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2016年10月13日木曜日

公平な視点を保つ秘訣

 今月からガッキー主演でドラマが放送され始めたからかAmazonで「逃げるは恥だが役に立つ」という原作の漫画1巻が無料でダウンロード出来るキャンペーンがされていたので、前からそのタイトルとコンセプトに興味を持っていたのでダウンロードして読んでみて、はタイトルは一文字変えれば「禿げるは恥だが役に立つ」だなと思いました。役に立つのか?

 話は本題に入りますがそれほど機会は多くはないもののこのブログの読者と会って感想を聞くとよく、「評論の視点が非常に公平だ」という評価をいただきます。あまり図に乗るべきではないとはわかっていながらもやはりこうして言われるとうれしいものがあるのですが、実際に自分でもこのブログを書く際に視点が偏らないように普段から気を付けており、ある程度の努力は行っていると自負しています。
 そこで今日は私なりに、公平な視点を保たせる秘訣というか心がけを紹介しようと思います。以前にも似たようなことを書いているかもしれませんが、最近こういう思想めいた記事を描いていないように思うためどうかご容赦ください。

秘訣その1 一緒に怒らないし、一緒に悲しまない
 公平な視点を保つ上での秘訣はなにかと突き詰めて言えば究極的には「当事者にならない」ということになるのですが、そのファーストステップとしてはこの「一緒に怒らない、一緒に悲しまない」であるのではと考えています。
 事件の被害者などに対して「痛みを分かち合う」という表現があり彼らの気持ちに立ってあげることが大事だと言われますが、その行為自体は否定しないものの評論をする上では所詮は他人事として切って捨てるべきでしょう。というのも被害者の気持ちに寄り添い過ぎると加害者に対する憎悪が強まり、自分が被害を受けたわけでもないのに不必要な怒りを覚えてしまう可能性があるからです。こうした態度は明らかに物事を見る目を曇らせ通常であれば見えるものを見えなくさせてしまうため、被害者に対し同情を覚えることはあっても彼らの立場に立って物事を主張してはならないというのが持論です。

秘訣その2 自分の感じた気持ちを押し出す
 これは状況によっては逆効果を生むかもしれませんが、こと私に限っては評論を行う際に自分の気持ちを前面に押し出すようにしています。先程のその1とも被りますが、他の誰かの立場や視点に立って物を述べると見方によってはやや無責任な言い方になるきらいがあり、具体的に言うと、誰かが苦しんでいるからその苦しませている原因は批判してもよい、というように被害者の存在などを言い訳にして批判するような口上となってしまうからです。
 もちろん上記のような主張の仕方も全部悪いわけじゃないですが、冷静にその原因が社会に対してどのような影響を及ぼしているのか、その影響が自分にも回ってきて損をさせられそうだというように自分の視点で物を考えて批判する方が私は好きです。ほかにも不正に儲けているような人間や団体に対しても、搾取された人間の立場で不当だと述べるより、「一人で儲けやがって、俺にも寄越せよこの野郎!」みたいなトーンで批判する方が割とストレート且つほかに人間にも共感が得やすい主張となるためいいような気がします。

秘訣その3 自分の保身を考えない
 これが出来るのは案外自分だけかもしれませんが、自分の願望なり不満なりが入るともちろん評論というのは偏りが出てしまいます。逆に自分の損得を越えた意見というのは聞く側からすれば高い説得力を持ち、特に自分が不利になるような意見を敢えて主張すればまず相手は信用するし、その意見が公平であると信じ込みます。
 私の場合は普段からして全く保身めいた行動や言動がなく周りから、「もっと自分を大事にしろよ」とガチで言われるくらいやや特殊な性格しているため、このブログで主張する意見にもそうした物が反映され、それらが公平な視点であるかのように見えるのかもしれません。ただ私みたいな性格した人間はそんなに多くはないだろうし、これができる人間はほかにもいるのかと言われれば少し悩みます。

  おまけ ちょっとした説得テクニック
 秘訣その3で述べた、自分が不利になるような意見を敢えて主張するというのは実際の交渉テクニックとしてほかでも述べていますが、日本人は横並び意識が極端な強いため敢えて自分を落とすことで極端な主張をしても許されるし受け入れさせるというか反論できなくさせることもできます。
 たとえば、「戦争になっていざとなったら人間を盾にすればいい」といえば相手は確実に、「他人を踏み台にするのか?」と聞いてくるのでその後で、「いや、真っ先に使えない自分が盾にされるよ」といったら十中八九相手は黙ります。実際に盾になる気持ちがあるかどうかは置いといて、面倒な議論を終わらせたいときには敢えてこういう主張の仕方をして黙らせています。

