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2024年2月16日金曜日

そのグルガン族の男は静かに語った……

 いきなりわけわかんない見出しですが、これはファイナルファンタジー3の冒頭でいきなり出てくるモノローグの出だし言葉です。モノローグの内容も背景説明もなく急に「これから何か起こる」的な内容で意味不明ですが、それ以前にこのグルガン族が何なのかについて、一切説明なく急に語りだすもんだから、久々にこれ見て「何が言いたいねんお前」と思いました。
 なおそのググガン族はゲーム中、盲目だが未来が見えるという種族として登場しますが、モノローグで存在感満点で出てきたくせにメインストーリーにはほとんどからまず、変な谷の中にいて、「あの塔に行け」としか言ってきません。なんかとってつけたようなキャラクターでした。

 というわけで昨日、Steamで購入したFF3のピクセルリマスター版をクリアしました。FF3自体はファミコン時代に一度遊んでいますがクリアできず、20年ぶりにやり直した今回のピクセルリマスター版で無事クリアとなりました。色々仕様が変わっていましたが一番印象的だったのは終盤のボスの「まおうザンデ」が、ファミコン版では瞬殺されるザコ的なボスだったのに対し、ピクセルリマスター版では少し強くなっていくらか抵抗を見せるようになっていました。それでもそのあとのボスに比べたらくそ弱いけど。

 あとBGMはファミコン版のオリジナルとアレンジされたバージョンを切り替えることができましたが、アレンジ版は正直聞くに堪えないという印象を持ちました。絶望的にテンポが悪く、音源は良くなってるはずなのになんでと思うくらい残念な出来で、結局オリジナル版でずっとプレイしていました。

 春節の休暇も明日がジ・エンド・オブザデイですが、休み中は買いためていたゲームを消化するのに費やしていた気がします。割と暖かい日が続いていたから何度か自転車で遠出、といっても往復50㎞くらいを走っていましたが、なんかあまり追い立てられることがなく、ぼーっとして過ごしていた気がします。まぁこれから夏にかけてずっと忙しくなり、次余裕ある日常を過ごせるのは秋になってからだから、これでいいんだと思うけど。

2024年2月15日木曜日

精神病はもはや社会問題では?

 昨日の記事に引き続いて精神病関連の話題ですが、昨日書いた通り初診もなかなか受けられないほど今の日本は精神病患者があふれているそうです。私自身も確実に増えていると前々から実感しており、特にコロナ前の2019年ごろが顕著でしたが、朝方の駅中を歩いていると明らかに支店の定まっていない人間が大量に歩いており、言い方悪いですがゾンビが当たり前のようにうろついているように感じ、潜在的に鬱病となっている人は想像以上に日本は多いのではないかとそれ以来考えています。
 もっともそれ以上におかしいのは、明らかに患者数などが増えており、また鬱病予備軍的な人が街中に大量にいるにもかかわらず、メディアを中心に日本社会はその点について目を向けない、認知していないという点です。今回改めて現場の人間に確認を取ったうえで言えば、やはり精神病の患者は増えており、なおかつその潜在実数は計り知れない規模に達している恐れがあるだけに、もはや社会問題としてはっきり認識した方がいいのではないかと考えています。

 仮に潜在的精神病発症率を3%と仮定した場合、100万人の労働者の中には3万人の潜在的精神病発症者がいるということになります。これだけでも結構馬鹿にならない数で、3万人もいたら関ヶ原の合戦ですらひっくりかえせるような人数なだけにその社会的損失は無視できません。逆を言えば、この精神病問題を解決することができれば3万人の労働者をフルパワーで活用することができるだけに、労働力不足が叫ばれる世の中なだけに、大量の資金をかけてでも精神病対策を施す価値があるように思えます。

 具体的な精神病予防というか対策に関しては、昨日の記事にも書いたように単純に日光浴がノーコスト且つ手軽、なおかつ外出機会を増やして消費拡大を促す効果もあると思うので、「幸せなら外歩こ♪」みたいな感じで外出、日光浴を普段から推奨するのがいいように思えます。ぶっちゃけ日光浴をプッシュしても誰も困る人いないんだし。
 なお最近よく「幸せならケツ叩こう♪」という妙な替え歌を上海で口ずさんでいます。

