この前知人の家に遊びに行ったら、そこの家のビビりな猫が私を見るなり距離を置きつつ身構えてきました。怖がらせるのもよくないので放っておいたら何故か私が脱いだ靴の所に行き、私の姿を伺いつつ何故か必死になって私の靴の中の臭いを嗅いでいました。なんとなく隠れて麻薬吸ってるようにも見えて、なんか失礼な猫だなと密かに思いました。
話は本題に入りますが、イスラム系テロリストが世界各地で自爆攻撃を展開している現状についてはもはや何も説明は要らないでしょう。かつて自爆攻撃は「神風特攻隊」など日本人の専売特許という見方が世界でも強かったですが、現時点ではお株を取られたというかイスラム系テロリストの代名詞と言ってもよく、米国からクレイジーアタックと呼ばれた攻撃はもはや一般的な攻撃に成り下がったと見ることもできるかもしれません。
しかし、そもそもイスラム系テロリストは何故自爆攻撃を行うようになったのでしょうか。元々イスラム教は古いキリスト教と同様で自殺を厳しく戒めており、現実に今でも中東地域では自殺が起きても親族は自殺だとは届け出ず、病死や事故死だと役所に届けると聞きます。その甲斐あってか一部の中東諸国では自殺発生数0人という統計を出しており、社会上ではタブーというか恥の極みともとれるような態度を見せています。
それほどまでに自殺に厳しい中東のイスラム系思想グループからどうしてまた自爆攻撃が頻繁に行われようになったか、あくまで俗説の範囲を出ないものの一説として、日本人テロリストによる影響があるという説があります。
・テルアビブ空港乱射事件(Wikipedia)
私と同世代でこの事件について知ってる人間はまずいないでしょうが、一定の年齢層以上であれば忘れることなく覚えている事件だと思われます。この事件は1972年、イスラエルのテルアビブ国際空港内でイスラム系テログループから支援を受けた赤軍派(当時はまだこの組織名で名乗ってはいないが)の日本人三人が銃を乱射し、多数の市民を殺害したという事件です。襲撃を行った三人のうち二人はその場で自殺し、残る一人は警察に捕縛され現在もなお生きている岡本公三です。
聞くところというか立花隆氏によると、この事件は中東のテログループにとってかなり衝撃的なものだったそうで、自殺は教義で禁止されているものの憎い敵を攻撃するためであれば死ぬことが前提であっても許されるのだという解釈をもたらしたそうです。私はイスラムや中東方面の専門家ではないものの、教義の解釈変更という価値観の転換に着目するならばこの説は決して無理な主張ではないようにも思え、仮にそうであればイスラム系テロリストの自爆攻撃の源流は日本人テロリストの自殺的な攻撃にあったということとなります。でもってこの時の赤軍派の攻撃の源流はどこにあるかと言えば、やっぱ特攻の気風にあったのかなとも思います。
もう少し話を掘り下げると、多分私以外にこの説を主張する人はいないと思いますが戦時中に特攻攻撃が立案された背景として地味に、「爆弾三勇士」の影響が大きいのではないかと睨んでいます。この爆弾三勇士というのは1932年の第一次上海事変の折、敵陣地の鉄条網に爆弾を抱えて突っこんで自爆し突破口を開いたとされる三人の兵士のことで、当時だけでなく太平洋戦争中も殊更美談に仕立て上げられ戦時中の子供たちですら知ってて、「大きくなったら彼らの様に散るのだ」と小学生ですら言ってたそうです。これが何を意味するのかというと、太平洋戦争が始まるずっと以前から日本では自爆攻撃が奨励こそされないものの賞賛されていたという事実です。
爆弾三勇士が映画までつくられるほど持て囃されたのは自爆攻撃が攻撃手段として非常に有効だったというより、彼らの死に様が軍・国民双方の士気向上につながると判断されたからでしょう。これは特攻にも言え、対策が取られほとんど成果が上がらなくなった頃にも頑なに継続されたのも士気というか戦意高揚という目的が色濃く、冷たい言い方をすると戦果を期待するより気持ちを維持するためだけに特攻は行われ続けたという側面もあったと思います。
これは今日のイスラム系テロリストによる自爆テロについても同様で、彼らも戦果を期待するというよりは自分たち組織の戦意高揚、構成員を維持する目的で以って仕掛けているという側面が強いように思えます。根拠としては正面の敵軍に対しては行わず、戦闘とは無関係な市街地で行うことが多い点からです。
仮にこの通りであれば自爆テロで大騒ぎすることは敵を利する行為になりかねず、フランスは英雄視させないためにも自爆したテロリストの名前は一切公表しないようにすること検討しているそうですが、こうした対策は的を得ているように思えます。被害者への哀悼はもちろん必要ですが、自爆テロに対して恐怖を煽ったり、不安を感じさせるような報道はなるべく控え、このような脅しには一切屈しないしこっちは全く痛くも痒くもないのにまた馬鹿なテロリストが無駄死にしやがったみたいにあざけ笑う態度こそが有効であるかと思われます。そういう意味で自爆攻撃というのは一種の心理戦だというのが私の今日の結論です。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2016年8月16日火曜日
2016年8月15日月曜日
問題を探す力、発見する力
私は学生時代、下宿していた部屋にとにかく多くの人間を集めていつでも活発に議論できる場所にしようと画策していました。結論から言うとこれは失敗に終わり、そこそこいいメンツは集められたものの活発な議論が行われる場所かというとそこまでには至りませんでした。一体何故失敗したのか、前もって言っておくと集めた面子こと私の友人らの資質が悪かったわけではなく、むしろ優秀過ぎるという人間をかなり集められたとは自負できます。しかし見ようによっては優秀過ぎたゆえというべきか、致命的な面である能力に欠けていたから活発な議論を行え切れなかったのではと恐怖と思いました。その能力こそ見出しに掲げた、問題を探す能力の事です。
当時を思い出すと、友人が集まって私が何かしら問題提起を行ってから議論へと発展していくのが常でしたが、その議論の中で友人らはみんながみんなして鋭い分析力でもって今後の方向性や解決策を見出すものの議論の発端となる問題提起は全くといいほど友人らからは出されませんでした。これが一人や二人ならともかく全員が全員そうで、議論になればそこそこ白熱するし意見もどんどん出してくるものの議論を作る問題提起は誰一人として出してくることはなく、結局私の下宿で自ら議論を吹っかけてくるような友人が出てくることはありませんでした。
