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2024年6月30日日曜日

AI生成イラストの登場で感じる写真の登場時代

 本題と関係ないですが前に書いた「千葉のマッドシティ~ダイエー松戸駅西口店(Dマート)」の記事が怒涛の勢いでアクセスを増やし続けています。松戸のみんな気になるんだろうか(;´・ω・)

 話は本題ですがこのところPixivなどでAIが生成したイラストを眺めたりしているのですが、定期的にAI生成イラストを公開している人のイラストを過去から追っていくと、数ヶ月ごとにイラストの質が向上しているのが見て取れます。単純に生成者がプロンプトの組方を学んでいる以上に生成AIの能力が向上していることが大きいように見え、それもあってかAI生成を始める新規参入者も増え続けており、このペースで言ったらいったいどれほどまでにAI生成イラストは進化するのだろうかと密かに目を見張っています。
 それこそ2年前くらいなら、「あ、これAI生成だな」と一目でわかるくらいAI生成らしい癖(正面画が少ないなど)がありましたが、今年に入ってからはその手の癖も見なくなり、マジで人間かAIかわからなくなってきました。なんかターミネーターっぽいセリフだ(;´・ω・)

 ただこの流れ、かねてから懸念されていましたがイラストレーター、特に同人作品で生計を立ててきた人からしたら脅威以外の何物でもないでしょう。単純な線画だけならまだしも、AI生成絵だと手間のかかる着色まで一瞬で生成してきてしまい、また人気作品のキャラクターほどAIもより学習してきちんと生成してくるものですから、1枚や2枚のイラストだけならまだしも、数十枚単位のイラストをパッケージで売る場合はAIの方が効率で明らかに勝ります。
 幸いというか、さすがにコマを分けての漫画作品として生成するまでには今のAIは至っておらず、この点で同人漫画作家なんかはまだ生きる道がはっきりとあります。ただ今後、ウェブトゥーンのようにセリフ吹き出しのある1枚絵を連続させて漫画のように見せる形式が流行ってきた場合、ここでもAIの侵略を受けることとなることから、同人作家からしたら規制もしたくなるのもよくわかりますし、実際脅威と感じている人が多いようです。

 以上のような状況を見ていて、「写真が登場した時代もこんな感じだったのだろうか?」という印象を覚えました。写真が本格的に普及し始めた19世紀、写真技術に当時の絵画作家らはかなり脅威に感じたと聞きます。それもそのはずというかこれまで肖像画で食ってきた人たちが、自分たちが一から書くよりも正確で、しかも短時間でできあがってしまう写真があるのだから、自分たちの仕事が当然減るわけです。

 ただこんな風に脅威を感じ、実際に仕事量が減った絵画作家もいたでしょうが、主にフランスの作家の間で日本の浮世絵などをヒントに、「実際通りに書かなくてもいいんだ」という発想から独自の解釈や見解を作品に盛り込む印象派が生まれ、絵画制作は現代においても続くようになっています。

 今後AI生成の発展がどう影響するかはまだまだ読めない点もありますが、こと同人業界に関しては間違いなく大きな影響を及ぼし、効率化が進む一方で専業者の数が減るのではないかと思います。その一方でAIとは異なる持ち味を今後どう確立するか、またAI生成者の方もその技術をどのように広げるのかが業界発展を左右するように思います。
 特に後者に関しては、既存の漫画制作などにおいても劇的な効率化を達成しうる可能性があるように思います。具体的には背景や群衆などのモブ作画などで、AIによってアシスタントいらずになるかもしれません。

 別に自分はイラスト方面に造詣あるわけじゃないですが、写真の登場と比較するにAI生成いらしストの先行きについてはいくらか興味を感じます。

2024年6月29日土曜日

安藤美姫氏の報道について

【悲報】安藤美姫さん、泣き叫ぶ(暇人速報)

 実際のところはどうだかまだ確認が取れませんが、フィギュアスケートの元選手で現在はコーチもしている安藤美姫氏について教え子の16歳の男子に手を出しているとの報道が出ました。今のところまだ一度も目にしてはいないのですが、自分が真っ先に浮かべたのはジャニーズ事務所の問題で、あれだけ大騒ぎしたにもかかわらずこの件に対する報道がスキャンダル報道にとどまっているということに疑問を覚えます。そもそも報道を受けて警察なども何も動かないのか、この点で違和感があります。

