・中国初の統一国家を形成した外国人宰相3人の偉業(JBpress)
最近なんか自分の記事ばかり取り上げている気がしますが、例によって上の記事が今日配信されました。内容は秦の外国人宰相三人について簡単にまとめただけの記事です。
なんでこの記事を書いたのかというと単純にネタに苦しみ、ありきたりな内容だけど、とりあえず漫画のキングダムに抱き着いとけば一定数の読者は確保できるという打算で書きました。割とこういう思いきりは好き。
そのキングダム効果なのか、正直自分が想定していたよりはアクセスが良く、今は少し下がっているけど昼の時点でランキング5位にまで食い込み、意外にも健闘しました。てっきりトップテンからも外れると思ってたので、かなり想定外でした。
少しだけ記事の背景についてもう少し触れると、これまでJBpressで歴史記事を何本も書いてきましたが、実はそれらはすべて日本史と後何故かフィンランド史で、中国史の記事は何気にこれが初めてだったりします。無論中国史が苦手というわけではなく、中国史が好きで中国に来たくらいなのだから書こうと思えばこれまでだっていくらでも書くことが出来ました。
にもかかわらず何故これまで中国史記事を書かなかったのかというと、日本史と比べて中国史のファンは間口が狭く底が深い傾向があり、記事として出しづらかったというのが最大の理由です。
これはどういうことかというと、日本史はマニアレベルももちろんいますが、浅い知識を持っている層も広く、簡単な解説記事でも興味を持って読んでくれ、面白いと感じてくれる読者がいます。一方、中国史は修羅の国さながらで、そもそも中国史に関心を持つ層は日本史と比べると圧倒的に狭く、手に取ってもらう確率は大分低くなります。その上、元々中国史に興味がある人はかなりマニアックな知識自慢が多く、実際に中国で会った中国史マニアの日本人はほぼみんな、「中国史に詳しいというのなら、俺とデュエル(知識比べ)しようぜ( ・´ー・`)」と確実に言ってくる連中でした。
この手のマニアック層は何書いたって、「これに触れるならこれにも触れるべきだ」とか「一方の説しか引用してない」などとすぐケチをつけてくる人が多く、うかつな記事を書いたらなんかめちゃくちゃ叩かれそうだなと思ってこれまで書けませんでした。まぁこう言ってる私もこれまで他の記事にケチつけて来てるんだけど。
今回は前述の通りネタに苦しんだのと、キングダムをひっぱりゃまぁ何とかなるだろうという目算が立ったから書いたのですが、ヤフコメとか見てると意外と反応は悪くなく、ケチ付けて来た人間もいるっちゃいますが、その内容については全部想定通りで反撃可能な程度のレベルだったので、なんか変に安心しました。
夏にも中国史ネタでまた三週連続解説記事を書こうか書くまいかと悩んでましたが、今回の記事でそこそこ自信がついたので、恐らく書くことになるでしょう。
最後に、この記事で言いたかったことを少し解説します。記事の結論部分で割とはっきり明示していますが、第一には秦の覇権は軍事力ではなく内政統治が他国に比べ圧倒的に優れていたからだということを伝えたかったです。キングダムは漫画ゆえに軍事面ばかりが取り上げられますが、実際の歴史ではその軍事力、並びに人材を支えた内政統治システムによって秦は他国を凌駕しており、地味なところにこそ国の力が現れるということを書こうと思いました。
次に、ヤフコメでも「外国人をやたら強調して、日本にも外国人を採用しろと言いたいのか」みたいなコメントが見られますが、実はこの「外国人」というのはミスリードを誘う呼び水でした。私が何を言いたかったのかというと、「外国人だろうとなんだろうとかまわないから、もっと実力本位で人材を抜擢すべき」ということでした。
正直に言えば、私は国の力になってくれるというのなら外国人(ゴーン)でなくても、宇宙人、エルフ、妖怪の類でも要職に抜擢すべきだと考えています。もっとも妖怪とはいえ、ねずみ男が自ら売り込んできたらさすがに帰ってもらいますが。
なんとなくですが今の日本は外国人はおろか、日本国内にいる日本人ですら有為の人材をきちんと抜擢できず、人材を無駄に潰しているように見えます。政界なんかが特に顕著ですが、実力とかそういうのではなくほぼ完全にアピール力、どれだけ目立つかだけを指標に選別している節があり、先日自殺した三宅雪子のように、本来そうした世界に来るべきでなかった人まで巻き込んでしまっています。
そうした実力主義というテーマを敢えて「外国人」というカバーにかけて今回放出しましたが、さすがにここまで読み込んだ人はコメントを見る限りいません。もっとも私自身が読み取れる人が現れることまで期待しておらず、自己満足で終わらせようとした裏テーマに据えていましたが。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2020年1月20日月曜日
2020年1月19日日曜日
中国の地下鉄の衛生環境
また最近ブログの誤字脱字が激しくなってきていますが、これは単純に家の中で暖房を一切つけないために、寒くて指がかじかむからです。特に昨日は部屋着のフリースを洗ったところ乾かず、干しっぱなしで着れなかったので余計に寒かったです。フリース一枚であんな変わるとは思わなかった。ちなみに今の室温は10度台。
話は本題ですが武漢発コロナウイルスが日本でも話題になっていますが、中国現地にいる身からすると、現時点でもインフルエンザの方が感染者も死者数も多いのになって感じであんま慌てていません。武漢行った人も現地は割と普段通りと言ってました。
ただ、武漢以上に中国では衛生的に怖いというか危険なところは結構あります。具体的に言うとそれは地下鉄で、油断していると変な虫とかつけられます。
春節まで一週間を切ったちょうどこの時期に顕著ですが、明らかに地方出身者と思しき乗客を地下鉄で見ることが増えてきました。臭い的にはそんなきついものはないのですが、明らかに身なりからして一般の上海市居住者と比べて汚く、うかつにこういった乗客の近くで電車乗ってるとダニとかその手の虫が飛び移るのか、電車降りてから猛烈に背中のあたりがかゆくなったりします。
何気にさっきも帰宅途中の地下鉄でそれっぽい乗客を見てからかゆみを覚えたので、帰宅後にすぐシャワー浴びました。
特に虫に弱い自分からするとこの手の地方出身者は明らかに鬼門なのですが、彼らにとっては自身の衛生感覚からして問題のない状態であり、一方的にこちら側が彼らを不潔と言うべきかとなるとそうではないと私は思っています。それだけにこうした衛生感覚というのは、やはり国家や地方自治体単位で徐々に高めて、強めていくしかないんだろうなという気がします。
日本国内でも、私が子供だった頃は擦り傷作っても消毒なんて生ぬるい時代でしたが、今はなんかやたら破傷風とか言い出すようになったし、小売店とかでも入り口前にアルコール消毒スプレーとか普通においてあって、やはりかつてと比べると衛生感覚が向上しているように思えます。そう考えると中国も発展途上だと言え、少なくとも昔と比べては段々マシになってはいるので、あまりとやかく言うべきではないという風に自分では位置付けています。
