今朝、何故か朝四時に目が覚めたのでそのままベッドから起き、パソコンに向かいました。そしてDMMの電子書籍サイトを訪れ、そのままビッグディールを敢行しました。
どういうことかというと、DMMで年末年始セールを開始したのでこれを機に前から花王音持っていた電子書籍を一気にまとめ買いしました。既に二ヶ月前から購入する商品をお気に入りに選んでいたこともあり、購入金額が一瞬で1万円近くにまで上ってちょい焦りました(;´・ω・)
買った本は漫画以外だと友人に勧められたメディア業界本、あと山岳遭難本で、漫画だと鬱になるマンガとして挙げられていた「さくらの唄」と「人形の国」の最新刊、それと「ファイアパンチ」全巻等です。早速ファイアパンチを少し読みましたが冒頭の、「あらゆる苦痛を受け入れてでも、死だけは受け入れてはならない」に続く「生きて」のセリフは衝撃を受け、改めて作者の藤本タツキ氏はとんでもない作家になると感じました。
その後早速ダウンロードを始めましたが、時間帯もあってめっちゃ早かったです。中国だと国内回線はともかく国際回線を介した通信だと国策もあってあまりケーブルが強化されておらず、夜の8時から12時くらいなんか全く接続できなくなったりするのですが、こういう朝方だと物凄く回線が良く、大きいファイルをダウンロードする際はこの時間帯を使っています。
このほかSwitchも年末ということもあってたくさんセールを行っており、「戦国エース/ブレード」の彩京シューティングを買おうか悩みましたが、そっちはさておき「スカイギャンブラー アフターバーナー」という戦闘機ゲーを買いました。時間なくてまだ遊んでないけど、こういう戦闘機ゲームで「秋名の86」と名乗って「F-86セイバー」に乗って登場したらみんなどんな反応すんだろうとか勝手に想像しています。
ちなみにこの前うちの名古屋に左遷された親父とその従弟が、子供の頃に親戚の田舎に帰省したところ近くの軍事基地でF-86のコックピットに乗せてもらったという自慢話されて、うらやましくて悔しかったです。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2019年12月21日土曜日
2019年12月20日金曜日
在籍する会社によって変わる意見や立場
・奈良エアプ「奈良の南部は橿原とかあの辺でしょ?ww」ワイ「はぁ…(クソデカため息)」(アルファルファモザイク)
どうでもいい奈良南部の特殊事情はいいとして先日、会社で研修を受けさせられました。研修内容自体はよくあるものだったのですが、この中で行われた性格診断がなかなか面白く、周りに話してもなんか評判がいいです。
具体的にどういう性格診断だったのかというと、意見や主張に対してその人がどのような態度を取るかを測る心理テストで、自分の意見を通そうとする積極型、相手の意見を受け入れようとする受動型、指標や分析を重視する分析型の三タイプそれぞれでスコアを測り、最終的にどのタイプがどの程度強いのかを出すのですが、面白いのは「平常時」と「衝突時」の二つに分けてスコアが測定される点でした。
最終的に私のスコアは、平常時は分析型で、衝突時は受動型へと振れるという結果になりました。この結果には私も非常に納得がいくというか、質問に答えている際にまさにこういう態度をイメージしていたこともあって意図した結果に落ち着いたと思います。
ただこのブログを読んでいる方からすれば、平常時の分析型という結果はともかく、衝突時の受動型という結果については「(。´・ω・)?」と思われるのではないかと思います。むしろ私だったら、意見が衝突したら相手を言い負かせようとするタイプに思われているかもしれません。実際に友人にはまさにそう言われました。
そうした見方というか評価に対して私自身も否定しません。ただ現在在籍している会社に限れば、恐らくは上記の結果通りの態度を私は取ることでしょう。というのも、今の会社にいる人がまともだと考えているからです。
このテストを受けている最中、やはり意見衝突時にどのような態度を取るのかという質問がいくつか見られたのですがこうした質問に回答する際、「まぁこの会社にいる人はまともで優秀な人が多いから、自分と意見が異なるとしても滅茶苦茶な方針ではないはずだろう。むしろ自分より賢い人も多いんだし、彼らの意見の方が自分より正しい可能性も高い」という風に考えながら、回答していました。
ただ、もしこれがスチール棒で殴られて顔面からダラダラ流血しているのに、警察に通報しないばかりか病院にもつれていかず、「お前が悪い」と言い切ってきた上司のいた前の会社だったら、恐らく真逆の態度を取っていたと思います。実際にというか前の会社ではほとんど必要性がないにもかかわらず多くの人間を路頭に迷わせるような意思決定が出され、実行に移させないよう実際に激しく抗弁するなどして私は抵抗していました。
なおほんの少し顛末を書くと、私が去った後に問題のある上司が飛ばされ、代わりにまともな人が来たことで前の会社の中国法人は毎月数百万円の利益を出すようになったのですが、「もう潰すこと決めているのになんで黒字を出すんだ」などと、代わりに来た人は本社役員に怒られたそうです。でもって赤字から黒字に転換してんのに、そのままその中国法人は潰されたそうです。
仮にこうした前の会社、っていうか実際には今いる会社以外に過去私が在籍した会社だったらどこも、ガチで気が狂ったかのような意思決定が日常的にバンバン出されていたので、「それはおかしい!」などと激しく抗弁し続けていたでしょうし、実際そうしてました。そうした状態で先の心理テストを受けていたら、恐らく平常時であっても積極型という結果に落ち着いていたと思います。
そのように考えるとこうした性格判断型の心理テスト、特に企業内部で行われるものについては、一体どんな会社に勤めているかによってもその結果は大きく左右されることになると思います。それこそブラック企業で「受動型」と診断されるのと、ベンチャー企業で「受動型」と診断されるのは大きく意味合いが変わるでしょう。まぁそもそも、ブラック企業の一般社員に「積極型」はいないかもしれませんが。
