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2021年12月4日土曜日

またコルセア作ってた


 前にもタミヤ製キットで「F4U コルセア」という二次大戦期からしばらく活躍した米軍戦闘機のプラモを作りましたが、その際は翼を折りたためて組み立てられることから、折りたたんだ状態で組み立てました。ただ逆ガル翼という特殊な形状のこのコルセアなだけに、きちんと羽を広げた状態で作ってみたいと前から思っていたことから、今回改めて通常状態のコルセアを組み立てました。


 今回組み立てたのは韓国のアカデミーというメーカーのキットです。ここは以前にもF14とかF4も作っていますが、とにもかくにもデカールなどの絵柄が良く、見栄え良く組み上がる点で高い信頼を置いています。今回も最初はお店に置いてあったタミヤのモスキートを買おうと思っていたのですが、このコルセアのキットがアカデミーのコーナーにあり、しかもプラスチックが初めからネイビーブルーに着色されてあるのを見て、一瞬でこっちに切り替えて買ってきました。


 先に見せた同僚も「塗装したのかと思った」と言わせるほどの色合いで、自分の思った通り非常にいい見栄えのキットになったかと思います。塗装をやらずに素組みで済ませる自分からすると、こうしたプラ本体そのものに着色してくれる配慮はこの上なくありがたく、やはりこの点でアカデミーのセンスは頭抜けていると感じます。


 それで今回のメインイベントですが、以前に組んだ折りたたんだ状態のタミヤのキットと並べてみました。


 やはりどちらも味があり、前回に折りたたんだ状態を選んだことに公開はありません。でもってこうして並べてみると、やはり二つ揃ってなんぼな感じもします。


 組立てに関して言えばアカデミーのキットはパーツ数が少なかったこともありすぐ組み立てられたものの、やや古いキットなのか少し整合性が悪いところがありました。致命的っていうものはないものの、整合性さえ完璧であれば確実にタミヤのキットに全分野で勝ると感じただけにやや惜しいです。



 前に作ったフォッケウルフも気に入っていますが、このコルセアも逆ガル翼という、翼の根本がやや反り上がっている特殊な形状なだけに、それだけで他の戦闘機と比べても見栄えがいいです。特にこのアカデミーのキットはネイビーブルーないろなだけでなく、デカールも少ないながらいい絵柄が選ばれてて、家のどこに置こうかとかなりウキウキしました。

 しかし既に部屋の中は戦闘機と車のプラモでいっぱいで、洗面所はおろか、衣装棚、食器棚の中にすら所狭しと置いている有様で、暫定的に冷蔵庫脇に置いたけど若干納得いっていません。会社に持ってってもいいけど、既に会社にもインプとフェアレディZ置いており、このまま増えるとやばい人に認定される恐れすらあります。
 小さいボックス棚があれば収納が増え、且つその天板にプラモ置けるので、明日当たり探しに行くかもしれません。マジほんと作り過ぎた気がします(´・ω・`) 

2021年12月2日木曜日

岸田内閣の朝令暮改

 冬に備えて保温性高いふわふわもこもこなパジャマ買ったけど、これ来てるとやばいくらいダニにかまれまくってまじやばたにえん。今年夏場はダニ対策効いて久々に綺麗な太腿となっていたのに、いつの間にか再び蜂の巣ハニカム構造な感じで皮膚に穴開けられまくっています。っていうかなんでこの時期に噛まれるのかわかりませんが、気に入ってはいるものの、そろそろこのパジャマもあきらめざるを得ないかもしれません。意識ある状態ではっきり噛まれている感覚するのは辛い(´;ω;`)ウッ…


 さてそれで来世のサザエさんですが、オミクロン株を巡って国際線の発着や予約をどうするかでてんやわんやです。何気に自分の周りでもこの件に関しては注目が集まっており、特に年末年始に2年ぶりくらいに一時帰国しようとしていた同僚なんかも影響受けてそうです。また在中国日本大使館からも一昨日からひっきりなしにこの件でメールが来てて、ブログへのコメントかと思ってうきうきしてメール開けたらハイ残念ってことが多いです。

