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2019年12月18日水曜日

TBS元記者の事件の一審結果について

工場勤務者なら誰もが一度は思い描く姿

伊藤詩織さん「勝訴」 連れ込む山口記者の姿を目撃…控訴審でカギを握る「ドアマンの供述調書」(デイリー新潮)

 すでに方々で報じられていますが、TBS元記者の山口敬之氏と伊藤詩織氏を巡る裁判で判決が下り、伊藤氏がこの度勝訴しました。この事件については伊藤氏が初めて会見を行った際にもこのブログでいろいろ書いていますが、伊藤氏の説明や主張を見る以前に、山口氏は明らかに人格に問題のある人間と見ていたことから、このような行為を行っていたと聞いても驚きはなかったというか実際やってるんだろうなと率直に思いました。

 過去の記事にも書いている通り、山口氏は過去に「総理」という安倍首相に関する本を出しています。この本を私は友人に勧められて読みましたが、読了後にその友人に対して、「目が曇ってきたのか?もう二度とこんなくだらない本を人に勧めるな」と、自分にしては珍しくかなり激しい姿勢で詰問しました。
 何故このようなことを言ったのかというと、この本の内容が明らかに問題があると感じたからです。全編にわたって安倍首相との距離の近さを自慢するかのような書き方がなされ批判的視点はおろか中立的な観点すら欠いており、尚且つそのような目線で書かれた駄文に自ら酔っているような節すら見られ、よくこんな本を恥ずかしげもなく出せたなと逆の意味で驚きました。あれほど傲岸不遜な内容は近年稀に見るほどであり、きっとこの本を書いた作者は性格面を始めかなり問題のある人物だろうと思いました。

 そしたら案の定というか上記のような事件が発覚し、なおかつ逮捕状が出ているのに突然執行が停止されるという曰くつきな事件も起こり、こういう人間を過去に雇ってた当たりはオウム事件をはじめ、さすがは「報道のTBS」だなと感心しました。というかこのTBSの枕詞は使われなくなって既に久しく、多分今年こう発言したのは私くらいかもしれません。

 過去にも同じ内容を書いているのにこの記事で何が言いたいのかというと、文章というのは意外とその書いた人の性格なり傾向を反映するということです。山口氏の文章に限らず友人に送られてきたメール文を見るなり、「論理的な思考ができないとっぽい人だろうから会わない方がいい」と警告したこともありますが、友人曰く「割と当たってた」そうで、やはり文章には特徴が出ると自分でも当時思いました。
 特徴が出ると言っても、普通のメール文などの文章でそういう傾向はあまり出ないし、私自身何でもかんでも文章から性格分析できるわけではありませんが、明らかに問題を抱えている人ほどその文章には特徴が出るとみています。具体的には、文章の言い回しが冗長な人ほど本音を隠したがり、本来の目的を隠した上で相手を動かそうとする傾向がある気がします。ある意味、山口氏の文章はその典型ともいえる内容なだけに、興味があればその著作を手に取ることをお勧めします。

 なお文章の特徴で言えば私の文章も非常に特徴的な方でしょう。さすがに自分の文章に対して性格分析とかはしませんが、敢えて言えば誤字が多いからそそっかしい性格してるのは見て取れることでしょう。

2019年12月17日火曜日

大学入試での記述式問題見送りについて

 昨日仕事中に二回電話かかってきたけど会議中のため出られず、後で確認したら変な広告の電話でした。ちょうど今電話の着メロを「Kosmos, Cosmos」にしており、私に電話をかけて来た連中へ呼び出し中に渡りこの歌を聞かせられ、良いことしたななどと思いました。
 なお歌ってた人は今この有様です。あんま悪く言うのは良くないと思うけど、さすがに何度も事務所変えているのはなと以前思いました。

「中止を」「2次試験で」 記述式見送りに有識者 大学入試改革(時事通信)

 話は本題ですが、やはり当事者でないとあまり実感などわからないのですが、大学入試に英検資格で代替を認める案が流れたのに続き、記述式問題の導入も今回見送られたそうです。率直に言って、よかったんじゃないというのが私の感想です。