 言うまでもなく報道が事実だとしたら性的虐待に当たる行為であり、なればこそ厳しく状況を調べ、このの真偽を確かめなければなりません。少なくとも文春の報道によると複数人の証言は出ていることからも、「本人同士の問題」で片づけるべき内容ではないと思うし、こう言っては何ですが当事者があの安藤美姫氏っていう点でも、注意しなきゃならない案件だという気がします。

 それにしても社会の反応が鈍いというかなんかこのままいくとジャニーズ問題の反省が全く生かされず、日本はそういう国だと海外からも思われるんじゃないかと勝手に懸念しています。まぁ杞憂かもしれないけど。

2024年6月27日木曜日

黒川元検事長の定年延長に関する情報開示について

黒川氏定年延長巡る文書開示 「個人のため法解釈変更」―大阪地裁(時事通信)

 安倍政権の後半では森友問題をはじめ強引な政権運営が目立ち、特に法律や規定を無視した行為が非常に目立ちました。仮に安倍晋三が今も生きていたら場合によっては激しく糾弾される立場になっていたように思え、そういう意味では彼はいい時期に死んだなと思う節があります。皮肉なことですが、彼の死によって統一教会問題もメスが入ったわけですし。

 そんな安倍政権の独断専行に関して自分が一番眉を潜めていたのは、今回裁判所が情報開示を命じた黒川元検事長の定年延長問題です。この問題については詳細は省きますが、簡単に言えば安倍政権寄りの黒川氏を検事長に据え、森友問題の捜査を妨害することを期し、本来なら定年で退職することが規定されているにもかかわらず、その規定を無視する形で彼を検事長に任じたといったところです。
 なお法規を捻じ曲げてまで検事長に据えてもらった黒川氏ですが、その後記者らと賭けマージャンをやっていることが報じられ、法治国家の根底を揺るがす人事でありながら結末はあっけなく、この件ですぐ辞任となりました。その数ヶ月後には安倍政権も退陣していますが、ぶっちゃけ政権を守る検事がいなくなったこの件が影響したのではないかとも見ています。

 今回はこの黒川氏の検事総長就任を巡る不可解な判断について関連文書を開示せよとの報道ですが、これに限らずこのところ検察の問題がよく取りざたされています。大川原化工機の冤罪事件はもとより、プレサンス事件の責任裁判も進行中、そこへきて大阪地検元検事正が何と5年前の性的暴行事件で今になって逮捕されるなど、かつてないほどのバーゲンセールぶりです。
 特に最後の事件に関しては何故これほどの月日を経て急に捜査が動き出したのか、背景理由が何かあるとみてほぼ間違いないでしょう。考えられるのは大阪地検内部での内部派閥抗争、次に政権側、つまり官邸の方針変更に伴うGOサイン、最後にいまだ明らかになっていない大型不正または冤罪事件といったところかとにらんでいます。

 それにしても大阪地検はプレサンス事件といい、問題ばかり起こす機関だなという気がします。まぁ大阪に限るわけではないですが、このところの一連の不祥事を受けて真面目に検察に対する信頼は大きく揺らいでいるように見え、ちょっとやそっとの対応じゃ信頼は取り戻せないという気がします。
 私自身、もし日本にいて同じ考えを持つものと一緒に行動できるのなら、大阪地検の前を大挙して押し寄せて「容疑者には正直に言えと言いながらお前らは正直に言わないのか!」などとシュプレヒコールをしたいとすら思います。もしこれで捕まったら「記憶にございません」と言えば問題ないようですし。

2024年6月25日火曜日

蘇州市の日本人母子襲撃事件について

 仕事中、東京上空で突如インド人がハイパー化して大暴れするような映画を急に見たくなりました。人間がハイパー化するというと非現実的ですが、インド人だら「もしや?」と思ってしまいます。
 さらにインド人がハイパー化した上で分身までして見せたらもう手が付けられない。

