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2021年9月11日土曜日

個人情報収集を巡る米欧の対立

 去年あたりからいろんなサイトで「これこれこういうわけでサイト訪問履歴とか使うけど同意してね」的にOKボタンを押すよう要求するポップアウトが出るようになっているかと思いますが、これは主に欧州のクッキー法(クッキー規制)の影響によるものです。サイト訪問者に対し意図しない個人情報の収集をしてはならないという規制で、主な対象は言うまでもなく米国企業のGAFAどもです。

 一体何故こうした措置を欧州が採ったのか。表向きはプライバシーの保護の観点から個人情報収集に暴走するGAFAを抑えるというのが建前ですが、この考えも無きにしも非ずも、その本質は米国IT大手の独占体制を崩すという経済的目的、また国の安全保障を念頭にした防衛目的の方が本音であるでしょう。
 先日友人にこの概念を少し説明したところ、「雇用も影響するのでは?」という指摘がありましたが、実にもっともな指摘でした。IT産業の場合、自動車産業などと違ってサービス提供先(この場合は欧州)にIT大手はそれほど多くの従業員を雇用していません。なので欧州側からしたらIT大手を叩くだけ叩いても、自動車産業などと違って自国の雇用にはほとんど影響しないこともあり、制裁金とかいくらでも課せられる背景があるでしょう。

 前回の記事で私は、米国と中国はその自国企業のITサービスに関して一見すると鋭く対立しているように見えるが、本質的には同じ目的で動いており実は思想的には全く一緒だと指摘しました。それに対し、上記の通り欧州は米中とは真逆で、企業(バックには国がいる)による個人情報の収集に対し「それはいけない」的に批判的なポジションにあります。そういう意味では、ITサービスの規制に関して秦の対立構図は米国対中国ではなく、米中対欧州ではないかというのが私の見方です。

 それに対し日本については、はっきり言ってこの問題に関しては無頓着です。思想がないと言ってしまえばそれまでですが、中国は信用できないけど米国は信用できるという前提があるため、米系IT企業に個人情報を抜かれまくっても全く気にしません。むしろ進んで抜かれているようにすら見えます。
 一方で中国に対する警戒心は強く、一時話題になった中国系アプリや携帯電話に「個人情報を抜く機器や機能がある!」といった報道には、自分が見ている限りでは一部誇張というか事実にそぐわぬ報道が見られました。まぁ中国は抜いてるだろうけど。

 一見するとこの対立はごく単純で当たり前のように見えますが、地味に現代における主要な思想対立なのではないかという風な気がします。資本主義と共産主義の対立が共産主義の敗北で終わった後(90年代)、資本主義の中でも統制経済派と新古典派の対立が始まり(00年代)、リーマンショックで実質的に親古典派が敗北(どの国も政府財政の拡大、為替介入が一般化=政府の経済的役割の拡大)して以降、自分が考える世界的な思想の対立はまさに上記の米中と欧州の対立じゃないかと思います。
 IT大手規制の何が思想対立なのかとお思いでしょうが、具体的に言えばこれは、個人情報の保護と政府・経済効率のどちらを重視するかの対立じゃないかと見ています。その上で、この思想対立の観点で見るならば、さっきはどっちつかずと書いた日本は明確に欧州側、つまり個人情報保護重視側に立っていることになります。本人は意図せずですが。

 次回はその辺の、個人情報取り扱いを軸にした思想対立について解説します。

2021年9月10日金曜日

GAFAとHATT


 本題と関係ないけどいまのPCの壁紙はこのユーロファイター・タイフーンです。実際プラモも作りましたが、クローズデルタなため搭載できる武装が多く、下から見上げるとすごくいい機体だと思います。日本も欧州と組んで飛行機つくりゃいいのに。

 話は本題ですがよくこのブログでも書きますが、日本人は中国系アプリや製品から個人情報抜かれることを凄い恐れる癖に、米国系アプリや製品から抜かれることには全くもって無抵抗なのはなかなか興味深いです。単純な中国に対する信頼のなさがそうさせているとはいえど、個人情報を抜かれるということがそもそも認識できていない節があるとも見ています。

