胞はあります」と堂々と言えちゃうわけで、選考過程ではそりゃ後者の方がいい方に見えることでしょう。
 その上で中身をきちんと審査しようとなると、審査する人間の中身も求められますし、また中身を審査すること自体も外見だけを見るのに比べて多大な労力が必要です。この後は言わないけど、こういう点も今の日本で中身が評価されない時代ゆえなのかもしれません。

 私は二年くらい前からたびたび、「黙って手を動かす奴が一番強くて偉いんだ」というセリフを言う機会が増えています。何故こんなことを言うとどれだけ実力があっても、力量があっても、外見ばかりが評価される現代ではそのような人間はまずほとんど評価されていないきらいがあるのではと思うからです。もちろん周りを楽しませられる才能があるに越したことはありませんが、人間はやっぱり中身で、そういう点をおろそかにしているから昭和期と比べて今の日本はパッとしないんじゃないかと常々感じるわけです。

2015年4月14日火曜日

日本文学の現状

 昨夜遅くまで「ファイナルファンタジー零式」で遊んでいたためジバニャン並に「だるんですけどー」と言いたくなるような状態なので、二分で考えたネタで今日は間に合わせようと思います。

 さて日本文学と聞いて皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。私が真っ先に思い浮かべるのは個人的に一番好きな森鴎外の名前が来てその次に彼の傑作の一つである「高瀬舟」が続くのですが、ふと振り返ると近年に「高瀬舟」とまではいかないまでも時代を代表するような、誰もが読んでいるような文学作品が日本に生まれたのかという疑問がもたげてきます。はっきり言いますがそんな時代を代表するかのような作品は近年、下手すりゃここ20年くらい何も生まれて来ず、未来の日本の教科書には平成期の文学作品など皆無だとして取り扱われるかもしれません。
 一体何故、近年の日本で誰もが知るような文学作品が生まれてこないのか。理由はいくつかあって比較的大きいと思われるものをここでいくつか挙げます。

1、新人作家が生まれてこない
 これは単純に小説の新人賞が激減しており、純文学作品向けともなるとこちらも皆無に近いと言っていいでしょう。昔は「海燕」という雑誌の「海燕新人賞」が登竜門として有名でしたが、これしか純文学分野の新人賞がなかったものだから雑誌の廃刊直前には「読者よりも新人賞の応募者の方が多い」とまで言われていて、実際に私が昔読んだ小説家志望者向けの本には「おすすめの応募先」にきちんと入ってました。

2、誰も買わないし売れない
 一言で文学作品と言ってどのジャンルがこれに属するのかはいくつか意見があるでしょうが、一般的に文学作品と呼ばれる作品ははっきり言って現代では誰も買おうとしないし全く売れません。出版社などの方がこの辺の事情をよく分かっており、かつて新人賞を取ったり一世を風靡した作家の本を「文化事業のため」などと称して大手出版社は頑張って出版し続けたりしていますが出せば出すほど赤字を垂れ流す状態で、本音では手を引きたいなどという業界の話をよく聞きます。
 なお友人によると、現代の日本の出版業界は漫画でしかほとんど利益が生まれず、漫画作品しか出版していない秋田書店の経営状態はほかの大手と比べても地味に健全だそうです。さもありなん。

3、芥川賞の陳腐化
 かつては新人作家最大の登竜門として君臨した芥川賞ですが、一応毎回受賞者がニュースにはなるものの果たして受賞した作品や受賞作家がその後描いた作品がどれだけ世の中に影響を与えたかとなると非常に微妙な所です。さらに近年は選者が作品の質以前にその作家が世間受けするか否かを基準に選んでいると思える節もあり、こういってはなんですが目立ちそうな風貌や経歴のある作家ばかりが選ばれている気がします。でもって作品はどれを読んでも「だから何?」って思える代物ばかりだし。

4、文壇が文学作品として認めない
 何気に一番大きな要因じゃないかと思っているはこれです。文壇についての説明は省きますがこの連中が売れている小説に対してよく、「大衆娯楽的要素が強い」などと批判しては文学ではないとあからさまに否定することが明らかに多いように思えます。一例をあげると私が愛読していた「氷点」や「塩狩峠」に代表される三浦綾子の小説などはまさに格好のターゲットで、現代においても文学作品としてみなす人間は少ないだろうし今後もフェードアウトしていくのではないかという懸念があります。

