ページ

2021年1月4日月曜日

憤懣やるかたない

 「R-typeディメンション」というシューティングゲームを買って自分もバイド化が進んでいるのか、最近やたらと攻撃的となっており、周囲からも「どうしたの最近?」とリアルで聞かれたりしていますが、それを考慮しても今日配信された記事の反応に関しては納得がいかないというか、認めることができません。


 今回、約3年ぶりに中国化粧品業界についてその動向をまとめたのが上の配信記事です。見ての通りあんまりアクセスよくなくて、ヤフコメにはなんか批判めいたコメントが多く書かれていますが、これ見ててマジで「んなこと言ってねぇんだよこのボケ!」などと会社でガチギレしていました。


 まずヤフコメ一番上にある企業別の売上高についてですが、データ自体はこの通りユーロモニターのデータを当初より取得していました。逆を言えば、敢えてこれは出しませんでした。その理由というのも、恐らく読者の大半はこれを見ても「資生堂」という単語以外に何も反応ができないという確信があったからです。
 表示名こそ上の画像は中国語表記のままですが、仮にアルファベットやカタカナ表記に切り替えたところで、女性はともかく男性は各化粧品会社、ブランド名について詳細を把握している人はほとんどいないと思います。逆にそうした主要ブランド名とその内容を把握している人は業界関係者で、その手の人たちは私がこのようなデータを見せずとも既に同じようなデータを見ている、または持っていると予想され、記事に出す必要性を感じませんでした。

 またこの化粧品業界は車と違って、フェイスクリームや口紅など商品ごとにその用途が異なり、単純に業界シェアだけでその実態が把握できるものでもありません。であれば今回の私の記事は日本の対中化粧品輸出がテーマであることを考慮すると全体主旨からも外れるし、そもそも今回の記事は計7枚というこれまでほとんどないほど図表の多い記事でもあることから、企業・ブランド別売上げ・シェアのデータは出しませんでした。っていうか気になるんだったら自分で調べろとか思います。

 それ以上に腹立つのは、冒頭の日本の化粧品輸出関連データについて「存在するのが当たり前」みたいにみられていることです。


 断言してもいいですが、今回私が出したデータは少なくともネット上では初めて具体的金額とともに公開されたデータで、よそには一つたりとも存在しません。何故かというと上記リンクの財務省貿易統計検索ページからいちいち概況品コードを打って、国別にも細かく検索しなおして出した生データを集計、編集したものだからです。普段でこそ私はシンクタンクや業界団体が出している統計データを引用しているものの、今回に関しては税関が記録している生データを一から加工して作っています。
 っていうか貿易データくらい業界団体も作ってまとめておけよと思えてなりません。

 地味に結構時間がかかっており、特に全体統計を出すだけでなく、記事の主旨が日本の化粧品輸出状況であることから、国別割合のほか対中輸出に関してはこれまた個別に、年度ごとにデータを割り出してグラフを作っています。大抵こういう記事では片側のみのデータが公開されやすいですが、この記事では中国国内市場データも入れており、普通ここまで一つの記事で網羅的にデータを出すなんてありえません。

 また今回の記事での最大のポイントはやはり「化粧品貿易黒字の拡大」であり、中国市場の動向の解説は「輸出さらに伸ばすにはどうすればいいのか?」という観点に集中させており、高級化粧品とメーキャップの動向のみ取り上げました。この全体方針においてどうして企業別売上高が必要になるのか、普通はそんな考えには至らないし、至るとしたら「化粧品」、「中国」という単語だけしか認識できない人間以外他ならないでしょう。記事の主旨や全体構成を無視して、自分が見たいデータ一つないという理由で記事内容を全否定されるというのはさすがに私も納得できず、敢えて言うなら和食屋に来て「ここにはパスタがない」と言われて悪く言われるような心境を覚えます。