当時を振り返りつつ現在と比べるとやはり自分の周囲と同年代は全体として問題提起、いやそれ以前に何が問題なのかを見つける力が極端に低い傾向があるように思えます。先程述べた友人たちの様に問題を与えてやるとそれを分析し解決策を導き出す能力には優れているものの、まずどこに欠陥がありそれがどのような悪影響を及ぼすのか、どこに根源的な問題があるのかを探し、見つけるということが全体として苦手である気がします。
もう一つ例を出しておくと、学生時代はそこそこ周囲から何にでも詳しいし聞いたら面白い答えが返ってくると見られたためかよく国際情勢について尋ねられはしたものの、なんていうかその質問のポイントがファジーというかマクロなものが非常に多かったです。「いま世界で何が問題なのか?」とか、「日本人に何が足りないのか?」とか、「必要な経済学とは?」といった、どこに問題点があるのかを尋ねる質問が今思うと圧倒的だったように思え、具体的な問題の解決策(例:年金問題の対応策など)とか既に存在する問題の背景(例:郵政関連改革の発端など)といったことについてはこっちから切り出さないとまず出てくることはなかったでしょう。
この傾向は最近のニュースを見ている限りでもあまり変わっていないように思え、たとえば憲法議論についても枝葉末節のどうでもいい所ばかり話題に上げて根本的な問題点や今すぐにでも改善しなくてはならない箇所については誰も触れようとしません。また国政全体においても、一部でツッコまれていますが借金漬けの国家財政の立て直しや年金問題について触れた政党は先の参院選ではついぞ皆無でした。
社会全体はともかくとして少なくとも私の同年代でどうして問題を発見する力が全体的に乏しいのか背景を探るとなると、やはりこの時代の教育にあるのかなという気がしてきます。具体的には与えられた課題を理解し、解答するという訓練が重視されているため課題を与えてやればコロッと説いて見せますが、課題自体を作って見つけて掘り起こすとなるとほぼ誰一人訓練を受けていないのかもしれません。それこそ哲学などの教養があればある程度はこの点もカバーできますが、私の世代は小学生くらいにオウム真理教事件が起きたことによって宗教、思想に関する議論や解説はやはり制限されていた気がします。クラスでキリスト教に被れたのも私くらいなものでしたし。
逆を言えばなんで私は学生時代、ひいては現時点においても問題の検出能力が周りより高いのかですが、一つは先程書いたように宗教的な素養がいくらか高くキリスト教を含め仏教などにも興味を持って知識を求めたこと、二つ目は出身環境的に自己の存在を常に疑わざるを得ず必然的に内省を深めていったこと、三つ目は何にでも噛みつく性格だったからではないかと考えています。ただ真面目な話、反社会的な人間の方が既存社会に対し疑いを持つから問題を探す力は受験エリートに比べて高いようには思います。解決する能力はそうでもないでしょうが。
しかし日本の企業からしたらいくら問題発見力に長けているとはいえこういった反社会的な人間はまず採用しないでしょう。だから東芝にしろ三菱自動車にしろシャープにしろ誰がどう見たってはっきりとわかる欠陥を誰も認識せず、「社内問題の解決にはPDCAサイクルで」とか抜かして何も改善してなかったんだからちゃんちゃらおかしくて笑えます。
なお「PDCAサイクル」という言葉は昔から大嫌いで、昔いたイタリアンマフィアじゃないですけど、「ぶっ殺してやるってセリフは、終わってから言うもんだぜ。俺たちギャングの世界ではな」の方がとかく行動や決断の遅い日本人に対する標語として適当であると信じています。
当時を思い出すと、友人が集まって私が何かしら問題提起を行ってから議論へと発展していくのが常でしたが、その議論の中で友人らはみんながみんなして鋭い分析力でもって今後の方向性や解決策を見出すものの議論の発端となる問題提起は全くといいほど友人らからは出されませんでした。これが一人や二人ならともかく全員が全員そうで、議論になればそこそこ白熱するし意見もどんどん出してくるものの議論を作る問題提起は誰一人として出してくることはなく、結局私の下宿で自ら議論を吹っかけてくるような友人が出てくることはありませんでした。
当時を振り返りつつ現在と比べるとやはり自分の周囲と同年代は全体として問題提起、いやそれ以前に何が問題なのかを見つける力が極端に低い傾向があるように思えます。先程述べた友人たちの様に問題を与えてやるとそれを分析し解決策を導き出す能力には優れているものの、まずどこに欠陥がありそれがどのような悪影響を及ぼすのか、どこに根源的な問題があるのかを探し、見つけるということが全体として苦手である気がします。
もう一つ例を出しておくと、学生時代はそこそこ周囲から何にでも詳しいし聞いたら面白い答えが返ってくると見られたためかよく国際情勢について尋ねられはしたものの、なんていうかその質問のポイントがファジーというかマクロなものが非常に多かったです。「いま世界で何が問題なのか?」とか、「日本人に何が足りないのか?」とか、「必要な経済学とは?」といった、どこに問題点があるのかを尋ねる質問が今思うと圧倒的だったように思え、具体的な問題の解決策(例:年金問題の対応策など)とか既に存在する問題の背景(例:郵政関連改革の発端など)といったことについてはこっちから切り出さないとまず出てくることはなかったでしょう。
この傾向は最近のニュースを見ている限りでもあまり変わっていないように思え、たとえば憲法議論についても枝葉末節のどうでもいい所ばかり話題に上げて根本的な問題点や今すぐにでも改善しなくてはならない箇所については誰も触れようとしません。また国政全体においても、一部でツッコまれていますが借金漬けの国家財政の立て直しや年金問題について触れた政党は先の参院選ではついぞ皆無でした。
