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2016年1月8日金曜日

世界の王貞治を殴り倒した男

 先日も取り上げましたが半藤一利氏と加藤陽子氏の「昭和史裁判」という対談本をこの前読み終えたのですが、全体の内容の面白さもさることながら中に一つ、とんでもない話が混ざっておりました。

 その話は半藤氏が語りだした内容なのですが、戦前の日本では中国人をいくらか舐めて見ていたということについて話し、なんでも半藤氏が子供のころ住んでいた地域にあの「世界の王」こと王貞治氏も住んでいたそうです。年齢は半藤氏の方が一回り上だったのですが地域で他の子どもと遊んでいると、「一緒に混ぜて」と幼い王氏が寄ってきたそうです。なので一緒に相撲取って遊んだそうなのですが半藤氏曰く、「小っちゃい癖に足腰がやっぱ強かった」そうで将来を予感させるような子供だったそうですが、相撲の取り方が押し相撲一辺倒だったのが半藤氏には気に食わず、

「相撲ってのは相手が押したら引き、引いたら押すという駆け引きが重要なんだ。お前のようなチャンコロはそんなこともわからないのか!」

 といって、思いっきり引っぱたいたそうです。っていうか当時の風潮を紹介するためとはいえこういう話を今の時代にする半藤氏も凄いと思いますが。なお後年、半藤氏は王氏と直接会う機会があったそうですが「幸い」にも向こうはこの時のことを覚えていなかったそうです。もっとも覚えていたら会ってくれなかったでしょうが。

2016年1月7日木曜日

中国の照明は何故暗い

 また忙しいこともあって(主にパズドラ)手抜きな記事ですが、中国の照明はどこ行っても暗いことが多いです。特に暗いのは住宅で賃貸で引っ越すとどこも暗くて、「全然みえへんがな」と何故か関西弁で愚痴が出てくるほどです。これは何も私が入る部屋だけじゃなく中国の住宅一般に言えることで、この前私が入っているサイクリング部内でも話題となりみんなして、「暗いよなぁ」と共感し合いました。

 何故暗いのか、一つは照明のタイプが電球ばかりで日本でよくある蛍光灯タイプが少ないということ、二つに取り付けられている電球の明度が明らかに低くて光源が弱いということに尽きます。実際、明るい照明が取り付けられているところはそこそこ明るいのですが、私が前いた部屋なんて電気つけてるのに薄暗過ぎて、「俺、目がまた悪くなったのかな?」と本気で錯覚しました。明るいところ行ったらちゃんと見えるのでまだ目は大丈夫でしょう。
 住宅だけでなく商業施設でも暗いところは多い、というか平均的に暗く、変な話ですが私なんて日本に一時帰国するとどこも照明が眩しすぎて、「何で日本はこんなに明るいんだよ」と標準語で洩らします。作ってるわけでなく、こういう時は何故か標準語が出てきます。

 そんな私に言わせるなら、確かに中国は照明が暗すぎると思いますが、逆に日本は照明が明るすぎるのではと思うところがあります。中国なんて街灯(あっても暗い)がほとんどない所も珍しくなく夜になると窓から見る景色は大都市でも比較的暗いのですが、日本だと自販機ですら煌々と光り輝いているためみんなが寝静まる時刻にしては明るすぎる、もう少し暗い方が返って体にいいのではと思う節があります。さすがに日本でも田舎行ったら違いますが、なんというか闇が全く感じられないのも変な話です。

 なお通常生活する上では中国の暗い照明でもそんな苦労しませんが、パソコン周りはさすがに暗すぎると画面も見え辛ければキーボードも打ち辛いのでよくありません。暗いからといって画面の明るさを上げると暗い中で輝きだすのでむしろ見え辛いというか目が痛くなります。
 なので昔から中国でパソコン使う時は勉強机よろしく、学習机に付けるような蛍光灯を備えさせています。今使っているのは表面が赤い蛍光灯でそこそこ気に入ってますが、安物がたくさんあるのはいいけどもうちょっとデザイン性効かせた大人が使っても格好いい蛍光灯とかないかなとなんだか今日思いました。