 ただ最近、この手の妙な批判と、経済記事に対するおかしな反応ぶりをよく感じます。前述の通り、記事主旨とは関係なく自分が見たいと思う内容が一つないだけで全否定したり、考察ポイントと全く違いどうでもいい単語にやたら執着したりなどと、単純に読者のレベルが落ちているのではと記事を書いて、その反応見てて感じることが多いです。
 今回の記事も、「中国向けに化粧品輸出を伸ばしている国はほかにないのか?」という批判の仕方であれば私もなるほどと思うし、確かに入れておいたらよかったかもと感じたでしょう。しかしやれ企業別売上高がないとか、商品別売上高がないとか、記事主旨から遠いし到底3000字の枠に収められるわけない関係ない内容を引っ張って批判される限りにおいては、興味を持っているくせに自分で調べようともせず、他人の関係ない記事に物足りないなどと批判する自らの情けなさ、不甲斐なさを呪えなどと言いたくなります。

 挙句に、「中国国産化粧品は使いたくない」などと、これまた全く関係ない内容のコメントも非常に多いです。中国国内化粧品メーカーの動向や状況は確かに記事ネタとして成立する内容ですが、生憎私の記事は何度も書いている通り「対中輸出」であり、全く関係ないしだからこそ記事中でも触れていません。触れているのは中国市場で売行きが特に伸びている商品種類のみであり、国産化粧品ではなく、記事を読まずにああしたコメント書かれていることは明白でしょう。考えるだけでも一々腹が立つ。

 このブログなんかは読者に非常に恵まれていることもあって記事主旨から外れたコメントが来ることはないどころか、かなり深いレベルで自分の意図を読み取った上でいいポイントや付随する内容を指摘してくる方が非常に多いですが、やはりJBpressの配信記事に関してはその読者のレベルの低さに呆れかえることが少なくありません。真面目に高級紙のように読者のゾーニングがしっかりできなければ、そうした方面の深い経済記事内容とかは展開できないとこの頃強く感じます。
 同様に、最近日本の政治記事を読んでいてどれも物足りないというか、程度の低い内容ばかりで不満が多いです。最近一切読まなくなってしまいましたが、文芸春秋などはその辺がよくできてて深い政治記事にありつけたものの、やっぱああいう雑誌じゃないとその手の記事は期待できないものかと悩むところです。

 どちらにしろ、記事はアクセス稼いでなんぼであり、あまりアクセスを稼げていない今回の記事は失敗と言えば失敗です。もう次回分の記事は先々週暇だったので2時間でぱっと書き上げましたが、多分今回の記事よりは健闘することは確実で、手を抜けば抜くほど記事が読まれる現状には我ながら心苦しさを覚えてなりません。

2021年1月3日日曜日

未完結であることで下がる作品の完成度

 昨日は「ワンピース」の実売数に関する疑問について触れましたが、「ワンピース」に関しては前からもう一つ、連載の長期化について言いたいことがあったのでそれについて書きます。

 まず結論から言うと、長期連載はストーリー漫画にとってあまり好ましいものではないと私は考えます。「こち亀」や「ゴルゴ13」など基本1話完結ものであればまだしも、キャラクターや展開が連続するストーリー漫画においては連載が長期化すると、新規読者が参入しづらくなるほか、当初から読んでいた読者も読み続けることに段々抵抗を感じてきます。
 そもそもの話、どれだけ壮大な話であっても単行本20冊くらいの量を使えばほとんど盛り込むことは可能だと思います。むしろこれ以上の巻数に行くのならば、そのアイデアは舞台や設定を変えた別作品で反映する方がベターじゃないかとすら考えています。

 とはいえ、それでも「ワンピース」は売れているのだからとこれまでは言えたのですが、これまた「鬼滅の刃」が人気絶頂の中、全23巻で完結したことを受け、「ワンピースは何故まだ終わらないのか?」という意見が見え始めるようになりました。
 奇しくも、アニメ化が決まっている「チェンソーマン」もつい先日、約2年の連載期間で最終回を迎え、またその最終回の評価も高かったことから、「連載は無駄に引き延ばさず、終わらせるべきところで終わらせるべき」という見方が出ており、私もこうした見方に同じくする立場です。