 上記の日光浴のほか精神科医など専門従事者が推奨する案があればどんどんとプッシュしつつ、診療体制、特に相談しやすい体制を作って日本社会全体でもっとこの問題に目を向けるべきでしょう。たばこやアルコールの身体的健康管理も重要でしょうが、この手の精神的健康管理も国家として労働力を確保する上で、今後ますます重要になってくると思います。

 そのうえで敢えて一つクエスチョンを入れると、そもそも何故日本で精神病患者の数が増えているのか、根本的原因を追う上でこの問いは避けられないし、この点をはっきりさせることで予防対策もしっかりしてくることになります。
 単純にかつてはほとんど認知されてこなかった精神病が社会に認知され、潜在的患者が治療を受けるようになって統計上、患者数が増加したという点は間違いないでしょう。ただこの手の顕現化効果を考慮しても、近年の日本の増加ペースを見る限りもっと別の要因があると思います。

 敢えて素人としての意見を述べると、最近ドラマでも話題になっていますが、かつてはパワハラセクハラにならなかった行為が現代ではその手の行為だと指摘されるなど、社会全体でタブーというか規制、条件が増加していて、前ほどその手の社会的制限を気にせずにはいられなくなったことも大きいように思います。交通事故一つとっても自分が子供だった頃は飲酒運転なんて、「捕まったら運が悪かっただけ」みたいな感覚で周りの大人でも当たり前のようにしていました。
 なおあだ名がビンラディンだったうちの親父は昔から酒が飲めず、宴会の後の運転手役は決まって親父だったそうです。

 話を戻すとそうした社会的制限がかつてと比べて増えたことに加えもう一つ、単純にストレスに対して現代人が弱くなっているようにも思います。これは根性がなくなかったとかそういうのではなく、学校教育、社会教育などで上記の飲酒運転をはじめとする公衆ルールを破ることの責任の重さを強く教える一方、直面するストレスに対して緩和、回避する方法を一切教えないというのが地味に効いているのではないかという気がします。
 こうした視点を持つのも自分が中国にいることが大きく、さすがに問題を放置するのはあれですが、「解決できない問題なんていつまでも悩んでるだけ損じゃん(´・ω・)」という感じで、どうしようもない問題を中国人はよく視点から外します。逆に日本人は、自分じゃどうしようもない問題をいつまでも記憶し、視点に入れ続け、自らストレスの種をずっと維持し続けているように思え、この点で言えば中国人みたく早く忘れた方がずっとプラスだと思います。

 また一つの問題を重大に取りすぎることも単純にストレスを高めているように思え、年齢を気にするなど、どうでもいいことをストレスにし続けて自滅している人も中には見ます。この手の抱える必要のないストレスを緩和、回避する方法を日本の教育では一切教えず、むしろそれどころか「もっと相手の気持ちになってみろ」などとばかりに必要以上にストレスを感じさせやすくしており、こうしたものが日本で精神病患者を増やしているのではないかと密かにみています。
 っていうか他人の気持ちを理解しろって、表現者たる私に言わせれば甘ちゃんの発想です。理解してほしければもっと自分から発信しろってのに。日本人は概して、かまってちゃんな癖に発進せず、それとなく気付いてほしいという都合のいい発想をする人が多いです。

2024年2月14日水曜日

精神病対策としての日光浴

 今日の上海は昼間に気温が20度を超えるなど春を超えて初夏のような日となり、連休をゲームばかりして過ごす自分も妖気に誘われて昼食がてら家の周りを数キロ散歩していました。WeChatの歩数表を見たら友人も歩数が増えてたので聞いてみたら、やっぱり同じような理由で散歩していました。
 なお今日は天津も15度に達するなど、中国各地で異常に気温が高かったようです。ところが明日から上海は雨で、気温もまた冬の一般的な水準に戻るとの予報が出ています。

 で話は本題ですが、今日散歩に出かけたのは家でゲームばかり(FF3)し過ぎている懸念もさることながら、友人から聞いた話がちょっと頭に残っており、わざと日に当たるようにして外へ出かけました。その友人とは先月に日本へ行っている最中にあった高校の同級生で、紆余曲折あって今精神科医をしている友人です。
 なお敢えて二つ名をつけるとしたら、「最も精神年齢が幼い精神科医」と呼ぶのがその友人には一番合っている気がします。こう言うと冗談っぽく聞こえるかもしれませんがシャレじゃなくマジで精神年齢が異常に幼いのに精神科医やってる変わった奴で、患者たちもどういう風に接しているのか密かに気になっています。

