国民栄誉賞と言ったら日本人なら誰もが知るポピュラーな賞で、恐らく紫綬褒章なんかよりも知名度は高いと思われます。そんなこの賞ですが受賞が発表されるたびに受賞基準や、時の政権の人気取りではないかなどと議論になります。
無論その議論はもっともなもので、何をしたら受賞となるのかという明確な基準がなく、かつその対象もはっきりしないところがあります。最近だとスポーツ、文化面で大きな功績のあった人物が対象として固定されつつありますが、比率的にはスポーツが多いため、この際だからもうスポーツ選手に限定して俳優など文化方面の人には別の賞を設けた方が良いんじゃないかと密かに思います。それこそ文化国民栄誉賞、スポーツ国民栄誉賞みたいにさ。
そんな国民栄誉賞ですが、かつて大リーグのイチロー選手は受賞を辞退したことがありました。まだ現役とはいえ当時から大リーグで活躍して日本全体を明るくしたということは疑いようなく私個人としては受賞する資格は他の受賞者と比較しても見劣りせずに十分だと思いましたが、そのへんはさすがはイチローというかよくわきまえた行動を取ったなと覚えます。
なお同じ野球選手としては世界最高の盗塁記録を持っている福本豊氏も打診を辞退していますが、その際の辞退理由は、「そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる」でした。
話は変わって今日の本題でもある誰が国民栄誉賞に相応しいかですが、上記のイチロー選手のエピソードを考えるにつけ「日本を明るくさせた」ということがやはり大きなポイントのように思えます。なでしこJAPANにしろ吉田沙保里選手にしろこの点では両者ともに十分当てはまり受賞も適当と思いますが、私個人の意見としては「明るくさせた」に加え「あきらめない」という強い精神性も評価に入れるべきではないかと思います。
吉田選手などいい例ですが、驚異的な記録は一年や二年で作られるわけではなく、長年にわたって延々と鍛錬をし続けることによって初めて達成されます。ホームラン記録の王貞治氏にしろ大相撲の大鵬にしろ、そうした点がやはり評価されたからこそ受賞に至ったのでしょう。
その「あきらめない」というかネバーギブアップな精神性でもって測るなら、密かに大リーグのブルージェイズで活躍する川崎宗則選手なんか案外受賞してもいいんじゃないかと本気で考えています。詳しく語るのも野暮なくらいですが川崎選手は外国人ながらチームの地元に異常なくらいに溶け込んでおり、シーズンオフにはチームメートのみならず地元ファン、果てには球団オーナーからも「ぜひ残ってほしい」と言われるほどそのキャラクターが評価されています。
また選手としての実力は日本のリーグであれば間違いなく一流選手に数えられるほどであるものの現地大リーグの壁は分厚いためここ数年は一軍と二軍を何度も往復するようなことが多いですが、そうした環境に対して何一つ不平を洩らさずチームのためにと活動する姿は地味にかっこいいです。
もともと川崎選手は日本にいた頃からもチームメイト思いな選手で、彼がベンチにいるだけで明るくなり、WBCに参加した際も「川崎を連れてきてよかった」と監督などからコメントされるなど盛り上げ役としてこちらも異常なくらいに高く評価されています。こうした献身的な姿勢、そしてイチロー選手に対するストーカーじみた行為(甲子園でイチローにホームラン打たれた投手の名前も言えるらしい)、過酷な環境においても試合に出るため努力し続ける姿勢はまさに日本人の鑑だと思え、もうこの際だから国民栄誉賞をあげてしまった方が良いのではないかと思います。
もっともムネリンの事だから、「イチロー選手が辞退したものを僕が受けるわけにはいきません」と言いかねないだけに、多分喜ぶだろうからイチロー選手との同時受賞にさせてあげるのが一番ベストかなという気がします。こうすればイチロー選手も苦笑いしながら受けてくれそうだし。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2015年6月17日水曜日
2015年6月16日火曜日
派遣雇用の3年ルール改正案について
先週末に友人二人とスカイプでグループチャットをした際、なんかの拍子に、「アマテラスって絶対ブラコンだよな」と発言し、そのあとカマキリの雄が交尾後にメスに食われることについて、「彼らだって、本音じゃ死にたくなんかないよ」などと妙なことを口走ってました。しかもその後はオニヤンマがどれだけ強いかという議論になったし。
・法改正騒動で分かった、各党の「派遣」への眼差し(ジェイキャスト)
そういうわけで話は本題に入りますが、現在国会では派遣法の改正議論でそこそこ盛り上がっています。本音を言えばマージン率公開義務が全く機能していないことを誰か口にしてくれれば私としてはありがたいのですが生憎そうではなく、主題となっているのは上記リンク先で雇用問題に関しては信頼のおけるコメントをいつも出す城繁幸氏が語っているように、派遣開始から3年後に直接雇用を義務付ける3年ルールについてです。
そもそも3年ルールって何ってところから始まりますが、結構この法律の解釈は話す人によって変わるのであくまで私による一つの解釈として説明すると大まかな骨子は下記の通りです。
<派遣雇用の3年ルール>
1、同じ業務作業に対する派遣雇用は最長3年まで。それ以降雇うならば直接雇用に切り替えなければならない。
2、直接雇用にするのが嫌だからと、同じ業務で別の派遣社員に切り替えることは禁止。
3、専門26業務に関しては、上記の規定に従わず無期限に派遣社員を使い続けてよい。
これが現在出ている改正案は、城氏の記事から引用するとこうなるそうです。
<改正案>
1、専門26業務と呼ばれる派遣労働者にも「受け入れ後3年で直接雇用に切り替えさせる」という3年ルールが適用される。
2、一定の条件を満たせば、3年ごとに派遣労働者を替えることで、企業はずっと同じ職場で派遣労働者の受け入れが可能である。
この改正案が認められないとして先日、民主党は委員会で採決しようとした議長を締めだしたりなど一悶着を起こしたわけですが、城氏によると民主党自身も政権時に3年ルールの規制強化によって逆に派遣労働者を追い詰めた所があり、いまいち強気で攻めきれないという読みがあるとのことで、私もこの見方に同感です。
実際に派遣の現場でこの3年ルールがどれほどまで遵守されているのか非常に疑問だし、またルール2に書いた「同じ業務なら3年越えの派遣社員を別の人に切り帰るのも駄目」という内容も、言い方次第で案外どうとでもなってしまうのではないかと私は考えています。たとえば、「パソコンへのデータ入力業務」を「データの分析業務」と言い換えたりして、実質同じ業務を別の業務に切り替えたと言い張ったりするなどして。
またこの3年ルールの弊害として、特に問題なく働いているのにこのルールのせいで雇用側も被雇用側も3年経ったら契約を打ち切らなくてはならないというケースもある、というかそれが今一番問題となってるわけです。これが改正案2に関わる所ですが、直接雇用に切り替えろったって雇用側がはいそうですかと同意するわけなんてほとんどないだろうし、となるとそこそこ派遣社員といい関係を築けていたって契約を切るしかないでしょう。確か今年の10月でこの3年ルールが適用開始になるそうで、このまま民主党が手を加えた状態のまま放っておいたらどうなるのかいろいろ楽しみです。
ここまで読めばわかるでしょうが、私個人としては現在出ている自民党の改正案に実は賛成だったりします。派遣がいいか悪いかではなくこの3年ルールは現場に無駄な混乱しか生み出さないようにしか思え、やはり廃止するのが早いでしょう。正社員化を促すのであればこういう規則ではなく、税制面で正社員化によって企業負担をもっと軽くさせるなどの方がもっと効果が見込めるでしょう。
以前にも書いていますが私は派遣社員を減らすのではなく正社員を減らすことが日本社会全体、それは企業にとってだけではなく労働者にとってもプラスになると私は考えています。そういう意味で派遣社員が増えて雇用の流動性が増すことは歓迎すべきだと思うものの、それはあくまで定められた効果的なルールが確実に実行されることが前提であって、マージン率の公開義務が果たされていない現状は望ましくありません。
現状、派遣法に関しては二転三転しているところがあり、これらはすべてどういう方向に派遣雇用を持っていくのかという終着点を誰も持っていないせいだと思います。派遣は一時的な代替雇用手段で日本人全員正社員化を変に目指そうとするからこうなってるのであって、そういう無駄な幻想は早く捨てるべきだというのが私個人の主張です。
・法改正騒動で分かった、各党の「派遣」への眼差し(ジェイキャスト)
そういうわけで話は本題に入りますが、現在国会では派遣法の改正議論でそこそこ盛り上がっています。本音を言えばマージン率公開義務が全く機能していないことを誰か口にしてくれれば私としてはありがたいのですが生憎そうではなく、主題となっているのは上記リンク先で雇用問題に関しては信頼のおけるコメントをいつも出す城繁幸氏が語っているように、派遣開始から3年後に直接雇用を義務付ける3年ルールについてです。
そもそも3年ルールって何ってところから始まりますが、結構この法律の解釈は話す人によって変わるのであくまで私による一つの解釈として説明すると大まかな骨子は下記の通りです。
<派遣雇用の3年ルール>
1、同じ業務作業に対する派遣雇用は最長3年まで。それ以降雇うならば直接雇用に切り替えなければならない。
2、直接雇用にするのが嫌だからと、同じ業務で別の派遣社員に切り替えることは禁止。
3、専門26業務に関しては、上記の規定に従わず無期限に派遣社員を使い続けてよい。
これが現在出ている改正案は、城氏の記事から引用するとこうなるそうです。
<改正案>
1、専門26業務と呼ばれる派遣労働者にも「受け入れ後3年で直接雇用に切り替えさせる」という3年ルールが適用される。
2、一定の条件を満たせば、3年ごとに派遣労働者を替えることで、企業はずっと同じ職場で派遣労働者の受け入れが可能である。
この改正案が認められないとして先日、民主党は委員会で採決しようとした議長を締めだしたりなど一悶着を起こしたわけですが、城氏によると民主党自身も政権時に3年ルールの規制強化によって逆に派遣労働者を追い詰めた所があり、いまいち強気で攻めきれないという読みがあるとのことで、私もこの見方に同感です。
実際に派遣の現場でこの3年ルールがどれほどまで遵守されているのか非常に疑問だし、またルール2に書いた「同じ業務なら3年越えの派遣社員を別の人に切り帰るのも駄目」という内容も、言い方次第で案外どうとでもなってしまうのではないかと私は考えています。たとえば、「パソコンへのデータ入力業務」を「データの分析業務」と言い換えたりして、実質同じ業務を別の業務に切り替えたと言い張ったりするなどして。