蘇州の日本人母子切り付け 中国外務省が「遺憾」表明 「偶発事件」と強調(産経新聞)

 本題に移すと、中国生活にかなり慣れている自分ですが昨夜このニュースを見たときはさすがに戸惑いを覚えました。
 ここに出てくる蘇州とは上海市から大体50キロくらい離れたところにある江蘇省の主要都市で、さすがに上海や広州には負けるけど、中国でも屈指の大都市です。また上海のすぐ隣という立地の良さから日系企業をはじめ多くの外資系企業が進出しており、経済規模も高く治安もよくて日本人からすれば住みやすいと思われている場所です。私自身も昆山市から何度も自転車で訪れていますが、イオンもあるし地下鉄もあるし、大都市で住みやすそうだなと思っていました。

 そんな蘇州で起きたこの通り魔事件。犯人の動機については報じられておらず日本人、もとい外国人を狙ったのか、人種関係なく無差別だったのかはまだわかりません。ただこうした無差別通り魔事件が起きたということもさることながら、これだけの事件が起きながら当初報道規制をして事件を一切報じようとしなかった中国政府の反応の方が私には恐ろしく感じました

 昨夜に日本の中国大使館サイドからの発表を共同通信が報じた後、すぐに私は中国語でもこの事件が報じられていないか調べましたが、一切報じられていませんでした。一部の個人ブロガーなどは報じてはいたものの、ニュースの引用元は日本側の発信であり、一目で中国政府が報道規制を敷いているとわかる状況でした。
 その後、今日の夕方になってようやく中国メディアも報じるようになりましたが、先日も吉林省で米国人4人が刺傷を受けるショッキングな事件を中国が黙殺していたことから、今回の事件も黙殺されると私は踏んでいました。最終的には公開しましたが、最初の反応からすると当初は黙殺しようと考えていたものの、日本側の反応を懸念して後から公開を決めたという風に見ています。

 何故中国はこの事件を当初は黙殺しようとしたのか。報じると模倣犯が発生するとか外国人へのヘイトがさらに高まることを恐れたとか色々言われていますが、単純に中国かっこ悪く見えるニュースはあまり国内で報じられたくないだけなんじゃないかと思います。ただ今回の場合はかばった中国人女性も怪我を負い、日本側の懸念や不安も大きく注目を集めたことから報じることとなったのでしょうけど、そもそも報じるかどうかを思案する時点でどうかしているでしょう。
 極端なことを言えば、今回の一件は今後中国で特定の外国人を狙ったテロ事件が起きたとしても中国は黙殺したり、事実を隠そうとしようとするのではないかという懸念を高めただけで、無意味に中国の信用を下げたに過ぎないという風に思えます。

 最後に中国の最近の治安について述べると、経済は確かに不景気ですがそこまで治安が悪化しているようには感じていません。そもそも昔の中国の方が色々おかしい人が多くて、喫煙禁止の場所で喫煙するのは当たり前、赤信号は守らない、あとその辺で子供にうんこさせるのも最近は見なくなりました。
 逆にというか個人的な体験で言うと、先日歩いていたら急に肩叩かれて、「おいお前、ポケットからさっきなんか落ちたぞ」と、傘袋を落としたのを教えてもらう親切に逢いました。蘇州の事件は確かに残念だしひどい事件ですが、中国人がみんながみんな通り魔をやるようなおかしい人間ばかりではなく、むしろ親切な人も多いということはわかってほしいです。

2024年6月23日日曜日

語り継がれないギャグ漫画家

漫画に出てくる手塚治虫(あにまんch)

 上のまとめ記事のようにすでに逝去から何十年もたっているにもかかわらず、手塚治虫についてはいまだにあれこれ語られています。それだけエピソードに堪えない人物だということもあるでしょうが、同じくエピソードが多く、手塚と同時期に並び称されたあるギャグ漫画家についてはこのように語られる場面をほとんど見ません。勿体ぶらずにその名を挙げると、赤塚不二夫です。