 元々、少年ジャンプはかつての「北斗の拳」や「ドラゴンボール」などのように人気漫画の連載を無理やりにでも引き延ばす傾向が特に強い雑誌でした。これに最初の一石を投じたのは「スラムダンク」で、編集部が止めるのを聞かず作者が山王戦を終えたところで連載を切りましたが、これについて確か作者も「物語が一番盛り上がったところで切るべきだと考えていた」というようなコメントを残していましたが、現在における「スラムダンク」の評価を見ているとやはりその決断は正しかったように思えます。

 ちょっと主旨が違うかもしれませんが、この問題を考えた時に自分が最初に思い浮かべたのは巨匠・永井豪の「凄ノ王」でした。この作品は永井氏が「未完結の作品には美がある」と感じたことから敢えてストーリーが大きく広がってこれから盛り上がるぞ的に、具体的にはスサノオが甦って世界が崩壊したところで唐突に連載が打ち切られて終わりました。
 これは連載打ち切りではなく完全に永井氏の想定通りの終わり方だったのですが、結果的にはその目論見は外れ、その終わり方を不満とする声が非常に多かったことから、後に完結編と称して続編を描くに至っています。作者自身も後年、この未完で終える試みは失敗したことを認めています。

 実際に私もこの作品を読みましたが、当初のラストシーンのところまで読んでみて、非常に読後感が悪かったというかいわゆる「投げっぱなしエンド」を連想しました。そして後からつけられた続編も読みましたが、ないよりかはマシだけど、やはり後付け感がひどく、連載開始当初のこれからどうなるか的な展開のワクワク感と比べると後半の話は揃いも揃って不満に満ちたものであり、全体を一作品としてみた場合は低く評価せざるを得ないという印象を覚えました。
 それだけに、私個人の意見として言わせてもらうと、「未完の美」というものはこの世に存在しないと思います。作品の制作途中で作者が死亡するなどにより未完成となりながらも後の世にも評価される作品はありますが、それらの作品は「完成まで見たかった」という惜しさを込めた制作途中の作品に対する評価であり、「未完成」であることに対する評価ではないでしょう。

 やはり作品というものは終わりがあるから始まりがあるわけで、どれだけスタートが良くても、終わり方が良くないと結果的に作品の評価を下げてしまうと私は思います。逆を言えば、終わりどころを間違えてしまうとズルズルと作品の評価を下げていき、一時はブームを起こした作品であっても最終的には打ち切りに遭って消えてしまうということも実際によくあります。

 そういう意味で、やはりいい作品を作るためにクリエイターは作品を完走させるという努力が必要だと思います。自分の好き勝手に、できるだけ長く作品を作り続けたいという欲ももちろんあるでしょうが、子離れできない親みたく、長く続けることでかえって作品をダメにすることも少なくないだけに、やはり終わり方を見据えた創作という意識が、作品を消化する上では大事となるでしょう。
 というのも最近、どの出版社も鬼のように原稿を催促する編集者が減ったのか、長期休載を連発する大物作家が増えており、いつになったら連載が終わるんだ的に連載ペースが遅い作品が続出しています。具体的には、

・ガラスの仮面
・ベルセルク
・ヒストリエ
・ハンター・ハンター
・ブラック・ラグーン

 上記はある意味、五作品あるけど四天王的な地位を確立していますが、一応もう一つ「バスタード」という作品がありますが、これは完全に読者からも編集部からもそっぽ向かれ、もう続きが出ることに対しほとんど何も期待されていない節があります。こうなるのであれば、作品の区切りの良い位置でこの際完結させておけばもっと評価が高まったのかもと思え、個人的に惜しいと感じさせられます。