だがそれでも地下鉄はもうちょい綺麗にしてほしい。夏場なんか特にかゆくなること多いし、最悪なのは椅子に座っただけで尻がかゆくなります。それでも昔に比べたらマシだけど。
ついでに書くと、地下鉄車内で歌を歌いながら物乞いをする人は最近見ません。何それとか思うかもしれませんがほんの10年くらい前は地下鉄に乗るとほぼ毎回この手の物乞いと出くわし、変に近寄られると自分の体がかゆくなるという嫌な出会いが頻発してました。
あと上海市内の物乞いは割とアグレッシブだから、普通に路上歩いていたら声かけてきて「パンを買うお金が欲しいんだけど」とか言ってきます。もっとも、身なりが綺麗だから本気で困っているわけじゃなく仕事として物乞いしてんだろうけど、なんでみんなパンを口上に並べるのかが割と不思議です。
期限良い時は中国語で「ほか当たれ」とか「警察に言え」とか言いますが、マジ機嫌悪い帰宅途中だったら「(# ゚Д゚)<うるせぇ!」と日本語で一喝して去ります。
なお関係ないけど、日本にいた頃マジ機嫌悪い状態で夜自転車に乗ってたら、どっかの家の犬が自分に向かって吠えてきたので本気で「(# ゚Д゚)<うるせぇ!」と怒鳴ったら、なんか前歩いてたおっさんが驚いてて、おっさんにはちょっと申し訳ない気がしました。場所は何気に松戸で、マッドシティらしい夜だった気がします。
2020年1月18日土曜日
戦国時代のスキルを現代に例えるなら
最初はJBpress向けの記事で書こうかなと考えていましたが、昔「戦国ハローワーク」というお題の掲示板がありました。ここでは戦国時代における就活についてそれぞれ勝手に言い合うという大喜利が繰り広げられていたのですが、
「拙者、馬術免許を持っているのですが、どこか仕官できそうなところはあるでしょうか?」
「今時馬術なんてどこも欲しがらない。時代は鉄砲だよ」
「最低でも、タネガシマスコア650は欲しいね」
などと、うまく現代的な話題で結構ディープなネタが並べられてて、未だにその内容を強く覚えています。
上記のやり取りにも出てきますが、実際に戦国時代半ばから後期にかけては、鉄砲技術がどの大名家でも重要視され、この方面に明るい人物は重宝されたそうです。稲富流の開祖でゲームではやたら鉄砲スキルが高い稲富祐直なんて、ゲームで遊んでいてもぜひスカウトをかけたくなる人材で、実際に当時の大名家もこんな具合で欲しがったんだろうなというバーチャル体験ができます。
なおこのほかに鉄砲技術で仕官を勝ち取ったというか高い評価を受けたものだと、大河でおなじみの明智光秀、それと秀吉と犬猿の仲でおなじみの佐々成正です。佐々成正に関しては、日本史上最高のアルピニストとしての登山技能(さらさら越え)も持ち合わせていますが、生憎登山技能はそれほど重宝されませんでした。
この鉄砲スキルを敢えて現代で例えるとしたら、やはり今最も注目されているAIスキルが適当であるという気がします。逆を言えば戦国時代も現代も、搭乗したばかりの最先端の技術ほどそのスキル価値が高いと言え、「技術は新しければ新しいほどいい」というのは案外どの時代でも当てはまるかもしれません。
一方、前述の馬術、並びに剣術スキルについては、習得が比較的容易で且つ取得者も多いことから、実際にはこれだけで仕官に結びついた例はあんまり聞きません。それこそ剣術では宮本武蔵のようなトップクラスに限られ、馬術については「できて当たり前」的なもので、今でいうと「普通自動車免許」みたいなものだったのかもしれません。
だとすると剣術は、ITパスポート程度かな。WordやExcelは仕事で一般的に使うけど、極めているかどうかが一見判断しづらいというのも共通してるし。
このほか、どこでも引っ張りだこになるレアスキルとしては「築城」がありました。これはそもそもスキルを習得、向上させる機会が非常に少ないけれど、実際に使うとなると非常に重要ということから、戦国末期にかけては経験者があちらこちらで現場監督指導に引っ張りだこにされています。このスキルの代表者としては丹羽長秀と思いきや、実際には藤堂高虎で、次点で加藤清正とかが来るのではないかと思います。
この築城を敢えて例えるとしたら、習得が困難ではあるがもっとくと圧倒的に強いという意味では司法試験合格者が適当かもしれません。
あと戦国時代を代表する仕官用スキルとしては、茶道があります。戦国後期に大流行した茶道の作法は人脈構築において圧倒的に有用なスキルとなり、またその技能レベルに関しても初級から上級、果てには利休クラスの神業級と上下の幅が広く、一般性を有しながらその経験や技能深さが非常に問われるスキルでした。
これは現代に例えるなら迷わず「外国語」だと言えます。比較的広範に使える人が多いものの、その使用レベルに上下があるということと、初級者であっても一定の需要があり、尚且つ他のスキルと組みあわえることで真価を発揮するというのがその根拠です。
もっとも、リアル外国語ことオランダ語や英語も、当時の外国との貿易に当たって非常に重要なスキルでありました。特に当時の日本は火薬の自給自足が行えず、その大半は海外からの輸入品であったと言われることから、実際に仕えて且つ人脈なども持っているキリシタン大名はその点で強みがあったと言えるでしょう。
このように考えると、どの時代も仕官や就職に求められるスキルの構造というのは、レアリティやスキルの深さが非常に重要で、新規スキルほどニーズが高い点で、案外変わりがないんだなぁという気がします。ただ「読み書きそろばん」はさすがに現代では言葉として古く、今風に言うなら「ワード、パワポ、エクセル」、若しくは「コミュ力、英語、Office」というんじゃないかな。
「拙者、馬術免許を持っているのですが、どこか仕官できそうなところはあるでしょうか?」
「今時馬術なんてどこも欲しがらない。時代は鉄砲だよ」
「最低でも、タネガシマスコア650は欲しいね」
などと、うまく現代的な話題で結構ディープなネタが並べられてて、未だにその内容を強く覚えています。
上記のやり取りにも出てきますが、実際に戦国時代半ばから後期にかけては、鉄砲技術がどの大名家でも重要視され、この方面に明るい人物は重宝されたそうです。稲富流の開祖でゲームではやたら鉄砲スキルが高い稲富祐直なんて、ゲームで遊んでいてもぜひスカウトをかけたくなる人材で、実際に当時の大名家もこんな具合で欲しがったんだろうなというバーチャル体験ができます。
なおこのほかに鉄砲技術で仕官を勝ち取ったというか高い評価を受けたものだと、大河でおなじみの明智光秀、それと秀吉と犬猿の仲でおなじみの佐々成正です。佐々成正に関しては、日本史上最高のアルピニストとしての登山技能(さらさら越え)も持ち合わせていますが、生憎登山技能はそれほど重宝されませんでした。
