ページ

2017年1月15日日曜日

関ヶ原における謀略合戦

 決戦という単語を聞いて私の中で浮かぶのはワーテルローですが、日本においてはやはり関ヶ原が一番多く思い浮かべられることだと思います。実際に戦国最大規模の大兵力同士の野戦であって、参加兵数で言えば後の大阪の陣の方が上であるものの、日本史のその後の趨勢を決めた戦であることを考えると日本史上最大決戦といっても間違いないと思います。
 その関ヶ原の帰結ですが、知っての通り石田三成率いる西軍は小早川秀明を筆頭とする西軍参加武将の相次ぐ裏切りを受けて瓦解し、わずか数時間で東軍勝利の結果を迎えています。この結果について多くの解説などでは、「石田三成に人望がなく、また徳川方の激しい切り崩し工作を受けたことによって裏切りが相次いだ」と評することが多いように思えます。書いてある内容に間違いはないと思うものの、少し見方が違うというか「謀略」の下りについて言えば、実際には西軍側も激しく工作を行っていたことを考慮に入れるべきだと思います。

 上記に書いた通り関ヶ原の合戦ではあらかじめ徳川方から内応の約束を受けていた武将らが相次いで離反したことによって西軍は瓦解しましたが、その西軍の側でも実際には東軍側の武将に内応を求める謀略を手広く行っていたのではないかと思います。実際に何人かの武将にははっきりと西軍参加を要請する書状が届いていたことが確認されており、関ヶ原の直前においても東軍同様に頻繁な密書のやり取りがあったのではと私は考えています。
 しかしその時に西軍との間でやり取りされた東軍武将の密書は恐らく、大半が世に出ることなく処分されたことでしょう。というのも仮にそういった密書が残っていて徳川家に見つかりようものなら謀反の疑いをかけられお家取り潰しにも遭う可能性があり、日の目を見る前に内密に燃やされた密書が実際には相当な量があったのではないかと思います。

 これは三国志の話ですが曹操と袁紹が争った官渡の戦いが曹操側の勝利で終わった後、袁紹側の野営地から袁紹側への寝返りを約束する大量の手紙が見つかったそうです。実際には袁紹側から曹操側へ寝返った人間が多かったのですが当時の情勢ではどっち勝つかわからず、むしろ曹操側が圧倒的に不利に思われていたこともあり、曹操側でも多くの武将が身の安全を求め袁紹側とコンタクトを取っていたそうです。
 ただ曹操はそうしたきわどい状況であったことを口にして、「みんなもいろいろ大変だったと思うから今回は不問にする」といって折角見つけた手紙を中身を改めずに全部燃やしたそうです。もっとも、私が思うに曹操の性格からしたら既に中身は改め終っており敢えてデモンストレーションとして見てない振りして燃やしたのではないかと思いますが。

 話は関ヶ原に戻りますが、当時の日本の情勢もどっちが勝つか全く予見できない状況で、恐らく多かれ少なかれこの日本を二分した戦いに参加した武将は身の保全を考え、冷静にどちらが勝つのかを分析した上で、どっちが勝っても生き残れるような保険をかけていたと私には思えます。親子間で東軍西軍それぞれに参加した真田家のような例もありますが、他の武将も東軍に参加しつつ西軍にも連絡を取ったり、その逆に西軍に参加しながら東軍と連絡をみんな取っていたと考える方が自然な気がします。
 そしていざ本番の関ヶ原に至るわけですが、こうした「勝ち馬に乗る」という戦略であったためか関ヶ原の序盤は非常に局地的な戦闘にとどまっています。西軍側では宇喜多隊、島左近隊などほぼ三成の直参部隊だけが戦っており、東軍側もこちらは徳川家直参の井伊隊のほかは福島隊、藤堂隊くらいしか真面目に戦おうとせず、東軍の側にもどうも日和見のような姿勢を取っていたと感じる武将がちらほらいるように感じます。もっとも家康もその辺を知ってか、そうした裏切る可能性のある武将を敢えて前面には出さず後ろに控えさせたのかもしれませんが。