社会全体はともかくとして少なくとも私の同年代でどうして問題を発見する力が全体的に乏しいのか背景を探るとなると、やはりこの時代の教育にあるのかなという気がしてきます。具体的には与えられた課題を理解し、解答するという訓練が重視されているため課題を与えてやればコロッと説いて見せますが、課題自体を作って見つけて掘り起こすとなるとほぼ誰一人訓練を受けていないのかもしれません。それこそ哲学などの教養があればある程度はこの点もカバーできますが、私の世代は小学生くらいにオウム真理教事件が起きたことによって宗教、思想に関する議論や解説はやはり制限されていた気がします。クラスでキリスト教に被れたのも私くらいなものでしたし。
逆を言えばなんで私は学生時代、ひいては現時点においても問題の検出能力が周りより高いのかですが、一つは先程書いたように宗教的な素養がいくらか高くキリスト教を含め仏教などにも興味を持って知識を求めたこと、二つ目は出身環境的に自己の存在を常に疑わざるを得ず必然的に内省を深めていったこと、三つ目は何にでも噛みつく性格だったからではないかと考えています。ただ真面目な話、反社会的な人間の方が既存社会に対し疑いを持つから問題を探す力は受験エリートに比べて高いようには思います。解決する能力はそうでもないでしょうが。
しかし日本の企業からしたらいくら問題発見力に長けているとはいえこういった反社会的な人間はまず採用しないでしょう。だから東芝にしろ三菱自動車にしろシャープにしろ誰がどう見たってはっきりとわかる欠陥を誰も認識せず、「社内問題の解決にはPDCAサイクルで」とか抜かして何も改善してなかったんだからちゃんちゃらおかしくて笑えます。
なお「PDCAサイクル」という言葉は昔から大嫌いで、昔いたイタリアンマフィアじゃないですけど、「ぶっ殺してやるってセリフは、終わってから言うもんだぜ。俺たちギャングの世界ではな」の方がとかく行動や決断の遅い日本人に対する標語として適当であると信じています。
2016年8月14日日曜日
忘れがたき映画のワンシーン
・宮城事件、玉音放送阻止へ偽命令 元近衛兵「慙愧に堪えない」(福井新聞)
本題と関係ありませんが今日目を引いたニュースです。宮城事件については「日本のいちばん長い日」を参照してもらいたいのですが、この事件の当事者がまだ存命だったということに驚愕しました。と同時に、末端の近衛兵へは定説通りに処分などなかったんだなということを確認しました。
話は本題に入りますが、少し古いですが2004年に「ヴィレッジ」という映画がありました。どういう映画かというとネタバレしたら面白さが一気になくなってしまう「シックス・センス」などと同系列の映画で、ホラーかと思ったらちょっぴり不思議なオカルトファンタジー映画だったこともあって前評判と比べての公開後の評価はそんな良くなかったと聞きます。私も見た感じ、個々に光る点は感じますがこうした評価に同意です。
そんなこの映画を何故ここで取り上げるのかですが、見終わった後も序盤のワンシーンがずっと目に焼き付いて離れないからです。それはどんなシーンかというと、ネタバレしても大丈夫な個所なので以下に紹介します。
場所は18~19世紀の農村らしき場所で朝のお祈りの後、仕事をしながらある娘が村長やってる父親に、「私、好きな人が出来たの(∀`*ゞ)エヘヘ」と打ち明けます。その相手はホアキン・フェニックスが演じる村の青年でまだ恋心を打ち明けていないことを父親に告げると、相手にその気持ちを伝えるまでほかの誰にも言っては駄目だよと諭されます。それを受けてかその村長の娘はすぐ小屋で一人で作業をしているホアキンを訪れると、
「( ・∀・)ノ<こんにちはルシアス(ホアキン演じるキャラ)、あなたにお話したいことがあるの」
「( ゚д゚)<……………」
「(*´∀`)<あなたを愛してる……愛してるのよ」
「( ゚д゚)<……………」
「( ゚∀゚)<何よりも確かな気持ち!太陽と月よりも愛してる!あなたも同じ思いならもう隠さないで!」
「( ゚д゚)<……………」
「( ゚∀゚)<愛は天の賜物よ!感謝しなくちゃ!」(段々テンションアップ)
「( ゚д゚)<……………」
「(゚∀゚)<大きな声で感謝を表すのよ、ありがとうって!」
「( ゚д゚)<……………」
「(゚∀゚)<ありがとう!ありがとう!」
「( ゚д゚)<……………」
~場面が切り替わり~
「。゚(゚´Д`゚)゚。<ウエェェェェン!」(ベッドで妹に抱かれながら)
娘役を演じるジェイン・アトキンソンの終始ハイテンションな演技に対しホアキンのやたら無表情な佇まいとの対比がなんか凄まじく、英語版で見ると「It's love!」と「Thank you!」を何度も絶叫しており、何故かこのワンシーンだけ繰り返して見ています。実際、このワンシーンだけでもこの映画は見る価値あるでしょう。
なお主人公は振られて帰ってきたお姉ちゃんを慰める盲目の妹で、この役は「ジュラシックワールド」でヒロインを演じているブライス・ダラス・ハワードがやっています。最初、「ジュラシックワールド」を見た時にどっかで見た様なと思ってましたが、この「ヴィレッジ」のヒロインと「スパイダーマン3」のグウェン・ステイシー役を演じている人でした。ヴィレッジはともかく、ほかの二作品ではかなりお色気むんむんな演じ方する人だなと個人的に見ています。
本題と関係ありませんが今日目を引いたニュースです。宮城事件については「日本のいちばん長い日」を参照してもらいたいのですが、この事件の当事者がまだ存命だったということに驚愕しました。と同時に、末端の近衛兵へは定説通りに処分などなかったんだなということを確認しました。
話は本題に入りますが、少し古いですが2004年に「ヴィレッジ」という映画がありました。どういう映画かというとネタバレしたら面白さが一気になくなってしまう「シックス・センス」などと同系列の映画で、ホラーかと思ったらちょっぴり不思議なオカルトファンタジー映画だったこともあって前評判と比べての公開後の評価はそんな良くなかったと聞きます。私も見た感じ、個々に光る点は感じますがこうした評価に同意です。
そんなこの映画を何故ここで取り上げるのかですが、見終わった後も序盤のワンシーンがずっと目に焼き付いて離れないからです。それはどんなシーンかというと、ネタバレしても大丈夫な個所なので以下に紹介します。
