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2021年5月26日水曜日

五輪中止の発信源はどこ?

(社説)夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める(朝日新聞)

 上は朝日の社説ですが、これを見て見出しに掲げたようにどこが発信源なのか強い疑いを持つように至りました。

 東京五輪中止は先週のバッハ会長の発言を契機に急激に広がってきましたが、なんとなくその広がり方が急激すぎるような気がしないでもありませんでした。はっきり言ってしまえば、どこか特定の勢力が明確な意図をもって発信している、というよりメディアに発信を許可しているような印象を覚え、憶測にすぎませんが作為的なものではないかという気がしています。
 そこへきてこの朝日の社説です。こういっちゃなんだけど、割と勝馬に乗ろうとする傾向の強い朝日がこうした社説を出してきたことでその疑いが自分の中で強まりました。仮に私が朝日の人格でこの手の主張をするとしたら、「国民は五輪開催を望んでいない」などと、自分が言い出したのではなく国民がそう言ってるのだから政府は従うべきという風にして致命的な責任は回避する書き方をしてくると思います。なのでやたら押せ押せムードのこの社説は、私からしたら違和感ありありです。

 ではなんで朝日はこんな社説にしたのかというと、やはり何らかの勢力が動いてて五輪中止がほぼ確定的となった背景があるのではないかとこれまた勝手に推察しています。仮にこの私の憶測が正しいとしたら一体どこが五輪中止を流布させているのかという話になりますが、まず真っ先に小池知事率いる東京都は容疑者から外れます。流布させる理由もなければメディアも東京都のいうことなんか聞きません。

 となるとやはり政府中枢ということになりますが、まず大きく分かれるのは与党政治家と官僚のどちらかですが、やはり官僚側がそうしたムードを醸成させているのではないかという疑いが強いです。ただ一部省庁が五輪開催を妨害するように動く動機はいくつかあるものの、単独でやるかと言ったらちょっと怪しいです。可能性としては五輪開催に否定的な複数の省庁、上げるとしたら厚生労働省とか外務省、経済産業省辺りですが、ここら辺になるともう官邸が指示していると見た方がいいかもしれません。
 率直に言って、菅首相を含む内閣中枢が五輪中止を内々で決めて、いきなり中止宣言せずにムード作りに動いているのではないかという風に勝手に見ています。何の根拠もありませんが、ここまで考えた時に一応菅政権なら逃げられるかなとは思いました。

 逃げられるとはどういうことかというと、「悪いのは去年中止を決めなかった安倍政権」みたいな感じで、見通しの甘かった前政権に責任を擦り付ける逃げ方が一応できなくもないという意味です。まぁぶっちゃけ、去年の時点で中止決定していたらどれだけよかったのだろうかという状況を現在呈しているから筋として間違ってない気がしますけど。
 マジな話をすると、例え五輪を開催しても大会中に選手や関係者の中でクラスター発生したらえらいこっちゃです。損害は大きいものの、中止にする方が確かに楽だし損切りとして最終的な比較結果でもマシなのではと私も思ってます。

 結果論ではありますが、本当に2013年に五輪招致なんて成功しなければどれだけよかったのか。この際全部電通のせいにして捌け口がてらあそこを叩いていたいです。

2021年5月25日火曜日

相手に負い目を意識させる価値

 1回間に記事を挟みましたが、この前書いた漫画のブラックラグーンにおける主人公とヒロインの関係に続く記事を書きます。前回の記事で自分は、この漫画の主人公とヒロインの関係はやや特殊で、ヒロインが主人公に贖罪意識を持ってるせいで割とホイホイいうこと聞くと書きましたが、この贖罪意識とは単純に負い目で、あまり言及されることはないけど一般の人間関係において圧倒的な強みを持つ要素だと個人的に考えています。