 今回まとめた内容ですが、何も作品に限らず、政治家などの人生においても同じだと考えています。安倍前首相なんか典型的ですが、権力欲に取りつかれ引き際を誤ったばかりに政権末期にミソを付けまくることとなり、後年の評価を大きく落とす結果となってしまい巻いた。ある意味、森友問題が最初に盛り上がった段階ですぐ引いていれば、「不幸にもアッキーのせいで辞めることとなったが、非常に惜しい存在だった」的に後年語られたかもしれません。
 逆に、完全に勝ち逃げしたのは小泉元首相でしょう。彼の場合は復讐心は強いけど権力欲は非常に低かったから、郵政引きずり倒して本人的にも満足な結果だったと言えるでしょう。

2021年1月2日土曜日

ワンピースの実売部数に関する疑問

 一生のうちに使ってみたいセリフに「新手のスタンド使いか!?」というセリフがありますが、なかなか使用機会がないので念願を果たせずにいます。
 なお最近日本では「鬼滅の刃ごっこ」が流行っていると聞きますが、自分が子供時代は「ジョジョごっこ」はありませんでした。あったとしたらスタンド役と本体役をどう分けるかで揉めそうな気がします。友人は「北斗の拳ごっこ」でよく五車星を組んでいたと言ってましたが。

 さて話はその「鬼滅の刃」に関連しますが、私がいちいち言うまでもなくこの作品は昨年に驚異的なセールスを記録しただけでなく、つい先日にも映画版が「千と千尋の神隠し」を追い抜いて日本映画史上最大の興行収入を記録するなど未だに快進撃を続けています。ただその快進撃が思わぬ余波を生んだというか、このところ少年ジャンプの看板作品である「ワンピース」について、いろいろと批判めいた疑義が呈されるのを見ることが増えています。

 まず単純にコミックスの販売数で言えば、オリコンの年間実売部数ランキングで「鬼滅の刃」は「ワンピース」を抜いていることは間違いない事実です。しかもその差ですが、「鬼滅の刃」が約8234万部に対し、「ワンピース」は約770万部で、最初は桁が異なっていることに気が付かす、「ほうほう、その差は50万部……いや500万部?いやいやいやいや、7500万部やんけ」と自分でツッコミを入れるくらいの差でした。
 まぁこれは「鬼滅の刃」がとんでもなく恐ろしいモンスターコンテンツである故なのですが、2020年のこの結果が出る以前にも、「ワンピースは本当に言われているほど売れているのか?」という見方が出ていました。というのもこの作品、連載期間は既に20年を超えており、連載の長期化により新規読者がすでに入りづらくなっている上、「前の方が面白かった」などと古参読者からも過去と比べての評価がなされるなど、いろいろと弊害が出てきています。

 その上で、出版社の集英社としてはやはり看板作品ということもあって、この作品が「売れている」ということを数字として大々的にアピールするため、必要以上に発行することで発行部数を釣り上げているという噂が以前から出ていました。そのため「ワンピース」の実売部数はどの程度なのか、実際は大量に発行された後で大量に返本されているのではという意見もしばしばみられました。

 ただ先ほど挙げたオリコンの書籍ランキングですが、あちらは実態書籍店舗を対象にした「実売部数」のランキングで、実際に発行されて消費者に売れた部数という意味では出版社発表の発行部数以上に信用のおけるデータです。さすがに「鬼滅の刃」には劣るもののそれでも年間で770万部というのは立派な数字であり十分に誇れる数字ですが、それでもこのデータにも抜け穴があります。具体的に言うと、電子書籍の販売部数は含まれていないように見えるからです。

 オリコンのサイト上では「WEB通販含む」とは書いていますが、電子書籍のカウントについては明言されておらず、きちんと確認しない限りは何とも言えませんが、現状みる限りでは電子書籍の販売部数に関しては除外されている可能性が高いように見えます。
 すでに電子書籍はスマホの普及とともに広く普及していることを考えると、電子書籍販売部数をカウントしないデータは書籍販売においてあまり意味がないと正直思うのですが、日本の出版業界は以前からかなりクローズドで陰気な業界であり、情報公開にも非常に不熱心この上ありません。なので本当の作品全体の売上げというのも、かなり見えづらいところがあります。