2016年10月12日水曜日

海外拠点閉鎖に対する富士通の態度

富士通、英で最大1800人削減へ EU離脱「無関係」(朝日新聞)

 狙ってたわけじゃないですが上のニュースを見てタイミングがいいなと思いました。というのもつい先週、富士通に対し海外拠点閉鎖(本文中では解散、清算、譲渡を指します)について心あったまるメールを送っていたからです。

 知ってる人には早いですが私は「企業居点」という日系企業の海外拠点情報ををかき集めたサイトを運営しており、先週の休暇中にいくらか追加することでとうとう収録件数は2万件を突破し、誇張ではなく日系企業の海外拠点に関しては自分が最も多くのデータを保有していると自負しています。
 ただこの海外拠点データですが調べるのも大変であるもののもっとも厄介なのは更新で、日系企業が海外拠点を新設したり閉鎖した場合をどうするかという点で結構頭を悩ませています。一応、企業のプレスリリースを毎日チェックして発表があれば適宜編集を加えているものの、新設はまだ発表されることも多くマシですが閉鎖となると実は発表しない企業の方が大半です

 上場企業は投資家に対し、経営に影響を及ぼす情報については可能な限り早くかつ正確に開示する義務が課せられています。このような前提に立てば工場を含めた海外拠点の閉鎖ともくれば経営に対し大きな影響を及ぼす重要事項としか思えないものの、実際には株価へのマイナス影響を恐れてかほとんどの企業は閉鎖情報をめったに公開することはありません。
 実際に具体例を挙げるとたとえば2012年にパナソニックは上海にあったプラズマテレビの生産工場を運営する現地法人を閉鎖しましたが、これなんて一切プレスリリースで情報は出さず、私が直接広報部に聞くまでは明かしていませんでした。何気にこの情報は日系メディアで自分が最も早く報じたけど、それほど大きな新聞じゃなかったから世間には無視され、三ヶ月後に共同通信が報じたらYahooニュースのトップに載っててなんだかなって気になりました。

 またシャープもこの前無錫法人を閉鎖していたことを財務報告書にこっそり書くことで明かしましたが、単独ではプレスリリースを出していません。このように往々にして企業は、日本国内の子会社ならまだしも海外拠点の閉鎖については情報を出し渋り、はっきり言えば隠蔽しようとする傾向すらあります。
 情報というものは公開されればされるほど世の中は良くなるはずだという思想を持つ私からすればこうした日系企業の現状はあまり好ましくなく、経済的にも不効率な点が出てくると思うだけに企業居点使ってなんかやってみようかななどといろいろ考えてたりもします。

 そうした延長だったというべきか先週に拠点データを色々あさっている最中にふと、富士通の拠点を洗い直してみようと思い立ちました。なんで富士通なのかというと私のサイトでは海外現地法人のホームページもリンクで結んでいるのですが、このリンクが切れるというかホームページサイトが消失する例が富士通に突出して多かったからです。特に半導体系。
 恐らく海外拠点を閉鎖したんだろうなと想像はしていたものの三年前に収集した海外拠点データをこれまで実際に比較し直したことはなかったため、今回改めて現在公開されている情報と照合して残っている海外拠点、消失した海外拠点を洗ってみました。結構多くの拠点で名称がかわってたりもしましたが、私の調べだと以下の拠点が富士通のオフィシャルサイトから情報が消失していました。

<サイトから情報が消えてしまった富士通の海外拠点>
・富士通半導体設計(成都)有限公司
・至亜網絡技術(上海)有限公司
・Glovia International Asia Pacific Pte. Ltd.
・Fujitsu PC Australia
・Inmotion Audio (Australia) Pty. Ltd.
・Teamware Group Oy
・ICL-KMECS
・Fujitsu Caribbean (Bahamas) Limited
・Fujitsu Caribbean (Barbados) Limited
・Fujitsu Caribbean (Jamaica) Limited
・Fujitsu Mexico Systems S.A. de C.V.
・Fujitsu Ten de Mexico, S.A. de C.V.
・Fujitsu Caribbean (Trinidad) Limited

 どれも確認してみましたが閉鎖したと発表したプレスリリースは出ていません。さてそうなると聞くしかないわけで、「これらの会社の情報が消えてるけど閉鎖でもしたの?」と富士通に直接聞いてみて、返ってきた回答は以下の通りでした。

<富士通からの回答>
グローバルサイトの海外拠点情報につきましては、
当該子会社の解散・精算・譲渡・社名変更等により
掲載情報が変わることがあります。
一方で、グループ会社の解散・清算・譲渡・社名変更を
全て公開しているわけではございません。