 話を戻しますがその友人に、いい機会だからと前から気になっていたことを一気に尋ねてみました。まず一つ目としては、現在精神科は患者で溢れており、「私、精神病かも?」と思った人が診断を受けようと尋ねても、初診を予約するまで最低1ヶ月くらいかかるくらいの大渋滞になっているという話を聞いたのでその真偽を尋ねたところ、「よく知ってるね(´・ω・)」という回答でした。
 友人曰く、精神科の数も精神科医の数も年々増えてはいるそうなのですが、それ以上に患者の増加ペースのが早く、診断済みの患者への対応だけでもほぼ手一杯になっているそうです。そのため初診までに時間がかかり、実際診断を受けるころには症状を悪化させてしまっているというケースも見られるそうです。

 次に聞いたこととして、鬱や精神病を発症するまでの過程は諸条件が複雑に絡み合っているとは思うけれども、一番トリガーとなる最大の条件というか最後の決め手になるような要素は何かと尋ねたところ、てっきり少しくらい逡巡するのかなと思っていたら「ストレスだね(´・ω・)」と、一瞬で即答してきました。
 基本的にストレスがなければ精神病にはならないとのことで、精神病を発症する人はそのほかの発症条件もそろった上で、高いストレスを抱えた状態に至ると発症しやすくなるとのことでした。いわれてみれば当たり前のように感じますが、単純にストレスが最大の懸念要因だと言われて自分としては得心した思いがしました。

 続いて、「じゃあ精神病を予防するためにストレスを減らすとして、ストレス軽減には何が一番効果的なんだ(。´・ω・)?」と尋ねたら、こちらもまた一瞬で「日光浴だね(´・ω・)」と即答してきました。

 日光浴に関してはかねてからストレス解消とかメラトニンの生成などは聞いていましたが、本職の精神科医から最大のストレス解消方法として挙がってくるとは思ってこず、意外でした。ただ言われてみるとすごく納得できるというか、自分は学生時代によく自殺の統計などを調べていましたが、基本的に冬は雪に閉ざされる北方の雪国ほど自殺率が明確に高く、逆に太陽カンカンな南国ほど低いという傾向が日本国内はおろか、世界単位でも明確に表れていました。
 この背景理由をを「南国育ち」だからで片づけない場合、やはり日照時間こと太陽に浴びた時間の長さは人の精神に大きく影響するのではないかと前から考えていました。そこへきて上の友人の回答で、自分としても至極納得したというか、精神病を予防するための対策として日光浴というのが単純で重要なのではないかと自分も深く納得したわけです。

 そうしたやり取りもあったため、自分のストレス管理として空が晴れていたら敢えて日光を浴びるよう自分も意識するようになりました。元から鬱気味だったというわけではないのですが実際問題として日焼けを気にせず日光を浴びるのは重要だと思えるだけに、今日のように冬にして珍しいくらい暖かい晴天とあってわざわざ袖まくってまでして日光を浴びるよう心掛けました。

 そのうえで実際に入ったことがあるわけじゃないですが、何となく精神病棟、特に重度の精神病患者が入る病院というのは窓がなく、閉ざされた印象があります。実際はどうだかわかりませんが仮にもしそうだとしたら上記の友人の言葉とは真逆の環境で、日光を一切浴びるどころか見ることすら叶わず、なんか余計に精神病を悪化させてしまうような環境に見えます。
 そういう意味ではその手の精神病棟ほど、鉄格子は必要となるかもしれませんが、日の光を入れる窓が非常に重要になってくるかもしれません。なんかYKK APの宣伝文句みたいですが。

 だったらいっそのこと、360度全面ガラス張りで太陽の光から一切逃れることのできない部屋に入れた方が、精神病患者の症状の改善するかもしれません。ただ実際にそんな部屋を創造したところ、夏場に至ってはむしろ一種の拷問部屋のように見えてきたので、やはりほどほどに窓の大きな部屋にするのが無難かもしれません。