またこの3年ルールの弊害として、特に問題なく働いているのにこのルールのせいで雇用側も被雇用側も3年経ったら契約を打ち切らなくてはならないというケースもある、というかそれが今一番問題となってるわけです。これが改正案2に関わる所ですが、直接雇用に切り替えろったって雇用側がはいそうですかと同意するわけなんてほとんどないだろうし、となるとそこそこ派遣社員といい関係を築けていたって契約を切るしかないでしょう。確か今年の10月でこの3年ルールが適用開始になるそうで、このまま民主党が手を加えた状態のまま放っておいたらどうなるのかいろいろ楽しみです。
ここまで読めばわかるでしょうが、私個人としては現在出ている自民党の改正案に実は賛成だったりします。派遣がいいか悪いかではなくこの3年ルールは現場に無駄な混乱しか生み出さないようにしか思え、やはり廃止するのが早いでしょう。正社員化を促すのであればこういう規則ではなく、税制面で正社員化によって企業負担をもっと軽くさせるなどの方がもっと効果が見込めるでしょう。
以前にも書いていますが私は派遣社員を減らすのではなく正社員を減らすことが日本社会全体、それは企業にとってだけではなく労働者にとってもプラスになると私は考えています。そういう意味で派遣社員が増えて雇用の流動性が増すことは歓迎すべきだと思うものの、それはあくまで定められた効果的なルールが確実に実行されることが前提であって、マージン率の公開義務が果たされていない現状は望ましくありません。
現状、派遣法に関しては二転三転しているところがあり、これらはすべてどういう方向に派遣雇用を持っていくのかという終着点を誰も持っていないせいだと思います。派遣は一時的な代替雇用手段で日本人全員正社員化を変に目指そうとするからこうなってるのであって、そういう無駄な幻想は早く捨てるべきだというのが私個人の主張です。
2015年6月14日日曜日
日本研究者187人の「日本の歴史家を支持する声明」の検証
・日本研究者:欧米の187人が安倍首相に送付した「日本の歴史家を支持する声明」全文(毎日新聞)
上記リンク先は先月初め、欧米の日本研究者187人が署名して発した「日本の歴史家を支持する声明」という文章全文(日本語)を載せた毎日新聞のページです。たった一ヶ月とはいえなんか随分前のような気もしますが、この声明文についてほとんどの日系メディアは、「欧米の研究者たちが揃って安倍首相の歴史認識を非難する声明を出した」と当時報じておりました。しかしその一方、下記のように報じるメディアもありました。
・「187人声明」は、"反日"でも"反韓"でもない(東洋経済)
上記リンク先の東洋経済の記事ではこの声明文の中心的執筆者二人にインタビューを行っており、両者はメディアが報じているように日本、ひいては安倍首相を非難する目的ではなくあくまで公平な視点で歴史を探求すべきだと日本の研究家に向けて発信しただけだと主張しています。となると「安倍首相を非難する」と報じたメディアが間違っていたのか、この辺りが疑問というか一体どっちやねんというもやもやした気持ちがこのニュースについてありました。
<間違っているのはどっちだ?>
向こうが出した声明文は一番上の毎日のリンク先に日本語版全文が載せられていますが、少なくとも私が見る限りだと、従軍慰安婦問題を引き合いに出してはいるものの特段日本を批判するような文言はなく、安倍首相の名前も終わりから三段落目の下記文章に一度だけしか出てきません。
「四月のアメリカ議会演説において、安倍首相は、人権という普遍的価値、人間の安全保障の重要性、そして他国に与えた苦しみを直視する必要性について話しました。私たちはこうした気持ちを賞賛し、その一つ一つに基づいて大胆に行動することを首相に期待してやみません。」
これだけ見るならば「正しい歴史認識に基づいた行動を」という具合で釘を刺している印象はあるものの、非難というレベルの書き方ではないように見えます。となると日系メディアが安倍批判に利用するため過剰に報じたのか、そういう疑問がもたげてきます。しかし報道では日系だけでなく海外のメディアもこの声明文を引用して同じように安倍首相を非難するものだと報じているとされ、またも一体どっちやねんと思えてきたわけです。
最終的に私が出した結論としては、「なら英語の原文を見よう。もしかしたら出回っている翻訳が間違っているかもしれない」というもので、英語の声明文をこの際だから自分で訳して検証してみました。というわけで、以下がその翻訳文です。
<私の手による英語声明文の和訳>
題:日本の歴史家を支援する公開文書
下記に署名した日本研究者は、日本にいる多くの勇気ある歴史家がアジアにおける第二次世界大戦の正確な歴史を探ろうとすることについて結束することをここに表明します。日本は我々研究者の大半にとって第二の故郷であり、日本と東アジアの歴史を研究し、記憶していくことは共有すべき関心事であるため我々はこの声明を発します。
記念すべき重要な今年、我々は日本とその隣国の間における70年間に及ぶ平和をお祝いいたします。戦後日本はその民主主義の歴史において軍隊の文民統制と警察の抑制、政治的寛容、科学の発展、他国に対する総合的な支援はどれも賞賛されるべきものです。
しかし歴史解釈の姿勢に関する問題がこれらの賞賛を妨げております。最も関係を悪化させている歴史問題はいわゆる「従軍慰安婦制度」です。この問題は日本や韓国、中国の口汚い民族主義者によって大きく歪められており、研究者だけでなくジャーナリストや政治家においてすらも、人間のありようを理解させ改善を求めようとする歴史探求における原則的な終着点を失わせています。
かつての「慰安婦」の犠牲者の苦痛を……(注:この箇所は非常に面倒くさい言い回しをしているため翻訳を拒否。書いた奴には死んでほしい)。しかし、慰安婦に何が起こっていたのかという事実を否定、もしくは矮小化することは同様に受け入れることが出来ないことです。数多くある20世紀の戦時中の性暴力、または軍による売春例の中、「慰安婦制度」はその広範な運用と軍による管理された点と、日本の植民地、または占領地の若くて貧しく、無力であった女性に対する搾取であった点で他の例とは異なっております
「正しい歴史」へと簡単に至る道などありません。日本帝国軍の多くの記録は廃棄済みです。女性を軍へと斡旋していた業者の行動は記録されていなかったかもしれません。しかし歴史家によって軍隊が女性の輸送や売春宿の管理に関わっていたとする数多くの文書が明るみに出されています。犠牲者の証言もまた重要な証拠です。彼女らの話は多様でかつ矛盾が生まれやすい記憶の影響を受けつつも、彼女らによって提供され集まった情報は心を動かされるもので、なおかつ兵士やその他の証言同様に公文書によって(正しい情報であると)補填されています。
「慰安婦」の正確な数について歴史家の意見は分かれていますが、「¥恐らく確実な数は永久に知ることはできないでしょう。犠牲者の推計数を打ち立てることは確かに重要です。しかし究極的には、その数はその犠牲者数が正確に1万人だったのか10万人だったのかに関わらず、日本の支配地域と戦地においてこうした行為が行われてきたということは紛れもない事実です。
いくつかの歴史家は日本軍がどれほど従軍慰安婦制度に関わったのか、また女性はどれほど強要されて「慰安婦」になったのかという程度について議論しています。しかし多くの女性が意思に反して恐ろしく野蛮な行為にさらされたということは既に証拠が明らかにしております。特定の団体、または犠牲者の暴力的な被害をなかったこととしたり無視したりするような反論に焦点を当てた法律主義的な討議を採用することは……(注:この箇所の動詞の扱い方がおかしいのでここも翻訳拒否。なんで「and ignores」と続くんだよ)。
日本における我らの同僚のように、我々は注意深く天秤にかけつつあらゆる過去の資料の文脈を精査することによってのみ、正確な歴史を作ることが出来ると信じております。そのような作業では民族主義や性別への偏見を排除しなければならず、また政府の情報操作や検閲、脅しから影響を受けてはなりません。我々は歴史探求の自由を守り、すべての政府にそれらを守ることを求めます。
多くの国にとって過去の不正義な事実は受け入れがたいものです。米国政府が二次大戦中に二次大戦において隔離した日系米国人への補償を行うまでに40年以上かかりました。米国法で奴隷制が廃止され平等が約差即されたものの、アフリカ系米国人は約一世紀の間それを実感することができず、アメリカ社会には差別意識が根深く残っていることは真実です。19~20世紀における欧米や日本を含む帝国主義勢力の中で過去の差別や植民主義、戦争、そして世界中で無数の市民を犠牲にした歴史をきちんと清算したと主張できる国はありません。
日本は今日、最も弱い人を含め個人の生活や人権を認めています。日本政府は現在、「慰安婦制度」のような制度上での女性への搾取を国内だけでなく海外でも認めていません。当時においてさえ、いくらかの役人は倫理的な立場に立ったでしょうが、戦時中の管理体制では個人を犠牲にして国家に奉仕せざるを得ず、ほかのアジア人同様に日本人自身も多大な犠牲を起こすこととなりました(注:日本人からも多くの女性が慰安婦になったと言いたいのだと推察する)。そのような悲劇は二度と繰り返してはなりません。
今年は日本政府が過去の植民地政策と戦時中の侵攻について発言と行動することによって、そのリーダシップを示すのに一つのよい機会です(注:「よい機会」だなんて勝手に決めるなと読んでて思う)。4月の米国議会において安倍首相は人権の国際的価値観、人間の安全保障について言及し、日本が他国に与えた苦しみにも直視しました。我々はこうした(安倍首相の)心情を賞賛し、これらすべてを具体的な行動に移すことを強く促します。
過去の過ちを認める行動は民主社会を強化し、周辺国との関係も発展させます。「慰安婦問題」は平等な権利と女性の尊厳が核となっており、この問題の解決は日本、ひいては東アジアや世界の男女同権の歴史的な前進となり得ます。
我々の教室では日本や韓国、中国など世界各国から来た生徒が十分な敬意を払いつつ誠実にこの難しい問題を議論しています。彼らの世代は、我々が彼らへと託す過去の記録とともに生きていくこととなります。性暴力と人身売買のなき世界を彼らが作るのを支援するため、またアジアにおける平和的な友好を促進するため、我々は出来うる限り完全かつ偏見のない過去の過ちの清算を残さなければなりません。