逆を言えば、やはり今思い返しても以前に在籍していた会社では自分の判断の方がまともで、周りはほぼ全員がもう判断というか価値観から思考力を含め全体でおかしくなっていたという気がします。初めからそうだったのか段々とそうなっていったのかはわかりませんが、少なくとも判断力がおかしくなっている時点で意思決定を行う立場にいるべきでないのに、そういう立場に居続けられるということ自体が日系企業の問題点かもしれません。
何も自分の価値判断は優れていて問題ないとまでは言うつもりは全くありませんが、やはり誰がどう見ても明らかに右左すらわからないくらいおかしくなっているのに、本人がそのことに気付いていないという人間は少なからずいると思います。昔も同じこと書いていますが、そういう人間を社会から淘汰できないというのが、日本社会の最大の問題点でしょう。
どうでもいい奈良南部の特殊事情はいいとして先日、会社で研修を受けさせられました。研修内容自体はよくあるものだったのですが、この中で行われた性格診断がなかなか面白く、周りに話してもなんか評判がいいです。
具体的にどういう性格診断だったのかというと、意見や主張に対してその人がどのような態度を取るかを測る心理テストで、自分の意見を通そうとする積極型、相手の意見を受け入れようとする受動型、指標や分析を重視する分析型の三タイプそれぞれでスコアを測り、最終的にどのタイプがどの程度強いのかを出すのですが、面白いのは「平常時」と「衝突時」の二つに分けてスコアが測定される点でした。
最終的に私のスコアは、平常時は分析型で、衝突時は受動型へと振れるという結果になりました。この結果には私も非常に納得がいくというか、質問に答えている際にまさにこういう態度をイメージしていたこともあって意図した結果に落ち着いたと思います。
ただこのブログを読んでいる方からすれば、平常時の分析型という結果はともかく、衝突時の受動型という結果については「(。´・ω・)?」と思われるのではないかと思います。むしろ私だったら、意見が衝突したら相手を言い負かせようとするタイプに思われているかもしれません。実際に友人にはまさにそう言われました。
そうした見方というか評価に対して私自身も否定しません。ただ現在在籍している会社に限れば、恐らくは上記の結果通りの態度を私は取ることでしょう。というのも、今の会社にいる人がまともだと考えているからです。
このテストを受けている最中、やはり意見衝突時にどのような態度を取るのかという質問がいくつか見られたのですがこうした質問に回答する際、「まぁこの会社にいる人はまともで優秀な人が多いから、自分と意見が異なるとしても滅茶苦茶な方針ではないはずだろう。むしろ自分より賢い人も多いんだし、彼らの意見の方が自分より正しい可能性も高い」という風に考えながら、回答していました。
ただ、もしこれがスチール棒で殴られて顔面からダラダラ流血しているのに、警察に通報しないばかりか病院にもつれていかず、「お前が悪い」と言い切ってきた上司のいた前の会社だったら、恐らく真逆の態度を取っていたと思います。実際にというか前の会社ではほとんど必要性がないにもかかわらず多くの人間を路頭に迷わせるような意思決定が出され、実行に移させないよう実際に激しく抗弁するなどして私は抵抗していました。
なおほんの少し顛末を書くと、私が去った後に問題のある上司が飛ばされ、代わりにまともな人が来たことで前の会社の中国法人は毎月数百万円の利益を出すようになったのですが、「もう潰すこと決めているのになんで黒字を出すんだ」などと、代わりに来た人は本社役員に怒られたそうです。でもって赤字から黒字に転換してんのに、そのままその中国法人は潰されたそうです。
仮にこうした前の会社、っていうか実際には今いる会社以外に過去私が在籍した会社だったらどこも、ガチで気が狂ったかのような意思決定が日常的にバンバン出されていたので、「それはおかしい!」などと激しく抗弁し続けていたでしょうし、実際そうしてました。そうした状態で先の心理テストを受けていたら、恐らく平常時であっても積極型という結果に落ち着いていたと思います。
そのように考えるとこうした性格判断型の心理テスト、特に企業内部で行われるものについては、一体どんな会社に勤めているかによってもその結果は大きく左右されることになると思います。それこそブラック企業で「受動型」と診断されるのと、ベンチャー企業で「受動型」と診断されるのは大きく意味合いが変わるでしょう。まぁそもそも、ブラック企業の一般社員に「積極型」はいないかもしれませんが。
逆を言えば、やはり今思い返しても以前に在籍していた会社では自分の判断の方がまともで、周りはほぼ全員がもう判断というか価値観から思考力を含め全体でおかしくなっていたという気がします。初めからそうだったのか段々とそうなっていったのかはわかりませんが、少なくとも判断力がおかしくなっている時点で意思決定を行う立場にいるべきでないのに、そういう立場に居続けられるということ自体が日系企業の問題点かもしれません。
何も自分の価値判断は優れていて問題ないとまでは言うつもりは全くありませんが、やはり誰がどう見ても明らかに右左すらわからないくらいおかしくなっているのに、本人がそのことに気付いていないという人間は少なからずいると思います。昔も同じこと書いていますが、そういう人間を社会から淘汰できないというのが、日本社会の最大の問題点でしょう。
2019年12月19日木曜日
郵政はいつ、誰がおかしくしたのか
今日会社で眠いと呟いたら、「どうせまた夜遅くまでゲームしてたんでしょ」と年下の女性社員に突っ込まれ、事実その通りなだけにシュンとなってしまいました_( _´ω`)_ペショ
・怒号飛び交う中、会見強制終了 かんぽ問題(産経新聞)
かんぽの契約不正問題で揺れる日本郵政ですが、上記記事ではさも郵政側が会見での態度が良くなかったように報じていますが、コメントにもある通り二時間超も会見に応じているのにも関わらず核心に迫る質問を行えなかったメディアの側の方が問題があるでしょう。どこかしこもいますが、何かあるとよく人のせいにする人は多いとはいえこうして公でそれやるってのはどうかなと個人的に思います。
