・三浦瑠麗氏、ワイドナショーでの発言に批判殺到 三浦氏は「うがった見方」と反論(ハフィントンポスト)
・朝鮮半島をめぐるグレートゲーム(山猫日記)
知ってる人には早いですが、国際政治学者らしい三浦瑠麗氏の発言が議論を起こしています。簡単に発言内容を説明すると、日本にはすでに北朝鮮工作員がたくさん潜り込んでおり、金正恩が暗殺されたとしてもその報復として、あるいは先制攻撃として大阪を襲撃する可能性が高いとバラエティ番組で主張したそうです。結論から述べるとこの三浦氏の主張には私も疑問に感じる点が多く、少なくとも言えることとして、リテラシーもなければ危機管理意識もない人だなというのが偽らざる感想です。
ほんとはあまりこの手の議論に与したいとは思わないのですが、例によって反論を述べるメディアを含めあまり論点が整理せずに無駄な議論を繰り返しているように見えるので、論点となる疑問点をまとめる目的でこのまま書きます。
疑問点1、何故組織名が「スリーパー・セル」?
三浦氏によると日本に潜伏している北朝鮮工作員は「スリーパー・セル」という組織名だそうです。三浦氏ブログの「山猫日記」に詳しく書いていますが、特に大阪にいるそうです。
先に述べると、この「スリーパー・セル」という単語一つ見てこの人おかしいなとすぐ思いました。というのも北朝鮮の軍関連組織であるにもかかわらず、韓国語(朝鮮語)でもなく日本語でもなく何故組織名が英語なのか。結論を書いてしまうと「スリーパー・セル」の情報ソースが英国の新聞だけだからです。逆を言えばほかに情報ソースは何もないということが示されています。
第一、これ直訳すると「窃盗団」になりますが、北朝鮮ならもっと仰々しい名前つける気するんですけどねぇ。
疑問点2、情報ソースが英国の新聞だけ
三浦氏によると上記のスリーパー・セルの情報源は英国の新聞だそうで、さらにその新聞では韓国の情報筋がネタ元だと書かれています。では何故このスリーパー・セルの韓国語名はないのかこの時点でおかしいですが、三浦氏は「英国の新聞に書かれてある」としてその存在は確かだと主張しています。
しかし、英国の新聞が必ず真実しか載せないのかと言ったら疑問です。そんなの言ったらネス湖のネッシーもいるってことになりますし、第一何故日本や韓国、中国といった北朝鮮周辺国が一切報じない事実を遠く離れてあまり利害関係のない英国の新聞が報じるのか。そもそも英メディアは上記のネッシーをはじめ妙な報道も多いところだから、信用面でいえばむしろ怪しいところなのではと私は考えています。
せめてその新聞がネタ元としている韓国の組織に直接取材していれば、もっと本当らしく言えたのにね。
疑問点3、何故大阪?
報道などでも指摘されていますが、東京を差し置いて「大阪に特に潜伏している」と三浦氏はやたら主張しています。何故かというと第2の都市の方が意表を突けて狙いやすいからだそうですが、どう考えても東京や原発などの核関連施設を差し置いて大阪が狙われるという主張は無理がある気がします。そもそも、人口基準だったら日本第2位の都市は今や神奈川県です。
また大阪に工作員が多数潜伏しているという根拠について三浦氏は合理的に説明できておらず、挙げられている材料としては先ほどのように日本第2の都市であること、1980年に朝鮮総連関係者が事件を起こしたことしか出せていません。そもそも、40年近く前の事件を引き合いに現在も大阪には工作員が多いと主張する辺り、あんま学者として向いていない気すらします。
はっきり言えば、大阪が危険だと言ったのは発言をした番組に大阪出身者が多く話題になると考え口を滑らせたか、ただ単に大阪に偏見を持っているかのどっちかでしかないでしょう。それくらいこの発言は突飛であり合理性に書いた主張で、実際にその潜伏工作員と接触しているとか、もっときちんとした直接知り合いの軍関係者からのソースがあるならともかく、そうしたものは見ていて情けなるくらい出せていません。
疑問点4、何故バラエティ番組で発言したのか?
他の人はあまり指摘していませんが私が特に気にしているのはここです。
もし具体的にそのような情報を掴んでいるのなら何故公安とかに伝えず、ああしたバラエティ番組でぶちまけたのか。一応三浦氏本人としては国民(特に大阪人)はもっと備える必要があり、また広くこの問題に議論する必要があるからと言っているようですが、私に言わせればそんなもの全く必要ありません。
例えば雪に閉ざされた山荘で他殺体が出てきて、誰かが「犯人はこの中にいる!」と主張するとします。この主張によって山荘にいる人たちは互いへの疑心暗鬼が生まれますが、彼らは外部から救援を呼ぶこともできない状況であり自分で自分の身をある程度守る必要もあることから、上記のミステリー開始発言は一定の必要性を備えると私は考えます。
翻って今回のケースでは、北朝鮮の工作員が潜伏しているからと言って一般市民がどう対処すればいいのでしょうか。まさか怪しい奴を自分で見つけて捕まえろとでも言うのかと言いたいところですが、その役割はやはり公安が担うものであって市民ではありません。故に警戒を促したところで全く無意味でしかなく、方々でも指摘されている通りに今回の三浦氏の在日朝鮮人らに対する疑念や敵愾心を無駄に煽るだけの結果しか生みません。
で、こう言っては何ですが、三浦氏本人はそういう意図で発言したわけじゃないと否定こそしているものの、そういう風に受け取っちゃう人たちは世の中には実際たくさんいるわけです。古今東西、根も葉もない敵愾心を煽る発言やデマによって迫害や虐殺が起きたケースは枚挙に暇がなく、現代においても中国事情を紹介するだけで反日認定されるほどなのですから(リアル)、こうした敵愾心を煽るような発言は極力控える慎重さがやはり求められてくると私は思います。
仮に今回の発言が自分の著書やブログだけなら影響力も限定されることからまだしもと思いますが、今回のケースは影響力の強いテレビメディアでの発言です。その主張内容が事実であればたとえ一部の人たちの敵愾心を煽ることとなっても、報道することにやむを得ないと私は考えますが、先に書いたように呆れるくらいにあやふやな根拠と完全に思い込みだけの当て推量で、「大阪は危険だ(意味深)」と社会の公器を使って伝えてしまうのは、いくらなんでも無責任もいいところでしょう。
