学生時代はよく下宿が同じだった友人と夜な夜なあれやこれやと議論をしていましたが、当時この友人との議論となると大抵自分が言い負かされる結果に終わっていました。実際にこの友人との議論を経て、私の死刑に対する考えは廃立派から肯定派に変わっています。
ただいくらか言い訳がましいですが、友人の方でも自分と議論している最中は別の意見を主張していたのに、後々自分が主張した意見のとおりに考え方が変わってきていることが多々あったと話していました。とにもかくにも当時かなり激しく議論し続けましたが、勝率は7:3くらいで友人のほうが圧倒的に自分を上回っていました。
その友人について最近勝手に分析を始めたのですが、改めて思うにつけやはり自分と最も相性の悪いタイプだったなという結論に落ち着きました。というのも議論に置いて私が攻め一辺倒であるのに対し、その友人は完全な防御型、将棋で言えば穴熊に籠もって一切出てこないようなタイプだったからです。
実際に私と話したことがある人間からすれば想像しやすいと思いますが、こと議論における攻めの激しさで言えば私は比類ないほど強力です。何故そこまで自信満々に言えるのかと言うと、頭の回転はそこそこしかないものの、知識量については常人を圧倒するレベルであるため、どんな状況においても相手の言葉尻一つからどこでも反撃を仕掛けられる自信があります。
基本的に相手のもっている情報はほぼ全て把握しているのは当たり前で、更にそれ以上の情報すら抱えているのも私にとっては珍しくなく、相手が主張してきた意見に対して先回りを仕掛けるような形で反撃したり、相手にとって未知の情報を出して置いてきぼりにして議論を進めたりというようなこともよく行います。
また私自身の性格からも攻めに重きをおいており、特に一撃死については美学があり、「一撃で殺せなければ即ち死」という示現流みたいな価値観を持っています。そのため小出しの反撃を控えて相手を泳がせた上、ここぞというところで一撃を加えて議論を終わらせることもありますが、大抵は相手の防御諸共突き崩して倒そうとします。
また、私の主張につられて相手も積極的に反論してくる殴り合いのような議論ともなれば、もう私にとっては怖いものなしです。前述の通り知識量でいくらでも圧倒できることと、攻めに重きをおいていることもあって一撃が重くなおかつ早口でもあることから、議論がヒートアップしてスピードが上がってくれば九割方勝利を確信できます。
そんな自分にとって、前述の友人は最悪の相性とも言うべきタイプでした。先程にも述べた通り超がつくほどの防御型で、議論において私の主張にほとんど反応や返答すらせず黙って聞き、ひとたび穴のある部分を見つけるや的確に突いてくるというようなタイプでした。
それこそこっちの意見につられて相手も反論を出してくるなどして殴り合いに発展すれば私としてはしめたものですが、この友人はなかなか乗ってこないと言うか、本当にある段階まで無言でずっと聞くだけというのが多かったです。それだけに、こっちが意見を出し尽くして右往左往し始めたところで弱いところを的確に突かれると、こっちも反撃のしようがなくなり、その後は向こうに一方的に言いくるめられるだけとなってしまいます。
今回なんでこの友人のタイプを分析できたのかと言うと、一回だけ友人も私の主張につられて激しく何度も反論してきたことがあったのを思い出したからです。このときの議論は私にとっても非常に意外だったというか印象深く、珍しく言い合いが激しくなったと思ったのと、終了時に友人が完全に自分の意見を肯定し認めたからです。私としてはこの友人が相手だということもあって本当に最後の最後まで「この後どんな風に逆襲されるのやら……」と戦々恐々のまま議論を進めていたところ、思っても見ないところで、「あー、そうか……。確かに花園くんの言うとおりだ」と、いきなり白旗上げてこられて、「騙し討ちか!?」などと逆にこっちが混乱する事態となりました。
それで何故この時友人は私の意見に同調したのかと思い返すと、やはり「積極的に反論してきた」というのが一番のポイントだったことに気が付きました。やはり殴り合いになると自分は極端に強いなと思うとともに、「途中まで全く反論してこないからこいつはこれまで手強かったんだ」という結論に至ったわけです。
以上をまとめると、こと議論において私は超がつくほどの攻め型であり、一切打って出てこないような防御型には相性が悪いということとなります。逆に、攻撃と防御のバランス型や、やや攻めに重きをおいているタイプなどは私にとっては与し易い相手と言えるでしょう。
なお議論における私の必殺技をもう一つ挙げると、相手の発言を最初から最後までほとんどすべて暗記できるというのがあります。議論が白熱してきたところで急にそれまでの相手の発言を諳んじてみせると大抵相手は大きく動揺し始めるので、他の人にもおすすめしたい必殺技です。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2019年3月14日木曜日
2019年3月12日火曜日
戦国アルピニスト
・佐々成政(Wikipedia)
佐々成政とは織田家の武将で、信長の親衛隊から出世して本能寺の変の頃には柴田勝家とともに北陸に拠点をおいて対上杉家討伐軍の一翼を担っていました。しかし本能寺の変の後、影響力を拡大する豊臣秀吉との間で対立を深めていき、賤ヶ岳の合戦で同僚の柴田勝家が滅んだ後も抵抗を続けたものの、最終的には秀吉に屈服させられ領地を没収されることとなります。
その後、秀吉の九州制圧が完了すると肥後(熊本県)の支配を任されることとなりますが、国人勢力の強い肥後とあって一揆が頻発することとなり、最終的には統治不行の門で切腹を申し付けられています。この切腹に関しては秀吉が敢えて支配の難しい肥後に追いやって、意図的に成政を抹殺したとも、成政自身の統治能力欠如による結果とも説が出ています。