(和訳文終わり)
<翻訳を行ってみた印象>
日系メディアなどで出回っている声明文の日本語版はこの声明を発した団体自らが用意したものですので、共通したものが使われています。その向こうの和訳と比べて私の和訳とはどのような違いがあるかですが、基本的な内容は一緒で、何かの語句を省いたり意味が大きく異なっているような箇所はありませんでした。ただ全体的に原文では英語版と比べて日本語版だと表現が全体的に緩められており、語の感じが軟らかく受け止められるように変えられている印象を覚えました。
・「過去の過ち清算」せよと叱責する「日本研究者」の正体(産経新聞)
この日本語版では表現を緩めている点については上記の産経新聞の記事も指摘しており、産経はきちんと英語版と日本語版を見比べていたことがわかります。ほかのメディアはきちんとやったかは知りませんが、何故日本語版では緩めたのか、その意図がやや気になります。
そしてもう一つ気になった点として、私はこの声明文の英語版原文をこのサイトから取ってきたのですが、声明文自体は今年の5/5に発信されていますが、5/7に署名者を追加した上でアップデートされ、その際に声明文の概要を書いた前文が追加されております。こちらは日系メディアでは多分どこも翻訳していないので、こっちも私の方で下記の通り翻訳してみました。
<追加された前文の和訳>
オンライン人権、社会科学ポータルサイト「H-Asia/H-Net」は2015年5月7日、日本の安倍晋三首相に対し、先の4月29日に日本の首相として初めて米国の両院合同議会で行った歴史に関するスピーチで持ち上げた問題について、「具体的な実行」を呼び掛ける、日本研究者187人による公開声明をここに発信します。
この声明では安倍首相に対し、彼自身が現在の日本について語ったスピーチで話した内容を確実実行するよう特に強く促したい。そのスピーチ内容というのも国家はなによりも「人権」と「安全保障」に重きに置くというもので、この目標の達成に当たって、(署名した)学者たちは安倍首相に対し、70年前(に終結した)の占領と戦争の時代に日本が他国に与えた苦痛を含む真実の歴史を直に知るよう求めます。最も大事なこととして、こうした真実の歴史を知ることは日本と過去に占領統治されたアジアの周辺国家との間で、公正な歴史事実に基づいた和解を促すこととなります。これらを実行するという方針は今日の日本とは大きく異なっていることを明確に示します。
南京大虐殺、靖国神社(戦犯を含む戦没者に対する東京のモニュメント)と並び、(アジア)地域の歴史問題において緊張を招く重要な要素の一つである、いわゆる日本軍の「従軍慰安婦」の歴史は特別注目に値するものです。(この声明に署名した)学者は安倍首相に対し、従軍慰安婦制度は軍隊によって大規模かつ規則的に、また植民地や占領地の若くて貧しく、そして無力であった女性に対する搾取によって運営された著名な制度であったということを公に認めるよう求めます。
1993年以降、日本政府の歴代首相は2006~2007年の安倍政権を除き、この卑しむべき歴史に対し謝罪談話を発し続け、その言葉と実行において程度の差こそあれ日本の方針として堅持し続けてきました。
「直接的にせよ間接的にせよ、当時の日本軍は慰安所を設立、運営し、慰安婦を送り続けました。慰安婦の斡旋は主に軍から要請を受けた民間の斡旋業者が行っていました。政府(注:どこの政府なのか本文中に明示していない)の研究によって明らかになったこととして、慰安婦らは多くの場合、口車に乗せられたり無理強いされたりなどして本人の意思に反して斡旋されており、時には軍の管理関連の人間も斡旋行為に直接参加していました。強制的な環境下における慰安所での彼女らの生活は悲惨でした。日本を除くと、そのような戦地に送られた慰安婦の大半は朝鮮半島から送られていました。当時の朝鮮半島は日本の統治下にあり、彼女らの斡旋や管理などはほとんど彼女らの意思に反し、口車に乗せられたり無理強いされたりなどによって実行されていました。(注:なんで同じこと二度言うねん)」
1993年以降、この慰安婦制度が大半の犠牲者が生まれた韓国と中国でどのように運用されていたのかについて研究が深まっていったことに加え、我々は日本軍がその占領範囲を広げたフィリピン、インドネシア、シンガポール、サイパン、グアムなどでもどれほどこの制度が援用されたのかを深く知りました。
しかしながら2014年春、当時発信した官房長官の名前が付けられた「河野談話」として知られる教書を安倍首相が「見直す」と発表したことにより、理解と共感を深めようとするあらゆる作業は、特に日本と韓国の間で破滅的なまでに頓挫してしまいました。今年は70周年(注:何の70周年なのかくらい書けバカ)という重要な節目となる年であるのに、東京、ソウル間の関係は「過去最低」とまで評され、2015年6月22日にソウルと東京は国交正常化50周年を祝うはずであることからその関係はなお一層注目されています。
我々はこの声明文全文を下記に英語、日本語それぞれで配信致します。この声明文はアジア研究者を対象として毎年シカゴで開かれるオープンフォーラムの2015年5月の会で、日本国外の日本研究者の間で協議して作られ、当初は英語版のみで公開されたものです。この声明文の主眼は、署名者は過去長い間証明されてきた歴史を民族主義的な価値観で捻じ曲げようとする行為に対し最大限の努力でもって拒否するということを明示するということです。
この声明文の結論には、我々が後世に残そうとする過去の記録を学ぶ今日における世界中の生徒に対し、署名した我々全員は「可能な限り完全かつ偏見のない過去の過ちの清算」を残すことについて責任を分かち合うという、視点でもってまとめてあります。
(和訳終わり)
<安倍首相に対する明確な悪意アリ>
最初の翻訳同様に荒い訳なのでところどころ間違っているような箇所もあるかと思いますが、全体的な概要位なら私の翻訳でもカバーできてるかと思います。
それでこの前文ですが、声明文本文はマイルドにまとめられていたもののこちらは安倍首相に対し明確に非難する内容となっており、執筆者は安倍首相に対し明確な悪意を持っていることが伺えます。声明文本文では一度しか出てこない安倍首相の名前が前文では何度も出てきており、特に具体的に非難めいて書いている箇所としては、以下の三段落目の末文です。
「(この声明に署名した)学者は安倍首相に対し、従軍慰安婦制度は軍隊によって大規模かつ規則的に、また植民地や占領地の若くて貧しく、そして無力であった女性に対する搾取によって運営された著名な制度であったということを公に認めるよう求めます。」
ここではっきりと従軍慰安婦は日本政府の関与のあった制度だと認めろと書かれてあります。まぁこれ自体はそもそも議論にならない箇所だと私は思うのですが。
またここだけでなく終わりから三段落目も河野談話関連で安倍首相を名指しで強い口調で非難し、「過去長い間証明されてきた歴史を民族主義的な価値観で捻じ曲げようとする行為」と書くなど悪意というか敵意満々です。
<結論>
結論としてはあの声明文は前文とセットで読むとすれば、安倍首相を非難する文章だと言って間違いなく、東洋経済の記事は読者をミスリードする内容と言われても仕方ない気がします。そもそもあの記事、記者の質問と声明文執筆者の回答がほとんど噛み合ってないひどい内容だし。
それにしてもなんで日系メディアはこの前文を翻訳してくれなかったのか、余計な手間かけさせやがってと思うにつけこの点が私にとってむしろ疑問です。
また声明文本体がマイルドな表現に抑えられていたことについては、執筆者が何かしらの意図をもってそうしたのではないかと思えます。というのもあの声明文はタイトルからして「日本の歴史家を支持する声明」とよく意味の分からないもので、本文も具体的に何が言いたいのか全体を通して曖昧な表現が貫かれていて読んでて激しくイライラさせられます。どうしてこういう書き方をしたのかというと、署名者を増やすためだったりとか、集めた署名を別目的で利用するつもりだったのか、そういうような意図があったのではないかと勝手ながら私は推測しています。
最後にこの声明文に対して私の意見を述べると、やっぱり偏見の強い主張であるかのように感じられ、産経新聞同様に相手にする必要のない声明だと思うしここに署名した学者連中はあんま宛にならない連中だとも思います。少なくとも日本は歴史研究において周辺国の様に何かを主張することに対して弾圧はしていないし、従軍慰安婦問題に関してはこの団体が引用している解説文書をみると明らかに事実と違う内容が書かれています。
あとこれは愚痴になりますが、日本でもそうですがどうしてアカデミック関連の文書はああも読み辛くてわけのわからな言い回しが多いのか、全く以って理解できません。単純に自分の技量不足かもしれませんが今回訳した文章は非常に手間がかかり、昨晩から今日の夕方まで「ファックファック」とずっと呟きながら、非常に不機嫌な状態で翻訳し続けました。なるべく自分で翻訳したくなくてどこかのメディアなりブロガーが翻訳してくるのを一ヶ月も待ったというのに、なんで誰もやってくれなかったんだろう。
上記リンク先は先月初め、欧米の日本研究者187人が署名して発した「日本の歴史家を支持する声明」という文章全文(日本語)を載せた毎日新聞のページです。たった一ヶ月とはいえなんか随分前のような気もしますが、この声明文についてほとんどの日系メディアは、「欧米の研究者たちが揃って安倍首相の歴史認識を非難する声明を出した」と当時報じておりました。しかしその一方、下記のように報じるメディアもありました。
・「187人声明」は、"反日"でも"反韓"でもない(東洋経済)
上記リンク先の東洋経済の記事ではこの声明文の中心的執筆者二人にインタビューを行っており、両者はメディアが報じているように日本、ひいては安倍首相を非難する目的ではなくあくまで公平な視点で歴史を探求すべきだと日本の研究家に向けて発信しただけだと主張しています。となると「安倍首相を非難する」と報じたメディアが間違っていたのか、この辺りが疑問というか一体どっちやねんというもやもやした気持ちがこのニュースについてありました。
<間違っているのはどっちだ?>
向こうが出した声明文は一番上の毎日のリンク先に日本語版全文が載せられていますが、少なくとも私が見る限りだと、従軍慰安婦問題を引き合いに出してはいるものの特段日本を批判するような文言はなく、安倍首相の名前も終わりから三段落目の下記文章に一度だけしか出てきません。