 今回、自分は特に日本にとこする予定は一切ないため特に影響を受けていませんが、やはり海外駐在員に対する影響をかなり大きいです。それこそ数年ぶりに日本で家族と会おうとしていた人や、急な治療や親類の病気のため帰国しようとしていた人たちのことを考えるとやはり気の毒です。
 ただ日本政府が警戒されているオミクロン株の流入を防ごうとする方針も理解できなくもなく、海外で対症療法が確立するまではこうした発着規制についてもやむなしかと私は考えていました。

 そう思っていた矢先、「航空会社に予約受けんなと言ったように聞こえたかもしれないが、ありゃ嘘だ」とばかりに、あっさりと前言をひっくり返してきました。聞くところによると国土交通省への通知もこの過程で一切なかったらしく、まぁ一言でなんやねんと言いたくなります。

 ただこうした朝令暮改については、岸田内閣ができた時点ではっきり予見できていました。単純に岸田総理自体が優柔不断な性格しているくせに、思い付きですぐ口に出す癖も持ち合わせているため、総裁選においても「森友は再調査する→そんなこと言ったっけ( ^ω^ )」とすぐ手のひら返しムーブを見せてきました。この手のタイプって次々と問題が起こる現場でサクサク処理するのには向いているけど、しっかり方針を決めてそれをしっかり守って達成するような仕事は明らかに向いておらず、この辺の自分の適性を完全に間違えてしまっているようにも見えます。

 先の菅内閣も朝令暮改が非常に激しい内閣でしたが、恐らく今後も岸田内閣は決めたそばから撤回する、翻すことが多くなると予想します。無論、ダメな政策をいつまでも続けるというのは良くないのでダメならダメで撤回するのは決して間違いではないのですが、第一弾を出す前の段階でしっかり検討するというプロセスを怠るため、無意味な政策転換による混乱を今後も引き起こすんじゃないかな。

 ぶっちゃけこのオミクロン株に関して本当にやるべきは、海外からの入国者の徹底的隔離措置であり、それこそ強制的に空港脇のホテルに2週間隔離収容させるなどの措置だと思います。パイロットやアテンダントなどの国際線関係者に関しても、ほぼ空港内で過ごさせるなどの措置が必要でしょう。英国株第1例目なんか確か、無条件で帰宅させたパイロットだったらしいし。

 そういうわけでやけに尻と太腿が痛くなるパジャマズボンは脱ぎ捨て、以前のジャージに履き替えました。脱ぐ前なんか太腿をかいていた手すらかゆくなり始めてたし……。

2021年12月1日水曜日

日本人の宗教アレルギー

 結論から書くと、以前と比べれば大分緩くなったなという気がします。まぁ日本に住んでないで言うのもなんですが。

 日本人は海外でも平気で無宗教と自称(欧州などでは「=社会主義者」ととられることもある)するくらい宗教的色彩が弱い国ですが、1995年に起きたオウム事件、そして割と身近にいっぱいいる創価学会の勧誘や選挙運動などから、そもそも宗教そのものに嫌悪感を持つ人間は確実に少なくありません。大学時代の友人なんか中国よろしく「宗教は心のアヘン」だと言ってきかず、基本的に宗教に対する悪口しか言いませんでした。
 ただその友人、通っている大学がミッション系なのに、「講義で講師が『キリスト教は虐殺を繰り返して信者を増やしていった』と言ってて、やべぇなこの大学と思った(;´・ω・)」という一言も言ったことがあります。神学部もあるのに、実際その学校はフリーダム過ぎる。

 話を戻すとその日本人の宗教アレルギーは間違いなくオウム事件発生直後がピークで、当時流行ったカルト系団体の概念とも結びついて、印象的には木下都議くらい最悪でした。恐らく当時、仏教や神道を除けば何かしらの信仰を持っていた人はその信仰を口に出すのも憚るような思いをしたのではないかと思います。キリスト教にすら結構な警戒感が当時はあった気がしますし、イスラム教に至っては2001年の911によってテロリスト扱いするような風潮もありましたし。