同様に、この発言を編集でカットせずにそのまま放送してしまうテレビ局側にも疑問を覚えます。先ほども言った通りに事実であれば仕方ありませんが、現状の材料を見る限り今回の情報は十中八九思い込みであり、ましてや裏付けも何一つ取っていない情報です。差別や迫害を助長する可能性のある主張でもあるだけに、テレビ局のリテラシーも異常性を感じます。
最終的に結論をまとめると、三浦氏とフジテレビのリテラシーは異常に低い水準だというのが私の感想です。その上で三浦氏のブログの主張を見ると、「こうした議論もできないなんて日本はよくない」みたいに言ってますが、議論しようってんならもっとまともな根拠や合理的な推測を用意しろよと言ってあげたいです。低水準の人間がいつまでも相手してもらえるほど世の中は甘くはないでしょう。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2018年2月13日火曜日
2018年2月10日土曜日
ジャンルを選ばない強さ
先日、自分にとって唯一の戦友とも呼べる知人と一緒に夕食を食べてきましたが、やはりお互い元ライター同士ということもあって現在の主戦場(JBpress)と中国関連コラムを書いている他のライター(安田さんとか莫さんとか)、そして互いの得意分野に関する話題を多く話しました。この際に相手が女性ということもあってか、「やはり男ばっかのライター業界なだけに、もっと女性でしか書けないようなテーマを書くべきだ」と話してきたわけですが、この時にふと自分の立場について少し思うところがありました。
結論から書くと、自分がライターとして優れている点を挙げるとしたら、執筆においてジャンルや分野を選ばないほど幅広いレンジの広さにあると思います。
JBpressでは一応、編集からの要望もあって中国事情を紹介するコラムを中心に書いていますが、こうした中国関連記事においてマクロレベルの経済記事を書いているのは私くらいでしょう。ちなみにさっきの知人からは、「なんであんな毎回グラフ作る時間あんの?」と言われました。
何も中国に限定しなくても日本国内でもこうしたマクロレベルの経済記事はいくらでも書く自信があるし、むしろ日本のメディアはマクロデータをほとんど取り扱わないので、各種世論調査指標を活用して他の日本人ライターではまずかけないような記事や分析だって組み立てる自信があります。この辺は元々経済紙、それも中国経済専門紙で書いてきたバックグラウンドがなせる業でしょう。
こうした経済ネタに限らずとも観光業と絡めた普段の生活ネタでもよく中国紹介記事を書いていますし、また去年夏には歴史記事を書いてきちんとアクセスも稼いだので、この分野でもある程度ものになる記事が書けることを証明しました。なお本音で書くと、もしかしたら自分が一番強い分野はこの歴史系記事かもしれません。
このほかまだ実際に出したわけではないものの、相撲であればそれなりのスポーツ記事書く自信あるし、あとゲームのレビューコラムなら簡単のなら書けるでしょう。このほかこのブログでやっているような日本社会の調査、経済、政治記事、あと古いのでよければ事件系の記事も掘り起こすようなコラムだったら行けるでしょう。文芸評論に関しては日本の文壇が確実におかしいレベルへ突入し始めているので、彼らなんかよりずっともっとマシなものが必ず書けるでしょう。
多少おこがましい言い方になりますが、これほど多分野にわたってあらゆる記事を書けるライターは現在あまりいません。仮にジャンルを経済だけに絞ったとしても、最近は大手紙を中心に社員に業界や業種の専門を持たせる傾向が強く、確かに専門性の高い記事を出せるようにはなるものの、何でもかんでもどの業界についてもある程度対応できる記者は少なくなってきています。
もっともこう言いながらですが、半導体業界についてはさすがに私も記事を書ける自信がありません。あそこは本当に専門性が異常に高く、こちらの湯之上隆氏の記事を見るとプロってすごいなと思うと同時に頭が上がらなくなります。
話は戻りますがそういう意味で自分のようにいつでもどこでもなんでも書けるライターの需要は密かに高まっている気がします。特にウェブ記事が隆盛するにつれて一記事辺りの深さはどんどん浅くなってきており、読者層も薄味な記事を求む傾向がますます強くなってきていることもこうした流れに拍車をかけています。このように考えると、望んで今の実力を身に着けたものではないものの割と時代の追い風を受けているという気はします。
人によっては私のようなタイプを器用貧乏と取る人もいるかもしれませんが、かねてからこのブログで書いているように、かつてソニーで花形だったブラウン管テレビの技術者が液晶への技術転換によって末路は悲惨だったという話を聞いていこう、専門性を深めるリスクに対して明確に懸念をしてきました。このリスクはイノベーションがさらに激しくなった近年に至ってはますます度合いを強めているだけに、あながちこの警戒は間違いではなかったでしょう。
最後に、なんでも書けると言いながら私にも経済記事書く上での苦手分野はもちろんあり、苦手意識はないけどレベルが及ばないのは前述の半導体業界で、明確に苦手意識を持っているのはホテル業界です。一方、最初に言及した知人はエレキ業界が苦手で、この方面の記事は私がよく請け負っていました。
逆にそこそこ得意だと思うのは不動産、人材業界、決して上等ではないけど日本の記者よりはまともなの書けるなと思ってるのは金融業界です。また最近得意分野になりつつあるのは、分野というかテーマですけどコンプライアンス関連です。
結論から書くと、自分がライターとして優れている点を挙げるとしたら、執筆においてジャンルや分野を選ばないほど幅広いレンジの広さにあると思います。
JBpressでは一応、編集からの要望もあって中国事情を紹介するコラムを中心に書いていますが、こうした中国関連記事においてマクロレベルの経済記事を書いているのは私くらいでしょう。ちなみにさっきの知人からは、「なんであんな毎回グラフ作る時間あんの?」と言われました。
何も中国に限定しなくても日本国内でもこうしたマクロレベルの経済記事はいくらでも書く自信があるし、むしろ日本のメディアはマクロデータをほとんど取り扱わないので、各種世論調査指標を活用して他の日本人ライターではまずかけないような記事や分析だって組み立てる自信があります。この辺は元々経済紙、それも中国経済専門紙で書いてきたバックグラウンドがなせる業でしょう。
