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2025年6月18日水曜日

米から小麦が今の外食のキーワード?

 サイゼリヤの前社長の堀埜一成氏の本(サイゼリヤ元社長が教える 年間客数2億人の経営術)をこのほど読み終えましたが、この本はこの人の2冊目の本です。1冊目(サイゼリヤ元社長がおすすめする図々しさ リミティングビリーフ 自分の限界を破壊する)はサイゼリヤに入るまでの前半生も描かれているのですが、若干自分語りが強く読んでてブラジルでの話以外は面白くなかったのが本音です。恐らくほかにもそういう反響があったのか、2冊目は徹底してサイゼリヤでのオペレーションや社内改革について書かれており、こちらは1冊目の後半と同じくほかの人にも勧められるくらい面白い内容でした。

 そのサイゼリヤについて先日友人とチャットで会話してたのですが、この本によるとサイゼリヤでは仕事の適性などより、黙々と働くタイプが出世しやすかった述べられているという点が印象に残ったことに触れました。というのその前にその友人と、一部の日系企業では仕事ができるかや適性とかよりも声や態度がデカい目立つ人間を出世させる企業が多く、こうした点が結構な範囲で日本経済を引っ張ってる(足を)という話をしてたからです。ほかの外食チェーンとかはどうなんだろう。

 話を戻すと、サイゼリヤはほぼイタリアン一本で外食大手にしては珍しくほかの業態にはあまり広げません。過去にファーストフードの失敗に懲りたのか、あまり流行っているように見えないけど「伊麺処」を除くとブランドもサイゼリヤだけで、にもかかわらず成長を続けているの大したものだと友人と評価で一致しました。
 一方、すき家率いるゼンショーなんかはこのところあれこれ業態を広げていますが、ブランドを買収しながらもその後手放したりとあまり経営が定まっていないように見えます。元々体育会系な会社と聞き、今の若者から敬遠されそうな社風もあり、企業哲学というか理念がしっかりしていないとこれからちょっと怪しいんじゃないのと思う節があります。

 そんなことを友人と話してたら、「今のキーワードは米から小麦だ」と言われました。これはどういうことかというと、サイゼリヤを除くほかの大手飲食チェーンはどこもうどんやラーメンチェーンの拡大を図っているとのことでした。
 実際、自分もこの前日本帰った時にかたくなにT-34のプラモを作ろうとしないソ連人民の敵であるうちの親父が、新しい飲食店はいまラーメン屋しかないと聞いていました。そのラーメンも今年に入ってから出店がやや減ったという報道を見たのですが、代わりに増えているのがうどんらしく、資さんうどんをはじめ今度はうどん屋が街中にあふれ出しているという話を聞きます。

 こうした流れは単純なラーメン、うどんブームもあるでしょうが、このところの米価高騰も背景にあるように思えます。さらに深堀するなら、家族人数が減り単身世帯が増えている中、ファミレスなどよりこうした一人でも入りやすい麺系チェーンの方が客入りもいいのかもしれません。
 この点、中国の方が実は激しく、中華料理屋は基本大量の料理が出てくるため一人ではまず行けず、そのためラーメン屋とか一人向けメニューの多い和食屋を自分もよく使います。中国人も、特に女性一人なんかはよくラーメン屋に通っていると聞きます。

 私の予想では恐らくこうした小麦転換はまだしばらく続くんじゃないかと思います。となるとコメの消費量はますます減るだけに、今後の農業政策も絡んできますが外食業界とももっと議論重ねて、小麦から米への回帰も関係者はもっと真剣に議論すべきじゃないかと思います。

 最後に上海の外食チェーンの話をすると、今自分の中で熱いのは「オリーブの丘」という洋食チェーンです。この前上海にできて、メニューや価格からみて明らかにサイゼリヤをベンチマークにしているのですが、サイゼリヤはいつ行っても混んでて入りづらいため、まだあまり知名度がなく入りやすさから利用するようになっています。中国って、和食屋は結構あるけど意外と洋食食べれる店が少ないから、たまに無性にハンバーグとか食べたくなります(´・ω・)

