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2020年1月15日水曜日

ファストニュースの凋落

 PCでは常にYahooとMSNをワンクリックで開くようブラウザを設定していますが、最近陵ポータルサイトを比べていると、MSNのが面白いです。なんで面白いのかっていうと、配信したらほぼ確実に私のJBpressの記事をトップページに載せてくれるからです。
 もちろんこれは冗談ですが、冗談なのは半分で、もう半分にはガチな理由があります。その理由と言うのも、トップに掲載するニュースで解説系が多いためです。

 前にも少し紹介した「2050年のメディア」をこの前ようやく読み終わりましたが、改めてインターネット黎明期から現在に至るまでの新聞メディアの凋落は、インターネットの発達がそれ自体が原因であることに間違いないものの、構図としては「インターネットVS新聞」ではなく、「Yahoo JapanVS新聞」だったんだなと読んでて思いました。まぁそのYahooも新聞メディアからのニュース提供がポータルサイトで覇権を取った主要因なのですが、それだけに借りた刀で持主を斬り殺したともいえるでしょう。

 話は戻しますが、ポータルサイトの機能で何が一番期待されるのかと言うと検索やメール、占い、掲示板などいろいろあるでしょうが、やはり一番集客力が高いのはニュースに他ならないでしょう。前述の通りYahooが何故日本一のポータルサイトなのかと言うと、ニュース配信力が極めて高く、プラスアルファで検索機能が強かったといえます。そんなYahooですが、最近私の目から見てことニュースの配信に関しては、マイクロソフトが運営するMSNの方が面白かったりします。

 一体なんでMSNの方が面白いのかと言うと、一つはこっちだと海外や経済などニュースカテゴリーを自由に選択して、トップページに表示するよう設定できます。これだけでも特定分野のニュース見出し一覧数は増えるし、そもそもMSNの方がページ全体を使ってニュースを大量に出しているので、意図せず面白いニュースを発見しやすいです。
 次に、こっちの方が重要ですが、先ほどにも書いた通りに解説系のニュースほどMSNではトップに掲載されやすいです。対照的にYahooのニューストピックスでは芸能を除けば大手新聞社系のニュース、敢えて言うならファストニュースともいうべき速報のような短い文章の記事が掲載されることが多い気がします。MSNはというとこれまた対照的に、私の記事もそうですがJBpressなどWebメディアや、東洋経済やダイヤモンドと言った雑誌系の、やや文章の長い解説記事、敢えて言うならアカウントニュースが多くなっています。

 単純に私がニュースマニアでファストニュースより内容の濃いアカウントニュースを好むという傾向もあるでしょうが、案外他の人も今後を含めこういったアカウントニュースを好む傾向になるのではという気もしています。それは何故かというと、かつてと比べてファストニュースの価値が低くなっているからです。
 以前(20年前?)であれば如何に早くニュースを得るかということが重要視されていましたが、現代においては当時と比べるとその価値は急減している気がします。というのもネットの発達によってそうした主だったニュースは見ようと思えば夜七時のNHKニュースを待たずともいつでも見られ、また本当に大きな事件であればTwitterや掲示板まとめサイトなどを眺めているだけでおおよそ把握できます。

 特にTwitterに関しては、今現在の注目ワードなどが自動で集計されることもあり、速報性で言えば図抜けています。またメディアの方もそうした背景から、テレビ局を中心に自分でニュースを負わず、こうしたTwitterの注目ワードや話題を後追いし、挙句には事件現場などで写真や動画撮影した人から材料を提供して報じる有様で、速報性の面では後塵を拝するどころかいろいろとおかしなことになっています。

 それに対しアカウントニュースは、基本的に取材に手間暇時間がかけられているだけに、興味のない内容なら全く読むことないでしょうが、いくらか興味のあるものであればやはり読みごたえを感じます。特に以前は散々馬鹿にしていたダイヤモンドも東洋経済に負けないくらい最近面白い記事を出すようになってきて、時間がある時なんかは割とじっくり楽しんで読んでます。
 こうしたアカウントニュースは事件発生や発表があってからしばらく経って出てきますが、事件背景や今後の展開についてはよそではまず見れない独自内容も多くなります。横並びなファストニュースは極端なこと言えばどのメディアの記事を読んでも同じというか大差ないですが、アカウントニュースは同じ事件が対象であっても、違った視点や解説が見られるだけにいくらでも読めます。