こうした経済ネタに限らずとも観光業と絡めた普段の生活ネタでもよく中国紹介記事を書いていますし、また去年夏には歴史記事を書いてきちんとアクセスも稼いだので、この分野でもある程度ものになる記事が書けることを証明しました。なお本音で書くと、もしかしたら自分が一番強い分野はこの歴史系記事かもしれません。
このほかまだ実際に出したわけではないものの、相撲であればそれなりのスポーツ記事書く自信あるし、あとゲームのレビューコラムなら簡単のなら書けるでしょう。このほかこのブログでやっているような日本社会の調査、経済、政治記事、あと古いのでよければ事件系の記事も掘り起こすようなコラムだったら行けるでしょう。文芸評論に関しては日本の文壇が確実におかしいレベルへ突入し始めているので、彼らなんかよりずっともっとマシなものが必ず書けるでしょう。
多少おこがましい言い方になりますが、これほど多分野にわたってあらゆる記事を書けるライターは現在あまりいません。仮にジャンルを経済だけに絞ったとしても、最近は大手紙を中心に社員に業界や業種の専門を持たせる傾向が強く、確かに専門性の高い記事を出せるようにはなるものの、何でもかんでもどの業界についてもある程度対応できる記者は少なくなってきています。
もっともこう言いながらですが、半導体業界についてはさすがに私も記事を書ける自信がありません。あそこは本当に専門性が異常に高く、こちらの湯之上隆氏の記事を見るとプロってすごいなと思うと同時に頭が上がらなくなります。
話は戻りますがそういう意味で自分のようにいつでもどこでもなんでも書けるライターの需要は密かに高まっている気がします。特にウェブ記事が隆盛するにつれて一記事辺りの深さはどんどん浅くなってきており、読者層も薄味な記事を求む傾向がますます強くなってきていることもこうした流れに拍車をかけています。このように考えると、望んで今の実力を身に着けたものではないものの割と時代の追い風を受けているという気はします。
人によっては私のようなタイプを器用貧乏と取る人もいるかもしれませんが、かねてからこのブログで書いているように、かつてソニーで花形だったブラウン管テレビの技術者が液晶への技術転換によって末路は悲惨だったという話を聞いていこう、専門性を深めるリスクに対して明確に懸念をしてきました。このリスクはイノベーションがさらに激しくなった近年に至ってはますます度合いを強めているだけに、あながちこの警戒は間違いではなかったでしょう。
最後に、なんでも書けると言いながら私にも経済記事書く上での苦手分野はもちろんあり、苦手意識はないけどレベルが及ばないのは前述の半導体業界で、明確に苦手意識を持っているのはホテル業界です。一方、最初に言及した知人はエレキ業界が苦手で、この方面の記事は私がよく請け負っていました。
逆にそこそこ得意だと思うのは不動産、人材業界、決して上等ではないけど日本の記者よりはまともなの書けるなと思ってるのは金融業界です。また最近得意分野になりつつあるのは、分野というかテーマですけどコンプライアンス関連です。
2018年2月9日金曜日
現代も色濃い松田優作の影響とオマージュ
先日、ふとしたきっかけから「GANTZ」に出てくる岡八郎というキャラクターがのモデルが松田優作であるということを知りました(言動は岡八郎氏そのものですが)。言われてみると確かにそうと取れる面影があるのですが、なにもこのキャラクターに限らず松田優作をモデルにした漫画キャラクターは非常に多くいます。
代表的なものを挙げると、「北斗の拳」のケンシロウ、というよりこの漫画の作者の原哲夫氏が書く主人公キャラはみんな松田優作にしか見えません。また平松伸二氏が書く漫画の主人公も「ドーベルマン刑事」をはじめやはり松田優作をモデルにしているように見られ、あと「シティハンター」の主人公、冴羽遼もそうなんじゃないかという気がします。
一体何故これほど多くの漫画家が松田優作をモデルにキャラクターを書いたのか、やや世代が異なり現実の松田優作の演技をあまり未定な自分からしたらやや想像しづらいのですが、伝え聞く限りではその存在感や迫力は同時代の俳優をもってしても群を抜いており、実際に共演した経験のある俳優も誰もが口を揃えて「別格だった」と話していることから、スターとはまた違った存在感を持つ人物であったのではと推察しています。
一方、こう言っては何ですが近年の俳優らで、この松田優作のように漫画や小説でモデルとされるような人物がいるかとなると、正直あまり浮かびません。強いてあげるとしたら阿部寛氏で、髭面のイケメンキャラクターをみるとどことなく面影を感じさせる辺り多方面へ影響を与えているのではないかと思います。
このほかだとパッと思い浮かぶのは、プロレスラーのグレートムタこと武藤敬司氏で、スキンヘッドで髭はやしたいかついキャラクターともなるとこちらも彼の面影があるどころか、「夜王」をはじめ、「どっからどう見ても武藤じゃねーか」と言いたくなるくらいそっくりそのままに書いてくる漫画家すらいます。まあそれだけあって、武藤氏の存在感はやっぱすごいですが。
このように男優でも他のメディアにモデルで使われる人間はあまり出てこず、女優ともなると私が知る限りでは現在皆無です。石原さとみ氏っぽいキャラ出てくる漫画とかあんのかな。
現実に、今の時代で評価される俳優は松山ケンイチ氏や山田孝之氏など、役柄に合わせてがらりとイメージを変えるカメレオン俳優ばかりで、かつての高倉健など一つのイメージを保って強い存在感を感じさせる俳優は逆に評価されません。唯一例外なのは「クズキャラの帝王」こと藤原竜也氏で、もうなんか犯罪者以外の役は演じられないんじゃないかってくらいクズキャラしか演じず、「クズと言ったら藤原竜也」というくらい変な風に存在感持っています。
以上を踏まえて極論を述べると、なんとなくですが日本社会全体で個性が失われつつあるるのかなという懸念がよぎります。過去に高倉健について書いた記事でも同様の意見を述べていますが、キャラの濃い人間が芸能界はおろか一般社会でも少なくなってきているように思え、それこそ中国人やハリウッド俳優とかと比べると顔が覚えられないということが多いです。現実に、私の世代は個性があればあるほど学校を含め社会では不利になる傾向があり、やはり全体として没個性的な世代だと感じます。