この鉄砲スキルを敢えて現代で例えるとしたら、やはり今最も注目されているAIスキルが適当であるという気がします。逆を言えば戦国時代も現代も、搭乗したばかりの最先端の技術ほどそのスキル価値が高いと言え、「技術は新しければ新しいほどいい」というのは案外どの時代でも当てはまるかもしれません。
一方、前述の馬術、並びに剣術スキルについては、習得が比較的容易で且つ取得者も多いことから、実際にはこれだけで仕官に結びついた例はあんまり聞きません。それこそ剣術では宮本武蔵のようなトップクラスに限られ、馬術については「できて当たり前」的なもので、今でいうと「普通自動車免許」みたいなものだったのかもしれません。
だとすると剣術は、ITパスポート程度かな。WordやExcelは仕事で一般的に使うけど、極めているかどうかが一見判断しづらいというのも共通してるし。
このほか、どこでも引っ張りだこになるレアスキルとしては「築城」がありました。これはそもそもスキルを習得、向上させる機会が非常に少ないけれど、実際に使うとなると非常に重要ということから、戦国末期にかけては経験者があちらこちらで現場監督指導に引っ張りだこにされています。このスキルの代表者としては丹羽長秀と思いきや、実際には藤堂高虎で、次点で加藤清正とかが来るのではないかと思います。
この築城を敢えて例えるとしたら、習得が困難ではあるがもっとくと圧倒的に強いという意味では司法試験合格者が適当かもしれません。
あと戦国時代を代表する仕官用スキルとしては、茶道があります。戦国後期に大流行した茶道の作法は人脈構築において圧倒的に有用なスキルとなり、またその技能レベルに関しても初級から上級、果てには利休クラスの神業級と上下の幅が広く、一般性を有しながらその経験や技能深さが非常に問われるスキルでした。
これは現代に例えるなら迷わず「外国語」だと言えます。比較的広範に使える人が多いものの、その使用レベルに上下があるということと、初級者であっても一定の需要があり、尚且つ他のスキルと組みあわえることで真価を発揮するというのがその根拠です。
もっとも、リアル外国語ことオランダ語や英語も、当時の外国との貿易に当たって非常に重要なスキルでありました。特に当時の日本は火薬の自給自足が行えず、その大半は海外からの輸入品であったと言われることから、実際に仕えて且つ人脈なども持っているキリシタン大名はその点で強みがあったと言えるでしょう。
このように考えると、どの時代も仕官や就職に求められるスキルの構造というのは、レアリティやスキルの深さが非常に重要で、新規スキルほどニーズが高い点で、案外変わりがないんだなぁという気がします。ただ「読み書きそろばん」はさすがに現代では言葉として古く、今風に言うなら「ワード、パワポ、エクセル」、若しくは「コミュ力、英語、Office」というんじゃないかな。
2020年1月15日水曜日
ファストニュースの凋落
PCでは常にYahooとMSNをワンクリックで開くようブラウザを設定していますが、最近陵ポータルサイトを比べていると、MSNのが面白いです。なんで面白いのかっていうと、配信したらほぼ確実に私のJBpressの記事をトップページに載せてくれるからです。
もちろんこれは冗談ですが、冗談なのは半分で、もう半分にはガチな理由があります。その理由と言うのも、トップに掲載するニュースで解説系が多いためです。
前にも少し紹介した「2050年のメディア」をこの前ようやく読み終わりましたが、改めてインターネット黎明期から現在に至るまでの新聞メディアの凋落は、インターネットの発達がそれ自体が原因であることに間違いないものの、構図としては「インターネットVS新聞」ではなく、「Yahoo JapanVS新聞」だったんだなと読んでて思いました。まぁそのYahooも新聞メディアからのニュース提供がポータルサイトで覇権を取った主要因なのですが、それだけに借りた刀で持主を斬り殺したともいえるでしょう。
話は戻しますが、ポータルサイトの機能で何が一番期待されるのかと言うと検索やメール、占い、掲示板などいろいろあるでしょうが、やはり一番集客力が高いのはニュースに他ならないでしょう。前述の通りYahooが何故日本一のポータルサイトなのかと言うと、ニュース配信力が極めて高く、プラスアルファで検索機能が強かったといえます。そんなYahooですが、最近私の目から見てことニュースの配信に関しては、マイクロソフトが運営するMSNの方が面白かったりします。
一体なんでMSNの方が面白いのかと言うと、一つはこっちだと海外や経済などニュースカテゴリーを自由に選択して、トップページに表示するよう設定できます。これだけでも特定分野のニュース見出し一覧数は増えるし、そもそもMSNの方がページ全体を使ってニュースを大量に出しているので、意図せず面白いニュースを発見しやすいです。
次に、こっちの方が重要ですが、先ほどにも書いた通りに解説系のニュースほどMSNではトップに掲載されやすいです。対照的にYahooのニューストピックスでは芸能を除けば大手新聞社系のニュース、敢えて言うならファストニュースともいうべき速報のような短い文章の記事が掲載されることが多い気がします。MSNはというとこれまた対照的に、私の記事もそうですがJBpressなどWebメディアや、東洋経済やダイヤモンドと言った雑誌系の、やや文章の長い解説記事、敢えて言うならアカウントニュースが多くなっています。
単純に私がニュースマニアでファストニュースより内容の濃いアカウントニュースを好むという傾向もあるでしょうが、案外他の人も今後を含めこういったアカウントニュースを好む傾向になるのではという気もしています。それは何故かというと、かつてと比べてファストニュースの価値が低くなっているからです。
以前(20年前?)であれば如何に早くニュースを得るかということが重要視されていましたが、現代においては当時と比べるとその価値は急減している気がします。というのもネットの発達によってそうした主だったニュースは見ようと思えば夜七時のNHKニュースを待たずともいつでも見られ、また本当に大きな事件であればTwitterや掲示板まとめサイトなどを眺めているだけでおおよそ把握できます。
特にTwitterに関しては、今現在の注目ワードなどが自動で集計されることもあり、速報性で言えば図抜けています。またメディアの方もそうした背景から、テレビ局を中心に自分でニュースを負わず、こうしたTwitterの注目ワードや話題を後追いし、挙句には事件現場などで写真や動画撮影した人から材料を提供して報じる有様で、速報性の面では後塵を拝するどころかいろいろとおかしなことになっています。
それに対しアカウントニュースは、基本的に取材に手間暇時間がかけられているだけに、興味のない内容なら全く読むことないでしょうが、いくらか興味のあるものであればやはり読みごたえを感じます。特に以前は散々馬鹿にしていたダイヤモンドも東洋経済に負けないくらい最近面白い記事を出すようになってきて、時間がある時なんかは割とじっくり楽しんで読んでます。