2024年2月13日火曜日

原作改変に寛容だった漫画家

 未だに「セクシー田中さん」作者の自殺事件が尾を引いていますが、この問題でドラマの脚本化は原作維持という指示を聞いていなかったといい、小学館の編集者側は原作を改変しないようテレビ局側に伝えていたいう声明を出しています。脚本家に関しては自分を守るために聞いていなかったと主張している可能性もなくもないのですが、どちらにしろ作者の支持を確実に聞いていて、本来グリップを利かせるべき番組プロデューサーこそがこの問題で最も責任が大きいと言って間違いないでしょう。聞いていなかったは通用しないし、それでいてここまで問題を大きくさせたのだから何か言えばいいのに、いまだに何も言ってこないのはやはりその問題を自覚しているからじゃないかと思います。

 そんな原作改変について、今回は変えてほしくないという要望があらかじめ作者側から出されていましたが、過去には映像化にあたって原作から離れたストーリー展開をすることに寛容だった漫画家もいました。とりあえず思いつくあたりで何人かここでピックアップしようかと思います。

・横山光輝
 日本における「三国志」普及の第一人者である横山光輝ですが、「伊賀の影丸」をはじめ実写映像化された作品も非常に数多くあります。中には「六神合体マーズ」の原作の「マーズ」など、原作から大きく離れた作品もあるのですが、横山光輝は原作を改変することにあまり口を出さなかったと言われ、それがためプロデューサーらもこぞって横山作品の映像化に取り組んだと言われます。
 もっとも横山本人も一部作品の改変ぶりには閉口していたと以前に親類が語っていたのを聞いたことがあります。とはいえ大きく口を出さずに現場に任せ、その結果多くの作品が映像化されたことは事実であり、その点で言ってもやはりこの人は大御所であると感じます。

・永井豪
 そもそも原作なんてあったのかと思うくらい、アニメ版と漫画版で全く展開の違うストーリーが展開されることは永井豪氏の作品において最早お馴染みです。彼の場合、マジンガーZをはじめマンガの連載開始前からアニメ化も同時並行で動き出すというメディアミックスをよく仕掛けており、そのため大まかなキャラクターや舞台背景などは共通するも、それぞれのメディアで各担当者が自由に作品を作り、売れる要素があったらあとから別のメディアも追随するというかなり激しいパラレルぶりを見せています。
 その結果、漫画版では衝撃的な結末で半ば伝説化した「デビルマン」も、アニメ版では勧善懲悪な無難なストーリーでまとまっています。っていうか、漫画版の内容をアニメでやっていたらとんでもないことになっていたでしょう……。
 以前に永井氏の半自伝的漫画の「激マン」を読んだことがありますが、この中でアニメ版の脚本を担当したスタッフらに対する強い信頼感が描かれており、こうした関係があったからこそああしたパラレルな展開ができたのだと思います。中でも辻真先氏は、デビルマンの打ち合わせをしながら別作品の脚本を同時に書いていたというエピソードはかなり強烈だったというか、こんな凄いスタッフがいたのならそりゃ任せられるなと納得させられました。

・諫山創
 ご存じ「進撃の巨人」の作者ですが、原作改変に寛容だったというより原作を改変するよう脚本家に要求していたというぶっ飛んだエピソードがよく語られています。「進撃の巨人」の実写映画化にあたってはかねてからファンであった映画評論家の町山智浩氏を自ら指名し、できた映画の評価は非常に低かったものの作者自身は大満足だったという、まさに作者自身が喜ぶために映画が作られたような展開でした。
 中でも本当かどうかわからないけど脚本を書くことを町山氏が当初断ったところ、

「うれしいです。これでまた町山さんを説得するために会いに来れるのだから……」

 という、若干質の悪いストーカーじみた発言を諌山氏はしていたという話を聞きます。まぁそれだけ慕っていた人間に自分が原作の映画作ってもらったんだったらうれしいに決まってるだろうなぁ。

 最後に、今回の原作改変についていろいろ議論が続いていますが、やはり業界内でガイドラインかなんかは作るべきだと思います。その際に自分から提言したいこととして、原作者が死去した後の原作改変についてどのように扱うべきなのかも決めておいた方がいいでしょう。
 生前に原作者が大きな改変を望まないとはっきり言明していた作品に関しては映像化を控えるなど、こうした制限がないと最近ホラー映画とか作られている熊のプーさんのように、作品の尊厳を踏みにじろうとする輩が後年に出てくると思います。そうした改変の幅などに関して、著作権法と絡めつつ議論するなら今であるような気がします。