おまけ
松田優作をモデルにしたキャラクターをいくつかあげましたが、一番強烈なものを挙げるとしたらやはり「ゾンビリベンジ」という英文法をどっかしら間違えたとしか思えないタイトルしたゲームに出てくる毒島力也でしょう。具体的には、
詳しくはさっきリンクを付けた解説記事に書かれていますが、舞台がアメリカなだけに登場人物はみんな英語で会話する中、何故かこのキャラだけ平気で日本語をしゃべり続けるし、「この邪気は……」などと脈絡ないことばかり話したり、松田優作そのものな外見もあってモデルとなった人物同様に強烈なインパクトを残しています。しかも必殺技がゾンビ相手にかける「四の字固め」で、このキャラ一人の存在でこのゲームがゾンビゲーであることが分からなくなってしまうくらいでした。
代表的なものを挙げると、「北斗の拳」のケンシロウ、というよりこの漫画の作者の原哲夫氏が書く主人公キャラはみんな松田優作にしか見えません。また平松伸二氏が書く漫画の主人公も「ドーベルマン刑事」をはじめやはり松田優作をモデルにしているように見られ、あと「シティハンター」の主人公、冴羽遼もそうなんじゃないかという気がします。
一体何故これほど多くの漫画家が松田優作をモデルにキャラクターを書いたのか、やや世代が異なり現実の松田優作の演技をあまり未定な自分からしたらやや想像しづらいのですが、伝え聞く限りではその存在感や迫力は同時代の俳優をもってしても群を抜いており、実際に共演した経験のある俳優も誰もが口を揃えて「別格だった」と話していることから、スターとはまた違った存在感を持つ人物であったのではと推察しています。
一方、こう言っては何ですが近年の俳優らで、この松田優作のように漫画や小説でモデルとされるような人物がいるかとなると、正直あまり浮かびません。強いてあげるとしたら阿部寛氏で、髭面のイケメンキャラクターをみるとどことなく面影を感じさせる辺り多方面へ影響を与えているのではないかと思います。
このほかだとパッと思い浮かぶのは、プロレスラーのグレートムタこと武藤敬司氏で、スキンヘッドで髭はやしたいかついキャラクターともなるとこちらも彼の面影があるどころか、「夜王」をはじめ、「どっからどう見ても武藤じゃねーか」と言いたくなるくらいそっくりそのままに書いてくる漫画家すらいます。まあそれだけあって、武藤氏の存在感はやっぱすごいですが。
このように男優でも他のメディアにモデルで使われる人間はあまり出てこず、女優ともなると私が知る限りでは現在皆無です。石原さとみ氏っぽいキャラ出てくる漫画とかあんのかな。
現実に、今の時代で評価される俳優は松山ケンイチ氏や山田孝之氏など、役柄に合わせてがらりとイメージを変えるカメレオン俳優ばかりで、かつての高倉健など一つのイメージを保って強い存在感を感じさせる俳優は逆に評価されません。唯一例外なのは「クズキャラの帝王」こと藤原竜也氏で、もうなんか犯罪者以外の役は演じられないんじゃないかってくらいクズキャラしか演じず、「クズと言ったら藤原竜也」というくらい変な風に存在感持っています。
以上を踏まえて極論を述べると、なんとなくですが日本社会全体で個性が失われつつあるるのかなという懸念がよぎります。過去に高倉健について書いた記事でも同様の意見を述べていますが、キャラの濃い人間が芸能界はおろか一般社会でも少なくなってきているように思え、それこそ中国人やハリウッド俳優とかと比べると顔が覚えられないということが多いです。現実に、私の世代は個性があればあるほど学校を含め社会では不利になる傾向があり、やはり全体として没個性的な世代だと感じます。
おまけ
松田優作をモデルにしたキャラクターをいくつかあげましたが、一番強烈なものを挙げるとしたらやはり「ゾンビリベンジ」という英文法をどっかしら間違えたとしか思えないタイトルしたゲームに出てくる毒島力也でしょう。具体的には、
こんなん
詳しくはさっきリンクを付けた解説記事に書かれていますが、舞台がアメリカなだけに登場人物はみんな英語で会話する中、何故かこのキャラだけ平気で日本語をしゃべり続けるし、「この邪気は……」などと脈絡ないことばかり話したり、松田優作そのものな外見もあってモデルとなった人物同様に強烈なインパクトを残しています。しかも必殺技がゾンビ相手にかける「四の字固め」で、このキャラ一人の存在でこのゲームがゾンビゲーであることが分からなくなってしまうくらいでした。
2018年2月8日木曜日
自動車業界、オヤジギャグコピーの時代
・【百花繚乱!!】日本が生んだ奇跡の時代のクルマたち6選(ベストカー)
上の記事リンクは今日出たものですが、ベストカーなだけに見事な選出だと思います。ただこの記事を読んで思ったのは、古き良き時代の日系スポーツカーよりも、あの時代に何故か流行ったオヤジギャグコピーの嵐でした。
現在でこそ自動車のテレビCMと言ったら海外の風光明媚な場所を颯爽と走る光景を映したようなものが主流で、あとは家族と一緒にウキウキドライブ的なものが放映されるくらいですが、何故か90年代はキャッチコピーによくオヤジギャグが使われており、今思うといろいろあり得ない宣伝方法だったような気がしてなりません。そこで今日は、私が覚えているいくつかのオヤジギャグコピー車を紹介します。
・ホンダ・インテグラ
天皇家御用達でおなじみのこのホンダカーですが、2代目販売時のキャッチコピーはなんと「カッコインテグラ」、「調子インテグラ」、「気持ちインテグラ」、「めっちゃインテグラ」という、恐怖のオヤジギャグ四段活用となっていました。しかもこのコピー、何を考えたのか映画「バックトゥザフューチャー」に主演したマイケル・J・フォックスに言わせており、当時の日本が如何に強大なマネーを使ってハリウッド俳優に変なことやらせてたのかが垣間見えます。
ちなみにハリウッド俳優でいえばトヨタもちょっと前ジャン・レノにドラえもんをやらせていましたが、下請けから吸い取った利益でああいうCMが作られているとか考えるとなんかいろいろやきもきします。確かに面白かったけどさ。
・トヨタ・スプリンタートレノ
