先日に友人と食事した際、「ところでそっちの会社の若手社員はどう?」と尋ねる機会がありました。その質問の答えが見出しに掲げた通り、「ダメ、能力が低い。これだから最近の若い者は」でした。
日本ではとっくに該当する時期は過ぎたもののまだ「ゆとり世代」という言葉が出来そこないな若者を揶揄する言葉として使われていますが、中国でも「80後(1980年代生まれ)」「「90後(1990年代生まれ)」という言葉が長らく使われ、最近は「00後(2000年代生まれ)」という言葉も段々普及してきました。
ちなみに同じような話題で同僚と話してて「やはり90後は世間の評価が低いよね」と女性の同僚に話し振ったら、「あたしだってギリギリ(1990年生まれ)90後なんだけど(#^ω^)」と凄まれました。10年間でひとくくりに世代にするとこういう問題が起こりうる……。
話を戻すと何故若手社員の質について私が聞いたのかというと、私自身が最近入社してくる社員(中国人)の質が明らかに落ちてきていると感じているからです。上がってくる報告書は誤字を含め間違いだらけな上、仕事の段取りが悪くスケジュールがおかしくなったり、上司に確認してもらったと嘘を言ったりと、ほんの数年前と比べても明らかに業務が回される自分の立場からしておかしな仕事の回され方をされることが増えているからです。こうした状況はうちだけなのか、それとも他の会社でもそうなのかという点が気になり、冒頭のような質問をしたわけです。
こうした単純な業務処理能力だけでなく、メンタル面でもやはり往年の世代と比べると劣るとよく聞きます。中国人女性の友人なんか、「あいつらちょっと叱ったらすぐ泣きだしやがる( ゚д゚)、ペッ」とよく洩らします。
ちなみにこの手の「若手は使えない」と主張する人は、中国人だと明らかに女性のが多いです。ぶっちゃけ仕事に対する厳しさで言えば、中国だと男性より女性の方が厳しい姿勢で臨む人が多い気がします。
脱線しまくっていますが上記の通り、中国でも「これだから最近の若者は」現象が日本と同様に起きています。もっとも自分たちの世代も上の世代からは同じように言われていただろうし、古代ローマ時代の文書にも「これだから最近の若者は」って記述があったとのことなので、どの時代でも関係なく起きる現象なのかもしれませんが。
たださっき語ったように、明らかにこの数年で下から上がってくる報告書の質が明確に落ちてきています。こうした報告書の執筆作業は現場に入りたての若手がやる仕事であり、また毎年定期的に作られる報告書なため、比較条件で言えば環境方面は共通しているだけに、その差はやはり能力差であると思っています。仮に私の見立て通りに実際に今の中国の若者がほんの数年前と比べても能力が落ちているとしたら、その原因は何なのかって話になってきます。
冒頭の友人との会話でもまさにこういう話題となり互いに原因をいくつか挙げていったのですが、その中の一つに「一人っ子政策によって兄弟がなく、社会性で劣るからかな?」という意見を私が上げました。そしたら友人は即座に「それはない」と言ってこの意見を否定し、「だって俺たちも一人っ子政策時代でみんな一人っ子だもん(´・ω・`)」と言われました。
若干偏見が入っていますが、日本国内にいた頃は相手が一人っ子だと「こいつわがままやろな(´・ω・)」と内心考え、兄弟が多い奴だと「こいつは安心できる(´・ω・)」などとはっきり考えていました。実際にこの法則は当てはまることが多く、兄弟が多い人だと人当たりも柔らかくて人間関係も安定することが多かったです。
その点、中国は長らく一人っ子政策をやってきたこともあって、私だけでなく多くの人が「わがままな奴が多い」といい、中国人自身も上の世代からはまさにそういわれてきました。そうしたわがままな一人っ子がさらに甘やかされて育てられて能力も落ちているのかなどと考えたのですが、友人の言う通り一人っ子政策は今の中堅世代も当てはまるだけに、近年の若者の能力低下理由にはならないでしょう。
では何が最近の中国の若者の能力を落としているのか。考えられる理由はまだあり、一つは単純に物質的な豊かさが得られ、ハングリー精神が落ちてきていることが挙げられます。これは中国人たちも指摘しており、特に起業意識を持つ若者は一時期と比べると劇的に少なくなっています。
もう一つの仮説理由として、密かに大学進学率の上昇があるのではと見ています。
中国も2000年頃と比べると大学進学率は現在跳ね上がっており、前は本当にごく一部のエリートだけが進学したのに対し、今は頑張ればある程度誰でも進学できるようになりつつあります。しかしそうやって同じ大学を同じ専攻で卒業したとしても、以前と比べると能力が落ちてきていることとなります。
この大学進学率の仮説は日本での状況も意識して出てきた案です。日本も大学生の数や進学率が高まるにつれて若者は能力を失っていったと言われるようになったと思え、大卒者の選別割合が単純に大きく影響しているのではないかと睨んだからです。また学生の数が増えるにつれて教員の指導対応人数割合も拡大し、一人当たりにかける時間の希薄化もあるかもしれません。
まぁ大学教員もある程度は増えていますが。増えた分だけ、教員の質も希薄化されているかもしれませんが。
つまるところ何が言いたいのかというと、大学進学率を高めることはかえって、大卒資格者全体の能力を下げることになる可能性もあるのではということです。こういった主張は私以外も言っている人がおり、大学進学率は一定程度まで到達すると、それ以降は社会全体の効率向上にあまりつながらなくなるという主張だった気がします。
この辺はもう少し煮詰めるともっといろいろ出てきて面白くなるかもという気もしますが、現在進行形で日中で同時に起きている「最近の若者は」現象は、大卒者の人数が拡大されたことによる影響ではないかと今睨んでいます。
もう一つ付け加えると、中国の大学試験の難易度自体は年々上がっており、去年に学習塾営業停止令が出ましたが、受験競争も激しくなっています。日本でもセンター試験などはどんどん難しくなっており、こと大学入学時点の学力で言えば日本も中国も現代の方が過去より上でしょう。
それにもかかわらず社会における能力が低下しているとしたら、やはり教育体制そのものをもっと組み立てなおす必要があるでしょう。そういう意味ではこの日中での若者の同時比較は意外と価値を持つのではないかと思うわけです。