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2022年9月27日火曜日

夷陵の戦いの開戦は必然だった?

 例によって中国史を勉強しなおしていますが、ちょうど三国志のあたりで夷陵の戦いについて興味深い見解が中国で唱えられていることを知りました。

 夷陵の戦いとくれば三国志マニアには説明不要ですが、簡単に経緯を説明します。蜀を得て、漢中で魏軍を撃退して日の出の勢いだった劉備軍団でしたが、呉の裏切りによって荊州を奪われたばかりか、劉備の義弟の関羽も戦死する事態に陥ります。この呉の裏切りに対する雪辱戦として劉備が呉を攻めてたところ、後の陸遜により大敗したのがこの夷陵の戦いです。

 この戦いは諸葛亮をはじめとする幕閣が反対する中、関羽の仇を取りたい劉備の意思で強行されたと言われているのですが、中国で出ている意見の中には実際はそうではなく、蜀としては何としてでも荊州を取り戻さなければならない事情があったとして、劉備の意思以前に戦略的にも不可避な戦いだったとされています。

 具体的にどういうことかというと、諸葛亮が編み出した天下三分の計に則り劉備軍団は蜀こと益州と荊州を得ることに成功しました。そして漢中を奪取すると、劉備は関羽に指示して荊州から魏の領土、具体的には南陽を攻めさせ、一時は優勢であったことから魏の心胆を大きく寒からしめました。
 実はこの一連の流れこそ、天下三分の計の肝ともいうべき戦略でした。何故かというと、益州と荊州の二方面から攻撃を仕掛けることで魏軍を常に分散、疲弊させるというのが、魏攻略における戦略の柱だったからです。つまり劉備が魏を攻略するためには、軍隊を二方面で展開する必要があり、そのために益州と荊州が揃っていなければならないわけです。

 実際、この戦略は見事にはまっていました。先にも書いた通り、漢中では大勝し、荊州でも関羽があまりに勝ち進むことから魏では首都遷都も検討されたほどでした。また魏の立場からすると、距離の離れた二地域から、どちらか手薄なところを常に攻撃してくるとなると気が気でなく、防衛においてはその広大な領土が却って仇となる面があります。

 しかしこの後、こちらも前述の通りに呉が劉備との同盟を破棄して関羽を攻撃し、荊州を奪取することとなります。蜀としては益州側から魏に攻撃することはできるものの、史実の北伐の様に魏側としては防衛ラインを絞ることができ、対策することが出来てしまいます。一応、北伐時には呉も牽制のため魏に攻撃を仕掛けていますがあまり熱意はなく、そもそも漁夫の利が発生することを恐れ真剣に戦うことはありませんでした。実際に出兵してもすぐ撤退することが多く、蜀が魏を倒すためにはやはり自らが二方面で戦線を展開し、連携する必要があったでしょう。

 こうした魏討伐という戦略のためにも、蜀としては何としてでも荊州を呉から奪い返す必要があったというのがここで紹介している意見です。もちろん関羽の弔い合戦という面もあったでしょうが、冷徹な目で見るのなら単純に蜀が生存していくためにも荊州は必要不可欠で、夷陵の戦いの発生は不可避であったと言えます。もっとも呉が同盟復活のために荊州を差し出すと提案してきた際に受け入れていれば、というイフは成り立ちますが。
 逆を言えば、夷陵の戦いに敗北後、益州一つだけでその後も魏と戦い続けられたのは、ひとえに諸葛亮という大天才がいたからであって、実際に諸葛亮が亡くなるや蜀は斜陽の道を歩むこととなっています。そういう意味では彼一人で荊州一つ分の価値がリアルにあったと言えるでしょう。

冷凍焼肉のたれ事件

千葉県松戸市の女児行方不明、情報求めチラシ配り 県警は約120人態勢で捜索を継続(日刊スポーツ)