 そうした約20年前と比べると、最近は宗教に対する批判が以前と比べると大分柔らかくなってきた、っていうか減ってきたなという印象を覚えます。イスラム教についてもなんとなくテロリスト団体との同一視は前より減ってきており、この点に関する偏見はなくなってきているように見えます。
 もっとも、そうした偏見を助長してきたのはマスコミであるような気がしますが。

 その一方で、日本人の宗教嫌いを最大化させた元オウムのアレフなどに対する警戒感も、同時に薄れてきているように思います。先日、定期提出が義務付けられている報告書を出さなかったことで公安から提訴されたところ、ようやく出したのでその提訴が取り下げられたというニュースを見ましたが、関連事件の被害者への補償などもあまり行われていないと聞き、やはり依然として私の中では信用のできない団体です。上祐氏の団体についても、うかつには信用できないように感じます。

 私自身は自分では宗教に寛容な方だと自認しており、出身が社会学ということもあって信仰を持ってる人に会うとあれこれその信仰の概念などについて質問することも多いです。一時期はプロテスタントに傾いた時期がありましたが現在は「神は存在しない」という考え方から無宗教であるものの、それはあくまで自分個人の考え方であり、信仰を持つ人を否定したりはしないように意識しています。
 なお神はいないけど、妖怪はいると信じています。

 私自身の考え方で言うと、信仰を持つと思考の幅や範囲が制限される一方、意思判断の基本コンセプトというか芯は確実に補強され、自我の安定や強化面ではプラスの面もあると考えています。そういう意味では自我が弱い、周りにひたすら追従して合わせようとする一般的な日本人にとっては、何かしらの信仰を持つ方が精神バランス的に悪くはない選択じゃないかとも思うのですが、前述の通り日本の宗教アレルギーの活発化に伴い、そうした動きはこれまでついぞ見られませんでした。

 その上で、やはりこういうのは定期的な波があるというか、最初に書いたように宗教アレルギーが和らいできている今だからこそ、またなんかその手の信仰ブームとか広がるのではないかという妙な懸念というか期待みたいなのがあります。イメージ的には戦前の昭和初期における新興宗教ブームみたいな感じで、令和のこの時代になんか新しい信仰とか広がってくるんじゃないかななどと勝手に思っています。

 なんでそう思うのかというと、地味に創価学会が弱体化しているとはっきり感じるからです。平成期にかけてブイブイ言わせた創価学会ですが、近年は従来信者の子息くらいしか新規獲得はなく、日本同様に少子高齢化が進んできていると言われ、某会長の安否などもいろいろ取り沙汰されています。
 そもそも創価学会自体、集団就職で上京してきた人たちが主要な加入者であったことから、時代的な流れを見れば縮小していくのも当然です。先の選挙においても、やはり平成中期の選挙と比べると創価学会の動員力や影響力、特に維新の党と比較した場合で明確に落ちてきていると感じました。

 そうした創価学会の弱体化を受けて、また何か新しめな信仰が流行るんじゃないかなと適当に感じただけです。流行るとしたらどんなものかですが、流行りそうで全然流行らないデジタルの神という概念がありますが、その逆転でアナログな神とか流行ったらの楽しげです。アナログな神ってどんなんなのかですが、ガラケーとかポケベルをご神体にするのかもと思うと、なんか面白そうな宗教な感じがします。
 でもまぁある意味で、デジタル化の波についていけない層を取り込む宗教あったら意外と伸びるかもしれません。メールやパソコンは禁止して、八木アンテナで電波飛ばし合う古い電波系な組織とかあったら加入はせずとも見てみたいです。

2021年11月29日月曜日

鬼束ちひろ容疑者の自称報道について

 具体名は明かせないけど、今月発売されたゲームが楽しくてしょうがない、というより感動して毎夜号泣しています。真面目にドラクエとかFFがかすんで見えるくらいの名作であるように思います。