場所は18~19世紀の農村らしき場所で朝のお祈りの後、仕事をしながらある娘が村長やってる父親に、「私、好きな人が出来たの(∀`*ゞ)エヘヘ」と打ち明けます。その相手はホアキン・フェニックスが演じる村の青年でまだ恋心を打ち明けていないことを父親に告げると、相手にその気持ちを伝えるまでほかの誰にも言っては駄目だよと諭されます。それを受けてかその村長の娘はすぐ小屋で一人で作業をしているホアキンを訪れると、
「( ・∀・)ノ<こんにちはルシアス(ホアキン演じるキャラ)、あなたにお話したいことがあるの」
「( ゚д゚)<……………」
「(*´∀`)<あなたを愛してる……愛してるのよ」
「( ゚д゚)<……………」
「( ゚∀゚)<何よりも確かな気持ち!太陽と月よりも愛してる!あなたも同じ思いならもう隠さないで!」
「( ゚д゚)<……………」
「( ゚∀゚)<愛は天の賜物よ!感謝しなくちゃ!」(段々テンションアップ)
「( ゚д゚)<……………」
「(゚∀゚)<大きな声で感謝を表すのよ、ありがとうって!」
「( ゚д゚)<……………」
「(゚∀゚)<ありがとう!ありがとう!」
「( ゚д゚)<……………」
~場面が切り替わり~
「。゚(゚´Д`゚)゚。<ウエェェェェン!」(ベッドで妹に抱かれながら)
娘役を演じるジェイン・アトキンソンの終始ハイテンションな演技に対しホアキンのやたら無表情な佇まいとの対比がなんか凄まじく、英語版で見ると「It's love!」と「Thank you!」を何度も絶叫しており、何故かこのワンシーンだけ繰り返して見ています。実際、このワンシーンだけでもこの映画は見る価値あるでしょう。
なお主人公は振られて帰ってきたお姉ちゃんを慰める盲目の妹で、この役は「ジュラシックワールド」でヒロインを演じているブライス・ダラス・ハワードがやっています。最初、「ジュラシックワールド」を見た時にどっかで見た様なと思ってましたが、この「ヴィレッジ」のヒロインと「スパイダーマン3」のグウェン・ステイシー役を演じている人でした。ヴィレッジはともかく、ほかの二作品ではかなりお色気むんむんな演じ方する人だなと個人的に見ています。
2016年8月12日金曜日
ベラルーシに渡った松本市長
また本題と関係ありませんが最近になって初めて「きゆづきさとこ」氏という漫画家兼イラストレーターの存在を知ったのですが、これほど色使いのうまい人はかつて見たことがなく、どうして今まで自分はこの人の存在を知らなかったのだろうかと思うくらいの衝撃を覚えました。色に対する感覚が他の漫画家などと比べて根本的に何かが違うように見え、頭文字Dに例えて言うなら藤原拓海とそれ以外のような……。我ながらよくわからない例えだ。
話しは本題に入りますが、一昨日発売した文芸春秋九月号の巻頭コラムに現長野県松本市長の菅谷昭氏が寄稿していました。最初名前を見てもピンとこなかったのですが書かれている内容がチェルノブイリで影響を受け甲状腺がんを患った子供たちの話題であったことから、「この人、ベラルーシに単身で渡ったあの医者か?」と一気に記憶が揺さぶられました。読んですぐネットで調べたやはりその通りで、90年代に職を投げ打ちベラルーシへ単身で渡った医師がこの菅谷市長でした。
私が何故この事実を知っていたのかというとごく単純にテレビ番組、それも往年の人気番組の「プロジェクトX」で取り上げられていたのを見ていたからです。この番組で菅谷市長がどのように取り上げられたのかというと、医師の父親の元に生まれた菅谷市長は長じて自身も医師となり、山々にある遠隔地へ毎日徒歩で往信していた父を見習い自身も弱者に寄り添うような医師を目指していたそうです。
医師として順調な生活を送っていた菅谷氏ですが、チェルノブイリの爆発事故による放射能汚染の影響を受け、ベラルーシでは子供を中心に甲状腺がんの発症が急激に増加しているというニュースをある日知ります。甲状腺がん自体は切除手術で治療はできるものの、当時のベラルーシでは耳の後ろから顎下まで深々と切り裂いて切除する手術しかされておらず、手術を受けた子供たちは痛々しく生々しい傷跡と一生付き合っていくしかほかありませんでした。
これを見た菅谷氏は、「俺が行くしかねぇ」とばかりに当時務めていた大学を辞し、医療ボランティアとして単身でベラルーシに渡ります。渡った後しばらくは全く収入もなく手弁当でありながら、ベラルーシの子供たちに傷跡が全く残らない手術で以って治療を行い続け、現地の医師たちにその手術法を伝授していったそうです。この時の菅谷氏に私淑した現地医師の、確かゲンナジーさんだったと思いますが、その施術の正確さといい指導の細やかさといい凄い医者だと思って菅谷氏に追いつこうと自分も甲状腺がんについて海外の医学者などを取り寄せて勉強し始めたところ、甲状腺がんの主要な論文に「Akira Sugenoya」という署名がびっしり載せられているのを見て二度びっくりしたそうです。
ベラルーシ滞在中、先ほどのゲンナジーさんは勤務地が途中から菅谷氏と離れたものの休日にはわざわざ数時間車を運転してまでやってくるなどして菅谷氏への支援を続け、確かプロジェクトXのスタジオにも現れ二人で再会を喜んでいました。
菅谷氏はベラルーシで約二年間活動してから日本に戻り、その後共産党の要請を受けて松本市市長選挙に出馬して2004年に当選し、その後もずっと当然し続け既に三選を果たしています。その菅谷氏は今回の文芸春秋のコラムで、ベラルーシでは国内の子供たちに甲状腺がんの検査や治療費を国が負担していることを紹介した上でベラルーシの政府関係者から、「ベラルーシより大きな日本ではこういった国家支援をしていないのか?」と問われたことが書かれています。
関係ない立場のはずですが、正直私もこの言葉は耳に痛いと感じました。一部で報じられているものの、やはり福島原発周辺では影響を受けやすい子供の甲状腺がん発症率が高まっていると聞きますし、むしろそうでなければ不自然だと考えます。しかしこの方面の検査費、治療費に対する国や自治体の支援については何も聞かず、むしろそうした支援を行うことによる風評被害が起こるのではという懸念は耳にして、そんなことしない方がいいと思っている人の方が多いのではと思う節すらあります。
私個人の勝手な意見を述べればやはり被災地付近に置いては毎年無料で検査が行えるよう国が支援すべきではと思います。というのも治療において見つけるのは早ければ早いほどよく、また甲状腺がんは手術によりほぼ確実に治療できるからです。