 このところ報じられている上記の松戸に住む女児の行方不明事件ですが、周辺現場はかなり地元というか、朝早くだと人いないから無駄に高速で自転車に乗りながらカーブを曲がる練習をしていた現場もあり、個人的な興味も手伝って注視しています。早く無事に見つかるといいのですが。

 この事件について今朝、ソ連人民の敵であるうちの親父とチャットを交換した際、親父は子供だからそれほど移動できるとは思わないんだけどといったのに対し、「子供は予測のつかない行動を取るものだ。俺も小1くらいの頃、焼肉のたれを凍らせようとしたことがある」と、妙なことをまた口にしてました。

 この事件について少し解説すると、当時学校で「オリジナルな氷を作ってみようぜ!」的な授業が行われ、自分は無難にビー玉入れた氷を作ったのですが、クラスメートの中にはジュースを凍らせてカラフルな氷を持ってきた奴もおり、「いいなあれ(´・ω・`)」的に思い、帰宅すると自分も作ってみようと思ったわけです。

 早速自宅の中で凍らせるのにいい材料はないかと探したところ、カルピスがあったのでこれを水で薄めてワンブロック入れました。他に何かないか、なるべく色付きだといいんだけどと探したところ、目に入ってきたのが焼肉のたれ(ジャン)で、何の迷いなくワンブロックに注ぎました。
 こうして妙な液体ばかり注いだ氷受けを作ると冷凍庫に放り込んだのですが、結果から言えば焼肉のたれは凍りませんでした。液体っていうかソースなんだから当然と言えば当然ですが、子供の自分は理解できず「なぜ……(;゚Д゚)」的に納得いきませんでした。あとカルピスは凍ったけど、色が元から白いから普通の氷と大差なく、なんかこれも満足感低かったです。

 なお氷受け放り込んだ冷凍庫はしばらく、焼肉のたれのにおいで臭かったです。

2022年9月26日月曜日

ベッドマットレス交換


 上の画像は昨夜撮影した、自分の部屋のベッドマットレスの写真です。見ての通り、縁のところから綿がはみ出る有様で、その他の箇所も使い古していたことからそこそこボロボロになってました。少なくとも自分が入居してからだけでも6年が経過していることもあり、知人によると店子が大家にマットレス交換を申し出るのは中国では珍しくないというので、上の写真とともに大家に「交換してくれるなら半額自分が出すけど」とWeChatで送ったところ、返事はありませんでした。
 まぁ大家はそこそこ年齢が高く、WeChatも若者ほどには細かくチェックしないので、しばらくしたら返事来るだろうと考え、今朝はさほど気にせず会社に行きました。そしたら今日の午前中に大家から、「新しいマットレス買って交換しておいたから(・ω・)ノ」という事後報告が送られてきました。値段聞いたら980元(約2万円)だったので、約束通り490元(約1万円)をすぐまたWeChatで送金しました。

 その後、さほど忙しくなかったので午後は半休を取り、お昼の1時くらいに自宅へ帰って、早速交換されたマットレスを確認しました。その場で大家とも話したところ、昨夜の自分のメッセージを見て今朝寝具屋に行ったところ、ちょうど在庫があってすぐ持ってこれるとのことだったので購入を即決したそうです。こういうところ、中国人って妙に決断と行動が早いと感じます。
 新しいマットレスは既に部屋に運び込まれ、古いマットレスと入れ替わる形でベッドの上に設置されていました。この時、実は心配だったのがベッドわきの床几にあるプラモデルで、でかくで思い(セミダブル)なだけに、設置する際に叩き壊したりしていないかとはらはらしていました。 


 案の定というか、ユーロファイターのカナード(前翼)が折れた状態で、それとなく安置されていました。あとスミスキーも普段座っているのに、なんか寝っ転がってました。ただ被害はこれだけで、前翼もすぐ接着できる程度だからこの程度で済んだだけマシというべきでしょうが。

 なおこの後はまたプラモ屋行って新しいキットを買うと、そのまま極楽湯に行って風呂入って、ニンテンドースイッチで遊んでました。いい年こいてやる行動かと疑いつつも、なんか妙に楽し気な1日でした。