 なおこの手の議論で一番最初に思い当たったのが、水木しげるの不朽の名作こと「ゲゲゲの鬼太郎」です。この鬼太郎の、作者の死後に制作された第六期アニメでは猫娘がこれまでのデザインから大きく一新され、頭身の高い美少女キャラクターとして描かれたのですが、このデザインについて放映前にいくらか議論となっていました。
 「いくら何でも改変し過ぎ」、「こんなの猫娘じゃない」、「かわいいからこれでいい」といったいろんな意見が飛び交う中、

「いや、水木先生なら『売れりゃそれでいいんです』と言うはずだ」

 というコメントがあり、このコメントを見て私も「我が意を得たり!」という気持ちがしました。どこの誰かは知らないけど、水木しげるの気持ちをかなり理解している人のコメントだと心底思ったし、こうした作者の気持ちというか方針にぶれない改変だったらやっぱアリだなと当時思いました。

2024年2月11日日曜日

中国でツケを払うのはどこか?

 今日は午後からタミヤの370Z(Z34型フェアレディZ)のプラモを作っていましたが、フロントがボンネットとバンパーで分割されており、ボディへのはめ込み時に一番テンションのかかる部分が接合部なため容易に接着箇所が割れるというキットで、作っててずっとストレスためました。デカールも大きめのサイズなのにやばいくらい破れやすいし、インレットシールも経年劣化かもしれませんが異常にはがれやすく、これまで一度も失敗したことがないのに今回は何枚も貼り損ねました。
 ひとつ前のZ33型フェアレディZのキットは車のキットとしては過去最高なくらいに楽しかったし出来合いもよかっただけに、この370Zのキットに関しては強い失望を感じます。っていうかフロントライトのカバーガラス埋め込みって、何考えてこんな仕様にした?

 話は本題ですが前回の記事で自分は、中国の文字通りなバブル崩壊は2020年8月に始まったとしたうえで、現在はいまだに崩壊を認識できず、傷口を広げている段階だと指摘しました。崩壊はすでに始まっており抜本的立て直しが必要だと気付くのは恐らく早くて来年だと私は見込んでいますが、その際に議論となるのは、一体誰が不動産バブルのツケというか不良債権の損失を負担するのかということです。

 日本のバブル崩壊時は主に住専問題で議論され、最終的には住宅金融専門会社の母体行である銀行が主に損失を負担しました。この際、銀行に損失を負担させるにあたって短期的なショックがでかいとして税金から公的資金が注入されたものの、北海道拓殖銀行をはじめ一部銀行は破綻し、また現在の3メガバンク体制に至るその後の銀行業界の大再編にもつながりました。

 当然、中国でも不動産バブルのツケを払うと言ったら、不動産会社に融資を行ってきた銀行が真っ先にやり玉としてあがるでしょう。ただ仮に銀行が主にツケを払うこととなった場合、日本のようにはいかないことはほぼ確実だと思います。何故かというと中国の銀行はアリペイやWeChatペイなどIT系決済企業によって多くの金融関連業務を奪われており、金融決済の手数料収入がかつての日本と比べると極端に細くなっているからです。融資業務に関しては不景気なので言うに及ばずです。
 なおかつ、すでに現時点で中国の銀行の多くは体力を奪われており、多くの銀行で給料カットやリストラが激しく行われていると言われています。中国4大国立銀行の中国銀行、中国建設銀行、中国農業銀行、中国工商銀行ならまだマシかもしれませんが、地方銀行や都市銀のレベルでツケを払うこととなった場合、破綻する銀行も確実に出てくると予想され、その場合大規模な取り付け騒ぎも発生することになるでしょう。また銀行だけが負担するという構図が、そのまま認められるかも怪しいです。というのも中国の不動産開発資金は銀行だけではなく、地方政府もリソースとなっているからです。

 日本の感覚からすると理解しがたいですが、中国の地方政府は集めた税金をそのまま財テクに利用しており、普通にデベロッパーに出資したり、場合によっては自らが主体となってマンションとかビルを建てたりしています。税金を原資に不動産開発を行っており、実際地方政府(自治体)が建てたホテルとかもざらにあります。でもって採算が取れなくなったり、建設途中で放棄された不動産とかもこの中にあります。