「四月のアメリカ議会演説において、安倍首相は、人権という普遍的価値、人間の安全保障の重要性、そして他国に与えた苦しみを直視する必要性について話しました。私たちはこうした気持ちを賞賛し、その一つ一つに基づいて大胆に行動することを首相に期待してやみません。」
これだけ見るならば「正しい歴史認識に基づいた行動を」という具合で釘を刺している印象はあるものの、非難というレベルの書き方ではないように見えます。となると日系メディアが安倍批判に利用するため過剰に報じたのか、そういう疑問がもたげてきます。しかし報道では日系だけでなく海外のメディアもこの声明文を引用して同じように安倍首相を非難するものだと報じているとされ、またも一体どっちやねんと思えてきたわけです。
最終的に私が出した結論としては、「なら英語の原文を見よう。もしかしたら出回っている翻訳が間違っているかもしれない」というもので、英語の声明文をこの際だから自分で訳して検証してみました。というわけで、以下がその翻訳文です。
<私の手による英語声明文の和訳>
題:日本の歴史家を支援する公開文書
下記に署名した日本研究者は、日本にいる多くの勇気ある歴史家がアジアにおける第二次世界大戦の正確な歴史を探ろうとすることについて結束することをここに表明します。日本は我々研究者の大半にとって第二の故郷であり、日本と東アジアの歴史を研究し、記憶していくことは共有すべき関心事であるため我々はこの声明を発します。
記念すべき重要な今年、我々は日本とその隣国の間における70年間に及ぶ平和をお祝いいたします。戦後日本はその民主主義の歴史において軍隊の文民統制と警察の抑制、政治的寛容、科学の発展、他国に対する総合的な支援はどれも賞賛されるべきものです。
しかし歴史解釈の姿勢に関する問題がこれらの賞賛を妨げております。最も関係を悪化させている歴史問題はいわゆる「従軍慰安婦制度」です。この問題は日本や韓国、中国の口汚い民族主義者によって大きく歪められており、研究者だけでなくジャーナリストや政治家においてすらも、人間のありようを理解させ改善を求めようとする歴史探求における原則的な終着点を失わせています。
かつての「慰安婦」の犠牲者の苦痛を……(注:この箇所は非常に面倒くさい言い回しをしているため翻訳を拒否。書いた奴には死んでほしい)。しかし、慰安婦に何が起こっていたのかという事実を否定、もしくは矮小化することは同様に受け入れることが出来ないことです。数多くある20世紀の戦時中の性暴力、または軍による売春例の中、「慰安婦制度」はその広範な運用と軍による管理された点と、日本の植民地、または占領地の若くて貧しく、無力であった女性に対する搾取であった点で他の例とは異なっております
「正しい歴史」へと簡単に至る道などありません。日本帝国軍の多くの記録は廃棄済みです。女性を軍へと斡旋していた業者の行動は記録されていなかったかもしれません。しかし歴史家によって軍隊が女性の輸送や売春宿の管理に関わっていたとする数多くの文書が明るみに出されています。犠牲者の証言もまた重要な証拠です。彼女らの話は多様でかつ矛盾が生まれやすい記憶の影響を受けつつも、彼女らによって提供され集まった情報は心を動かされるもので、なおかつ兵士やその他の証言同様に公文書によって(正しい情報であると)補填されています。
「慰安婦」の正確な数について歴史家の意見は分かれていますが、「¥恐らく確実な数は永久に知ることはできないでしょう。犠牲者の推計数を打ち立てることは確かに重要です。しかし究極的には、その数はその犠牲者数が正確に1万人だったのか10万人だったのかに関わらず、日本の支配地域と戦地においてこうした行為が行われてきたということは紛れもない事実です。
いくつかの歴史家は日本軍がどれほど従軍慰安婦制度に関わったのか、また女性はどれほど強要されて「慰安婦」になったのかという程度について議論しています。しかし多くの女性が意思に反して恐ろしく野蛮な行為にさらされたということは既に証拠が明らかにしております。特定の団体、または犠牲者の暴力的な被害をなかったこととしたり無視したりするような反論に焦点を当てた法律主義的な討議を採用することは……(注:この箇所の動詞の扱い方がおかしいのでここも翻訳拒否。なんで「and ignores」と続くんだよ)。
日本における我らの同僚のように、我々は注意深く天秤にかけつつあらゆる過去の資料の文脈を精査することによってのみ、正確な歴史を作ることが出来ると信じております。そのような作業では民族主義や性別への偏見を排除しなければならず、また政府の情報操作や検閲、脅しから影響を受けてはなりません。我々は歴史探求の自由を守り、すべての政府にそれらを守ることを求めます。
多くの国にとって過去の不正義な事実は受け入れがたいものです。米国政府が二次大戦中に二次大戦において隔離した日系米国人への補償を行うまでに40年以上かかりました。米国法で奴隷制が廃止され平等が約差即されたものの、アフリカ系米国人は約一世紀の間それを実感することができず、アメリカ社会には差別意識が根深く残っていることは真実です。19~20世紀における欧米や日本を含む帝国主義勢力の中で過去の差別や植民主義、戦争、そして世界中で無数の市民を犠牲にした歴史をきちんと清算したと主張できる国はありません。
日本は今日、最も弱い人を含め個人の生活や人権を認めています。日本政府は現在、「慰安婦制度」のような制度上での女性への搾取を国内だけでなく海外でも認めていません。当時においてさえ、いくらかの役人は倫理的な立場に立ったでしょうが、戦時中の管理体制では個人を犠牲にして国家に奉仕せざるを得ず、ほかのアジア人同様に日本人自身も多大な犠牲を起こすこととなりました(注:日本人からも多くの女性が慰安婦になったと言いたいのだと推察する)。そのような悲劇は二度と繰り返してはなりません。
今年は日本政府が過去の植民地政策と戦時中の侵攻について発言と行動することによって、そのリーダシップを示すのに一つのよい機会です(注:「よい機会」だなんて勝手に決めるなと読んでて思う)。4月の米国議会において安倍首相は人権の国際的価値観、人間の安全保障について言及し、日本が他国に与えた苦しみにも直視しました。我々はこうした(安倍首相の)心情を賞賛し、これらすべてを具体的な行動に移すことを強く促します。
過去の過ちを認める行動は民主社会を強化し、周辺国との関係も発展させます。「慰安婦問題」は平等な権利と女性の尊厳が核となっており、この問題の解決は日本、ひいては東アジアや世界の男女同権の歴史的な前進となり得ます。
我々の教室では日本や韓国、中国など世界各国から来た生徒が十分な敬意を払いつつ誠実にこの難しい問題を議論しています。彼らの世代は、我々が彼らへと託す過去の記録とともに生きていくこととなります。性暴力と人身売買のなき世界を彼らが作るのを支援するため、またアジアにおける平和的な友好を促進するため、我々は出来うる限り完全かつ偏見のない過去の過ちの清算を残さなければなりません。
(和訳文終わり)
<翻訳を行ってみた印象>
日系メディアなどで出回っている声明文の日本語版はこの声明を発した団体自らが用意したものですので、共通したものが使われています。その向こうの和訳と比べて私の和訳とはどのような違いがあるかですが、基本的な内容は一緒で、何かの語句を省いたり意味が大きく異なっているような箇所はありませんでした。ただ全体的に原文では英語版と比べて日本語版だと表現が全体的に緩められており、語の感じが軟らかく受け止められるように変えられている印象を覚えました。
・「過去の過ち清算」せよと叱責する「日本研究者」の正体(産経新聞)
この日本語版では表現を緩めている点については上記の産経新聞の記事も指摘しており、産経はきちんと英語版と日本語版を見比べていたことがわかります。ほかのメディアはきちんとやったかは知りませんが、何故日本語版では緩めたのか、その意図がやや気になります。
そしてもう一つ気になった点として、私はこの声明文の英語版原文をこのサイトから取ってきたのですが、声明文自体は今年の5/5に発信されていますが、5/7に署名者を追加した上でアップデートされ、その際に声明文の概要を書いた前文が追加されております。こちらは日系メディアでは多分どこも翻訳していないので、こっちも私の方で下記の通り翻訳してみました。
<追加された前文の和訳>
オンライン人権、社会科学ポータルサイト「H-Asia/H-Net」は2015年5月7日、日本の安倍晋三首相に対し、先の4月29日に日本の首相として初めて米国の両院合同議会で行った歴史に関するスピーチで持ち上げた問題について、「具体的な実行」を呼び掛ける、日本研究者187人による公開声明をここに発信します。
この声明では安倍首相に対し、彼自身が現在の日本について語ったスピーチで話した内容を確実実行するよう特に強く促したい。そのスピーチ内容というのも国家はなによりも「人権」と「安全保障」に重きに置くというもので、この目標の達成に当たって、(署名した)学者たちは安倍首相に対し、70年前(に終結した)の占領と戦争の時代に日本が他国に与えた苦痛を含む真実の歴史を直に知るよう求めます。最も大事なこととして、こうした真実の歴史を知ることは日本と過去に占領統治されたアジアの周辺国家との間で、公正な歴史事実に基づいた和解を促すこととなります。これらを実行するという方針は今日の日本とは大きく異なっていることを明確に示します。
南京大虐殺、靖国神社(戦犯を含む戦没者に対する東京のモニュメント)と並び、(アジア)地域の歴史問題において緊張を招く重要な要素の一つである、いわゆる日本軍の「従軍慰安婦」の歴史は特別注目に値するものです。(この声明に署名した)学者は安倍首相に対し、従軍慰安婦制度は軍隊によって大規模かつ規則的に、また植民地や占領地の若くて貧しく、そして無力であった女性に対する搾取によって運営された著名な制度であったということを公に認めるよう求めます。
1993年以降、日本政府の歴代首相は2006~2007年の安倍政権を除き、この卑しむべき歴史に対し謝罪談話を発し続け、その言葉と実行において程度の差こそあれ日本の方針として堅持し続けてきました。
「直接的にせよ間接的にせよ、当時の日本軍は慰安所を設立、運営し、慰安婦を送り続けました。慰安婦の斡旋は主に軍から要請を受けた民間の斡旋業者が行っていました。政府(注:どこの政府なのか本文中に明示していない)の研究によって明らかになったこととして、慰安婦らは多くの場合、口車に乗せられたり無理強いされたりなどして本人の意思に反して斡旋されており、時には軍の管理関連の人間も斡旋行為に直接参加していました。強制的な環境下における慰安所での彼女らの生活は悲惨でした。日本を除くと、そのような戦地に送られた慰安婦の大半は朝鮮半島から送られていました。当時の朝鮮半島は日本の統治下にあり、彼女らの斡旋や管理などはほとんど彼女らの意思に反し、口車に乗せられたり無理強いされたりなどによって実行されていました。(注:なんで同じこと二度言うねん)」
