2016年10月10日月曜日

国家が反逆者を育てる意味と価値

 いきなり言うのもなんですが、私の出身大学は国家や政府に対する反逆者を作るという意味ではそこそこの環境と実績を持った大学だったと思います。知ってる人には早いですが私が卒業した関西の私大では、「ルールがあったらまず破る」というような妙な価値観が学生全体に蔓延しており、フリーダムというよりはただただ反逆的で、「これこれこうしなきゃならない」と言われたら、「じゃあまずそれは置いといて」と言い返して無視するところから始まるというのがリアルで多かったです。特に、「従順こそ最大の美徳」、「周囲と同じであることは素晴らしい」という価値観が皮肉ではなく本気で蔓延している関東から関西に渡った私からすればかなりのカルチャーショックを受ける場でもありました。

 一体何故私の出身大学がそんなアナーキーな学校だったのかというと一番大きな理由はまず関西圏にあること、次に私学であったことが挙げられます。もっともそれ言ったら、国立の京大もアナーキーっぷりには定評ありますが。
 上の二つ以外に私の思う理由を挙げると、単純に創立以来の校風がやはりそうさせていたんだと思います。なんちゃってミッション系スクールから始まりとにかく自由を追い求める校風となったそうで、戦時中に学生が喫茶店にいたところ憲兵に見つかり、「学生の分際で何しとるんやこら。お前、どこの学校のもんや?」と聞かれ学校名を答えたら、「あかん、あそこは治外法権や」と言われて許してもらったという冗談みたいなエピソードもあります。

 とまぁそんな感じでそこそこ有名なテロリストも輩出したこともある大学なのですが私にとっては非常に相性が良く、小中高と常に学校嫌いであったにもかかわらずこの大学だけは好きになることが出来ました。そしてそんな私に言わせると、私の出身大学の様に国家や政府、果てには既得権益層に対して理不尽に反感や拒否感を持ち噛みつこうとする反逆者を、国家や社会はある程度育てる必要があると思います。もちろん、そういうのばっか育てまくったらそれはそれで問題ですが……。

 一般に国家による教育となると、国家に対して従順な国民を作ろうとする教育を想像するかと思います。もちろん今の日本の教育の根底にあるのもこうした考え方ですが(日教組は逆だろうが)、その一方で私は国家に対して反逆意識を持つ人間を教育で作ることも国家にとって必要であり責務であると考えています。一体何故そう考えるのかというと単純に、反逆思想を持つ人間が一定割合いる方が国家として明らかに強くなるからです。

問題を探す力、発見する力

 上記記事は8月に私が書いた記事ですがこの中で私は、「エリートは問題解決能力には優れるが問題を発見する力には疎く、逆に非エリートは問題を解決することはできないが発見する力には優れている」と主張し、卑近な例として豊洲問題で活躍中の共産党を引き合いに出しました。
 突き詰めて言えばまさにこの点が反逆者を育てる価値のポイントに当たり、国家というのは従順なものばかりで構成されると問題がそこに存在しながらも誰も気づかずに手をつけなくなる傾向があり、こうした問題なり欠陥を指摘して社会に解決を促させる上である程度社会の中で反逆者を育て、囲う価値が絶対的に存在すると主張したいわけです。

 ある意味こうした役割は自分たちにのみ都合のいい報道の権利をかざすジャーナリストがになっており、問題があるとわかってても彼らをある程度野放しにしておくことこそが「反逆者を囲う」こととなり、彼らのような存在を一程度の比率で存在し続けさせるためにも「反逆者を育てる」ということも必要で、その役割はやはり私学が担っていると関西発の私学出身者である私としては信じてやみません。

 恐らく普通の日本人が以上の私の主張を見たら、「なんてこいつは過激な奴なんだ」と思われるかもしれませんが、一切の反逆者を許さない社会を想像されたら私の意見に即賛同していただけるかと思われます。具体的に言えばそれは旧ソ連や今の中国、極端な例なら北朝鮮とかで、こうした国々の社会では社会に問題があっても是正が効き辛く、既得権益層もずっと存在し続け、よっぽどまともな改革者が運よくトップにでも立たない限りは何も変わることはありません。こうした社会を比べるにつけ、料理に混ぜる少量のスパイスじゃありませんが国家にとって反逆者を5%くらいは存在させ続けるべきではないでしょうか。
 もちろん、暴力的な活動を行うようなテロリストは論外でこうした連中は見つけたそばから殺しておくに限るでしょう。江戸時代の農民政策じゃありませんが、生かさず殺さずが反逆者に対する扱いのポイントです。

 過去の歴史を見るとやはりこうした反逆者を一程度許容する国や社会ほど強く、明治以降の日本も限定付きではありますが社会主義者の結党を認めたり、国立以外の学校も大学として認めて加えるなどしてこうした治世のツボをしっかりとつかんでいたように思われます。あとこれは映画「マトリックス」のセリフですが、「一程度の不確定要素を備えることでシステムは安定する」とはなかなかに金言な気がします。

 最後に蛇足かもしれませんが、私は日本の新聞社などは反逆者として認めていません。何故なら彼らは完全な既得権益層に成り下がっており、それを知らない振りして自分たちが弱者であるかのように振る舞っているからです。更に言うと、弱者であるということが武器になると知ってて弱者だと声高に主張する者はもはや弱者ではない。強い弱いに関係なく、ただ気に入らないという理由だけでむやみやたらに噛みつく者こそが真の反逆者である、というのが私の反逆論であります。

  補足
 上記でお手頃な反逆者の割合は5%と書きましたがこれは完全に適当に述べただけの数値で特に根拠はありません。逆に80%とか100%みたいに反逆者が多数派の世界ってどんななのかなと想像してみましたが、映画の「マッドマックス」の世界しか浮かびませんでした。

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