 結果的には小早川隊の離反を口火に西軍で続々と願える部隊が現れ崩壊したわけですが、それこそほんの少しのかけ違いによってはこれと同じことが東軍にも起こっていた可能性があると思います。少なくとも石田三成、徳川家康の両大将はその辺りをあらかじめ認識していた節があり、味方の武将が事と状況次第では裏切る可能性があると考慮した上で戦闘に臨んでいたと私には思えます。ただ西軍にとっては、小早川隊の離反はある程度想定していたものの毛利隊が全く動かなかったというのは誤算だったでしょう。

 そうした点を考慮すると徳川家の直参でないにもかかわらず積極的に戦闘に参加した福島正則、藤堂高虎の二人の存在は東軍にとっても非常に大きかったことでしょう。藤堂高虎は恐らく家康が勝つ方にブックして臨んだ結果でしょうが、福島正則について言えばやはり三成憎しで動いた結果だったと思います。加藤清正については近年、猪武者ではなく理知的な人物でもあったという評価が広がりつつありますが、福島正則は未だ猪武者然とした評価が続いているのもわけありです。

2017年1月12日木曜日

上皇呼称に関する報道について

 最近ジャーナリズム論ばかり書いているので今日は張り裂けそうになるような話でも書こうと思っていた矢先、また毎日がやらかしました。

<退位後称号>「上皇」使わず 政府、「前天皇」など検討(毎日新聞)
天皇退位後「上皇」に 政府検討 秋篠宮さま「皇太子」待遇(日経新聞)
天皇陛下の譲位 政府首脳、毎日新聞の「前天皇」報道を否定(産経新聞)

 これは全部今日出たニュースで、見ての通り毎日だけ明後日の方向向いています。恐らく「上皇」という言葉を使いたくない人間が適当なことを吹いて、細かく確認しないまま毎日だけが躍ったのがこの結末でしょう。場合によっては、毎日自身が話を作った可能性も毎日なだけにあり得ます。
 仮に「上皇」という呼称が好ましくないという証言者がいたとしても、それをそのまま伝えるということはその証言者を利するだけの結果を生むだけに、本来やってはならない報道です。それこそ政府や別の委員に事前確認してそういう議論があるのかを確かめるなど裏付けを取った上で、「上皇呼称に抵抗示す声も」などと書けばいいのに、はっきりと上皇はアウトみたいなこんな見出し作るなんてアホ以外の何物でもありません。また駄目な理由についても「上皇は歴史的な称号で権威を与えかねず」といっていますが、それ言ったら天皇って呼称の時点でアウトだろうし歴史を知らないにもほどがあるでしょうこれ言った人。
 悪いけど毎日はここ数年、滝のように誤報を垂れ流している印象しか浮かびません。

 さてそもそもこの報道で何故ここまで憤っているのかというと、かねてから私の中で評価の低い毎日がまたやらかしたというのもありますがそれ以上に、密かに「上皇」という言葉が復活することを待ち望んで止まないためでもあります。なんでそんなウキウキしてるかって、恐らく歴史好きという趣味もあって単純にうれしいんだと思うのですが、今上天皇が「平成上皇」と呼ばれたりする時代が来るのかと思うとそれだけで楽しくなってきます。
 それだけ待ち望んでるだけあって、私としては退位後の今上天皇の呼称は上皇以外有り得ないと考えています。歴史的にもずっとそうした使われ方がされてきている上、皇室の伝統を維持する上でも呼ばない理由はどこにもありません。

 歴史上だと恐らく後白河上皇と後鳥羽上皇の二人が有名なトップツーでしょうが、まさか現代でこの二人のような権力を上皇が持つなんてはっきり言えば頭のおかしい人しかいないでしょう。むしろ私はこれまでの生活における制約が非常に厳しかったと思うだけに、上皇となられた暁には今上天皇ご夫妻にはもっと自由な生活を与えてあげて、それこそマックにぶらりと現れビッグマック食べたりするような生活を送ってもらいたいものです。
 そういう点を考慮しても、お勤めから解放させてあげるという意味でも生前退位は特別法とは言わず恒久法にするべきだという立場も取ります。

2017年1月11日水曜日

最近の取材なき報道を見て

モーニング編集長が読者に謝罪 朴容疑者は「進撃の巨人」担当ではなく「掲載誌の創刊スタッフ」(スポーツ報知)

 例の講談社の漫画雑誌編集者が逮捕された事件についてそれほど興味は持ってなかったのですが、上記の記事を見て別の意味でなんじゃこりゃと驚きました。というのもこれまで度の報道でも逮捕された編集者は人気漫画「進撃の巨人」の担当編集者だったと伝えられていたにもかかわらず上記のスポーツ報知の報道では、