 それで本題ですが、昨日に救急車蹴って逮捕された鬼束ちひろ容疑者、それとも鬼束メンバー?について、朝日新聞がその職業について「自称シンガー・ソングライター」と書いたことが各所で波紋を呼んでいます。この件について自分は最初、脳科学者(自称?)の茂木健一郎氏が違和感あると述べたことの報道を見て知りましたが、茂木氏の疑問には自分も同感で、誰もが歌手だと認識している鬼束氏についてなんで「自称~」と表現したのだろうと思いました。

 敢えて勝手な推測を述べると、往年と比べて歌手活動が目立たなくなっていたことから、今でも歌手と呼べるのかという点で変に慎重になって「自称」と朝日はつけたんじゃないかと思います。ただかえってこの表現は読者を混乱させる方向にしか働いておらず、はっきり言えば悪手この上ない表現だったと思います。実際に今回、朝日も修正に迫られてもいるわけだし。
 ちなみに自分だったら、どうとでも逃げられるように「シンガーソングライターとして活躍した鬼束ちひろ容疑者」と表現します。これなら過去形にしつつ現況に関してどうとでも取れるようになります。

 そもそもの話、個人の職業や肩書なんてその本人のみならず周囲の人間においても個人の裁量が大きく作用するものだと思え、むしろ自称以外の職業や肩書なんてあんのとすら内心思います。それこそ古いのだと「ハイパーメディアクリエイター」というのもありましたが、これについても「自称ハイパーメディアクリエイター」と書いた記事は過去に見たことありません。
 また複数の肩書がある場合、たとえば橋下徹氏なんかは「弁護士」とも書けるし「元大阪市長」とも書けるし「芸能コメンテーター」とも言えます。けどこれ全部羅列したら「弁護士兼元大阪市長兼芸能コメンテーターの橋下徹氏」になりますが、誰もこんな風に言う人はいないでしょう。でもって上記肩書のどれを使うかは、大きく事実から外れてさえいなければそれこそ紹介する人や記事書く人の裁量で好きに決めるべきであって、こうじゃなきゃダメと限定するのは野暮もいいところでしょう。仮に本人が、「こっちの肩書で紹介してほしい」と普段からアピールしてるなら別ですが。

 もっともそう言いながらですが、この件でちょっと思い出したのは過激な発言で知られる漫画家の平野耕太氏のエピソードでした。平野氏は以前、同じ漫画家(自称)の江川達也氏について、「現在漫画を一切書いてないのにテレビに出て漫画家と名乗っている」と述べて激しく批判していました。
 実際に江川氏は昔は売れっ子漫画家だったけど描かなくなって久しく、にもかかわらずテレビなどのメディアに出る際は漫画家という肩書を使っており、これにはこれで私もいくらか違和感を感じます。漫画家として名乗るには連載を抱えている必要はないとは思うものの、果たしていまの江川氏は立ち位置的に漫画家と名乗るのはどうなのかなというもやもや感は確かにあります。
 なおそういう平野氏は自分の職業について一時期、「江川達也をテレビで見るたびに舌打ちをする係」と名乗ってました。

 なお私は電話取材とかする際には「フリージャーナリストの花園祐です」と名乗りを上げますが、これはこれで実態とは少しずれがあります。実際の私はメディア業とは関係ないサラリーマンだし、生涯のキャリアにおいて正式な記者として活動した期間もわずか2年と極端に短いです。とはいえ取材でいきなり「某社でサラリーマンしている花園祐です」と名乗られたら企業広報もビビるだろうし、取材目的という立場をはっきり示すように敢えて「フリージャーナリスト」などとうそぶいて名乗っています。
 じゃあどんな肩書が自分には適切なのかですが、敢えて言うなら「兼業ライター」あたりが一番いいかもしれませんが、これはこれで名乗っても相手が分からなくなって困りそうです。ほか思いつく辺りで挙げるとしたら、