2025年6月15日日曜日

好きでも無いものを好きだと思い込む不幸

馬鹿「寝る時アイマスクつけたら人生変わるぞ」昔ワイ「しょーもな」 →(暇人速報)

 たまたまですが先月までどんな時間に寝ても何故か午前五時半にきっかり目が覚めてしまって不眠状態が続いていたため、様々な安眠グッズを試してみたところ上の記事でも言及されているアイマスクが一番効果ありました。アイマスクとプラスチックの持ち手の付いた耳栓を使い始めてからはモリモリ眠れるようになり、仕事の疲れもあるでしょうが昨日今日も3時間昼寝してなお夜もぐっすり寝られています。
 なおアイマスクは種類によって相性があるため、色々試すのがおすすめです。自分としては内側に顔当てのあるものだと結構寝汗がアイマスク内にたまるのが嫌で、顔当てがなくリバーシブルで使えるメッシュ素材のアイマスクが合っています。

 さて話は本題ですが数年前より戦車のプラモを作るようになって色々作るようになりましたが、作ってみて初めて自分はドイツの角ばった戦車よりもロシア製の丸っこい戦車の方が好きだという事実に気が付きました。こんな戦車の好みなんて自覚したところで実生活で役に立つことなんて一切ないですが、この時のことを思うにつけ漫画「ナポレオン」で使われた「自分の本当の気持ちなんてなかなかわからないものだ」というセリフをよく思い出します。このセリフのように、自分が本当は何を好んでいるのかという嗜好については自分で理解するのは存外難しいと日々感じます。

 ほかにも具体例を出すと、例えば漫画やアニメの女性キャラだと自分はたれ目系よりツリ目系の方が好きだということにも最近気が付きました。また昔は「なんやこれ?」と思って批判していた2代目ことGB型インプレッサも今だとめちゃ好きで室内に常にディスプレイしています。後者の例だと単純に好みが年齢とともに切り替わっただけかもしれませんが、もし本当の自分の好きだという気持ちが何らかの形で気づけなかったとしたらかなり損していた気がします。

 そもそも自分の好きなものを間違えるなんてことがあるのかと思う方もいるかもしれませんが、私は実際には多々あると考えます。というのも人間は周辺の環境によって思考が影響されることが多く、一例を出すと推しのアイドルとかがいいと言うから自分もいいと思ってしまったり、親や友人が熱狂しているから自分も好きだと考えてしまう傾向はどこでも確実にあります。
 もちろん実際に手に取っているうちにそのまま好きになっていくことも十分あるでしょうが、もし本当は好きでもないのに付き合いとかでやってて、好きだと勘違いしてしまったら、それは本人にとってあまりいい結果とは言えないでしょう。

 ただあくまで趣味嗜好の範囲で嗜好を誤解するのだったらそんな大したことないですが、これがそこそこ人生に影響する分野だったら大きく違います。具体的には学問の選考や職業で、何となくブームだから心理学とかに進んでみたものの本質的にはあっておらず、嫌いな学問を4年間するとかいいもんじゃありません。同じく仕事でも服を着るのが好きだからアパレル業界に進んでみたところ、着るのは好きでも売るのは好きじゃなかったらマジ大損です。

 こんな具合に、自分の本当の嗜好を人生を左右する分野で見誤るとかなり不幸な結果になります。でもって先ほどにも書いたように、当時の流行や周囲の人の雑音によってこの辺はかなり見誤りやすい分野でもあり、だからこそ職業選択というのが常に議論されるというか回答のないトピックなのだと思います。
 敢えて見誤らないための対策を挙げるとしたら、なぜ自分がそれを好きなのか論理的に問い詰めることです。ここで「周りの人がいいと言うから」などが入ってきたらその時点で疑うべきです。また考えているうちに「なんで好きなんだろう?」という感じで、疑問が深まっていった場合も要注意でしょう。