2016年1月5日火曜日

老人の体力について書いた記事

 昨年末、また知り合いというか以前メールでやり取りした中国人の記者から質問があり、この前中国は国民の健康・体力の測定調査結果を出したが日本で似たようなものはあるのか、あるのならばその歴史と目的などについて記事を書いてほしい、もちろん中国語でという依頼があり、二つ返事で引き受けることにしました。今回は締切が依頼から二日後の午前中でしたが幸いにして時間がありたっぷり時間をかけて調べた上で最初に日本語で、引き続いて中国語で記事を書いて確か894文字の記事に仕立てて送ったと思います。後1文字削れば「893」な文字数だったのにってのを覚えてるし。

 書いた内容としては中国では4年に一度だが日本では1964年以降毎年行っており、でもって中国は基準体力というのがあって合格率が何%か世代別、地方別に出しているが日本はそんなのはないものの、中国と同じでどこの地域の子供が運動能力高いのか、平均越えしているのかに注目するっていうのをまとめました。ただこれだけの内容だとなんか捻りないなと思って、記事の趣旨自体が日本人から見た日本紹介、そして日中の違いだと思ったので、私個人の視点にやや偏ったかもしれませんが、「日本では子供の体力以上に老人の体力についてこのところ注目が増している」という内容を付け加えました。

 これはどういう事かというと、文部科学省が実施している「体力・運動能力調査」の前回発表では70歳以上の老人の体力が過去最高を記録したということが報じられていたのを覚えており、なんとなくですが今の日本は子供以上に老人の体力、そして体力向上に関心が高いからではないかと思ったからです。念のために関連するキーワードでいくつか検索してみたところ実際に同調査では子供の体力がどう変化したかより老人の体力について書かれたニュース記事が多く見つかり、またどういう運動が効果的なのか、週どれくらいの運動が健康にいいかなどといったコメントも見つかり、少なくとも独りよがりの意見ではないだろうと考えこうした内容を紹介するように記事へ入れ込みまいsた。

 その上で、どうして日本人が老人の体力変化を気にして、また政府も盛んに老人の健康維持方法を紹介したりするのかというと少子高齢化が背景にあると説明し、日本はじきに老人でいっぱいになるからなるべく介護などに手間取られないよう老人全体の体力向上が国家として急務な課題である上、老人ではない成人も自分たちが老いた時に自由に動けられるかを気にする人が多い(うちの親父のように)から関心が高まっていると書きました。でもって最後に、「何故年取った時に自分で自由に動けられるのかを気にするのかというと、彼らが老人になる頃には彼らを助けてくれる若者が日本でほとんどいなくなっているからだ」という皮肉聞かせた一文でまとめて、原稿を送信しました。

 全体的に皮肉っぽい内容になったなと思いつつも、意外と的確に事実を突いた一言だったかもしれないと最後の一文については後から思えてきました。私が述べたようにこれからも老人は増えるし、その一方で老人を支える若者は減っていって、老人となる人は若い人に助けてもらうことは人数的に不可能となることが目に見えており、まさに自分の身は自分で支えるしかない時代が来る気がします。政府もある程度それがわかっているから暗に自助努力してもらうよう健康維持についてこのところ広報が増えているようにも見え、恐らく今後も増え続けるでしょう。
 私としては自助努力っていうのがアメリカっぽく感じるだけに別にいいんじゃないって気がしますが、果たしてほかの日本人はどう思うか、それこそさっきの私の一言をぶつけてみれば反応がわかるかもしれないとか思ったりもしました。ただ真面目な話、もはやこの未来は不可避であると私は考えているだけに心配であるなら今からなら遅くないから健康を維持することに注力したらどうかというのが、海外で暴れ回って「花園さんの体力パネェ」って後輩に言われ続ける私からの提案だったりします。

