この前知人の家に遊びに行ったら、そこの家のビビりな猫が私を見るなり距離を置きつつ身構えてきました。怖がらせるのもよくないので放っておいたら何故か私が脱いだ靴の所に行き、私の姿を伺いつつ何故か必死になって私の靴の中の臭いを嗅いでいました。なんとなく隠れて麻薬吸ってるようにも見えて、なんか失礼な猫だなと密かに思いました。
話は本題に入りますが、イスラム系テロリストが世界各地で自爆攻撃を展開している現状についてはもはや何も説明は要らないでしょう。かつて自爆攻撃は「神風特攻隊」など日本人の専売特許という見方が世界でも強かったですが、現時点ではお株を取られたというかイスラム系テロリストの代名詞と言ってもよく、米国からクレイジーアタックと呼ばれた攻撃はもはや一般的な攻撃に成り下がったと見ることもできるかもしれません。
しかし、そもそもイスラム系テロリストは何故自爆攻撃を行うようになったのでしょうか。元々イスラム教は古いキリスト教と同様で自殺を厳しく戒めており、現実に今でも中東地域では自殺が起きても親族は自殺だとは届け出ず、病死や事故死だと役所に届けると聞きます。その甲斐あってか一部の中東諸国では自殺発生数0人という統計を出しており、社会上ではタブーというか恥の極みともとれるような態度を見せています。
それほどまでに自殺に厳しい中東のイスラム系思想グループからどうしてまた自爆攻撃が頻繁に行われようになったか、あくまで俗説の範囲を出ないものの一説として、日本人テロリストによる影響があるという説があります。
・テルアビブ空港乱射事件(Wikipedia)
私と同世代でこの事件について知ってる人間はまずいないでしょうが、一定の年齢層以上であれば忘れることなく覚えている事件だと思われます。この事件は1972年、イスラエルのテルアビブ国際空港内でイスラム系テログループから支援を受けた赤軍派(当時はまだこの組織名で名乗ってはいないが)の日本人三人が銃を乱射し、多数の市民を殺害したという事件です。襲撃を行った三人のうち二人はその場で自殺し、残る一人は警察に捕縛され現在もなお生きている岡本公三です。
聞くところというか立花隆氏によると、この事件は中東のテログループにとってかなり衝撃的なものだったそうで、自殺は教義で禁止されているものの憎い敵を攻撃するためであれば死ぬことが前提であっても許されるのだという解釈をもたらしたそうです。私はイスラムや中東方面の専門家ではないものの、教義の解釈変更という価値観の転換に着目するならばこの説は決して無理な主張ではないようにも思え、仮にそうであればイスラム系テロリストの自爆攻撃の源流は日本人テロリストの自殺的な攻撃にあったということとなります。でもってこの時の赤軍派の攻撃の源流はどこにあるかと言えば、やっぱ特攻の気風にあったのかなとも思います。
もう少し話を掘り下げると、多分私以外にこの説を主張する人はいないと思いますが戦時中に特攻攻撃が立案された背景として地味に、「爆弾三勇士」の影響が大きいのではないかと睨んでいます。この爆弾三勇士というのは1932年の第一次上海事変の折、敵陣地の鉄条網に爆弾を抱えて突っこんで自爆し突破口を開いたとされる三人の兵士のことで、当時だけでなく太平洋戦争中も殊更美談に仕立て上げられ戦時中の子供たちですら知ってて、「大きくなったら彼らの様に散るのだ」と小学生ですら言ってたそうです。これが何を意味するのかというと、太平洋戦争が始まるずっと以前から日本では自爆攻撃が奨励こそされないものの賞賛されていたという事実です。
爆弾三勇士が映画までつくられるほど持て囃されたのは自爆攻撃が攻撃手段として非常に有効だったというより、彼らの死に様が軍・国民双方の士気向上につながると判断されたからでしょう。これは特攻にも言え、対策が取られほとんど成果が上がらなくなった頃にも頑なに継続されたのも士気というか戦意高揚という目的が色濃く、冷たい言い方をすると戦果を期待するより気持ちを維持するためだけに特攻は行われ続けたという側面もあったと思います。
これは今日のイスラム系テロリストによる自爆テロについても同様で、彼らも戦果を期待するというよりは自分たち組織の戦意高揚、構成員を維持する目的で以って仕掛けているという側面が強いように思えます。根拠としては正面の敵軍に対しては行わず、戦闘とは無関係な市街地で行うことが多い点からです。
仮にこの通りであれば自爆テロで大騒ぎすることは敵を利する行為になりかねず、フランスは英雄視させないためにも自爆したテロリストの名前は一切公表しないようにすること検討しているそうですが、こうした対策は的を得ているように思えます。被害者への哀悼はもちろん必要ですが、自爆テロに対して恐怖を煽ったり、不安を感じさせるような報道はなるべく控え、このような脅しには一切屈しないしこっちは全く痛くも痒くもないのにまた馬鹿なテロリストが無駄死にしやがったみたいにあざけ笑う態度こそが有効であるかと思われます。そういう意味で自爆攻撃というのは一種の心理戦だというのが私の今日の結論です。
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