・歴史コラムニスト
・名ばかり松戸市民
・元品質管理従業員
・サイクリスト
・ハイパー中国記事クリエイター

 こんなのが出てきますが、意外と自分はハイパーメディアクリエイターって肩書気に入ってんだなって気がします。あと散々ネタにしている松戸市については、実は一度も住民票を入れたことがなかったりします。

2021年11月28日日曜日

税金関連の書道とかポスターのきな臭さ

 昨日の日本シリーズ第6戦は見てるだけでもしんどい試合でしたが、実際に戦っている選手たちからすれば本当にきつい試合展開だったんじゃないかなと思います。自分はこのにオンシリーズ、先発ではオリックス、中継ぎではヤクルトに分があるとみていましたが、両チームともに先発投手全員があり得ないくらいの好投をみせており、結果的にその中継ぎの差が最終的なヤクルトの勝利につながったような気がします。
 まぁマクガフ打たれたけど、昨日の試合はリベンジ決めてくれた。


 上の記事ではどうも国税庁かなんかが主催したポスター、書道コンクールに出品された小中学生の作品が展示されていますが、これ自分が以前住んでたマッドシティこと松戸市もやっていました。しかも松戸市、元からやや頭おかしい地域ということもあって、このコンクールで出された書道作品を松戸駅に展示していました。
 その結果、駅中に「青色申告」、「確定申告」、「正しい納税」などと書かれた書道作品がずらりと並び、これ見た知人が「怖い、北朝鮮っぽくない?」と言ってましたが、激しく同感です。

 単純な話、なんでこんな内容を小中学生に書かせるのか意味が分からないです。むしろ税金を実際に支払っている社会人にこそ書かせるべきコンクールでしょう。もっとも社会人に書かせたら、「苦しい納税」、「青色申告(建前)」、「やさしい脱税」などという文字が踊るかもしれませんが。
 少なくとも小中学生に書かせるんだったら、もっとましな標語とかの方がいいと思います。環境問題とか教育問題(いじめなど)、あと差別問題などもっと穏健なテーマがあるっていうのに、税務なんてマジで思想教育にしか見えず、やろうと言い出した奴の気が知れません。

 ちなみにその税務について、私は周りに詳しい人間多いこともあって成人になってからいろいろ勉強しましたが、なんでこういう重要なことを中高の教育で教えないんだろうなと前から思っています。相続税は相続者が多い方が節税しやすいとか、損金算入の構造、基礎控除など、普通に生活する上でも必要な税務知識は教育の現場ではあまり教えられません。というより、意図的に教えていないと断言できます。

 日本は他の国と比べても国民の税務への関心や知識が低いと一部で指摘されていますが、私もそのように考えています。こんなわけわからない税務標語の書道とかやらせる暇あったら、簡単な税務知識くらい中学生の間にしっかり教えろと言いたいです。

2021年11月25日木曜日

左投手は寿命が長い?

 今日ほんとは切れたバナナ買う予定でしたが、帰宅途中でおなかがやや痛くなり、寄り道せずに家に向かって事なきを得ました。こういう時、なんとなく冬山登山してるような気分になります。

 話は本題ですが今年の日本シリーズはめちゃ楽しいです。どの試合も白熱しており、また両チームともに先発がかなり奮闘した上で、打つべき打者が要所でちゃんと打ったりして、テキストでしか負えていませんが見ていてかなり楽しませてもらっています。今やっている試合も、今日はオリックス勝つかなと思ってたらいつの間にかヤクルトの山田選手が3ラン打って同点にまで持ってきてるし(;´・ω・)

 なお素人的な選評をすると、両チームともに主軸打者に対しては徹底的な対策を施しており、どちらの3番、4番もあまり打率は高くありません。特にヤクルト側では、オリックスの三振をほとんどしないことで有名な吉田正尚選手を何度も三振させているあたり、相当研究しているのではと伺えます。
 その分、主軸以下の下位打線の選手の方が打率がやや高く、この点でヤクルトの中村選手がかなり活躍しています。上位打線をお互い封じている分、下位打線と代打が勝敗分けているようにも見えます。