最後にこのコラムの中で菅谷市長は、かつて自らが施術して今は大人になったベラルーシの子供たちから最近子供を産んだなど連絡が来ていることを明かし、こうした連絡を素直にうれしく思うということを、少し誇らしげに書いて結んであります。
自分自身がそういう性格をしているからかもしれませんが、何の支援もなく孤立無援の状態でありながら単身で飛び込んでいくような人間がことのほか好きで、野球でも野茂英雄氏のファンですが、この菅谷市長についても初めてその存在を知った時から強い尊敬の念を覚えていました。まさかその後で市長になっているとは露知らずでしたが、やはりこういう強い意志を持つ人間が社会でも大きな立場になるべくしてなる社会が望ましいものです。
話しは本題に入りますが、一昨日発売した文芸春秋九月号の巻頭コラムに現長野県松本市長の菅谷昭氏が寄稿していました。最初名前を見てもピンとこなかったのですが書かれている内容がチェルノブイリで影響を受け甲状腺がんを患った子供たちの話題であったことから、「この人、ベラルーシに単身で渡ったあの医者か?」と一気に記憶が揺さぶられました。読んですぐネットで調べたやはりその通りで、90年代に職を投げ打ちベラルーシへ単身で渡った医師がこの菅谷市長でした。
私が何故この事実を知っていたのかというとごく単純にテレビ番組、それも往年の人気番組の「プロジェクトX」で取り上げられていたのを見ていたからです。この番組で菅谷市長がどのように取り上げられたのかというと、医師の父親の元に生まれた菅谷市長は長じて自身も医師となり、山々にある遠隔地へ毎日徒歩で往信していた父を見習い自身も弱者に寄り添うような医師を目指していたそうです。
医師として順調な生活を送っていた菅谷氏ですが、チェルノブイリの爆発事故による放射能汚染の影響を受け、ベラルーシでは子供を中心に甲状腺がんの発症が急激に増加しているというニュースをある日知ります。甲状腺がん自体は切除手術で治療はできるものの、当時のベラルーシでは耳の後ろから顎下まで深々と切り裂いて切除する手術しかされておらず、手術を受けた子供たちは痛々しく生々しい傷跡と一生付き合っていくしかほかありませんでした。
これを見た菅谷氏は、「俺が行くしかねぇ」とばかりに当時務めていた大学を辞し、医療ボランティアとして単身でベラルーシに渡ります。渡った後しばらくは全く収入もなく手弁当でありながら、ベラルーシの子供たちに傷跡が全く残らない手術で以って治療を行い続け、現地の医師たちにその手術法を伝授していったそうです。この時の菅谷氏に私淑した現地医師の、確かゲンナジーさんだったと思いますが、その施術の正確さといい指導の細やかさといい凄い医者だと思って菅谷氏に追いつこうと自分も甲状腺がんについて海外の医学者などを取り寄せて勉強し始めたところ、甲状腺がんの主要な論文に「Akira Sugenoya」という署名がびっしり載せられているのを見て二度びっくりしたそうです。
ベラルーシ滞在中、先ほどのゲンナジーさんは勤務地が途中から菅谷氏と離れたものの休日にはわざわざ数時間車を運転してまでやってくるなどして菅谷氏への支援を続け、確かプロジェクトXのスタジオにも現れ二人で再会を喜んでいました。
菅谷氏はベラルーシで約二年間活動してから日本に戻り、その後共産党の要請を受けて松本市市長選挙に出馬して2004年に当選し、その後もずっと当然し続け既に三選を果たしています。その菅谷氏は今回の文芸春秋のコラムで、ベラルーシでは国内の子供たちに甲状腺がんの検査や治療費を国が負担していることを紹介した上でベラルーシの政府関係者から、「ベラルーシより大きな日本ではこういった国家支援をしていないのか?」と問われたことが書かれています。
関係ない立場のはずですが、正直私もこの言葉は耳に痛いと感じました。一部で報じられているものの、やはり福島原発周辺では影響を受けやすい子供の甲状腺がん発症率が高まっていると聞きますし、むしろそうでなければ不自然だと考えます。しかしこの方面の検査費、治療費に対する国や自治体の支援については何も聞かず、むしろそうした支援を行うことによる風評被害が起こるのではという懸念は耳にして、そんなことしない方がいいと思っている人の方が多いのではと思う節すらあります。
私個人の勝手な意見を述べればやはり被災地付近に置いては毎年無料で検査が行えるよう国が支援すべきではと思います。というのも治療において見つけるのは早ければ早いほどよく、また甲状腺がんは手術によりほぼ確実に治療できるからです。
最後にこのコラムの中で菅谷市長は、かつて自らが施術して今は大人になったベラルーシの子供たちから最近子供を産んだなど連絡が来ていることを明かし、こうした連絡を素直にうれしく思うということを、少し誇らしげに書いて結んであります。
自分自身がそういう性格をしているからかもしれませんが、何の支援もなく孤立無援の状態でありながら単身で飛び込んでいくような人間がことのほか好きで、野球でも野茂英雄氏のファンですが、この菅谷市長についても初めてその存在を知った時から強い尊敬の念を覚えていました。まさかその後で市長になっているとは露知らずでしたが、やはりこういう強い意志を持つ人間が社会でも大きな立場になるべくしてなる社会が望ましいものです。
2016年8月10日水曜日
天皇が滅多打ちにされた事件
先日の天皇陛下の生前退位について言及されられた発言については専門外ということもあって敢えてこのブログで触れませんでしたが、いい方向に議論が発展していけばいいなと陰ながら祈っています。少しだけ考えを述べると、たとえば脳死のような意識不明状態に陥った場合の皇位継承はどうなるのかなど現代医療を考慮しても皇室典範は対応する必要があり、これを機に抜本的な改革を行ってもらいたいものです。
そんなわけで天皇系の話題というか事件でも今日は書こうかなと思ったので、鎌倉時代にあった「天皇滅多打ち事件」こと「粥杖事件」について記憶を頼りに紹介しようと思います。
この事件が起きたのは鎌倉時代の後深草院がいた時代です。後深草院とは後深草天皇が引退して上皇となってからの呼び方ですが、恐らく「後深草天皇」と呼ばれることの方が実は少なかったりします。というのも承久の乱以降、鎌倉幕府の管轄下に置かれた天皇家では後鳥羽上皇系の皇族が遠ざけられたことにより傍流であった後嵯峨天皇が天皇となりますが、この後嵯峨天皇は自ら院政を行うために早々と譲位したことにより、わずか四歳の後深草天皇が誕生することとなりました。