以上のような経歴から割と通好みというか、私の友人を含め彼を気に入っている歴史好きはそこそこいるのですが、そうした見方の他に戦国武将としてではなく登山家、そうアルピニストとして彼を評価する声があることに最近気が付きました。
・佐々成政(ニコニコ大百科)
詳しくは上記リンク先によくまとめられていますが成政がまだ秀吉勢力に抵抗していた頃、同じく抵抗していた徳川家康と織田信雄は小牧・長久手の戦いを経て秀吉と和睦したと知ると、「成政は両者に抗戦を続けるよう説得するために自ら出向いたと言われています。出向いた事自体はあちこちの文献から確認でき、秀吉に対する飽くなき抵抗者としての成政の性格を示すエピソードとして高く評価されているのですが、問題なのはその行程です。
このときの成政の行程は「さらさら越え」と言われ、越中富山から家康のいる三河遠江(浜松)までを、真冬の日本アルプスを踏破して会いに行ったと言われています。具体的には立山連峰を突破したと言われいますが、ここは登山装備の発達した現代においても難所とされる場所で、安土桃山時代に、真冬のシーズンに、しかも御年49歳と当時として十分高齢な成政が突破できたのかについて疑問が出ているそうです。
そのような難所を踏み越えてでも秀吉への抗戦を呼びかけたものの、結局家康からは承諾が得られなかったという点でもこのエピソードは悲劇性を高めているのですが、そもそもそれ以前の話というか、もし成政が本当に走破していたとしたら、ビカール・サンもびっくりな登山マイスターであり登山史的にも空前の記録を刻んでいたということになります。それだけに、「成政は本当に冬の立山連峰を突破したのか?」は議論となっており、なんと江戸時代においても加賀藩が「マジかよ?」ってことで五回も調査をやってたそうです。
現代においてもこの論争は続いており、実際に当時の装備を勘案した上で冬の立山連峰に登った人たちからは「絶対無理」と断言され、恐らくは別ルートを取ったのではという説が現代としては強くなっています。そしてこの別ルートに関しても複数候補があり、また協力者もいたのではと何故か村上義清の息子が出てきたりと、非常に活発に議論されています。
無論、私としては成政がどのようなルートを辿ったかについて判断する材料はなく、今後もこの議論を見守っていきたいという立場を取りますが、なんていうか夢のある議論であるように感じます。というのも僅かな手がかりから当時の状況、そして現代でも検証可能な地形など、探っていくことに強い価値を感じる議論のようです。
それにしてもこの話聞いて成政に対しては武将というより登山家のイメージが一気に強くなりました。人間、何がきっかけで評価されるかわかったもんじゃない。
佐々成政とは織田家の武将で、信長の親衛隊から出世して本能寺の変の頃には柴田勝家とともに北陸に拠点をおいて対上杉家討伐軍の一翼を担っていました。しかし本能寺の変の後、影響力を拡大する豊臣秀吉との間で対立を深めていき、賤ヶ岳の合戦で同僚の柴田勝家が滅んだ後も抵抗を続けたものの、最終的には秀吉に屈服させられ領地を没収されることとなります。
その後、秀吉の九州制圧が完了すると肥後(熊本県)の支配を任されることとなりますが、国人勢力の強い肥後とあって一揆が頻発することとなり、最終的には統治不行の門で切腹を申し付けられています。この切腹に関しては秀吉が敢えて支配の難しい肥後に追いやって、意図的に成政を抹殺したとも、成政自身の統治能力欠如による結果とも説が出ています。
以上のような経歴から割と通好みというか、私の友人を含め彼を気に入っている歴史好きはそこそこいるのですが、そうした見方の他に戦国武将としてではなく登山家、そうアルピニストとして彼を評価する声があることに最近気が付きました。
・佐々成政(ニコニコ大百科)
詳しくは上記リンク先によくまとめられていますが成政がまだ秀吉勢力に抵抗していた頃、同じく抵抗していた徳川家康と織田信雄は小牧・長久手の戦いを経て秀吉と和睦したと知ると、「成政は両者に抗戦を続けるよう説得するために自ら出向いたと言われています。出向いた事自体はあちこちの文献から確認でき、秀吉に対する飽くなき抵抗者としての成政の性格を示すエピソードとして高く評価されているのですが、問題なのはその行程です。
このときの成政の行程は「さらさら越え」と言われ、越中富山から家康のいる三河遠江(浜松)までを、真冬の日本アルプスを踏破して会いに行ったと言われています。具体的には立山連峰を突破したと言われいますが、ここは登山装備の発達した現代においても難所とされる場所で、安土桃山時代に、真冬のシーズンに、しかも御年49歳と当時として十分高齢な成政が突破できたのかについて疑問が出ているそうです。
そのような難所を踏み越えてでも秀吉への抗戦を呼びかけたものの、結局家康からは承諾が得られなかったという点でもこのエピソードは悲劇性を高めているのですが、そもそもそれ以前の話というか、もし成政が本当に走破していたとしたら、ビカール・サンもびっくりな登山マイスターであり登山史的にも空前の記録を刻んでいたということになります。それだけに、「成政は本当に冬の立山連峰を突破したのか?」は議論となっており、なんと江戸時代においても加賀藩が「マジかよ?」ってことで五回も調査をやってたそうです。
現代においてもこの論争は続いており、実際に当時の装備を勘案した上で冬の立山連峰に登った人たちからは「絶対無理」と断言され、恐らくは別ルートを取ったのではという説が現代としては強くなっています。そしてこの別ルートに関しても複数候補があり、また協力者もいたのではと何故か村上義清の息子が出てきたりと、非常に活発に議論されています。