 先に英検について述べると、英検そのものについては比較的普及している英語試験だと私も認めますが、運営団体については政治的な活動の多い団体とはっきり断言できます。というのも通訳案内士試験などを筆頭に英語能力を考慮する資格の試験において、「英検一級があれば英語科目は免除」としていることが多いですが、これは英検運営団体の政治力の賜物です。
 このように他の試験にも複合的に利用できるようにして英検の受験者数を増やす画策を前から着々としており、決してそのすべてが問題のある行為とは言わないものの、半公営団体にしては行動が政治的過ぎるなと前から疑問視していました。その辺、かつての漢検事件を連想させます。

 次に記述式問題についてですが、採点に対応する予定だったのはベネッセだったということです。普通に考えてセンター試験規模の答案をマークシートでもない限り迅速に処理することは不可能であり、その点は上記リンク先の時事の記事でも触れられていますが、受験生に採点ミスと得点開示までの期間差により大きな混乱をもたらす可能性が高く、普通の企業だったら公平性が担保できないとして対応を拒否すると思うのですが、その辺はさすがはベネッセということでしょう。
 そうしたくだりを考えると、先の英検ともども結論ありきの利益誘導があったのではないかと疑わざるを得ません。むしろ疑わない人間の方がこの場合は問題でしょう。

 個人的な意見で言えば、現在の日本の大学入試制度は比較的よくできたものだと考えています。というのも中国や韓国は日本のセンター試験に当たる共通試験一発でどの大学に入れるかが決められるため、大学や学部ごとに特徴を持たせた問題で生徒を選抜することが出来ません。
 また本番一発勝負のため、体調不良や不意のアクシデントに遭うと泣きを見ることになります。そうした背景から該当試験日においては、警察車両も生徒を運搬するなど軽いお祭り騒ぎになるわけですし。

 日本の場合は国立大進学にはセンター試験が必要とはいえ、アクシデントがあれば問題は難化するとはいえ予備試験も用意されており、尚且つ二次試験で各大学や学部が自前で問題を作って選抜できるので、そこそこ個性を出すポイントが用意されています。またセンター試験を受けない、または失敗したとしても、早慶を筆頭にそこそこ実力のある私立大学が優秀な生徒を拾って育てて社会に出すこともできるので、入試の柔軟性や公平性に関して言えば割といい制度環境なのではないかと評価しています。

 フランスや米国の様に、年間を通して学力を測る試験を複数回行って、その時に得たスコアを大学入学基準に使おうという方針を今日本政府が出していますが、こうした制度のメリットも認めないわけでないものの、無理して真似するまでの必要性があるかと言ったら果たして疑問です。第一そんなことする暇あったら、Fランク大学への補助金打ち切りによる過剰な大学数の淘汰にこそもっと取り組むべきでしょう。

 その上で教育改革論を少し述べると、「大学を卒業しなくても幸福な生活を送れる」教育環境、即ち高等学校段階での職業訓練などをもっと拡充すべきだと個人的には考えています。一時期高専がやたら持て囃されましたが私に言わせれば高専なんかじゃまだ生ぬるく、もっと早い段階で育成の早い職業訓練校を拡充すべきです。
 まぁ仮にそうすると、学生アルバイトが減って小売や飲食業をはじめとする企業が成り立たなくなるわけですが。

 最後にこの記事書いてて、そういえばセンター試験の中国語問題ってどの程度なのかな、今度やってみよっかなとか少し思いました。
 また同じく小論文科目の試験に参加したらどうなるのか。高校時代でも相当なレベルにありましたが、今現在の私の文章力なら日本人の上位1%に確実に入る自負があるだけに、逆に採点担当者の実力を試すような文章を仕立てて持っていったら怒られたりするのかななどと都合のいい想像をしています。

2019年12月16日月曜日

レジャーの本質は非日常

 今日の上海の最高気温は20度で、研修のため部屋にこもりっぱだったけど夕方でも普通に暑いと感じる陽気でした。日本でも暖冬が続いているそうですが、去年の冬はガチで太陽が全くでないくらい雨と湿気の多い気候だったのに比べると、まだ暖冬でもこっちの方がいいやと思えてきます。