 ただ「鬼滅の刃」に関して言うと、電子書籍の発行部数をカウントした場合、さらにとんでもない数字を叩き出す可能性が高いです。というのも最近はあまり見なくなったものの、以前はAmazonの電子書籍(Kindle)販売ランキングをほぼ毎日チェックしており、「鬼滅の刃」は一時期、最新刊のみならず既刊単行本も上位を独占し続けていました、かなり長期にわたって。
 その逆にというか、過去数年間ランキングを見ていて思ったのですが、「ワンピース」はあまりそのランキングで上位に出てこない、出てきてもそこまで長期的に上位に入り続けていないように感じました。無論、「ワンピース」の読者層は小学生らがメインだということを考えるとハードコピー本の販売比重が高いと推測されますが、それを推しても電子書籍の売り上げランキングで「キングダム」など他の人気作品と比べるとやや順位の動き方がそこまで好調そうに見えない気がしていました。

 はっきりとしたデータがないので何とも断言することはできないのですが、私個人としては出版社が発行部数を大々的に喧伝するほど、実際の販売数で「ワンピース」は振るっていないのではという疑念がやはりもたげます。ハードコピー本を含めて。もちろん「ワンピース」が毎回とんでもなく売れるモンスターコンテンツであることに間違いはないものの、実態以上にその売り上げは誇張気味に伝えられている感じは以前からしており、図らずも、どれだけ売れまくっているのかかえってその実態がみれない「鬼滅の刃」というコンテンツが生まれた結果、「ワンピース」の売上げ実態についてはっきりその差が出てきてしまったようにも思えます。

 自動車業界などは業界団体が車種別の販売台数を毎月細かく発表するなどしてデータの透明化に務めています。然るに出版業界は、「返本」という特殊な販売制度があるにもかかわらず、未だに出版社は発行部数でしかデータを出しません。また前述の通り電子書籍という販売方法も普及しているにもかかわらず、こちらもきちんとしたデータを出しません。このままでいるよりかは、もっときちんとデータを出し合った方が業界の発展につながると思うのですが、あと20年は化石みたいな頭して、多分変わることはないでしょう。
 でもってこうした不徹底な情報公開を利用して今後悪さする出版社も出てくるかもしれません。まぁその時くらいに、改革を手掛ければいいのかもしれませんが。

2020年12月31日木曜日

今年書いた記事

 今室温10.1度ですが、外でひとっ走りしてきた後だと妙に暖かく感じます。まぁ13度切った辺りからぼーっとしていると辛いと感じますが。

 さて大晦日ですが年末なのに、というかだからか駆け込みの仕事が多く、今日も午前中まで忙しかったせいであまり年末気分じゃありません。っていうか真面目に休ませろと最近思います。それくらい年末気分がないせいか、なんかこのブログの記事もあまり時期的なものはなく、季節外れな内容がこのところ多かった気がしますが、一応歳末なんで今年書いた記事の寸評みたいなのをまとめます。

 JBpressで書いた記事で言えば、比較的最近の「中国人から見ると日本は時間が止まっているらしい」が一番アクセスが良かったと思います。配信当時にも書いていますが、実験的な意味合いで敢えて手を抜き、マクロな内容をまとめた記事がこれほどまで受けるとはという具合になんか驚きがありました。
 夏の恒例の歴史記事では明末の動乱をまとめましたが、この時代はいつか記事に書いて自分の頭の中をまとめたかったこともあり、その甲斐あって現時点においても歴史の流れと重要人物とかがしっかり入ってて、きちんと記憶化することができた気がします。何気に昨日、かなりの歴史マニアな中国人と会って、「王猛は諸葛亮より上だ」などとかなりディープな話を聞けました。

 個人的に気に入っている記事では「中国で実感、日本の調味料の独自進化は“異常」が挙がってきます。知人にも話しましたがこの内容を記事化するのは恐らく自分だけだと言え、またそこそこアクセスも稼いでおり、技ありな記事であったと自負します。ただ毎度ながら思うこととして、比較的専門とする経済系の記事よりも、こうしたグルメ関連の記事の方がやたら受けることに我ながら戸惑いを覚えます。