 私個人の意見を述べると、文学とはどこまでが理性でどこまでが狂気か、どこまでがモラルとして許されどこまでがモラルとして許されないのか、いわば価値概念の限界や境界を架空の物語でもって探るということが最大の学術的義務ではないかと思います。最初に挙げた「高瀬舟」などは自殺幇助という現代でも確固とした意見の出ていない問題を俎上に載せており、文体の美しさや登場人物の心象表現の素晴らしさはもとより「人に考えさせる」テーマが何よりも重くていいと思えるだけに私が好きな作品の一つです。
 それ故に、私は一時期に論争を起こした「バトル・ロワイアル」なんかはかえって文学的な作品だったと実は評価しています。銃を渡され殺せと言われたから殺すのか、殺されるから殺してもいいのか、ただ黙って殺されるのが正しいのか、以上の問いが中学生に向けられたら……など、この小説はいろんな点でタブーに近い問いかけを数多くなしており世間で「文学的だ」などと言われている作品よりずっと文学的だったと私は見ています。もっともこんな風に言うのは私くらいなもんで、「やや下品な娯楽小説」という評価のが大半な気がしますが。

 最後に少し真面目な話をすると、文字単体ではもはや物語は成立しない時代なのかもしれません。ライトノベルも挿絵があってナンボな所もあり、何らかのイメージがなければ今や物語として触れられることはほとんどなく、文字だけで成立した時代はとうに過ぎているのではないかと少し思います。
 そういう意味で話作りが好きな人、そういうことを仕事にしたい人は小説というジャンルよりもシナリオライターという職を目指した方が無難だと以前から思っています。映画でもドラマでもゲームでもいいので、少なくとも小説だけで書いててやって蹴るとは思えないので他のメディアをうまく取り込みつつ自分のセンスを発揮するよりほかがないでしょう。ちなみにゲームのシナリオで言うと、下記の三作品が私の中で素晴らしいシナリオだったと感動した作品です。

1、ヘラクレスの栄光3:終盤のあのどんでん返しは本気で息を飲んだ。
2、リンダキューブアゲイン:狂気をテーマにした作品は数多くあれど、一つの妄執が生む狂気であればこの作品が白眉。
3:幻想水滸伝2:戦争、平和、友情の複数のテーマが見事にかみ合っている。

  おまけ
 中学生時代に学校で三浦綾子の「銃口」を読んでいたら国語の先生に、「花園君、何を読んでいるのですか?」と聞かれ三浦綾子の「銃口」だと答えたところ、「やはり、あなたはつくづくいいセンスをお持ちですね」とニュータイプっぽいことを言われたのが私の一つの自慢です。

 さて、また「ファイナルファンタジー零式」やろっと。

2015年4月13日月曜日

劉備の「髀肉の嘆」は演技かガチか?

 先週書いた「髀肉の嘆」という私の愚痴記事についてよくコメント暮れる若生わこさんに、「あの記事は若生さん向けのダイレクトパスだったのにコメントくれなかったね」と振ってみたところ、「いえ、コメントしようとしたんですけど劉備が劉表の前で髀肉の嘆をしたのは計算ずくの演技だったのか、それともガチだったのかという疑問を書こうとしたらえらく長くなりそうだったのでやめました」という素敵な返事をくれたので、彼の問いにこたえる形でここで私の考えを書いておくことにします。

 まず「髀肉の嘆」とは何かですが前にも書いた説明をそのまま引用すると、

「荊州の劉表の元に亡命中で不自由ない生活をしていた劉備がある宴会の最中に厠へ立った際、知らないうちに太ももの肉(=髀肉)が付いていたことに気が付き、『かつては馬上でずっと過ごしていて太ももの肉なんてつくことはなかったのに、今はなんて無為な生活をしているんだろう』と思って泣きながら宴会に帰ってきてそのまま劉表の前で自身の現在の境遇を嘆いてみせた」

 というエピソードに端を発し、不安定であったり実力がいまいち発揮できず鬱屈した現状にあることを例える言葉となっています。私にとっては2010年前後がまさにこの状況で、今のままじゃよくないと思いつつも変えようとする努力を怠っていて気分的にも嫌な時代だったことをこの言葉を使って前の記事では説明しています。

 さてこの髀肉の嘆ですが、この時の劉備の行動は若生さんの言う通りに確かに疑問符がつく行動です。劉備は自分を亡命者として受け入れてくれた劉表に対し宴会の最中、「昔は戦場を駆け回っていたのに今はこんな惨めな生活だなんて……」と愚痴っているわけですが、これを聞いて恐らく劉表じゃなくても、「戦場で活躍できてないとかいうなんてこいつ、俺の寝首でも掻こうってのか?」と誰もが想像することでしょう。
 劉備からしたら当時面倒見てくれる劉表に警戒されるなんて百害あって一利もありません。場合によっては揉め事起こしそうだから追放、下手すりゃ暗殺にもつながるかもしれず、内心では現状に不満を覚えてもそれを口にする、それも面倒役に対して言うなんてのは迂闊としか言いようの行為です。