「頭文字D」でお馴染みの「ハチロク」をその系譜に持つスプリンタートレノですが、その最終モデルに当たる8代目(AE110)のCMでは武田真治氏に「オレノトレノ」と言わせていました。全くひねりのない、実にストレートなオヤジギャグコピーに思え、例えるなら水泳の飛込競技で真っ逆さまに落ちるかのようなキレのなさを覚えます。
ちなみにこの型、自分は勝手に「エーイーイットオ」と呼んでいましたが、Wikiの記述によると「ヒャクトオ」とか「イチイチマル」と呼ばれてたそうです。ひとつ前の7代目(AE100)は「ヒャク」、「イチイイチマル」だったそうですが、誰も「百式」とか呼ばなかったのかな。
・スズキ・スイフト
現在でこそ「コンパクトスポーツ」なイメージが確立されたスイフトですが、そうなったのは2代目からで、初代スイフトについて言えば完全に「安かろう悪かろう」で如何にもいい加減に作ったような車でした。
コンパクトカーが普及し始めたからうちらもともかく安く作ろうをコンセプトに作ったのか、発売当初から当時の価格帯を大きく引き下げるような安価で売り出され、2年後にはさらに値段を引き下げた上で、「泣く子も黙る79万円」という強烈に加齢臭を感じさせるコピーで売ってました。ちなみにこの値段、当時でも軽自動車より安かったそうです。
一体何故このようなオヤジギャグコピーが流行ったのか、はっきり言ってかなり謎です。考えたのは自社広報部なのか、広告代理店の連中なのかわかりませんが、どっちかっていうとオヤジ臭さ的に各社広報部なんじゃないかなという気がします。
もし敢えて現代でこうしたキャッチコピーを考えるとしたら、「この車、俺にアッテンザね」ってのが真っ先に浮かび、次に出てきたのはセリーヌ・ディオンを呼んできてセレナに乗せて、「セレーナ・ディオン」とか言わせるものでした。
なお自動車業界のキャッチコピー全体でいえば、初代プリウスの「20世紀に間に合いました」が最も価値が高いコピーではないかと私は思っています。当時の時代背景を考えるとプリウスのハイブリッドシステムはオーパーツもいいところで、敢えて例えるなら二次大戦期にアスロックを導入するくらいの先進性だったと考えています。
ちなみにこのアスロック、ゲームで使ったらめっちゃ便利で使いやすく、それまでの爆雷による潜水艦撃破と比べ劇的に効率が上がって重宝しました。たまにふざけて海上の軍艦にもぶつけたりしてやったけど。
上の記事リンクは今日出たものですが、ベストカーなだけに見事な選出だと思います。ただこの記事を読んで思ったのは、古き良き時代の日系スポーツカーよりも、あの時代に何故か流行ったオヤジギャグコピーの嵐でした。
現在でこそ自動車のテレビCMと言ったら海外の風光明媚な場所を颯爽と走る光景を映したようなものが主流で、あとは家族と一緒にウキウキドライブ的なものが放映されるくらいですが、何故か90年代はキャッチコピーによくオヤジギャグが使われており、今思うといろいろあり得ない宣伝方法だったような気がしてなりません。そこで今日は、私が覚えているいくつかのオヤジギャグコピー車を紹介します。
・ホンダ・インテグラ
天皇家御用達でおなじみのこのホンダカーですが、2代目販売時のキャッチコピーはなんと「カッコインテグラ」、「調子インテグラ」、「気持ちインテグラ」、「めっちゃインテグラ」という、恐怖のオヤジギャグ四段活用となっていました。しかもこのコピー、何を考えたのか映画「バックトゥザフューチャー」に主演したマイケル・J・フォックスに言わせており、当時の日本が如何に強大なマネーを使ってハリウッド俳優に変なことやらせてたのかが垣間見えます。
ちなみにハリウッド俳優でいえばトヨタもちょっと前ジャン・レノにドラえもんをやらせていましたが、下請けから吸い取った利益でああいうCMが作られているとか考えるとなんかいろいろやきもきします。確かに面白かったけどさ。
・トヨタ・スプリンタートレノ
「頭文字D」でお馴染みの「ハチロク」をその系譜に持つスプリンタートレノですが、その最終モデルに当たる8代目(AE110)のCMでは武田真治氏に「オレノトレノ」と言わせていました。全くひねりのない、実にストレートなオヤジギャグコピーに思え、例えるなら水泳の飛込競技で真っ逆さまに落ちるかのようなキレのなさを覚えます。
ちなみにこの型、自分は勝手に「エーイーイットオ」と呼んでいましたが、Wikiの記述によると「ヒャクトオ」とか「イチイチマル」と呼ばれてたそうです。ひとつ前の7代目(AE100)は「ヒャク」、「イチイイチマル」だったそうですが、誰も「百式」とか呼ばなかったのかな。
・スズキ・スイフト
現在でこそ「コンパクトスポーツ」なイメージが確立されたスイフトですが、そうなったのは2代目からで、初代スイフトについて言えば完全に「安かろう悪かろう」で如何にもいい加減に作ったような車でした。
コンパクトカーが普及し始めたからうちらもともかく安く作ろうをコンセプトに作ったのか、発売当初から当時の価格帯を大きく引き下げるような安価で売り出され、2年後にはさらに値段を引き下げた上で、「泣く子も黙る79万円」という強烈に加齢臭を感じさせるコピーで売ってました。ちなみにこの値段、当時でも軽自動車より安かったそうです。
一体何故このようなオヤジギャグコピーが流行ったのか、はっきり言ってかなり謎です。考えたのは自社広報部なのか、広告代理店の連中なのかわかりませんが、どっちかっていうとオヤジ臭さ的に各社広報部なんじゃないかなという気がします。
もし敢えて現代でこうしたキャッチコピーを考えるとしたら、「この車、俺にアッテンザね」ってのが真っ先に浮かび、次に出てきたのはセリーヌ・ディオンを呼んできてセレナに乗せて、「セレーナ・ディオン」とか言わせるものでした。
なお自動車業界のキャッチコピー全体でいえば、初代プリウスの「20世紀に間に合いました」が最も価値が高いコピーではないかと私は思っています。当時の時代背景を考えるとプリウスのハイブリッドシステムはオーパーツもいいところで、敢えて例えるなら二次大戦期にアスロックを導入するくらいの先進性だったと考えています。
ちなみにこのアスロック、ゲームで使ったらめっちゃ便利で使いやすく、それまでの爆雷による潜水艦撃破と比べ劇的に効率が上がって重宝しました。たまにふざけて海上の軍艦にもぶつけたりしてやったけど。
2018年2月6日火曜日
花園祐は反日か?