無論、私としては成政がどのようなルートを辿ったかについて判断する材料はなく、今後もこの議論を見守っていきたいという立場を取りますが、なんていうか夢のある議論であるように感じます。というのも僅かな手がかりから当時の状況、そして現代でも検証可能な地形など、探っていくことに強い価値を感じる議論のようです。
それにしてもこの話聞いて成政に対しては武将というより登山家のイメージが一気に強くなりました。人間、何がきっかけで評価されるかわかったもんじゃない。
2019年3月11日月曜日
気違いの所業
・Comlocation 企業居点
上記リンクは私が一応運営している、日系企業の海外拠点情報を集めたサイトです。このサイトにはWordpressというブログソフトを使っており、これはPHPというパーフェクトリバティーではないC言語が使われているそうなのですが、当初使っていたPHPのバージョンが古く、「いい加減更新しろ!」という表示が出てきたため、昨日腹をくくって案内に従ってさくらサーバーにアクセスした上で更新を試みました。
結果……意外とあっさりPHPの更新が済みました(5.6→7.2)。
実際にはあっさりというほどではなく、切り替え自体はさくらサーバーのユーザーインターフェース上でワンクリックするだけという恐ろしく手軽化されてはいたものの、切り替え直後にホームページが表示されなくなりました。といっても古いバージョンに戻せばまたすぐ表示できたので、恐らく導入している「プラグイン」というソフトの何かが悪さ働いているのだと思い、近年更新されていないプラグインを思い切って削除して切り返し直したところ、今度はすんなり表示されました。
ところが、メインページは問題なく表示されたものの、今度は個別企業情報ページはなぜだか真っ白のまま何も表示されなくなりました。日本にいる友人にも試してみてもらったところ、友人の方では問題なく表示されたとのことでしたが、なんとなく心配というか、前からこういう懸念はありました。
というのも、ホームページに使っているテンプレートが非常に古く、最新のシステムやソフトに対応しなくなるのではという風に前から感じていました。通常、テンプレートもプラグイン同様に更新されていくのですが、私の使うテンプレートは人気もなかったこともあってかずっと更新されておらず、このままじゃまずいという懸念は前から持っていました。
そこで、友人の方では問題なく閲覧できるとはいっても少なくとも自分のPCからじゃ見れないのだし、思い切ってテンプレートの更新もそのまま突入しました。条件は「右サイドバー」タイプのテンプレートで、これ一本でいくつか探したところ割とすんなりいいのが見つかり、広告欄を含めて意外とあっさり移行に成功することができました。と言っても、この時点で5時間位対応し続けていましたが。
直接サイトを見てもらえばわかりますが、割と以前のテンプレートのように青を基調とした企業情報サイトらしくシンプルな構成になっており、デザイン的には前より良くなっていると思え気に入っています。ただ、これは今朝気が付きましたが一部図表のサイズが勝手に変更されて変なふうになってしまってたので、こちらはサイズ調整して先程直し、現時点では以前のテンプレートからの移行が完璧に近いくらい達成されています。
それにしても今回は久々にモノを作る楽しさに触れたと言うか、先程も書いたとおりに5時間位ずっと向き合って作業し続けました。今日もさっきまで2時間位あれやこれやと試しており、以前もそうでしたが、なんだかんだ言いつつこうしたサイト構築はやってて時間を忘れるくらい楽しい作業だと思います。
ただ、今回改めてこちらの企業居点はメンテナンスが遅れているということを痛感します。情報の追加自体はほぼ2週間にいっぺんのペースで新規拠点を追加し続けているものの、一部社名の変更された会社や組織変更などへの対応はずっとお座なりになっており、いつかやらなきゃと思いつつもプラモ作ったりゲームで遊んでたりとサボったり、もといJBpress用の記事書いたり、このブログ書いています。
友人曰く、このブログだけでもほぼ毎日更新されており、異常者に近い執拗さを十分感じるとのことですが、私自身としてはやはり企業居点の方こそ、自分で作っておきながら気違いの所業だと感じます。先程述べたとおりにメンテナンスがおざなりとはいえ、二万件超の海外拠点データを集めるだけでなく整理、アップロードまでしており、普通の神経ではやろうと思っても実行する奴なんていないだろうと思うような頭のおかしい作業をやってのけたという気がします。
実際に情報収集、アップロードまでは多大な時間をかけており、今同じことをやれといっても他の仕事とかで多分無理というのが本音です。なおアップロード作業中はずーっと左手をキーボードに固定して叩き続けたせいか、アップロード作業依頼、左半身の神経がそれ以前と比べて痛むなど、なんかおかしくなったという自覚があります。
作業を主にやっていたのは2013年ですが、当時は環境的にも自分の人生の中で非常に苦しい時期でしたが、改めてよくそんな時期にこんな頭のおかしいサイトを作ったものだという気がします。ただ作ったはいいけど、もうちょっと稼いでくれたらなぁ。
このブログも今の構成にしてからだいぶ経つし、そろそろ変えようかな。今色んな意味でクソ忙しいというのに……。
上記リンクは私が一応運営している、日系企業の海外拠点情報を集めたサイトです。このサイトにはWordpressというブログソフトを使っており、これはPHPというパーフェクトリバティーではないC言語が使われているそうなのですが、当初使っていたPHPのバージョンが古く、「いい加減更新しろ!」という表示が出てきたため、昨日腹をくくって案内に従ってさくらサーバーにアクセスした上で更新を試みました。