 MSNの方が面白く感じるようになったという出発点からいろいろ語りましたが、これらは暗に、速報性を武器にしてきた新聞社など大手メディアのニュース面における凋落理由の解説としても通用する気がします。ネットが発達した時代においては、比較するならばアカウントニュースの比重が高まるというのが私の見方です。
 逆を言えば、大手メディアはもっとTwitterのようなツールを活用してファストニュースをガンガン配信するべきともいえるのですが、なんとなく企業広報にしか彼らには使えない気がします。テレビ局に至っては、今はまだ強力なビジネスアイデアが出てないけど、そういうのが出てきたらこのままだと一網打尽になりかねないとも考えています。

2020年1月13日月曜日

ゲームレビュー:AI: ソムニウム ファイル

 昨日通っている喫茶店に行ったらなんか子猫を飼い出してて、ほっといたら何故か私の靴の裏の臭いを嗅いでました。あとテーブルの上にちっちゃいゴキブリがいたけど、昨年夏に1000匹斬りした身からすると何も恐怖はなく、そのまま指ではじいて殺してました(三匹ほど)。

AI: ソムニウム ファイル(スパイク・チュンソフト)

 話は本題ですが、昨日クリアしたのが上の「AI:ソムニウムファイル」というゲームです。このゲームはアドベンチャーゲームなのですが、最初購入した際はどんなゲームなのか全く調べずに買いました。どうしてそんな風にして買ったのかと言うと、クリエイターが打越綱太郎氏だったからです。
 以前にも「Zero Escape」をはじめとするいわゆる「極限脱出シリーズ」のゲームレビュー記事を書いていますが、これらのゲームも打越氏がシナリオを書いたゲームです。どれも非常に気に入っており、あの打越氏のゲームならとなんにも調べずにこのAIソムニウムもSteamで購入を決めました。

 それで買った後になってようやくこのゲームの内容が分かったのですが、日常パートは一般的な刑事物のコマンド選択型アドベンチャーなのですが、一定段階まで進むと特殊パートが用意されています。主人公は最先端機器を使って他人の夢の中にサポートAIとともに潜り込むことができ、特殊パートではその夢の中を探索し、事件のヒントを探していくという内容になっています。
 ただ夢の中では主人公は自由に動けず、代わりにAIが人間の形を模して動き回り、6分間の制限内に相手のメンタルロックをすべて外す行動をとるという仕組みになっています。いわば6分間制限の脱出ゲームみたいなものですが、実際にはリアルタイムの6分間ではなく、「物を取る 10秒」みたく各行動コマンドで時間が消費していくため、効率よく適切なコマンドを選んで解除していくこととなります。

 ゲーム性に関しては上記の夢の中を潜るパート(ソムニウムパート)を除けば、昔ながらのほぼコマンド全選択型アドベンチャーです。私なんかは昔懐かしくそんなに抵抗ないですが、レビューを見ているともどかしいと感じる人もいるようで、この辺は賛否両論でしょう。
 シナリオ自体は上記のソムニウムパートの行動によって複数に分岐し、テキスト量だけ見れば非常にボリュームのあるゲームになっています。またそのシナリオも、殺人被害者みんなが眼球を抜き取られたり、普通にメインヒロインが人体切断マジックショーをリアルに行われたりするなどショッキングな内容もあれば、割とほろりとする場面もあり、非常に読ませるテキストとなっています。

 ただそうした波乱のある展開以上に、通常のテキスト部分の方がずっと面白かったです。

 主人公は左目を失っていることから左眼窩にAIを内蔵した特殊な義眼を装備しているのですが、このAIとは常に漫才やってるような掛け合いを繰り広げられ、ダジャレやパロディネタがガンガン展開されていきます。よく「ネプテューヌシリーズ」がそうしたパロディが激しいと言われますが、はっきり言ってそんなの目じゃないくらいパロディが激しく、やっててマジ怒られないのかと心配になるくらいでした。具体例を出すと、