天皇となったものの公務は上皇となった後嵯峨院が取り仕切っていたため後深草天皇はほとんど実権がなく、また父親も彼より彼の弟を寵愛したため後深草天皇にも早々の譲位を迫ったため、なんと後深草天皇は17歳で弟に譲位したことにより亀山天皇が誕生したわけですが、これがのちの南北朝の両派となるわけだから歴史ってのは面白い。
話は戻りますが人生において天皇だった期間よりも上皇だった期間のが長いことから「後深草院」と呼ばれることが多いわけで、この記事でも以後はこの名称で統一します。
そんな後深草院ですが正室以外にも色々愛人を作っており、その中の一人に「とはずがたり」の作者と言われる「後深草院二条」という女官がいました。はっきり言ってリアル源氏物語で、後深草院は二条を幼少の頃から育て上げて自らの妾にしたのですが、この後深草院との絡みを二条はみっちり細かく文書に残しており、その中に「粥杖事件」と呼ばれる話も載せられています。
当時、何かの祝日の際に女性の安産祈願としてお粥を作る時に使う杓(粥杖)でお尻を叩くという慣習があったそうです。この慣習が行われる日は女性たちは男に追いかけられながら粥杖で尻を叩かれるという、なんとなくダウンタウンの罰ゲームっぽいことをさせられていたそうです。
例年通りこの粥杖大会が行われた後、「くそぅ、いつまでもやられっぱなしだと思うなよ(# ゚Д゚)」と誰か言ったのかは定かではありませんが女官たちは集まって復讐の計画を練り、そしてそれがそのまま決行されました。
後深草院「やっほー、誘われるままに遊びに来たよー(´・ω・)」
二条たち「かかったなアホが!( ゚( ゚( ゚( ゚Д゚)ズラッ」(粥杖シャキーン)
なんてセリフが言われたか定かではありませんが、ホイホイやってきた後深草院に女官たちは寄ってたかって粥杖で滅多打ちにしたそうです。やられた当事者の後深草院自身は「ハァ、別に痛くねぇし(´;ω;`)」といって女官たちのいたずらに寛大な態度を取ったそうですが、後でこのことを知った公家のお偉方はカンカンとなって二条たちもなんかめちゃ怒られたみたいなことが「とはずがたり」の中で書かれてあり、「粥杖事件」という風に現代では呼称されています。
この事件はその内容のコミカルさもさることながら、仮にも天皇やった上皇に対して女官たちが粥杖で滅多打ちしたという事実があったことに驚きます。平安時代からこんな感じだったのか、承久の乱で負けて以降こういう風になったのかは定かではありませんが、当時は現代以上に天皇家に対してフランクな態度が取られていたのではないかと伺わせるエピソードです。
常日頃言っていますが私は現代人の天皇制への意識は明治、大正、昭和よりも江戸時代の方が近いと考えており、むしろ日本の歴史の中で明治から昭和までの時代の方が天皇制に対して特別な価値観が持たれていたと考えています。しかしこのエピソードを見るだに、鎌倉時代はもっと激しかったとも思わせられ、案外天皇制ってのは元々はずっとフランクなものだったのかもしれないなんて時たま思ってしまいます。
そんなわけで天皇系の話題というか事件でも今日は書こうかなと思ったので、鎌倉時代にあった「天皇滅多打ち事件」こと「粥杖事件」について記憶を頼りに紹介しようと思います。
この事件が起きたのは鎌倉時代の後深草院がいた時代です。後深草院とは後深草天皇が引退して上皇となってからの呼び方ですが、恐らく「後深草天皇」と呼ばれることの方が実は少なかったりします。というのも承久の乱以降、鎌倉幕府の管轄下に置かれた天皇家では後鳥羽上皇系の皇族が遠ざけられたことにより傍流であった後嵯峨天皇が天皇となりますが、この後嵯峨天皇は自ら院政を行うために早々と譲位したことにより、わずか四歳の後深草天皇が誕生することとなりました。
天皇となったものの公務は上皇となった後嵯峨院が取り仕切っていたため後深草天皇はほとんど実権がなく、また父親も彼より彼の弟を寵愛したため後深草天皇にも早々の譲位を迫ったため、なんと後深草天皇は17歳で弟に譲位したことにより亀山天皇が誕生したわけですが、これがのちの南北朝の両派となるわけだから歴史ってのは面白い。
話は戻りますが人生において天皇だった期間よりも上皇だった期間のが長いことから「後深草院」と呼ばれることが多いわけで、この記事でも以後はこの名称で統一します。
そんな後深草院ですが正室以外にも色々愛人を作っており、その中の一人に「とはずがたり」の作者と言われる「後深草院二条」という女官がいました。はっきり言ってリアル源氏物語で、後深草院は二条を幼少の頃から育て上げて自らの妾にしたのですが、この後深草院との絡みを二条はみっちり細かく文書に残しており、その中に「粥杖事件」と呼ばれる話も載せられています。
当時、何かの祝日の際に女性の安産祈願としてお粥を作る時に使う杓(粥杖)でお尻を叩くという慣習があったそうです。この慣習が行われる日は女性たちは男に追いかけられながら粥杖で尻を叩かれるという、なんとなくダウンタウンの罰ゲームっぽいことをさせられていたそうです。
例年通りこの粥杖大会が行われた後、「くそぅ、いつまでもやられっぱなしだと思うなよ(# ゚Д゚)」と誰か言ったのかは定かではありませんが女官たちは集まって復讐の計画を練り、そしてそれがそのまま決行されました。
後深草院「やっほー、誘われるままに遊びに来たよー(´・ω・)」
二条たち「かかったなアホが!( ゚( ゚( ゚( ゚Д゚)ズラッ」(粥杖シャキーン)
なんてセリフが言われたか定かではありませんが、ホイホイやってきた後深草院に女官たちは寄ってたかって粥杖で滅多打ちにしたそうです。やられた当事者の後深草院自身は「ハァ、別に痛くねぇし(´;ω;`)」といって女官たちのいたずらに寛大な態度を取ったそうですが、後でこのことを知った公家のお偉方はカンカンとなって二条たちもなんかめちゃ怒られたみたいなことが「とはずがたり」の中で書かれてあり、「粥杖事件」という風に現代では呼称されています。