 逆に、考え始めてすぐに「あの丸っこい目玉ライトがほかにない圧倒的特徴」、「フロントマスクだけならぶ格好だが全体プロポーションで見るとスマートでマッシブ」などと、ポンポンと好きである理由が挙がってくる場合は合格と言えるでしょう。また論理的な答えがないまま、「なんで好きなんだろうかわからないがそれでも何故か好き」という結論に至っても、意外とその対象は本質的な嗜好に根差していると考えていい気がします。言い換えるなら、好きなことを理由付けしなくてはならない対象は大体本当は好きじゃないことが多いように思います。

 とはいえ高三の段階で学問や職業分野の本当の嗜好を把握しているのはかなり困難であり、前述の通り周囲の雑音も大きいことも事実です。その上で敢えて自分からアドバイスするなら、もし本当に自分がやりたいものや嗜好が既にはっきり定まっているのなら迷わずそちらの方向に進むべきで、逆にそうでないのなら、単純にお金の稼げる学問分野をひとまず選ぶことがベターです。具体的には文系なら会計法務、理系ならITや電気などに進んでおけばくいっぱぐれはほぼなくなります。お金さえあれば人生の大半はハッピーで過ごせます。
 その上で、一定の就職につながるスキルを身に着けた上で本来の嗜好に目覚めたのなら、そこからその嗜好に沿った人生をまた目指せばいいと思います。少なくとも、間違った嗜好認識で金にならない学問分野ヘ進んだ場合よりこっちの方がずっと状況はマシです。

 なお自分は高三時にどう選択したのかというと、当時の時点で記者志望でしたが新聞学やメディア学に進んだとしてもそこで学ぶ知識は記者になった後でも十分得られると思え、こうした専門過ぎる学部に進むとむしろ記者としては幅が狭くなるのではと感じました。その上で当時ははっきりとは認知していなかったものの、自分は器用で分野や対象が広ければ広いほど真価を発揮できるタイプだと考えており、学問分野が広いというかはっきりしない社会学を選んで実際に進学しました。ここまで深く考慮してはいなかったものの、自分の相性のいい学問は確かに選べたと思っており、自分の嗜好についてちゃんと方向づけられていた気がします。

 最後につい最近に気が付いたこととして、「俺って、ホーネットが好きだったんだな(´・ω・)」ということに気が付きました。これまではどっちかっていうとミグ29推しでしたが、もちろんミグ29も大好きであるものの、ホーネットもなんかめっちゃ好きだったんだということがわかってきて周りにも「松戸のホーネット」などと名乗り始めています。両機に共通するポイントとしては、

・比較的コンパクト
・マルチロール
・双発
・非主役
・咬ませ犬

 っていうのが自分のツボにはまるんだと思います。トップガンでも、主役期と思いきや最後あれだったしなぁ……。

2025年6月14日土曜日

高校無償化と給食費についての懸念と疑問

「器が大きく、相対的に小さく見えてしまった」 給食の主菜が唐揚げ一つだけだった件で市教委が釈明(ガハろぐ)

 上のまとめ記事はどちらも直近の日本の小学校における給食事情を取り上げたもので、特に前者はおかずがから揚げ1個と、学生時代の私より貧しいメニューにしょうもない言い訳を福岡市がしてきたという話です。この言い訳からわかることは、福岡市の人間は無駄にプライドが高く論理性がないということくらいです。

 話は戻しますがこうした小学校の給食の貧しさについては昨日今日の話ではなく、何年も前から「最近少なすぎる」という話を聞いています。よく刑務所の食事と比較して「受刑者の方がいいもの食ってる」などと書かれていましたが、その比較が行われた数年前よりも上のから揚げ1個の方が少なく、なんか前より状況が悪化しているような気がします。