結果……意外とあっさりPHPの更新が済みました(5.6→7.2)。
実際にはあっさりというほどではなく、切り替え自体はさくらサーバーのユーザーインターフェース上でワンクリックするだけという恐ろしく手軽化されてはいたものの、切り替え直後にホームページが表示されなくなりました。といっても古いバージョンに戻せばまたすぐ表示できたので、恐らく導入している「プラグイン」というソフトの何かが悪さ働いているのだと思い、近年更新されていないプラグインを思い切って削除して切り返し直したところ、今度はすんなり表示されました。
ところが、メインページは問題なく表示されたものの、今度は個別企業情報ページはなぜだか真っ白のまま何も表示されなくなりました。日本にいる友人にも試してみてもらったところ、友人の方では問題なく表示されたとのことでしたが、なんとなく心配というか、前からこういう懸念はありました。
というのも、ホームページに使っているテンプレートが非常に古く、最新のシステムやソフトに対応しなくなるのではという風に前から感じていました。通常、テンプレートもプラグイン同様に更新されていくのですが、私の使うテンプレートは人気もなかったこともあってかずっと更新されておらず、このままじゃまずいという懸念は前から持っていました。
そこで、友人の方では問題なく閲覧できるとはいっても少なくとも自分のPCからじゃ見れないのだし、思い切ってテンプレートの更新もそのまま突入しました。条件は「右サイドバー」タイプのテンプレートで、これ一本でいくつか探したところ割とすんなりいいのが見つかり、広告欄を含めて意外とあっさり移行に成功することができました。と言っても、この時点で5時間位対応し続けていましたが。
直接サイトを見てもらえばわかりますが、割と以前のテンプレートのように青を基調とした企業情報サイトらしくシンプルな構成になっており、デザイン的には前より良くなっていると思え気に入っています。ただ、これは今朝気が付きましたが一部図表のサイズが勝手に変更されて変なふうになってしまってたので、こちらはサイズ調整して先程直し、現時点では以前のテンプレートからの移行が完璧に近いくらい達成されています。
それにしても今回は久々にモノを作る楽しさに触れたと言うか、先程も書いたとおりに5時間位ずっと向き合って作業し続けました。今日もさっきまで2時間位あれやこれやと試しており、以前もそうでしたが、なんだかんだ言いつつこうしたサイト構築はやってて時間を忘れるくらい楽しい作業だと思います。
ただ、今回改めてこちらの企業居点はメンテナンスが遅れているということを痛感します。情報の追加自体はほぼ2週間にいっぺんのペースで新規拠点を追加し続けているものの、一部社名の変更された会社や組織変更などへの対応はずっとお座なりになっており、いつかやらなきゃと思いつつもプラモ作ったりゲームで遊んでたりとサボったり、もといJBpress用の記事書いたり、このブログ書いています。
友人曰く、このブログだけでもほぼ毎日更新されており、異常者に近い執拗さを十分感じるとのことですが、私自身としてはやはり企業居点の方こそ、自分で作っておきながら気違いの所業だと感じます。先程述べたとおりにメンテナンスがおざなりとはいえ、二万件超の海外拠点データを集めるだけでなく整理、アップロードまでしており、普通の神経ではやろうと思っても実行する奴なんていないだろうと思うような頭のおかしい作業をやってのけたという気がします。
実際に情報収集、アップロードまでは多大な時間をかけており、今同じことをやれといっても他の仕事とかで多分無理というのが本音です。なおアップロード作業中はずーっと左手をキーボードに固定して叩き続けたせいか、アップロード作業依頼、左半身の神経がそれ以前と比べて痛むなど、なんかおかしくなったという自覚があります。
作業を主にやっていたのは2013年ですが、当時は環境的にも自分の人生の中で非常に苦しい時期でしたが、改めてよくそんな時期にこんな頭のおかしいサイトを作ったものだという気がします。ただ作ったはいいけど、もうちょっと稼いでくれたらなぁ。
このブログも今の構成にしてからだいぶ経つし、そろそろ変えようかな。今色んな意味でクソ忙しいというのに……。
日本製食器の中国市場の可能性
いきなり商品画像からですが、これは今欲しいノリタケのマグカップです。現時点でも縁が緑色したマグカップを使っていますがこれが非常によく、一発でノリタケが気に入るようになりました。
さてそのノリタケですが、先日実は工場直売店に行ってペアのマグカップを選び、この前友人の上海人にあげてきました。友人も一目見るなり非常に気に入り、「高かったでしょ?いくら?」と聞くので予想値段を先に尋ねたところ、「うーん、5000円はいくでしょ?」と答えました。恐らく私がケチだということを知っているので、5000円以上は出さないだろうとの目測からこの数字を出したのではと思います。
答えはと言うと実は2個で2500円と、友人の予想値の半額でした。「また安いものを人に贈って……」と少し文句を言われましたが、改めてその品質に比してリーズナブルな値段に驚いていました。
その上で私は友人に、「やはり中国人は純白、それも光沢のない食器を好むから、割りとこのノリタケの食器と相性が良いと思う」と話し、中国市場でもアピール次第でまだまだ売れるようになるのではないかという腹づもりを明かしました。友人も現物を見てか非常に乗り気で、「代理店、いややはり直接仕入れて直売するべきか……」などと、何年ぶりかと思うような起業を含めた商売の話を自らしてきました。