こうしたアカウントニュースは事件発生や発表があってからしばらく経って出てきますが、事件背景や今後の展開についてはよそではまず見れない独自内容も多くなります。横並びなファストニュースは極端なこと言えばどのメディアの記事を読んでも同じというか大差ないですが、アカウントニュースは同じ事件が対象であっても、違った視点や解説が見られるだけにいくらでも読めます。
MSNの方が面白く感じるようになったという出発点からいろいろ語りましたが、これらは暗に、速報性を武器にしてきた新聞社など大手メディアのニュース面における凋落理由の解説としても通用する気がします。ネットが発達した時代においては、比較するならばアカウントニュースの比重が高まるというのが私の見方です。
逆を言えば、大手メディアはもっとTwitterのようなツールを活用してファストニュースをガンガン配信するべきともいえるのですが、なんとなく企業広報にしか彼らには使えない気がします。テレビ局に至っては、今はまだ強力なビジネスアイデアが出てないけど、そういうのが出てきたらこのままだと一網打尽になりかねないとも考えています。
もちろんこれは冗談ですが、冗談なのは半分で、もう半分にはガチな理由があります。その理由と言うのも、トップに掲載するニュースで解説系が多いためです。
前にも少し紹介した「2050年のメディア」をこの前ようやく読み終わりましたが、改めてインターネット黎明期から現在に至るまでの新聞メディアの凋落は、インターネットの発達がそれ自体が原因であることに間違いないものの、構図としては「インターネットVS新聞」ではなく、「Yahoo JapanVS新聞」だったんだなと読んでて思いました。まぁそのYahooも新聞メディアからのニュース提供がポータルサイトで覇権を取った主要因なのですが、それだけに借りた刀で持主を斬り殺したともいえるでしょう。
話は戻しますが、ポータルサイトの機能で何が一番期待されるのかと言うと検索やメール、占い、掲示板などいろいろあるでしょうが、やはり一番集客力が高いのはニュースに他ならないでしょう。前述の通りYahooが何故日本一のポータルサイトなのかと言うと、ニュース配信力が極めて高く、プラスアルファで検索機能が強かったといえます。そんなYahooですが、最近私の目から見てことニュースの配信に関しては、マイクロソフトが運営するMSNの方が面白かったりします。
一体なんでMSNの方が面白いのかと言うと、一つはこっちだと海外や経済などニュースカテゴリーを自由に選択して、トップページに表示するよう設定できます。これだけでも特定分野のニュース見出し一覧数は増えるし、そもそもMSNの方がページ全体を使ってニュースを大量に出しているので、意図せず面白いニュースを発見しやすいです。
次に、こっちの方が重要ですが、先ほどにも書いた通りに解説系のニュースほどMSNではトップに掲載されやすいです。対照的にYahooのニューストピックスでは芸能を除けば大手新聞社系のニュース、敢えて言うならファストニュースともいうべき速報のような短い文章の記事が掲載されることが多い気がします。MSNはというとこれまた対照的に、私の記事もそうですがJBpressなどWebメディアや、東洋経済やダイヤモンドと言った雑誌系の、やや文章の長い解説記事、敢えて言うならアカウントニュースが多くなっています。
単純に私がニュースマニアでファストニュースより内容の濃いアカウントニュースを好むという傾向もあるでしょうが、案外他の人も今後を含めこういったアカウントニュースを好む傾向になるのではという気もしています。それは何故かというと、かつてと比べてファストニュースの価値が低くなっているからです。
以前(20年前?)であれば如何に早くニュースを得るかということが重要視されていましたが、現代においては当時と比べるとその価値は急減している気がします。というのもネットの発達によってそうした主だったニュースは見ようと思えば夜七時のNHKニュースを待たずともいつでも見られ、また本当に大きな事件であればTwitterや掲示板まとめサイトなどを眺めているだけでおおよそ把握できます。
特にTwitterに関しては、今現在の注目ワードなどが自動で集計されることもあり、速報性で言えば図抜けています。またメディアの方もそうした背景から、テレビ局を中心に自分でニュースを負わず、こうしたTwitterの注目ワードや話題を後追いし、挙句には事件現場などで写真や動画撮影した人から材料を提供して報じる有様で、速報性の面では後塵を拝するどころかいろいろとおかしなことになっています。
それに対しアカウントニュースは、基本的に取材に手間暇時間がかけられているだけに、興味のない内容なら全く読むことないでしょうが、いくらか興味のあるものであればやはり読みごたえを感じます。特に以前は散々馬鹿にしていたダイヤモンドも東洋経済に負けないくらい最近面白い記事を出すようになってきて、時間がある時なんかは割とじっくり楽しんで読んでます。
こうしたアカウントニュースは事件発生や発表があってからしばらく経って出てきますが、事件背景や今後の展開についてはよそではまず見れない独自内容も多くなります。横並びなファストニュースは極端なこと言えばどのメディアの記事を読んでも同じというか大差ないですが、アカウントニュースは同じ事件が対象であっても、違った視点や解説が見られるだけにいくらでも読めます。
MSNの方が面白く感じるようになったという出発点からいろいろ語りましたが、これらは暗に、速報性を武器にしてきた新聞社など大手メディアのニュース面における凋落理由の解説としても通用する気がします。ネットが発達した時代においては、比較するならばアカウントニュースの比重が高まるというのが私の見方です。
逆を言えば、大手メディアはもっとTwitterのようなツールを活用してファストニュースをガンガン配信するべきともいえるのですが、なんとなく企業広報にしか彼らには使えない気がします。テレビ局に至っては、今はまだ強力なビジネスアイデアが出てないけど、そういうのが出てきたらこのままだと一網打尽になりかねないとも考えています。
2020年1月13日月曜日
ゲームレビュー:AI: ソムニウム ファイル
昨日通っている喫茶店に行ったらなんか子猫を飼い出してて、ほっといたら何故か私の靴の裏の臭いを嗅いでました。あとテーブルの上にちっちゃいゴキブリがいたけど、昨年夏に1000匹斬りした身からすると何も恐怖はなく、そのまま指ではじいて殺してました(三匹ほど)。
・AI: ソムニウム ファイル(スパイク・チュンソフト)
