さて最近こういう野球とかプラモの記事ばっかで全然政治に関する記事を書いていませんが、理由としては書けるような政治インシデントが全くないのが本音です。この前の選挙と安倍元総理の襲撃事件はまだ分析のし甲斐があったけど、それ以外は国葬とかあまりにもグダグダで、話題にする気すらあまり起きません。しいて言えば、国葬と統一教会だけでここまで支持率落とすことができる岸田総理は一種の才能だとすら思います。なんていうかわざとドツボにハマる選択肢を的確に選んでいるような。
このブログを始めた当初は、まだ政策とかに関して提言めいた話とか自分の主張をよく載せていましたが、最近だとそういう記事はほとんどありません。理由は上記の通り話題のきっかけになるインシデントが発生しないこともありますが、私自身がもはや日本に対してあまり期待しなくなったというか、無理して日本は良くならなくてもいいよ的な価値観を持つようになったことも影響しています。
既に中国で勤務して長く、また私の場合は日系企業ではどこも持て余し、自分の才能をほとんど活用できず食いつぶされてきたという実感があり、外資系にて初めてまともに活躍できる場を与えてもらったという感覚を持っており、周囲も同じような評価をしてくれています。そういう意味では正直に言って、日本社会そのものにやや嫌悪感を抱いており、たまに書くけど一回死ぬような痛い目見て現実みろ的な思いもなくはないです。
また政策に関しても、派遣社員のマージン率などそこそこ有用な情報を自分でまとめて提供したりしてきましたが、それに対してほぼ無反応というか誰も活用しなかったことなどを振り返ると、どれだけ自分が頑張っても無駄なんだなというあきらめを持つようになってきました。少なくとも、自分の提言やデータを活用できるような層は今の日本にはないし、期待する方がかえって日本人の反感を買うだろうとすら主に至っています。
こうした諸々の事情から政治や社会に関する主張はほとんどやる気が起きず、このところは中国のびっくりドッキリ的な話を紹介することの方が価値があるとすら考えています。まぁ歴史に関してはまだまだ書きますが。
一応、物書きとしてある程度実績つけたし、コラム連載の場ももらえていることから現状に満足感があり、求められるならば自分のできる範囲で物を語りはしますが、積極的に世の中に訴えるようなことはもう今後もやらないと思います。少なくとも、日本で何か変わるきっかけみたいなものがない限りは、合理的に考えてそういうことするだけ無駄でしょう。
このような目で改めて見ると、このままだと日本が大変なことになる、世の中変えなきゃと言っている人ほど、日本の変化を阻害している連中にすら見えてきます。なんでそう見えるのかというと、それらの主張に驚くほど中身が備わっておらず、「改革」とか「危機」という単語ばかりを並べ立てているからです。あるいは昔の自分もその類だったのかもしれず、現在の境地に至ったのはまだ発展があったからかもという風に自分で見ています。