現実には会社作ってどうこうするほどの時間も体力もないのですが、やはりノリタケを含む日本の洋食器メーカーの商品は中国で多大なポテンシャルを秘めている気がします。日本通の友人ですら「ノリタケ」や「ナルミ」といったブランド名は全く知らず、その商品と価格についても何も知識がありませんでした。もっともも上海人の友人に限らず、日本人でもノリタケの名前に反応できるのは少ないだろうという気がしますが。
以前にもこのブログで書いていますが、中国の陶器は割と驚くくらい質がよくありません。見ていて如何にも質感がダメそうな皿でも割と高い値段で売られたりしていて、その値段だったら日本ならもっといいのを変えるのにとこれまでに何度も思い浮かべていました。
ただ、日本の陶器や焼物でも、中国人向けの好みは日本人向けとは異なっています。具体的にはやはり絵付けを好まない傾向があり、無地純白系が非常に好まれ、私も好きな黒い茶碗とかはあまり興味を示しません。なお色彩については、なんか光沢のない色を強く好むような気がします。
話は戻しますが、そういう意味でノリタケを始めとする洋食器メーカーの商品は相性がよく、また百度で軽く検索してみましたが、やっぱりと言うかあまり中国でこうした日系洋食器メーカーを紹介するサイトは少なく、そもそも知名度が少なくてその質と価格の良さに気づいていない節があります。
それだけに非常にもったいないと感じるというか、やはり日系洋食器メーカーにはPRを含め中国市場での展開をもっと頑張って欲しいと思います。私自身もこれから中国人土産にはこうした洋食器などを使おうと考えており、孤軍奮闘であってもアピール活動を続けていこうと考えています。
2019年3月8日金曜日
見えないものを見ようとして
「何故記者になろうとしたの?」という質問をこれまでに何度も受けてきましたが、私の答えは決まって文章を生業とする職業として適切だったからと濁してきましたが、それは生業上の理由であって、期待のような動機ではありません。ではその動機はなんだったのかというと、死ぬまでに情報の最前線に立って、なるべく真理に近いところで倒れたいというのが齢十五以来一貫していだき続けてきた動機です。
この心理に近い場所に立つ手段が何故学者ではなかったのかは、そもそも学者という職業自体目指して到達するものとは考えず、実業界において実績と経験を積むことで周囲に求められて果たすもの、自分で望んでなろうとするものではないという風に考えていたことが大きいです。もっともそれ以前に、あの権威じみたアカデミックな空気が初めから嫌いだったことのほうが大きいですが。
控えめに言っても、霊能力者やUFO愛好家を除けば、他の人が見えないものを見ようとする意欲、知識欲について自分は明らかに高いと自負しています。その視線の矛先は単体というよりかは群体、システム全体の仕組みや動きに対するものが強く、やはり私自身も大きなひとかたまりのまとまりでもって捉えることを得意としています。
ではそういったものを捉えるのに何が必要か。結論から言えば感覚をとにもかくにも研ぎ澄ませることが一番大事だと思えます。具体的には常に思考を巡らせ、目や耳手を伝わる感覚を解剖して分析し、そうした過程で自分がこれまでに経験していない断片を全神経をもって探すという作業を毎日ずっと繰り返すことに尽きます。また使いすぎて鈍ってきた感覚を取り戻すために、定期的に刺激を与えるというか、日常から離れた体験や芸術的な対象に定期的に触れさせることも重要でしょう。
こうして研ぎ澄ませていった私の感覚ですが、大体二年くらい前からこれ以上研ぎ澄ませては逆に危険ではないかと思うようになっていきました。というのも相手の声色やちょっとした仕草の変化をすぐ感じ取ったり、社会の気づきづらい変化や本人らが自覚していない癖などを自分でも異常なくらいに自然と見抜くことが多くなり、内心もう十分じゃないかと考え、それ以降はあまり自分の成長を望まなくなりました。
その甲斐あってか以前と比べると最近は感覚が鈍っているという自覚もあり、以前より目には見えないものに気づくことが減っています。その一方、自己内の分析というか思考回転数は上がり続けているのか、前より何も考えない時間が減ってきている気がします。ほんのちょっとの瞬間ですら次の記事に書くネタやその分析、直近のスケジュールや予測などを考えだし、本読みながらでも別の内容について分析し続けていることすらあります。
なんとなくインプットが減った分、内部の回転数が逆に上がっているように思え、ちょっとまた感覚を研ぎ澄ませる必要があるのではとまた考え始めています。自分の手垢のついていない知識分野をまたぞろ一気に広げるべきかと悩みどころです。
そうした経験を踏まえて言うと、見えないものを見ようとすることは恐らく大半の人にとっては苦痛にしかならないと思います。逆に苦痛じゃない人は現時点で既に旺盛に知識をため込んでおり、いまさら言うまでもないでしょう。
この辺のメカニズムを軽く述べると、普通人間は自分の考え方や知識を固めていこうと考えるはずです。自分の場合は逆で、自分の考えをどう崩し、壊し、再構築していくかばかり考えています。まだこんなもんじゃない、もっと上があるはずだと考え続けています。
この心理に近い場所に立つ手段が何故学者ではなかったのかは、そもそも学者という職業自体目指して到達するものとは考えず、実業界において実績と経験を積むことで周囲に求められて果たすもの、自分で望んでなろうとするものではないという風に考えていたことが大きいです。もっともそれ以前に、あの権威じみたアカデミックな空気が初めから嫌いだったことのほうが大きいですが。