 またこれに関連してか、なんかここ数年で給食配食事業者の経営難ニュースも見ることが増えました。確か2年くらい前は高校の寮などに配食していた会社が突然倒産して、配食先の学校で急に食事を提供できなくなったというニュースがあったと思います。この突然の倒産に経営者は、キャッシュ・フローの厳しい状態のままで無理くり経営し続けていたが限界を迎えたためなどと話していました。
 この時の配食事業者の破綻について、学校などの契約料金に問題があったのでは、事業者を安く買いたたき過ぎではという同情する意見も当時見られました。これについて私は逆にそういった同情はせず、経営が成り立たないなら料金引き上げをもっと交渉すべきだったし、そうした交渉ができなかったのは契約を打ち切られる可能性があって言い出せなかったと話してはいましたが、突然配食をストップして多方面に影響を及ぼすよりはずっとマシだったろうと感じ、厳しい言い方ですがこの経営者も問題があったと感じました。

 上記の、「契約料金が安すぎて経営が苦しい」という配食事業者の主張に対する見解は今でも変わりはなく、公立校なども競争入札で業者を選定する必要があるため、苦しいのなら経営改善をするか事業撤退、譲渡も検討すべきという立場を維持しています。ただそんな上から目線なこと言う私ですら最近の米価高騰は警戒しており、その上がり方も急だったことから配食事業者は今どこも大変なのでは、何かしら支援が必要なのではないかと心配しています。
 それこそ徐々に上がるのならともかく、1年ちょっとでこんな風に上がったら企業も対策なんて取れるはずもないでしょう。以前ならともかく今の状況なら「経営が苦しくてやばい」という主張も至極納得でき、また経営者の努力ではどうにもならないと感じます。

 あくまで憶測ですが、最初のから揚げ1個の給食もこうした最近の米価を含む食材の急騰を受けての予算不足が原因ではないかと疑っています。仮にそうであれば緊急的に給食費の引き上げや予算の拡大をしてでも給食の充実化を図るべきで、こういったところにこそお金を優先的に使うべきじゃないかと思います。
 然るに最近は高校無償化が新たに始められ、そこへ予算が投入されます。また選挙前の愚民政策よろしく一時金支給も発表されましたが、私はこの一時金を今からでも遅くないから全部小中学校の給食費補填に使い、給食の充実化、配食事業者支援にこそ活用すべきじゃないかと思います。結果的にこれで地方財政も救われる点があるだろうし、公平性の点でも決して不公平じゃないと考えます。何が言いたいかというと、高校無償化と言って教育費を拡大したと言いながら、別のところで空洞ができてたら意味がなく、きちんと固めるべきは足場なんじゃないかっていうことです。

 蛇足ですが、何故米や農家に対してこれほど政策を投入するのかと某元経営者とか批判してましたが、やはり食糧というのは安定を必ず維持しなければならない分野であり、工業などよりも補助金使ってでも対策打つのは当然だと私は思います。さらに言えば日本人にとって米と醤油は存在意義にも係わる重要要素であり、江戸時代でも同様でしたが米価を制する者こそ政治を制すものです。

2025年6月11日水曜日

山尾志桜里氏の公認取り消しをみて(*^▽^*)

国民民主「やっぱり山尾志桜里の公認取り消しまーす」(ガハろぐ)

 ここ数ヶ月で一番爆笑したかもしれません。かねてから批判が多かった国民民主党の山尾氏の公認ですが、なんと出馬会見の翌日になって公認が取り消されるという近年まれにみる盛大な梯子外しぶりで、いろんな方面から注目を集めています。

 そもそもなんで政策力に乏しい上にこんな嫌われている人を擁立しようとしたのかという時点で意味不明ですが、晒上げに近い記者会見をした直後にこうして梯子を外すっていうのも、なんかわざと辱めるために最初から仕組んでやったんじゃないかと疑いたくなるような顛末です。私自身もこの人そんな好きじゃないし不倫相手の奥さんも自殺したという聞いてるだけに、変に表舞台に出ず菩提を弔ってりゃいいのに変に欲をかいて余計にドツボにはまったため、マジで笑いが止まりません。