 ブログ記事に関しては、世を忍ぶ仮の仕事がリアルにやばくて毎日残業、というか土日も普通に作業して40連勤くらいになってた6月、7月は見事に投稿本数が激減しており、年間投稿本数も最低を更新しました。もっとも、それでもかなり多い気がしますが。
 改めて過去記事の見出し見てると、定期的にプラモ作ったことをアピってて、なんか妙にうざいなとか自分で思いました。あと見出し見て、「ねじピッチ違うじゃねーか( ゚Д゚)ゴルァ!!」の記事は見出しに妙なパワーを感じられ、記事内容も読んでて変な迫真さがあります。なおこの記事で出ている椅子は今も使っていますが、ちょっと選択をミスったと思うのは椅子のカラーで、黒色を選んだのですがこれだと日向に置いとくと夏場は日光をガンガンに吸収してメチャ熱になります。ほっとけば冷めるのですが革にはあまり熱を与えない方がいいということを考えると、この手の椅子、特に窓際に置く場合は白色の方がよさそうです。

 そういうわけで来年へと続きますが、明日はまた朝から自転車で往復100㎞してくる予定です。もう少し時期ズレていれば外気温も上がるのにと少し思います。

2020年12月29日火曜日

石破か河野か

 年末寒波が日本のニュースで話題になっていますが、今上海がちょうど寒波が来つつある頃です。昨日から今日の昼にかけてはこの時期にしては非常に暖かいと感じる天気でしたが、風がものすごい湿気を含んでいて生暖かく、且つ風向きが非常に不安定であったことから、「ああこれヤバイ天気になる」感じがプンプンしていました。案の定というか今日昼過ぎから急激に気温冷え込みだして、この後は布団に潜り込みながらネット見る予定です。
 なお暖房はつけません。それ言ったら上海人の友人に、「中国の石炭節約に協力ありがとう」という妙な皮肉を言われました。

 さてちょっと気が早いかもしれませんが、そろそろ菅総理の次は誰かを検討する頃じゃないかという気がします。はっきり言いますがもはやレームダックもいいところで、本人も何やったところで裏目裏目に出ていることからかなり自信なくしているように見え、むしろ職を投げたしたいとすら思ってんじゃないかと勘繰っています。
 それで次は誰かとなると、意外にここにきて石破茂氏の株が上がってきています。菅総理はそもそも安倍政権でずっと官房長官を務めてきて、現政権は安倍政権の延長だと誰も疑いません。その政権が失敗しているのと、安倍政権に距離を置いてきた石破氏が野党なんかより対立相手として存在感があり、ここにきて反対の立場故に期待感が高まってきている気がします。

 ただ石破氏自身がそもそも自民党内で地盤が弱いのと、本人も年齢からか最近やる気がやや弱まってきているのと、支持がこの後広がり続けるかで確定的とは言えません。ではそのほかの候補となると、比較的年齢が若く、近年は閣僚として存在感を見せるようになった河野太郎氏が対抗馬となるように見えます。本人も総理には恐らくかねてから狙っている節があるのと、石破氏に比べれば前に出ようという気概があるため、恐らく来年の総裁選には確実に出馬してくると見込んでいます。

 一応、前回総裁選に出た岸田文雄氏も候補と言えば候補で、党内からも無難と見られていることから、案外次の総理になる可能性で言えば一番高いかもしれません。ただ宏池会の伝統というべきか、ここぞというところで踏ん張りがきかずガタガタっと崩れやすく、勝負所でミスる癖があるのが目に見えるくらいで、総理になるとしたら自民党内からの妥協としてなるでしょう。逆を言えば、世論の風が大きかった場合は、石破氏が河野氏が来るのではと思います。