 仮に劉備がこれ以前からも迂闊な行動を取る人間であれば、ただ単に発言が迂闊な人間の妄言の一種として片づけられるのですが、これが劉備となると案外そうもいきません。三国志に詳しい人間ならわかるでしょうが劉備はどの場面でも非常に計算高い人間で、事ある毎に「仁徳」をPRもすれば、自分に警戒心を抱きつつあった曹操の前で雷の音に驚いてみせたり(これは創作ではあるものの、史実でも野心のない振りを曹操に見せている)、袁紹の命令を聞くふりしながらそっと戦線を離脱したりと非常に隙がなく、抜け目のない人物です。
 そんな慎重な性格の劉備がわざわざ、それこそ無用なくらいに劉表を警戒させるような「髀肉の嘆」をどうして述べたのか。むしろ劉表に自分をいくらか警戒させるつもりで言った、または一回転して警戒心を解くことを計算して言い放ったのではないかなどと、ついつい深読みしがちになってしまいます。

 しかしこうした事情を踏まえた上で私の意見を述べると、やっぱりこの時の「髀肉の嘆」はガチだったのでは、つまり本気で自身の現況を嘆いてついうっかり本音を洩らしちゃったというのが真実ではないかと思います。根拠としては劉備自身が逆境にあってもあまり弱音を洩らさない人間であることと、そこそこ年齢もいってきて天下を狙うのにもうチャンスがほとんどないと自覚し始める状況だったと思えるからです。もっともそんな強固な根拠ではなく、どちらかというと当時の劉備の気持ちになるならこうも言いたくなる、というのがこの説を取る一番大きな理由ですが。

 ただ計算ずくの発言という説もまだ捨てきれず、というのもこの後劉備は劉表に請われて荊州の北にある新野という街に手勢を率いて駐屯、支配することとなるからです。この地で劉備は三国志最大のバランスブレイカーとも言うべき軍師の諸葛亮を得て、また何度かやってきた曹操軍を撃退するなど独自の軍事活動を始め、後の躍進の礎を築いています。
 つまり劉備は敢えて劉表を警戒させることで、「近くに置いておくよりもどこか離れた土地を任せるなどして遠ざけた方がいい」と思わせたかったのかもしれません。劉備としては小さくともいいからどこかに根拠地を作り、人材発掘から軍勢の編成などをマイプランでやりたかったのかもしれません。正直、こっちの説の方がその後の状況とも符合するから根拠あるような気もするけど。

 ただどちらにしろ、流浪の傭兵軍団と言ってもいい劉備がこの数年後に荊州全土を支配し、その上蜀も併呑するに至るなど当時は誰も想像すらしなかったでしょう。2013年に会社起こして潰して再就職活動始めるもなかなか決まらず浪人中で非常にボロボロだった時代の私に対し、ある人がまさにこの時の劉備の例を持ち出してまた再起を期す日があるはずだ励ましてくれたことがありましたが、そろそろ自分も荊州とまでは言わないけどマッドシティくらいは支配したいなぁ。

2015年4月12日日曜日

沖縄問題に対する世論の変化

 前置きなく一気に始めますがここ数ヶ月、米軍基地問題で揺れる沖縄に対する世間の見方が大きく変化し始めてきたように思えます。具体的には翁長沖縄県知事に対する批判がネット上で散見されるようになり、以前と比べ沖縄県に対し同情する意見や見方が減ってきているような感じです。

 一体何故このような変化が起こってきたのかというと原因は間違いなく米軍の普天間基地を辺野古へ移設する計画案で、この計画に反対する住民や団体は移設先の辺野古沿岸国はサンゴ礁があり、移設によって大規模な環境破壊が起こることなどを反対理由として挙げています。しかしこれらの団体は、こうした辺野古での新滑走路建設に反対する一方でそれ以外のサンゴ礁がある沿岸部の埋め立てには何一つ反対活動は行っておらず、特に那覇空港の滑走路増設計画は槍玉として挙げられており沖縄のダブルスタンダードだという声をよく目にします。
 結論から言えば私もこれはダブルスタンダードだとしか言いようがなく、また米軍基地反対派は完全な駄目手を打ってしまったと考えています。

 こうした事実は何も最近知ったわけでなく、昔から米軍基地移設問題は伊丹空港周辺の様にわざと騒ぐことによって強請りのような行為で稼いでいる連中が陰で暗躍していることを私は知っていました。連中からしたら恐らくサンゴ礁の保護なんて初めから本気で考えているわけでもなく、下手したら普天間基地周辺の住民の安全なども二の次くらいにしか考えていないのかもしれません。そんな連中が何故サンゴ礁の保護を持ち出したのかというと移設問題をややこしくさせたい一心であって、流行りの環境問題と合わせて適当な口実を作ったというのが真相だと思えます。
 しかしその結果というべきか、「辺野古以外の埋め立てによるサンゴ礁破壊についてはどうなのか?」という疑問が現在の様に出てくることとなりました。私の友人などは、「初めからサンゴ礁なんて持ち出さず、住民感情だけ叫んでいればよかったものの」と話していますが全く以って同感で、化けの皮が剥がれたというか「理由のない反対姿勢」というものが今回大きく透けて見えることになったと思えます。