 贖罪意識こと負い目、または借りといった意識ですが、これは相手に何かを強要する際においてこれ以上ないくらいの心理的プレッシャーを与える要素と言って間違いないでしょう。個人間の信頼関係においては他には愛や友情、男気や恩義などいろいろありますが、例えば愛とかだとその感情が深すぎると他の人との関係で軋轢を生むこともあるし、また対等な関係にも用いられるので意外と関係性の強固さで言えば実は緩い方だと思います。むしろ男気の方が強かったりして。
 一方、恩義もいくらか負い目と被るところありますが、こうした負い目方面の意識を相手に植え付けさせれば、前述の通り強制力において最強のカードとなります。人間、どれだけ傲慢な性格してても、特定個人に対し何らかの負い目を持っているとちょうど脅迫されているような感じで、少なからず無茶な要求されても従ってしまう、また完全に従わないまでも動揺して何らかの協力をしてしまいます。

 一体何故負い目がそこまで人の心を動かしてしまうのかついては自分もあんま研究してないのでわかりませんが、この負い目に着目、というか付け込むという意識を持つと人間関係においてかなり有利に立ち回れることでしょう。むしろあまりにも有利過ぎるが故に犯罪行為に使われていることの方が多く、尼崎事件などはまさにこうした心理に付け込んで多くの家族の乗っ取りに成功しています。

 この尼崎事件ほどではないにしろ、一般人の日常生活においても負い目を意識させるという思考は私自身はある程度持っていた方がいいという風に考えています。具体的には相手に「借りを作ってしまった」と思わせる程度の行為で十分なのですが、例えば何か困難な作業を頼まれて完了した際に、「なんでもなかったですよ」という風に強がるのではなく、「大変だったけど頑張って何とか仕上げたよ」的に言う方が、後々のためにはやはり有利でしょう。極端な場合、簡単な作業であってもめちゃ苦労させられた風に装うのも手かもしれません。
 ただあまりにも苦労アピールし過ぎると、ぶりっ子ちゃん疑惑立つので加減は大事です。

 こうした苦労アピールは初歩の初歩ですが、少し複雑な目線で立つならば、事後に相手に借りを作ってしまったと思わせるという戦術もかなり強力だと考えています。具体例を出すと、その相手のあずかり知らぬところでその相手のためになる活動なり行為を行い、すべて完了し終わった後で、「ああ、あれ俺がやっといたよ」的にさりげなく言うと、結構これが相手に響くことが多い気がします。もっと回りくどい手を使うなら、自分ではなく第三者に「あの人が凄い頑張ってくれたよ」的に言わせるとさらにさらに有効です。
 言うまでもないですが、この際にあまり見返りを求めるのは厳禁です。仮に見返りを求めるとそれが相手にとってその借りに対する補償行為と認識され負い目を感じさせられなくなります。ヤクザもよく使う手段ですが、ヘマした時にすぐにお詫びなりなんなりを一切行わせない、そういう隙すら作らせないというのは相手を追い込む上ではめちゃくちゃ有効だと自分も思います。

 ではこうして相手に負い目を意識させたらどうするか。ぶっちゃけそのまま意識させ続ける、継続することが何よりいいと考えています。少なくとも負い目を持っている相手はこちらとの対立を知らず知らずに回避しようとしがちで抗争に発展し辛くなるし、何かトラブった際に援助を期待することもできます。
 それ以上に、ここぞというところで「鉄砲玉になってくれ」みたいな無茶な要求を通す時に威力を発揮するので、忘れない程度に負い目を時たま意識させることが周囲の人間関係で有利に立つ上で重要な気がします。

 ただこの負い目を意識させる行為を無意識にやっている人、なんとなく女性に多い気がしますが、この手のタイプは相手が負い目をなかなか意識してくれない、または負い目を感じさせる隙がなかったりすると猛烈にその人間に憎悪を向ける、下手すりゃ排除しようとしてくる傾向がある気がします。そうしたことを考えると、何が何でも負い目を意識させようとするとこちらも知らず知らずに敵を作ってしまうことにもなりかねないので、やはりほどほどがいいでしょう。