「キンキンに冷えてやがる」
「エイドリアーン!」、「リッキー!」
(マイクに向かって叫べと指示)「紅だぁぁー!」
「うぉ、まぶしっ」

 終盤に立っては果物を真ん中から真っ二つに割りながらダンスしたりなど、全く自重されてません。こんな感じで普通に読んだり声聞いたりしているだけでも楽しく、尚且つサスペンス的なシリアスさはしっかりと確保されており、全体のシナリオ構成はさすが打越氏と思うほど完成されています。
 あと、画面はすべてフルCGで作られていますが、メインヒロインを始め非常によくできた造形となっており、最初でこそ主人公がその見た目からクールな二枚目を想像していたら実際には三枚目だったり、クラゲっぽいイメージのAIの造形も違和感ありましたが、慣れたらこれはこれで愛着が持てるようになりました。

 敢えてダメ出しすると、犯人特定がシナリオに沿って勝手に行われるため、プレイヤーが推理する余地が全く用意されてないことと、ソムニウムパートの解法が分岐を除けば実質的にほぼ一つに限られていて、ゲーム性がやや低いということです。まぁこれはアドベンチャーゲームの宿命ですが。

 とりあえずようやくこのゲームをクリアしたので、今はまた別の「デイグラシアの羅針盤」というアドベンチャーゲームをやり始めています。背も胸も小さいのに態度だけはでかい女性キャラが何故だか気に入ってます。

2020年1月12日日曜日

急変したイランに対する国際世論

 関係ないけど超久々に自分のこのブログのプロフィールをみたら、職業が「ふしぎなおどり」になってました。なお同じ職業だと言っている人は他にいません。なんでこんなのにしたのかいろいろ不思議ですが、Skypeでも近況をよく「うずしおキング」とかにしているので、ドラクエ的なくくりが自分の中にあるのだと思います。

 話は本題ですがなかなか貴重なワンシーンと言うべきか、一夜、というよりは一日にして世論がひっくり変わる場面を目撃できたかと思います。かねてから緊張の高まっていた米国とイランの関係において先日、イラン国内の空港を離陸した旅客機の撃墜事件について、当初事故説を一方的に主張していたイランがとうとう人為的ミスによりミサイルで撃墜していたということを認めました。
 墜落原因については、イランが何の調査もしていない段階で事故説を主張する一方、また責任逃れの一助として米国の関与を主張することがなかったことから、初めからイラン側の関与が窺われました。今回あっさりとその過失を認めたというのも、かなり明白な証拠が米国側に撮られていた思われますが、率直に言って今回の一件は米国、というよりトランプ大統領にとって僥倖以外の何物でもないでしょう。

 今回の墜落事件直前まで、イランのソレイマン司令の暗殺事件について世論は割れていました。少なくとも日本においては常識外れの行為と報じられることが多く、私自身は現実にはソレイマン司令が数多くのテロ事件に関わっていたことを考えるとこの暗殺劇も全く理解できないものではないと考えていましたが、いらずらに戦争を誘発しかねない決断だと報じる声の方が大きかったように見えます。日本以外の国もそうした声はあったでしょうし、少なくともイラン寄りの中国においてはそういう見方が強かったです。
 それが一転、今回の墜落事件の過失をイランが認めたことにより、日本を含めた国際世論は一転して「イランがおかしい」へ切り替わりつつあります。ソレイマン司令の暗殺劇など一気に吹き飛んだというか、やはりイランという国は問題のある国だという見方が広がり、米国の強引さに対する批判は極端にトーンダウンし、むしろ暗殺指令も仕方のない行為という見方すら出ています。

 これにより、今後トランプ大統領の支持率はさらに向上するのではないかと思います。それによりトランプ大統領の決断はより強気なものになっていく可能性もあるでしょう。そしてその強気がどこに向けられるかはまずはイランで次に中国、そしてロシア、北朝鮮かなと考えています。
 特に北朝鮮に関しては、ただ単に日系メディアが報じていないだけかもしれませんがソレイマン司令暗殺以降から急激に大人しくなっています。まぁそういう国だと割り切ればそれまでですが、それによって割を食うのは北朝鮮を出しに外交を続けている韓国で、対日外交も含めて更なる手詰まり感を見せてくるのではという気がします。