2020年12月28日月曜日

非正規雇用限定の解雇一時金案

 自分で書くことをすっかり忘れていましたが、先週にJBpressで出した日本の解雇規制が緩いという話に付随する話ですが、この時の取材、執筆過程で地味におかしくね的に思ったのは、日本だと非正規雇用は解雇されやすい立場なのに対し、解雇時の処遇においても正社員と比べ格段に低い、っていかそんな処遇なんて全くないという事実です。敢えて例えるなら、敵の矢玉の一番前に立たされて戦闘時には真っ先に死ぬ立場であるのに対し、後ろで控えている連中は死んだら戦士手当が出るのに、彼らはそうしたものは一切出ないといった感じです。

 もちろん、私が記事に書いた通りに日本は予告なしのいきなりの解雇時に支払われる即時解雇手当を除いた解雇一時金の支払い義務はなく、正社員であっても会社側は解雇要件さえ満たしていれば何の補償もせずに解雇することができます。ただ大企業などでは正社員の解雇に際して、退職金を余分に支払うなどの補償を行っており、他の中小企業とかでも同様の手法が「解雇時の補償方法」として、義務ではないものの一般化している節があります。

 一方、派遣などの非正規雇用は逆にこうした補償が一切ありません。補償が一切ないから解雇しやすい、そういう立場なのだからという風にも言おうと思えば言えますが、社会全体のことを考えると、契約した就労期間途中ですらスパッと切られる可能性があり、普段から正社員と比べ給与や待遇面で低くつけられていることから、解雇時に生活が不安定になりやすいのはむしろ非正規雇用です。そうした、解雇されて生活が不安定となり、社会不安を招くことを考えたら、何らかの補償を義務付けた方が案外いいんじゃないかと正直思いました。具体的には、非正規雇用に限定して解雇一時金の制度を設けるということです。

 それこそ契約期間中に切る場合は、残りの契約期間全体の給与の半額の支払を企業に義務付けるほか、契約期間が満了したものの本人が同じ職場での勤務続行を望みながら企業側がこれを拒否した場合、契約期間に応じて1~2ヶ月分(1年なら1ヶ月分など)の給与を支払うとか、そういう制度があってもいいような気がします。もちろんこんな制度を作ったら「派遣を雇うメリットがなくなる」とか言っては県雇用が減ると主張する人もいるでしょうが、一応政府も、社会も派遣の正社員化を進めるべきという方針は漠然ながら持っているのですから、それはそれでいいことだと私には思えます。

 繰り返しとなりますが、解雇された際に生活が破綻しやすいのは非正規雇用の方です。一応、非正規雇用でも解雇された場合は失業保険を受給することができますが、受給するまで解雇から1ヶ月間は確認期間があることを考えると、やっぱり1ヶ月分の解雇一時金くらいは持たせた方がいいのでは思います。
 それにしても、つくづく自分は派遣に対して甘いなという気もします。

2020年12月27日日曜日

みんな世界を滅ぼしたいの?


 上の写真は2013年の大晦日くらいに撮影した写真ですが、何故かまた意味なく引っ張り出してきました。個人的にはこのような構図を思いつき、それを実際に実行に移した自分の行動力になんか感嘆を覚えます。

 話は本題に入りますが、クリスマスだからか最近各オンラインストアでやたら割引セールをしているせいで、このところ激しく散財し続けています。もっとも今使わなければ後でもっと高い金額となるわけだから長い目で見ればお得ではあるものの、漫画、ゲームを中心に、なんか中学生っぽいお金の使い方をこのところしています。
 そんな大量購入したゲームの中には、このブログでも以前に散々誉めた「グノーシア」というゲームを作ったプチデポットが、それ以前に作った「メゾン・ド・魔王」が含まれています。先に「R-Typeディメンション」というシューティングゲー(やたらむずい)を遊んでるため「メゾン・ド・魔王」はまだ遊んでいませんが、なんかアパート経営して魔物を養いつつ魔王が世界制覇するという内容だそうです。