当社連結財務諸表に重大な影響を与える変更等は
プレスリリース等により適時開示されていますが、
影響が軽微な拠点の変更等については社外秘事項として
非公開となるケースも多く、解散・清算・譲渡に限らず、
会社名変更などにより、 以前掲載されていたサイト等からは
当該情報が参照できなくなることもあります。

 如何にも日系企業らしく曖昧にごまかそうとする回答ですが、存続していたら堂々と存続するという回答が出されるはずだと考えるとどうやら上記の会社は大半が閉鎖済みと見て間違いないでしょう。それにしても友人も言っていましたが、海外現地法人をこれだけ潰して「影響は軽微」と主張するのは無理があるし、富士通の広報は大したレベルじゃなさそうです。何気に今まで一番手ごわかった広報はみずほ。

 もっとも今回、富士通は割とレスポンス早く回答してくれたことと、サイト上ではきちんと情報を削除している辺りはまだマシと見るべきかもしれません。名指しで悪いけど東海カーボンに至っては、2013年に西格里特種石墨(上海)有限公司(SGL TOKAI CARBON Ltd., SHANGHAI)という海外拠点を閉鎖しておきながらホームページ上ではまだ情報を載せています

 繰り返しになりますが海外拠点の閉鎖情報を隠そうとすることは確かに株価維持という保身の面から見て全く理解できないわけじゃありませんが、インサイダーや企業統治の面でリスクになる可能性も高いだけにこうした風潮は早々に改めるべきだと私は考えます。
 最後にきちんと拠点閉鎖情報を公開した例として、最近目を見張ったのはトクヤマのマレーシア拠点の閉鎖です。かなり大きな案件ですがトクヤマはきちんと閉鎖情報を公開した上で詳細なデータや今後の影響を解説しており、この一点を以ってしても情報公開のしっかりした会社だという印象を受け好感が持てます。他の日系企業もぜひトクヤマを見習い、経済記者が楽できるような情報公開を行ってもらいたいものです。

2016年10月10日月曜日

国家が反逆者を育てる意味と価値

 いきなり言うのもなんですが、私の出身大学は国家や政府に対する反逆者を作るという意味ではそこそこの環境と実績を持った大学だったと思います。知ってる人には早いですが私が卒業した関西の私大では、「ルールがあったらまず破る」というような妙な価値観が学生全体に蔓延しており、フリーダムというよりはただただ反逆的で、「これこれこうしなきゃならない」と言われたら、「じゃあまずそれは置いといて」と言い返して無視するところから始まるというのがリアルで多かったです。特に、「従順こそ最大の美徳」、「周囲と同じであることは素晴らしい」という価値観が皮肉ではなく本気で蔓延している関東から関西に渡った私からすればかなりのカルチャーショックを受ける場でもありました。

 一体何故私の出身大学がそんなアナーキーな学校だったのかというと一番大きな理由はまず関西圏にあること、次に私学であったことが挙げられます。もっともそれ言ったら、国立の京大もアナーキーっぷりには定評ありますが。
 上の二つ以外に私の思う理由を挙げると、単純に創立以来の校風がやはりそうさせていたんだと思います。なんちゃってミッション系スクールから始まりとにかく自由を追い求める校風となったそうで、戦時中に学生が喫茶店にいたところ憲兵に見つかり、「学生の分際で何しとるんやこら。お前、どこの学校のもんや?」と聞かれ学校名を答えたら、「あかん、あそこは治外法権や」と言われて許してもらったという冗談みたいなエピソードもあります。

 とまぁそんな感じでそこそこ有名なテロリストも輩出したこともある大学なのですが私にとっては非常に相性が良く、小中高と常に学校嫌いであったにもかかわらずこの大学だけは好きになることが出来ました。そしてそんな私に言わせると、私の出身大学の様に国家や政府、果てには既得権益層に対して理不尽に反感や拒否感を持ち噛みつこうとする反逆者を、国家や社会はある程度育てる必要があると思います。もちろん、そういうのばっか育てまくったらそれはそれで問題ですが……。

 一般に国家による教育となると、国家に対して従順な国民を作ろうとする教育を想像するかと思います。もちろん今の日本の教育の根底にあるのもこうした考え方ですが(日教組は逆だろうが)、その一方で私は国家に対して反逆意識を持つ人間を教育で作ることも国家にとって必要であり責務であると考えています。一体何故そう考えるのかというと単純に、反逆思想を持つ人間が一定割合いる方が国家として明らかに強くなるからです。