1993年以降、この慰安婦制度が大半の犠牲者が生まれた韓国と中国でどのように運用されていたのかについて研究が深まっていったことに加え、我々は日本軍がその占領範囲を広げたフィリピン、インドネシア、シンガポール、サイパン、グアムなどでもどれほどこの制度が援用されたのかを深く知りました。
しかしながら2014年春、当時発信した官房長官の名前が付けられた「河野談話」として知られる教書を安倍首相が「見直す」と発表したことにより、理解と共感を深めようとするあらゆる作業は、特に日本と韓国の間で破滅的なまでに頓挫してしまいました。今年は70周年(注:何の70周年なのかくらい書けバカ)という重要な節目となる年であるのに、東京、ソウル間の関係は「過去最低」とまで評され、2015年6月22日にソウルと東京は国交正常化50周年を祝うはずであることからその関係はなお一層注目されています。
我々はこの声明文全文を下記に英語、日本語それぞれで配信致します。この声明文はアジア研究者を対象として毎年シカゴで開かれるオープンフォーラムの2015年5月の会で、日本国外の日本研究者の間で協議して作られ、当初は英語版のみで公開されたものです。この声明文の主眼は、署名者は過去長い間証明されてきた歴史を民族主義的な価値観で捻じ曲げようとする行為に対し最大限の努力でもって拒否するということを明示するということです。
この声明文の結論には、我々が後世に残そうとする過去の記録を学ぶ今日における世界中の生徒に対し、署名した我々全員は「可能な限り完全かつ偏見のない過去の過ちの清算」を残すことについて責任を分かち合うという、視点でもってまとめてあります。
(和訳終わり)
<安倍首相に対する明確な悪意アリ>
最初の翻訳同様に荒い訳なのでところどころ間違っているような箇所もあるかと思いますが、全体的な概要位なら私の翻訳でもカバーできてるかと思います。
それでこの前文ですが、声明文本文はマイルドにまとめられていたもののこちらは安倍首相に対し明確に非難する内容となっており、執筆者は安倍首相に対し明確な悪意を持っていることが伺えます。声明文本文では一度しか出てこない安倍首相の名前が前文では何度も出てきており、特に具体的に非難めいて書いている箇所としては、以下の三段落目の末文です。
「(この声明に署名した)学者は安倍首相に対し、従軍慰安婦制度は軍隊によって大規模かつ規則的に、また植民地や占領地の若くて貧しく、そして無力であった女性に対する搾取によって運営された著名な制度であったということを公に認めるよう求めます。」
ここではっきりと従軍慰安婦は日本政府の関与のあった制度だと認めろと書かれてあります。まぁこれ自体はそもそも議論にならない箇所だと私は思うのですが。
またここだけでなく終わりから三段落目も河野談話関連で安倍首相を名指しで強い口調で非難し、「過去長い間証明されてきた歴史を民族主義的な価値観で捻じ曲げようとする行為」と書くなど悪意というか敵意満々です。
<結論>
結論としてはあの声明文は前文とセットで読むとすれば、安倍首相を非難する文章だと言って間違いなく、東洋経済の記事は読者をミスリードする内容と言われても仕方ない気がします。そもそもあの記事、記者の質問と声明文執筆者の回答がほとんど噛み合ってないひどい内容だし。
それにしてもなんで日系メディアはこの前文を翻訳してくれなかったのか、余計な手間かけさせやがってと思うにつけこの点が私にとってむしろ疑問です。
また声明文本体がマイルドな表現に抑えられていたことについては、執筆者が何かしらの意図をもってそうしたのではないかと思えます。というのもあの声明文はタイトルからして「日本の歴史家を支持する声明」とよく意味の分からないもので、本文も具体的に何が言いたいのか全体を通して曖昧な表現が貫かれていて読んでて激しくイライラさせられます。どうしてこういう書き方をしたのかというと、署名者を増やすためだったりとか、集めた署名を別目的で利用するつもりだったのか、そういうような意図があったのではないかと勝手ながら私は推測しています。
最後にこの声明文に対して私の意見を述べると、やっぱり偏見の強い主張であるかのように感じられ、産経新聞同様に相手にする必要のない声明だと思うしここに署名した学者連中はあんま宛にならない連中だとも思います。少なくとも日本は歴史研究において周辺国の様に何かを主張することに対して弾圧はしていないし、従軍慰安婦問題に関してはこの団体が引用している解説文書をみると明らかに事実と違う内容が書かれています。
あとこれは愚痴になりますが、日本でもそうですがどうしてアカデミック関連の文書はああも読み辛くてわけのわからな言い回しが多いのか、全く以って理解できません。単純に自分の技量不足かもしれませんが今回訳した文章は非常に手間がかかり、昨晩から今日の夕方まで「ファックファック」とずっと呟きながら、非常に不機嫌な状態で翻訳し続けました。なるべく自分で翻訳したくなくてどこかのメディアなりブロガーが翻訳してくるのを一ヶ月も待ったというのに、なんで誰もやってくれなかったんだろう。
2015年6月13日土曜日
千葉のマッドシティ~戸定邸
このマッドシティではいつもどローカルなことばかり書いていますが、今日はまだ一般受けしそうなスポットを紹介します。
・戸定邸
本日紹介する戸定邸とは松戸駅から徒歩で行ける距離にある武家屋敷の事です。武家屋敷と言ってもただの武家屋敷ではなく、元々は徳川慶喜の実弟で水戸藩最後の藩主となった徳川昭武が使っていた屋敷でした。
まず最初に徳川昭武について軽く紹介すると、徳川斉昭の十八男(多過ぎ)として1853年に生まれた昭武は幕末の動乱のさなか、徳川御三卿の一つである清水家の家督を継ぎ清水家当主となります。清水家は18世紀に継嗣がなく一旦断絶されますが慶喜と昭武の父である斉昭が自分の息子を当主に据えて再興させたものの、片っ端から当主に置かれた斉昭の息子は夭折していき、最終的には十八番目の男児である昭武が襲封することとなったわけです。
昭武が清水家当主となったのは1857年で、その後すぐに兄であり徳川将軍である慶喜の名代としてパリ万博へ訪れるためヨーロッパ歴訪の旅へ出てそのまま現地で留学を開始しました。しかし翌年の1867年には大政奉還、そして戊辰戦争が起こり徳川家が日本の代表政府から引き摺り下ろされたことによって昭武の欧州における立ち位置も不安定となり、結果的には留学を切り上げる形で同年に日本へ帰国します。
日本へ帰国した昭武は水戸藩主であった兄の慶篤が死去したことを受け兄の後を継ぐ形で水戸藩主に就任します。と言ってもその後すぐに版籍奉還、廃藩置県が行われたため東京へ移住し、西南戦争の前あたりには再び欧州へ留学に出て、帰国後の1883年には隠居して翌1884年に松戸市に隠居屋敷を構えそこで長い時間を過ごしました。
この戸定邸というのがまさにこの昭武の隠居屋敷で、聖徳大学、千葉大歯学部のキャンパス近くにある小高い丘の上に構えております。休館日でなければ敷地内の出入りは自由で、保存されている屋敷も入館料を払えば入ることが出来ます。駐車場もあるにはありますが、やけに傾斜が激しく細くうねった登り道を通ることになるので、駅からそんな遠くないので来館される際は電車で来るのがベターです。
中にある歴史観の展示物について少し述べると、屋敷の主であった昭武ゆかりの品々と共に、その兄の慶喜ゆかりの品々も多く、というよりはむしろ慶喜関連の方がメインであるように見えます。割とこの兄弟は仲が良く、二人揃って写真が趣味だったようで撮影された写真も数多く展示されていますがその多くは慶喜の物で、掛け軸に書かれた書もたしか慶喜の物があったような気がします。知名度の点から言って多少はしょうがないと思うものの、もっと昭武もPRしてこうよと少し言いたいです。
私はこの戸定邸にうちの名古屋だけでなく広島にも左遷されたことのある親父と一緒に、中学生くらいの頃に初めて訪れました。こう言ってはなんですがマッドシティ周辺に当たる千葉県北西部は貝塚跡はやたらあっても史跡はそれほど多くなく、その中でもまだ由緒深いと思える史跡であったため最初の訪問時から文化的な匂いを感じることが出来ました。また戸定邸は歴史的な背景と共に、小高い丘の上に狭いながらもよく整えられた庭園も備えてあるため、ちょっと時間が空いた時にふらりと訪れるのになかなか気分がよく、その後も機会があればしょっちゅう親父と共にここへ訪れていました。
ただ文化的に悪くないスポットだと思えるものの知名度は決して高くなく、私の周囲でもここへ訪れたことのある人となるとほぼ全くいませんでした。茶道をしている人なんかはこの戸定邸の中にある屋敷を借りて開かれる茶会などに参加するなどして来る人もいましたが、そうでもない人となると存在すら知らないことも多いです。今でこそ松戸駅前に「戸定邸はこっち!」というような案内板もありますが以前はなく、ちょっと丘を登らなくてはならないのもあって目につきずらいというのもあってこちらもしょうがない気はしますが。
最後にこの記事を書くに当たってネットで調べたところ、昭武の息子の武定が華族に列せられたことにより「松戸徳川家」という分家が生まれ、現在も続いているようです。この武定が戸定邸を市に寄付した張本人なのですが、戦前は海軍の設計畑を歩んで潜水艦の研究において大きな役割を果たすなどなかなか胸を熱くさせる人物です。
・戸定邸
本日紹介する戸定邸とは松戸駅から徒歩で行ける距離にある武家屋敷の事です。武家屋敷と言ってもただの武家屋敷ではなく、元々は徳川慶喜の実弟で水戸藩最後の藩主となった徳川昭武が使っていた屋敷でした。
まず最初に徳川昭武について軽く紹介すると、徳川斉昭の十八男(多過ぎ)として1853年に生まれた昭武は幕末の動乱のさなか、徳川御三卿の一つである清水家の家督を継ぎ清水家当主となります。清水家は18世紀に継嗣がなく一旦断絶されますが慶喜と昭武の父である斉昭が自分の息子を当主に据えて再興させたものの、片っ端から当主に置かれた斉昭の息子は夭折していき、最終的には十八番目の男児である昭武が襲封することとなったわけです。
昭武が清水家当主となったのは1857年で、その後すぐに兄であり徳川将軍である慶喜の名代としてパリ万博へ訪れるためヨーロッパ歴訪の旅へ出てそのまま現地で留学を開始しました。しかし翌年の1867年には大政奉還、そして戊辰戦争が起こり徳川家が日本の代表政府から引き摺り下ろされたことによって昭武の欧州における立ち位置も不安定となり、結果的には留学を切り上げる形で同年に日本へ帰国します。