 赤塚不二夫についてはあまり説明するまでもないですが、彼の名を近年見たのはアニメで「おそ松さん」がヒットした時くらいで、それ以外ではまず見ることもなければ、作品名がリバイバル的に再評価されるというケースも見ません。これは彼の作品の価値が低いというよりも、流行に左右されやすいギャグマンガというジャンル故、「ブラックジャック」や「火の鳥」といった手塚作品と比べ赤塚の作品は時代を超えて読み継がれることが低いせいだと思われます。

 私自身ですが昭和後期の生まれですが、あまり赤塚作品を読んで面白いと感じたことはほとんどありませんでした。とりあえず「シェー」のポーズなどは誰にでも認知されているのでまねたことなどは子供の頃にありましたが、そこまで面白いと思って読んでていたかというとそうでもなく、当時は「おそ松くん」のアニメも放送されていましたがそこまで積極的に見ているわけではありませんでした。

 こうした傾向は何も赤塚作品に限るわけではなく、ギャグマンガ全般に通じる話です。大体連載終了から2、3年も経てば作品名が語られることはほぼなくなり、また時流の変化に伴ってかつては笑い読まれた作品が笑って読めなくなることも珍しくなく、時代を超えて読み継がれるギャグ漫画自体が希少だということでしょう。

 敢えて挙げるとしたら、「エンジェル伝説」なんかは今の子供に読まれても十分笑わせる実力があるのではないかと密かに考えています。あとマイナーだけど「うめぼしの謎」とか。

 逆に不思議なのが、連載終わってから10年近く経って急激に評価を高めていると思える「ボボボーボ・ボーボボ(中国語:鼻毛神拳)」です。私も連載当時はつまらないとは思わなかったけどあまりにも不条理過ぎてついていけませんでしたが、なんかこの年になって急激に再評価がすすみ、「ところてんの介は素晴らしいキャラだった……」などと人に語るようにもなっています。マジでこの心境の変化は自分でも不思議なのですが、確かに読者をぐいぐい引き込む力は群を抜いており、それが時を超えて今になっても引き込んでいるのではないかという気がします。

 逆に今読んだら全く笑わないだろうなと思う作品を上げると、単行本も買ってたけど「突撃!パッパラ隊」な気がします。連載中ですらキャラ増やしていた後半から笑えなくなっていたし、前半は「無知との遭遇」などのサブタイトルとかも面白かったんだけど。
 同じくガンガンの「ハーメルンのバイオリン弾き」も、中盤のガンガン隔週化時代に急激に質を落としてから笑えなくなり、今読んだら当時以上に微妙に感じる気がします。パンドラ母さんの登場回とかは今でも好きだけど。

岸田と菅の仲が悪い理由

 マジで血行不良がひどいのか、このところスーパー銭湯に行くたびに右眼奥に猛烈な激痛を起こす湯あたりを毎回起こし、昨日もそのせいで立っていられず夜8時に早くも就寝しました。気持ち悪くてせっかく作ったカレーもあんま食べれなかったので、今朝一杯食べました。
 気持ち悪くなる分、風呂入って血行をまわしているという実感もあるので、夏場に中国人はあまり風呂に入らずスーパー銭湯が割引するようになるので、この時期は毎週風呂に入りに行くようにしています。そのあと行動不能になるけど。

 話は本題ですが、あくまで個人的な見方ですが、岸田総理と菅前総理はかなり仲が悪いと私は見ています。
 どちらも安倍政権時の外部大臣と官房長官という要職メンバーでありましたが、特に菅政権の成立以降は党の重鎮同士でありながら仲良く談笑する場面すら見えません。それどころか報道では、菅前総理がキングメーカーとばかりに岸田総理に反感あるメンバーを集めては次のトップ候補を擁立しようとしているなどとよく報じられていますが、これは恐らく事実なんじゃないかと思います。

 では何故この二人は仲が悪いのか。ってかそもそも党内で岸田総理と仲がいい人自体が若干少なめで、唯一気心が通じ合っていると思うのは林外務大臣くらいに思え基本仲いい人が少ない人ってのもありますが、麻生氏に次いで仲が悪いと思うのは菅氏だと思ってみています。結論から言えば、政治思想が真逆なため、どうしても衝突せざるを得ない立場だからじゃないかと考えています。