問題を探す力、発見する力

 上記記事は8月に私が書いた記事ですがこの中で私は、「エリートは問題解決能力には優れるが問題を発見する力には疎く、逆に非エリートは問題を解決することはできないが発見する力には優れている」と主張し、卑近な例として豊洲問題で活躍中の共産党を引き合いに出しました。
 突き詰めて言えばまさにこの点が反逆者を育てる価値のポイントに当たり、国家というのは従順なものばかりで構成されると問題がそこに存在しながらも誰も気づかずに手をつけなくなる傾向があり、こうした問題なり欠陥を指摘して社会に解決を促させる上である程度社会の中で反逆者を育て、囲う価値が絶対的に存在すると主張したいわけです。

 ある意味こうした役割は自分たちにのみ都合のいい報道の権利をかざすジャーナリストがになっており、問題があるとわかってても彼らをある程度野放しにしておくことこそが「反逆者を囲う」こととなり、彼らのような存在を一程度の比率で存在し続けさせるためにも「反逆者を育てる」ということも必要で、その役割はやはり私学が担っていると関西発の私学出身者である私としては信じてやみません。

 恐らく普通の日本人が以上の私の主張を見たら、「なんてこいつは過激な奴なんだ」と思われるかもしれませんが、一切の反逆者を許さない社会を想像されたら私の意見に即賛同していただけるかと思われます。具体的に言えばそれは旧ソ連や今の中国、極端な例なら北朝鮮とかで、こうした国々の社会では社会に問題があっても是正が効き辛く、既得権益層もずっと存在し続け、よっぽどまともな改革者が運よくトップにでも立たない限りは何も変わることはありません。こうした社会を比べるにつけ、料理に混ぜる少量のスパイスじゃありませんが国家にとって反逆者を5%くらいは存在させ続けるべきではないでしょうか。
 もちろん、暴力的な活動を行うようなテロリストは論外でこうした連中は見つけたそばから殺しておくに限るでしょう。江戸時代の農民政策じゃありませんが、生かさず殺さずが反逆者に対する扱いのポイントです。

 過去の歴史を見るとやはりこうした反逆者を一程度許容する国や社会ほど強く、明治以降の日本も限定付きではありますが社会主義者の結党を認めたり、国立以外の学校も大学として認めて加えるなどしてこうした治世のツボをしっかりとつかんでいたように思われます。あとこれは映画「マトリックス」のセリフですが、「一程度の不確定要素を備えることでシステムは安定する」とはなかなかに金言な気がします。

 最後に蛇足かもしれませんが、私は日本の新聞社などは反逆者として認めていません。何故なら彼らは完全な既得権益層に成り下がっており、それを知らない振りして自分たちが弱者であるかのように振る舞っているからです。更に言うと、弱者であるということが武器になると知ってて弱者だと声高に主張する者はもはや弱者ではない。強い弱いに関係なく、ただ気に入らないという理由だけでむやみやたらに噛みつく者こそが真の反逆者である、というのが私の反逆論であります。

  補足
 上記でお手頃な反逆者の割合は5%と書きましたがこれは完全に適当に述べただけの数値で特に根拠はありません。逆に80%とか100%みたいに反逆者が多数派の世界ってどんななのかなと想像してみましたが、映画の「マッドマックス」の世界しか浮かびませんでした。

2016年10月9日日曜日

広島ガス子会社の循環取引事件 後編

 前回に引き続き広島ガス子会社に起こった循環取引という会計不正にまつわる事件を紹介します。

 さて前回では広島ガス株式会社の子会社である広島ガス開発株式会社(HGK)の営業社員Xが知らないうちに木工資材の循環取引に巻き込まれ、途中からはもうやめられなくなって何故だか自分が取りまとめ役にまでなってしまったというところまで解説しました。そもそもこのXが社内の上司らに報告しなかったとはいえ、どうして会社側はこの循環取引に途中で気付かないまま十年近く同取引を続けてしまったのでしょうか。

 この理由について先に説明すると、まず循環取引はほかの会計不正と比べてばれにくいある大きな特徴があり、それは何かというと現金と伝票がきちんと取り交わされるという点です。商品という実態のない取引とはいえ続けている間は取引先から正式な伝票が発行された上で入出金もきちんと行われるため、内部監査などでも担当者が問題ない取引だと言ってしまったら検出することは非常に難しいでしょう。
 加えてHGKの場合だと同取引は問題のXが取り仕切っていたため第三者の目が入り辛く、また途中からXが営業課長にもなったため上司による監視の目も減ってしまいました。Xに誘われ循環取引だと知らずに参加してしまった同じ広島ガス子会社の広島ガスリビング株式会社(HGL)では実態のある取引なのかより厳しくチェックしており、最終消費先となる工事名から工事現場などに足を運んで実際に工事が行われているかを確認していたようですが、循環取引の取りまとめ役があらかじめ行われる予定の工事をネットなどで調べた上で取引明細に加えておくという隠蔽工作を行っていたため、上記のHGLによるチェックも潜り抜けていました。