 それにしてもトランプ大統領について言えば、つくづく運のいい人だと思います。ソレイマン司令暗殺は彼にとっても一度は見送っていた案だと言われているだけに覚悟の必要な決断だったでしょうが、結果的にはこれ以上ないくらいの最高の結果をもたらしたと言えるでしょう。運も実力のうちと言えば、土壇場で強さを見せる大統領なのかもしれません。

2020年1月11日土曜日

朝日出身記者の一番悪い癖

 昨日の記事の続きとなります。昨日の記事で私は、昨日にJBpressで配信されたゴーン記事は、かねてから日産の問題をマツダと比較した記事がなかったことがないことにイラついていたということともに、元朝日新聞記者の井上久男氏が書いた「日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年」を読んで、思うところがあったためと書きました。
 最初に断りを言っておくと、上記の井上氏の本は決して悪い本ではなく、日産の歴史とゴーン入閣以来の経営に関する説明は非常にわかりやすく書かれており、日産について詳しくない方が読む上では非常にいい本だと思います。井上氏自身がゴーン氏に直接インタビューした内容も書かれており、ゴーン氏がどういう風になりふり構わなくなっていったのかという過程はよく描かれています。

 しかし、昨日の記事にも書いた通り井上氏は日産のゴーン問題についてこの本の前半で、トヨタ自動車と比較を行っています。曰く、トヨタと違って日産には創業者がいないため社内の求心力がなく、経営者が私利私欲に走りやすく、且つ内部抗争の激しい社風だったという風に説明していますが、この点については率直に言って強い疑問を覚えました。
 また仮に比較する場合、会社規模でいうならホンダ、そして外国人経営者という点で比較するなら本来マツダが来るべきであり、トヨタ自体は確かに自動車業界のあらゆるベンチマークとなる会社ですが、少なくともゴーン問題を語る上では真っ先に外すべき比較対象でしょう。

 上記指摘にも一部重なるのですが、同様にこの本の前半部を見て私は、「ああ、朝日の一番悪い癖が出ているな」とはっきり感じました。もったいぶらずに述べると、朝日系の記者はほぼ例外なく何でもかんでも過去の歴史や事件構図をはめ込んで結論を出そうとする傾向がみられあります。この本も然りで、そのせいで分析と結論がややずれているように感じました。
 上記傾向の具体例を挙げると、

「戦前の治安維持法を彷彿とさせる~」
「太平洋戦争突入に至るまでの経緯と~」
「安保闘争が起きた当時の雰囲気が~」
「バブル前に失敗した経済政策を思わせる~」

 最後のに限って言えば朝日に限らないですが、朝日の普段の論説を見ているとかなり多くが「前にもこんなことがあった、今まさにその時の状況に近い」という風な結論に至っているケースが非常に多いです。はっきり言いますが、これは朝日系の記者が書く文章において物凄い目立つ特徴で、恐らくですが朝日新聞内でこうした記事や論説の書き方を行う伝統が強く残っているのでしょう。
 なお毎日出身者も上記に近い結論を書くことがありますが、朝日の場合はまだ結論に至るまでの解説や経緯分析はしっかりしているのに対し、毎日はその経緯説明の段階で感情的に書き立ててくるし、そもそも記事文章自体もあまりうまいとは思えず単純にわかりづらい印象があります。

 私個人の見立てで言うと、朝日系の記者はみんな文章自体はしっかりしており、よくわかりやすく書いていると思います。そのため何かの事件などに関して経緯については非常に良く書かれていて「うんうん、それもアイカツだね」的に納得感を覚えて行く矢先、結論部分で突然、「だが、こうした流れはかつての~のようにもみえる」などと、急に変な結論に飛んでってしまうことが多く、最終的な結論がなんかおかしいものになるというパターンがあるという気がします。
 それもそのはずというか、私が見る限り朝日系の記者はほぼ無意識に過去の事例を現代の事件や論争に当てはめて考察、分析しているように見えるのですが、そのまま過去の構図を当てはめて「歴史は繰り返される」的な結論にしようにも、必ずしもその通りになるわけなんてありません。中には確かに類似する構造でそうした過去事例との比較が適切なケースもあるにはありますが、時代が変われば周辺状況まで一致するはずなんてなく、そうした点を全部無視して過去の構図を当てはめても的外れな結論になる以外ありません。