このように考える理由として、私自身がこの問題でキーポイントと思える点についてどこも報じていないからです。もったいぶらずに言うとそれは「かんぽの契約不正問題はいつ頃から始まり、増えだしたのか?」ということなのですが、私の視点がおかしいのか、メディアがどこも気づいていないのかがと言いたいところですが、この件に関しては気づかなかったメディアはもうこの問題は追うべきではないと断言できます。何故ならこの点が経営者の責任問題に直結するからです。
今回の郵政の問題と絡めて、「そもそも小泉改革の郵政民営化改革自体が問題だった」という人がいますが、結果論で言えばその通りと認めるものの、果たして郵政改革そのものがこの問題の原因と指摘するに当たっては、「郵政再国有化」という経緯を踏まえていなければ相手にする議論ではありません。
日本郵政とその関連会社は2005年の郵政選挙後の政策により民営化されましたが、その後2009年に自民党が下野して民主党が政権を取った後、民主党の連立相手である国民新党の強い意向を受けて民営化政策は骨抜きにされており、市場で売却する予定だった株式も売却が取りやめられるなどして、実質的に再国有化されています。
特に見逃せない点として、ラストバンカーと呼ばれた初代郵政社長の西川善文氏がまさにこの民主党政権時代に更迭されています。この更迭について亀井静香が、「別に恨みはないが、小泉政権に立てられた人物だから追放した」と一部記事で報じられていましたが、実際その前後の経過を見ているとそうとしか思えません。
その後の記事などを見ると、やはり実質的に政府による追放劇だったと述べる証言者が数多く出ており、また西川氏が民営化を見据え育てた、引っ張ってきた人材も合わせて追い出されていったそうです。
その後、斉藤次郎氏が社長に就くも自民党の政権返り咲きを前に自ら辞め、後任には斉藤と同じ元官僚の坂篤郎氏が就任するも菅官房長官の逆鱗に触れてわずか半年で辞め、ここで満を持して東芝をむちゃくちゃにした張本人ともいえる西室泰三が社長に就任します。
他の歴代社長に関してはまだ擁護余地があるものの、西室泰三に関しては約6000億円でオーストラリアの物流会社(トール)を買収した上に不良債権化させていることから擁護の余地は全くありません。その後体調不良で辞めましたが、あのまま残っていたらもっと郵政は面白いことになってたことでしょう。
以上の経緯を経て現社長の長門正貢氏に至りますが、ここまでの経緯は下記記事によくまとめられています。
・政治に翻弄 「日本郵政」歴代4人の社長が選ばれた理由(ニュースイッチ)
何も社長一人で全部変わるわけではないものの、役員の組閣などを考えると社内に及ぼす影響は決して小さくありません。ましてや今回の郵政の契約不正問題はかんぽ全社に蔓延しており、いつどの段階からこうした問題行為が行われ、内部告発も握りつぶされ、社内で当たり前の光景となったかは、どの経営者に問題があったのかを追求する上で最も重要なポイントであると私は見ています。現在までに報じられている内容では契約不正行為が何件あったのかしかなく、いつ頃から、どの地域からこうした行為が行われたのか、郵政発足以来なのか民営化以来なのか、こうした点については全く触れられていない上に、メディアもどこも突っ込んでいないという点でいろんな意味で暗澹たる気持ちにさせられます。
あくまで状況のみをみて推測意見を述べると、民営化直後にこうした契約不正はなかったのではないかと私は見ています。理由はいくつかあり、民営化直後は粗を探そうとするメディアの監視が目に見えて厳しかったのと、仮に不正があったとしたら西川氏を追放する際にその理由に使われた可能性が高いとみているからです。
また記憶の限りで述べると、郵政のかんぽ契約が押し売りのようになっているなどとその問題性についての噂はかねてから聞いていましたが、そうした噂を私が聞き始めたのは2013年くらいだったように思います。調べてみたらちょうど西室の時期にあたり、東芝の「チャレンジ」的な何かを郵政でもやっていたのかもしれません。
恐らくですがメディアは今後もこの点については触れず、また報告書でも「過去三年間の~」などと直近年度しか調べず、どうしてこのような空気や営業手法が蔓延したのかについてはスルーすると思います。正直、私としては我慢ならないだけに来年記者会見あったら職を賭してでもこの質問をぶつけたいところですが、JBpressにでも頼んで自分の代わりに質問してもらおうかな。
・怒号飛び交う中、会見強制終了 かんぽ問題(産経新聞)
かんぽの契約不正問題で揺れる日本郵政ですが、上記記事ではさも郵政側が会見での態度が良くなかったように報じていますが、コメントにもある通り二時間超も会見に応じているのにも関わらず核心に迫る質問を行えなかったメディアの側の方が問題があるでしょう。どこかしこもいますが、何かあるとよく人のせいにする人は多いとはいえこうして公でそれやるってのはどうかなと個人的に思います。
このように考える理由として、私自身がこの問題でキーポイントと思える点についてどこも報じていないからです。もったいぶらずに言うとそれは「かんぽの契約不正問題はいつ頃から始まり、増えだしたのか?」ということなのですが、私の視点がおかしいのか、メディアがどこも気づいていないのかがと言いたいところですが、この件に関しては気づかなかったメディアはもうこの問題は追うべきではないと断言できます。何故ならこの点が経営者の責任問題に直結するからです。
今回の郵政の問題と絡めて、「そもそも小泉改革の郵政民営化改革自体が問題だった」という人がいますが、結果論で言えばその通りと認めるものの、果たして郵政改革そのものがこの問題の原因と指摘するに当たっては、「郵政再国有化」という経緯を踏まえていなければ相手にする議論ではありません。
日本郵政とその関連会社は2005年の郵政選挙後の政策により民営化されましたが、その後2009年に自民党が下野して民主党が政権を取った後、民主党の連立相手である国民新党の強い意向を受けて民営化政策は骨抜きにされており、市場で売却する予定だった株式も売却が取りやめられるなどして、実質的に再国有化されています。
特に見逃せない点として、ラストバンカーと呼ばれた初代郵政社長の西川善文氏がまさにこの民主党政権時代に更迭されています。この更迭について亀井静香が、「別に恨みはないが、小泉政権に立てられた人物だから追放した」と一部記事で報じられていましたが、実際その前後の経過を見ているとそうとしか思えません。