 それにしてもやっぱり野党は野党かというべきか、基礎控除の議論では評価してましたが先日の玉木代表の家畜の餌発言といい、自民党に対する者よりも自分の党に対するネガキャンの激しさはやはり伝統的でした。ぶっちゃけこの一連の騒動で自民党も次の選挙でかなり勝ち目が見えてきたというか、懸案だった米問題もJA側が言い訳のつもりなのかこちらもセルフネガキャンを繰り返しており、自民にかなり追い風吹いてきてます。勝ちはしないまでも、このままうまくいけば大敗はまず避けられるところまでは来ているでしょう。

 にしても山尾氏はこの後どうすんだろ。無党派層で無理やり出馬したらもっと笑えるからぜひやってほしいのですが。

2025年6月10日火曜日

ダウンロードコンテンツ商法の全盛期で且つゲームがつまらなかったPS3時代

 以前コメントでPS3時代、具体的には2010年前後の頃のゲームは後年に名作と語り継がれるゲームがほかの時代に比べ少ないという指摘があったのですが、これには深く納得というかいい歳こいて延々とゲームをしている私ですらも、この時代はマジでゲームが楽しめずゲームを卒業しかけていました。時代を経てPS4時代こと2015年くらいに入ってくるとまたゲームが楽しくなって今に至るのですが、今思い起こしても確かにPS3時代はやたらゲームが面白くなく、単純につまらないゲームが多すぎた時代だったという気がしてなりません。

 以前の記事でも書きましたが、この頃はグラフィックに傾注した欧米系のゲームタイトルに日系は押され気味で、「日本向けのゲームは海外市場には売れないだろう」という見込みの元、日系メーカーでは海外向けタイトルと日本国内向けタイトルを明確に分けて、日本のゲームがガラパゴス化しかけていました。そうやって日本国内向けに作ったタイトルも残念ながら日本人に受けるほど面白くないというかつまらない作品が多かったので、単純にこの頃海外で売れなかったのは当時作られたゲームが駄作ばかりだったのが理由だと考えています。

 では何故この頃に駄作が氾濫したのか。細かい点を挙げると切りがないですが、地味に大きなマイナス点だったのはこの頃がまさに全盛期だったダウンロードコンテンツ商法が原因じゃないかと睨んでいます。

 ダウンロードコンテンツとは説明するまでもないですが、ゲーム本体とは別にゲーム内で使えるアイテムや追加要素を別売りし、購入者はダウンロードしてそれをゲームに反映させるおまけ要素みたいなものです。ソシャゲなどでのくじ引き券的要素のアイテムもダウンロードコンテンツの一種で、現在のゲーム業界においては収益を稼ぐ重要、っていうか最重要手段となっています。
 そのダウンロードコンテンツ、歴史を紐解くと日本では「アイドルマスター」の特別衣装販売が最初のヒットだったとされており、これが思わぬ収益を叩き出したことからバンダイナムコが特にこのダウンロードコンテンツ商法に執心していくこととなります。どれくらい執心していたかというと、ガンダムのゲームなのにダウンロードコンテンツを買わないとガンダムが使えない作品(PS3の「ガンダム戦記」)すら出していたほどです。

 バンナムに限らず、PS3時代はどのメーカーも増収手段としてこのダウンロードコンテンツに異常なほど力を入れており、まじめにこの頃はゲーム本体よりも一定量のダウンロードコンテンツの方が金額が高くなるというタイトルも珍しくありませんでした。またダウンロードコンテンツと言いながら、データ自体は初めからゲーム本体に内蔵されており、オンラインでお金を払うことで使えるようになるアンロック方式も、この頃は非常によく採用されていました。まぁこれ今でも珍しくないけど。