 言うまでもないですが、フェイスブックなんかは抜いた個人情報を勝手に分析して米国政府に売っているのは暗黙の了解です。日本国内では以前リクルートが個人情報を勝手に分析した上で「内定辞退率」という指標を作って企業に売っていましたが、販売先が分かるやみんな報道をやめたのは素晴らしい日本の連携でしょう。まぁこのリクルートの例が一番わかりやすいのですが、既に米国は加工した個人情報を基に「排除を想定する人間」グループは確実に作っているでしょう。あと要注意団体とかも。

 個人情報を抜く、売り買いするということは上記のように危険性を想定した選別もさることながらもっといろいろ活用方法があるものの、実はこれ、国内の人間にやってもそこまで価値があるとは思っていません。本当に価値があるのはその国にとっての外国人の情報で、やはりどこもこれを欲しがっていると思います。
 そういう意味で、GAFAというのは米国政府がやりたいことを企業が代替してやっているに過ぎないと私は考えています。企業が代替するのは他のサービス提供と同時並行でできるという効率的観点からで、仮に政府が個人情報を収集しようものなら危険人物ほど抵抗することも目に見えます。

 ここで話を戻すというか結論を言うと、やってることは米国の中国も一緒でしょう。米国のGAFAに対し敢えて中国対抗馬を出すとしたらHATT(Huawei、Alibaba、Tencent、TikTok)で、GAFAにしろHATTにしろ、彼ら自身が望んでいるかどうかに係らず各政府は国内外の個人情報収集の出先としての役割を担わせています。逆を言えば、こうした世界的に普及するアプリや製品を供給する出先機関が、外国人を含めた個人情報の収集戦略で非常に重要となるわけで、LINEしかない日本はちょっと心もとない感じがしないでもありません。

 この観点に立っていうと、米国がHuaweiとTikTokを排除したのは経済的問題というより、米国人、特に要人の情報が抜かれるということへの警戒感もあったと、言うまでもないですが言えるでしょう。逆に中国は、GAFAのうちGoogleとFacebookは随分前から排除しており、AmazonもEC方面は外資参入を厳しく制限したかいあってアリババ、京東方という中国系企業の育成に成功しています。中国で大手振って活動しているのは、制限付きではありますがガチでAppleだけです。

 以上を踏まえて何が言いたいのかというと、米国も中国もやってることは実は全く一緒で、他国企業を排斥して自国企業を使って個人情報を収集しているだけで、そこに思想の対立なんていうのは全くないということです。それを踏まえて、次回ではじゃあ何が思想の対立となっているかについてまとめます。

2021年9月8日水曜日

西日本新聞に対する敬意

外野から見た菅義偉首相の不出馬騒動(JBpress)

 例の「菅きゃん」こと菅総理の辞任発表に関する報道について勢古浩爾氏がコメントをまとめた記事を出しています。ここで最初に取り上げられているひろゆき氏の発言を引っ張った中日スポーツに関して、もしこれ書いたのが自分の同僚だったら、間違いなく就職情報誌を買って渡していることでしょう。たとえそれが上司であっても。
 この際はっきり言ってやるが、あのネタで記事を書いたということはジャーナリストとして完全に失格です。生きてても人の足しか引っ張ることしかないから、早くあの記事書いた人は死ぬべきでしょう。


 まぁそんなカス中日のことは放っておいて本題に移ると、たまたまの偶然でしょうが、私が先日のブログ記事で取り上げた上の西日本新聞の記事を勢古氏も引用していました。素直に驚くとともに、私以外にもこの記事を評価する人は思ってた以上に多いのだと思いました。

 勢古氏はこの記事について、ライターの名前を挙げつつ手放しで称賛していますが、私自身も非常に深く同感します。他の大手紙に比べて非常に納得感が得られる内容であるとともに、非常に切迫感を感じさせられる文体で、内容といい文章といい他を圧倒する政治記事で、有象無象の何の事実的根拠のない憶測ばかり飛んだ辞任関連報道の中で、その質の高さで圧倒的な存在感を示していました。
 っていうかほかの大手紙の政治記者らは、一体何やってたんだか。しかも速報を逃したというのはまだ運も絡むけど、翌日になっても箸にも棒にもならない適当な憶測でごまかす記事ばかり出されており、中日の奴みたく死ねとまではいわないけど、いてもいなくてもいいような見事な仕事ぶりであるように見えます。