いい漢字

実は外来語だった「反面教師」という言葉、生み出したのは誰もが知るあの人物(JBpress)

 今日いろいろあったせいか今日配信だったという事実をすっかり忘れていたのがこの記事です。

 この記事を書いた頃、先月までも忙しさが一気に止んで気分的にやや高揚気味だったのと、土日共に知人に会うためあんま時間がなく、なんかあまり記事書きたくないなぁ、すぐ終わる記事ないかなぁとサボる気満々な状態でした。
 そんな状態でこのところ呼んでいる「如果歴史是一群猫」という猫歴史漫画を読んでいたところ、記事にも取り上げている「尊王攘夷」の成り立ちというか出典が中国にあったことを知り、ちょうどいいやとばかりに中国発祥だと思われていない漢字をまとめて手早く記事一本仕上げることとしました。書き上げた後、恐らくあまりアクセスは稼げないだろうけど比較文化的にはまぁまぁ面白くはまとめられたかなという気はしました。

 案の定というかJBpress内のランキングを見る限りそこまでアクセスはよくないものの、ヤフコメを見ると割とこっちではかなりガチな外来語議論がされており、我が記事へのコメントながら結構見入ってしまいました。若干年寄りが多い気がしますが、私同様に漢字単語が減って変な横文字が増えていることを憂えている人が多く、この手のコメントを見れただけでも書いた甲斐はあったかなと思えます。
 なおそのコメントの中で、「コンピューター=電脳」という中国語の訳し方の見事さを誉めるコメントがありますが、これは本当に同感です。

 やはり中国で暮らしていることもあるためか、日本人が「こんなのカタカナじゃないと表現無理」っていう単語も中国が漢字に直しているのを見て、日本人は中身より外側を重視して取り込むようになってきているのではという懸念をよく持ちます。ちゃんと考えて選べば漢字で作れそうな単語すら作らないし、また「ひきこもり」を「とじこもり」に言い換えるという妙な言葉遊びまで始めており、真面目に国語教育を国全体で考えるべき時期にあるとすら思っています。

 まぁこう言いながら、漢字の書き取りとかの点数ずっと低かったけど……。

2022年9月25日日曜日

光秀は激怒した

光秀は激怒した。
必ず、かの邪智暴虐の信長様を除かなければならぬと決意した。
光秀には茶道がわからぬ。
光秀は、純朴な戦国武将である。
丹波を平定し、鉄砲を撃ち暮して来た。
けれどもキンカン頭に関することに対しては、人一倍に敏感であった。

 なんかまた突然浮かんできたのでメモっておきます。このシリーズ、作ろうと思えばいくらでも作れるな。

 また関係ないけどダイソーの窓用おそうじシート使ったらびっくりするくらい手軽に窓綺麗になりました。さすがに窓用洗剤使った程にはならなかったけど、濡れ雑巾で前拭きした後に使ったら水滴痕が残らないくらいにはきれいになり、手軽さを相まってかなり満足です(/・ω・)/

パンターG型後期のプラモ


 このところ戦車のプラモばかり作っており、今回もドイツの5号戦車ことパンターG型後期です。


 処す愛はWikipediaを見てもらう方が早いですが、二次大戦中にドイツ軍が生産した中戦車(実質的には重戦車)で、先に登場してこっぴどくやられたソ連のT-34への対抗を主目的として開発された戦車です。


 その特徴はT-34同様に前面に傾斜装甲を置き、またT-34の堅牢な装甲をぶち破るためにかなりでかい砲を備え付けられ、尚且つ一定の機動性こと速力も要求されました。ぶっちゃけ全取り的なコンセプトで作られています。


 なかなか高い要求であったものの開発部は見事にその要求に応え、結果的には量産性を含む総合バランスで二次大戦中でドイツ軍の中では最優秀な戦車という評価を得ています。どちらかといえば戦った相手としてはその宿敵T-34というより、西ヨーロッパ戦線における米軍のシャーマン戦車の方が多かったとされ、両者はよくライバル扱いされています。