 先に遊んだ「グノーシア」自体は、ジナというキャラクターに「はい、喜んで」と言わせるイベント起こすなどまた遊びなおしており、その完成度の高さ故に二度目のプレイでも全く興味は失せず、相変わらず楽しんでいます。基本的にこの会社は非常に丁寧にゲームを作る会社だと思え(「エクスペリエンス」はその逆)、それだけに「メゾン・ド・魔王」も期待しているのですが、このゲームの大まかな内容を見て最初に思ったことは、「魔王となって遊ぶ経営シミュレーションってやたら多くね?」ということでした。

 私自身、この「メゾン・ド・魔王」以外にも魔王となって勇者や王様を打ち倒して悪の帝国を築く系のゲームを過去に何度も遊んでいます。一方、勇者や王様となって魔王の帝国を討ち果たす系のゲームとなると皆目なく、どうしてこの手の経営シミュレーションゲームはみんな魔王になってしまうのか、もしかしてみんな心の中で世界を滅ぼしたいと思ってんじゃないのかとか最近思えてきました。
 まぁこうなる理由は単純に、プレイヤー側を魔王とする方が意外性もあるし、人間側と違って略奪行為などむちゃくちゃなプレイをしやすいってのが理由だと思いますが。

 ちなみに「世界を滅ぼす」ということに関しては、「パチパラ14」というゲームの「パチプロ風雲録」モードにて、ヒロインと夏の縁日に行ってお寺にお参りした際、「ねぇ、何をお願いしたの?」と聞かれ、

→健康でいられるように
  もっとパチンコがうまくなるように
  もっと君と仲良くなるように
  この世界が滅ぶように

 という選択肢が表示され、最後のを選ぶと主人公がわざわざ声付きで、「こんな世界、滅んでしまえと祈ったのさ!」と言ってくれます。ヒロインからは「ど、どうしたの?何か嫌なことでもあったの?」と割とリアルに心配してくれます。っていうかSteamとかでパチパラは再販してほしい。作ってたグランゼーラの最近の作品はやたら評判悪いけど。

 ただまじめな話をすると、ほとんどの人は多かれ少なかれ世界の破滅願望を持っているとは私は思います。具体的には何か嫌なことがあったり、今の状況に不満があったりして、そうした状況からの脱却なり展開なりで「こんな世界、滅んでしまえばいいのに!」的な願望は日常でも頻繁に持つものでしょう。
 私個人としてはそうした破滅願望はむしろ否定するより、「そうしたダークサイドな一面も自分にはある」と素直に受け入れた方が、ストレス管理的にはすごくプラスだと思います。「嘘よそんなの。そんな感情、私にあるわけなんてない!」みたいに悲劇のヒロインっぽい否定したところで無駄に葛藤するだけだし、嫌なことあったらそうした破壊・破滅的考えがよぎるものだと割り切るべきでしょう。まぁ日常的に破滅願望を抱いて口にしてたら、さすがに変な人みたく思われるかもしれませんが。

 かくいう自分も破滅願望は自身の安全や生命を含め非常に高い方です。だから先ほどのパチパラ14のセリフもやたら記憶に乗っているし、「メゾン・ド・魔王」も買っちゃうのでしょう。ただそんな自分でも、最近やたらと周囲から「常に前向き」などと言われるようになり、少し居心地の悪さを感じます。
 敢えて言うなら、自分は前述の通り嫌なことあったら破滅的考えがよぎることを否定しない分だけ切替えが比較的早いことと、悪い状況の時ほど「これに何が加わったらもっと悪くなるのか」と最悪の状況を想定、比較して、それに比べたらまだ今の状況はマシだと自分に思わせつつ、周囲にもそう伝えて落ち着かせるようにしています。そうしたものが割と周囲に評価されているのかもしれません。

 なお1999年の正月に自分は名作RPGの「女神異聞録ペルソナ」を購入して、そこからオカルト方面の知識を得ていきましたが、当初はこのゲームに出てくる「破壊神」について、何故破壊を行う存在が神として崇められるのだろうかと疑問に感じましたが、今だったら自分もカオス勢力に属して破壊神を崇めてると思います。そうなると自分は非秩序・混沌型の人間で、真・女神転生ならガイア教徒なのかなと約22年前を思い出しつつ感じます。