先月辺りから安くなった文庫版の発売に合わせ抜粋記事が出始め、いくらか興味を持ったので「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」の電子版を購入して読みました。結論から言うと凄く面白かったのでマジおすすめです。
ちなみに今のAmazonの商品欄はこうなっていますが、何で安くなった文庫版が出ているのに、電子版は高いままなんだよと意味不明です。自分はDMMで電子書籍版を買いましたがこっちは安く売っていたものの、文庫版は紙書籍が1/20に発売されたのに、3月に入って初めて値段が文庫版に合わせられました。
漫画でもそうでしたが集英社は紙と電子版の同時発売対応が一番遅れていただけに、電子書籍に対しなんか距離感を持っているのかもしれません。
話は本題に戻りますが、この本は2018年にエベレストで滑落死した
栗城史多について書かれた本です。作者の河野啓氏は北海道放送のディレクターで、栗城が2009年に初めてエベレストに挑戦しようとしていた頃に彼に興味を持ち、取材してドキュメンタリー番組を作った人です。
この栗城という人物について知ってる方には早いですが、スポンサーから登山資金を集めるのは非常に上手だった一方、登山技術は明らかに低く、マナスルを途中まで登って登頂したと主張するなど都合よく自分勝手に解釈して物事を進める人物だったことで、非常に毀誉褒貶が激しい人物でした。もっとも、だからこそ人によってその見る人物面が異なり、河野氏もこういう本を書いたのだと思います。
初めに本の感想から書くと、前述の通り非常に面白かったです。もともとノンフィクションが好きだということもありますが、この本は作者の取材対象である栗城との距離感が絶妙ということに尽きます。
前述の通り作者は栗城のエベレスト初挑戦を追って彼に取材するなど深く関わりました。ただその後、栗城がその身勝手さゆえに約束を違えて全国ネットのテレビ局にもドキュメンタリーを撮らせたりしたことから、彼に人物的魅力を感じつつも、その関係を絶っていました。その後、栗城が2018年に滑落死するまで一切関係は持たず、滑落死の報を聞いて「まだやっていたのか」と思ったということも本に書かれています。
ただ作者はやはり思うところがあってか、彼との関わりを当時運営していたブログに書いたそうです。その反響はすさまじく、仕事中もなんかウキウキしてしょうがなかったとブロガーあるあるなことも書いてありましたが、改めて栗城に対する世間の関心の高さを知り、出版社の説得もあったのでしょうがこうして改めて本にまとめることにしたそうです(ブログはすでに閉鎖済み)。
改めて書籍化するにあたり、作者は栗城の生前の関係者に深く取材し、彼の大学時代の先輩や支援者、果てにはシェルパのネパール人や栗城が師事していた占い師にまで接触を果たしています。
その甲斐あって各関係者の栗城評を細かにまとめており、学生時代からエベレスト挑戦、繰り返される失敗時期に関してもその折々の彼の状況が深く描かれています。また作者自身が栗城と直接かかわっていた時期における自身の見方も描かれており、苛立ちを覚えたなどかなり正直に書かれてありました。
この本はこうした、作者自身の栗城評、そして袂を分かってからの第三者からの栗城評をバランスよく織り交ぜられているように感じました。取材も丹念になされており、文章も非常に読みやすく、取材対象との距離の置き方というかノンフィクションとはこのように書くのかと感心させられる出来合いとなっています。
もちろん、栗城という非常に注目を受けるというか行動の怪しい人物を取り上げているということが面白さの核ですが、ほかの栗城に関する評論とかと比べると作者の河野氏の描き方が抜群に優れており、開高健大賞取ったというのも納得させられます。
その上で私個人の感想を言うと、作者は恐らく、栗城のぶれない点、ぶれた点というものを軸にこの本を書いている印象を受けました。ぶれない点とは死ぬまでエベレスト挑戦をし続けたこと、ぶれた点というのはなりふり構わず注目されようとした点で、その線引きがどこなのかということを始終追っかけているように見えます。
実際に栗城評に当たってこの点が最も重要であり、世間やスポンサーの期待でつぶれてしまったのか、はたまた最後の無謀ともいえるエベレスト南西壁挑戦は自殺だったのではなど、この点を見るうえで上記視点を持つことが最も正解に近づく手段だと私も思います。
その上で私自身の栗城評もここに載せると、自分は一度だけ生前に彼の映像を見たことがありました。それは登頂に失敗して指に凍傷を負った後のことで、霊験あらたかな漢方の秘湯だなどと言って怪しげな液体に指を浸し、こうすれば凍傷は治ると言っていた時の映像でした。もちろんそんなオカルトなんてあるわけなく、結局その後に栗城は手の指9本を切断しています。
なおこの時の凍傷は彼が話題作りのためにわざと負ったものではないかと指摘されており、自分もきっとそうだろうとみています。
上記の映像を見た後、率直に言って私は栗城に対し物凄い嫌悪感を感じました。言っている内容も眉唾そのものですし、何より話しているときの笑い方がとにかく気色悪く、厳しい現実に向き合う登山家らしさは欠片も感じませんでした。その後、ネットでマルチビジネスに係わっているなど、詐欺師のような人物だという彼の評判を聞いて深く合点を覚えました。
その後、2018年の滑落死の報を聞いた際は河野氏同様に、「まだやってたのか」と思うと同時に、「まぁこういう人間減ってよかったのかも」という気持ちも覚えました。本にも書かれてありますが、やたらと「夢」という単語を栗城は口にしていたそうですが、夢を語る人間というのは私は基本信用しません。人間ならむしろ現実に向き合えと言いたいし。
そんな私の目から見て栗城はどんな人物かというと、一言で言えば他人に自分が否定されることを極端に嫌う天邪鬼な人間で、常に周りから肯定されないと気が済まなかったんじゃないかと考えています。
本の中でも一度言い出したら絶対にやめようとせず、無茶な登頂計画に周りが止めるも余計に意固地になることが多く、途中からはもう誰も彼に諫言しなくなったことが描かれてあります。無論、換言する人は栗城を気遣って言っているのですが、恐らく栗城からしたら否定されるのが何よりも嫌で、むしろ逆に意固地となって否定された行為にこだわる人物だったように見えます。そもそも登山を始めたきっかけも別れた彼女が登山をしていたからだと言っているあたり、元カノを見返したいところから始まったようにも見えます。
無理だと止められる困難に挑戦すること自体は何も悪いわけではなく、場合によっては崇高な志と言えます。しかし彼の場合はその無茶な計画に周りを散々巻き込んでおり、また自己解釈が非常に見勝手で周りを振り回していた点からして、自分が嫌悪感を持つに相応しい人物であります。そもそも単独無酸素での登頂と謳っておきながら、シェルパらのサポートを仰いだり、果てには撮影していないところで実際には酸素を使用していたりなど、信義に欠けた行為を平気で行える人物なだけに、エベレストで死ななくてもいい死に方はしなかったでしょう。
蛇足かもしれませんが、真剣に山と向き合って登頂を目指す登山家ではなく、ともかく周囲をごまかして登頂したように見せかけようとしていた栗城を応援していたスポンサーらは、もっと人を見る目を養えよと言いたくなります。スポンサーらが彼を死に追いやったとは思いませんが、こうしたパフォーマンスだけの人物がああも大量のお金を集められる辺り、中身のない人物が得をする風潮が強まるように思えるだけに、もっと人を選んで応援してほしいものです。