 こうした地方政府が開発して不良債権となった不動産(資産)はどうするのか。普通に考えれば地方政府がその損失を負担すべきでしょうが、中国の地方政府はここ数年のコロナ対策(検査費、都市封鎖費用)などで財政がすっからかんで、公務員ですら給料の遅配が起こっている状態であり、とても損失を負担できる状態にありません。
 またこうした地方政府の不動産開発には結構というか当たり前に汚職も盛りだくさんなため、表立っての処理を嫌って隠そうとすることから、不良債権化がますます進む恐れもあります。場合によっては、責任を銀行に擦り付けてくることも十分ありうるでしょう。

 このように考えると、バブル崩壊、不良債権を認識したところでそのツケを支払う宛てと原資が、過去の日本以上に中国はないように思えます。分担するにしても銀行、地方政府ともにかなりお手上げな状態であり、国庫が直接負担するにしても、かつての日本は約6兆円だったのに対し、今の中国の不良債権は100兆円を超すと言われていることを踏まえると、文字通り国が傾く規模の金額です。

 順当に行くのであれば、国立銀行ともいうべき中国4大銀行に中国政府が公的資金を注入し、不良債権を引き取らせて処理させるのが最も確実かつ順当な処理法だと思います。ダメージはもちろん大きいですが、地方政府や地銀に負担させるよりは、この方法が最も混乱が小さいように思えます。
 ただこのやり方でも果たして処理しきれるかと言ったら、正直未知数です。また不良債権から免れても、融資の道が閉ざされた地銀がその後も経営を維持できるかと言ったら疑問な点もあり、端的に言えば今は不動産業界で騒いでいますが、数年後は金融業界が混乱の中心になってくるのではないかと予想しています。

 どちらにしろやるなら早い方がいいので、中国政府には早い決断をしてもらいたいものです。決断をしてから最低3年間はかつてないほどの不況に見舞われるでしょうが、対応が遅れれば遅れるほどこの期間は長期化するとみられるだけに、やるなら今でしょと言ってあげたいです。
 唯一、この状況を脱出する方法があるとしたら、自分が考え得る限りで思いつくのは墾田永年私財法じゃないかと思っています。まぁさすがに無理だろうけど。

2024年2月10日土曜日

中国のバブル崩壊はいつ始まったのか?

 春節連休1日目の今日は家で昼寝して過ごそうとしたところ、なんかあんま睡眠の質よく眠れず中途半端な過ごし方となりました。明日から本気出す(´・ω・)

 話は本題ですが絶賛大不況な中国の現況について、これまで「中国のバブルは今すぐはじける、間違いない!」などと過去に話していた人達は今回、あまりこの手の「バブル崩壊」という単語をいつもより使ってない気がします。使わない理由としては彼らが過去に何度も吹聴してはその後も中国経済が成長し続けたため狼少年ケンみたいに扱われたことが何より大きいでしょうが、日本の報道を見る限りだと今の中国の不況感を現場で感じていない、というより中国現地を直接見聞きしていなくて実感を感じていないせいじゃないかと思います。ただはっきり言うと、これま中国バブル崩壊否定論者でしたが、中国のバブルはとっくに崩壊していると言い切っていいでしょう。

 ではここでクエスチョンですが、中国のバブル、具体的には不動産バブルはいつ崩壊したのか。結論から言えば2020年8月、「三つのレッドライン(三道紅線)」が出された時期と断定してもはやいいのではないかと思います。

 この「三つのレッドライン」とは、加熱、高騰化し続ける不動産市場を鎮静化、というより住宅価格を抑えることを主な目的に出された規制策で、大まかな内容としては不動産企業の現金保有高、自己資本比率などに基準を設け、この基準を上回った場合は直ちに新規の借入などを認めないという内容でした。端的に言えば、身の丈を超えた借入を行って過度な不動産開発に没頭する企業を抑えようという目的だったと思いますが、発表当時より「急進的すぎないか?」という声が自分の周りでもよく聞かれました。

 以上の内容を聞いて某錬金術師みたいに勘のいい人なら気づくでしょうが、内容的には日本のバブル崩壊の最大の原因というかきっかけとみられている総量規制と被っている、っていうかほぼ同じ展開といっていいでしょう