君の四股名は
最近、Googleで自分の名前を検索に書けると検索候補に「花園 祐 反日」と表示されるようになり、自分で見ていていろいろ笑えてきます。こうなったのは間違いなく最近JBpressで出している記事が原因でしょうが、果たしてこのブログの読者ならこの検索候補表示についてどう思うのか、この点については少し気になるところです。8年前にNHKの取材を受けた際には、「口ではいろいろ悪く言ってますが、日本の将来についてブログで熱く語ってるじゃないですか」と言われはしましたが。
そもそも、自分が愛国心を持っているかどうかは自分で決めるようなものではないと私は思うので、自分の日本への帰属意識がどこまであるかについてはわざわざ分析しませんし興味もありません。相撲は愛していると胸を張って言えますが。
同時に、周囲の人間が私に対してどう思うのかについて、「それは違う」と否定するのもまたおかしいと考えています。実際に口に出したり行動に移したりするとなると別ですが、各人それぞれの思想なり意識があるのだからそれに対して間違っているとか否定するのはやはり違うように思え、何をどう考えるかについては完全に自由でなければならないと思います。従って私への評価も、反日だと思う人がいるのなら別にそれで構いませんし、私が否定することはあってはならないはずです。そもそも、かつて何度も「てめぇなんか人じゃねぇ!」と面罵されてきたので、それに比べればまだ人間扱いされてるだけマシかという気すらします。
ただ、現実の立場や身の置き方となるとこれは実態が伴うため話は別です。こうした前提を踏まえた上でいうと、やはりこういう言葉を聞くと「幻想水滸伝2」というゲームの冒頭でのワンシーンを思い出します。具体的にそれはどういうシーンかというと、裏切ったと言われている人間が、先に裏切られただけだというシーンです。
大体2011年から2012年くらいの記事にも書いていると思いますが、自分が好き好んで中国に現地採用しに来たのかというとやはりそれは違うと思います。結論から言えば日本では機会が得られなかったから中国に来ざるを得なかっただけで、日本で完結できていたら今でも毎週ジャンプを買って読んでたはずでしょう。選択したのは私自身であるためその結果についても私自身がそれを負うのも当然ですが、仮に2010年に決断していなかったら、今の十分の一くらいにつまらない日々を送っていたと断言できます。その分、貯金は今の十倍はあったでしょうが。
今こうしてライターとして活動しているのも、日本に居続けていたらまず関わることのなかった組織にいるのも、「若い今じゃなければもう来られない」と考えて2010年に決断していなければあり得なかったことです。
なお少し細かく書くと中国は2013年から外国人の就業を厳しく制限し始めたため、決断が2013年以降まで遅れていたら多分私は中国に来ることはできなかったでしょう。ちょうど就業条件の一つである2年超の正社員経験も得られたばかりでしたし、あの決断タイミングはこれ以上ないくらいベストなタイミングでした。
話を戻すと、自分は機会を求めましたが、むしろ他の人なら拒否するほどなのに、日本では誰もそうした機会を与えてくれることはありませんでした。仕方がないからすこぶる不利な条件で自分一人で乗り込むしかなくなり、実際そうして、そこそこ面白い経験を持ち帰ってきたところ今度はその経験にだれも見向きせず、仕方ないからまた中国来ているというのが今の現状です。
断言しますが、こと中国関連の業務において今の自分ほど効率のいい人間ともなると非常に限られてくると思います。その上私は病的なほどに欲がなく、待遇面での要求も恐ろしく低いままです。それでも日本では誰も機会をくれず、今の私を反日と呼ぶ人も一定数以上いるという今の始末です。
無論、私を批判する方々が私のこれまでの軌跡を知るはずもなく、ただ単に読んだ記事内容だけで批判していると思うため、案外自然な帰結だろうと私も思います。私としては、先にボールを投げたのはそっちなのになとは思いますが。
こうした状態は他の人の目にも同じように映っているようで、先日も読者の方に、「今の君は桜田門外の井伊直弼みたいだ」と直接言われました。なかなかいい得て妙だと私も思え、「むしろ武市かもしれません」と私も返答しました。
以上を踏まえて言うと、「先に裏切ったのはどっちだ?」と私が問うことに意味はないでしょう。強いて言えば、「それは時代が決めることで、人の意思など全く関係ない」というのが最適解として相応しいでしょう。自分も反日かどうか、いちいち意見を述べることすらもはや煩わしいだけですし。
ちなみに今現在で私が最も裏切り者だと思う人物を挙げるとしたら、元千葉ロッテ、現在はヤクルトスワローズにいる成瀬投手です。頼むから2007年の頃みたく復活してくれ(´;ω;`)ブワッ
2018年2月4日日曜日
上海の日本語アニソンライブ
「北斗の拳」主題歌の演奏
JBpressの原稿といいマージン率の調査といいで非常に忙しく記事アップが遅れましたが、二週間前に上海で開かれたアニソンライブに行ってきました。
このバンドはかねてから日本のアニメソングを日本語で歌うバンドとして活動していますが、メンバーは全員中国人です。にもかかわらず日本語の歌詞を極めて上手に熱唱しており、実力に関しては間違いなく高いと私も太鼓判を押します。
そもそも何故音楽に疎い私がこんなライブに参加してきたのかというと、また例によって友人の上海人が「一緒に行こうよ!」と誘ってきたからです。当初は以前にも行ったことのあるライブハウスでの公演を見に行く予定だったのですが、私も行くと返答した後すぐに友人がチケットを予約していたらそれで済んだところを、何故か翌日になってから予約しようとしたところ、既にチケットは完売されていました。仕方ないので日程を変え、別のライブハウスで開かれる公演を予約(こっちの方が価格は高かった)する羽目となりました。
なおその後、私たちが行ったこのライブチケットもすぐに完売し、さらにはまたまた別のライブハウスでの公演も同じく完売していたそうです。控えめに見ても非常に人気の高いバンドであるとともに、日本語での演奏にも拘わらずこれほど中国人ファンが聞きに来るのかという点で驚きでした。
「ペガサス幻想」。最近知ったがこの時の聖矢のクロスはアニメオリジナルらしい。
演奏された演目は北斗の拳の「愛を取り戻せ」や、「ペガサス幻想」、あとタイトルは忘れましたが「サムライトルーパー」の曲などがあり、こんな大昔の曲を中国人ファンは喜ぶのかといろいろな点でびっくりです。ほかにもドラゴンボールの「チャラヘッチャラ」とかもあり、非常に歌も上手ではあったと思うものの、上記にアニソンの原曲を謳っている歌手(影山ヒロノブとかクリスタルキング)がはっきり言って歌唱力が異常な連中ばかりなため、さすがに原曲と比べるとややレベルが落ちる感があります。