 私に言わせると上記の点で朝日系の記者は、対象を対象そのものとして分析、理解しようとする視点、努力に欠けている人が多い気がします。安易に過去の構図を当てはめて今後こうなると結論を出すというのは、安直すぎる以外何物でもありません。

 上記内容を先週友人に話したところ、昨日にも書いたように「JBpressでぜひそれを書くべきだ」とプッシュされたのですが、業界内の人材流動の激しいマスコミ業界でそういうの書いたらいろいろ齟齬が出るためそれは無理といい、代わりにゴーン事件のマツダとの比較を出すことになったわけです。
 友人は上記の私の分析に非常に納得がいったそうですが、私自身もわりと朝日の特徴をうまく突いていると考えています。恐らく他の多くの人、特に朝日の論説について批判的な人は、途中まではいいのに結論部分で突然変におかしくなるという朝日系の論説傾向を、意識しないまでもなんとくなく感覚では理解しているのではと思います。

 ただ上記の朝日系の文章特徴について、少なくとも私はこれまで他の誰かが説明しているのを見たことがありません。そういう意味でもしかしたら私が初めて主張する意見なのかもしれませんが、ただ単に私が気付いただけで、考えればすぐわかるような事柄だと思います。それくらい、かなりはっきりした特徴だと思うし。

 なお、他のメディアについて言えば読売、日経はともに現実的な意見を結論にすることが多く、解説文の上手さもあって総合力で言えばこの二紙が一番実力が高いとみています。毎日については前述の通りで理論立っておらず、産経に関してはひたすら感情に訴えかけるところがあり、論理性を欠くところがややある気がします。

 井上氏の本の話にようやく戻ると、前半部で井上氏は日産について、「内部抗争の激しい社風であり、それがゴーン解任のクーデターにつながった」ともいうべき主張を行っています。しかし、内部抗争が多かったという事実自体は間違っていないものの、過去の内部抗争がゴーン解任に関係するかと言ったら私は疑問です。また日産の社風についても、ゴーンが来てから既に19年経っており、その間に全く日産の社風は変わらなかったのかとい言われるとこれまた疑問です。むしろゴーン風味にかなり変わったと聞いており、もし内部抗争が今の日産で激しいというのなら、それは労働組合とか過去の独裁者ではなく、ゴーンと言う独裁者の影響であり過去とは無関係じゃないかと言うのが私の見方です。
 このように考えた際、井上氏は「日産の内部抗争の歴史」という構図を今回のゴーン問題に当てはめ過ぎて、それによって分析結論もやや違う方向に引っ張られているように感じました。私としては一旦そういうのは全部切り捨てて、「なぜ経営の公私混同が起きたのか」という問題を考えることこそ、ゴーン事件のケーススタディとなると考えて、マツダと比較したわけです。

2020年1月10日金曜日

ゴーン記事の裏側

共に外国人経営者に救われた日産とマツダの大きな差(JBpress)

 はい、というわけで今日配信された自分の記事はこれです。
 なおこれとは全く関係ないけど前、自分が書いた記事の話題を話したら後輩に、「あ、それに関する記事を読んだことあります」とか言われたけど、その記事書いたのは俺だったというオチがありました。

 今回この記事は昨年末の奇跡の脱出劇以降、メディア界に突如発生した空前のゴーンブームに乗っかる形で書いた記事です。ただ最初はこういう記事を書くことは全く考えておらず、先週土曜に友人に勧められ、日曜に書いて、月曜に提出して金曜の今日に配信されるというハイペースで進めることとなりました。まぁ記事内容自体は新規に調べなおすこともないので、すぐに書けましたが。
 記事内容については直接読んでもらえばわかる通り、日産のゴーン問題についてマツダとは何が違ったのかを比較する内容ですが、裏テーマはいろいろと仕掛けています。