その後の記事などを見ると、やはり実質的に政府による追放劇だったと述べる証言者が数多く出ており、また西川氏が民営化を見据え育てた、引っ張ってきた人材も合わせて追い出されていったそうです。
その後、斉藤次郎氏が社長に就くも自民党の政権返り咲きを前に自ら辞め、後任には斉藤と同じ元官僚の坂篤郎氏が就任するも菅官房長官の逆鱗に触れてわずか半年で辞め、ここで満を持して東芝をむちゃくちゃにした張本人ともいえる西室泰三が社長に就任します。
他の歴代社長に関してはまだ擁護余地があるものの、西室泰三に関しては約6000億円でオーストラリアの物流会社(トール)を買収した上に不良債権化させていることから擁護の余地は全くありません。その後体調不良で辞めましたが、あのまま残っていたらもっと郵政は面白いことになってたことでしょう。
以上の経緯を経て現社長の長門正貢氏に至りますが、ここまでの経緯は下記記事によくまとめられています。
・政治に翻弄 「日本郵政」歴代4人の社長が選ばれた理由(ニュースイッチ)
何も社長一人で全部変わるわけではないものの、役員の組閣などを考えると社内に及ぼす影響は決して小さくありません。ましてや今回の郵政の契約不正問題はかんぽ全社に蔓延しており、いつどの段階からこうした問題行為が行われ、内部告発も握りつぶされ、社内で当たり前の光景となったかは、どの経営者に問題があったのかを追求する上で最も重要なポイントであると私は見ています。現在までに報じられている内容では契約不正行為が何件あったのかしかなく、いつ頃から、どの地域からこうした行為が行われたのか、郵政発足以来なのか民営化以来なのか、こうした点については全く触れられていない上に、メディアもどこも突っ込んでいないという点でいろんな意味で暗澹たる気持ちにさせられます。
あくまで状況のみをみて推測意見を述べると、民営化直後にこうした契約不正はなかったのではないかと私は見ています。理由はいくつかあり、民営化直後は粗を探そうとするメディアの監視が目に見えて厳しかったのと、仮に不正があったとしたら西川氏を追放する際にその理由に使われた可能性が高いとみているからです。
また記憶の限りで述べると、郵政のかんぽ契約が押し売りのようになっているなどとその問題性についての噂はかねてから聞いていましたが、そうした噂を私が聞き始めたのは2013年くらいだったように思います。調べてみたらちょうど西室の時期にあたり、東芝の「チャレンジ」的な何かを郵政でもやっていたのかもしれません。
恐らくですがメディアは今後もこの点については触れず、また報告書でも「過去三年間の~」などと直近年度しか調べず、どうしてこのような空気や営業手法が蔓延したのかについてはスルーすると思います。正直、私としては我慢ならないだけに来年記者会見あったら職を賭してでもこの質問をぶつけたいところですが、JBpressにでも頼んで自分の代わりに質問してもらおうかな。
2019年12月18日水曜日
TBS元記者の事件の一審結果について
工場勤務者なら誰もが一度は思い描く姿
・伊藤詩織さん「勝訴」 連れ込む山口記者の姿を目撃…控訴審でカギを握る「ドアマンの供述調書」(デイリー新潮)
すでに方々で報じられていますが、TBS元記者の山口敬之氏と伊藤詩織氏を巡る裁判で判決が下り、伊藤氏がこの度勝訴しました。この事件については伊藤氏が初めて会見を行った際にもこのブログでいろいろ書いていますが、伊藤氏の説明や主張を見る以前に、山口氏は明らかに人格に問題のある人間と見ていたことから、このような行為を行っていたと聞いても驚きはなかったというか実際やってるんだろうなと率直に思いました。
過去の記事にも書いている通り、山口氏は過去に「総理」という安倍首相に関する本を出しています。この本を私は友人に勧められて読みましたが、読了後にその友人に対して、「目が曇ってきたのか?もう二度とこんなくだらない本を人に勧めるな」と、自分にしては珍しくかなり激しい姿勢で詰問しました。
何故このようなことを言ったのかというと、この本の内容が明らかに問題があると感じたからです。全編にわたって安倍首相との距離の近さを自慢するかのような書き方がなされ批判的視点はおろか中立的な観点すら欠いており、尚且つそのような目線で書かれた駄文に自ら酔っているような節すら見られ、よくこんな本を恥ずかしげもなく出せたなと逆の意味で驚きました。あれほど傲岸不遜な内容は近年稀に見るほどであり、きっとこの本を書いた作者は性格面を始めかなり問題のある人物だろうと思いました。
そしたら案の定というか上記のような事件が発覚し、なおかつ逮捕状が出ているのに突然執行が停止されるという曰くつきな事件も起こり、こういう人間を過去に雇ってた当たりはオウム事件をはじめ、さすがは「報道のTBS」だなと感心しました。というかこのTBSの枕詞は使われなくなって既に久しく、多分今年こう発言したのは私くらいかもしれません。
過去にも同じ内容を書いているのにこの記事で何が言いたいのかというと、文章というのは意外とその書いた人の性格なり傾向を反映するということです。山口氏の文章に限らず友人に送られてきたメール文を見るなり、「論理的な思考ができないとっぽい人だろうから会わない方がいい」と警告したこともありますが、友人曰く「割と当たってた」そうで、やはり文章には特徴が出ると自分でも当時思いました。
特徴が出ると言っても、普通のメール文などの文章でそういう傾向はあまり出ないし、私自身何でもかんでも文章から性格分析できるわけではありませんが、明らかに問題を抱えている人ほどその文章には特徴が出るとみています。具体的には、文章の言い回しが冗長な人ほど本音を隠したがり、本来の目的を隠した上で相手を動かそうとする傾向がある気がします。ある意味、山口氏の文章はその典型ともいえる内容なだけに、興味があればその著作を手に取ることをお勧めします。
なお文章の特徴で言えば私の文章も非常に特徴的な方でしょう。さすがに自分の文章に対して性格分析とかはしませんが、敢えて言えば誤字が多いからそそっかしい性格してるのは見て取れることでしょう。