2016年1月3日日曜日

日独伊三国同盟が結ばれた背景

 先日、「昭和史裁判」(文春文庫)という半藤一利氏と加藤陽子氏の対談本を購入して読みました。この本は戦争史となると軍人ばかりが取り上げられるのに対して文官はどうか、具体的には広田弘毅、近衛文麿、松岡洋右、木戸幸一、○○○○の五人が戦争前、戦争中にどのような行動を取ってどれだけ戦争責任があったのかを整理していくというものでなかなか面白かったです。
 ただこの本の中で私が一番注目したというかなるほどと感じさせられたのはほかでもなく、見出しに掲げた日独伊三国同盟がどうして結ばれたのか、何故日本が参加したのかという背景について得心がいく説明がなされていた部分です。

日独伊三国同盟(Wikipedia)

 日独伊三国同盟についてはもはや説明不要で、いわゆる二次大戦における枢軸国側の中心三ヶ国の間で結ばれた軍事同盟です。この同盟、そして反同盟側の構造は終戦まで変わらず、事実上世界の大戦構造を決定づけた同盟だったと言っても十分でしょう。
  そんな歴史的にも意義深い同盟を日本はどのような背景で結んだのか、また狙いはなんだったのかという動機についてWikipediaでは以下のように記述されています。

「既に日中戦争で莫大な戦費を費やしていた日本は、蒋介石政権を支援するアメリカと鋭く対立していた。 日本政府は日独伊防共協定を強化してドイツと手を結び、アメリカを牽制することで、日中戦争を有利に処理しようとしていた。また日本がアジア太平洋地域の英仏蘭の植民地を支配することを、事前にドイツに了解させる意図もあった。実際、外務事務当局が起案した「日独伊提携強化案」には、前述した地域が日本の生存圏内にあることをドイツは認めるべきという趣旨のことが明記されている。」

 私が高校時代に教えられた内容としては上記記述にある冒頭の、「米国への牽制」が大きな理由だと説明されました。しかし当時の私としては何故ドイツと手を結ぶことが米国への権勢につながるのか、そもそも日本とドイツじゃ距離がありすぎて共同戦線を張ることもできないのではなどと少なからず疑問に感じました。まさか太平洋と大西洋から米国本土を挟撃できるわけなんかないんだし。
 一方、以前に読んだ本では米国への権勢以外にも松岡洋右は「四ヶ国同盟」を構想していたという説がありました。これは日独伊の三ヶ国にソ連を加えた四ヶ国で米英に対抗するというような内容で、少なくとも松岡洋介がこの構想を持っていたのは確かですが果たしてこれだけの理由で本当に同盟を結ぶのか、そもそも結ぶのなら初めから三ヶ国でスタートする必要なく最初からソ連も巻き込んでいるはずではなどとちょっと腑に落ちませんでした。

 まどろっこしい言い方はやめて今回読んだ内容を率直に書くと、日本は三国同盟を結んだ1940年の時点で二次大戦はもうすぐ終戦すると考えていたからという説が唱えられていました。一体これはどういう事かというと、既にフランスを陥落せしめたドイツ軍は時期に英軍も降伏に追いやり、ドイツを中心というか主役で一次大戦後のパリ講和会議のような講和会議が開かれると政府内で予想しており、その会議でアジア、特に中国大陸における権益をなるべく多く得られるよう早めに戦勝国側につく、つまりはドイツに擦り寄っておく必要があるという観点から三国同盟を結んだと書かれてありました。

 私は今まで聞いてきた三国同盟締結に関するどの説明より上記の説明が一番合点がいき、軍事的にはほとんど何も恩恵が得られないドイツと結んだということも理解できるし、また日本がこのような行動を取ったというのも一次大戦時の日英同盟という前例があったことからも十分あり得ると思えます。そしてもう一つ、他の説明に多く書かれている「米国への牽制」についてはほとんど頭になかったという指摘も合点がいきます。
 半藤氏と加藤氏も当時の政府、軍部はともに中国との戦争を如何に終結させるか、それもなるべく多くの権益込みでと考えており、蒋介石政権との交渉を打ち切った手前、講和会議に懸けるしかないという思いが強かったと指摘しています。その上で三国同盟が結ばれることによって米国側が態度を硬化させるということはほとんど想定しておらず、昭和天皇を始めとした何人かの人物は同盟締結によって米国との関係悪化を懸念したものの大半は、「これで戦争も終わる」という楽観的な考え方をしていたため締結直後に米国が日本への屑鉄禁輸措置を取ってきたことにむしろ驚いたそうです。これも状況を比較するにつけなんとなく理解できるというか、「どうしてこの程度で米国は怒り出すんだ?」という戸惑いが当時の政府幹部から見てとれます。
 もっとも米国側からすれば同盟国である英国が必死でドイツ軍と戦っているそばでドイツ側に就くんだから、そりゃ怒るに決まってるんですが。