 話は本題ですが「レジャー」という言葉の本質を考えた場合、究極的には「非日常」という言葉に行きつくと私は考えています。換言すれば、「日常から離れれば離れるほどレジャーとしての価値、体験としての印象深さが増す」ということです。

 いくつか例証すると、温泉旅館で普段働く人が連休に別の場所にある温泉旅館に泊まったところで、果たしてレジャーとして楽しめるでしょうか。またここまで極端じゃなくても、元々海水浴もできるような海辺に住んでる人が同じようなビーチで有名な観光地に旅行したところで、コンクリートジャングルで普段生活している人が同じビーチに来てた時ほどの感激が得られるかと言ったら、まずそうはならないでしょう。
 二番目の例でも書いたように、普段ビーチが疎遠な人ほどビーチに行く価値が得られるわけで、それも距離的な長さでも、同じ都道府県内よりも遥か遠くのハワイとか桂浜とかの方が感動は大きくなると思います。同じような理屈で言うと、京都に住んでいる人は案外地元の有名な寺社仏閣を回りませんが、関東に住んでる人は京都の寺社仏閣を非常にありがたがってお参りするのも一緒です。奈良にはあんま来てくれないけど(´;ω;`)ウッ…

 地元と非地元でどうして同じ体験のレジャーでもこのような差が生まれるのか。やはりそれを分ける分水嶺は日常か、非日常かにあるように思え、またこの区分をさらに発展させると、普段の生活から程遠ければ程遠いほど、レジャーの価値が高まる傾向があるのではないかと大体半年くらい前に思いつきました。
 それこそ雪国の人は沖縄みたいな温暖な地、雪がほとんど降らない熱帯の国の人ほど雪国に焦がれる様に、未体験ゆえの物珍しさもあるでしょうがやはり日常から遠いからこそこれらは価値があり、尚且つ普段の苦しい日常から解放されるような感覚が得られるのではないかと思います。

 そもそも何故このような見方を持つようになったのかというと、最初の問いかけは「何故登山はレジャーなのか?」と考えたからです。普通に考えてあらゆる面で労苦が多く、冬山登山なんかは一歩間違えれば簡単に死ぬリスクがあるというのに、それでも何故大勢の人間は未だに登山をレジャーと捉えているのかと考えたからでした。
 いくつか登山体験者の意見や登山の楽しみについてみて回ったところ、やはり日常からの解放感に触れている人が多く、実際に山の中は電気や水道といった主要なインフラから切り離された環境になるという状況から、「非日常」という単語が浮かんで上記結論へと至りました。

 これらは言い換えると、日常から程遠いところに行けば行くほど人間はレジャーによって解放感を得られやすいということになります。単純なところでは海外旅行は国内旅行より効果が強い、また宿泊するホテルについても、普段から豪邸に住んでいる人は普段あばら家に住んでいる人よりは高級ホテルに泊まった時の効果が弱くなるのではないかと見ています。
 逆を言えば、普段豪邸に泊まっている人はみすぼらしい安宿に泊まると逆に変な意味の感動を得るかもしれません。それがさらに極まると野外キャンプ、果てには登山といった、文明と隔絶された環境にレジャーを見出していき、だから割と英国人の何々卿みたいな金持ちがやたら登山にはまるのかなとも思います。

 もっともこの論で行くと、最強の非日常は戦地になるとも思え、もしかしたら戦場こそが最大のレジャー地となるポテンシャルを秘めているのかもしれません。自分は行かないけど。

 まとめるとレジャーとしての行き先を考えるならば、日常から距離的、質的に遠い場所を選ぶことが意外と重要だということです。特に質の差については、日常の生活環境より不便な田舎や山中がどうしてレジャーとしての価値を持つのかという点で重要で、ただ単にお金をかければいいということではないと思います。
 このように考えるとちょうど十二月の今くらいの寒い時期に、ガチでダンボール巻いて野宿したあれも私にとってはレジャーだったのかもしれません。本気で凍死するんじゃないかと思ったのはこれと房総半島でのサイクリング一周失敗事件の時くらいです。