 話を戻すと、上の記事に限らず西日本新聞に関してはかねてから強い敬意を覚えています。報道内容は独自の取材で組み立てられていることが多く、他のメディアが取り上げていない重要な内容を取り上げることも多いです。また上の記事のように単純に文章の質が良く、新聞らしく格調を強めた(実はこういうのは嫌い)文体であるものの要所をしっかり押さえてあって、内容が読み取りやすいです。
 なお関係ありませんが最近アドベンチャーゲームを遊ぶ際はテキストをじっくり読むのが面倒で、半スキップしながら読み進めています。その結果、速読の訓練になっているのか読み込み速度がかなり高まってきています。

 またまた話を戻すと、私自身は西日本新聞についてかつてはそれほどその存在を意識したことはありませんでしたが、なんか去年あたりからYahooがトップページに引用することが増え、それに伴ってみる機会が増えていき、こんな新聞社があったのかとようやく気づくに至りました。前述の通り、地方紙でありながら全国大手紙に負けない取材と記事内容が際立っており、真面目に優秀な記者を数多く抱えているのではと伺われます。

 その反対に、近年の大手紙の低迷ぶりは目に余ります。私の専門とする国際報道においては言うまでもなく、多分今の私なら私一人で最低でも大手紙の3~5人分の仕事ができると断言できます。っていうかそもそも、現地に支局持ってるくせに現場に取材に行かない国際部記者が多すぎるという気がしてなりません。私なんか先週末も上海市内の処刑場訪れてんのに。
 もっとも国際報道が弱いのは今に始まるわけじゃありません。今回槍玉にあげている政治報道に関しては、少なくともこの5年間を見るだけでも確実にレベルが落ちてきています。森友関連報道でもしょうもない繰り返し内容が多かったですが、菅政権以降も長男の官僚接待を始めスクープは全部文春に持ってかれる始末であり、また政策解説報道も、「ああ書いた奴、絶対内容理解してないな」という事実くらいしかわからないとっ散らかった内容ばかりで、びっくりするほど価値のない政治記事が増えています。ワクチン接種に関しても、私のように何故若者から接種を開始しなかったのかと書いた記事は日本語媒体では一度もみませんでした。

 そういう意味も含めて西日本新聞には今後もぜひ頑張ってもらいたいです。

 それにしても、ネット配信によって新聞、テレビが弱まる一方、なんか雑誌メディアがやや力をつけてきている気がします。現代も前と比べ、特にビジネス系でいい記事がほんとよく出るようになったし。
 その雑誌というか週刊誌で、なんか電車の中づり広告をやめるという報道を前に見ましたが、ある意味今の風潮を暗示しているようにも見えます。

2021年9月7日火曜日

たけしの戦国風雲児

 誰とは言いませんが岸田ってほんとチキンだなと思います。それもファミマで売ってるような。

 話は本題ですが先日、タレントの北野たけし氏がテレビの収録語にヤクザに襲われるリアルアウトレイジ事件が起こりました。この事件に関して当初、直前での番組での政治的発言が刺激したのではないかと指摘されていましたが、後出し孔明的に言えばこの指摘自体がそもそも問題でしょう。というのも近年、政治思想に凝り固まった人ほどむしろ行動力がなく、逆にそういうのに無関心な人の方が行動力を有り余らせています。あんま指摘する人いないけど、こうした行動力の観点から見ると結構見えてくるものがあります。

 それで北野たけし氏についてですが、彼を題材にしたゲームだと伝説のクソゲーと言われる「たけしの挑戦状」ばかりが良く世間に取り上げられますが、地味に自分の中では見出しに掲げた「たけしの戦国風雲児」の方が思い出深いです。

たけしの戦国風雲児(ゲームカタログ)