この事件はその内容のコミカルさもさることながら、仮にも天皇やった上皇に対して女官たちが粥杖で滅多打ちしたという事実があったことに驚きます。平安時代からこんな感じだったのか、承久の乱で負けて以降こういう風になったのかは定かではありませんが、当時は現代以上に天皇家に対してフランクな態度が取られていたのではないかと伺わせるエピソードです。
常日頃言っていますが私は現代人の天皇制への意識は明治、大正、昭和よりも江戸時代の方が近いと考えており、むしろ日本の歴史の中で明治から昭和までの時代の方が天皇制に対して特別な価値観が持たれていたと考えています。しかしこのエピソードを見るだに、鎌倉時代はもっと激しかったとも思わせられ、案外天皇制ってのは元々はずっとフランクなものだったのかもしれないなんて時たま思ってしまいます。
2016年8月9日火曜日
日本人論は女性にも適用できるか
私はこのブログでこれまで様々な日本人論を提唱してきましたが、どれも内容についてはそこそこ自信があり、やはり中国で生活していることから日本人と中国人を比較することにより日本国内にいてはなかなか気が付かないような社会的特徴に気が付くようになっていることもあって、言われれば納得するけど言われるまでは気が付かない点を上手く突いているのではとやや得意になっています。
しかし、つい最近読んだ漫画のあるセリフを見てふとこの自信が大きく揺らぎました。その漫画というのは「渡くんのXXが崩壊寸前」というラブコメ漫画なのですが、この漫画のヒロインの片割れ(ダブルヒロイン作品)が偶然から着替えを覗いてしまった主人公の渡くんに対し、普段は自らセクシーアプローチかけてくるくせして「見せるのと見られるのは違う!」といって抗議するシーンがあります。
このシーンを読んで私は、「女って勝手なこと言うよなぁ」と思いつつ、男とは根本的に思考が違うのかもと思ったその瞬間、「待てよ、日本人論も男には当てはまっても女性には当てはまらないものもあるのでは?」と閃いたわけです。相変わらず閃く場所がおかしい気がしますが。
現実問題として日本人論、また日本人に限らず特定の国民や民族の社会的特徴を分析する際は基本的にその社会の男性が分析対象となり、その主張や説も男性を対象として提唱されます。もちろん女性をターゲットにした民族論もないわけではありませんが、「日本人論」、「中国人論」といったら基本的に「日本人男性論」、「中国人男性論」と読み取るべきでしょう。
こうした扱いはどの社会でも男性がやはり優位な立場にあることを考えれば仕方がないかと私は思うのですが、その一方で安易に「日本人論」を「日本人女性」に適用しようとしたら妙な誤解をしてしまったり、勘違いを起こす可能性も高いのではないかと今回思ったわけです。冒頭でも述べた通り性差による価値観、思考の違いは確実に存在しており、それを無視して「日本人はこういう価値観だ」といっしょくたに主張するのはやっぱり強引だと思え、その辺は分別して考えるべきではないかと言いたいわけです。
例として私がこれまでに提唱した主だった日本人論で比較すると、「日本人は相手が逆らえないとわかるや途端に狂暴になる」というのは駅員などへの暴力を見る限りやはり日本人男性を主体として捉えています。といっても、女同士のいじめは結構激しいと聞くし、また抵抗できない相手をいたぶるというのも「ガラスの仮面」とかでよく見るいじめシーンなので、これは男女両方に共通する、というより下手すりゃ日本人女性の方が顕著かもしれません。
もう一つ、「日本人は無意識の他人のスマホを盗み見たり、他人の会話を盗み聞きする癖がある」という説を私は過去に主張していますが、これは日本人男性を主体とせずに気が付いた特徴(電車乗ってて気が付いた)なので、男女差のない日本人論と堂々と言えるかもしれません。っていうよりもむしろ、盗み聞きするという点では噂話大好きな女性の方が顕著かもしれません。
(´・ω・)<……………
なんか日本人論は男性向けばかりって話をしてたつもりなのに、実際には女性の方が特徴的に顕著なことが多いような気が。仮にそうだとしたら、なんか日本人女性は嫌な特徴盛りだくさんなようにも見えて来るような……。
しかし、つい最近読んだ漫画のあるセリフを見てふとこの自信が大きく揺らぎました。その漫画というのは「渡くんのXXが崩壊寸前」というラブコメ漫画なのですが、この漫画のヒロインの片割れ(ダブルヒロイン作品)が偶然から着替えを覗いてしまった主人公の渡くんに対し、普段は自らセクシーアプローチかけてくるくせして「見せるのと見られるのは違う!」といって抗議するシーンがあります。
このシーンを読んで私は、「女って勝手なこと言うよなぁ」と思いつつ、男とは根本的に思考が違うのかもと思ったその瞬間、「待てよ、日本人論も男には当てはまっても女性には当てはまらないものもあるのでは?」と閃いたわけです。相変わらず閃く場所がおかしい気がしますが。
現実問題として日本人論、また日本人に限らず特定の国民や民族の社会的特徴を分析する際は基本的にその社会の男性が分析対象となり、その主張や説も男性を対象として提唱されます。もちろん女性をターゲットにした民族論もないわけではありませんが、「日本人論」、「中国人論」といったら基本的に「日本人男性論」、「中国人男性論」と読み取るべきでしょう。
こうした扱いはどの社会でも男性がやはり優位な立場にあることを考えれば仕方がないかと私は思うのですが、その一方で安易に「日本人論」を「日本人女性」に適用しようとしたら妙な誤解をしてしまったり、勘違いを起こす可能性も高いのではないかと今回思ったわけです。冒頭でも述べた通り性差による価値観、思考の違いは確実に存在しており、それを無視して「日本人はこういう価値観だ」といっしょくたに主張するのはやっぱり強引だと思え、その辺は分別して考えるべきではないかと言いたいわけです。
例として私がこれまでに提唱した主だった日本人論で比較すると、「日本人は相手が逆らえないとわかるや途端に狂暴になる」というのは駅員などへの暴力を見る限りやはり日本人男性を主体として捉えています。といっても、女同士のいじめは結構激しいと聞くし、また抵抗できない相手をいたぶるというのも「ガラスの仮面」とかでよく見るいじめシーンなので、これは男女両方に共通する、というより下手すりゃ日本人女性の方が顕著かもしれません。