 そのダウンロードコンテンツですが、特別衣装とかエクストラステージとかならまだわかるものの、中にはセーブ個所の数とかあると非常に便利なコマンドやワープ手段、オンライン対戦機能なと、ゲームの進行に必要だったりユーザビリティに大きく影響するシステム要素すら切り売りされる事例まで当たり前にありました。また「ジョジョの奇妙な冒険 オールスターバトル」のように、お金を払わないとゲーム内コンテンツを満足に遊べないという、フルプライスのゲームなのにさらに金をむしり取ろうとするような、商業倫理的にもかなりイカれた作品まで出るほど世紀末でした。

 当然ながらユーザーの反発も当時は凄まじく、この時代のクソゲーと呼ばれた作品は多かれ少なかれこの手のダウンロードコンテンツ商法による反発やヘイトを受けて評価を落としていると思います。当初はそんなユーザーの声を気にせずこうしたあこぎな商法を続けていたメーカーですが、徐々に逆効果だと気づいてきたのか、現代においてもダウンロードコンテンツの販売は珍しくはないものの、かつてほどメインコンテンツに差し障るような露骨な売り方は鳴りを潜め、「買いたいと思う人が買えばいい」ようなおまけ要素にとどまるようになってきています。
 また金額もPS3時代と比べてかなり抑えられており、かつては千円以上がざらでしたが最近は数百円程度で「それなら払ったろやないかい」と思えるくらいの値段が多くなってる気がします。

 それで話を戻すと、なんか当時のゲームは全体的にダウンロードコンテンツを売りつけるため、敢えてゲームを不完全な状態でリリースする例が多かった気がします。あとでダウンロードコンテンツとして出すためゲーム内で、「まだこの施設は利用できないようだ」、「しかるべき時期が来たら、私もともに戦おう」などと表示してプレイを制限するなどプレイヤーをわざと苛つかせる所業を繰り返し、結果的にユーザーの満足度を極限まで下げていたゲームが本当に多かったです。
 またそのように敢えて不完全な状態で発売することを前提に開発するもんだからか、なんか全体としてゲームの完成度もこの頃は極端に低かった気がします。非の打ちどころのないゲームを作るより、後で課金させるために非の打ちどころ(=不便さ)が満載なゲームを敢えて作ろうという姿勢で、いいゲームなんて作れるわけないというか自明です。こうした開発方針のため、ゲームとしての面白さがどんどんスポイルされ、駄作が量産されていったのではないかとみています。

 そりゃ「いいゲームを作ろう!」と考えて作ってる人たちに比べりゃ、金稼ぎのためつぎはぎみたいなゲームを作ろうとするやつがいいものを作れるわけないでしょうに。

 言いたいことをまとめると、ダウンロードコンテンツ商法を念頭にゲームを開発していたことで、面白さがスポイルされたつまらないゲームを量産していたのがPS3時代であり、あの時代に駄作が多かったのはダウンロードコンテンツ商法が大きく影響しているというのが私の見方です。
 あのころに比べたら最近のゲームは本当に面白いものが増えたし、ダウンロードコンテンツも「買わされる」というより「こっちから買いたい」と思うものが本当に増え、実際買うことも増えて私個人の満足度も高いです。当時、日本のゲーム開発者は欧米のゲームに負けていたことを技術や予算の差と言い訳してましたが、ゲーム開発者の儲けに対する不埒な姿勢こそが日本のゲームが当時凋落していた本当の原因だったと私には思えます。

2025年6月8日日曜日

無線会話による卓越したストーリーテーリング

 昨年下半期に必死で遊んだゲームを挙げると「エースコンバット7」と「地球防衛軍5」が挙がってきます。ジャンルは片方はフライトシミュレーター、もう片方は大量のアリを撃ち殺すTPSと全く異なるものですが、どちらもストーリーテーリングは一貫して無線で行うところが共通しています。