 話は戻りますが、それまでの取りまとめ役だった人物が交通違反で逮捕収監されることとなってしまったことで2008年よりXが代わりに取りまとめ役を務める羽目となりました。取りまとめ役となったXは違法な行為がばれないよう、循環取引に関わる各社に対し取引の価格や量を事細かに指示し、上記に描いた様な最終消費先となる工事案件を調べて明細に加えたりなどして偽装を続けましたが、終わりっていうのは案外あっさりくるものです。

 同じ2008年の8月、この月に起きたマンション大手(時期的に見て同じ広島県の「アーバンコーポレイション」と思われる)の破綻を受けて、HGL社内で木工資材の今後の販売はリスクが高いと判断して同取引からの即時撤退を決定しました。
 広島ガスの報告書によるとこの循環取引が発覚した経緯は翌2009年3月の国税調査からの指摘としていますが、実際には撤退に先だって行った取引先とのやり取りや過去の取引の見直しなどから明るみに出たのだと思います。2009年3月発覚で同年4月に調査報告書を出すのはかなり難しいと思うし。

 とにもかくにも、木工資材取引からの撤退が契機となってすべてが明るみとなりました。過去約10年間の同取引の累計売上高は約444億円、累計利益は約12億円にも達しており、売上げ高だけで見れば昨今の大きな会計不正事件にも勝るとも劣らない金額です。
 事件発覚を受け親会社の広島ガスでは弁護士をメンバーに入れた調査委員会を組織して調査し、今私が見ている報告書をきちんと作成した上で公表しておりこうした姿勢は非常に好感が持てます。なおこの報告書は非常にわかりやすくまとめられているため興味がある方は是非一回は読んでもらいたいです。

 そしてその後の結末ですが、HGKでは全役員が解任された上で民事再生法の適用を申請して破綻した後、グループ会社の広島ガステクノサービスに事業譲渡して清算されました。当時の報道によると循環取引に関わった会社は計25社あったとされ、事件発覚後に少なくとも5社が経営破綻したそうです。
 関係者については事件の主犯となったXはもちろん解雇され、後に詐欺容疑で逮捕されています。そのXと共にパナソニック電工の子会社であるパナソニック電工リビング中国の社員を含む4人が一緒に逮捕されており、計5人が捕まる結果となりました。そして事件当時のHGK社長であった人物は翌年、自動車の車内で練炭自殺した姿で発見されました。

 自分がこの事件を知ったのはたまたま偶然でしかないのですが、一見してすごいドラマがある話だと感じました。事件の大きさといい循環取引という非常に見え辛い会計不正の手口もさることながら、主犯となってしまったXが本人も知らないうちに循環取引に巻き込まれ、いつの間にか取りまとめ役になってしまっていたという点でいくらかの同情心と共に、その運命の翻弄具合には言葉では言い表せない感情を覚えます。
 それこそXについては彼を循環取引に誘った他社の人物が、HGLが同取引からの撤退を決めるわずか2ヶ月前の2008年6月に交通違反で逮捕されなければ取りまとめ役になることもなかったわけで、どっちにしろ捕まったとは思いますがその後の印象とかが色々違っていたのではと思うとまたここにも運命のいたずらのようなドラマを感じます。

 ややキザったらしい言い方になりますが、一旦運命に絡め取られてしまうと如何に人間は抗いようがないかをまざまざと見せつけられているような気がする事件で、小説とかドラマの題材にしたっても十分じゃないかと思います。その上で広島ガスについては前述の通り、この事件に関して非常に詳細な報告書を作成しており、三菱自動車とは対照的に個人的には非常に真摯な態度であるように思え評価に値する対応を取っていると考えます。果たして東芝とかはこれより面白い報告書を作成してくれるのか、期待するだけそれは無駄か……。

  参考サイト
当社子会社の不適切な取引に関する調査結果等のご報告(広島ガス)
民事再生法適用を申請した広島ガス開発(HGK)の架空循環取引に責任問う声(自己破産と民事再生情報)

2016年10月8日土曜日

広島ガス子会社の循環取引事件 前編

「木工資材の中間取引に入らないか?」

 すべての発端はこの一言からでした。
 広島ガス株式会社の子会社でガス工事などを手掛けていた広島ガス開発株式会社(HGK)の営業社員であるXは1999年に、取引先である木工事業者の担当者Hよりこのように誘われたそうです。当時、HGKでは従来のガス工事だけでなく内装工事なども手掛け始めたものの売上げは思ったより上がらず、Xが芳しくない状況をHに洩らした際の返答が上の発言でした。