総量規制(Wikipedia)

 総量規制について簡単に説明すると、日本国内で加熱していた不動産開発を抑えるため、1990年に銀行を対象に不動産開発向け融資の全体規模を国が基準を設けて規制した行政指導です。この規制をきっかけに日本の不動産市場、ひいては全体景気が一気に後退するようになり、あまりの影響の大きさにこの規制もわずか1年9ヶ月で打ち切られましたが、その後も日本はデフレ不況へと猫まっしぐらな感じで落ちていきました。

 三つのレッドラインも総量規制も、不動産以上の過熱鎮静化を目的に出され、その内容のあまりの急進性ゆえに不動産市場はおろか、若干こじつけもあるかなとは思うものの全体景気すらも大きく落ち込ませた点で共通している気がします。また中国の場合ですと、コロナ規制の真っただ中だった2020年にこの規制を実施したというのも、ただでさえ逆風下だった中国不動産市場を一気に追い詰めた感があります。

 なお総量規制が日本のバブル崩壊のきっかけ、というかバブル崩壊そのものが認識されたのは1994年から1995年にかけてで、それまでは日本人の大半は当時の景気を停滞程度にしか認識していませんでした。中国でも2020年から2022年まではそこまで不況感を感じておらず、不動産市場はともかくコロナ下でほかの国から受注が移って製造業は比較的活発だったため、あんま不景気だと認識していませんでした。
 やはりそれがひっくり返ったのが2022年中ごろより各地で行われた、上海ロックダウンを含む各地での過度なコロナ規制による都市封鎖以降で、2023年に至っては若者の雇用率が下がるなど、目に見えて不況を実感するほどに世の中全体がおかしくなっていました。その元をたどるとすれば、前述の通りコロナ下で堂々と行われた三つのレッドラインの2020年がターニングポイントだったのではないかと思うわけです。

 なお日本では、自分の理解だとバブル崩壊のツケの大半を銀行に負担させたものだと考えています。この時銀行を助けるために公的資金も注入していますが、それでも多くの銀行は経営不振に至って新規融資をためらうようになり、いわゆる貸し渋り問題が90年代後半にかけて起こることとなります。
 何で急にこうして昔話をしだしたのかというと、今後増え続けるであろう不動産会社の破綻に際して、その負債を中国はどう処理するのかがもはや議論の対象になっているのではないかということ言いたいわけです。日本は上記のように、ある意味当然ですが銀行に負担を押し付けて最終的に処理していますが、中国はそれができるかと言ったら実は結構怪しい点があります。この点についてはまた次回にでもまとめていきます。

 ロジカル的にここまで簡単に至れると思うのだけれど、同じこと書いている人がほかにいないという点で若干違和感を覚えます。仕方ないからこうして自分が書いていますが。

2024年2月8日木曜日

三井住友銀行発足時に起きた驚異の逆さ合併

 明日は旧節の大晦日にあたり、例年ならこの日から中国の7日間にわたる春節休暇が始まります。ところが今年は何故かこの大晦日が出勤日に設定され、明後日2月10日の旧節元旦より休暇スタートということで、自分も明日まで出勤しなくてはなりません。
 一応有給はあるけど、チームメンバー全員が先に休暇を取ってきたので自分が出ざるを得なくなりました(´;ω;`)ウッ…

 その代わりというか休暇日数は土日含めて毎年7日間のところを今年は8日間になっています。個人的には日数以前にやっぱり大晦日から休ませてほしいというか買いだめとかしたいのが本音で、なんで今年はこんな変則的なんだと言いたくなり、やはり不況のせいかと勘繰ってもしまいます。

 さてその中国の不況、何度もこのブログでも書いているし日系メディアもいろいろ報じてはいますが、少なくとも自分が見ている限りで日系メディアは中国現地の状況を伝えきれていないと日々感じます。記事に書かれている以上に中国の街中では失望ムードが強く、株価低迷もあって不景気そうな面をみんなでしています。さすがに自分の直接的知り合いではまだいませんが、失業者も増えているといい、大卒者も内定先がなく苦労しており、感覚的には「バブル崩壊」という単語が出始めた1995年くらいの空気感です。
 仮に私の空気感が正しいとしたら、中国は最低5年間はこれから不況に苛むという計算になります。もっとも日本の場合、1995年からの5年間において不良債権に一切手を付けず、無駄に財政出動して借金だけ増やし、景気は一切回復しなかったのですが。