 まずなんでこの記事を書いたのかと言うと、友人が「日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年」という本を勧めてきたことがそもそものきっかけでした。友人の感想は、「事件の経緯などについてはよく書かれているけど、トヨタと違って創業家一族がいないから日産でこういうこと起きたという意見はどうかと思う」というもので、実際に私も買って読んでみたところ、これとプラスアルファの意見を持ちました。
 この創業家一族の存否についてはわざわざ細かく書かなくても、ホンダやダイハツ、スバル、三菱などはどうなのかという話になるし、また私の記事でも書いている通りに現実には創業家一族がいることによって起こる業務上横領などの企業不正はいくらでもあるため、日産のゴーン問題を考える上では考慮すべきトピックではないというのが私の見方です。

 その上でこれも記事に書いていますが、このゴーン問題において真に検討すべきトピックとしては、「経営者の公私混同」、「国外メーカーとの提携のあり方」、「外国人トップ」の三つにほぼ絞られるとみています。この三点を考えるとやはり、日産同様にその経営危機時にフォードから社長を招いて再建を果たしたマツダこそが恰好の比較対象だと、実はかなり前から考えていました。
 しかしこれまでゴーン問題について日産とマツダを比較した記事はついぞ見たことがなく、この点については口と顔には出しませんでしたが、日本のメディアに対して実はかなり前から不満に感じていました。その点を含め先ほどの友人と上記書籍の書評で話したところ、「ユー、もうそれ書いちゃいなよ」と故ジャニーさんみたくプッシュされたので、ほかに書く奴いないし、確かに自分が書くしかないかと考えて書くことにしました。

 書き上げた感想としては、久々に骨太な経済記事を書けて、かなり満足しています。書いてる時も割と楽しく書けており、そのせいか当初は末尾に、

「なおゴーン氏の最大の功績を挙げるとしたら、Z33型フェアレディZを世に出したことだと思います。あれは、いいものだ」

 という内容が書かれていたのですが、さすがに筆が走り過ぎていると思って最後の編集段階で削除しました。要するに、そうやって調子に乗るくらいいい気分で書けたってことです。

 ヤフコメを見る限りだと今回の記事に関しては割と賛同する意見が多くみられ、コメントもそこそこ得られてライター冥利に尽きます。中には私同様にこれまでマツダとの比較が行われてこなかったことに不満を持っていたと書いている人もいて、そういう意味ではこういう記事を届けられたのは本当に良かったと思います。
 またヤフコメの中の意見では、「結局のところ、経営者云々ではなく提携先のフォードとルノーの器の差ではないか」という指摘が多くみられ、この点に関しては私も否定しないしその通りだとも考えています。ただルノーに関してフランス政府が関与しているのだからうまくいかないのは初めからわかっていただろうと書いている人もいましたが、この点に関してはエマニュエル・マクロンの介入開始時期を考慮してから言ってほしいと、一応反論しておきます。

 それで肝心のこの記事の裏テーマについて言うと、日産とマツダで何が違ったのかと言うと、記事中で強調している「経営トップの任期の設定と交替」のほか、「方針の一貫性」というものがありました。何故マツダのフォード出身社長は短期で何人も交替しながらもマツダは再建できたのかと言うと、再建フェーズに対応した経営者が送り込まれていたというのもありますがもうひとつ、再建方針がマツダ、フォード、そして交替していった社長たちの間できちんと共有されていたから、トップの交替があっても混乱なく再建が進んでいったと私は見ています。

 ゴーン氏は日産のトップに留まる理由として、自分以外にこの役を果たせる人材がいないと在任中に何度も言っていましたが、逆を言えば後継者を全く育てられなかったとも言えます。それと同時に、ゴーン氏が去るとこれまでの方針がひっくり変わる可能性があるということで、それだけ組織、企業間で方針が共有されていなかったとも言えます。
 実際にゴーン氏の逮捕以降、もう死に体の三菱はともかく日産とルノーの互いの関係や感情は悪化し、日産トップにはルノーとの協調役が選ばれることとなりました。高々と言っては何ですがトップ一人いなくなっただけで関係にヒビが入る組織と言うのは一言で言って脆いとしか言いようがなく、その点でマツダとフォードとは全然違ったということを密かに言いたくて裏テーマにしていました。