2019年12月15日日曜日

藤浪と新垣

 最近ふと、制球難に苦しむ藤浪選手みていて、かつてホークスとヤクルトに在籍した新垣元選手を重ねることがありました。

 野球に詳しい方なら説明不要でしょうが、藤浪選手はデビュー時から数年間華々しく活躍を遂げた後、突如として制球難、もう実質イップスに陥り、ここ数年間はまともな勝利数すら挙げられない等苦しんでいます。

 藤浪選手がイップスに陥った原因はいくつか挙げられていますが、そのうちの一つの元広島のエースで今や前田智徳氏とともに広島の生き神となっている黒田博樹氏と対戦した際にビーンボールを投げ、黒田氏に怖い顔され詰め寄られたという説があります。ただこの年に藤浪選手は、黒田氏との騒動後も安定した投球を見せて前年同様に高い勝利数を挙げており、因果関係を結び付けるには強引だと思います。
 むしろそれ以上に、既にノックダウンされているにもかかわらずふがいない投球を見せた懲罰として、リリーフを投入されずに延々と投げ続けさせられたという事件の後から明らかにおかしくなっており、これだけが原因ではないにしろ、最大のきっかけとなったのはこの事件だと私は思います。素人目で言えば、藤浪選手を壊したのはやはり金本氏でしょう。

 そんな藤浪選手と同じく、デビュー当初はエース級の非常に華々しい活躍を遂げていたにもかかわらず、ある年をきっかけに急激に制球がおかしくなってしまったのが冒頭に上げた新垣氏です。新垣氏の場合は黒田氏や金本氏に凄まれたわけではないですが、あるシーズンオフに投球の幅を広げようと変化球のシュートを身に着けてからおかしくなったと指摘されています。
 この点については野球関係者ではないですが、新垣氏に限らずシュートを身に着けてから通常のストレートもシュート回転するようになってしまったとか、選手寿命が明らかに縮んだという人を多く聞くことから、あり得なくはない説だと私は考えています。そもそも新垣氏は、その直球の伸びと極端に曲がるスライダーを武器にしていただけに、ストレートに影響したとなるとその影響は計り知れません。

 その後、新垣氏は現在においても数々の暴投記録を生むなど、投球は一級なれど極端に制球の悪い投手となってしまい、最終的には引退に追い込まれてしまいました。この新垣氏についての言及をこの前見ていたら、「腕が長いなど非常に恵まれた上半身に対し、幼少時から何度も事故に遭って金属の金具やボルトを何本も埋め込まなければならなかったほど下半身が極端に弱く、そのアンバランスさが制球を不安定にさせていた」という記述を見て、「藤浪やん」と率直に思いました。

 体格に優れた人間が多いプロ野球選手の中でも、身長をはじめ藤浪選手の身体的素材の良さは非常に際立っています。特にその手足の長さは方々から絶賛されており、高い球速を生む要因となる一方、腕のあまりの長さから制球し切れていないという指摘も出ています。
 また新垣氏の例と比較した場合、デビュー当初はある意味「若さゆえ」にその有り余るパワーをまだ制御し切れていたものの、数年間の登板による経年劣化、またはプロとして体鍛えたことでよりパワーが増したことで、制球がおかしくなっていったのではと思うところもあります。

 では新垣氏の轍を踏まないよう、藤浪選手は下半身をしっかり鍛えれば制球は良くなるのかと言ったら、正直私は疑問です。やはり身体的特徴が際立っているだけに、他の一般的な体格の選手がやるような対策でどうにかなるのか完全に未知数で、むしろ似た体格が多いメジャーリーグ選手の対策の方が合うのかもしれません。
 少なくともこのままいくと実質的に「新垣二世」となるだけに、何らかの対策の道筋は出してもらいたいものです。藤浪選手自身だけではなく、今後同じような症状を起こす選手のためにも。