 どちらのゲームも主人公はドラクエタイプの無口なキャラで、ゲーム中では掛け声(E・D・F!)とかを除けば一切しゃべりません。エースコンバットに至っては、主人公の性別すらはっきりしないところがあります。個人的な意見として述べると、なんか女性っぽいなと感じる演出でしたが。
 主人公は一切しゃべらないもののちゃんとストーリーというかバックグラウンドは練られており、それらは無線を通した本部や仲間からのセリフでプレイヤーは把握できるようになっています。エースコンバットだと「こいつは並の腕じゃない!」と敵機に向かって言うセリフを通して、その機体がやや手ごわいというかそのステージのボスキャラであることがわかります。また地球防衛軍では、「足を狙え!」などと言うセリフから、手ごわい敵の攻略法がわかるようになります。

 そうした攻略に役立つ情報のほか世界観なども無線を通して説明されており、またプレイヤーに臨場感を持たせるため、戦場における悲壮感を際立たせるセリフや、逆境の中でもへこたれず、k部する声などもかなり燃えます。特に「エースコンバット」では、最初主人公は周りから新人パイロットとして扱われ、「しっかりついて来いよ」などという気をかけるセリフばかりかけられるのが、後半に入ると徐々に頼られるエースとして扱われ、敵エースと対峙した際も「お前にならできる、お前にしかできないんだよ!」という言葉をかけられ、嫌が応にも自分がエースであるということを意識させられます。
 っていうか、仲間は一切敵エースを落としてくれないことの暗喩でもありますが。

 「地球防衛軍5」に至っても同じようなものですが、こっちは刻々と戦況が悪化していく様が無線で語られ、既に人類が何割減ったとか、拠点がいくつ潰されたとか、終盤の暗さは語り草となるほどのものです。その中でも孤軍奮闘し続ける主人公に対し、オペレーターが涙声で「ありがとう……ありがとう……」と言う場面は自分もかなり胸に来ました。
 もっともこのオペレーター、深夜の作戦に寝坊して遅れて来たりもしますが。

 以前にも書きましたが、前に遊んだ中華製のゲームは操作感やグラフィックは大したレベルであったものの、ストーリーについては支離滅裂で全く頭に入ってこないし、解説読んでもなんやねんというレベルのものでした。これについて中国人の業界関係者である友人は、「中国人からしてゲームのストーリーはおまけみたいなもん」とのことで、ストーリーに力を入れるメーカーも多くないそうです。
 逆に日本はドラクエ以降、ゲームにおいてストーリーをかなり重視して実際これがゲームの価値を左右する大きなファクターとなっています。それだけに見せ方や演出もかなり優れており、上記の二つのゲームのように無線の会話だけでも臨場感を持たせる演出の上手さは改めて考えるとすごいレベルにある気がします。

 というかそもそも、主人公が一切しゃべらない無口主人公という概念自体がかなり特殊なものであるような気がします。自分としても無口主人公だと没入感が高まるし、主人公がしゃべらないことで周りのキャラも際立つようになるので、優れた舞台装置である気がします。
 なお、ガンダムのブルーディスティニーのユウ・カジマもそんな無口系主人公ですが、それを逆手に取り「ギレンの野望」などの別ゲームにこの主人公が登場しても一切しゃべらないという点で、めっちゃ目立つキャラ特徴になっています。それが過去のGジェネだと声優ついてしゃべりだしたことがあり、「こんなのユウ・カジマじゃない!」と、めっちゃ残念に思えさせられたのを今でもはっきり覚えています。つば九郎と一緒で彼はしゃべっちゃだめだろう。

2025年6月7日土曜日

日本に鉄砲を伝来させた倭寇

 今日本で世界に誇れる技術としては、私の中で米軍すらあきらめたのに海上試射にまでこぎつけたレールガンを挙げます。アニメになぞらえ「とある海自の超電磁砲」などとも呼ばれていますが、正式配備には「美琴砲」とか「ビリビリ砲」などと言うのかと思いつつ、原点に立ち返って「TANEGASHIMA CANNON」などと言っても格好いい気がします。
 その種子島は言うまでもなく日本における火縄銃の伝来地でその代名詞ですが、この伝来には実は倭寇の頭目が関わっていました。

王直(Wikipedia)