逆を言えば、あんま歌が上手でない歌手の歌を歌わせたら、多分このバンドのボーカルの人の方がうまいんじゃないかと思うレベルではありました。差し当たって歌が下手なアニソン歌手と言ってすぐ浮かぶのは、頭文字Dの「m.o.v.e」くらいですけど、あれはあれで下手っぽさが作品とあっててすごくいいのですが。
バンドのボーカルは男性と女性で一人ずついて、私の好みもありますがこちらの女性ボーカルの歌の方が伸びがあってよかったような気がします。歌ったのは新世紀エヴァンゲリオンの「残酷な天使のテーゼ」でしたが、個人的には「魂のルフラン」とかが聴きたかったです。他には「名探偵コナン」の倉木麻衣氏の曲なども歌われました。
あと意外な選曲として、新世紀GPXサイバーフォーミュラーの「I'll Come」という曲も歌われました。さすがにこの曲ともなると日本人でも知ってる人間は限られることもあってか、会場の客も「え、これ何の曲?」と戸惑う感じの人が多くいました。ただ私の後ろにいた二人組の女性客は知ってたらしく、演奏が始まるとめちゃくちゃ興奮してました。
個人的には、「Wild at Heart」の方が聴きたかったです。なおこの歌の歌手は「CaYOCO」という人物がクレジットされており、この人がどういう人か、ほかにどういう歌を歌っているかはこれと言って情報がなく、中国のサイトでも「この人誰なの?」という質問がネット上で出ていますが、声からして大黒摩季氏ではないかと私は推測しています。この人はその作詞の裏側が後年ネタバレされたのをみて「やっぱり……」と内心思いました。
この日、会場が一番盛り上がったのは、その大黒摩季氏も関わる「スラムダンク」の楽曲演奏時でした。大黒氏の「あなただけを見つめてる」だけでなくWANDSの「世界が終わるまでは…」が演奏され、特に後者は最後のアンコールでもう一度演奏されたくらいでした。中国、特に私と同世代ではスラムダンクの人気が桁違いに高いとは知ってはいたものの、こうして日本語の歌詞でこれほどまで興奮する人がたくさんいるというのはなかなか体験してみないと実感できないものです。
なお友人の上海人もスラムダンクを見て一時期バスケットをやっていたそうです。その後日本に渡ってからは「京橋のキムタク」と自称してました。
最後に、写真を見てもらえばわかりますが各演奏中は後ろのディスプレイにその曲のアニメ映像が流されていましたが、これらはきちんと許諾を取った上での演出だったようです。ライブ中、この映像の許諾が得られなかったことから一部の曲目(確かナルト)が演奏できなかったという事実がバンドの方から説明がありました。
また、「進撃の巨人」の曲目についても、「歌詞が過激すぎることから当局から公共での演奏が禁止された」との事実も明かされました。噂には聞いてはいましたが、実際に適用されるケースに出くわしたのは私にとってこれが初めてです。
敢えて応用的な意見を最後に載せると、演奏された曲目は当局に止められた「進撃の巨人」を覗いてどれも二十年以上前の曲ばかりという事実こそが一番注目すべき点でしょう。十年くらい前なら浜崎あゆみ氏やKIROROの曲が中国でも流行していましたが、果たしてここ数年の日本の楽曲で中国でのライブ公演をするとして客が集まるかとなると私としても非常に疑問です。
日本の音楽の質が落ちていると言えば簡単ですが(実際そうだと思う)、それ以上に中国人が日本の歌を聞く機会がかつてと比べて極端に少なくなっている現状にもっと危機感を覚えるべきではないかと思います。やはりアニメを通して知る機会が多いと思うので、その辺をどう今後活用すべきか、真面目に戦略的に考えるべきでしょう。
なお近年、と言ってももうこれも十年以上前ですが、自分が傑作だと思うアニソンは「ぼくらの」の「アンインストール」です。作品の内容とマッチし過ぎて、未だに聞くだけで涙出てきます(ノД`)
2018年2月1日木曜日
私が恐れる中国人ライター
昨夜はマージン率の追加取材でなんかやたら気持ち的に疲れ、そのあと書いたブログ記事もやや荒れている気がします。このところ意識上では比較的体調はいいですが、こうして記事書く際にキーボードのタイプミスが非常に増えていることからも見えないところで疲労を背負ってるのかもしれません。もっともそんな状態でありながら、最高気温4度の今日も普通にコート着ず春用スーツで出勤してますが。
話は本題に入りますが先日、成田空港で起きた中国人旅行客の暴行騒動について私も記事を書きましたが、記事を出した段階では既に事件発生から数日が経過していたものの、なんか今週に入ってからこの件に関する言及というか報道が時間差で増えている気がします。自分としてはコメントに応じて書いただけでそうした流れはまったく気にしていませんでしたが、個人的に読んで(ノ∀`)アチャーと思ったのはこの記事でした。
・中国人観光客「成田空港騒乱」でわかった中国世論の“常識度”(ダイヤモンド)
この記事を書いているのは莫邦富氏という中国人ジャーナリストの方です。
私がこのブログでダイヤモンドの記事を引用する際は大抵そのダメっぷりを批判するときくらいなのですが、この莫氏の記事については別で、毎度その記事のレベルの高さにはため息をつかされています。それ以前に何が凄いかって、莫氏は中国人であるにもかかわらず下手な日本人ライターよりずっと文章表現が上手で、「なんでこんなうまい日本語を外国人が書けてしまうのだろう」と毎度ながら思わされます。
今回、この成田空港の騒動に関する莫氏の記事を見て何故(ノ∀`)アチャーと思ったのかというと、「莫氏と被ってしまった……」と思ったからです。正直に言って相手があの莫氏ともなると私では太刀打ちできないと考えており、実際に私の記事なんかより莫氏の記事の方が簡潔にこの事件についてまとめている上、鋭い視点で総括しています。素直に実力の差を感じさせられる相手なだけに、ほかにも何人かいますが、記事内容が被ってしまったらただただ自分の記事の惨めさをさらすこととなるので、記事内容を被らせてはならない相手だと莫氏についてはかねてから考えていました。
それが今回見事に被ってしまい、あーあと嘆息するとともにやはり莫氏の分析は鋭いなとただただ脱帽することとなってしまいました。