2019年12月14日土曜日

アカデミーのF-4


 先週は記事書いたりするのに忙しかったことから、買ってくるだけで製作まで手が回んなかった「F-4 ファントムⅡ」を今日作りました。


 今回作ったのはアカデミーという韓国のプラモメーカーのキットです。このメーカーのキットを作るのは初めてでしたが、前から興味あったF-4のキットがプラモ屋に置いてあったので、メーカーを試す意味合いも含めて買ってみました。

 作ってみた感想としては説明書がとにもかくにも丁寧でわかりやすく、また塗装しない人向けとして、外部装飾用にプラモに一般的な水転写デカール(水シール)とともに、同じデザインの通常シールも入ってあっていい意味で驚きました。私は塗装まではしないので、今回このキットは通常シールで装飾を行っていますが、デカールと比べると作業は非常に楽で、且つシールデザインも良くそこそこ見栄えのいい出来になったと思います。
 唯一ダメ出しをすると、黒色パーツのプラ素材があまり良くないせいか、接着剤を付けるとすぐに溶けだす傾向がありました。これさえよければほぼパーフェクトなのに惜しいところです。


 それでこのF-4ことファントムⅡですが、先日出た記事にも「初代ファントムがあまりにも影薄いから、『ファントム』と言ったら実質これ」と書かれてあるので、私も普段から「ファントム」と呼んでいます。
 このファントムは冷戦期、というより二次大戦以降に生産された米国製戦闘機としては生産機数が最大で、現代のベストセラー戦闘機のF-16すら上回っています。日本もF-15を買うまではこのファントムが実質主力戦闘機として全国各地に配備され、現在も同業関係者から「鬼のように強い」と言われる自衛隊の茨城県百里基地航空隊で使用、運用されています。


 今回作ってみて、改めて非常に特徴的な機体構造をした戦闘機だと思いました。写真を見てわかると思いますが、尾翼の三枚の羽根がちょうど真円を三等分するかのような角度で取り付けられている上、主翼も先端部分がやや上に跳ね上がっています。
 これは主翼が尾翼より低い位置につけられていることから、通常の角度(地面に対して水平)で主翼と尾翼を配置すると、飛行中に機首を上げると急激に反り返るピッチアップという現象が起きると、試作段階で分かり対策を施したからです。現在この問題の対策としては、主翼の位置を水平尾翼より高い位置に取り付ければ解決できることが分かっており、主翼はほぼ確実に水平尾翼より高い位置に取り付けられています。
 逆を言えば、このファントムのように水平尾翼より低い位置に主翼を配した構造の戦闘機は、今後もう出てこない可能性があります。


 主翼と尾翼の位置関係はこの後部からの写真を見るとわかりやすいです。それにしても今見るとほんと凄い翼の形してる気がします。

真上からの撮影

 なおこのキットのエアインテーク(空気吸入口)部分は、接着剤を一切使わずに組付けています。全体としてこのアカデミーのキットは取り付けやすいように杭と穴がたくさん配置されており、エアインテークもそれら構造体だけでカチっとはまってしっかり組付けられました。
 ただ杭と穴が多くて一部組付けにくいところもあり、この辺は痛しかゆしです。

先月暇だから3時間くらいで作ったS13シルビア池谷先輩カラー(タミヤ)


 せっかくなのでサイズを比較してみようと、家にある他の戦闘機プラモといくつか並べてみました。まず中国が誇るステルス戦闘機のJ-20との比較ですが、改めてJ-20が馬鹿でかいことがよくわかります。J-20の場合、全長だけでなく胴体もめちゃごんぶとだから実際迫力あります。


 実質的にF-4の後継ともいえる米国代表マルチロール機のF-16との比較。F-16自体がちっちゃい飛行機の代表格なのでファントムのがもちろんでかいですが、こうしてみるとファントムはメインフレームがわりと骨太で、頑丈そうな印象を覚えます。


 こっちはロシアが誇る「空の女王」ことSu-35Sフランカー。比較対象が悪いのはよくわかっていますが、フランカーでかすぎ。っていうかファントム乗っててこんなでかい飛行機相手する羽目になったらそりゃ怖いと思います。