日本へ帰国した昭武は水戸藩主であった兄の慶篤が死去したことを受け兄の後を継ぐ形で水戸藩主に就任します。と言ってもその後すぐに版籍奉還、廃藩置県が行われたため東京へ移住し、西南戦争の前あたりには再び欧州へ留学に出て、帰国後の1883年には隠居して翌1884年に松戸市に隠居屋敷を構えそこで長い時間を過ごしました。
この戸定邸というのがまさにこの昭武の隠居屋敷で、聖徳大学、千葉大歯学部のキャンパス近くにある小高い丘の上に構えております。休館日でなければ敷地内の出入りは自由で、保存されている屋敷も入館料を払えば入ることが出来ます。駐車場もあるにはありますが、やけに傾斜が激しく細くうねった登り道を通ることになるので、駅からそんな遠くないので来館される際は電車で来るのがベターです。
中にある歴史観の展示物について少し述べると、屋敷の主であった昭武ゆかりの品々と共に、その兄の慶喜ゆかりの品々も多く、というよりはむしろ慶喜関連の方がメインであるように見えます。割とこの兄弟は仲が良く、二人揃って写真が趣味だったようで撮影された写真も数多く展示されていますがその多くは慶喜の物で、掛け軸に書かれた書もたしか慶喜の物があったような気がします。知名度の点から言って多少はしょうがないと思うものの、もっと昭武もPRしてこうよと少し言いたいです。
私はこの戸定邸にうちの名古屋だけでなく広島にも左遷されたことのある親父と一緒に、中学生くらいの頃に初めて訪れました。こう言ってはなんですがマッドシティ周辺に当たる千葉県北西部は貝塚跡はやたらあっても史跡はそれほど多くなく、その中でもまだ由緒深いと思える史跡であったため最初の訪問時から文化的な匂いを感じることが出来ました。また戸定邸は歴史的な背景と共に、小高い丘の上に狭いながらもよく整えられた庭園も備えてあるため、ちょっと時間が空いた時にふらりと訪れるのになかなか気分がよく、その後も機会があればしょっちゅう親父と共にここへ訪れていました。
ただ文化的に悪くないスポットだと思えるものの知名度は決して高くなく、私の周囲でもここへ訪れたことのある人となるとほぼ全くいませんでした。茶道をしている人なんかはこの戸定邸の中にある屋敷を借りて開かれる茶会などに参加するなどして来る人もいましたが、そうでもない人となると存在すら知らないことも多いです。今でこそ松戸駅前に「戸定邸はこっち!」というような案内板もありますが以前はなく、ちょっと丘を登らなくてはならないのもあって目につきずらいというのもあってこちらもしょうがない気はしますが。
最後にこの記事を書くに当たってネットで調べたところ、昭武の息子の武定が華族に列せられたことにより「松戸徳川家」という分家が生まれ、現在も続いているようです。この武定が戸定邸を市に寄付した張本人なのですが、戦前は海軍の設計畑を歩んで潜水艦の研究において大きな役割を果たすなどなかなか胸を熱くさせる人物です。
2015年6月12日金曜日
創造は破壊の後で
私の友人は大学時代に中国古代史を専攻いたそうですが、卒業論文には項羽と劉邦を比較するというテーマを選んだそうです。曰く、項羽という既成の秩序を徹底的に破壊する存在の後だったからこそ劉邦は漢王朝という安定的な秩序を作ることが出来たという内容だったらしく、項羽がいたからこそ劉邦もその英雄的価値を高められたという結論だったそうです。
この友人の主張には私も基本的に同感で、というよりこの「破壊→創造」というサイクル自体が一種普遍的な概念を持っているとも考えております。逆を言えばこのサイクルが上手く働かないと世の中は混乱するとさえ思え、「創造的破壊」という言葉があるように時には起こすよムーブメントとばかりにある一定の段階で秩序を破壊をしなければ物事は上手くいかないとすら考えています。
この破壊と創造のサイクルを例えるならば、敷地とその上に立つ建物(=上物)で比較するとわかりやすいです。この例えだと敷地は世界というか国家などの領域を差し、建物はまんま秩序となります。ある領域においてそのまんまだとその土地は何の価値も持ちませんが、秩序という上物がついて段々と価値を帯びていきます。その敷地にないに領域がある限り建物は増えていきそこに住む人々の生活も段々と便利さを増しますが、ある段階に至ると限界が来るというか、敷地に建物が一杯となってそれ以上の建て増しが出来なくなります。
建て増しが出来なくなった敷地はどうするか。そのまま使い続けるということも一つの手ですが一度建てた建物は所詮は建物、風雨による経年劣化は避けられません。となると何がベストかというと再開発とばかりに一旦破壊した上で、構造から見直して建て直す方が案外よかったりします。
大体これで私の言いたいことはわかると思いますが、政治体制や法などの秩序は長い歴史から見たら細かい改正や再編など付け焼刃をつけるよりも、折々で抜本的に改革するというか作り直した方が案外よかったりします。また改革というほど大げさなものでなくても、何かしら制度を変えるにはその制度を変える余地、先ほどの例えだと空余地を作る必要があり、地上げ屋の様に上物を立ち退かさなければなりません。
総じて言えば創造の上に創造はなく、一旦破壊という過程を経なければ新たな秩序也概念というものは生まれないと言いたいわけです。まぁ破壊の上に破壊はあるのかと言えば議論の余地がありますが。
こうしたサイクルは歴史上で何度も繰り返されており、わかりやすいのだと安土桃山時代で織田信長という破壊者が既成の秩序を徹底的に破壊した上で、豊臣秀吉と徳川家康という創造者が新たな秩序を作りその後の長く平和な江戸時代が成立したと言えるでしょう。
また近年の日本政治において言うならば、小泉純一郎首相なんかは間違いなく破壊型の政治家で、実際就任当時に政治評論家からも破壊型の政治家だと指摘されていました。その評論家(名前は忘れた)によると総理大臣は破壊型、創造型の二種類にはっきり分かれるそうで、基本的には破壊型の方が政策が目に見えるので世間からは評価されやすく、逆に創造型は地味で人気が出ない傾向があるそうで、その人が創造型として挙げたのは消費税を導入した竹下登内閣でした。
ここでちょっと小泉内閣以後の内閣を分析します。小泉内閣は間違いなく破壊型の内閣で郵政民営化などで「改革を行うための空余地」を作ることには成功したと私は考えています。ではその空余地はどうなったのか、その後の内閣は創造型が続いたのかというとこれが非常に疑問で、結論を述べるとその後の内閣は創造も破壊もしなかったのではと思います。
強いてあげれば福田康夫内閣がまだ創造型の要素を持っていたと思いますが、それ以外となると麻生太郎内閣が顕著でしたが1990年前後のバブル期を再現しようとするような、未来よりも過去志向、フランス革命的に言うなら旧体制(アンシャンレジーム)的な価値観を持つ内閣が続いてしまったのではないかと思います。これは民主党政権時も同様で、郵政民営化によってつくられた改革の空余地の上に、かつての郵政と同じ組織を作って折角の空余地を埋めてしまっています。
では現在の安倍政権はどうなのか。これも憲法改正を声高に叫んでいますがこれはどちらかというと安倍首相個人の気持ち的な内容で、こう言ってはなんですが日本国家全体の秩序の問題かというと疑問です。さすがに徴兵制の導入まで行ったら話は変わりますが、自衛隊の扱い一つで劇的に秩序が変わるかと言ったらそうでもなく、消費税増税の方がインパクト的には大きいでしょう。
結論の上の結論を述べると、小泉内閣による秩序破壊の後に新たな秩序を作れる人間が出てきてないのが今の日本の混乱を招いているのではというの私の見解です。真面目な話し、国家全体のグランドデザインに関する議論がこのところ本当無く、一時期流行った「北欧モデル」すらも話に出てきません。
かくいう私もその手のグランドデザインを作っているわけではなく、現時点では漠然と「オランダモデル」だと自分自身が生きやすくなるなと思えるのでこっちを志向しているだけです。オランダは自転車の一人当たり保有台数も世界最大だというし、サイクリストの夢の王国がつくれるのではと思うと胸が熱くなります。
急いで書いたから26分で書き上がりました。
この友人の主張には私も基本的に同感で、というよりこの「破壊→創造」というサイクル自体が一種普遍的な概念を持っているとも考えております。逆を言えばこのサイクルが上手く働かないと世の中は混乱するとさえ思え、「創造的破壊」という言葉があるように時には起こすよムーブメントとばかりにある一定の段階で秩序を破壊をしなければ物事は上手くいかないとすら考えています。
この破壊と創造のサイクルを例えるならば、敷地とその上に立つ建物(=上物)で比較するとわかりやすいです。この例えだと敷地は世界というか国家などの領域を差し、建物はまんま秩序となります。ある領域においてそのまんまだとその土地は何の価値も持ちませんが、秩序という上物がついて段々と価値を帯びていきます。その敷地にないに領域がある限り建物は増えていきそこに住む人々の生活も段々と便利さを増しますが、ある段階に至ると限界が来るというか、敷地に建物が一杯となってそれ以上の建て増しが出来なくなります。
建て増しが出来なくなった敷地はどうするか。そのまま使い続けるということも一つの手ですが一度建てた建物は所詮は建物、風雨による経年劣化は避けられません。となると何がベストかというと再開発とばかりに一旦破壊した上で、構造から見直して建て直す方が案外よかったりします。
大体これで私の言いたいことはわかると思いますが、政治体制や法などの秩序は長い歴史から見たら細かい改正や再編など付け焼刃をつけるよりも、折々で抜本的に改革するというか作り直した方が案外よかったりします。また改革というほど大げさなものでなくても、何かしら制度を変えるにはその制度を変える余地、先ほどの例えだと空余地を作る必要があり、地上げ屋の様に上物を立ち退かさなければなりません。
総じて言えば創造の上に創造はなく、一旦破壊という過程を経なければ新たな秩序也概念というものは生まれないと言いたいわけです。まぁ破壊の上に破壊はあるのかと言えば議論の余地がありますが。
こうしたサイクルは歴史上で何度も繰り返されており、わかりやすいのだと安土桃山時代で織田信長という破壊者が既成の秩序を徹底的に破壊した上で、豊臣秀吉と徳川家康という創造者が新たな秩序を作りその後の長く平和な江戸時代が成立したと言えるでしょう。