今回の莫氏の記事と私の記事の異なる点挙げるとすれば、在日中国大使館が緊急的に対応した点をきちんと誉めていることだと思います。まぁこれ以外にも細かい点でいろいろ違いますが、やはり文章の運び方に妙を感じさせられ、私のようにだらだらとした文章になっていないあたりは相変わらずだと感心させられます。
文章表現だけであれば時間かけて書けばどうとでもなりますが、やはり莫氏の場合だと視点が非常に鋭く、過去の記事でも「こんな見方があったのか」と思わせらえる記事が非常に多いです。
・成田空港で中国国歌、職員に暴行・逮捕…中国人観光客はなぜ日本で暴れるのか(産経新聞)
一方、対照的にレベルが低いと感じたのはやはり上の産経の記事です。見比べてみれば一目瞭然ですが、視点が「迷惑に感じる日本人」の目しかなく、莫氏のように大陸の中国人の視点、ライターとしての莫氏の視点、騒ぎを増長させようとする中国人の視点など複数の立場から見た記述は全くありません。それどころか、一部事実を敢えて伏せた上で、より中国人旅行者を悪く見せようとするような記述も見えます。
今回、自分としても恥をさらすことになるとわかっていながら莫氏の記事を何故引用したのかというと、読者の方にこの産経のダメ記事と比較して読んでもらいたいと思ったからです。私個人の視点でいえば、非常に実力差がはっきり出る比較になるように思え、いいライターと悪いライターの差はどこにあるのかを示す上でいい好材料だと考えています。
なお産経についてはこのところ堕ちるところまで堕ちたなと強く感じます。リンクを付けませんが昨年末に産経が報じた、沖縄の自動車事故で米軍が救助したという報道は、当の米軍自身が否定しており、現時点でほぼ捏造と断じても十分でしょう。特に当事者である産経新聞自身が捏造だとの報道に対して何もコメントしていないという点も、暗に状況を裏付けています。
わざわざ捏造報道をしてまで米軍の方を持とうとする辺り、「お前はどっちの味方だ?」と某シーマ・ガラハウみたく問いたくなります。沖縄メディアが憎いから米軍を持ち上げるなど、何がしたいのか私には理解できません。せっかくだから産経は自社内を取材してフェイクニュース特集でも組んだらどうか、その際に腕利きのライター、それこそ産経が憎んで止まない中国人である莫氏なんかにお願いして記事でも書いてみたらどうかと提案したいところです。
話は本題に入りますが先日、成田空港で起きた中国人旅行客の暴行騒動について私も記事を書きましたが、記事を出した段階では既に事件発生から数日が経過していたものの、なんか今週に入ってからこの件に関する言及というか報道が時間差で増えている気がします。自分としてはコメントに応じて書いただけでそうした流れはまったく気にしていませんでしたが、個人的に読んで(ノ∀`)アチャーと思ったのはこの記事でした。
・中国人観光客「成田空港騒乱」でわかった中国世論の“常識度”(ダイヤモンド)
この記事を書いているのは莫邦富氏という中国人ジャーナリストの方です。
私がこのブログでダイヤモンドの記事を引用する際は大抵そのダメっぷりを批判するときくらいなのですが、この莫氏の記事については別で、毎度その記事のレベルの高さにはため息をつかされています。それ以前に何が凄いかって、莫氏は中国人であるにもかかわらず下手な日本人ライターよりずっと文章表現が上手で、「なんでこんなうまい日本語を外国人が書けてしまうのだろう」と毎度ながら思わされます。
今回、この成田空港の騒動に関する莫氏の記事を見て何故(ノ∀`)アチャーと思ったのかというと、「莫氏と被ってしまった……」と思ったからです。正直に言って相手があの莫氏ともなると私では太刀打ちできないと考えており、実際に私の記事なんかより莫氏の記事の方が簡潔にこの事件についてまとめている上、鋭い視点で総括しています。素直に実力の差を感じさせられる相手なだけに、ほかにも何人かいますが、記事内容が被ってしまったらただただ自分の記事の惨めさをさらすこととなるので、記事内容を被らせてはならない相手だと莫氏についてはかねてから考えていました。
それが今回見事に被ってしまい、あーあと嘆息するとともにやはり莫氏の分析は鋭いなとただただ脱帽することとなってしまいました。
今回の莫氏の記事と私の記事の異なる点挙げるとすれば、在日中国大使館が緊急的に対応した点をきちんと誉めていることだと思います。まぁこれ以外にも細かい点でいろいろ違いますが、やはり文章の運び方に妙を感じさせられ、私のようにだらだらとした文章になっていないあたりは相変わらずだと感心させられます。
文章表現だけであれば時間かけて書けばどうとでもなりますが、やはり莫氏の場合だと視点が非常に鋭く、過去の記事でも「こんな見方があったのか」と思わせらえる記事が非常に多いです。
・成田空港で中国国歌、職員に暴行・逮捕…中国人観光客はなぜ日本で暴れるのか(産経新聞)
一方、対照的にレベルが低いと感じたのはやはり上の産経の記事です。見比べてみれば一目瞭然ですが、視点が「迷惑に感じる日本人」の目しかなく、莫氏のように大陸の中国人の視点、ライターとしての莫氏の視点、騒ぎを増長させようとする中国人の視点など複数の立場から見た記述は全くありません。それどころか、一部事実を敢えて伏せた上で、より中国人旅行者を悪く見せようとするような記述も見えます。
今回、自分としても恥をさらすことになるとわかっていながら莫氏の記事を何故引用したのかというと、読者の方にこの産経のダメ記事と比較して読んでもらいたいと思ったからです。私個人の視点でいえば、非常に実力差がはっきり出る比較になるように思え、いいライターと悪いライターの差はどこにあるのかを示す上でいい好材料だと考えています。
なお産経についてはこのところ堕ちるところまで堕ちたなと強く感じます。リンクを付けませんが昨年末に産経が報じた、沖縄の自動車事故で米軍が救助したという報道は、当の米軍自身が否定しており、現時点でほぼ捏造と断じても十分でしょう。特に当事者である産経新聞自身が捏造だとの報道に対して何もコメントしていないという点も、暗に状況を裏付けています。
わざわざ捏造報道をしてまで米軍の方を持とうとする辺り、「お前はどっちの味方だ?」と某シーマ・ガラハウみたく問いたくなります。沖縄メディアが憎いから米軍を持ち上げるなど、何がしたいのか私には理解できません。せっかくだから産経は自社内を取材してフェイクニュース特集でも組んだらどうか、その際に腕利きのライター、それこそ産経が憎んで止まない中国人である莫氏なんかにお願いして記事でも書いてみたらどうかと提案したいところです。
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