 結局、実際の歴史では日本の目論見は崩れて英国は降伏せず、またドイツは英国に加えソ連とも開戦し、日本も日中戦争を終えることが出来ないばかりか南部仏印進駐を起こして米国との関係をより悪化させた上で開戦へと至り、敗戦へと続くこととなります。敢えて苦言を呈すならば勝ち馬に乗ろうとしたばかり情勢を読み間違えた、特に独ソ開戦を読めなかったというのは日本外交史において最も致命的な失敗だったといっても差し支えないでしょう。楽しておいしいとこどりってのはやっぱなかなかうまくいかないもんですね。

2016年1月2日土曜日

「秋水」と呼ばれた戦闘機

 昨年のある日突然、「戦闘機で戦いたいな、それもレシプロ機で」という妙な願望が持ち上がってきました。なんでこんなこと急に思いついたのか我ながら全く意味不明ですが、早速手持ちのPSVitaで遊べる範囲でそういうゲームないのか調べたところPSPの「零式艦上戦闘記2」というのが割とよさそうだったなので日本に一時帰国した際に購入、インストールしておきました。

 このゲームは二次大戦時に活躍した機体を中心に空戦や艦爆陸攻を楽しむゲームなのですが、一通りプレイしてみた感想としてはグラフィックが初代PS並に粗いのはファミコン世代に育っている私からするとそんな気にするほどではないものの、単純に操作が難しいというべきか最初プレイして投げ出したくなるくらいの難しさがちょっとアレかなぁと思いました。実際の空戦もそうなんだから文句言う方がおかしいでしょうが戦闘機同士のドッグファイトとなると敵機が射線に入るのは本当に一瞬で、撃っても撃ってもなかなか当たらないしそうこうしてたら燃料なくなるしで、慣れないうちは二度目だけど投げ出したくなりそうでした。艦爆や陸攻に至っては命中させるだけでも一苦労なのに、外すと魚雷と爆弾の補充が遅くなるというデメリットはきつ過ぎる。
 ただ慣れれば適応できないっていうレベルではなく、実際私もすべての面を一応はクリアできました。隠し機体はまだ全部出し切れていない、というか攻略サイトがほとんどないから出し方がわからないのですが、陸攻する面はB29使った絨毯爆撃すれば何とかなるとわかってから突破口は開きました。

秋水(Wikipedia)

 などと長々ゲームの説明してきましたが、このゲームに登場する機体の中で一番驚いたというか印象に残ったのが、上記リンク先で解説されている「秋水」という戦闘機です。恥ずかしながらあまりこういった航空機についてはほとんど造詣がなく「XB-70 バルキリー」という機体が格好いいなと思うだけだったのですが、この秋水に関してはゲームで登場するだに、「なんなんじゃこんか飛行機?」と変に西郷さん入った言葉が口を突いて出てきました。

 私の方で簡単に解説すると秋水とは日本で唯一製作された、プロペラではなくロケットエンジンで飛ぶロケット推進戦闘機です。史上唯一運用されたロケット推進戦闘機「メッサーシュミットMe163」をドイツが開発したことにより、当時同盟関係にあった日本はこの戦闘機の技術資料をドイツから供与してもらいました。ただその資料の大半は潜水艦で運んでいる最中に米軍によって潜水艦が撃破されたため届かず、一部の資料のみが航空機で日本側へ届けられました。
 はっきり言って「こんな飛行機もあるよ!」っていくらいしか資料なかったそうですがそこは日本御得意の創意と工夫でいろいろごまかし、なんだかんだ言いつつロケットエンジンを組み上げることはできたそうです。ただ燃やす燃料こと推進剤の開発には苦労したそうで、当時理研にいた日本で三番目の女性博士の加藤セチも開発に加わって試行錯誤を繰り返したとのことです。別に加藤さんが悪いわけじゃないんだけど、理研の女性博士というとどうしてもOBKTが頭に浮かんでしまう……。