2019年12月17日火曜日
大学入試での記述式問題見送りについて
昨日仕事中に二回電話かかってきたけど会議中のため出られず、後で確認したら変な広告の電話でした。ちょうど今電話の着メロを「Kosmos, Cosmos」にしており、私に電話をかけて来た連中へ呼び出し中に渡りこの歌を聞かせられ、良いことしたななどと思いました。
なお歌ってた人は今この有様です。あんま悪く言うのは良くないと思うけど、さすがに何度も事務所変えているのはなと以前思いました。
・「中止を」「2次試験で」 記述式見送りに有識者 大学入試改革(時事通信)
話は本題ですが、やはり当事者でないとあまり実感などわからないのですが、大学入試に英検資格で代替を認める案が流れたのに続き、記述式問題の導入も今回見送られたそうです。率直に言って、よかったんじゃないというのが私の感想です。
先に英検について述べると、英検そのものについては比較的普及している英語試験だと私も認めますが、運営団体については政治的な活動の多い団体とはっきり断言できます。というのも通訳案内士試験などを筆頭に英語能力を考慮する資格の試験において、「英検一級があれば英語科目は免除」としていることが多いですが、これは英検運営団体の政治力の賜物です。
このように他の試験にも複合的に利用できるようにして英検の受験者数を増やす画策を前から着々としており、決してそのすべてが問題のある行為とは言わないものの、半公営団体にしては行動が政治的過ぎるなと前から疑問視していました。その辺、かつての漢検事件を連想させます。
次に記述式問題についてですが、採点に対応する予定だったのはベネッセだったということです。普通に考えてセンター試験規模の答案をマークシートでもない限り迅速に処理することは不可能であり、その点は上記リンク先の時事の記事でも触れられていますが、受験生に採点ミスと得点開示までの期間差により大きな混乱をもたらす可能性が高く、普通の企業だったら公平性が担保できないとして対応を拒否すると思うのですが、その辺はさすがはベネッセということでしょう。
そうしたくだりを考えると、先の英検ともども結論ありきの利益誘導があったのではないかと疑わざるを得ません。むしろ疑わない人間の方がこの場合は問題でしょう。
個人的な意見で言えば、現在の日本の大学入試制度は比較的よくできたものだと考えています。というのも中国や韓国は日本のセンター試験に当たる共通試験一発でどの大学に入れるかが決められるため、大学や学部ごとに特徴を持たせた問題で生徒を選抜することが出来ません。
また本番一発勝負のため、体調不良や不意のアクシデントに遭うと泣きを見ることになります。そうした背景から該当試験日においては、警察車両も生徒を運搬するなど軽いお祭り騒ぎになるわけですし。
日本の場合は国立大進学にはセンター試験が必要とはいえ、アクシデントがあれば問題は難化するとはいえ予備試験も用意されており、尚且つ二次試験で各大学や学部が自前で問題を作って選抜できるので、そこそこ個性を出すポイントが用意されています。またセンター試験を受けない、または失敗したとしても、早慶を筆頭にそこそこ実力のある私立大学が優秀な生徒を拾って育てて社会に出すこともできるので、入試の柔軟性や公平性に関して言えば割といい制度環境なのではないかと評価しています。
フランスや米国の様に、年間を通して学力を測る試験を複数回行って、その時に得たスコアを大学入学基準に使おうという方針を今日本政府が出していますが、こうした制度のメリットも認めないわけでないものの、無理して真似するまでの必要性があるかと言ったら果たして疑問です。第一そんなことする暇あったら、Fランク大学への補助金打ち切りによる過剰な大学数の淘汰にこそもっと取り組むべきでしょう。
その上で教育改革論を少し述べると、「大学を卒業しなくても幸福な生活を送れる」教育環境、即ち高等学校段階での職業訓練などをもっと拡充すべきだと個人的には考えています。一時期高専がやたら持て囃されましたが私に言わせれば高専なんかじゃまだ生ぬるく、もっと早い段階で育成の早い職業訓練校を拡充すべきです。
まぁ仮にそうすると、学生アルバイトが減って小売や飲食業をはじめとする企業が成り立たなくなるわけですが。
最後にこの記事書いてて、そういえばセンター試験の中国語問題ってどの程度なのかな、今度やってみよっかなとか少し思いました。
また同じく小論文科目の試験に参加したらどうなるのか。高校時代でも相当なレベルにありましたが、今現在の私の文章力なら日本人の上位1%に確実に入る自負があるだけに、逆に採点担当者の実力を試すような文章を仕立てて持っていったら怒られたりするのかななどと都合のいい想像をしています。
なお歌ってた人は今この有様です。あんま悪く言うのは良くないと思うけど、さすがに何度も事務所変えているのはなと以前思いました。
・「中止を」「2次試験で」 記述式見送りに有識者 大学入試改革(時事通信)
話は本題ですが、やはり当事者でないとあまり実感などわからないのですが、大学入試に英検資格で代替を認める案が流れたのに続き、記述式問題の導入も今回見送られたそうです。率直に言って、よかったんじゃないというのが私の感想です。
先に英検について述べると、英検そのものについては比較的普及している英語試験だと私も認めますが、運営団体については政治的な活動の多い団体とはっきり断言できます。というのも通訳案内士試験などを筆頭に英語能力を考慮する資格の試験において、「英検一級があれば英語科目は免除」としていることが多いですが、これは英検運営団体の政治力の賜物です。
このように他の試験にも複合的に利用できるようにして英検の受験者数を増やす画策を前から着々としており、決してそのすべてが問題のある行為とは言わないものの、半公営団体にしては行動が政治的過ぎるなと前から疑問視していました。その辺、かつての漢検事件を連想させます。
次に記述式問題についてですが、採点に対応する予定だったのはベネッセだったということです。普通に考えてセンター試験規模の答案をマークシートでもない限り迅速に処理することは不可能であり、その点は上記リンク先の時事の記事でも触れられていますが、受験生に採点ミスと得点開示までの期間差により大きな混乱をもたらす可能性が高く、普通の企業だったら公平性が担保できないとして対応を拒否すると思うのですが、その辺はさすがはベネッセということでしょう。