 Hによると、木工工事はマンションなどに木製の内装を施工することが決まり木材資材を発注した後、実際に施工されるまでにはほかの工事を待たなくてはならないため仕入から販売までの期間が比較的長くなる傾向があり、その間に木材を仕入れた業者は売上げが長期間立たずキャッシュ・フローにも影響が出てしまうとのことでいした。こうした資金ショートのリスク分散のため仕入業者とゼネコンの間へ商社の様にHGKを入れさせ、マージンとして販売利益の一部を得ないかとHはXを誘いました。この商流を図で表すと以下の通りとなります。

木材メーカー
↓↓↓
仕入業者(Hの会社)
↓↓↓
中間業者(HGK)
↓↓↓
施工者(ゼネコン)

 実際にはHGKやHの会社だけでなく他にも複数の会社が絡むのですがそれは置いといて、こうした取引は一般的に「商流取引」と言われ、資金リスクを分散させるために木材に限らず多方面の商品で実際に行われている取引です。卸会社や商社を経由するのも一種の商流取引で、実質的にはメーカーが最終消費者へ直販するような形態を除けばすべて当てはまると言ってもいいのですが、この商流取引と「循環取引」の違いを述べるとすれば、それは商品が実際にあるかないかだけの差です
 このHGKの取引の場合だと仕入業者から木材を購入し、ある程度の期間を保有した後に次の中間業者へ中間マージンを上乗せして販売する形となりますが、書類上のやり取りだけでお金だけを動かすため仕入れた木材は仕入業者の所からHGKの倉庫へ移動するということはないという取り決めだったのでしょう。あればの話ですが。

 話は戻りますがこのHからの提案に賛同したXは早速上司に掛け合い、Xの上司もHGKの販売先となる会社が比較的有名な所であったことから問題ないと判断し、この取引にGOサインを出します。こうして同年には上記取引が2件、取引額にして約2億円が取り交わされ、翌年には12件、約8億円へと順調に拡大していきました。
 この取引はすべてHからの指示を受けてXは行っており、仕入価格から販売価格まで事細かに指示を受けて行っていました。取引はその後も年々拡大していったことからXは2003年、同じ広島ガス系列の子会社でガス用機械器具の販売を手掛ける広島ガスリビング株式会社(HGL)も商流に入らないかと提案し、これに賛同したHGLも取引に中間業者として加わるようになります。なお調査報告書によるとこの時のHGLの中間マージン率は2%で、資材の保有期間は一ヶ月程度だったとのことです。

 しかしまさにこのHGLも商流に加わった頃から、HがXに指示する販売先がコロコロと変わったり、入金が送れたりなど不審な点が見られるようになります。調査を兼ねてXがHと入金が遅れている販売先へ訪問した所、報告書の記述をそのまま引用すると、「取引に不明な点があることを告げるのを聞いたりしたため」、XはHに対し不信感を抱くと共にもしやこれは循環取引ではないかという疑念を覚えるに至りました。

 先ほどに商流取引と循環取引の違いは実際にやり取りする商品が存在するか否かと説明しましたが、もう少し循環取引について詳しく説明しておきます。

A→B→C→A→B→C→A→……

 以上の様に、複数の会社間で商品を伴わない実体のない取引を延々と繰り返し続けることが循環取引です。実体はないとはいえお金はマージンが載っかって動き続けるため、取引額は一つ動くたびにどんどんと大きくなり、たとえば一取引当たり10%のマージンが乗るとすると、最初にAかからBへ動く金額は1万円だとすると次にBからCへ行くときは1万1千円、さらにCからAへ行くときは1万1千1百円と、以下エンドレスに段々増えていくこととなるわけです。
 言うまでもありませんがこうした実態のない取引は法律でも禁止されているものの、仮にばれなかったとすれば各会社は見かけ上、確実に売上げと利益が伸び続ける取引を半永久的に継続できるため、まぁ一言でいえば楽してかなり儲けられることとなります。あくまで見かけ上は。

 しかしおいしい事にはリスクがあるもので、この循環取引について言えば途中で何らかの形で取引が止まってしまうと色んな意味ですべてが終わってしまうこととなります。ばれた状況にもよりますが、下手すりゃ循環取引で得た過去の累積売上げと累積利益が一瞬で吹っ飛ぶ可能性も含んでおり、関与したほかの会社も相応の打撃が待っています。ってかほんとこの場合の会計処理ってどうすんだろね。