 恐らく政府も、こうした微妙な世論の動きというものを見ていることでしょう。何故そう思うのかというと、辺野古への移転計画に知事が反対するというのであれば国から県への補助金削減も視野に入れるとアナウンスするなど、以前以上に強い態度を出すようになってきたからです。こうした政府の姿勢に対して知事や一部のメディアは「脅迫的な行為だ」と批判しているものの、「基地施設移転の負担に対する補助金なのだから、移設に賛成しないのであれば支払わないのも当然ではないか」という声も散見され、私個人の印象だとやはり後者の意見の方が強まっているようにも見えます。
 自治体問題に取り組んでいる人間ならば誰もが知っていることですが、全国の都道府県のうち東京都を除き、沖縄県は全国で唯一無借金の自治体であります。何故無借金で維持できてるのかというと国から毎年膨大な金額の補助金が供与されており、産業らしい産業は観光以外なく、失業率が全国で最も高いにもかかわらず沖縄は無借金でいられるわけです。

 何も沖縄すべてを批判するつもりはさらさらありませんが、こうしたダブルスタンダード振りは徐々に広がりつつあることを沖縄はもっと自覚するべきで、本当にどっちの方向へ持っていこうとするのか沖縄人自身がもうちょっと考えてコンセンサスを作るべきだと個人的に思います。米軍基地を残してこのまま補助金を受け取り続けるのか、米軍基地を追い出す代わりに補助金を捨て自立するのか、せめてどっちか一つを選ぶべきです。現状では「米軍基地は県外に、その上で補助金も出せ」と言ってるようにしか見えません。もっとも仮に補助金が打ち切られれば沖縄はやってけなくなるのは目に見えており、何かしら産業振興也にもっと真剣に取り組むべきだとは以前から思っていましたが。

 仮にこういう記事を五年くらい前に書いていれば私に対しても相当な批判が来ていたのではないかと思います。何故なら沖縄は「被害者」の立場であって「加害者」の立場ではないという一種のタブーめいた見えざるコンセンサスが存在していたからです。しかしそのコンセンサスは徐々に崩れつつあり、最初はこういうネットでの意見からでしょうが徐々に大手メディアの方でも今後態度を変えてくることは予想され、基地問題で交渉できる時間は大分少なくなってきているのではというのが私の意見です。

千葉のマッドシティ~レッドロブスター新松戸店

 この連載の前回記事では「ダイエー新松戸店」というまたローカルな場所を紹介しましたが、今日はそれ以上にローカルさを増す場所とでもいうべき、ダイエー新松戸店と道路を挟んで向かい側にある「レッドロブスター 新松戸店」を紹介します。まず間違いなく地元民じゃない限り全く需要のないネタですが、個人的に書かずにはおれません。

Red Lobster(本サイト)
レッドロブスター(Wikipedia)

 知らない人もいるかもしれないので先にこのレストランの説明から始めます。
 「レッドロブスター」とは米国発祥のレストランチェーンで、その店名通りにロブスターを主体としたシーフード系の料理を提供しており全米で約700店舗が展開されています。日本国内ではセリュックスホールディングス傘下のレッドロブスタージャパンが運営しており、ホームページで確認する限りだと現時点で全国に23店舗が展開されているようです。
 レストランとしての特徴としては先ほど述べた通りにシーフード、特にロブスターやカニといった甲殻類系の食材を使った料理が中心で、こうした食材を使うためか料理はやや高めの単価設定となっており、レストランチェーンとしてはハイミドルクラスとも言うべきグレードのお店と言えます。

 今日紹介するレッドロブスター新松戸店はダイエー新松戸店、というよりはその横に併設されてある流通経済大学新松戸キャンパスと道路を挟んで向かい側に位置しており、比較的人通りの多い道路沿いにあります。ちょうど目の前が十字路となっており、一階部分は柱を除いて駐車場で、店舗自体は二階に設置されています。