 マイお気に入りなMig-29ことフルバック。よくMig-29は小型の飛行機という人がいますが、それは「空のジャイアン」ことフランカーと比べるからであり、実際にはファントムよりやや大きく、またユーロファイター・タイフーンよりも全長だと大きいです。Mig-29自体、F-15をパクった意識した設計となっているので、さもありなんですが。

S13シルビアとの比較

不動明王との比較

 こうやって撮影していて、改めてうちの中にはいろんなもんあるなと思いました。

 今回のファントムの作業時間は大体5時間くらいでしたが、我ながらプラモづくりが随分うまくなったという実感があります。個人的には前回のGDB型インプレッサがデカールの貼り具合も含めて最高傑作だと考えていますが、素組だけだったら素人から脱出できたのかなと思うに至ります。

東芝のトップ間抗争について

名門東芝を破滅させたトップ間の嫉妬無限地獄(プレジデント)

 日本の名門企業の代表とも言える東芝の不適切会計(粉飾決算)事件の発生から既にもう数年経ちますが、改めてこの問題について経済ジャーナリストで私も尊敬する大西康之氏が記事をまとめています。
 なお後輩が転職活動するに当たり、業界研究用に大西氏の本を以前紹介したことがありますが、何故か後輩はその本をこのブログの広告リンクを介さずに買って、広告料が私のところには入ってきませんでした。また大西氏は私の主戦場であるJBpresでも記事を出していますが、何故か毎回自分の顔アップを入れた写真を投稿しており、陰で「大西フレーム」と呼んでます。

 話は戻りますが今回のこの記事でも大西氏らしく、当事者相手に直接取材を敢行しています。それが冒頭の東芝元会長の故・西田厚聡へのインタビューですが、自宅を訪れたところ中にはいれてもらえず、それでもインターホン越しに30分間もインタビューしてのけたそうです。これ見て大西氏が過去に書いたサンヨーの本を私は思い出しましたが、あっちは「五分だけやで」とかいいながら、自宅に入れてくれた上にめっちゃ長く取材に応じてくれてましたが。

 それで西田へのインタビューでは、なんと延々30分間も自分の後任社長となった佐々木則夫の悪口を言い続けたそうで、肝心の聞きたかったことは聞けずじまいだったそうです。逆を言えば、取材を拒否しながらも元部下の悪口は誰でもいいから言いふらしたかったという西田の強い意志を感じます。
 知ってる人には早いですが、平成以降の東芝歴代社長である「西室泰三―岡村正―西田厚聡―佐々木則夫」の四人は、それぞれがそれぞれの事情から非常に仲が悪く、結果的にこのトップ間の憎悪ともつれた人事任命権が東芝を暴走させたと指摘されており、私もこの説に同感です。その上でこの大西氏の西田へのインタビューエピソードを見ても、西田、佐々木間の仲の悪さが、東芝を大きく迷走させたウエスチングハウス問題をより根深くさせたことを強く示唆されています。

 上記の下りに関しては大西氏の記事をそのまま読んでくれればわかりますが、改めてこの東芝トップ間の確執を見て、皮肉な話ですがトップ同士で仲が悪かったからこそ、東芝の不適切会計問題は明るみに出たのかもと思いました。
 何故このように思ったのかというと大西氏の記事にて、

「証券取引等監視委員会(SEC)への相次ぐ内部告発である。1件目は佐々木の出身である社会インフラ事業部門で、2件目は西田の古巣であるパソコン・テレビ事業でそれぞれ利益の水増しがあったというもの。佐々木を狙って西田側が告発し、佐々木側が西田を刺し返した――としか思えない。」

 という、記述を見たからです。
 私もそうと思うというか、トップ同士が仲が悪く、その地盤とする出身事業部の問題を互いに密告し合って、一気に東芝全体の問題が明るみに出た節があります。1件目の告発に関してはそもそもウエスチングハウスの買収企図、実行自体に問題があるだけに納得感がありましたが、二件目のパソコン・テレビ事業への告発に関しては当時としても、そのタイミングと事業部内容から、西田を狙い撃ちにしたものではないかと当時の私ですら感じました。