 そんな日本シリーズ第4戦の昨日の試合ですが、カツオことヤクルトの石川選手がアラフォーで勝利を挙げました。今朝は石川選手の熱投を称える記事が数多く出ていましたが、これ読んでて地味に気になった点として、「なんで左投手って寿命長い選手が多いんだ?」ってことでした。
 石川投手は言うまでもなく左投げの投手ですが、その彼と同じく球速は高くないのに何故か勝利を上げ続け長く活躍したことからよく比較されるのは、言うまでもなく元中日のプロラジコンレーサーの山本昌氏です。山本昌氏は日本プロ野球において数々の最年長記録を保有しており、そのご長寿ぶりでは間違いなく日本ナンバーワンの投手ですが、言うまでもなく彼も左投げです。

 そしてその山本昌氏に抜かれるまで投手で多くの最年長記録を持っていたのは、今年で辞めちゃうけどソフトバンクの工藤公康氏で、彼もまた左投げです。このほかソフトバンクだと今も現役の和田投手が、このまま松坂世代のラストワンになるだろうというくらい長年にわたり投げ続けています。


 このようにご長寿投手に左投げが異様に多いことについて検索してみたら、つい先日に同じく左投げで現役時代は一切怪我せずやたら投げ続けた元阪神の下柳氏がまさに同じことを言及していました。まぁ怪我無く投げ続けたけど、スタミナなくて試合後半はJFK任せでしたが。
 また上の記事を見て自分も気が付いたのですが、元中日の岩瀬氏もあれだけ毎年投げ続けながら長く現役生活を続けています。詳しい統計は手元にないですが、一定上の投球回を投げた選手に限定した場合、左投手の寿命は確実に右投手より長い気がします。

 ではなんで左投手はこんな寿命が長いのか。その点について下柳氏は、左投手の方が腕の投げ方が自然体に近くなり故障し辛いためと言及しています。この点はアンダースロー投手についてもよく同じことが言われています。
 また記事にも少し触れられていますが、左投手の方が希少でかつバッターを抑えやすいことから、その点でも長く活躍が続けられる点もあるでしょう。同じ球速、コントロールなら、確実に左投手の方が球団も重宝するでしょうし。

 などと語っていたら9回にオリックスがA・ジョーンズがホームラン打って勝ち越しに成功。ソフトバンクによる巨人の公開処刑だった過去2年の日本シリーズと比べ、本当に今年の日本シリーズは面白いなぁ(∩´∀`)∩

2021年11月24日水曜日

上杉謙信には野心はなかったのか?

 最近こっちのブログの方であんま歴史記事書いてないので、JBpressには出せないような推論、仮説記事を書くとしたら、やっぱ上杉謙信の野心アリアリナシナシ議論だと思います。結論から書けば、彼も天下を取るという野心はあったと自分は見ています。

 上杉謙信に関しては自分が以前に取り上げた元寇のように、この10年くらいで研究が進んできたというかこれまでの評価がかなり変わってきた武将であるという気がします。彼の評価が変わってきた原因としてはやはり、一昨日に出した記事で私も取り上げた、彼の関東地方に対する干渉が以前と比べ知られてきたからでしょう。それ以前はというと、上杉謙信とくればまずは武田信玄との川中島の戦い、そして織田家との手取川の合戦ばかりがクローズアップされ、極端な話、それ以外の面に関してはほぼ無視されていたような節すらあります。

 特に川中島の合戦に関しては、信玄に追いやられてきた村上義清などの武将を受け入れ、彼らの救援要請に応えるようにして武田家と戦っているように見えることから、謙信の「義の武将」というイメージを確立させたように見えます。実際のところは亡命武将の要請に応えたというよりかは、勢力を拡張してきて国境が接することとなった武田家を抑えるという明確な領土保全目的、それと対立する北条家の同盟相手である武田家との二面抗争的な面で川中島の戦いは起きているように見え、義のための戦ではないように自分は見ています。