 何度もこの記事でも書いているように、失われた30年という人もいますがやはり小泉政権の前後でいったんは区切るべきだと思うことから私は「失われた10年」という言葉を使うべきだと思います。その失われた10年が一体何故区切りを迎えたのかというと、小泉政権下で竹中平蔵氏が不良債権処理に一気に動かしたことが間違いなく最大の理由です。
 当時、竹中氏は3年で日本の不良債権を半減化すると見えを切り、野党はそんなのできっこないと批判しましたが、実際に2年半でこれを達成しました。これを受け、ちょうどデジカメや大型テレビなどの新たな家電品が登場して消費も上向いていたこともあり、日本の景気は2005年の郵政選挙を皮切りに間違いなく上げ潮に乗りました。

 なおこの時の小泉政権下では財政支出を増やすどころか減らす緊縮財政を取っており、これは金融環境がズタボロ時に、金をいくら市場に投入しても無駄という教訓として非常に重要な例だと勝手に思っています。

 話は戻すと、一応中国もようやく財政出動に動き始めていますが、根本的には社会における不良債権をどうにかしない限りはいくら財政出動しても一時的なカンフル剤にしかならないと思います。というより、完全に日本の失われた10年のトラックを追うことになるので、内心ではやめた方がいい、そんな金あるなら不良債権を削れと私は言いたいです。特に地方債務。

 その不良債権に関連してつい最近知ったのですが、上記の竹中氏が不良債権処理を推し進めて銀行に対し厳しい自己資本比率を設定していた際、三井住友銀行はとんでもない方法でこれを達成していたらしいです。

わかしお銀行(Wikipedia)

 このわかしお銀行がどんな銀行か知っている人は恐らく現代にはいないと思います。じゃあどんな銀行家というと、現在存続する三井住友銀行を買収し、親会社となった銀行です

 わかしお銀行は元々、三井財閥系のさくら銀行の子会社でした。そのさくら銀行も破綻待ったなしな状態になった際、住友銀行と合併することとなったのですが、さくら銀行と住友銀行が合併しても依然として自己資本比率は要求される基準に達しませんでした。
 そこで当時の住友銀行頭取だった西川善文はなんと、

1、住友銀行とさくら銀行が合併して三井住友銀行を作る
2、できたばかりの三井住友銀行をさくら銀行の子会社であるわかしお銀行に吸収買収させる

 という、いわゆる逆さ合併と呼ばれるスキームを当時組んだそうです。これによってどうなるのかというと、文字通り「小が大を飲む」吸収合併となるので、吸収する側のわかしお銀行はその合併時に会計上で大きな資産評価プレミアムを得ることとなります。わかりやすく言うなら、本来の価値よりずっと安い代価で三井住友銀行を買うこととなるため、その本来の価値が上回っている分だけ含み益(のれん)をわかしお銀行が得ることとなります。
 このスキームによって合併再編の完了後に三井住友銀行は大量の含み益を手にすることができ、これを使って不良債権を一掃して、自己資本比率を基準に到達させたそうです。この手法に関しては行内からも邪道だと批判する声も多かったそうですが、当時の待ったなしな状況で最も適切な解決手段であると西川が考えてかなり無理くりして通したそうです。本人曰く、反対は覚悟していたし、信念のある決断だったからこそ、その後の結果も好転したとのことです。

 自分はこの話を西川の「仕事と人生」という本で知りましたが、こんな裏技的手法で不良債権を一掃していたことにマジビビりました。なおこの手法は企業合併には簿価基準で行うようになった現代ではできないそうで、まさにあの時代限りのウルトラCだったそうです。
 敢えて例えるなら、選挙に勝つため子供を政党の党首に据えるようななりふり構わぬ手法であり、そうまでして不良債権を削ろうとした西川の凄みがいまさらになって感じ入ります。しかしこれを見て、今の中国に必要なのはこれくらいの気迫で以って不良債権を削る意志だろうとも思わせられました。

 そんな具合で先の見えない中国でまた年越しですが、連休中はなるべく明るく過ごすようにしようと思います。買いだめしてるプラモも作らないと(´・ω・)