 さらにその上でいうと、自分が誰かに負い目を感じてしまったらどうするかというのがディフエンス面での議論となってきます。単純な解決手段としては補償行為を行う、つまり相手にお礼なり逆支援したりして、「借りは返した」的な状態に持って行くというお決まりパターンです。自分もそうですが、やはり負い目をどっかで覚えていると単純にその相手に対する判断が物凄く鈍る傾向があり、何が何でも負い目を感じないようにするのもどうかと思いますが、やはり一定のラインを越えたら解消するように動いた方がいい気がします。
 また負い目を感じている相手から、ブラック企業的なかなり無茶な要求が出始めてきたら、その相手との関係をどうするかある程度は真剣に考えた方がいいでしょう。負い目を持っているということからその相手には何らかの借りが過去にあったとは思うものの、それまでの親切な対応から手のひらを反すように苛烈な要求を仕向けてきた場合、確実に負い目を梃子に強制力を及ぼそうとする意識を持っていると判断した方がいいです。そのような相手だとどれだけ補償行為をしても過去の借りを何度も持ち出してくるだろうし、またその要求も苛烈さをどんどん増していく可能性すらあります。

 はっきり言ってしまえば、負い目を過度に利用する相手だとわかった場合は距離を置く、場合によっては関係を断つ決断も必要になってくると思います。自分もこうした考えから、基本的には相手に与える借りが収支でプラスになるよう維持するものの、向こう側にその意識があったら相手の補償行為をなるべく受けるようにしています。あまりにも借りを一方的に作り過ぎると相手に警戒されることはもとより、自分自身がそれを利用する側の人間に変わってしまうのではないかという懸念があり、そうならないよう借りの精算を意図的に行うことでバランスを保つよう意識しています。

 以上を踏まえて言うと、ヒロインに負い目を持たせてあれこれ無茶な要求するブラックラグーンの主人公のロックはジゴロだということになります。まぁヒロインに対しあまり気にすんなとは言ってはいますが、それを推しても平気で鉄火場こと撃ち合いの場面にガンガン放り込むのは結構苛烈な要求である気がする。

2021年5月24日月曜日

阿波踊り記事

阿波踊り恐るべし、座敷牢を抜け出して踊りまくる家老がいた!(JBpress)

 明日配信と聞いてたけどもう出てたのでこちらでも紹介します。

 内容はもう10年も前にこのブログで取り上げた、阿波踊り踊って改易食らった徳島藩の家老の話で、特に付け足すような内容はありません。しいて言えばドラフト提出時の見出しは「阿波踊りでプリズンブレイク」でしたが、さすがにまずかったのか変更されました。

 ただ文章はプリズンブレイクに沿って「セカンドシーズン」など横文字を意図的に多く入れています。個人的に気に入っているのは江戸時代の藩政に対し「コンプライアンス的に」という表現を使ったという点で、こんな言葉を時代劇的な話に入れたのは自分が初めてじゃないかという気がします。

 もう一点だけ付け加えると、阿波踊りは一昨年までその主催や収益配分を巡って内輪揉めが続くなどやや不穏な状態が続いていました。そしたら昨年はコロナで中止となり争っているどころの場合じゃなくなったのですが、今年に関しても開催するという発表はまだ聞かれず、個人的にもかなり心配しています。
 そういう時だからこそ内輪もめなどの争いとは関係なく素直に阿波踊りの歴史とエピソードが楽しめたらいいな、とばかりにこの記事を出そうと思いました。決してネタに苦しんでたわけじゃないです(ヾノ・∀・`)ナイナイ

2021年5月23日日曜日

ブラックラグーンのロックとレヴィの関係

 作者の休止による未完という「ベルセルクショック」の余波でガラスの仮面やヒストリエなど、連載がなかなか進まない作品の完結を懸念する声が各所で広まっていますが、自分がこの方面で真っ先に気になったのは他でもなく「ブラックラグーン」でした。
 2001年に連載を開始してから今や20年経つこの作品ですが、2010年まではコンスタントに連載されていたもののそこで話が一区切りして以降、掲載回数が極端に減り、2009年に9巻が発行された後、10巻は2014年、11巻は2018年の発売と大きく間隔を空けており、作者の広江礼威氏も気にしているようですがかなりの牛歩ペースとなっています。