 すったもんだの末、秋水の試作機は二機完成しましたが試験飛行で一号機は離陸はしたものの空中でエンジンが停止して墜落し、テストパイロットも救出時は息があったものの翌日亡くなっております。レシプロ機の開発においては当時としても目を見張る技術を持っていた日本の研究陣でしたがジェット機においてはその技術は全く別分野となりほとんど生かせられず、離陸から4分程度と言われる航続時間の極端な短さもあって秋水の開発は結局頓挫することとなりました。
 なお秋水について荒蒔義次陸軍少佐は、「(他の飛行機はどれもへっちゃらだけど)秋水だけは怖かった」という証言を残しております。

 さてなんでこんな秋水に私は魅せられたのかというと、一言でいえばその外観フォルムです。こちらのサイトに復元モデルの写真が載せられておりますが、まるでロケットミサイルに無理やり羽とコックピットをくっつけただけのようなやっつけなデザインぶりがかえって新鮮で、自分の感性に物凄く触れました。っていうかゲームで操作していても、飛ばしているこっちの方が見ていて不安に感じる飛行機でした。

 最後にまたゲームの話に戻ると、レシプロ機の戦闘ゲームはちょっと工夫すればすごく面白くなるような気がします。リアル志向の人には申し訳ないのですが初心者を阻んでしまう操作性の難しさをカバーする、それこそオート&追尾ロックとか、弾薬爆弾の自動補給システムとか入れたりして、もう少し入りやすいゲームを誰か作ってくれないかなと期待してます。まぁ調べたらPCゲームだといろいろあるようですが、ガンダムゲーみたいにパイロットも特徴づけた奴で遊んでみたいです。

2015年12月31日木曜日

サンドラ・ブロック女史の輝かしい栄光

 本日最後の五本目。一気に記事を連投したためか右腕に軽くしびれるような痛みが走っています。こういう感覚も久しぶりだなぁ。
 当初は「確かあと4本で300本だったはず」と思っていたら実際には5本足らなかったので、ネタは四つくらい抱えてたけど最後の子の五本目は何書こうかちょっとタイプする手が止まりました。逆に言えば先の四本はマジでノンストップで一気に書き上げたんだけど。最後はどうでもいい記事がいいなと言う風に考えたらサンドラ・ブロックが思い浮かんできたので、最終的にこの人について書くことにします。

サンドラ・ブロック(Wikipedia)

 日本でサンドラ・ブロックというと、1994年にヒットした「スピード」という映画のヒロイン役をやった女優というのが一番多い印象ではないかと思います。一発屋で終わるハリウッド俳優が多い中でこの人は実際にはその後もコンスタントに活躍を続けているのですが、生憎というかスピード以降の彼女の出演作はそんなに日本では大ヒットするものが多くなく、なんか古いイメージのまま現代に続いてきてしまっているような感があります。ちなみに自分は2009年の「幸せの隠れ場所」がこの人の出演作だと好きな方ですが、この映画はちょっと邦画タイトルで損しているなという気がします。

 この人の魅力を述べるならば、割と姉御肌、というより兄貴肌で日本で言えば杉本彩氏みたいなキャラクターを演じるのが上手い点にあると思います。スピードでもそうですが女性でありながら妙に頼りがいがあってリーダシップ満々で物事進める、でもって美人ってのがいいのだと思え、本国でもそういうキャラなのか何故か「GIRL NEXT DOOR」、邦訳するなら「隣のお姉さんにしたい人で賞」というものも受賞しています。それにしてもアメリカ人もマニアックな賞を作るもんだ。