 再び話はHGKのXに戻ります。薄々、実体のない循環取引であることにXも気が付いてはいたものの、既に2003年当時の年間売上げは48億円にも達していることからやめるにやめることが出来ず、社内の誰にも相談や報告をすることなく指示・まとめ役であるHの書類作成すら手伝うようにもなり、本格的に循環取引へ手を染めていきます。
 そのような架空取引を続けたまま数年が経った2008年、思わぬアクシデントが起こります。なんとそれまで取引の指示役だったHが道路交通法違反で逮捕、収監されることとなりました。もちろんHがいなくなり取りまとめ役がいなければこの循環取引は一挙にご破算となるわけで、窮極まったHはXと、同じ循環取引に関わっている別会社の担当者に対し循環取引の各社に対する取りまとめと指示を引き継ぐよう依頼し、両者もこれを引き受けます

 こうして、何も知らずに循環取引に巻き込まれたXが循環取引の主犯となってしまったわけです。その後のXの結末はまた次回に。心ある読者は広島ガスの調査報告書を読むのを1日だけ待っててね♪

2016年10月6日木曜日

より厳格化される社会

 2007年の事だったと思いますが社会学者の鈴木謙介氏の講演を聞きに行ったことがあり、この講演で鈴木氏は、「これからの世の中はすべて二極化する」と話していました。その具体例として鈴木氏は音楽ボーカロイドの「初音ミク」を引用して、「作曲した曲と歌詞のテンポを合わせるため試しに歌わせる作業はこれまでプロになりきれないセミプロの歌手が担っていたが、今後はこの初音ミクで代替されるため、これで生活してきた人は仕事を失くすだろう」と述べ、このようにこれまでは玄人と素人の中間にも仕事があったが今後はその中間の仕事がなくなるため単純に「食えない素人」が増加すると指摘していました。

 あれから大分年月も経ちますが、この指摘はやはり正しかったように思えます。ほかの国はどうだか知りませんが少なくとも日本社会においてはそれまで曖昧だった境界がどんどんと明確化し、またそのラインとなる基準もより厳しさを増しています。
 いくつか例を挙げると、たとえばゲームだとほんの少しでも些細なバグがあればネット上で槍玉に挙げられて即欠陥品として批判され、生活用品でも使用には問題なくても色あいや形が少しでも崩れていたらこれまた即クレームが起こってメーカーは四苦八苦する羽目となります。かつてであればゲームのバグもよほど進行不能とならない限りはユーザーも多めに見て(進行不能でも許されてたこともある)、生活用品も色合いの一つでおかしいと指摘すれば逆に気にし過ぎだと言われていたように思えます。

 こうした「境界の明確化」というか「厳格化」は最初に話した職業の面でも同様で、そこそこの実務スキルを持つ人間でもかつてはそこそこの給与で勤務することが可能であっても、現在においては給与を一段下げたとして勤務すること自体が出来なくなっているのではと思う節があります。何故なら、その人が持つのは中途半端なスキルであって、曖昧な社会では「0.5」とみなされたものの厳格な社会だとゼロサムであるため「0」か「1」しかなく、「1」未満はすべて「0」だからです。
 逆に正規スキルホルダーは以前以上の給与を得られることとなります。もっともその一方で、それまで「そこそこのスキルホルダー」が担ってきた業務も担わなくてはならないので前より忙しくなっているのではと思う節もありますが。

 長く語ってもしょうがないので結論を述べますが、こうした風潮なり傾向は私が歓迎するところではありません。単純にこの傾向は労働、富の偏極化をもたらし、社会が全体として弱くなる要素を多分に含んでいるように思えるからで、社会全体としてもっと寛容な姿勢を持つような志向が求められている気がします。より端的に述べれば、もっとカオスな社会を私は望んでいます。

 またもう一つ例を取り出しますが表現の世界でもやたらと表現を狭めようとする傾向が目立ち、90年代に流行したかつての言葉狩りは勢いが減ったものの今度は「著作権」がやたらと出張るようになり、実在する会社や商品名を作品に登場させることについていちいち許諾が求められるようになるなど世知辛い社会になってきたという気がします。虚偽の事実やあからさまに貶めようとする表現は確かに排除すべきですが、街の風景としてマクドナルドやガストといった飲食店舗をそのままの名前で出したらダメって一体何でやねんと実はすごい不満に覚えたりします。何故なら今そこにある現実を否定するかのような所業に感じるためで、こうした物が続いて行けば現実を表現すること自体が否定されるのではと危機感も覚えます。
 最後にもう一つ書き残すと、何故社会が厳格化したのかというとそれは間違いなく社会が情報化したからで、コンピューターの世界が現実社会にも浸透してきたとみていいでしょう。映画の「マトリックス」じゃないですが、あまりにも厳格化した社会だとどうしても齟齬が起きるのだからいくらかファジーな部分、工学でいうなら「遊び」の部分を設けるべきだと私は思うのですが。