控えめに言っても、霊能力者やUFO愛好家を除けば、他の人が見えないものを見ようとする意欲、知識欲について自分は明らかに高いと自負しています。その視線の矛先は単体というよりかは群体、システム全体の仕組みや動きに対するものが強く、やはり私自身も大きなひとかたまりのまとまりでもって捉えることを得意としています。
ではそういったものを捉えるのに何が必要か。結論から言えば感覚をとにもかくにも研ぎ澄ませることが一番大事だと思えます。具体的には常に思考を巡らせ、目や耳手を伝わる感覚を解剖して分析し、そうした過程で自分がこれまでに経験していない断片を全神経をもって探すという作業を毎日ずっと繰り返すことに尽きます。また使いすぎて鈍ってきた感覚を取り戻すために、定期的に刺激を与えるというか、日常から離れた体験や芸術的な対象に定期的に触れさせることも重要でしょう。
こうして研ぎ澄ませていった私の感覚ですが、大体二年くらい前からこれ以上研ぎ澄ませては逆に危険ではないかと思うようになっていきました。というのも相手の声色やちょっとした仕草の変化をすぐ感じ取ったり、社会の気づきづらい変化や本人らが自覚していない癖などを自分でも異常なくらいに自然と見抜くことが多くなり、内心もう十分じゃないかと考え、それ以降はあまり自分の成長を望まなくなりました。
その甲斐あってか以前と比べると最近は感覚が鈍っているという自覚もあり、以前より目には見えないものに気づくことが減っています。その一方、自己内の分析というか思考回転数は上がり続けているのか、前より何も考えない時間が減ってきている気がします。ほんのちょっとの瞬間ですら次の記事に書くネタやその分析、直近のスケジュールや予測などを考えだし、本読みながらでも別の内容について分析し続けていることすらあります。
なんとなくインプットが減った分、内部の回転数が逆に上がっているように思え、ちょっとまた感覚を研ぎ澄ませる必要があるのではとまた考え始めています。自分の手垢のついていない知識分野をまたぞろ一気に広げるべきかと悩みどころです。
そうした経験を踏まえて言うと、見えないものを見ようとすることは恐らく大半の人にとっては苦痛にしかならないと思います。逆に苦痛じゃない人は現時点で既に旺盛に知識をため込んでおり、いまさら言うまでもないでしょう。
この辺のメカニズムを軽く述べると、普通人間は自分の考え方や知識を固めていこうと考えるはずです。自分の場合は逆で、自分の考えをどう崩し、壊し、再構築していくかばかり考えています。まだこんなもんじゃない、もっと上があるはずだと考え続けています。
2019年3月7日木曜日
中国の今年の景気に関する所感
ネス湖に現れたUMAはネッシーと呼ばれるのなら、揚子江に現れたらヨッシーと呼ぶのか気になっています。
さて今年に入ってから日系各紙で「中国の景気減速の影響で」という表現がやたら見られるようになりました。経済成長率の鈍化は何も最近に始まったわけではないのになんで後も急に増えるんだろうかと内心冷ややかに見ています。なお個人的にガチでビビったのは、今もやっている全人代で目標成長率の引き下げが発表されたところ、「中国の経済が縮小されるわけだから~」と書いているヤフコメがあったのですが、どこから突っ込むべきだろうかとしばし悩みました。
関係ないけど日本で買ってきた無線マウス、長時間触らずにキーボードで叩くとほぼ100%反応しなくなり、電源を入れ直す必要がある欠陥品と判明しました。またマウス買うのか、去年末から既に6個も買ってるのにどれも使えないなんてな……。
それで本題というか結論を言うと、特に具体的な調査データなどなくあくまで私個人の所感として述べると、今年の中国の景気は製造方面はともかくとして消費に関しては非常に好景気になるのではないかという予感が強くします。
ほんの二分くらい手を離しただけでまたマウスが反応しなくなったし……。
何故こう感じたのかというと先週末、友人に日本土産を渡すために繁華街で待ち合わせたのですが、その日はいつもながらまたザーザー雨が降っていたにもかかわらず、買い物に来ている人の数が明らかに普段より多かったからです。また買っているものも割と値の張るようなものを買ってる人が多く、飲食店も混んでてなんでこんなに人多いんだろうと不思議に感じるほどでした。
背景としてはちょうど月初の週末で、給料を受け取ったばかりの人が多かったこともあるでしょうが、なんか去年と比べても消費が活発に動いている印象を覚えました。
またこの消費に関してもう少し述べると、中国では今年から個人所得税が減税されており、また日本の消費税に当たる増値税も一般商品が17%から16%に引き下げられています。特に2月末給与(1月勤務分)で初めてこの所得税減税が得られた給与が支給されるため、実質的にほぼすべての就労者がそれまでより多い給与額となっているはずで、これで消費が増えないほうがむしろ変でしょう。
なお増値税に関しては更に引き下げようとする案が今の全人代(中国の国会)で出ており、多分これも通るでしょう。消費者にとってはありがたいけど、税額計算する方にとってはしょっちゅう変えられると溜まったもんじゃないんですが……。
あとこれは江南地方限定ではありますが、昨年12月から現在まで、誇張ではなく2日連続で晴れとなったことは一度もありません。っていうか太陽がちゃんと見られるくらい晴れた日なんて10日ちょいくらいしかないだろうと思うくらい、今年の冬は極端に天気が悪かったです。
天気の消費への影響は言うまでもなく非常に強く、仮にこれから春になるに連れて天候が良くなるとしたら、多分それだけでも直近三ヶ月よりも、というよりこの三ヶ月間抑えられていた分だけ消費が増えると思います。他の地域は知りませんが、それくらい今年の上海周辺地域の冬は異常な天候でした。