 具体的には、岸田総理は比較的官僚を信用して官僚が出してきた政策をきちんと政治家が実現するというタイプの政治家に見えます。まぁその割には、先日に急に電気代補助の臨時復活を宣言して省庁を困らせていますが。
 逆に菅前総理は、官僚は基本悪知恵を働かすから政治家が厳しく律しなければならず、政治家が官僚を抑える立場だというのがかなり昔からはっきりしたスタンスです。いわば政治家主導を志す人で、官僚は政治家の方針を実現する立場だとみています。

 私としては両社のスタンスについてはどちらも一理あると思っており、どっちが正しいという風には考えませんし、それぞれがそのスタンスに従って行動を取りあっていくことでいいコラボが生まれるとすら考えています。ただ地味にこうしたスタンスの違いは性格などにも影響し、この辺で両者がいまいちそりが合わない要因になっているのではないかという風に思えます。
 お互いいい年した大人、っていうかお爺ちゃんなんだから、互いに政治家としては素質は悪くないのだし、もうちょい相手を立てて仲良くやってほしいものですが。

 なお上記の二つのスタンスについて、どちらかと言えば私は岸田派というか官僚重視な立場です。というのも野党を中心に近年の選挙では知名度で決まることが多く、そのため目立ちたがり屋なだけに素質に欠ける人間が議員になりやすいきらいがあるせいです。単純に政治家の質がどんどん落ちてきているように思え、先の自民党の裏金問題を含め、政治家主導の方針を掲げるには政界でやや人材不足な感があります。

 最後にもう一つ付け加えると、麻生氏については彼はただ単に「自分を持ち上げるか否か」でしか他人を評価していないように見え、そもそも彼には政治的スタンスなんてものは存在しないとすら考えています。なので最近そっけなくなるや岸田総理への悪口を言い出すなどしていますが、安倍晋三亡き後に麻生氏を持ち上げる人間なんてそんないるわけないのだから、次の総裁選以降に確実にフェードアウトすると思います。

2024年6月20日木曜日

自公連立という「99年体制」

 最近、故佐野眞一の著書の「凡宰伝」という本を読んでいます。なんでこの本を手に取ったのかというと、この本の取材対象である小渕恵三について佐野眞一が生前、非常にべた褒めしていたからです。

 佐野眞一についてはたまたま住んでるところが流山市で同じだったため、地元で講演会があればよく松戸のソウルメイトな友人と連れ立って赴いていました。もっとも友人は、「面倒くさいから直前までくるか悩んだ(´・ω・)」とよくぼやいていましたが。
 その講演会の席で佐野眞一は事あるごとに小渕について褒め称え、まるで昨日のことのように自分が取材したときの印象や小渕の回答を口にしていました。そうした思い出をふと思い出したのと東芝の不正監査の本読み終えて新たに読むものがないため、こうして手に取るに至りました。

 まだ読み途中なのですが改めて当時を思い出すと、その後の小泉純一郎氏と比べてもパフォーマンスの派手な人だったなという印象を覚えました。佐野眞一に対しても取材して以降、彼が出演する番組が放送されるやその日の晩に直接電話かけて「面白かったよ」と言ってたほか、財界人に対しても5回くらい留守電残すくらい電話かけまくっていたそうです。

 その小渕に対する評価ですが、確か2004年に買った歴代総理に対する解説を一冊にまとめた本の中で、「急病により任期途中で逝去することとなったが、自公連立という大きな遺産を残して去った」という風に、公明党との連立提携について非常に高く評価する評論が書かれていました。当時大学生だった私は、「そこまで凄いことかいな」などと家賃3万のアパートの部屋で読んでて思いましたが、こうして時代を経てみるとその評論は間違いではなかったのではないかと思うようになってきました。

 というのも、1999年に成立した自民党と公明との連立関係ですが、25年を経た現在においてもその関係が続いています。途中、2009年から2012年の民主党による政権奪取期こそ時効は与党から陥落して断絶はあるものの、この断絶期間も両党は歩調をそろえて協力関係を崩さず、2012年の与党復帰時も特に議論となることもなく当たり前のように連立政権が築かれています。