 どうでいいが「ぎゅうほ」と入力していきなり「牛輔」と出て来たけど、こんな変換使う三国志マニアはそんないないと思う。

 話を戻すと、そんな掲載ペースが遅いながらも完結が懸念される辺りはやはり人気作というべきで、実際こちらのページのようにこれまでの作品展開についてかなり激しく議論されるなど未だその人気に衰えは見られません。私自身も最初に中国行く前に読んでハマっており、時たま古本でまとめ買いした当時のブックオフとか懐かしく感じます。ちなみに当時一緒に買ってたのは「でろでろ」。

 そんなこの作品の主人公は岡島緑郎ことロックで、名前からしてわかる通り日本人です。作品を知らない人向けに説明すると、彼は元は大手商社のサラリーマンで、仕事で重要書類とともにタイ近海を船で航行していたところヒロインらに書類を強奪された上、身代金目的で誘拐されました。その後、彼の勤務先の大手商社は書類自体を「なかったこと」にするため、ヒロインの所属する運び屋グループを主人公もろとも殺害殲滅しようとし、主人公は見殺しに遭います。
 最終的には主人公の機転で殺害に来た武装勢力を撃退し、勤務先もやれやれとばかりに金払って書類を取り戻すのですが、この一件で見切りが付いた主人公はやってきた上司に決別を叩きつけ、そのままヒロインのいる運び屋グループに所属しアウトローへの道を歩むこととなります。

 その主人公をアウトローの道に引き込んだのは前述の通りヒロインのレベッカ・リーことレヴィなのですが、このロックとレヴィの関係がやっぱ特殊だと何故かこの前同僚と話していました。どうして特殊なのかというと、一般的な漫画においてお決まりの恋愛関係ではなく、若干共依存的なものがあるからです。
 ロックとレヴィは作中でも名コンビぶりを発揮しており、主に作戦や方針をロックが立て、腕っぷしで圧倒的なレヴィがそれに応じる形でロシアや香港のガチ怖いマフィアのもめ事を次々と処理していきます。両者ともに相手の力量を認めていることから信頼関係は高く、たまにレヴィがロックの甘さぶりに苦言を呈すことはありますが、基本は無茶な要求であってもロックの頼みならとばかりに何でも引き受けてくれます。

 ただ、レヴィがロックの無茶な頼みを毎回聞く背景には、明らかに贖罪意識が作用していることが作中でも明確に書かれています。どういうことかというと、元々日の当たる世界で生きていたロックを、前述の通り身代金目的で誘拐したのはレヴィで、それがきっかけでロックがアウトローに身を置く羽目となってしまいました。
 レヴィ自身は米国のスラム街で育ったことから元から日の当たらない世界の住人ですが、それだけに日の当たる世界への憧憬が強く、自分は仕方ないにしても元からその世界にいたロックをこちらへ引きずり込んだことに対し、何度も後悔している素振りを見せています。

 そうした後悔もあって、ガチ怖いロシアマフィアの姉さん(声優がガチハマり過ぎ)の仕事でロックと一緒に日本に行った際、レヴィはロックに残してきた家族に顔を出せに行けと後押しします。顔を出しにと言うものの、本音ではそのまま日本に残り自分たちアウトローと袂を分かつよう仕向けたのですが、レヴィの思惑とは逆に、ロックは家の前まで行ったものの家族とは合わずにレヴィの元に帰ってきてしまいます。でもってレヴィに怒られる羽目にも。