話は本題ですが、昨日クリアしたのが上の「AI:ソムニウムファイル」というゲームです。このゲームはアドベンチャーゲームなのですが、最初購入した際はどんなゲームなのか全く調べずに買いました。どうしてそんな風にして買ったのかと言うと、クリエイターが打越綱太郎氏だったからです。
以前にも「Zero Escape」をはじめとするいわゆる「極限脱出シリーズ」のゲームレビュー記事を書いていますが、これらのゲームも打越氏がシナリオを書いたゲームです。どれも非常に気に入っており、あの打越氏のゲームならとなんにも調べずにこのAIソムニウムもSteamで購入を決めました。
それで買った後になってようやくこのゲームの内容が分かったのですが、日常パートは一般的な刑事物のコマンド選択型アドベンチャーなのですが、一定段階まで進むと特殊パートが用意されています。主人公は最先端機器を使って他人の夢の中にサポートAIとともに潜り込むことができ、特殊パートではその夢の中を探索し、事件のヒントを探していくという内容になっています。
ただ夢の中では主人公は自由に動けず、代わりにAIが人間の形を模して動き回り、6分間の制限内に相手のメンタルロックをすべて外す行動をとるという仕組みになっています。いわば6分間制限の脱出ゲームみたいなものですが、実際にはリアルタイムの6分間ではなく、「物を取る 10秒」みたく各行動コマンドで時間が消費していくため、効率よく適切なコマンドを選んで解除していくこととなります。
ゲーム性に関しては上記の夢の中を潜るパート(ソムニウムパート)を除けば、昔ながらのほぼコマンド全選択型アドベンチャーです。私なんかは昔懐かしくそんなに抵抗ないですが、レビューを見ているともどかしいと感じる人もいるようで、この辺は賛否両論でしょう。
シナリオ自体は上記のソムニウムパートの行動によって複数に分岐し、テキスト量だけ見れば非常にボリュームのあるゲームになっています。またそのシナリオも、殺人被害者みんなが眼球を抜き取られたり、普通にメインヒロインが人体切断マジックショーをリアルに行われたりするなどショッキングな内容もあれば、割とほろりとする場面もあり、非常に読ませるテキストとなっています。
ただそうした波乱のある展開以上に、通常のテキスト部分の方がずっと面白かったです。
主人公は左目を失っていることから左眼窩にAIを内蔵した特殊な義眼を装備しているのですが、このAIとは常に漫才やってるような掛け合いを繰り広げられ、ダジャレやパロディネタがガンガン展開されていきます。よく「ネプテューヌシリーズ」がそうしたパロディが激しいと言われますが、はっきり言ってそんなの目じゃないくらいパロディが激しく、やっててマジ怒られないのかと心配になるくらいでした。具体例を出すと、
「キンキンに冷えてやがる」
「エイドリアーン!」、「リッキー!」
(マイクに向かって叫べと指示)「紅だぁぁー!」
「うぉ、まぶしっ」
終盤に立っては果物を真ん中から真っ二つに割りながらダンスしたりなど、全く自重されてません。こんな感じで普通に読んだり声聞いたりしているだけでも楽しく、尚且つサスペンス的なシリアスさはしっかりと確保されており、全体のシナリオ構成はさすが打越氏と思うほど完成されています。
あと、画面はすべてフルCGで作られていますが、メインヒロインを始め非常によくできた造形となっており、最初でこそ主人公がその見た目からクールな二枚目を想像していたら実際には三枚目だったり、クラゲっぽいイメージのAIの造形も違和感ありましたが、慣れたらこれはこれで愛着が持てるようになりました。
敢えてダメ出しすると、犯人特定がシナリオに沿って勝手に行われるため、プレイヤーが推理する余地が全く用意されてないことと、ソムニウムパートの解法が分岐を除けば実質的にほぼ一つに限られていて、ゲーム性がやや低いということです。まぁこれはアドベンチャーゲームの宿命ですが。
とりあえずようやくこのゲームをクリアしたので、今はまた別の「デイグラシアの羅針盤」というアドベンチャーゲームをやり始めています。背も胸も小さいのに態度だけはでかい女性キャラが何故だか気に入ってます。
・AI: ソムニウム ファイル(スパイク・チュンソフト)
話は本題ですが、昨日クリアしたのが上の「AI:ソムニウムファイル」というゲームです。このゲームはアドベンチャーゲームなのですが、最初購入した際はどんなゲームなのか全く調べずに買いました。どうしてそんな風にして買ったのかと言うと、クリエイターが打越綱太郎氏だったからです。
以前にも「Zero Escape」をはじめとするいわゆる「極限脱出シリーズ」のゲームレビュー記事を書いていますが、これらのゲームも打越氏がシナリオを書いたゲームです。どれも非常に気に入っており、あの打越氏のゲームならとなんにも調べずにこのAIソムニウムもSteamで購入を決めました。
それで買った後になってようやくこのゲームの内容が分かったのですが、日常パートは一般的な刑事物のコマンド選択型アドベンチャーなのですが、一定段階まで進むと特殊パートが用意されています。主人公は最先端機器を使って他人の夢の中にサポートAIとともに潜り込むことができ、特殊パートではその夢の中を探索し、事件のヒントを探していくという内容になっています。
ただ夢の中では主人公は自由に動けず、代わりにAIが人間の形を模して動き回り、6分間の制限内に相手のメンタルロックをすべて外す行動をとるという仕組みになっています。いわば6分間制限の脱出ゲームみたいなものですが、実際にはリアルタイムの6分間ではなく、「物を取る 10秒」みたく各行動コマンドで時間が消費していくため、効率よく適切なコマンドを選んで解除していくこととなります。
ゲーム性に関しては上記の夢の中を潜るパート(ソムニウムパート)を除けば、昔ながらのほぼコマンド全選択型アドベンチャーです。私なんかは昔懐かしくそんなに抵抗ないですが、レビューを見ているともどかしいと感じる人もいるようで、この辺は賛否両論でしょう。
シナリオ自体は上記のソムニウムパートの行動によって複数に分岐し、テキスト量だけ見れば非常にボリュームのあるゲームになっています。またそのシナリオも、殺人被害者みんなが眼球を抜き取られたり、普通にメインヒロインが人体切断マジックショーをリアルに行われたりするなどショッキングな内容もあれば、割とほろりとする場面もあり、非常に読ませるテキストとなっています。
ただそうした波乱のある展開以上に、通常のテキスト部分の方がずっと面白かったです。
主人公は左目を失っていることから左眼窩にAIを内蔵した特殊な義眼を装備しているのですが、このAIとは常に漫才やってるような掛け合いを繰り広げられ、ダジャレやパロディネタがガンガン展開されていきます。よく「ネプテューヌシリーズ」がそうしたパロディが激しいと言われますが、はっきり言ってそんなの目じゃないくらいパロディが激しく、やっててマジ怒られないのかと心配になるくらいでした。具体例を出すと、
「キンキンに冷えてやがる」