 要約すると、きちんと組織や方針がしっかりしていればトップが去っても企業というのは崩れないものであり、それこそが本当の組織力だということです。もっとも、マツダは昔からちょっと羽振りよくなるとすぐ調子に乗る癖があり、CX-5の好調で調子づいて急に車種ラインナップを広げて苦しくなり始めているなど、今はちょっとおかしくなっていますが。フォードもフォードで、マツダの技術が使えなくて世界的に販売が苦しくなるなどしており、もっと二人で仲良くやってけよと老婆心ながら思います。
 なお開発自体はフォード出身社長が来る前から行われていたでしょうが、フォード出身社長時代のマツダの会心作は初代デミオだとみています。実質これがすべてのコンパクトカーフォーマットの原形となり、恐竜で言えば始祖鳥といえます。これに追随してトヨタがヴィッツを作って普及させ、ホンダがフィットを作ってコンパクトカーという形を完成させたというのが私の見方です。我ながら、コンパクトカーには本当にこだわるなと自分でも思いますが、このくだりも本当はJBpressの記事に入れたかったです。

 最後に、実は今回の記事を書く前の前述の書籍への書評で友人に、「朝日出身記者の一番悪い癖が出ている」という感想を述べていました。最初友人は、「それこそ記事に書けよ!」とめちゃくちゃプッシュしてきたのですが、諸般の理由からこれは書けないので、じゃあマツダとの比較で日産記事を書こうとなったのが、本当の執筆開始プロセスでした。こちらの内容についてはまた次回で。

2020年1月8日水曜日

イラン情勢の緊迫化について

 既に各所で報じられている通り、イラン革命防衛隊の司令官暗殺以降、イラン情勢が緊迫化してきています。中国でもすわ第三次世界大戦かなどと大きく注目されており、今晩のゴーンの会見もやや印象が薄らいでいるかのように見えます。

 正直、中東情勢について私は詳しくなく、解説するようなネタも知識もないのが現状です。ただこれは他の日系メディアについても同様だと思え、日本はイランとは歴史的には実はつながりが深いものの、イラン情勢について詳しい人間は案外多くないようで、直近のイラン関連報道も基本外信を引用する形での報道ばかりです。
 改めていくつか報道を見てみると、暗殺されたイランの司令官はこれまで多くのテロ事件に関わってきていたとか、ISとの戦闘でスンニ派勢力が追放されたイラク政府は現在、実質的にイランの傀儡政権になっているなど、これまであまり見聞きしなかった情報が一斉に出てきたように見えます。それだけにこれを機に、中東情勢をしっかり学びなおす必要もありそうです。

 そんな知識のない状態で一つだけ言いたいことを言うと、この中東情勢を「米国VSイラン」という構図で見るのはやはり良くないという気がします。ではどんな構図がいいのかと言うと、「イスラエル(米国)VSイラン」という構図が一番大事で、米国が何故イランと敵対するのかというと、イスラエルが軸になっているという前提を常に考慮に入れる必要があると思います。
 無論、これ以外にも石油資源や米国寄りのアラブ諸国などいろいろ考慮すべき要素は他にもありますが、やはり米国はイスラエルとの関係の延長線上で中東情勢を見ています。トランプ大統領などはその典型で、米国大使館をエルサレムに移すなど、イスラエルとの関係を非常に重視しています。

 以上の内容を含め、また今度辺り中東戦争について調べなおそうかなと言う風に今考えてます。アリエル・シャロンも今やおらず過去の歴史となりつつありますが、中東戦争を理解しないと現代中東情勢はまずわからないだけに、興味がある方は調べるようお勧めします。

<参考>
ソレイマニ殺害の衝撃【バックナンバーPickup】(JBpress)

2020年1月7日火曜日

若さってなんだ

 昨日の記事で昨夜は同僚と夜遅くまで食事して喉潰したってことを書きましたが、食事場所は日本料理屋で、時節柄店内のテレビでは年末の紅白歌合戦の映像が流れていました。ただその映像を見ていて同僚と、「曲も誰もわかんない」という感想で共通しました。

