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2020年1月11日土曜日

朝日出身記者の一番悪い癖

 昨日の記事の続きとなります。昨日の記事で私は、昨日にJBpressで配信されたゴーン記事は、かねてから日産の問題をマツダと比較した記事がなかったことがないことにイラついていたということともに、元朝日新聞記者の井上久男氏が書いた「日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年」を読んで、思うところがあったためと書きました。
 最初に断りを言っておくと、上記の井上氏の本は決して悪い本ではなく、日産の歴史とゴーン入閣以来の経営に関する説明は非常にわかりやすく書かれており、日産について詳しくない方が読む上では非常にいい本だと思います。井上氏自身がゴーン氏に直接インタビューした内容も書かれており、ゴーン氏がどういう風になりふり構わなくなっていったのかという過程はよく描かれています。

 しかし、昨日の記事にも書いた通り井上氏は日産のゴーン問題についてこの本の前半で、トヨタ自動車と比較を行っています。曰く、トヨタと違って日産には創業者がいないため社内の求心力がなく、経営者が私利私欲に走りやすく、且つ内部抗争の激しい社風だったという風に説明していますが、この点については率直に言って強い疑問を覚えました。
 また仮に比較する場合、会社規模でいうならホンダ、そして外国人経営者という点で比較するなら本来マツダが来るべきであり、トヨタ自体は確かに自動車業界のあらゆるベンチマークとなる会社ですが、少なくともゴーン問題を語る上では真っ先に外すべき比較対象でしょう。

 上記指摘にも一部重なるのですが、同様にこの本の前半部を見て私は、「ああ、朝日の一番悪い癖が出ているな」とはっきり感じました。もったいぶらずに述べると、朝日系の記者はほぼ例外なく何でもかんでも過去の歴史や事件構図をはめ込んで結論を出そうとする傾向がみられあります。この本も然りで、そのせいで分析と結論がややずれているように感じました。
 上記傾向の具体例を挙げると、

「戦前の治安維持法を彷彿とさせる~」
「太平洋戦争突入に至るまでの経緯と~」
「安保闘争が起きた当時の雰囲気が~」
「バブル前に失敗した経済政策を思わせる~」

 最後のに限って言えば朝日に限らないですが、朝日の普段の論説を見ているとかなり多くが「前にもこんなことがあった、今まさにその時の状況に近い」という風な結論に至っているケースが非常に多いです。はっきり言いますが、これは朝日系の記者が書く文章において物凄い目立つ特徴で、恐らくですが朝日新聞内でこうした記事や論説の書き方を行う伝統が強く残っているのでしょう。
 なお毎日出身者も上記に近い結論を書くことがありますが、朝日の場合はまだ結論に至るまでの解説や経緯分析はしっかりしているのに対し、毎日はその経緯説明の段階で感情的に書き立ててくるし、そもそも記事文章自体もあまりうまいとは思えず単純にわかりづらい印象があります。

 私個人の見立てで言うと、朝日系の記者はみんな文章自体はしっかりしており、よくわかりやすく書いていると思います。そのため何かの事件などに関して経緯については非常に良く書かれていて「うんうん、それもアイカツだね」的に納得感を覚えて行く矢先、結論部分で突然、「だが、こうした流れはかつての~のようにもみえる」などと、急に変な結論に飛んでってしまうことが多く、最終的な結論がなんかおかしいものになるというパターンがあるという気がします。
 それもそのはずというか、私が見る限り朝日系の記者はほぼ無意識に過去の事例を現代の事件や論争に当てはめて考察、分析しているように見えるのですが、そのまま過去の構図を当てはめて「歴史は繰り返される」的な結論にしようにも、必ずしもその通りになるわけなんてありません。中には確かに類似する構造でそうした過去事例との比較が適切なケースもあるにはありますが、時代が変われば周辺状況まで一致するはずなんてなく、そうした点を全部無視して過去の構図を当てはめても的外れな結論になる以外ありません。

 私に言わせると上記の点で朝日系の記者は、対象を対象そのものとして分析、理解しようとする視点、努力に欠けている人が多い気がします。安易に過去の構図を当てはめて今後こうなると結論を出すというのは、安直すぎる以外何物でもありません。

 上記内容を先週友人に話したところ、昨日にも書いたように「JBpressでぜひそれを書くべきだ」とプッシュされたのですが、業界内の人材流動の激しいマスコミ業界でそういうの書いたらいろいろ齟齬が出るためそれは無理といい、代わりにゴーン事件のマツダとの比較を出すことになったわけです。
 友人は上記の私の分析に非常に納得がいったそうですが、私自身もわりと朝日の特徴をうまく突いていると考えています。恐らく他の多くの人、特に朝日の論説について批判的な人は、途中まではいいのに結論部分で突然変におかしくなるという朝日系の論説傾向を、意識しないまでもなんとくなく感覚では理解しているのではと思います。

 ただ上記の朝日系の文章特徴について、少なくとも私はこれまで他の誰かが説明しているのを見たことがありません。そういう意味でもしかしたら私が初めて主張する意見なのかもしれませんが、ただ単に私が気付いただけで、考えればすぐわかるような事柄だと思います。それくらい、かなりはっきりした特徴だと思うし。

 なお、他のメディアについて言えば読売、日経はともに現実的な意見を結論にすることが多く、解説文の上手さもあって総合力で言えばこの二紙が一番実力が高いとみています。毎日については前述の通りで理論立っておらず、産経に関してはひたすら感情に訴えかけるところがあり、論理性を欠くところがややある気がします。

 井上氏の本の話にようやく戻ると、前半部で井上氏は日産について、「内部抗争の激しい社風であり、それがゴーン解任のクーデターにつながった」ともいうべき主張を行っています。しかし、内部抗争が多かったという事実自体は間違っていないものの、過去の内部抗争がゴーン解任に関係するかと言ったら私は疑問です。また日産の社風についても、ゴーンが来てから既に19年経っており、その間に全く日産の社風は変わらなかったのかとい言われるとこれまた疑問です。むしろゴーン風味にかなり変わったと聞いており、もし内部抗争が今の日産で激しいというのなら、それは労働組合とか過去の独裁者ではなく、ゴーンと言う独裁者の影響であり過去とは無関係じゃないかと言うのが私の見方です。
 このように考えた際、井上氏は「日産の内部抗争の歴史」という構図を今回のゴーン問題に当てはめ過ぎて、それによって分析結論もやや違う方向に引っ張られているように感じました。私としては一旦そういうのは全部切り捨てて、「なぜ経営の公私混同が起きたのか」という問題を考えることこそ、ゴーン事件のケーススタディとなると考えて、マツダと比較したわけです。

2 件のコメント:

ルロイ さんのコメント...

朝日新聞的な政治思想って、まず結論が先にあって理屈はそこに繋がるように作っていく傾向があるので(アメリカ、自民党、安倍は悪という前提とか)、理屈から結論を導く能力が育たないのかもしれないですね。

花園祐 さんのコメント...

 自分も割とこれまで朝日新聞は思想ありきの結論で記事を書いていて、思想が偏っているから変な結論になっていると考えていたのですが、この記事の分析を経てからは思想以前に、過去の因縁を必ず結論に反映させる癖が最初にありきで、それで結論が変な方向に向くのでは、思想が偏っているからではないという風に考えるようになりました。
 おっしゃる通りに組み立てた内容から、独自の結論へ発展させるプロセスで能力がないのかもしれません。