「『進撃の巨人』の立ち上げ担当と報じられていることは事実でないと否定。掲載紙『別冊少年マガジン』の創刊スタッフで、『進撃の巨人』を担当したことはない」

 と、同じ講談社の編集者のインタビューが載せられてあり、同じ掲載誌の起ち上げに関わったものの「進撃の巨人」自体は担当していないと書かれてあります。そうなると一体これまでの報道は何だったのかと思うと同時に、これまで誰も取材してこなかったのかという意味で二重に驚きました。
 私個人の記者経験から述べると、このような間違いは報道に置いては本来絶対に起こり得ないはずですし、絶対に起こしてはならない初歩的なミスであります。その理由を説明するため、取材を絡めた記事作りの過程を簡単に説明しましょう。

 まず普通の新聞社などでは自前で拾ってきた情報というのは案外少なく、大半のニュースネタは企業が出すプレスリリースや、共同通信や時事通信などの通信社が配信するニュースリリースであったりします。そうしたリリースによる第一報を受け取った後、編集部内で誰が書くか担当者を決めて、決まった後でその担当者は情報を再確認するための取材を行います
 この過程が一番大事なのですが、仮に共同通信のリリースをそのまま使用するというのであれば「共同通信はこのほど~」といったようにネタ元が共同通信であることを示す必要があります。しかしこれではメディアとしてややかっこ悪く、ただの聞き伝えでないことを示すためにもよそが報じているニュースであろうとニュースネタの当事者に取材して、直接話を聞いて情報を得る必要があるからです。そうやって当事者から話を聞ければ、今回の場合だと「講談社はこのほど~」という風に記事が書けるようになります。

 実際に私もそうした取材を何度もやっており、一番多かったのはプレスリリースのない日経新聞のスクープネタの裏付け取材でした。こうした報道だとネタ元は日経新聞しかないため「日経新聞はこのほど~」と書いたりすると非常にかっこ悪いだけに、そのスクープの当事者である企業広報に電話して、「おう、日経がこない報じとるけどほんまかいな?」と聞かなければなりません。その際に気を付ける点として、すべての用語や数字について一言一句確認を取るというのがあります。
 投資話であればその投資額は○百万円で本当に合っているのか、実行はいつなのか、合弁相手の名前は正しいのか、たとえ日経新聞がそれら情報について既に記事で書き記していても絶対に直接確認しなければなりません。ちなみに確認すると意外と相違があったりして、「おいおいちゃんと取材してくれよ日経さん」と言いながら記事書いてました。

 話は本題に戻ります。今回の講談社の事件に関して言えば講談社に対して直接事実確認していれば「進撃の巨人」の担当編集でなかったことは絶対に事前に確かめられたはずです。しかし実際にはほぼすべてのメディアで上記の誤報を掲載しており、中には連載起ち上げに関わった後で現在は担当を外れているという報道もありましたが、一体何故みんなして間違った情報を流してしまったのか。結論から言えば第一報を報じたメディアもしくは警察発表に対し、どのメディアも裏付け取材を行わず、そのまま自分で取材確認しないまま無断で引用して垂れ流したからでしょう。

 上記で述べた通り、私が記者だった頃は既報であろうと必ず裏付け取材を行っていました。しかし今回の一件を見ると最近のメディアはそうした取材をやっていないということになるわけですが、この事件に限らずともこのところの報道見ていると取材したあとが全く見られない報道が多く、真面目に今現場はどうなっているのかと疑問に思うと共に物凄い危機感を覚えます。

 何気にそうしたほとんど取材せずに既報や会社発表だけを垂れ流す昨今のメディア状況に付け込んで書いたのが、昨年末の上海大江戸温泉の記事でした。それ以前に報じられている内容を見ているとどのメディアも取材したあとが全くなく、オープンしているにもかかわらず中に入って詳しくその状況や従業員に話を聞いたりするメディアが見られなかっただけに、「ああこれ突け込めるな」と直感的に思って書きました。
 何気にあの記事、入浴から熊本県庁、日本大江戸温泉への取材、執筆、編集、配信を一日以内ですべてやってのけた記事でしたが、他のメディアは多分、日本大江戸温泉に対してすらもそれまで全く取材していなかったのではないかという気がします。あくまで勘ですが、広報担当が質問に答える時の声が明らかに慣れていない感じしたし。