 私がこの店舗を訪れていたのは子供の頃で当時に複数回訪れているのですが、その中でもはっきり覚えていることとしては姉貴の誕生祝いで家族で行った日の事です。うちの姉貴は子供の頃からやたら値段の高い甲殻類料理が好きだったので好きなものを食べさせようという両親の配慮だったと思いますが、当時から私(多分7歳か8歳)はシーフード系料理がそんなに好きではなかったのでこの時の料理にはそれほど手を付けてなかったと思います。その後、この姉貴の誕生祝い以降は何故だか訪れることがほぼなくなってしまったのですが、料理の値段が高いこともあるだけに、もしかしたら不況の煽りからうちの親父の給料が減らされてこの店に行き辛くなったのかなと勝手に推測しています。
 あと通っていた当時についてもう一つ付け加えると、この時はそこそこ人気もあったのかよくテレビでCMも打たれていました。どんなテレビCMだったか映像はほとんど覚えてないものの、CMの最後に流れる、「レーッドロッブッスター♪」というサウンドだけはやけに耳に残っており、確か柴田亜美の漫画「南国少年パプワ君」の2巻で真っ赤に焼けたザリガニが歌ってました。

 正直に言うと子供の頃は数回訪れていたものの小学校の中学年以降は一度も訪れていません。にもかかわらずなんで紹介しようとするのかというと、私が記憶する限りだとこのレッドロブスター新松戸店は少なくとも過去20年以上に渡って、外装に全く変化がないまま営業が続けられているからです。何が言いたいのかっていうと、周囲の風景はダイエー新松戸店を含めて時間と共に大きく変化しているのに対し、何故だかレッドロブスターのある一角だけは20年前の風景と何一つ変わっておらず、変化があまりにも無さすぎて改めて考えると不思議な店だと思えてきたからです。
 どれだけ変化がないのかというと過去20年間に途中途中でペンキの塗り直しなどはされているのですが、色使いといいオブジェの配置といい外装には全く変化がなく、多分同じ角度から撮った10年前と現在の写真を見比べてもほとんど見分けがつかないのではないかという気がします。周辺にある店舗なんかはダイエー新松戸店を含めて改装されたり、店がつぶれた後に新しいお店が新規開店したりとそれなりに変化が見られるのですが、何故だかこの店だけはずっと同じ姿のままであの場所に鎮座し続けています。こんなお店、京都にも少ないぞ……。

 こう言っては失礼かもしれませんが、レッドロブスターのようなやや高めのレストランはデフレ期において一番煽りを受けやすく、この時期に潰れやすいレストランなのではないかと個人的に思うのですがこのお店は潰れることなく、また大規模な改装をされる事もなくずっと営業を続けています。私はよく自転車でこの店の前を通過するのですが、小学生だった頃、中学生だった頃、高校生だった頃、大学生だった頃、社会人になった後もこの店のある一角の風景だけは何一つ変化がなくここまで来るとかえって不気味なくらいです。むしろ、一体何故変化が全くないのか理由を聞いてみたい。
 こんなことを書いても新松戸周辺に住んでいる人以外はピンと来ないでしょうが、逆を言えばこの周辺の住民からすると、「言われてみるとそうだ、あの一角だけずっと昔のまんまだ!」と興奮気味に反応してくれることでしょう。少なくとも、リアル松戸市民の私の友人はまさに上記のような反応をしてくれました。

 まとめとしましては、「新松戸にはびっくりするくらい変化のないレッドロブスターがある」ということをここで訴えたかったわけです。常連客でもいるのかなぁ、あの店。

2015年4月10日金曜日

教育におけるインプット、アウトプット

 このブログでは政治から歴史、文化に渡って結構幅広い内容を取り扱っていますが、これだけあれこれ書いているだけあって日常生活でもよく知識の豊富さを周りから誉めてもらえることが多いです。その際、「花園さんって頭いいんですね」って言葉もよくかけてもらえるのですが、本音を述べると実はあんま頭はいい方ではない、というより理解力は存外低いのではないかという自己分析しております。

 自分が進学した大学はそこそこレベルの高い大学で、模試ではずっとE判定だったにも関わらず問題の相性が良かったのかC判定の所には落ちたくせして何故だか受かり、私は運良く通うことが出来ました。しかし多少分不相応というか、大学でできた友人らと話していると明らかに周囲とのレベルの差を覚え、特に何かを暗記したり内容を理解したりする速度で歴然とした差がありました。具体的な数値で上げると、一般人が3ステップで理解する内容を大学時代の友人は1ステップで理解してしまっており、文字通り周りは通常の三倍の速度で動くような連中でした。
 なお自分の理解する速度を先程の数値で表すと、よくて3ステップで下手すりゃ4ステップか5ステップ、換言すれば一般レベルよりも理解速度が遅いのではとも考えています。実際妙な所でどんくさかったり、物覚えが悪くて同じミスを繰り返したりする傾向があり、この辺は改善しようと思ってもなかなか効かないのが苦しい部分です。