また近年の日本政治において言うならば、小泉純一郎首相なんかは間違いなく破壊型の政治家で、実際就任当時に政治評論家からも破壊型の政治家だと指摘されていました。その評論家(名前は忘れた)によると総理大臣は破壊型、創造型の二種類にはっきり分かれるそうで、基本的には破壊型の方が政策が目に見えるので世間からは評価されやすく、逆に創造型は地味で人気が出ない傾向があるそうで、その人が創造型として挙げたのは消費税を導入した竹下登内閣でした。
ここでちょっと小泉内閣以後の内閣を分析します。小泉内閣は間違いなく破壊型の内閣で郵政民営化などで「改革を行うための空余地」を作ることには成功したと私は考えています。ではその空余地はどうなったのか、その後の内閣は創造型が続いたのかというとこれが非常に疑問で、結論を述べるとその後の内閣は創造も破壊もしなかったのではと思います。
強いてあげれば福田康夫内閣がまだ創造型の要素を持っていたと思いますが、それ以外となると麻生太郎内閣が顕著でしたが1990年前後のバブル期を再現しようとするような、未来よりも過去志向、フランス革命的に言うなら旧体制(アンシャンレジーム)的な価値観を持つ内閣が続いてしまったのではないかと思います。これは民主党政権時も同様で、郵政民営化によってつくられた改革の空余地の上に、かつての郵政と同じ組織を作って折角の空余地を埋めてしまっています。
では現在の安倍政権はどうなのか。これも憲法改正を声高に叫んでいますがこれはどちらかというと安倍首相個人の気持ち的な内容で、こう言ってはなんですが日本国家全体の秩序の問題かというと疑問です。さすがに徴兵制の導入まで行ったら話は変わりますが、自衛隊の扱い一つで劇的に秩序が変わるかと言ったらそうでもなく、消費税増税の方がインパクト的には大きいでしょう。
結論の上の結論を述べると、小泉内閣による秩序破壊の後に新たな秩序を作れる人間が出てきてないのが今の日本の混乱を招いているのではというの私の見解です。真面目な話し、国家全体のグランドデザインに関する議論がこのところ本当無く、一時期流行った「北欧モデル」すらも話に出てきません。
かくいう私もその手のグランドデザインを作っているわけではなく、現時点では漠然と「オランダモデル」だと自分自身が生きやすくなるなと思えるのでこっちを志向しているだけです。オランダは自転車の一人当たり保有台数も世界最大だというし、サイクリストの夢の王国がつくれるのではと思うと胸が熱くなります。
急いで書いたから26分で書き上がりました。
2015年6月11日木曜日
派遣マージン率記事の裏話
季節の変わり目であるせいか昨日は昼過ぎから地味な頭痛に苦しみ、家帰った時点でバタンキューとなって夜8時に床に入り、翌朝7時まで計11時間もの連続睡眠をやってのけました。そのせいか今日は割と好調で、夕ご飯も気分よくマクドナルドで済ませてきました。
そういうくだらない事情は置いといて本題に入りますが、現在私のブログでは今年1月にアップした「人材派遣企業各社のマージン率一覧、及びその公開率」という記事が一番アクセス数がよく、現在までの合計PV数もこの記事だけで6000回を越えています。もっともこの記事を執筆することを猛プッシュしてきた友人などはもっとアクセス数は多くてもいいはずだと述べており、私も周りには大手紙の一面を飾ったっていい調査報道記事だと吹聴しております。
実際にこの記事は公開してから多数の応援コメントが寄せられており、また直接私のメールアドレス宛てにも記事内容を評価していただけるメールが何件か送られてもいます。理想を言えば国会審議でちょうど今話題になりつつある派遣校の改正でこのマージン率の公開もやり玉に挙がってくれると、このブログもアクセス数が増えて一石二鳥なのになぁという気持ちはありますが。
私は直接派遣労働に関して何か運動とか起こすつもりはなく、というかそもそも派遣労働者でもないんだからそういうことをやろうってのは筋違いだと考えております。ただ派遣の制度自体は社会全体で見直す、設計し直す必要があると思って、派遣労働者の方々にとって武器となるようなデータを作ってみたら面白そうという動機でもってこの調査記事をまとめました。
調査、記事内容はともに私自身も納得の出来となり、公開後の反応もはっきり言って悪くありませんでした。ただ個人ブログであることからどれだけ日の目を浴びるのかというのが問題で、友人からのすすめもあってこの記事に関してはほかのメディアに対していくつか売り込みをかけていました。
最初に売り込んだのは友人がプッシュしてきた「マイニュースジャパン」というネットメディアで、一回メールを送ったら無視されてなんやねんと思いましたが友人が「メールに気付いてないだけかも」というのでもう一回送ったところ返事があり、向こうの方でもこのネタで記事化していただくこととなりました。
ただ記事化と言っても、マイニュースジャパンさんの方では「大手派遣企業のマージン率公開が微妙」というテーマでもって記事化しており、私が調査して集めた公開率や平均マージン率などのデータは一切引用してもらえませんでした。私としてはマージン率公開に後ろ向きな大手企業は批判するのはもっともだと思うものの、それ以上に平均マージン率という数字が一番ニュースな内容だと考えていただけにいくらか記事の方向性に違いを覚えました。まぁ売り込んでおきながらあれこれ文句言うのは筋違いかもという気はしますが。
こんな具合でマイニュースジャパンさんとはしっくりくるコラボレーションが出来なかったので、今度は同じネットメディアの「ジェイキャスト」に売り込みメールを送ったらこっちは完全になしのつぶてでした。それならとばかりに一番こういう問題に熱心そうだと見えた日本共産党の機関紙こと「しんぶん赤旗」に売り込んだところ、メールは編集担当に回しておいたという返事があっただけでその後は何のアクションもありませんでした。
ジェイキャストはともかくとして赤旗のこの反応は正直意外でした。メディアの性格的にも一番食らいつきそうなネタだし、私の調査データも追証可能な物だから扱うに当たって問題はないと思ってただけに、日系メディアは案外冷淡なんだなぁとこの時つくづく感じました。自分なんか記者時代、読者からくるクレームにも一つ一つきちんと返信してたってのに。
なお売り込みメールは上記のメディアにしか送っておらず、大手メディアには一切送っていません。理由はちょっと調べればわかるでしょうが、送ってもどうせ記事化しないだろうという確信があったからです。多分世論が大きくなれば報じるでしょうが、私だけのアクションでは決して動くことはないでしょう。
最後にこの記事にまつわる裏エピソードをもう一つ。この記事がそこそこいいアクセスを集めるもんだから時折合計PV数をチェックし続けていたところ、一つの妙な事実に気が付きました。その事実というのも、前後の記事も並行してPV数が高いということです。
恐らくリンクか何かを踏んでこの記事を読んだ方が、「この筆者はほかにどんな記事を書いているんだろう?」と前後の記事を一緒にチェックするからではないかと思うのですが、後ろの記事は「派遣企業調査記事の執筆後記」といって実質的にマージン率記事の続きだからまだいいものの、前の記事はこれらとは全く関係なく、私の後輩の声がゲーム「バイオハザード2」に出てくる豆腐の声によく似ているということを書いた「後輩の声(宝塚イントネーション)について」という、ほんとにどうでもいい内容の記事でした。
時間が経った記事は通常、PV数は100回前後で頭打ちする傾向にあるのですが、何故か先程の後輩の声に関する記事は現時点で294回と明らかに通常の記事よりアクセス数を稼いでおります。「なんで俺はむやみやたらに後輩の声を世間にPRしてんだろ……」などと、このところのPV数を見ていて複雑に感じます。
そういうくだらない事情は置いといて本題に入りますが、現在私のブログでは今年1月にアップした「人材派遣企業各社のマージン率一覧、及びその公開率」という記事が一番アクセス数がよく、現在までの合計PV数もこの記事だけで6000回を越えています。もっともこの記事を執筆することを猛プッシュしてきた友人などはもっとアクセス数は多くてもいいはずだと述べており、私も周りには大手紙の一面を飾ったっていい調査報道記事だと吹聴しております。
実際にこの記事は公開してから多数の応援コメントが寄せられており、また直接私のメールアドレス宛てにも記事内容を評価していただけるメールが何件か送られてもいます。理想を言えば国会審議でちょうど今話題になりつつある派遣校の改正でこのマージン率の公開もやり玉に挙がってくれると、このブログもアクセス数が増えて一石二鳥なのになぁという気持ちはありますが。
私は直接派遣労働に関して何か運動とか起こすつもりはなく、というかそもそも派遣労働者でもないんだからそういうことをやろうってのは筋違いだと考えております。ただ派遣の制度自体は社会全体で見直す、設計し直す必要があると思って、派遣労働者の方々にとって武器となるようなデータを作ってみたら面白そうという動機でもってこの調査記事をまとめました。
調査、記事内容はともに私自身も納得の出来となり、公開後の反応もはっきり言って悪くありませんでした。ただ個人ブログであることからどれだけ日の目を浴びるのかというのが問題で、友人からのすすめもあってこの記事に関してはほかのメディアに対していくつか売り込みをかけていました。
最初に売り込んだのは友人がプッシュしてきた「マイニュースジャパン」というネットメディアで、一回メールを送ったら無視されてなんやねんと思いましたが友人が「メールに気付いてないだけかも」というのでもう一回送ったところ返事があり、向こうの方でもこのネタで記事化していただくこととなりました。
ただ記事化と言っても、マイニュースジャパンさんの方では「大手派遣企業のマージン率公開が微妙」というテーマでもって記事化しており、私が調査して集めた公開率や平均マージン率などのデータは一切引用してもらえませんでした。私としてはマージン率公開に後ろ向きな大手企業は批判するのはもっともだと思うものの、それ以上に平均マージン率という数字が一番ニュースな内容だと考えていただけにいくらか記事の方向性に違いを覚えました。まぁ売り込んでおきながらあれこれ文句言うのは筋違いかもという気はしますが。
こんな具合でマイニュースジャパンさんとはしっくりくるコラボレーションが出来なかったので、今度は同じネットメディアの「ジェイキャスト」に売り込みメールを送ったらこっちは完全になしのつぶてでした。それならとばかりに一番こういう問題に熱心そうだと見えた日本共産党の機関紙こと「しんぶん赤旗」に売り込んだところ、メールは編集担当に回しておいたという返事があっただけでその後は何のアクションもありませんでした。