「エイドリアーン!」、「リッキー!」
(マイクに向かって叫べと指示)「紅だぁぁー!」
「うぉ、まぶしっ」
終盤に立っては果物を真ん中から真っ二つに割りながらダンスしたりなど、全く自重されてません。こんな感じで普通に読んだり声聞いたりしているだけでも楽しく、尚且つサスペンス的なシリアスさはしっかりと確保されており、全体のシナリオ構成はさすが打越氏と思うほど完成されています。
あと、画面はすべてフルCGで作られていますが、メインヒロインを始め非常によくできた造形となっており、最初でこそ主人公がその見た目からクールな二枚目を想像していたら実際には三枚目だったり、クラゲっぽいイメージのAIの造形も違和感ありましたが、慣れたらこれはこれで愛着が持てるようになりました。
敢えてダメ出しすると、犯人特定がシナリオに沿って勝手に行われるため、プレイヤーが推理する余地が全く用意されてないことと、ソムニウムパートの解法が分岐を除けば実質的にほぼ一つに限られていて、ゲーム性がやや低いということです。まぁこれはアドベンチャーゲームの宿命ですが。
とりあえずようやくこのゲームをクリアしたので、今はまた別の「デイグラシアの羅針盤」というアドベンチャーゲームをやり始めています。背も胸も小さいのに態度だけはでかい女性キャラが何故だか気に入ってます。
2020年1月12日日曜日
急変したイランに対する国際世論
関係ないけど超久々に自分のこのブログのプロフィールをみたら、職業が「ふしぎなおどり」になってました。なお同じ職業だと言っている人は他にいません。なんでこんなのにしたのかいろいろ不思議ですが、Skypeでも近況をよく「うずしおキング」とかにしているので、ドラクエ的なくくりが自分の中にあるのだと思います。
話は本題ですがなかなか貴重なワンシーンと言うべきか、一夜、というよりは一日にして世論がひっくり変わる場面を目撃できたかと思います。かねてから緊張の高まっていた米国とイランの関係において先日、イラン国内の空港を離陸した旅客機の撃墜事件について、当初事故説を一方的に主張していたイランがとうとう人為的ミスによりミサイルで撃墜していたということを認めました。
墜落原因については、イランが何の調査もしていない段階で事故説を主張する一方、また責任逃れの一助として米国の関与を主張することがなかったことから、初めからイラン側の関与が窺われました。今回あっさりとその過失を認めたというのも、かなり明白な証拠が米国側に撮られていた思われますが、率直に言って今回の一件は米国、というよりトランプ大統領にとって僥倖以外の何物でもないでしょう。
今回の墜落事件直前まで、イランのソレイマン司令の暗殺事件について世論は割れていました。少なくとも日本においては常識外れの行為と報じられることが多く、私自身は現実にはソレイマン司令が数多くのテロ事件に関わっていたことを考えるとこの暗殺劇も全く理解できないものではないと考えていましたが、いらずらに戦争を誘発しかねない決断だと報じる声の方が大きかったように見えます。日本以外の国もそうした声はあったでしょうし、少なくともイラン寄りの中国においてはそういう見方が強かったです。
それが一転、今回の墜落事件の過失をイランが認めたことにより、日本を含めた国際世論は一転して「イランがおかしい」へ切り替わりつつあります。ソレイマン司令の暗殺劇など一気に吹き飛んだというか、やはりイランという国は問題のある国だという見方が広がり、米国の強引さに対する批判は極端にトーンダウンし、むしろ暗殺指令も仕方のない行為という見方すら出ています。
これにより、今後トランプ大統領の支持率はさらに向上するのではないかと思います。それによりトランプ大統領の決断はより強気なものになっていく可能性もあるでしょう。そしてその強気がどこに向けられるかはまずはイランで次に中国、そしてロシア、北朝鮮かなと考えています。
特に北朝鮮に関しては、ただ単に日系メディアが報じていないだけかもしれませんがソレイマン司令暗殺以降から急激に大人しくなっています。まぁそういう国だと割り切ればそれまでですが、それによって割を食うのは北朝鮮を出しに外交を続けている韓国で、対日外交も含めて更なる手詰まり感を見せてくるのではという気がします。
それにしてもトランプ大統領について言えば、つくづく運のいい人だと思います。ソレイマン司令暗殺は彼にとっても一度は見送っていた案だと言われているだけに覚悟の必要な決断だったでしょうが、結果的にはこれ以上ないくらいの最高の結果をもたらしたと言えるでしょう。運も実力のうちと言えば、土壇場で強さを見せる大統領なのかもしれません。
話は本題ですがなかなか貴重なワンシーンと言うべきか、一夜、というよりは一日にして世論がひっくり変わる場面を目撃できたかと思います。かねてから緊張の高まっていた米国とイランの関係において先日、イラン国内の空港を離陸した旅客機の撃墜事件について、当初事故説を一方的に主張していたイランがとうとう人為的ミスによりミサイルで撃墜していたということを認めました。
墜落原因については、イランが何の調査もしていない段階で事故説を主張する一方、また責任逃れの一助として米国の関与を主張することがなかったことから、初めからイラン側の関与が窺われました。今回あっさりとその過失を認めたというのも、かなり明白な証拠が米国側に撮られていた思われますが、率直に言って今回の一件は米国、というよりトランプ大統領にとって僥倖以外の何物でもないでしょう。
今回の墜落事件直前まで、イランのソレイマン司令の暗殺事件について世論は割れていました。少なくとも日本においては常識外れの行為と報じられることが多く、私自身は現実にはソレイマン司令が数多くのテロ事件に関わっていたことを考えるとこの暗殺劇も全く理解できないものではないと考えていましたが、いらずらに戦争を誘発しかねない決断だと報じる声の方が大きかったように見えます。日本以外の国もそうした声はあったでしょうし、少なくともイラン寄りの中国においてはそういう見方が強かったです。
それが一転、今回の墜落事件の過失をイランが認めたことにより、日本を含めた国際世論は一転して「イランがおかしい」へ切り替わりつつあります。ソレイマン司令の暗殺劇など一気に吹き飛んだというか、やはりイランという国は問題のある国だという見方が広がり、米国の強引さに対する批判は極端にトーンダウンし、むしろ暗殺指令も仕方のない行為という見方すら出ています。
これにより、今後トランプ大統領の支持率はさらに向上するのではないかと思います。それによりトランプ大統領の決断はより強気なものになっていく可能性もあるでしょう。そしてその強気がどこに向けられるかはまずはイランで次に中国、そしてロシア、北朝鮮かなと考えています。