 このゲームはいわゆるパーティーゲームで、すごろく風のマップで仕官したり、お金を稼いだりなどの特定のゴールを目指してわいわいがやがやするゲームです。特筆すべきは世界観は当時テレビ番組で放映されていた「風雲たけし城」をモチーフとしており、実際に番組内に出てくる川渡りなどのアクションがミニゲームとして登場します。
 今思い返すと結構凝ったゲームで、お金を稼ぎつついい刀を手に入れると戦闘で有利となったり、減った体力を回復するために宿屋行ったり、1回やすみになるかもしれないけど「うんこカレー」のコスパがめちゃ良かったりと、ゲーム中で取りうる行動の幅がめちゃ広かったです。

 一方でこのゲームの主要な目的となる仕官こと大名家への仕官を果たすにはハードルが高く、小学校にも入ってなかった私からすると何をすればいいのかが全く分かりませんでした。なので無駄に友人とミニゲームで競ったり、うんこカレーを食べるばかりでした。それでも楽しかったけど。

 私は以前、ゲームの面白さを形作る要素とは収集、成長、対戦だと指摘しました。わかりやすい例はポケモンで、ポケモンを集めて、育てて、戦わせてというのがさっきの要素を含んでいます。大方のRPGゲームはこの三要素を含めているほか、モンハンなどのアクションゲームでもレアリティのあるアイテムを登場させつつ、プレイヤーの技術向上を促すことでこの要素を取り込んでいます。

 今回改めてたけしの戦国風雲児を思い起こしてみて、もう一つ面白さを感じさせられる要素として、「一つの目的に対する複数の手段」というのがあるように思えてきました。このゲームでは前述の仕官を果たすためには、腕っぷしの強さをアピールするほか、賄賂を渡すなど複数の手段が用意されています。そのためプレイヤーは自分の得意とする方法やゲーム上の状況に応じて行動を変えることができ、この辺がやっぱゲームの一つの面白さなんじゃないかという気がします。

 というのも、よくシナリオが一本道のRPGゲームなどは批判されやすく、実際私も遊んでて面白くないです。逆に、普通に戦うとクソ手ごわいボスが、特殊な装備や戦い方でやると容易に勝てたりするなど、戦い方などに工夫があったりするとやっぱり遊び甲斐があります。
 先ほどの一本道に関しても、フリーシナリオやシナリオ分岐などがあるとやはりこれまた面白く、やはりボスを倒すとかエンディングを迎えるなどのゲーム上の目的に対し複数の手段があり、それを任意に選ぶという行為もまたゲームの醍醐味じゃないかと思います。この辺は「自由度」という指標でよくゲームは評価されますが、どっちかというと「任意性」の方が適切な気がします。

 忍者ゲームの「天誅」や「忍道」なんかはまさにその「任意性」が無限大で、それがユーザーにも評価されたのだと思います。もっとも「忍道」の2が出た後、アクワイアはこうしたゲーム作んなくなっちゃったけど。

2021年9月5日日曜日

何もないと言われる福井県

本当に何も無い県、「福井県」に決定(ぶる速)

 上のまとめ記事は福井に何もないことを言い合う内容ですが、奈良県といい、こういう地方がディスられる記事は読んでて本当に楽しいです。

 福井県については過去に何度か触れていると思いますが、実は前からかなり注目している県であり、奈良市、信楽市に続いて移住しちゃおうかなランキングで上位に入っています。一体なぜ福井に注目しているのかというと、幸福度が毎年全国トップクラスにあるのと、出生率も高めで、いろいろと特殊と思われる要素がてんこ盛りだからです。
 上記要素の背景として自分が睨んでいるのは、元々本願寺のおひざ元なだけあって、浄土真宗の帰依率が高いことが要因じゃないかと見ています。なお以前に福井県で神職をしている方に話を聞いたところ、福井では神道と仏教は仲良くやっているようです。なおその人の乗ってた日産・ティアナは、ロゴ部分がシルバーじゃなく金色になってたのが地味に気になりました。