豊洲問題の真の問題と後の展望

 昨夜知人たちとまた「いただきストリート」というゲームをしてきて、このゲームでは自分が物件を持っているエリアの株を買ってから増資するというのがセオリー(株価が上がって含み益が出る)なのですが、急ぐ状況から株を持たずに増資することをいつしか「株なし芳一」と呼ぶようになりました。芳一が意味不明過ぎてなんか気に入っています。

 話は本題に入りますが先日出た以下のニュースを見て、「まだ早い」と私は思いましたが、同じように思った人間はどれほどいるのだろうかと密かに気になっています。

フジテレビが1枚の写真で豊洲市場の柱の傾きを疑う→東京都は否定。専門家の見方は(BuzzFeed Japan)

 先日知人にもこのテーマで解説を行ってきましたが、一部で言われているように地下空洞における地下水は実はそれほど大きな問題ではありません。環境基準値を上回っているか否かがよく取り沙汰されていますが、飲み水や洗浄用水に使うわけではないため仮に基準値を上回っていたとしても使わなければ豊洲市場自体には何か影響するわけではありません。
 ただ都の職員は将来の地下改修工事の際における重機搬入口として作ったと話していますがあれだけ地下水が溜まっていれば重機を搬入するのに影響が出そうで、排出装置は用意してあるとは言っていますがなんとなくこの説明は嘘のような気がします。

 では豊洲問題はそんなに大騒ぎしなくてもいいのか、小池都知事が無駄に騒ぎ立てているだけなのか。あくまで個人的見解ですが、今の地下空洞問題は前哨戦に過ぎず、小池都知事は本戦に向けた地ならしとしてこの問題をせっついているのではないかと思われます。では本戦とは何かですが、強度偽装問題が必ずこの後に浮上してくると私は見ており、これこそが豊洲問題の本丸だと考えています。

 既に一部有識者などから豊洲の建物強度、耐震強度について疑問視する声が出ています。前者については市場内ではターレというフォークリフトが使われるにもかかわらず床の強度は1平方メートル当たり800kgしかなく、実際稼働時には2トンを越すと想定されるだけに絶対的に足りません。
 そして次に耐震強度についてですが、専門家ではないためあまりよくわかっていないのですが、建物を支持する基盤構造が余りオーソドックスなものではなく耐震強度について疑問点があると指摘する声がいくつか出ています。専門的な話は抜きにしてマルクス主義的に(=特に意味はなく)私が強度偽装があるのではと思う理由を以下に羅列します。

・手抜き工事の手法として一番うまみがある
・盛土問題が明らかとなって以降、誰も強度について言及しなくなった
・仮に偽装されていれば最も影響額が大きい
・その影響額を誰が負担するのか

 この四つの観点から、強度も結構怪しいのではないかと見ているわけです。
 仮に本当に強度が偽装されていれば豊洲市場の建物は完全に使用できなくなるため移転も不可能となります。それだけに事実がわかっていたとしてもおいそれとその事実を現段階で明らかとすることは、関係各所への影響から小池都知事の側としても難しいでしょう。

 そして四つ目の「誰が負担するのか」ですが、今の地下水問題はこの点を議論するための前哨戦となっているのではないかと私は見ています。現在いるプレイヤーは「東京都」、「ゼネコン」、「設計事務所(実質ゼネコン)」の三者で、この三者のうち誰が今回の不始末を負担するのかが後々決まってくるでしょう。実質的には東京都かゼネコンかで、今回の地下水問題のやり取りを見てもどちらも自分がババを引かないよう責任回避へ必死に動いているように見え、小池都知事の側も敢えて強度問題について今は触れず、地下水問題で白黒はっきりさせた上でその勢いをかって次のステップに踏み込もうとしているのではというふうに私は見ています。

 その上で現状、重要なポイントとなるのは、「誰が空洞案を持ってきたのか」です。先程に私は関係者が「自分がババを引かないように」動いていると指摘しましたが、都側が先日出した報告書では「曖昧なうちに決定された」とふわふわした表現を出してきましたが、多分これは確信犯でしょう。実際の結論は二つしかなく、案を出したのは都かゼネコンかしかないでしょう。
 まぁ言うまでもなくゼネコン側が案を出して、それを飲んだ都の責任者が誰かということになるわけですが、少し気が早いかもしれませんけどこの問題で何人か死ぬだろうなという気がします。