 その上で、やはり上杉謙信としては、勝ち取っても実りのあまり多くない信濃ではなく、鎌倉時代から一応は武士の聖地でもあった関東を支配、つまり北条家との戦いが主目的であったと思います。大義名分としても自らが匿った関東管領の上杉憲政が致し、また京都の足利幕府とも外交を行っており、そうした権威面での補強をしたうえで関東に攻め込んでいることから、領土拡大意識は明確にあったと言えるでしょう。
 またあまり知られていませんが越中こと石川県方面にもしょっちゅう攻め込んでおり、この点一つとっても領土拡大意識が明確にあったと断言出来ます。ただこちらは一向一揆がめちゃ粘り強く抵抗したことで、謙信の思っていたようには領土を切り取ることはできませんでした。確か織田信長包囲網が出来たことで初めて一向一揆と和解してるし。

 ではなんで、戦国最強と言われながらも上杉謙信は領土を拡張できなかったのか。理由としては大きく二つあり、一つは武田信玄同様に本拠地に恵まれなかったことがあるでしょう。雪深い越後を本拠としていたことから冬の間は完全にオフシーズンとせざるを得ず、かといって夏の間は農作業があってあまり兵を動員できずで、戦闘可能な期間はかなり限定されていたでしょう。
 また領土を拡大しようにも、関東には北条家、信濃には武田家、越中には一向一揆と強敵に三方を囲まれており、広げようにも相手が強くてなかなか広げきれないというところもあったかと思います。この点、織田信長なんかは、朝倉義景という無能がまだ相手だった分、得だったでしょう。

 次に、こっちがメインの問題点でしょうが、やはり本拠地が安定しなかった、というより家臣団の団結や忠誠が弱かったため、謙信自らが自国経営にしっかり取り組まざるを得ず、分業が思ったより捗らなかったところもあるでしょう。

 この辺、上杉家に詳しい人ならわかるでしょうが、上杉家(長尾家)は本家と分家の抗争が結構激しく、家臣団も本家派と分家派で根強く対立していました。実際に謙信が死んだ後の後継者争い(み御館の乱)で上杉家は激しい内部抗争を繰り広げており、また謙信自身も当初家督を継いだ兄から、家臣団の後押しもあったとはいえ、家督を奪う形で当主になっています。粛清とかしていたらまた違ったかもしれませんが、カリスマ性抜群だった謙信が生きていた時代ですら上杉家中はもめ事に事欠かない状態でありました。

 また先日の自分の記事に対するコメントにもたくさん書かれていますが、北条高広を始め、上杉謙信を裏切った武将は実はかなり多くいます。無論、裏切りの背景としてはいろいろあるでしょうが、かなり有力な武将ですら裏切っているものがおり、家臣団、また支配地域の統制面が他家ほど上手くいっていなかったように見えます。謙信に責任があるかという点については議論の余地がありますが。

 このように、外的要因もさることながら内的な問題、現代風に言えば内部統制に不備が多かったことから、野心も実力もあったものの謙信はその領土をそれほど大きく拡大することはできなかったと自分は考えており、その上で「義の武将」というのはやはり間違った見方だと考えています。
 逆に内部統制が優れていたとなると、やはり織田家はあれだけ支配地域を広げ、非血縁関係者である重臣に方面軍を任せたりした点から言ってもかなりの水準にあったと思います。まぁ最後は光秀に裏切られたけど。同様に、謙信とメインで対立していた北条家も関東支配に関しては比較的よく収めており、小田原攻めでも圧倒的不利な状況にありながら最後まで裏切らずに戦い続けた武将も多い点から言って、内部統制に優れていたと考えています。

 このように考えてみると、戦国時代の成功のカギは武力以上に内部統制、如何に配下や親戚を裏切らせずに使えるかにあったのかもしれません。これはこれでまた記事書くネタに使えるかもしれません。