そうしたくだりを考えると、先の英検ともども結論ありきの利益誘導があったのではないかと疑わざるを得ません。むしろ疑わない人間の方がこの場合は問題でしょう。
個人的な意見で言えば、現在の日本の大学入試制度は比較的よくできたものだと考えています。というのも中国や韓国は日本のセンター試験に当たる共通試験一発でどの大学に入れるかが決められるため、大学や学部ごとに特徴を持たせた問題で生徒を選抜することが出来ません。
また本番一発勝負のため、体調不良や不意のアクシデントに遭うと泣きを見ることになります。そうした背景から該当試験日においては、警察車両も生徒を運搬するなど軽いお祭り騒ぎになるわけですし。
日本の場合は国立大進学にはセンター試験が必要とはいえ、アクシデントがあれば問題は難化するとはいえ予備試験も用意されており、尚且つ二次試験で各大学や学部が自前で問題を作って選抜できるので、そこそこ個性を出すポイントが用意されています。またセンター試験を受けない、または失敗したとしても、早慶を筆頭にそこそこ実力のある私立大学が優秀な生徒を拾って育てて社会に出すこともできるので、入試の柔軟性や公平性に関して言えば割といい制度環境なのではないかと評価しています。
フランスや米国の様に、年間を通して学力を測る試験を複数回行って、その時に得たスコアを大学入学基準に使おうという方針を今日本政府が出していますが、こうした制度のメリットも認めないわけでないものの、無理して真似するまでの必要性があるかと言ったら果たして疑問です。第一そんなことする暇あったら、Fランク大学への補助金打ち切りによる過剰な大学数の淘汰にこそもっと取り組むべきでしょう。
その上で教育改革論を少し述べると、「大学を卒業しなくても幸福な生活を送れる」教育環境、即ち高等学校段階での職業訓練などをもっと拡充すべきだと個人的には考えています。一時期高専がやたら持て囃されましたが私に言わせれば高専なんかじゃまだ生ぬるく、もっと早い段階で育成の早い職業訓練校を拡充すべきです。
まぁ仮にそうすると、学生アルバイトが減って小売や飲食業をはじめとする企業が成り立たなくなるわけですが。
最後にこの記事書いてて、そういえばセンター試験の中国語問題ってどの程度なのかな、今度やってみよっかなとか少し思いました。
また同じく小論文科目の試験に参加したらどうなるのか。高校時代でも相当なレベルにありましたが、今現在の私の文章力なら日本人の上位1%に確実に入る自負があるだけに、逆に採点担当者の実力を試すような文章を仕立てて持っていったら怒られたりするのかななどと都合のいい想像をしています。
2019年12月16日月曜日
レジャーの本質は非日常
今日の上海の最高気温は20度で、研修のため部屋にこもりっぱだったけど夕方でも普通に暑いと感じる陽気でした。日本でも暖冬が続いているそうですが、去年の冬はガチで太陽が全くでないくらい雨と湿気の多い気候だったのに比べると、まだ暖冬でもこっちの方がいいやと思えてきます。
話は本題ですが「レジャー」という言葉の本質を考えた場合、究極的には「非日常」という言葉に行きつくと私は考えています。換言すれば、「日常から離れれば離れるほどレジャーとしての価値、体験としての印象深さが増す」ということです。
いくつか例証すると、温泉旅館で普段働く人が連休に別の場所にある温泉旅館に泊まったところで、果たしてレジャーとして楽しめるでしょうか。またここまで極端じゃなくても、元々海水浴もできるような海辺に住んでる人が同じようなビーチで有名な観光地に旅行したところで、コンクリートジャングルで普段生活している人が同じビーチに来てた時ほどの感激が得られるかと言ったら、まずそうはならないでしょう。
二番目の例でも書いたように、普段ビーチが疎遠な人ほどビーチに行く価値が得られるわけで、それも距離的な長さでも、同じ都道府県内よりも遥か遠くのハワイとか桂浜とかの方が感動は大きくなると思います。同じような理屈で言うと、京都に住んでいる人は案外地元の有名な寺社仏閣を回りませんが、関東に住んでる人は京都の寺社仏閣を非常にありがたがってお参りするのも一緒です。奈良にはあんま来てくれないけど(´;ω;`)ウッ…
地元と非地元でどうして同じ体験のレジャーでもこのような差が生まれるのか。やはりそれを分ける分水嶺は日常か、非日常かにあるように思え、またこの区分をさらに発展させると、普段の生活から程遠ければ程遠いほど、レジャーの価値が高まる傾向があるのではないかと大体半年くらい前に思いつきました。
それこそ雪国の人は沖縄みたいな温暖な地、雪がほとんど降らない熱帯の国の人ほど雪国に焦がれる様に、未体験ゆえの物珍しさもあるでしょうがやはり日常から遠いからこそこれらは価値があり、尚且つ普段の苦しい日常から解放されるような感覚が得られるのではないかと思います。
そもそも何故このような見方を持つようになったのかというと、最初の問いかけは「何故登山はレジャーなのか?」と考えたからです。普通に考えてあらゆる面で労苦が多く、冬山登山なんかは一歩間違えれば簡単に死ぬリスクがあるというのに、それでも何故大勢の人間は未だに登山をレジャーと捉えているのかと考えたからでした。
いくつか登山体験者の意見や登山の楽しみについてみて回ったところ、やはり日常からの解放感に触れている人が多く、実際に山の中は電気や水道といった主要なインフラから切り離された環境になるという状況から、「非日常」という単語が浮かんで上記結論へと至りました。
これらは言い換えると、日常から程遠いところに行けば行くほど人間はレジャーによって解放感を得られやすいということになります。単純なところでは海外旅行は国内旅行より効果が強い、また宿泊するホテルについても、普段から豪邸に住んでいる人は普段あばら家に住んでいる人よりは高級ホテルに泊まった時の効果が弱くなるのではないかと見ています。