 だったら何故、理解する速度が遅いにもかかわらずそこそこ豊富な知識を私は持ち得たのか。私の勝手な推測としては、理解する速度は遅いものの頭の回転速度が極端に早いため、なんとか補っているのではないかという仮説を立てています。たとえば暗記ですと、何の脈絡も傾向性もない単語や配列を暗記できるまでには通常7回覚えて、忘れてを繰り返す必要があるそうなのですが、理解度の早い人はこれの繰り返しを3回程度で終わらせてしまうのだと思います。で、人より理解の悪い私はというと暗記するまでこの過程を10回くらい繰り返しているのかもしれませんが、そのかわり覚える速度も忘れる速度も通常の2倍くらい早く、他の人が5回覚えて忘れてを繰り返す間に10回こなしてしまっており、結果的にはほかの人よりやや早く暗記を達成できているのではなんて考えています。

 もちろんこれは勝手な憶測であってるかどうかは全く保障できませんが、知識を頭にインプットする「理解する力」というのは極論すると下記のような数式で成り立つのではと思えます。

  理解速度×回転速度=理解力

 なのでただ単に理解力を高めようとするのではなく、理解速度と回転速度のどっちを高めるのかを意識して取り組むと教育的に面白いのではないかと思います。もっとも、案外この二つとも鍛えるのは難しいような気もしますが。

 ここで少し話題を変えますが偏見かもしれない意見を述べると、理解速度の速い人は概して他人に物を教えるのが下手だとも私は考えています。

 このように考えるようになったきっかけは二つあり、一つは幕末の新撰組にいた沖田総司は剣の腕は隊の中でもナンバー1だったものの、こと指導に当たっては全く下手で誰も教わりたがらなかったというエピソードで、沖田に限らず天才型の人間は指導が下手だということをよく聞きます。野球の長嶋茂雄氏も、「ここをガーッと行って、クワっとこうして」などと言いながら指導するので聞いてる方はよくわからないらしいし。
 もう一つのきっかけは私の友人で、明らかに理解速度は常人を遥かに凌いでいるものの、何かを説明してもらったり解説させてもいまいちピンとこないというか聞いてて核心が掴めないことが多かったからです。

 先ほどの数式を用いてこの理由を説明すると、一般の人が理解するまで3ステップ必要な内容を上記の天才型の人間は恐らく1ステップで理解してしまうとします。なので天才型が他人にその内容を教えようとすると、一般人は3ステップを踏まないといけないのに結局1ステップ分の説明しかしようとせず、というか1ステップで理解するやり方しか知らないため聞いてる方はそれだと上手く理解できず、「常人には理解できない領域」というものが出来上がってしまうのではというのが私の憶測です。
 なもんだから先程の大学時代の友人に対し私はよく、「俺は君に理解する速度では逆立ちしたって敵わないが、他人に物を教える指導力で君はどうあがいても俺には勝てないよ」とよく言ってやったもんです。実際、指導するという意味では回り道を多くしている人間というか理解速度の遅い人の方が案外うまいのではとも考えています。ヤンキー出身の先生を持ち上げるわけではないですが……。

 ただもう一つ、指導において重要な要素に表現力というものがある気がします。表現力というのは読んでそのままの言いたいこと、伝えたいことを言葉にしたり文章に書く力ですが、この表現力の優劣というのは指導力に対してダイレクトに影響を与えると断言します。
 ちょっと自慢をすると私は人に指導する事に関してはそこそこ自信があり、これまでも割と隙のない作業マニュアルを多数作ってたりすれば、直接での指導でもうまく相手に理解させられている手応えを感じます。なんでうまく教えられるのかは理解速度がやや遅いこともあるでしょうがそれ以上に、中学生時代からほとんど絶やさずに続けている日々の執筆によって表現力が鍛えられ、何をどう言えば相手がどのように受け取るかということを周囲よりもやや把握出来ていることが大きいように思えます。逆を言えば理解速度が極端に速い人でも、表現力の高い人は指導も案外上手だったりするし、逆に理解速度が遅くても表現力のない人の指導は聞いてて全く分からない気がします。

 というわけで最後に、教育におけるアウトプットこと指導力について、インプットこと理解力と同じように数式を立てると以下のようになるのではとここで提示します。

  表現力÷理解速度=指導力 (理解速度≧1)

 よく理解力や指導力をどう上げるかという議論を見ますが、これらを構成する要素に着目して議論した方が面白いのではないかと思え、暇な時なんかこういう数式作って遊んでたりします。

2015年4月7日火曜日

このブログの検索ワード、2015年4月版

 以前にも一回やりましたが、このブログに来る人はどうやって辿り着いているのかをまたちょっとご紹介します。やり方はいたって簡単、以前と同じくGoogle Analiticsの検索ワード順位をそのまま引っ張ってくるだけですので、早速検索数の多いワードを上から順に適当なところまで引用します。