 過去を振り返ると、99年の連立成立時こそ自民党内でも平沢勝栄氏を筆頭に公明党を批判する声が強く、また有権者の間でもオウム事件以降の宗教アレルギーが強かった時期とあり「公明党と連立を組んでいるから自民党には票を入れない」と公言する人が少なくありませんでした。
 しかし時代を経た今、自民党内で公明党を公然と批判する人はほぼいなくなったうえ、有権者の間でも公明党、というより創価学会に対する強い拒否感を示す人はかなり減っているように見え、前のように公明党の存在を否定的に口にする人は公では見なくなった気がします。

 また公明党が批判される要因となっていた名誉会長の池田大作が昨年亡くなっており、創価学会としての組織力は今後弱まるでしょうが、創価学会に対する世間の批判は今後さらに弱まるのではないかと思います。

 話を自公連立に戻すと、なんだかんだ言いつつ、この連立政権は日本の議会政治の安定と制作一貫性に対する寄与貢献は計り知れないと私も評価しています。この連立関係が与党の安定多数に寄与していることはもとより、自民党も少なくとも公明党に対しては法案に対する同意を必ず得るようにしており、自民党単独に比べれば強引な政権運営は抑えられているように見えます。
 何より25年もの長期にわたり連立関係を維持するというのは他の議会制民主主義国でもあまり見られないように思え、この一点で以ってももはや日本政治における非常に大きな特徴といっても差し支えないでしょう。

 では何故自公連立がこれほどまで長く継続するのかというと、単純に公明党のスタンスが分をわきまえたものであることに尽きる気がします。

 2009年に成立した民主党政権なんか典型的でしたが、あの時連立に入った社民党は議席が確か一桁くらいの数議席にもかかわらず、法案や政策に対してやたら激しく主張しまくり、政権を主に担う民主党からも辟易されていました。むしろこの時の小勢力なのに激しく要求ばかりし続けたことから、その後は民主党も距離をおくようになり、現在のような泡沫政党に社民党はなり下がる原因になったとすら思います。

 それに対し公明党は自民党に対し非常に聞き分けがいいというか、外交に関しては異論を呈すも最終的には必ず自民に従うし、政策も自分の手柄とするバラマキなどは強く要求するも、それさえ受け入れて通してあげれば基本的に自民党の邪魔はせず、選挙ではきちんと協力してくれます。
 元々、公明党自体が全選挙区に候補者を立てるほど資金や組織力がないだけに、あまり拡大を図らず自分のシマをきっちり守れればいいという性格から、選挙で自民党と棲み分けられさえすればいいという立場なのかもしれません。そうしたスタンスが必要以上に政策要求をせず、自民党とうまく付き合っていける秘訣じゃないかとみています。

 話を小渕にまで戻すと、この自公連立政権は彼が積極的に打ち立て、前述の通りその後25年間も続く長期連立関係となっています。逆にもし自公連立がなければ、まず間違いなく自民党の議席数は今よりも不安定なものとなっており、政権交代ももう1回くらいは起こっていたかもしれません。
 そもそも99年当時も自民党が一度下野してから政権が不安定だった時期であり、それに確固たる安定基盤を作ったという意味では、小渕の決断は日本政治の安定化に強く貢献したように思えます。

 その上で、昭和後期における自民党が安定多数を維持し続けた時代をその確立年になぞらえて「55年体制」と呼びますが、以上のように自公連立は一度は与党から陥落こそしたものの、世代を受け継ぎつつ長期かつ安定的に続いていることから、もはや成立年に合わせて「99年体制」と呼んでもいいように思えてきました。

 ここ数年は維新の躍進もあり、また米中対立の激化によるあおりもあって日本の外交方針も色めき立ち、自民は公明を切って維新と提携するのではという見方も出ていたし、私もそのように思っていました。しかしここにきて維新が万博をはじめやらかし始め、自民党の法案に対しても露骨に反対姿勢を取るなど若干距離が離れ始めるや、逆に自民と公明はまた関係を良くしてきているようにも見えます。
 仮にそうだとしたら、次の選挙後も自公連立はほぼ確実に続くこととなり、この連立関係は30年スパンに到達することとなるでしょう。30年も連立し続けるって、ほんとほかの国じゃないんじゃないかな(;´・ω・)