 上記のようなレヴィの配慮を受けてきたロックですが、彼自身はむしろみかけ倒しの日本人としての生活よりも、現在のアウトローとしての生活の方が生を実感できるとして実は歓迎しています。ついでに言えば他のマフィアの大物にも「元から悪党向き」だなどと評価されています。
 そのような心境から、ロックの方はむしろレヴィに対してくだらない日常から救い出してくれたという感謝のような気持ちを持っているのですが、前述の通りレヴィは逆にロックに対し申し訳なさを覚えており、若干すれ違った共依存のような関係を持っています。だからといってロックも完全にアウトローに染まり切っているわけではなく、その辺の右左にぶれる姿勢もこの作品の見所ですがその点についてはここでは無視します。

 ロックとしてはレヴィの贖罪意識、そして自分自身への配慮をしっかり気づいており、それだけにレヴィに対しては気にするなと何度も伝えているものの、レヴィの側では未だに割り切れない心境のままとなっています。逆にそうした贖罪意識を捨てきれていないのを見てロックもレヴィに寄り添っている感があり、他の漫画では見られない妙な主人公とヒロインの関係が出来上がっているように見えます。

 この関係ですが、あまりはっきりと言及されたり意識されたりするわけじゃないですが、現実の人間関係においてもかなり重要な一端を担うとかねてから考えています。その辺についてはまた次回で解説しますが、改めて自分はやっぱこのブラクラ好きなんだなと書いてて思います。

2021年5月22日土曜日

松戸の誤った情報

「松戸」在住の40代会社員…賞与減で「ローン破綻」の危機(幻冬舎)

 全く評価していない幻冬舎の記事ですが、やっぱり全く評価できません。というのも冒頭で、

「(松戸は)東京に隣接するという立地から、ベッドタウンとして人気の街です。」

 と書いていますが現実には、

「(松戸は)東京に隣接するという立地なのに、ベッドタウンとして不人気の街です。」

 と書くべきでしょう。

 都内への通勤などにおいて松戸の交通の便の良さは際立っており、また京成線も松戸駅に乗り入れているので羽田、成田空港のどっちに行くにしてもスムーズに移動できます、にもかかわらず不人気極まりなく、確か一昨年辺りの地価下落率とかでも上位は言ってた気がします。

 このほか幻冬舎の記事には「少々ごちゃごちゃした印象の駅周辺ですが」と書かれていますが、少々どころじゃなくカオスの極みと言っていいくらいごちゃごちゃしてます。なお東口の歩道橋下にあるごちゃごちゃしたところに狭いけどおいしい回転寿司屋があります。

 上記記述に続いて「松戸から出る必要はほとんどない」と書かれていますが、これに関しては非常に同意できます。自分が松戸住むでた時の休日は駅前の漫画喫茶行って、ヨーカドーで買い物してで全部用が済み、松戸から移動することはほとんどありませんでした。外食も馴染みのカレー屋と洋食屋が駅前にあり、自宅と駅前の往復くらいしか動く理由がなく自転車に乗る機会も当時減っていました。
 逆を言えばこれがさっきの点にも関わってくるのですが、都内への交通の便は抜群にいい一方、松戸駅前との往復で大抵の用が足りてしまうことから、休日に都内に出る理由がほとんどありませんでした。秋葉原とかに行く機会も、松戸以外に住んでた時の方が多かったくらいだし。この点が、いまいち交通の便の良さが認識し辛いところになっているのではと思う節があります。

 それにしても幻冬舎の記事、創作でしょうが「松戸駅から徒歩30分の一戸建て購入」なんてんな話あるわけねーだろと言いたいです。というのも松戸駅から徒歩30分離れてりゃ必ず東松戸や北松戸などの別の駅が最寄り駅になってくるはず……と言いたいですが、江戸川沿いの国道近くの物件なら徒歩30分で松戸駅が最寄となりうる場所があるかも、っていうかそこくらいしかないということに今気が付きました。この点は疑って(m´・ω・`)m ゴメン…