<検索訪問数(セッション)の多いキーワード>

順位
キーワード
セッション
1
(not provided)
3,910(55.63%)
2
志村けん いかりや長介
54(0.77%)
3
陽月秘話
49(0.70%)
4
サリン事件 症状
47(0.67%)
5
いかりや長介 志村けん
30(0.43%)
6
宮崎繁三郎
30(0.43%)
7
いかりや長介 志村けん 手紙
24(0.34%)
8
hsk5級
21(0.30%)
9
中川 泥酔
21(0.30%)
10
大原騒動
17(0.24%)
11
美濃加茂市長 控訴
17(0.24%)
12
穂積由香里
17(0.24%)
13
蟹江一太郎
14(0.20%)
14
宇都宮病院事件
13(0.18%)
15
任天堂 合併
13(0.18%)
16
派遣 マージン率
13(0.18%)
17
ヒトラー ゲリ
11(0.16%)
18
レッド 漫画
11(0.16%)
19
南海辰村建設 裁判
11(0.16%)
20
派遣会社 マージン率 一覧
11(0.16%)
21
hsk5級 作文
10(0.14%)
22
シドニアの騎士
10(0.14%)
23
デスレス
10(0.14%)
24
ゲリ・ラウバル
9(0.13%)
25
シャルロットコルデー
9(0.13%)
26
猫の目農政
9(0.13%)
27
豊臣政権
9(0.13%)
28
hsk5級 合格基準
8(0.11%)
29
いかりや長介
8(0.11%)
30
積木くずし 最終章
8(0.11%)
31
地下鉄サリン 日野原先生 判断
8(0.11%)
32
派遣 マージン 平均
8(0.11%)
33
派遣会社 マージン
8(0.11%)
34
平野達男 バカ発言
8(0.11%)
35
鈴木修 逸話
8(0.11%)
36
hsk 5級
7(0.10%)
37
ヒトラー 姪
7(0.10%)
38
住友製薬 pam
7(0.10%)
39
地下鉄サリン事件
7(0.10%)
40
中川 泥酔会見
7(0.10%)
41
派遣 マージン
7(0.10%)
42
派遣会社 マージン率
7(0.10%)
43
いかりや長介 手紙
6(0.09%)
44
ゲリ ラウバル
6(0.09%)
45
サリン 妊婦
6(0.09%)
46
スタッフサービス マージン率
6(0.09%)
47
マージン率 派遣
6(0.09%)
48
玄倉川水難事故生存者のその後
6(0.09%)
49
石川啄木 金田一京助
6(0.09%)
50
積木くずし あらすじ
6(0.09%)
51
積木くずし 真相 母
6(0.09%)
52
積木くずし 母親
6(0.09%)



ザーッと見てもらえば大まかな傾向というか訪問しているであろうページがわかるでしょうが、まず一位の「not provided」というのはブックマーク経由などの訪問数で、要するに常連さんの数字ということになります。いつも見に来てくれる方がこれだけ多いというのは本当に感謝に堪えません。

 気になるキーワードとしては、「いかりや長介から志村けんへ最後の手紙、というデマ」の記事に引っかかるキーワードが非常に多く、実際にここ一週間くらいのアクセス数だとこの記事がナンバーワンです。正直、適当に書いたどうでもいい記事なのにこんなにアクセスいいってどうよって自問自答ものです。
 次に気になるワードとしては「積み木くずし」関連で、恐らく「積み木くずし 最終章について」の記事がやけに引っかかってるんだと思います。この記事もどうせ誰も読むことないだろうなと思いながら書いた記事だったのに、子供の頃から「うちの家族は積み木くずし、なんのそのだよ」と、古すぎるネタで周囲に理解されないのを気にせず言い続けた甲斐はあったかななんて思ってます。
 後は派遣マージン率に関するキーワードがそこそこ多いのと、ちょっと個人的に気になったのはカゴメの創業者に当たる「蟹江一太郎」が13位に入っているということです。ほとんど評伝らしい評伝が書かれていない人ですから、ニッチな層に見事に引っ掻かていると思えこれに関しては自画自賛ものです。創業家列伝ももっと書かんとなぁ……。

 続いて今度は、訪問した際の閲覧時間の長い検索キーワードを紹介します。このブログは常連さんで成り立っているブログなので、どっちかというとこういう閲覧時間の長いワードの方が気になってたりします。