逆を言えば、普段豪邸に泊まっている人はみすぼらしい安宿に泊まると逆に変な意味の感動を得るかもしれません。それがさらに極まると野外キャンプ、果てには登山といった、文明と隔絶された環境にレジャーを見出していき、だから割と英国人の何々卿みたいな金持ちがやたら登山にはまるのかなとも思います。
もっともこの論で行くと、最強の非日常は戦地になるとも思え、もしかしたら戦場こそが最大のレジャー地となるポテンシャルを秘めているのかもしれません。自分は行かないけど。
まとめるとレジャーとしての行き先を考えるならば、日常から距離的、質的に遠い場所を選ぶことが意外と重要だということです。特に質の差については、日常の生活環境より不便な田舎や山中がどうしてレジャーとしての価値を持つのかという点で重要で、ただ単にお金をかければいいということではないと思います。
このように考えるとちょうど十二月の今くらいの寒い時期に、ガチでダンボール巻いて野宿したあれも私にとってはレジャーだったのかもしれません。本気で凍死するんじゃないかと思ったのはこれと房総半島でのサイクリング一周失敗事件の時くらいです。
話は本題ですが「レジャー」という言葉の本質を考えた場合、究極的には「非日常」という言葉に行きつくと私は考えています。換言すれば、「日常から離れれば離れるほどレジャーとしての価値、体験としての印象深さが増す」ということです。
いくつか例証すると、温泉旅館で普段働く人が連休に別の場所にある温泉旅館に泊まったところで、果たしてレジャーとして楽しめるでしょうか。またここまで極端じゃなくても、元々海水浴もできるような海辺に住んでる人が同じようなビーチで有名な観光地に旅行したところで、コンクリートジャングルで普段生活している人が同じビーチに来てた時ほどの感激が得られるかと言ったら、まずそうはならないでしょう。
二番目の例でも書いたように、普段ビーチが疎遠な人ほどビーチに行く価値が得られるわけで、それも距離的な長さでも、同じ都道府県内よりも遥か遠くのハワイとか桂浜とかの方が感動は大きくなると思います。同じような理屈で言うと、京都に住んでいる人は案外地元の有名な寺社仏閣を回りませんが、関東に住んでる人は京都の寺社仏閣を非常にありがたがってお参りするのも一緒です。奈良にはあんま来てくれないけど(´;ω;`)ウッ…
地元と非地元でどうして同じ体験のレジャーでもこのような差が生まれるのか。やはりそれを分ける分水嶺は日常か、非日常かにあるように思え、またこの区分をさらに発展させると、普段の生活から程遠ければ程遠いほど、レジャーの価値が高まる傾向があるのではないかと大体半年くらい前に思いつきました。
それこそ雪国の人は沖縄みたいな温暖な地、雪がほとんど降らない熱帯の国の人ほど雪国に焦がれる様に、未体験ゆえの物珍しさもあるでしょうがやはり日常から遠いからこそこれらは価値があり、尚且つ普段の苦しい日常から解放されるような感覚が得られるのではないかと思います。
そもそも何故このような見方を持つようになったのかというと、最初の問いかけは「何故登山はレジャーなのか?」と考えたからです。普通に考えてあらゆる面で労苦が多く、冬山登山なんかは一歩間違えれば簡単に死ぬリスクがあるというのに、それでも何故大勢の人間は未だに登山をレジャーと捉えているのかと考えたからでした。
いくつか登山体験者の意見や登山の楽しみについてみて回ったところ、やはり日常からの解放感に触れている人が多く、実際に山の中は電気や水道といった主要なインフラから切り離された環境になるという状況から、「非日常」という単語が浮かんで上記結論へと至りました。
これらは言い換えると、日常から程遠いところに行けば行くほど人間はレジャーによって解放感を得られやすいということになります。単純なところでは海外旅行は国内旅行より効果が強い、また宿泊するホテルについても、普段から豪邸に住んでいる人は普段あばら家に住んでいる人よりは高級ホテルに泊まった時の効果が弱くなるのではないかと見ています。
逆を言えば、普段豪邸に泊まっている人はみすぼらしい安宿に泊まると逆に変な意味の感動を得るかもしれません。それがさらに極まると野外キャンプ、果てには登山といった、文明と隔絶された環境にレジャーを見出していき、だから割と英国人の何々卿みたいな金持ちがやたら登山にはまるのかなとも思います。
もっともこの論で行くと、最強の非日常は戦地になるとも思え、もしかしたら戦場こそが最大のレジャー地となるポテンシャルを秘めているのかもしれません。自分は行かないけど。
まとめるとレジャーとしての行き先を考えるならば、日常から距離的、質的に遠い場所を選ぶことが意外と重要だということです。特に質の差については、日常の生活環境より不便な田舎や山中がどうしてレジャーとしての価値を持つのかという点で重要で、ただ単にお金をかければいいということではないと思います。
このように考えるとちょうど十二月の今くらいの寒い時期に、ガチでダンボール巻いて野宿したあれも私にとってはレジャーだったのかもしれません。本気で凍死するんじゃないかと思ったのはこれと房総半島でのサイクリング一周失敗事件の時くらいです。
2019年12月15日日曜日
藤浪と新垣
最近ふと、制球難に苦しむ藤浪選手みていて、かつてホークスとヤクルトに在籍した新垣元選手を重ねることがありました。
野球に詳しい方なら説明不要でしょうが、藤浪選手はデビュー時から数年間華々しく活躍を遂げた後、突如として制球難、もう実質イップスに陥り、ここ数年間はまともな勝利数すら挙げられない等苦しんでいます。
藤浪選手がイップスに陥った原因はいくつか挙げられていますが、そのうちの一つの元広島のエースで今や前田智徳氏とともに広島の生き神となっている黒田博樹氏と対戦した際にビーンボールを投げ、黒田氏に怖い顔され詰め寄られたという説があります。ただこの年に藤浪選手は、黒田氏との騒動後も安定した投球を見せて前年同様に高い勝利数を挙げており、因果関係を結び付けるには強引だと思います。
むしろそれ以上に、既にノックダウンされているにもかかわらずふがいない投球を見せた懲罰として、リリーフを投入されずに延々と投げ続けさせられたという事件の後から明らかにおかしくなっており、これだけが原因ではないにしろ、最大のきっかけとなったのはこの事件だと私は思います。素人目で言えば、藤浪選手を壊したのはやはり金本氏でしょう。