 実際に大西氏の指摘通りであれば、トップ・事業部間抗争が起こっていなければ、爆弾を抱えつつ東芝は今も名門日系企業として君臨していたかもしれません。そう思うと、社内に様々な問題を作ったトップ間抗争は、最終的にはその膿を出すきっかけになるという皮肉な結果と捉えることもできそうです。

2019年12月12日木曜日

電子書籍化に抵抗する作家たち

 昨日記事を書いたら友人からいきなり、「文筆業ったって、今ペンで書いている作家なんていないじゃん」といきなりディスらられました。じゃあパソコンのキーボードで書くから「文キーボード業」というのかなと思いましたが、これだったら「文」いらない気がする。

 その友人とそのままこのテーマで少し話しましたがその際に、電子書籍化に抵抗する作家の話にも及びました。具体名は明かしませんがミステリー作家を中心に、「絶対に著作の電子書籍化は認めない」とする人がそこそこおり、実際にこうした作家の本は一冊も電子書籍化されていません。
 こうした作家について前述の友人は、「自分はパソコンで小説書くのに、読者がパソコンやスマホで読むのを認めないってのも変な話だ」とまたディスり、ちゃんとペン使って「文筆業」やれよと言ってました。まぁ私もそう思いますが。

 割と進歩がゆっくりだったことからあまり意識されてないようにも思いますが、電子書籍の普及は以前と比べると大分進んだ気がします。ほんのつい五年くらい前にはまだハードコピー本の発売日から数ヶ月遅らせてからようやく電子書籍を発行する出版社も少なくありませんでしたが、こと漫画本に限れば現代においては紙と電子は同日発売が基本です。逆から言えば、以前そういううことをやっていた連中は無駄なことしかしてなかったなと思えてなりません。
 そんな電子書籍の恩恵は日本国内にいるより、私のように海外で生活する人間のほうがありがたみを感じます。気になるトピックや最新の漫画本も日本国内にいるように購読することができるし、なにより場所を取らなくて済むので、今は四年も同じところに住んでますが、二年ごとに引っ越ししていた以前は本がないだけで非常に作業が楽でした。

 また海外ではなく日本国内であっても、僻地に住んでいる人は私のように強い恩恵を受けているかもしれません。もう十年以上前ですが大学時代、島根出身の学生が私の部屋にある漫画を見て、「こんな漫画、島根には置いていません。広島まで買いに行く必要があります」といったセリフを今でも覚えていますが、取次ができるとは言え時間的なロスなども考えると、僻地では書籍を買うのもままならない状況が今でも続いているのではないかと思います。それだけに電子書籍の普及はこうした地域にとっても、非常にプラスになると私は考えています。

 それを踏まえて言うと、やはり前述の電子書籍化を認めないとする作家の主張とスタンスは、エゴ以外の何物でもない気がします。主張の根拠はハードコピーとして読む文化や習慣を守りたい、ハードコピー本独特の良さがあるなどですが、「読めるか読めないか」という条件と比較すると実に小さな主張に思えてなりません。
 もちろん、ハードコピー本にも長所はあると思うし、特に教科書などは書き込めたりする分、電子書籍より優れていると私も考えますが、小説や漫画程度であれば何が何でも紙じゃなきゃダメというようなメリットは見えません。さらに言えば、ハードコピー本も当時に販売されているのであれば、電子書籍との選択は読者に任せてもいいと思え、最初に挙げた無駄に発売日をずらしていた出版社などと同様、無駄なことしかしていないとすら思っています。

 その上で将来について述べると、今後も電子書籍の普及は進み、むしろハードコピー本がどうしても欲しい場合は近くの印刷所に行ってデータを印刷し、自分の思い通りのサイズや装丁、フォントを指定してマイオリジナルな一冊を作るという形になっていくんじゃないかとも考えています。っていうかむしろ、こういう形のほうが運搬コストなどもいらないし、好きな装丁で組めるんだからいいような気がするし。
 何でもかんでもデジタルを信奉するわけじゃないですが、デジタルを利用しておきながらデジタルを否定する上記の作家たちの言い分には疑問に思えてなりません。