 話を戻すと、2017年に本願寺に関する記事を書いた後に福井県を訪れています。回ったのは記事にも書いた本願寺と上記の神社のほか、

敦賀鉄道資料館

 上の鉄道資料館にも行ってきました。なんでこんなところに行ったのかというと、同行したソ連人民の敵であるうちの親父が「ここ行きたい(・∀・)」と言い出したせいです。なんでも、親父の新卒時の最初の赴任地が金沢だったこともあり、関西の実家に帰省する際に日本海沿いの鉄道を利用していて、その辺で懐かしさを感じたからだそうです。実際訪れると、「この列車に乗っとったんや!」などと一人ではしゃいでました。
 そんな鉄道資料館の近くには敦賀ムゼウムという、こちらは港湾としての敦賀を紹介する博物館があり、こちらにも行ってきました。ある意味、在りし日の黄金時代を思い起こすような博物館で、日本海に面した国際港として戦前まではアジア屈指の港湾であったことが紹介されてて、この辺はなかなか参考になりました。杉原千畝のビザをもらったユダヤ人の多くも、この敦賀港を経由していたそうです。

 以上を踏まえると、意外と敦賀は見るところも歴史も多くって、決して何もない県ではないと自分は思っています。奈良よりはマシでしょう(´・ω・)

2021年9月4日土曜日

菅、総理辞めるってよ

 まさかこの見出しネタを1週間で2回も使うとは思いませんでしたが、昨日に菅総理が次の総裁選に出馬せず、事実上総理職を辞職することを発表しました。この発表を受けて市場の株価はうなぎのぼりし、「菅ロス」ならぬ「菅ゲイン」的な反応を示しました。恐らく市場としては、不人気な菅総理が続投したまま総選挙となり、自民党の議席が減って政情が不安定になることを嫌っていたため、降りることになって活況を示したのだと思います。

 まずどのタイミングで菅総理が辞職を決意したのかですが、最初は先週に休日を取ったことからこのタイミングかなと思いましたが、その後に二階幹事長の更迭などを発表し、総選挙の日程もにおわせるなどしたことから、やはり発表直前に政権運営の続行が不可能と考えて辞職を決意したのだと思います。では直接のきっかけは何かですが、こちらもやはり総裁選でよもや負ける可能性が出てきたため、負ける前なら勝負しないと踏んだんじゃないでしょうか。

 そういう意味では、間接的に引導を渡したのは岸田氏ということとなります。総裁選に早くから出馬意向を見せ、世論の反応も「菅よりは……」という雰囲気となり、無投票での再選を期待していた菅総理にとっては結構打撃が大きかったのかもしれません。もっとも見ていてそれ以上に影響大きかったと思うのは、菅総理の地元の神奈川県連が「菅総理を応援しない」と断言したことで、自分は当初、こちらが直接的な辞職原因になったのかもと睨みました。

 ただ改めて時系列を追っていくと、やはり二階幹事長の交代を発表した直後から自民党内が揺れ動き、全体的に菅降ろしムードが出始めたことから、幹事長交代発表までは菅総理は続投する気だったのでしょう。しかし二階幹事長は交代をあっさり承認したものの、この辺りから二階幹事長もいろいろ意趣返しを図っていたのかもしれません。
 それらを踏まえて言うと、最終的に引導を渡したのは実は麻生氏じゃないかと自分は見ています。


 一体何故自分がこう思うのかというと、この数日間に麻生氏の動静が不気味なくらい見えなかったからです。二階幹事長、安倍元総理などの党重鎮の動きや発言は細かに出ていたものの、自民受陳の中で麻生氏の動きだけは見えず、なんか妙だと感じていました。そこで出てきたのが上の記事で、この記事の後から麻生氏の動静が今日になってやたら増えてきた感じがします。
 流れとしては、二階幹事長の交代発表→自民党内で動揺→麻生派を含む諸派の突き放し、みたいな流れを経て、菅総理は総裁選で負けて恥晒すよりかは自ら辞職の道を選んだと考えます。

 そもそもこの菅政権ですが、全期間を通して極端に朝令暮改が多かったという印象があります。オリンピックも観客入れるのかどうかで二転三転したし、緊急事態宣言も基準がないから出したり引っ込めたりを繰り返し、ワクチン接種に関しても1週間ごとに言うことがコロコロ変わっていました。
 誰も覚えてないでしょうが、5月の段階で7月には一般接種を始めるとか抜かしてたし。