以上のような感じ方から、日本の予想とは裏腹に今年の中国の景気は案外かなり良くなるんじゃないという気がしますが、年末にかけては消費が落ち込むだろうと見ています。何故かと言うと、知ってる人には早いですが減税に伴って個人所得税の制度が代わり、所得税の計算方法が月次計算ではなく年間包括計算方式となったからです。
簡単に説明すると一年間で毎月同じ給与をもらっていても所得税額が毎月変わるようになり、年末に近づくに連れ手取り額が段々少なくなるような仕組みになりました。やっぱこの辺の心理的影響は消費に影響するでしょう。
最後に、「中国の景気減速で~」という表現には気をつけて見るべきだと断言します。いってしまえばスケープゴート的な理由として使われる可能性が高く、業績悪化する企業についてはもっと別の理由があるかもという視点をもって発表を見るべきでしょう。
さて今年に入ってから日系各紙で「中国の景気減速の影響で」という表現がやたら見られるようになりました。経済成長率の鈍化は何も最近に始まったわけではないのになんで後も急に増えるんだろうかと内心冷ややかに見ています。なお個人的にガチでビビったのは、今もやっている全人代で目標成長率の引き下げが発表されたところ、「中国の経済が縮小されるわけだから~」と書いているヤフコメがあったのですが、どこから突っ込むべきだろうかとしばし悩みました。
関係ないけど日本で買ってきた無線マウス、長時間触らずにキーボードで叩くとほぼ100%反応しなくなり、電源を入れ直す必要がある欠陥品と判明しました。またマウス買うのか、去年末から既に6個も買ってるのにどれも使えないなんてな……。
それで本題というか結論を言うと、特に具体的な調査データなどなくあくまで私個人の所感として述べると、今年の中国の景気は製造方面はともかくとして消費に関しては非常に好景気になるのではないかという予感が強くします。
ほんの二分くらい手を離しただけでまたマウスが反応しなくなったし……。
何故こう感じたのかというと先週末、友人に日本土産を渡すために繁華街で待ち合わせたのですが、その日はいつもながらまたザーザー雨が降っていたにもかかわらず、買い物に来ている人の数が明らかに普段より多かったからです。また買っているものも割と値の張るようなものを買ってる人が多く、飲食店も混んでてなんでこんなに人多いんだろうと不思議に感じるほどでした。
背景としてはちょうど月初の週末で、給料を受け取ったばかりの人が多かったこともあるでしょうが、なんか去年と比べても消費が活発に動いている印象を覚えました。
またこの消費に関してもう少し述べると、中国では今年から個人所得税が減税されており、また日本の消費税に当たる増値税も一般商品が17%から16%に引き下げられています。特に2月末給与(1月勤務分)で初めてこの所得税減税が得られた給与が支給されるため、実質的にほぼすべての就労者がそれまでより多い給与額となっているはずで、これで消費が増えないほうがむしろ変でしょう。
なお増値税に関しては更に引き下げようとする案が今の全人代(中国の国会)で出ており、多分これも通るでしょう。消費者にとってはありがたいけど、税額計算する方にとってはしょっちゅう変えられると溜まったもんじゃないんですが……。
あとこれは江南地方限定ではありますが、昨年12月から現在まで、誇張ではなく2日連続で晴れとなったことは一度もありません。っていうか太陽がちゃんと見られるくらい晴れた日なんて10日ちょいくらいしかないだろうと思うくらい、今年の冬は極端に天気が悪かったです。
天気の消費への影響は言うまでもなく非常に強く、仮にこれから春になるに連れて天候が良くなるとしたら、多分それだけでも直近三ヶ月よりも、というよりこの三ヶ月間抑えられていた分だけ消費が増えると思います。他の地域は知りませんが、それくらい今年の上海周辺地域の冬は異常な天候でした。
以上のような感じ方から、日本の予想とは裏腹に今年の中国の景気は案外かなり良くなるんじゃないという気がしますが、年末にかけては消費が落ち込むだろうと見ています。何故かと言うと、知ってる人には早いですが減税に伴って個人所得税の制度が代わり、所得税の計算方法が月次計算ではなく年間包括計算方式となったからです。
簡単に説明すると一年間で毎月同じ給与をもらっていても所得税額が毎月変わるようになり、年末に近づくに連れ手取り額が段々少なくなるような仕組みになりました。やっぱこの辺の心理的影響は消費に影響するでしょう。
最後に、「中国の景気減速で~」という表現には気をつけて見るべきだと断言します。いってしまえばスケープゴート的な理由として使われる可能性が高く、業績悪化する企業についてはもっと別の理由があるかもという視点をもって発表を見るべきでしょう。
2019年3月5日火曜日
「怒ってる人ばっかり」な日本の番組
・山里亮太、最近のテレビに物申す「怒ってる人ばっかり出てる」(Smart Flash)
本当は昨日に書きたかったけど、昨日は仕事の疲れから頭痛を起こして夜九時半にはもう寝ていました。最近こうやって体調悪い日は極端に早く寝るようにしてますが、やはり睡眠量はだいじだとやってて思えてきます。
なお昨日出した記事は一昨日の夜に暇だったから書いたもので、予約投稿してたものです。
話は本題ですが上記のリンク先は昨日見た記事で、南海キャンディーズの山ちゃんこと山里氏が昨今の日本のTV番組について述べた内容をまとめたものです。一読して私もまさにその通りだと同感するとともに、意外と鋭い視点を持っている人なのだなと山里氏に対する味方を改めさせられました。