もう一つ、「日本人は無意識の他人のスマホを盗み見たり、他人の会話を盗み聞きする癖がある」という説を私は過去に主張していますが、これは日本人男性を主体とせずに気が付いた特徴(電車乗ってて気が付いた)なので、男女差のない日本人論と堂々と言えるかもしれません。っていうよりもむしろ、盗み聞きするという点では噂話大好きな女性の方が顕著かもしれません。
(´・ω・)<……………
なんか日本人論は男性向けばかりって話をしてたつもりなのに、実際には女性の方が特徴的に顕著なことが多いような気が。仮にそうだとしたら、なんか日本人女性は嫌な特徴盛りだくさんなようにも見えて来るような……。
2016年8月8日月曜日
習政権の「一帯一路」戦略とは
中国関連のニュースを見ていたら日系メディアでもたまに目撃するかもしれませんが、中国では以前の胡錦濤政権は「和階社会」というスローガンを多用し、社会的に平等な社会の実現ということを政策目標として掲げていました。その胡錦濤政権を引きついだ習近平政権も同じようにあるスローガンを近年掲げており、それが今日解説する「一帯一路」という戦略です。
・一帯一路(Wikipedia)
この「一帯一路」とは何の意味を表すのかというと、一言で言い換えれば「シルクロード戦略」といったところです。シルクロードといえばシルクロードでそれ以外の何物でもないのですが、簡単に言えば古代にローマから西安までつながっていた交易路よろしく、中国から欧州に至る陸路を一つの経済圏とみなして経済的、人的交流を盛んにしようというのが表向きの中国の方針です。
この戦略の主な対象となるとのは中央アジアと欧州諸国で、特に欧州諸国に対して習政権はこのスローガンを盛んにアピールしているように思われ、中央アジアについても無視しているわけではありませんが「ヨーロッパと中国は運命共同体」という主張を流行らそうとしているように見えます。
一応日本も麻生政権の頃に「自由と繁栄の弧」といって中国をすっ飛ばしてほぼ同じルートでの経済共同体思想を提唱しましたが生憎これは全く流行らずに終わってしまいました。そこへきてこの中国の戦略ですが経済的に成功するか否かはともかく一応いくつかのプロジェクトは実際進んでおり、既に一部で始まっていると聞きますが中国から東欧まで海路や空路ではないトラックによる陸上輸送などもあり、こうした方面の活動を今後も中国政府は支援していくと思われます。
また、経済面以外でもこの方針からは中国の今後の狙いというか立ち位置がいくらか見え隠れする要素があるように思えます。
ここからはほぼ私の完全な推測によるものですが、この「一帯一路」戦略を提唱した背景には中国の外交方針、特に東西での差別化を一層強くするという意識の表れではないかと見ています。どういう意味かというと東方面、つまりシルクロード沿いの陸続きの国々に対しては融和政策を取り、西と南方面、つまり日本やフィリピン、ベトナムなど海を挟んだ国にはやや強硬な主張を貫き領土争いも辞さない態度で臨む意思の表れではないか、なんて勝手に思っています。
これと同様に軍事面でも、これまで人民解放軍の主力である陸軍は軽視して空軍や海軍をより重視していくという方針にも見えます。実際、習近平は陸軍に対し冷淡な態度を貫いておりその関係も非常に悪いとされ、護衛の人間もこれまで陸軍特殊部隊の人間が行っていたのを空軍に切り替えています。
恐らく今後も習政権はこのスローガンを堅持していくと思われますが、胡政権と比べるなら一番の違いは内政より外交重視であるという点で、アジアインフラ銀行を始めその出方に対してはしばらくは静観しつつ動向を見極める必要があるだろうというのが私の意見です。
・一帯一路(Wikipedia)
この「一帯一路」とは何の意味を表すのかというと、一言で言い換えれば「シルクロード戦略」といったところです。シルクロードといえばシルクロードでそれ以外の何物でもないのですが、簡単に言えば古代にローマから西安までつながっていた交易路よろしく、中国から欧州に至る陸路を一つの経済圏とみなして経済的、人的交流を盛んにしようというのが表向きの中国の方針です。
この戦略の主な対象となるとのは中央アジアと欧州諸国で、特に欧州諸国に対して習政権はこのスローガンを盛んにアピールしているように思われ、中央アジアについても無視しているわけではありませんが「ヨーロッパと中国は運命共同体」という主張を流行らそうとしているように見えます。
一応日本も麻生政権の頃に「自由と繁栄の弧」といって中国をすっ飛ばしてほぼ同じルートでの経済共同体思想を提唱しましたが生憎これは全く流行らずに終わってしまいました。そこへきてこの中国の戦略ですが経済的に成功するか否かはともかく一応いくつかのプロジェクトは実際進んでおり、既に一部で始まっていると聞きますが中国から東欧まで海路や空路ではないトラックによる陸上輸送などもあり、こうした方面の活動を今後も中国政府は支援していくと思われます。
また、経済面以外でもこの方針からは中国の今後の狙いというか立ち位置がいくらか見え隠れする要素があるように思えます。
ここからはほぼ私の完全な推測によるものですが、この「一帯一路」戦略を提唱した背景には中国の外交方針、特に東西での差別化を一層強くするという意識の表れではないかと見ています。どういう意味かというと東方面、つまりシルクロード沿いの陸続きの国々に対しては融和政策を取り、西と南方面、つまり日本やフィリピン、ベトナムなど海を挟んだ国にはやや強硬な主張を貫き領土争いも辞さない態度で臨む意思の表れではないか、なんて勝手に思っています。
これと同様に軍事面でも、これまで人民解放軍の主力である陸軍は軽視して空軍や海軍をより重視していくという方針にも見えます。実際、習近平は陸軍に対し冷淡な態度を貫いておりその関係も非常に悪いとされ、護衛の人間もこれまで陸軍特殊部隊の人間が行っていたのを空軍に切り替えています。
恐らく今後も習政権はこのスローガンを堅持していくと思われますが、胡政権と比べるなら一番の違いは内政より外交重視であるという点で、アジアインフラ銀行を始めその出方に対してはしばらくは静観しつつ動向を見極める必要があるだろうというのが私の意見です。
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