 思うに、菅総理はどうも長期的な計画を立てて決断や行動することがほぼなかったと思います。毎回ほぼ場当たり的に対症療法で動けば何とかなると思ってた節があり、結果的に先に言った言葉を何度も翻しては気にせず次の案を口にするため、周囲の人間もかなりそれで振り回されたことでしょう。上記の総裁選、総選挙の日程も口に出したパターンだけでもかなり無数にあり、ほんと思い付きでやっているとしか思えません。
 それだけに、今回の突然の辞職発表についても「ああまたね」って感じで意外でも何でもないです。さすがに辞職を翻すことはないでしょうが、じっくり考えた結果というかは「なんか無理そう(´・ω・)」的に判断しての発言で、こう言っては何ですが気づくならもっと早く気づけと言いたいです。

 その上で、まぁ本人も結構追い込まれているのか、どことなく正気を失っているように見えます。そのように思うのも辞職発表の記者会見で「これからはコロナ対策に集中したい」と発言した部分で、在任中で最もミソつけたところになんでまだ関わろうとするのか、っていうか散々失敗してきたんだからもう関わってくれるなと自分は言いたいです。それこそ「次の政権の一助になりたい」くらいでいいのに、この辺の判断もできないほどちょっと感覚がおかしくなっている印象があります。
 この点について、なんかメディアは同じこと誰も言いません。多少傲慢かもしれませんが、この点を誰も突けないものなのかと正直感じます。

2021年9月2日木曜日

池袋暴走事故の判決について

 詳細を書くまでもないですが、2019年に起きた池袋暴走事故の裁判で今日判決が降り、被告の上級国民に執行猶予なしの懲役5年の判決が下りました。この結果について自分の見方は妥当な結果だと感じるとともに、真面目に今回の裁判は一歩間違えれば世の中を変えかねなかったと安堵しています。

 事故詳細については省略しますが、この事件に関しては事故後の方がむしろ本題でしょう。被告は徹頭徹尾に自らの責任を認めず、やれ車が問題だとか記憶がないなどと荒唐無稽な主張で責任を転嫁する発言を繰り返し、遺族らをさらに苦しめ続けていました。あんまり他の人で同じ意見を見ませんが、自分はこれらの被告の態度を見ていてかつての山口県光市における母子殺害事件の犯人を想起させられ、事後の対応でこれほどまで世間の反感を自ら買ったのは真面目にこの二人がトップツーであるとまで思っています。
 それこそ、事故後に殊勝な反省の態度さえ見せていればまだ判決は違い、執行猶予萌えられたのではないかと思います。しかし一貫して無罪を主張する、というか有罪にできるものならやってみろとまで言わんばかりのあの態度で、執行猶予を付けたら悪しき前例を作っていたことでしょう。

 私自身は、世間の感情で有罪か無罪か、厳罰かどうかを空気で決めるようなことはあってはならないと普段から考えています。しかしこの事件に関しては世間の感情が文字通り収まらないレベルにまで達しており、事故直後の警察の歪な対応といい、仮に無罪、または執行猶予がついていたら、日本の司法に対する国民感情は劇的に悪化していたと思います。それこそ上級国民という言葉が、言葉だけの存在ではなく現実にある概念になっていたでしょう。

 その上で処罰程度に関しては、懲役5年が確かに落としどころじゃないかとも思っています。あくまで事実としては殺人ではなく交通事故であり、その不遜な態度は確かに腹立つし私自身も可能ならば死なせたいとすら思うほどですが、その行った行為以上に過度に重い判決を下すこともまた前述のような空気で決めてしまう行為であり、そうした行為は避けるべきだと考えます。あくまで死亡交通事故の枠内で処罰するとしたら、飲酒などの危険運転致死行為でもないため、遺族の方々が不満に感じるのは当然だと思うもののやはり5年程度が落としどころである気がします。

 恐らく控訴すると思われるためこれでこの裁判は終わりというわけではありませんが、悪い奴ほど意外となかなか死なないので、裁判が長引いても案外どうにかなるんじゃないかという妙な期待を持ってみています。