前回に引き続き、ネオ皇国史観について書いてきます。前回でも書いた通り、いわゆる「新しい教科書をつくる会」メンバーを中心に提唱されたこのネオ皇国史観ですが、内容は基本的に戦前の皇国史観を名乗ったもので、「天皇(特に昭和天皇)は偉大、太平洋戦争は聖戦」というスタンスが取られています。実物確認したわけじゃないけど、つくる会の教科書では昭和天皇の説明だけに何ページも割いているとされ、好みの箇所だけ極端に膨れ上がるラノベみたいな編集と聞きます。
そんなネオ皇国史観ですが、時期にして2000年前後はそれなりの支持と勢力を持ちました。しかしそれは一過性でしかなく、現代においては「つくる会」という単語自体出てくることがほぼなく、私自身もノスタルジーに浸りながら今これを書いています。
では一体何故つくる会、もといネオ皇国史観は一時勃興してその後廃れたのか。まず勃興の理由ですが、結論から言うと国際環境の変化、具体的には冷戦終結が大きいと私は考えています。以下列記すると、
・昭和天皇崩御に伴う昭和史議論の解禁
・冷戦構造崩壊に伴う保守勢力内における反米意識の顕在化
・中国や韓国の台頭に伴う日本批判の顕在化
まず一番重要な大前提として、日本の政治勢力はよく保守と革新(右翼と左翼)で区別されることが多いですが、実際には親米と反米の方が論点としては重要です。そして昭和時代においては保守派にも革新派にも親米勢力と反米勢力が混在しており、冷戦構造の崩壊と55年体制の周陵によって、頼子の軸がはっきりしてきたと思います。
それで話を戻すと、保守派における反米勢力は冷戦期はまだそこまで目立つ存在ではなかったものの、平成初期の沖縄米軍基地問題、貿易摩擦の過熱から日本全国で反米意識が高まっていくのに伴い、保守反米勢力が勢いを増してきたと思います。元々、保守反米勢力は太平洋戦争については「アメリカが悪い」という価値観が強かっただけに、時代の追い風を受けて、冷戦期はやや制限のあった米国批判が大っぴらにできるようになって、ネオ皇国史観が浸透していったのだと思います。
また三番目に上げた中韓の国際社会における台頭も、ネオ皇国史観を後押しする一手になったことは間違いないでしょう。それまでは国際社会においてそれほど発言力がなかったことから、戦前の日本批判をしても日本人には多分それほど耳に届いていなかったのだと思います。
折しも従軍慰安婦問題も発生し、はっきり言ってこの件の検証が余りに歪(初出の本が完全なインチキ本)であったことから戦時中の歴史認識問題が俄かにクローズアップされ、「何でもかんでも日本が謝る立場になるのはおかしい」という具合で自虐史観に対する反発が広がったことも、つくる会の発足に大きく関わっています。
総じて言えば、米国、韓国、中国に対する反発意識の広がりが、ネオ皇国史観の勃興を促したと言えるでしょう。
なお個人的な意見を述べると、やはり実際に戦争を体験していない自分のような世代からすると、なんでいつまでも昔のことで「謝れ」、「日本は反省が足りない」などと中国や韓国に言われ続けなければならないのか、この点については納得できない感情がやはりあります。逆を言えば、実際に戦争に係り、中国や韓国に対する悔悟を感じていた戦前・戦中派世代が平成期に寿命によって減っていったことも、ネオ皇国史観勃興の要因の一つだったといえるでしょう。
ではそうして日本国内で広がったネオ皇国史観がその後すぼんだのは何故か。はっきり言えば中心であったつくる会の分裂という自爆が大きいのですが、それ以外だと反米意識が低下したということが影響として大きい気がします。
まず前者ですが、先ほどにも述べた通り日本は保守と革新のほかに親米と反米という議論軸が存在します。作る会は保守派の論客が中心に出来ましたが、この保守派には親米と反米の立場にある人物が混ざっており、当初でこそ従軍慰安婦問題などの観点から団結したものの、時とともにこの両思想のメンバー間の対立が激化し、完全に分裂することとなりました。
その上で、90年代の日本は間違いなく反米意識が強かったですが、911ニューヨークテロ事件以降は「テロとの戦い」という新たな国際軸が生まれ、小泉政権における親米路線の定着も相まって日本の反米意識は一気に縮小したように見えます。また2000年以降から先ほど述べた中国や韓国の台頭、特に中国とは尖閣諸島問題が過熱化したことで、米国との同盟関係の重要性を認識する人が増え、「中国を抑えるためには米国は大事」という具合に親米意識が高まっていったように見えます。
こんな具合で親米意識が高まる中、「太平洋戦争は聖戦、米国は悪意の塊」とするネオ皇国史観が受け入れられるかと言ったら、そんなわけはないでしょう。
また従軍慰安婦問題に関しても、保守派勢力のみならず革新派勢力からも疑問視する向きが広がり、実際に近年明らかになってきたように慰安婦団体が元慰安婦女性をダシに私腹を肥やしてきているのが認知され始め、反発する意識が保守派どころか日本全体に広がり、ネオ皇国史観のみの主張ではなくなりアイデンティティーの一つ失ったことも大きいでしょう。っていうか真面目に、旧社会党勢力の人たちも飛び火することを恐れて、従軍慰安婦問題には言及しなくなったな。
以上のような背景、そしてやはり極端な天皇崇拝などの姿勢から、徐々に支持者も離れていったように思えます。窪塚洋介とか今どうなのか聞いてみたいものです。
私自身、高校生くらいの頃は従軍慰安婦問題のおかしさからこのネオ皇国史観を一時支持したものの、この問題を作り出した一つである朝日新聞ですら「あの報道には間違いがあった」と認める今の時代において、その他の太平洋戦争を聖戦視するなどの余計な要素の多いネオ皇国史観を律義に支持する理由はありません。恐らくこの辺りも中心提唱者らの分裂を招いたところだと思うのですが、従軍慰安婦問題などの国際情勢によって支持を得ていたことを、自分たちの思想が受け入れられたと勘違いしていた節もある気がします。
このネオ皇国史観は繰り返し述べているように、その思想内容の中立性とか真偽性が評価されたというよりは、国際情勢の変化に伴う国民感情の変化によって広まったところが多いです。そのため今は廃れてきているものの、また何か国際情勢が変わることによって再び支持を受ける可能性が全くないというわけではないという風に見ています。そういう意味では、歴史観というよりかは外交論に近いのかもしれません。