 ここでわざわざ説明するまでもなく、日本の音楽業界は完全な斜陽です。市場規模でいうなら90年代後半が一番大きくCDのミリオン達成数も今とはけた違いに多く、当時の私が青春時代にあったということも影響しているでしょうが、曲としての質や完成度も当時の方がずっと上だった気がします。少なくとも上海のアニソンライブで演奏されるのは同時代の曲ばかりです。

 またセールス面以外でも、いわゆる「時代の流行歌」として数年後も多くの人の記憶に残っている曲が近年どれほどあるのかというと、恐らくほとんどないと思います。それこそ一昨年くらいに何が流行ったのかと聞いて、すぐに答えられる人はほとんどいないでしょう。
 一方、90年代の曲だったらあまり音楽に造詣のない私ですらある程度歌詞とかもそらんじています。前にも書きましたが、以前上海でモー娘。の「LOVEマシーン」のアレンジBGMを聞いた時も、「あれからの日本の未来はWow Wow Wow Wowとはならなかったのか?(;゚Д゚)」などと一人で茫然となったくらいだし。

 こうした点を勘案すると、単純にアーティストの質が下がってきている、もしくは良きものが評価されなくなった時代になったの二つに一つでしょう。もしくは、両方が一緒に影響しているかもしれません。
 かつてこのブログに書いた芸術論でも述べている通り、優れた芸術の定義とは、時代や世代に関わりなく長きにわたり評価され続けることであり、音楽のクラッシックなどはまさにその典型です。そう考えると近年の日本の音楽シーンは使い捨てもいいことで、後年にカバーされることも恐らくないことを考えると、はっきり言えばどんだけ文化が低落してんだと言いたくなってきます。

 などと言う風に今日ブログ書こうかなと思っていたら、ふと思い出したことがありました。それは何かというと先日に会社で年上の同僚と、それぞれが小学生時代に今と違ってどんだけ体力があったのかなどという風な話をしていた際、同僚が音楽の授業の話をして、

同僚「当時、好きな曲を学校に持ってきて歌うというテストがあったから、宇宙刑事ギャバンのカセットを持っていったら――」
花園「若さってなんだ」

 同僚が話し終わらぬうちにまさにその曲の歌詞を私が口にしたのに同僚は驚き、「まだ生まれてないじゃん!?」とか言われました。実際そうだけど。
 何故生まれてもない時代のこの曲の歌詞を知ってたのかと言うと、その宇宙刑事ギャバンの曲は昔、ネットでBM98という音楽ゲーム「ビートマニア」の曲を誰もが自由に作成して遊べるゲームを遊んでいた頃、たまたま拾って演奏していたことがある曲だったからです。ただ、それだけだったら多分記憶にも残らなかったでしょうが、この曲に関してはめちゃくちゃ強い印象に残りました。なんでかっていうと、わかりやすい音程とフレーズに加え、凄まじく記憶に残る歌詞だったからです。

 その辺は実際に聞いてもらえばわかりやすいですが、「若さ、若さってなんだ」とか、「あばよ涙 よろしく勇気」など、一回聞けば一発で覚えるような濃い歌詞ばかりで、私以外にも記憶に残っている人も多いのか、地味にいろんなゲームや漫画などでこれらの歌詞を一部引用している例が見られます。
 そうしたことから年上の同僚に話を合わせられたのですが、これがめちゃくちゃ同僚の琴線に触れたのかしばらくこの話題で盛り上がりました。恐らく私だけでなく、リアルタイムで聞いていた同僚にもこの曲は強い印象に残っていたからこそ、知ってる人がいてめちゃうれしかったのでしょう。

 このギャバンの曲一つとっても、これ以上インパクトのある曲を近年、私は聞いたことがありません。何でもかんでもインパクトが大事ってわけじゃないけど、少なくとも歌詞に関しては記憶に残らないというのであれば、それまでの価値としか言いようがありません。金はなくとも文化は作れる、そういう意味でもっと日本のアーティストには奮起を促したいです。