ジェイキャストはともかくとして赤旗のこの反応は正直意外でした。メディアの性格的にも一番食らいつきそうなネタだし、私の調査データも追証可能な物だから扱うに当たって問題はないと思ってただけに、日系メディアは案外冷淡なんだなぁとこの時つくづく感じました。自分なんか記者時代、読者からくるクレームにも一つ一つきちんと返信してたってのに。
なお売り込みメールは上記のメディアにしか送っておらず、大手メディアには一切送っていません。理由はちょっと調べればわかるでしょうが、送ってもどうせ記事化しないだろうという確信があったからです。多分世論が大きくなれば報じるでしょうが、私だけのアクションでは決して動くことはないでしょう。
最後にこの記事にまつわる裏エピソードをもう一つ。この記事がそこそこいいアクセスを集めるもんだから時折合計PV数をチェックし続けていたところ、一つの妙な事実に気が付きました。その事実というのも、前後の記事も並行してPV数が高いということです。
恐らくリンクか何かを踏んでこの記事を読んだ方が、「この筆者はほかにどんな記事を書いているんだろう?」と前後の記事を一緒にチェックするからではないかと思うのですが、後ろの記事は「派遣企業調査記事の執筆後記」といって実質的にマージン率記事の続きだからまだいいものの、前の記事はこれらとは全く関係なく、私の後輩の声がゲーム「バイオハザード2」に出てくる豆腐の声によく似ているということを書いた「後輩の声(宝塚イントネーション)について」という、ほんとにどうでもいい内容の記事でした。
時間が経った記事は通常、PV数は100回前後で頭打ちする傾向にあるのですが、何故か先程の後輩の声に関する記事は現時点で294回と明らかに通常の記事よりアクセス数を稼いでおります。「なんで俺はむやみやたらに後輩の声を世間にPRしてんだろ……」などと、このところのPV数を見ていて複雑に感じます。
2015年6月9日火曜日
ダイエー・松下戦争
私より上の世代ならお馴染みかもしれませんが私より下の世代ならせいぜい私と冷凍たこ焼き大好きな友人くらいしか知らないと思うので、今日は一つ昔話としてダイエー・松下戦争を紹介します。
・ダイエー・松下戦争(Wikipedia)
この戦争は1964年から1994年の足かけ30年に渡ってダイエーと松下(現パナソニック)との間でテレビ販売の取扱いを巡り繰り広げられた戦争を指します。何気に30年という期間といい、片方の親玉の死去により集結したことといい、ドイツ三十年戦争といろいろ被ります。
この戦争の始まりはダイエー側から松下側への侵略ともいうべき交渉から始まります。当時、松下は自社製テレビをいわゆる「ナショナルのお店」と言われた特約店にのみ卸していたのですが、その特約店に対しては小売価格を統制し、実質的に生産から卸売、小売までのサプライチェーンを垂直統合しておりました。
そもそも松下は日本の家電メーカーとしては技術力や開発力が特段優れていたわけではなく、この点で言えばむしろソニーや三洋の方が大きく上回っていたでしょう。にもかかわらず何故松下は日本一の家電メーカーとなり得たのかというと、商品の供給を条件に上記の特約店を厳しく管理し、価格の下落を防いできたからです。このサプライチェーンの統制こそが松下幸之助の代表的な経営手法と言えるでしょう。
こうした幸之助の牙城に対し切り崩しにかかったのがほかでもなくダイエーの中内功でした。中内は松下がテレビの販売に当たって許容していた希望小売価格の値下げ範囲の15%を超える20%引きで販売しようとしたところ、この動きを懸念した松下はダイエーに対してテレビの供給をストップさせました。そしたら今度はダイエーが松下のやり方は独占禁止法違反だとして裁判所に訴えだし、両者の関係は泥沼へと向かいます。
ダイエー側はあくまでもいい商品を安く提供するという「消費者の利益」を主張したのに対し、価格を維持して適正な利潤を上げることによって特約店との「共存・共栄」を主張し、議論は平行線を辿ります。両社のトップは何度か直談判して和解策を探ったものの、結局どちらも折れることなく対立は続き、1970年にダイエーがプライベートブランドで13インチのカラーテレビを当時としては破格値である59800円で売り出したことによってより先鋭化していきました。
最終的に両社が和解したのは幸之助が没した後の1994年で、ダイエーが松下と取引のある小売会社を買収して取引を再開するようになり、結果論で言えば松下が折れてダイエーが勝利したと言えるのがこの戦争の結末です。
この30年戦争によって何が起こったのかというと、最も大きいのはなんといっても家電メーカーと小売店の立場の逆転でしょう。先程も書いたように以前はメーカーである松下が商品の価格決定権を持っており、これに逆らう小売店には商品供給をストップさせることで締めだすことが出来ました。しかしダイエーが風穴を開けて以降、価格決定権は小売店、並びに消費者が持つに至り、メーカー側はむしろ小売店に頼み込んで商品を置いてもらわないと売上げが立たなくなるほど立場が弱くなりました。
実際、現代において小売と家電メーカーでは小売側が圧倒的に力が強くなっており、大手家電量販店が新店舗をオープンさせる際は家電メーカーの営業社員を雑用として無賃で働かせるという例もよく報告されており、ネットなどで見ていても小売側から出される無理難題にメーカー営業社員が泣かされるという話を目にします。
そのように考えるとこのダイエー・松下戦争は現在のサプライチェーン間における立場の逆転を決定づける象徴的な事件だったのではないかと思え、なかなかに無視できない大きな事件だったようにこの頃思います。ただ仮にこの事件がなくともグローバル化によって現代のような趨勢は起きていた、言うなればダイエーがいなくてもいずれこのようになったと思いはしますが。
最後にもう一つだけ付け加えると、一時期は猛威を振るった家電量販店も近年はネット販売の普及によって最大手のヤマダ電機を筆頭に苦戦が続いていると報じられています。所変われば時代は変わるもんで、恐らくこの流れは今後も続くでしょう。これに対して家電メーカー側は米アップルの様に強力なブランド力を持つか、自らネット販売のサプライチェーンをうまく構築できなければますますフェードアウトすると私は見ており、BTOパソコンの様にBTO洗濯機やBTO冷蔵庫を作るベンチャーも現れるんじゃないかと密かに期待してます。
・ダイエー・松下戦争(Wikipedia)
この戦争は1964年から1994年の足かけ30年に渡ってダイエーと松下(現パナソニック)との間でテレビ販売の取扱いを巡り繰り広げられた戦争を指します。何気に30年という期間といい、片方の親玉の死去により集結したことといい、ドイツ三十年戦争といろいろ被ります。
この戦争の始まりはダイエー側から松下側への侵略ともいうべき交渉から始まります。当時、松下は自社製テレビをいわゆる「ナショナルのお店」と言われた特約店にのみ卸していたのですが、その特約店に対しては小売価格を統制し、実質的に生産から卸売、小売までのサプライチェーンを垂直統合しておりました。
そもそも松下は日本の家電メーカーとしては技術力や開発力が特段優れていたわけではなく、この点で言えばむしろソニーや三洋の方が大きく上回っていたでしょう。にもかかわらず何故松下は日本一の家電メーカーとなり得たのかというと、商品の供給を条件に上記の特約店を厳しく管理し、価格の下落を防いできたからです。このサプライチェーンの統制こそが松下幸之助の代表的な経営手法と言えるでしょう。
こうした幸之助の牙城に対し切り崩しにかかったのがほかでもなくダイエーの中内功でした。中内は松下がテレビの販売に当たって許容していた希望小売価格の値下げ範囲の15%を超える20%引きで販売しようとしたところ、この動きを懸念した松下はダイエーに対してテレビの供給をストップさせました。そしたら今度はダイエーが松下のやり方は独占禁止法違反だとして裁判所に訴えだし、両者の関係は泥沼へと向かいます。
ダイエー側はあくまでもいい商品を安く提供するという「消費者の利益」を主張したのに対し、価格を維持して適正な利潤を上げることによって特約店との「共存・共栄」を主張し、議論は平行線を辿ります。両社のトップは何度か直談判して和解策を探ったものの、結局どちらも折れることなく対立は続き、1970年にダイエーがプライベートブランドで13インチのカラーテレビを当時としては破格値である59800円で売り出したことによってより先鋭化していきました。
最終的に両社が和解したのは幸之助が没した後の1994年で、ダイエーが松下と取引のある小売会社を買収して取引を再開するようになり、結果論で言えば松下が折れてダイエーが勝利したと言えるのがこの戦争の結末です。
この30年戦争によって何が起こったのかというと、最も大きいのはなんといっても家電メーカーと小売店の立場の逆転でしょう。先程も書いたように以前はメーカーである松下が商品の価格決定権を持っており、これに逆らう小売店には商品供給をストップさせることで締めだすことが出来ました。しかしダイエーが風穴を開けて以降、価格決定権は小売店、並びに消費者が持つに至り、メーカー側はむしろ小売店に頼み込んで商品を置いてもらわないと売上げが立たなくなるほど立場が弱くなりました。
実際、現代において小売と家電メーカーでは小売側が圧倒的に力が強くなっており、大手家電量販店が新店舗をオープンさせる際は家電メーカーの営業社員を雑用として無賃で働かせるという例もよく報告されており、ネットなどで見ていても小売側から出される無理難題にメーカー営業社員が泣かされるという話を目にします。
そのように考えるとこのダイエー・松下戦争は現在のサプライチェーン間における立場の逆転を決定づける象徴的な事件だったのではないかと思え、なかなかに無視できない大きな事件だったようにこの頃思います。ただ仮にこの事件がなくともグローバル化によって現代のような趨勢は起きていた、言うなればダイエーがいなくてもいずれこのようになったと思いはしますが。
最後にもう一つだけ付け加えると、一時期は猛威を振るった家電量販店も近年はネット販売の普及によって最大手のヤマダ電機を筆頭に苦戦が続いていると報じられています。所変われば時代は変わるもんで、恐らくこの流れは今後も続くでしょう。これに対して家電メーカー側は米アップルの様に強力なブランド力を持つか、自らネット販売のサプライチェーンをうまく構築できなければますますフェードアウトすると私は見ており、BTOパソコンの様にBTO洗濯機やBTO冷蔵庫を作るベンチャーも現れるんじゃないかと密かに期待してます。
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