そんな藤浪選手と同じく、デビュー当初はエース級の非常に華々しい活躍を遂げていたにもかかわらず、ある年をきっかけに急激に制球がおかしくなってしまったのが冒頭に上げた新垣氏です。新垣氏の場合は黒田氏や金本氏に凄まれたわけではないですが、あるシーズンオフに投球の幅を広げようと変化球のシュートを身に着けてからおかしくなったと指摘されています。
この点については野球関係者ではないですが、新垣氏に限らずシュートを身に着けてから通常のストレートもシュート回転するようになってしまったとか、選手寿命が明らかに縮んだという人を多く聞くことから、あり得なくはない説だと私は考えています。そもそも新垣氏は、その直球の伸びと極端に曲がるスライダーを武器にしていただけに、ストレートに影響したとなるとその影響は計り知れません。
その後、新垣氏は現在においても数々の暴投記録を生むなど、投球は一級なれど極端に制球の悪い投手となってしまい、最終的には引退に追い込まれてしまいました。この新垣氏についての言及をこの前見ていたら、「腕が長いなど非常に恵まれた上半身に対し、幼少時から何度も事故に遭って金属の金具やボルトを何本も埋め込まなければならなかったほど下半身が極端に弱く、そのアンバランスさが制球を不安定にさせていた」という記述を見て、「藤浪やん」と率直に思いました。
体格に優れた人間が多いプロ野球選手の中でも、身長をはじめ藤浪選手の身体的素材の良さは非常に際立っています。特にその手足の長さは方々から絶賛されており、高い球速を生む要因となる一方、腕のあまりの長さから制球し切れていないという指摘も出ています。
また新垣氏の例と比較した場合、デビュー当初はある意味「若さゆえ」にその有り余るパワーをまだ制御し切れていたものの、数年間の登板による経年劣化、またはプロとして体鍛えたことでよりパワーが増したことで、制球がおかしくなっていったのではと思うところもあります。
では新垣氏の轍を踏まないよう、藤浪選手は下半身をしっかり鍛えれば制球は良くなるのかと言ったら、正直私は疑問です。やはり身体的特徴が際立っているだけに、他の一般的な体格の選手がやるような対策でどうにかなるのか完全に未知数で、むしろ似た体格が多いメジャーリーグ選手の対策の方が合うのかもしれません。
少なくともこのままいくと実質的に「新垣二世」となるだけに、何らかの対策の道筋は出してもらいたいものです。藤浪選手自身だけではなく、今後同じような症状を起こす選手のためにも。
野球に詳しい方なら説明不要でしょうが、藤浪選手はデビュー時から数年間華々しく活躍を遂げた後、突如として制球難、もう実質イップスに陥り、ここ数年間はまともな勝利数すら挙げられない等苦しんでいます。
藤浪選手がイップスに陥った原因はいくつか挙げられていますが、そのうちの一つの元広島のエースで今や前田智徳氏とともに広島の生き神となっている黒田博樹氏と対戦した際にビーンボールを投げ、黒田氏に怖い顔され詰め寄られたという説があります。ただこの年に藤浪選手は、黒田氏との騒動後も安定した投球を見せて前年同様に高い勝利数を挙げており、因果関係を結び付けるには強引だと思います。
むしろそれ以上に、既にノックダウンされているにもかかわらずふがいない投球を見せた懲罰として、リリーフを投入されずに延々と投げ続けさせられたという事件の後から明らかにおかしくなっており、これだけが原因ではないにしろ、最大のきっかけとなったのはこの事件だと私は思います。素人目で言えば、藤浪選手を壊したのはやはり金本氏でしょう。
そんな藤浪選手と同じく、デビュー当初はエース級の非常に華々しい活躍を遂げていたにもかかわらず、ある年をきっかけに急激に制球がおかしくなってしまったのが冒頭に上げた新垣氏です。新垣氏の場合は黒田氏や金本氏に凄まれたわけではないですが、あるシーズンオフに投球の幅を広げようと変化球のシュートを身に着けてからおかしくなったと指摘されています。
この点については野球関係者ではないですが、新垣氏に限らずシュートを身に着けてから通常のストレートもシュート回転するようになってしまったとか、選手寿命が明らかに縮んだという人を多く聞くことから、あり得なくはない説だと私は考えています。そもそも新垣氏は、その直球の伸びと極端に曲がるスライダーを武器にしていただけに、ストレートに影響したとなるとその影響は計り知れません。
その後、新垣氏は現在においても数々の暴投記録を生むなど、投球は一級なれど極端に制球の悪い投手となってしまい、最終的には引退に追い込まれてしまいました。この新垣氏についての言及をこの前見ていたら、「腕が長いなど非常に恵まれた上半身に対し、幼少時から何度も事故に遭って金属の金具やボルトを何本も埋め込まなければならなかったほど下半身が極端に弱く、そのアンバランスさが制球を不安定にさせていた」という記述を見て、「藤浪やん」と率直に思いました。
体格に優れた人間が多いプロ野球選手の中でも、身長をはじめ藤浪選手の身体的素材の良さは非常に際立っています。特にその手足の長さは方々から絶賛されており、高い球速を生む要因となる一方、腕のあまりの長さから制球し切れていないという指摘も出ています。
また新垣氏の例と比較した場合、デビュー当初はある意味「若さゆえ」にその有り余るパワーをまだ制御し切れていたものの、数年間の登板による経年劣化、またはプロとして体鍛えたことでよりパワーが増したことで、制球がおかしくなっていったのではと思うところもあります。
では新垣氏の轍を踏まないよう、藤浪選手は下半身をしっかり鍛えれば制球は良くなるのかと言ったら、正直私は疑問です。やはり身体的特徴が際立っているだけに、他の一般的な体格の選手がやるような対策でどうにかなるのか完全に未知数で、むしろ似た体格が多いメジャーリーグ選手の対策の方が合うのかもしれません。
少なくともこのままいくと実質的に「新垣二世」となるだけに、何らかの対策の道筋は出してもらいたいものです。藤浪選手自身だけではなく、今後同じような症状を起こす選手のためにも。
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