 もっともそんなところに家買うこの人は結構やばい気がします。あのあたりだと小学校とかはあるけど買い物行く場所が結構離れてるし、もうチョイ駅近くに買えばいいのにと思えてなりません。どうせ松戸だから高くないんだし。
 なお松戸に住むなら、少し利便性が下がるでしょうが一駅ずれた北松戸周辺とかの方がいいと個人的に思います。意外と北松戸周辺も便利、っていうかよくあそこのルートイン泊まるけど、必要潤文にインフラも整ってるし、相撲部屋も近くにあって力士とかたまに見られます。

2021年5月20日木曜日

夏の歴史特集

 リンクは貼りませんが漫画「ベルセルク」の作者の三浦建太郎氏が亡くなったとのことで、予想されていた通りこの作品は未完となりました。連載中の漫画家が逝去することはこれまでにもありましたが、連載中の漫画のインパクトで言えば恐らくこれが史上最大ではないのかと思います。手塚治虫もいくつか未完作品がありましたが、他の晩年の作品ともどもあんま知名度がない気がします。「ルードヴィッヒ」は見たことあるけど。

 話は本題ですがまた今年もJBpressで来月あたりから3週連続の歴史コラムをやる予定で、既に日本からも題材の資料も取り寄せて今急いで読んでる最中です。大まかな構成とインパクトあるポイントはすでに用意してあるので執筆にはそんな困らないと予想していますが、かれこれもう5年くらい毎年夏に同じことやってて、このペースでいけば普通にこの特集記事だけで1冊本ができるなという気がします。
 ぶっちゃけ各題材をわかりやすくまとめている自負があり、そこそこ出来は良いと考えています。唯一、長州閥の連載だけはあんまアクセス取れなくてあの時はもうやめようかとかちょっとよぎりました。

 そもそもこの夏の歴史特集ですが、2017年に忙しくてどうしても記事出せないという時用にため記事として書き始めたのがきっかけです。ある程度書き溜めたところで編集部に「こんなんあるよ(´・ω・)」的に出して、内容は戦国初期の関東でしたが試しに1回載せてみたらかなり反応が良く、そのまま3週連続のコラムとなりました。
 元々、夏のシーズンは別の仕事が忙しくなるのでため記事作っておくと楽ということもあり翌年の2018年も同じように今度は一向一揆を取り上げて書きましたが、これは初めからかなり計算した上でアクセスも相当数稼ぐことを前提に書いただけあって、華々しい成功を収めました。その後の2年間はややネタ切れというか最近あんま勉強してないのと、「誰もが知るけど真相は実は」的な歴史ネタを上手く見つけられなかったため、去年の明末ネタは中国史ネタでありながらそこそこ検討したというものの、2017年や2018年ほどのヒットは飛ばすことはできませんでした。

 逆に今年のネタはまた日本史で行く予定ですが、ちょうど今歴史マニアの間では盛り上がっている話題であり、知名度も抜群であるのと、中国に住んでいるからこそ知りえるある事実を偶然ながら入手したことから、かなりアクセスが期待できると踏んでいます。まぁこう言う風に調子乗ってると大体予想外すのですが。
 それにしても前述の通り偶然から例年の風物詩的な習慣となったのはなかなか奇妙さを覚えます。本音を言えばもっと中国経済ネタで同じようなコラムとかやれればいいのですが、一風堂で熱上がっているのもあり、中国外食チェーンとかまたやってみようかな。

 あと来週火曜の5/25にもまた別の歴史ネタを出しますが、これも結構アクセス期待できます。インパクトだけなら自分の歴史記事の中でもトップクラスだし。

2021年5月19日水曜日

書評:「一風堂」ドラゴンに挑む!