私自身は中国にいて日本のTV番組は普段殆ど見ないのですが、最近どこのネットニュースも放映されたTV番組のコメンテーターの発言をそのまま文字に起こして報じることが多くてそれをよく見て入るのですが、山里氏の指摘のとおりというか、何か事件が起こるたびに「こういうのは良くない」、「(当事者について)問題がある」といった内容ばかり目にします。昔からそうだったかもしれませんが、なんとなく私の肌感覚で言えば今のほうがなにかに文句をつけるコメンテーターが番組内に前より多い気がします。ハリーは昔からだけど。
また、今回この山里氏の指摘を見て真っ先に思い浮かべた番組があります。それは何かと言うと今流行りの「チコちゃんに叱られる!」で、実は先日日本に帰っている際にうちの親父に何本か録画を見させられていたからです。
はっきり言えば、流行ってるとは言うけどあまり流行ってほしくない番組だなというのが正直な感想でした。また、流行ることは間違いない、それも特に主婦層に受けるだろうという印象を覚えましたが、番組コンセプト的には私自身は好ましいとは思えず、できることなら早くなくなってほしいとすら思っています。
なんでこんなに気に入らないのかと言うとまさに上記の通りで、番組の進行が、決して本気ではないにしろやたら怒りまわる内容で、質問に答えられない度に「ふざけんなボケ!」みたいな感じで番組キャラクターに言われるのが個人的には癇に障ります。単純に、何もこうした怒りの感情を出さなくてもいいのではと思えてならず、また番組内の解説も特に知的好奇心を動かされるものはなく、ただ目の前で放映されるだけで正直不快でした。
この番組に限らずとも、視聴者やニュースの人物に対して怒りをぶつけるような番組が確かに最近多いのではないかと思います。その逆にというか、お笑い番組以外で、性別や年齢層にかかわらず誰もがのんびり見られて楽しめるような、そういう毒のない番組がないようにも思います。
具体的には「アタック25」みたいなクイズ番組とか、今はなき徳川埋蔵金発掘番組とかああいうので、時間を潰すのに見るのにいい番組がなんか減った気がします。UFO特集ももう見ないし。
で、最後に言わせてもらうと、やはりテレビに「怒ってる人ばっかり」出るのはやっぱり理由があるからでしょう。明らかに今の日本社会は10年くらい前と比べるとやはりそのへんがギスギスしているのではないかとも思え、そういう意味でもこの指摘はなかなか見事なものだと感じ入ります。
本当は昨日に書きたかったけど、昨日は仕事の疲れから頭痛を起こして夜九時半にはもう寝ていました。最近こうやって体調悪い日は極端に早く寝るようにしてますが、やはり睡眠量はだいじだとやってて思えてきます。
なお昨日出した記事は一昨日の夜に暇だったから書いたもので、予約投稿してたものです。
話は本題ですが上記のリンク先は昨日見た記事で、南海キャンディーズの山ちゃんこと山里氏が昨今の日本のTV番組について述べた内容をまとめたものです。一読して私もまさにその通りだと同感するとともに、意外と鋭い視点を持っている人なのだなと山里氏に対する味方を改めさせられました。
私自身は中国にいて日本のTV番組は普段殆ど見ないのですが、最近どこのネットニュースも放映されたTV番組のコメンテーターの発言をそのまま文字に起こして報じることが多くてそれをよく見て入るのですが、山里氏の指摘のとおりというか、何か事件が起こるたびに「こういうのは良くない」、「(当事者について)問題がある」といった内容ばかり目にします。昔からそうだったかもしれませんが、なんとなく私の肌感覚で言えば今のほうがなにかに文句をつけるコメンテーターが番組内に前より多い気がします。ハリーは昔からだけど。
また、今回この山里氏の指摘を見て真っ先に思い浮かべた番組があります。それは何かと言うと今流行りの「チコちゃんに叱られる!」で、実は先日日本に帰っている際にうちの親父に何本か録画を見させられていたからです。
はっきり言えば、流行ってるとは言うけどあまり流行ってほしくない番組だなというのが正直な感想でした。また、流行ることは間違いない、それも特に主婦層に受けるだろうという印象を覚えましたが、番組コンセプト的には私自身は好ましいとは思えず、できることなら早くなくなってほしいとすら思っています。
なんでこんなに気に入らないのかと言うとまさに上記の通りで、番組の進行が、決して本気ではないにしろやたら怒りまわる内容で、質問に答えられない度に「ふざけんなボケ!」みたいな感じで番組キャラクターに言われるのが個人的には癇に障ります。単純に、何もこうした怒りの感情を出さなくてもいいのではと思えてならず、また番組内の解説も特に知的好奇心を動かされるものはなく、ただ目の前で放映されるだけで正直不快でした。
この番組に限らずとも、視聴者やニュースの人物に対して怒りをぶつけるような番組が確かに最近多いのではないかと思います。その逆にというか、お笑い番組以外で、性別や年齢層にかかわらず誰もがのんびり見られて楽しめるような、そういう毒のない番組がないようにも思います。
具体的には「アタック25」みたいなクイズ番組とか、今はなき徳川埋蔵金発掘番組とかああいうので、時間を潰すのに見るのにいい番組がなんか減った気がします。UFO特集ももう見ないし。
で、最後に言わせてもらうと、やはりテレビに「怒ってる人ばっかり」出るのはやっぱり理由があるからでしょう。明らかに今の日本社会は10年くらい前と比べるとやはりそのへんがギスギスしているのではないかとも思え、そういう意味でもこの指摘はなかなか見事なものだと感じ入ります。
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