 今年初めから倭寇のコラムを連載しようと着々と準備しているのですが、そもそも倭寇ってどういう人たちで、どんな活動をしていたのかということをまず読者にイメージさせる必要があると常々感じてました。こうしたイメージはモデルとなる代表的人物の人生を紹介したりすることが手っ取り早いのですが、そうした典型的倭寇モデルを探していたところ一番最適だと思ったのが、この王直でした。

 王直という名前を聞いて多くの人は漫画のワンピースに出てくる海賊をまず想像するかと思いますが、恐らくそのキャラのモデルもこの倭寇の王直でしょう。彼の経歴を簡単に説明すると、元々は別の倭寇の頭目の手下で浙江省沖にある双嶼という離島でポルトガル人と密貿易をしていたそうです。この辺りは漫画の「ブラックラグーン」に出てくるラグーン市に近いです。
 ただその双嶼も明の摘発を受けて崩壊し、それから王直は独立して手下を従える倭寇となり、ポルトガル人だけでなく日本とも密貿易を行うようになって勢力を拡大していったそうです。

 この密貿易で交易された品々は、ポルトガルからは火縄銃や大砲、天文機器などの当時としては科学技術の詰まった品々を買って、中国市場に流していたそうです。一方、日本に対しては中国から衣類などを主に持ち込み、逆に日本からは火薬の原料となる硫黄などの鉱物を主に仕入れて中国市場で販売していたそうです。いわば中国が製品を作り、日本は原料を提供するような貿易関係で、中国で二束三文の衣類が日本だと金、銀換算で数倍の金額で交換できたとされ、かなりうまみのある取引だったそうです。

 先に結末を話してしまうと、この王直は勢力も大きかったことから明の役人の中には過去の罪を水に流す代わりに投降を促す人もいました。明政府も倭寇を取り締まろうにも予算も軍隊もなく、また倭寇の側も重税にあえいで密貿易でもしなければ生活していくことはできず、現場の役人の中には幕末よろしく明政府に海禁政策を止めて開国するよう進言する人もいました。
 王直としても合法的に貿易ができるなら何も言うことないと先の投降の呼びかけに応じたのですが、新しく来た役人は彼の投降を認めず、ホイホイと出頭してきた王直を捕えて処刑してしまいました。この辺りの流れはまんま水滸伝です。

 そんな王直ですが、日本では主に今の長崎県にあたる平戸に拠点を設け、ここで日常的に居住するなどかなり日本に根付いていたそうです。現地の領主である松浦氏も貿易のうまみを得るため彼を保護し、本国である中国では追われ者という立場もあって、日本を海外逃亡の拠点として使っていました。
 ところがある日にポルトガル人とともに航海中に船が難破し、流れ着いたのがあの種子島でした。ここで現地領主の種子島時尭らに対し王直は筆談での通訳を務め、その鉄砲の供与の場面に居合わせていたそうです。

 まじめにこの辺のくだりは日本史の教科書に王直の名前とともに自分は載せてもいいと思っています。何故かというと戦国時代においても倭寇が活発に、九州周辺で活動していたことを伝えられるとともに、当時の大航海時代を取り巻く状況の一端を教えられることができるからです。
 先にも述べた通り王直ら中国人が頭目を務める後期倭寇は当初、ポルトガルと中国間の密貿易を主に行っていました。ところが摘発や競争が強まるや日本との密貿易を行うようになるものの、先の鉄砲伝来のあたりから日本は中国を介さずポルトガルなど南蛮人との直接貿易を活発化させていきます。無論、それ以降も中国との密貿易は続いていたと思いますが、日本側としては以前よりそれが密貿易であるという自覚はほぼなかったでしょう。

 こうした東シナ海を中心とする日中西洋の貿易構造というか物流は世界史を見るうえでも、また九州や堺の商人や大名の力関係を比較する上でも重要なポイントだと思え、単純にロマンを感じます。この辺を中国側の資料を中心にコラムで書いていくつもりで、自分にしてはなかなか面白いトピックに手を付けた気がします。