特に北朝鮮に関しては、ただ単に日系メディアが報じていないだけかもしれませんがソレイマン司令暗殺以降から急激に大人しくなっています。まぁそういう国だと割り切ればそれまでですが、それによって割を食うのは北朝鮮を出しに外交を続けている韓国で、対日外交も含めて更なる手詰まり感を見せてくるのではという気がします。
それにしてもトランプ大統領について言えば、つくづく運のいい人だと思います。ソレイマン司令暗殺は彼にとっても一度は見送っていた案だと言われているだけに覚悟の必要な決断だったでしょうが、結果的にはこれ以上ないくらいの最高の結果をもたらしたと言えるでしょう。運も実力のうちと言えば、土壇場で強さを見せる大統領なのかもしれません。
2020年1月11日土曜日
朝日出身記者の一番悪い癖
昨日の記事の続きとなります。昨日の記事で私は、昨日にJBpressで配信されたゴーン記事は、かねてから日産の問題をマツダと比較した記事がなかったことがないことにイラついていたということともに、元朝日新聞記者の井上久男氏が書いた「日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年」を読んで、思うところがあったためと書きました。
最初に断りを言っておくと、上記の井上氏の本は決して悪い本ではなく、日産の歴史とゴーン入閣以来の経営に関する説明は非常にわかりやすく書かれており、日産について詳しくない方が読む上では非常にいい本だと思います。井上氏自身がゴーン氏に直接インタビューした内容も書かれており、ゴーン氏がどういう風になりふり構わなくなっていったのかという過程はよく描かれています。
しかし、昨日の記事にも書いた通り井上氏は日産のゴーン問題についてこの本の前半で、トヨタ自動車と比較を行っています。曰く、トヨタと違って日産には創業者がいないため社内の求心力がなく、経営者が私利私欲に走りやすく、且つ内部抗争の激しい社風だったという風に説明していますが、この点については率直に言って強い疑問を覚えました。
また仮に比較する場合、会社規模でいうならホンダ、そして外国人経営者という点で比較するなら本来マツダが来るべきであり、トヨタ自体は確かに自動車業界のあらゆるベンチマークとなる会社ですが、少なくともゴーン問題を語る上では真っ先に外すべき比較対象でしょう。
上記指摘にも一部重なるのですが、同様にこの本の前半部を見て私は、「ああ、朝日の一番悪い癖が出ているな」とはっきり感じました。もったいぶらずに述べると、朝日系の記者はほぼ例外なく何でもかんでも過去の歴史や事件構図をはめ込んで結論を出そうとする傾向がみられあります。この本も然りで、そのせいで分析と結論がややずれているように感じました。
上記傾向の具体例を挙げると、
「戦前の治安維持法を彷彿とさせる~」
「太平洋戦争突入に至るまでの経緯と~」
「安保闘争が起きた当時の雰囲気が~」
「バブル前に失敗した経済政策を思わせる~」
最後のに限って言えば朝日に限らないですが、朝日の普段の論説を見ているとかなり多くが「前にもこんなことがあった、今まさにその時の状況に近い」という風な結論に至っているケースが非常に多いです。はっきり言いますが、これは朝日系の記者が書く文章において物凄い目立つ特徴で、恐らくですが朝日新聞内でこうした記事や論説の書き方を行う伝統が強く残っているのでしょう。
なお毎日出身者も上記に近い結論を書くことがありますが、朝日の場合はまだ結論に至るまでの解説や経緯分析はしっかりしているのに対し、毎日はその経緯説明の段階で感情的に書き立ててくるし、そもそも記事文章自体もあまりうまいとは思えず単純にわかりづらい印象があります。
私個人の見立てで言うと、朝日系の記者はみんな文章自体はしっかりしており、よくわかりやすく書いていると思います。そのため何かの事件などに関して経緯については非常に良く書かれていて「うんうん、それもアイカツだね」的に納得感を覚えて行く矢先、結論部分で突然、「だが、こうした流れはかつての~のようにもみえる」などと、急に変な結論に飛んでってしまうことが多く、最終的な結論がなんかおかしいものになるというパターンがあるという気がします。
それもそのはずというか、私が見る限り朝日系の記者はほぼ無意識に過去の事例を現代の事件や論争に当てはめて考察、分析しているように見えるのですが、そのまま過去の構図を当てはめて「歴史は繰り返される」的な結論にしようにも、必ずしもその通りになるわけなんてありません。中には確かに類似する構造でそうした過去事例との比較が適切なケースもあるにはありますが、時代が変われば周辺状況まで一致するはずなんてなく、そうした点を全部無視して過去の構図を当てはめても的外れな結論になる以外ありません。
私に言わせると上記の点で朝日系の記者は、対象を対象そのものとして分析、理解しようとする視点、努力に欠けている人が多い気がします。安易に過去の構図を当てはめて今後こうなると結論を出すというのは、安直すぎる以外何物でもありません。
上記内容を先週友人に話したところ、昨日にも書いたように「JBpressでぜひそれを書くべきだ」とプッシュされたのですが、業界内の人材流動の激しいマスコミ業界でそういうの書いたらいろいろ齟齬が出るためそれは無理といい、代わりにゴーン事件のマツダとの比較を出すことになったわけです。
友人は上記の私の分析に非常に納得がいったそうですが、私自身もわりと朝日の特徴をうまく突いていると考えています。恐らく他の多くの人、特に朝日の論説について批判的な人は、途中まではいいのに結論部分で突然変におかしくなるという朝日系の論説傾向を、意識しないまでもなんとくなく感覚では理解しているのではと思います。
ただ上記の朝日系の文章特徴について、少なくとも私はこれまで他の誰かが説明しているのを見たことがありません。そういう意味でもしかしたら私が初めて主張する意見なのかもしれませんが、ただ単に私が気付いただけで、考えればすぐわかるような事柄だと思います。それくらい、かなりはっきりした特徴だと思うし。
なお、他のメディアについて言えば読売、日経はともに現実的な意見を結論にすることが多く、解説文の上手さもあって総合力で言えばこの二紙が一番実力が高いとみています。毎日については前述の通りで理論立っておらず、産経に関してはひたすら感情に訴えかけるところがあり、論理性を欠くところがややある気がします。
井上氏の本の話にようやく戻ると、前半部で井上氏は日産について、「内部抗争の激しい社風であり、それがゴーン解任のクーデターにつながった」ともいうべき主張を行っています。しかし、内部抗争が多かったという事実自体は間違っていないものの、過去の内部抗争がゴーン解任に関係するかと言ったら私は疑問です。また日産の社風についても、ゴーンが来てから既に19年経っており、その間に全く日産の社風は変わらなかったのかとい言われるとこれまた疑問です。むしろゴーン風味にかなり変わったと聞いており、もし内部抗争が今の日産で激しいというのなら、それは労働組合とか過去の独裁者ではなく、ゴーンと言う独裁者の影響であり過去とは無関係じゃないかと言うのが私の見方です。