 今回作ったのはタミヤのパンターG型後期のキットです。何故かパンターは最初に生産されたタイプがD型と呼ばれ、後半期がG型とややこしい言われ方をしています。中でもこの後期型は実質的に量産された中では最終形態であり(試作ではまだアップグレードあり)、米軍にかなり恐れられた機体だそうです。

 もともと、そうした高い評価もされていることからドイツの戦車の中ではかねてから一番作ってみたい戦車でした。単純な戦闘能力ではティーガー戦車の方が上ですが、量産性とバランス性ではパンターの方が上であると衆目一致しており、そうした器用貧乏というかバランスのいい形態が好きな自分としてはパンターの方が興味ありました。
 そんなわけで作ってみたのですが、正直言って完成時の感動はあまりありませんでした。完成後に頭痛起こして吐き気を催していたのもありますが、出来上がってみると砲塔を含め、全体的に角ばったデザインをしており、最初見た時は「弁当箱」という言葉が浮かびました。米国やソ連の戦車と比べると、ドイツの戦車はどれも生産体制のためかやたら角張っており、なんかこれが自分の戦車観というか趣味と合わない感覚をはっきり覚えました。車だと角張っている方が好きなのですが。

 なお以前に作った4号突撃戦車も最初は同じように四角い形から違和感を覚えましたが、見慣れてくるとかわいく思えるようになり、今の自分の中では「T-34>シャーマン>よんとつ>パンター」という順番ですが、よんとつは今後シャーマンを抜くのではないかという気がします。


 例によって今回のキットには兵士人形もついていたのですが、上の人形には双眼鏡もつけられていたものも、なんかつける気起きなくてパントマイムしてるような格好になりました。


 こちらの人形も本当は戦車の上に載せるのですが、何故か友人からもらった超感じのいい柿の実の陶器の上に載せて、メルヘンな感じを出させています。

2022年9月24日土曜日

自分の職業病

 今日は涼しいながら天気も良く、特に用事もなかったので普段掃除しない細かい隙間なども雑巾で誇りを取っていたのですが、雑巾で何度もこすっている際に何故か違和感があり、掃除を終えた後で手首がやたら痛くなりました。恐らく、手首を返して磨く動作が負担かかったのでしょうが、それ以前に先月あたりずっとパソコンに向かってキーボード叩き続けていたため、手首の筋肉が変な風に固まってしまったのもあるかと思います。
 今回に限らず、先月の激務から左手の親指と人差し指の間もずっと鈍い痛みがあり、最近になってようやく引きました。これは前にも書きましたがキーボードを叩く際に左手親指を常にスペースキーの上に固定する一方、他の指は常にキーボードを叩くという動作が負担となり、筋肉が痛んだのだと思います。マジでここ2ヶ月くらいずっと痛かった

 上記の通り現在の仕事は忙しさにもよりますが、基本キーボードを叩き続けて文章を書く仕事なため、時たまこういう風に妙な職業病を起こします。なおそれくらいキーボードを叩くこともあってしょっちゅうキーボードを壊しては買い換えています。あとノートパソコンであろうが、外付けキーボードを常に使っています。

 一方、記者時代は職業病というわけではありませんが、右手人差し指の関節の片側に常にペンだこができていました。当時、記事は手書きなんてせずに同じくパソコンで書いていましたが、取材時なんかはボールペンで聞いた内容をともかくメモし続けていたこともあり、こうしたペンだこが常にできていました。
 よくドラマとかでペンだこがあるかないかで記者だと見破るシーンがありますが、まさか自分にもこういうペンだこができるとはなどと当時思っていました。そうした記者としての仕事を離れた今、ペンだこはいつしかなくなりすらっとした人差し指に戻っていますが、これを見るたびにあの頃は記者だったんだなぁなどと思い出したりします。