 話は戻りますがサンドラ・ブロック自体はスピード以降もキャリアを上重ね、主要な映画賞を物にするなど役者としては大成したといえる人です。ただいくつかの受賞歴でちょっと変というか妙な記録も作っており、知ってる人には有名ですが2009年にさっき挙げた「幸せの隠れ場所」でアカデミー主演女優賞を受賞しているのですが、同年に公開された「ウルトラI LOVE YOU!」といういかにもB級臭いタイトルの映画でラズベリー賞の最低主演女優賞も獲得しており、なんと同じ年に最高と最低の女優賞をダブル受賞するという史上初の恐ろしい快挙を成し遂げちゃっています。
 しかもラズベリー賞の授賞式に普通はみんな嫌がって来ないのにこの人は何故かわざわざ来て、「てめぇらどうせこの映画見てねぇだろ!(#゚Д゚)ゴルァ!!」と言って、わざわざリヤカー引いて持ってきた映画のDVDを会場で配ったりするなど、明らかにサービス精神が満点な人のようです。

 このラズベリー賞のエピソードといい、映画で演じるキャラ同様に割と男性的でカジュアルな性格した人なんじゃないかと勝手に想像しているのですが、実は日本とも少し縁があるというか、東日本大震災の折には真っ先に100万ドルを寄付してくれています。もちろん彼女だけでなく多数のハリウッド俳優らが当時日本へ支援してくれていますが、やっぱり折に触れて思い出さなければならない恩じゃないかと個人的に思うわけです。なもんだから、彼女の出演作を見る度にこの記事ネタをちょこっと思い出してもらえればなと思い、たまにはこんな記事も書いてみました。

自分の忠の矛先

 本日四本目。

 先日書いた愛国心についての記事で私は「忠」という言葉を用いましたが、これは現代的に言い換えるなら「信念」とした方が案外適当だと思います。通常は主従関係に用いる忠ですが、「他の何よりも優先する対象への意識の深さ」という風に解釈するなら、何も主人に限って使うものではないと思えるからです。
 先の記事では「メタルギアソリッド3」で使われた、「国に忠を尽くすか、任務に忠を尽くすか」というセリフを引用しておりますが、国家への忠は紛れもない愛国心でしょう。では任務への忠は何になるか、どちらかと言えばプライドに近いものになるかもしれません。
 
 ここでそんな私の忠の矛先をを明かすと、それは間違いなく自分自身の能力と才能です。ちょうど先月にも後輩にこの意味を説明しましたが、私が生きる上で何よりも優先するのは自分の能力を最大限に発揮できる場所に自らを置くこと、そして最大限に才能を引き延ばす、自らの感覚を可能な限り広げるということを子供の頃からかなり強く意識して生きてきました。何故こんなみょうちきりんな概念を持ったのかというとナポレオンに強く影響を受け、彼が幼年学校時代に述べたとされる、「人間の最大の幸せとは、自分の能力を最大限に発揮することです」というセリフをみてまさに自分が捜していた概念はこれだと中学生くらいの頃に思いました。

 このような考えだから一般人と常識が異なるのは当たり前で、自分の力が発揮できないとわかればその場を去るし、逆に自分の感覚を広げられると感じられるものには割と率先して学ぼうとしにいきます。その行く末には何があるのか、そんなの他の人間に言われる筋合いはないと言いたいところですが無難な言い方をすると論語における、「朝に道知れば夕に死すとも可なり」といったところです。

 では普通の日本人の忠の矛先はどこなのか。家族か、会社か、生活か、お金か、日常か、世間体か。私の見方だというまでもなく最後の世間体である人が大半であるように思え、如何に集団の中で目立たず浮かず脱落せずに生きていけるか、世間で言われるモデルケースのような人生をなぞることこそが最大にして唯一の生きていく上での信条なのではないかと、皮肉っぽい言い方ですがそう思います。別にこれが悪いというつもりは全くないですが、そうじゃないというのなら何を信じて生きてるのか聞いてみたいです。それこそ名誉やお金、家族を犠牲にしてでもこれだけは欲しい、信じてたいっていう信条をです。