このように考えた際、井上氏は「日産の内部抗争の歴史」という構図を今回のゴーン問題に当てはめ過ぎて、それによって分析結論もやや違う方向に引っ張られているように感じました。私としては一旦そういうのは全部切り捨てて、「なぜ経営の公私混同が起きたのか」という問題を考えることこそ、ゴーン事件のケーススタディとなると考えて、マツダと比較したわけです。
最初に断りを言っておくと、上記の井上氏の本は決して悪い本ではなく、日産の歴史とゴーン入閣以来の経営に関する説明は非常にわかりやすく書かれており、日産について詳しくない方が読む上では非常にいい本だと思います。井上氏自身がゴーン氏に直接インタビューした内容も書かれており、ゴーン氏がどういう風になりふり構わなくなっていったのかという過程はよく描かれています。
しかし、昨日の記事にも書いた通り井上氏は日産のゴーン問題についてこの本の前半で、トヨタ自動車と比較を行っています。曰く、トヨタと違って日産には創業者がいないため社内の求心力がなく、経営者が私利私欲に走りやすく、且つ内部抗争の激しい社風だったという風に説明していますが、この点については率直に言って強い疑問を覚えました。
また仮に比較する場合、会社規模でいうならホンダ、そして外国人経営者という点で比較するなら本来マツダが来るべきであり、トヨタ自体は確かに自動車業界のあらゆるベンチマークとなる会社ですが、少なくともゴーン問題を語る上では真っ先に外すべき比較対象でしょう。
上記指摘にも一部重なるのですが、同様にこの本の前半部を見て私は、「ああ、朝日の一番悪い癖が出ているな」とはっきり感じました。もったいぶらずに述べると、朝日系の記者はほぼ例外なく何でもかんでも過去の歴史や事件構図をはめ込んで結論を出そうとする傾向がみられあります。この本も然りで、そのせいで分析と結論がややずれているように感じました。
上記傾向の具体例を挙げると、
「戦前の治安維持法を彷彿とさせる~」
「太平洋戦争突入に至るまでの経緯と~」
「安保闘争が起きた当時の雰囲気が~」
「バブル前に失敗した経済政策を思わせる~」
最後のに限って言えば朝日に限らないですが、朝日の普段の論説を見ているとかなり多くが「前にもこんなことがあった、今まさにその時の状況に近い」という風な結論に至っているケースが非常に多いです。はっきり言いますが、これは朝日系の記者が書く文章において物凄い目立つ特徴で、恐らくですが朝日新聞内でこうした記事や論説の書き方を行う伝統が強く残っているのでしょう。
なお毎日出身者も上記に近い結論を書くことがありますが、朝日の場合はまだ結論に至るまでの解説や経緯分析はしっかりしているのに対し、毎日はその経緯説明の段階で感情的に書き立ててくるし、そもそも記事文章自体もあまりうまいとは思えず単純にわかりづらい印象があります。
私個人の見立てで言うと、朝日系の記者はみんな文章自体はしっかりしており、よくわかりやすく書いていると思います。そのため何かの事件などに関して経緯については非常に良く書かれていて「うんうん、それもアイカツだね」的に納得感を覚えて行く矢先、結論部分で突然、「だが、こうした流れはかつての~のようにもみえる」などと、急に変な結論に飛んでってしまうことが多く、最終的な結論がなんかおかしいものになるというパターンがあるという気がします。
それもそのはずというか、私が見る限り朝日系の記者はほぼ無意識に過去の事例を現代の事件や論争に当てはめて考察、分析しているように見えるのですが、そのまま過去の構図を当てはめて「歴史は繰り返される」的な結論にしようにも、必ずしもその通りになるわけなんてありません。中には確かに類似する構造でそうした過去事例との比較が適切なケースもあるにはありますが、時代が変われば周辺状況まで一致するはずなんてなく、そうした点を全部無視して過去の構図を当てはめても的外れな結論になる以外ありません。
私に言わせると上記の点で朝日系の記者は、対象を対象そのものとして分析、理解しようとする視点、努力に欠けている人が多い気がします。安易に過去の構図を当てはめて今後こうなると結論を出すというのは、安直すぎる以外何物でもありません。
上記内容を先週友人に話したところ、昨日にも書いたように「JBpressでぜひそれを書くべきだ」とプッシュされたのですが、業界内の人材流動の激しいマスコミ業界でそういうの書いたらいろいろ齟齬が出るためそれは無理といい、代わりにゴーン事件のマツダとの比較を出すことになったわけです。
友人は上記の私の分析に非常に納得がいったそうですが、私自身もわりと朝日の特徴をうまく突いていると考えています。恐らく他の多くの人、特に朝日の論説について批判的な人は、途中まではいいのに結論部分で突然変におかしくなるという朝日系の論説傾向を、意識しないまでもなんとくなく感覚では理解しているのではと思います。
ただ上記の朝日系の文章特徴について、少なくとも私はこれまで他の誰かが説明しているのを見たことがありません。そういう意味でもしかしたら私が初めて主張する意見なのかもしれませんが、ただ単に私が気付いただけで、考えればすぐわかるような事柄だと思います。それくらい、かなりはっきりした特徴だと思うし。
なお、他のメディアについて言えば読売、日経はともに現実的な意見を結論にすることが多く、解説文の上手さもあって総合力で言えばこの二紙が一番実力が高いとみています。毎日については前述の通りで理論立っておらず、産経に関してはひたすら感情に訴えかけるところがあり、論理性を欠くところがややある気がします。
井上氏の本の話にようやく戻ると、前半部で井上氏は日産について、「内部抗争の激しい社風であり、それがゴーン解任のクーデターにつながった」ともいうべき主張を行っています。しかし、内部抗争が多かったという事実自体は間違っていないものの、過去の内部抗争がゴーン解任に関係するかと言ったら私は疑問です。また日産の社風についても、ゴーンが来てから既に19年経っており、その間に全く日産の社風は変わらなかったのかとい言われるとこれまた疑問です。むしろゴーン風味にかなり変わったと聞いており、もし内部抗争が今の日産で激しいというのなら、それは労働組合とか過去の独裁者ではなく、ゴーンと言う独裁者の影響であり過去とは無関係じゃないかと言うのが私の見方です。
このように考えた際、井上氏は「日産の内部抗争の歴史」という構図を今回のゴーン問題に当てはめ過ぎて、それによって分析結論もやや違う方向に引っ張られているように感じました。私としては一旦そういうのは全部切り捨てて、「なぜ経営の公私混同が起きたのか」という問題を考えることこそ、ゴーン事件のケーススタディとなると考えて、マツダと比較したわけです。
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