<閲覧時間(セッション時間)の長いキーワード>
 順位
キーワード
セッション
平均セッション
時間
1
滋賀 欠陥 マンション 訴訟
1(0.01%)
0:54:12
2
青瓦台襲撃事件
2(0.03%)
0:53:14
3
石田三成の評価
2(0.03%)
0:34:03
4
わらそう プラモ
1(0.01%)
0:32:08
5
猫の目農政
9(0.13%)
0:31:20
6
わらそう
1(0.01%)
0:29:30
7
派遣会社マージン パソナテック
1(0.01%)
0:29:03
8
秀吉 陰謀
2(0.03%)
0:25:54
9
松戸 100満ボルト 跡地
1(0.01%)
0:23:38
10
広瀬健一
2(0.03%)
0:21:39
11
アデコ マージン 4
1(0.01%)
0:21:12
12
平均的なマージン率
1(0.01%)
0:20:48
13
hsk 作文 五級 例文
1(0.01%)
0:20:40
14
今の俳優に求められる物
1(0.01%)
0:20:19
15
美濃加茂市長検察ねつ造
1(0.01%)
0:19:52
16
由香里の死 そして愛 積木くずし終章 あらすじ
1(0.01%)
0:19:05
17
長平の戦い 戦力
1(0.01%)
0:18:17
18
シチズン 中国 撤退 1日前通告
1(0.01%)
0:18:05
19
諸葛亮評価
4(0.06%)
0:18:04
20
長平の戦い 生き埋め
1(0.01%)
0:17:25
21
竹中平蔵 功罪
1(0.01%)
0:15:19
22
時間の概念 文化の違い
1(0.01%)
0:14:20
23
2次上海事件
1(0.01%)
0:14:03
24
美濃加茂市長 有罪とするには
1(0.01%)
0:13:36
25
地下鉄サリン 日野原先生 判断
8(0.11%)
0:13:13
26
中国で反日の強い地域
1(0.01%)
0:11:20
27
倒産の面白い話は
1(0.01%)
0:11:19
28
埼玉千葉少女殺傷事件 犯人
1(0.01%)
0:11:09
29
セガサターンvsプレステ
1(0.01%)
0:11:07
30
中国 文化大革命
1(0.01%)
0:10:47
31
suzukijidousha 後継者
1(0.01%)
0:10:37
32
文世光 処刑
1(0.01%)
0:10:21
33
百田 夢を売る男 モデル
1(0.01%)
0:10:18
34
蟹江一郎
1(0.01%)
0:10:08
35
美濃加茂市長 aitikennkei
1(0.01%)
0:09:58
36
派遣会社 平均マージン率
1(0.01%)
0:09:57
37
宇沢弘文先生を偲ぶ会
1(0.01%)
0:09:55
38
プロジェクトx 聖路加国際病院
1(0.01%)
0:09:52
39
積木くずし 内容
1(0.01%)
0:09:12
40
マリーアントワネットの初夜
1(0.01%)
0:08:55
41
シャルロット コルデー
2(0.03%)
0:08:50
42
塚本幸一 インパール作戦
1(0.01%)
0:08:16
43
左翼 失墜
1(0.01%)
0:08:10
44
大津京ステーションプレース
1(0.01%)
0:08:05
45
贈賄側、美濃加茂市長選に知人1カ月派遣
2(0.03%)
0:07:44
46
積木くずし 遺書
1(0.01%)
0:07:38
47
ケンミンショー鹿児島スーパー
1(0.01%)
0:07:30
48
レオ・シロタ
1(0.01%)
0:07:15
49
積木くずし母親
1(0.01%)
0:07:14
50
外国人犯罪 死刑
1(0.01%)
0:07:09
51
地下鉄サリンの負傷者で妊婦いましたか?
1(0.01%)
0:07:07
52
陽月秘話
49(0.70%)
0:07:05
53
日本の法人税は高い?
1(0.01%)
0:07:00
54
サリン事件 解毒剤
2(0.03%)
0:07:00

 こっちの方は意外な結果で盛りだくさんです。
 まず一位はほかのすべての記事を差し置いてあの大津の欠陥マンション訴訟に関する記事でした。この記事は地味に当事者の方々も読んでたのでビビることが多いです。

 次に注目すべきはなんといっても「わらそう」です。ほんの20分前にもマッドシティの記事を書いたばかりですが、読む人間は読むだろうと思っていたら案の定長く読んでくれている方がおり、同じマッドシティネタだと「100満ボルト」こと「おかじま電器」もランクインしてます。意外とこういう記事の方が求められてるんだなとちょっと勉強になりました。

 このほか美濃加茂市長の裁判記事や積み木くずしネタも数多く入っていますが、逆に以前は閲覧時間が極端に長い傾向にあった「文化大革命」のワードがまたえらく少なくなっています。みんな文革に興味をなくしてしまったのだろうか。
 あと最後ちょっと気になったのとして34位の「蟹江一郎」。「太」という字が抜けてます。