2015年6月9日火曜日

ダイエー・松下戦争

 私より上の世代ならお馴染みかもしれませんが私より下の世代ならせいぜい私と冷凍たこ焼き大好きな友人くらいしか知らないと思うので、今日は一つ昔話としてダイエー・松下戦争を紹介します。

ダイエー・松下戦争(Wikipedia)

 この戦争は1964年から1994年の足かけ30年に渡ってダイエーと松下(現パナソニック)との間でテレビ販売の取扱いを巡り繰り広げられた戦争を指します。何気に30年という期間といい、片方の親玉の死去により集結したことといい、ドイツ三十年戦争といろいろ被ります。

 この戦争の始まりはダイエー側から松下側への侵略ともいうべき交渉から始まります。当時、松下は自社製テレビをいわゆる「ナショナルのお店」と言われた特約店にのみ卸していたのですが、その特約店に対しては小売価格を統制し、実質的に生産から卸売、小売までのサプライチェーンを垂直統合しておりました。
 そもそも松下は日本の家電メーカーとしては技術力や開発力が特段優れていたわけではなく、この点で言えばむしろソニーや三洋の方が大きく上回っていたでしょう。にもかかわらず何故松下は日本一の家電メーカーとなり得たのかというと、商品の供給を条件に上記の特約店を厳しく管理し、価格の下落を防いできたからです。このサプライチェーンの統制こそが松下幸之助の代表的な経営手法と言えるでしょう。

 こうした幸之助の牙城に対し切り崩しにかかったのがほかでもなくダイエーの中内功でした。中内は松下がテレビの販売に当たって許容していた希望小売価格の値下げ範囲の15%を超える20%引きで販売しようとしたところ、この動きを懸念した松下はダイエーに対してテレビの供給をストップさせました。そしたら今度はダイエーが松下のやり方は独占禁止法違反だとして裁判所に訴えだし、両者の関係は泥沼へと向かいます。

 ダイエー側はあくまでもいい商品を安く提供するという「消費者の利益」を主張したのに対し、価格を維持して適正な利潤を上げることによって特約店との「共存・共栄」を主張し、議論は平行線を辿ります。両社のトップは何度か直談判して和解策を探ったものの、結局どちらも折れることなく対立は続き、1970年にダイエーがプライベートブランドで13インチのカラーテレビを当時としては破格値である59800円で売り出したことによってより先鋭化していきました。
 最終的に両社が和解したのは幸之助が没した後の1994年で、ダイエーが松下と取引のある小売会社を買収して取引を再開するようになり、結果論で言えば松下が折れてダイエーが勝利したと言えるのがこの戦争の結末です。

 この30年戦争によって何が起こったのかというと、最も大きいのはなんといっても家電メーカーと小売店の立場の逆転でしょう。先程も書いたように以前はメーカーである松下が商品の価格決定権を持っており、これに逆らう小売店には商品供給をストップさせることで締めだすことが出来ました。しかしダイエーが風穴を開けて以降、価格決定権は小売店、並びに消費者が持つに至り、メーカー側はむしろ小売店に頼み込んで商品を置いてもらわないと売上げが立たなくなるほど立場が弱くなりました。
 実際、現代において小売と家電メーカーでは小売側が圧倒的に力が強くなっており、大手家電量販店が新店舗をオープンさせる際は家電メーカーの営業社員を雑用として無賃で働かせるという例もよく報告されており、ネットなどで見ていても小売側から出される無理難題にメーカー営業社員が泣かされるという話を目にします。

 そのように考えるとこのダイエー・松下戦争は現在のサプライチェーン間における立場の逆転を決定づける象徴的な事件だったのではないかと思え、なかなかに無視できない大きな事件だったようにこの頃思います。ただ仮にこの事件がなくともグローバル化によって現代のような趨勢は起きていた、言うなればダイエーがいなくてもいずれこのようになったと思いはしますが。

 最後にもう一つだけ付け加えると、一時期は猛威を振るった家電量販店も近年はネット販売の普及によって最大手のヤマダ電機を筆頭に苦戦が続いていると報じられています。所変われば時代は変わるもんで、恐らくこの流れは今後も続くでしょう。これに対して家電メーカー側は米アップルの様に強力なブランド力を持つか、自らネット販売のサプライチェーンをうまく構築できなければますますフェードアウトすると私は見ており、BTOパソコンの様にBTO洗濯機やBTO冷蔵庫を作るベンチャーも現れるんじゃないかと密かに期待してます。

2 件のコメント:

  1. 片倉(焼くとタイプ)2015年6月10日 7:06

    家電量販店が amazon等ネット通販は不当廉売して我々の客を奪っている と文句を言っていますが、
    それはかつて家電量販店自身が街の電気屋さんに対して行ってきたことでもあるんですよね。

    松下幸之助といえばコンピューターとの関わりがあります。 「コンピューターなんか不要、そろばん
    で十分」 「「コンピューターが世に出てから先の予測がしづらくなった」と発言しています。
    どうも松下幸之助とは相性が悪かったようです。

    そのコンピューターの発達は、金融緩和と結び付き、新興国でも工業生産を可能にしました。
    それは、家電製品を日本メーカー製よりもずっと安く生産できることを意味し、これによって
    松下(に限らず、日本メーカー)は苦戦するようになりました。

    松下幸之助は幸か不幸か、パソコンの普及と新興国の台頭の直前に亡くなり、その後の日本メーカー
    の苦境をみずにすみました。
    もし松下幸之助がもう少し長生きしておたら、3DOリアルの大失敗を見て パソコン(ソフトウェア)の
    重要性に気づいたかもしれないですね

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    1.  こう言ってはなんですが松下幸之助はいい時期に死んだのではと自分は考えています。なんせ90年代から家電の概念変わったし、グローバル競争も始まるしで、うまいこと波に乗り切ったのはソニー位だったような気がします。最近はソニーもそうでもないけど。
       ちょうどこの記事に出てきた対抗馬の中内功なんてその後は完全に経営者としての感覚を失ってダイエーも破綻の憂き目に遭っています。幸之助も、長生きしてたら中内功のような道を辿ってたのではという気がしないでもありません。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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