 先日、夏の歴史特集に使う資料が電子書籍でなかったため、日本の親父からハードコピー本を取り寄せて中国に送ってもらうことにしました。その際、以前に取材したラーメン屋「富川」の富川社長から、「 先日、夏の歴史特集に使う資料が電子書籍でなかったため、日本の親父からハードコピー本を取り寄せて中国に送ってもらうことにしました。その際、以前に取材したラーメン屋「富川」の富川社長から、「中国での事業を始める前に一風堂の本を読んだが、あれが一番役に立った」と言われたことを思い出しました。なのでついでとばかりに「この本も」と送ってもらいました。

 
 そうして送ってもらったのが上記リンクの本ですが、内容はラーメンの一風堂の社長が中国、っていうか上海市に進出した時の苦労話をまとめた内容となっています。この本は発行されたのが2007年と既に14年前で、敢えてゲームで例えるならPS3の全盛期にスーパーファミコンのことを語るようになってしまいますが、それでも面白かったので紹介することとします。

 初めに一風堂の中国事業について少し触れると、現在一風堂は上海や北京などの中国の大都市にチェーン店を展開しており、日系ラーメンとしては最初にブレイクした味千ラーメンに並びその代表格として高い認知を得ています。ただ中国で「一風堂」の屋号が使われるようになったのは2012年からで、この本に書かれている進出当初は「享食78」という屋号でラーメン店を運営していました。その理由は何故かというと、材料はスタッフの質の差からいきなり日本の一風堂と同じ味を中国で展開することは不可能だったからと考えたためと書かれてあり、その論で行くならば、2012年になって初めて一定の味の水準をクリアしたと判断したのかもしれません。

 本の内容について触れると、やはり現在と比べると時間が経っていてやや古い情報であるということは否めませんが、富川の社長が言っていたように、中国で起こりがちなトラブル事例は非常によくまとめられていました。具体的には、「試作品のみまともなものを出して取引開始後は質の悪い素材を送ってくる」、「金ざるなどちょっとしたものがない、現地で作らせてもなかなかまともなものを作ってこない」、「それがお前たち上海人の実力かなどとプライドに訴えかけると中国人はやる気だしてくる」など、これらは現代中国にも通用する一般概念です。
 また苦労話の中で目を引いたものとして、麺を練り上げる際に使う「かん水」が中国にはなかったというエピソードは非常に驚きました。中華麺は別の水媒体を使ってるのかもしれませんが日本風のかん水がなく、しかも法律で食品への使用が認められてなかったから「食塩を混ぜて食塩水というk達にして乗り切った」という裏技的攻略法まで書かれていました。

 そのほか個人的に一風堂の河原社長が大した人だと感じさせられるエピソードとして、中国側出資者がどこかからよくわからない女性経営者を引っ張ってきて改革プランを出してきた際、失敗することをわかっていながら丸呑みしたという話も載せられていました。河原社長によると、「分析は鋭いが判断が誤っており相半ば」というプランだったそうですが敢えて丸呑みし、中国側の思うがままにやらせたところ案の定大失敗こいて、その女性経営者も9ヶ月で去ったそうです。
 ただこのおかげで「やっぱ俺のが正しいでしょ( ・´ー・`)」的に一気に経営の主導権を握ったそうで、文字通り肉を切って骨を断つ戦略的判断で成功したことが書かれています。

 こうした中国での苦労話に加え、この本の後半では既に中国に進出済みの日系飲食店の状況や戦略、同じく苦労話がまとめられています。この後半部分を読んで驚いたのは、サイゼリヤ、吉野家、ココイチという、現在も中国事業が比較的成功した日系飲食チェーンが真っ先に取り上げられており、よく2007年の段階でこの三つを選出したもんだと非常に驚きました。でもってサイゼリヤが日系飲食チェーンとしては初めて独資での進出が認められ、当初苦労したけどいきなりやばいくらいの値下げ攻勢かけて生き残ったという私も知らなかったエピソードなどは、古い本だからこそ初めて知れる内容で新鮮でした。

 前述の通りこの本は電子書籍はなく古本でしか手に入らなくなっていますが、その分値段もニトリ以上にお手頃になっているので、興味がある方には是非お勧めします。
 それにしてもこうしたエピソードみるとほんと見方変わるというか、一風堂に対しリスペクトが増しました。