 私自身、何も取材だけが報道じゃないと考える立場ではありますが、最近のメディアを見ていると必要な取材すらサボっている現状が見られ、記者自身というよりもそれを統括するデスクや編集長などは何をやっているのかと強く疑問を覚えます。二年くらい前ですがテレビ朝日が自分で全く取材してないにもかかわらず週刊誌の記事を無断で引用して報じるということがありましたが、メディアの倫理観とかそういうレベルの話じゃないのに何故こんなことが起きるのか、メディア全体でこの方面についてもっと危機感を覚えるべきでしょう。むしろ取材姿勢について新聞、テレビメディアは、もっと週間誌を見習うべきかもしれません。

2017年1月10日火曜日

記者になるための条件

 たまには世の中に役に立つ情報でもと思いマスコミ志望者、特に記者志望の人たちになるためにはどんな条件が必要かどうかを伝授しようと思います。結論から述べると、字が汚いというのも一つの大きな条件です。

 真面目な話、記者が書く字は例外なく汚いです。誰かに読んでもらおうという意識なんて全くなく、中には漢字なのかアルファベットなのかすら区別つかないようなすごい字を書く人もおり、私が見てきた記者業の方々は例外なく悪筆の持ち主でした。これは男女に限らず、実際に私の同僚だった女性の記者は物凄い字が汚くて、あんだけ字が汚い女性は後にも先にも見たことありません。

 そういう環境にいたもんだからかつて高校時代に習字でクラス最低評価を取ったことがありながら、「編集部内で一番字が綺麗なのは俺だろう」と私は本気で信じてましたし、今でも間違っていなかったと思っています。私もそんな自慢できるほど字が綺麗、っていうか露骨に汚い方ですが、それでもあの連中に比べればまだ読める字を書ける人間でした。

 すこし真剣な話に変えると、字が綺麗というか丁寧に書く人は確かに記者は向いていない気がします。基本的に記者を含めたマスコミ業界は頭脳とかよりも体力で決まる所が多く、それも意味なく急いで仕事をぱっぱ片づける様な人材が向いていると思えるだけに、汚かろうと急いでメモ取るようなそういうタイプの方が絶対的に合っています。なので記者志望であるものの字が綺麗な方については、悪いことは言わないからもっと別の業界に目を向けた方がいいと本気でお勧めします。

 なお今現在はみんなパソコンで記事を書きますが、インタビュー時とか校正時にはやはり手書きが物を言います。インタビューの際はほんとに相手の話を聞きながら必要事項を的確にメモ取らなきゃならないのでたまに自分で書いておきながら判読に時間食うことすらあるのですが、この際に地味にお勧めなのは三色ボールペンで、重要だと思う箇所には色を変えて書くなどすると見返す時に効果を発揮します。
 私も三色ボールペンをよく使ってましたが、黒ボールペンだけで済ますことも少なくありませんでした。で、結構な頻度で物凄い量のメモを取るからすぐにボールペンのインクが切れてしまうのですが、個人的な意見を述べると三菱鉛筆のボールペンは性能が良すぎて駄目でした。というのもインクの出もよくなめらかなのですが、メモ取る際は基本走り書きになるため、なめらか過ぎると書いててブレーキが効かず、読み辛い文字が余計読み辛くなる傾向があるからです。いろいろ試した結果、程よくブレーキが効いてくれるため私は最終的にパイロットのボールペンにたどり着いて今でもこのメーカーのペンを愛用しています。

2017年1月9日月曜日

漫画「辱(にく)」を読んで

 なんか一昨日、天気悪くて一日中部屋の中にいてマルクス主義的(=無意味、空虚な)に変なテンションになってKindleの電子書籍で「辱(にく)」という漫画を買って読んでました。知ってる人には早いですがエログロ作品です。

 内容についてはネタバレを防ぐため詳細を省きますが、最近のエログロを標榜する作品の多くはひょいっとバラバラ死体とかを出すだけで全く面白味のかけらもないのに対し、こちらの作品は過程にディテールを置いてあってその面ではまだ読める方のエログロでした。ただそれはほかのエログロ作品と比べての話であって、全体を読み終えた感じの読後感はそれほど大きく残るものはなく、特に最後の話の冒頭で主人公がトラックに轢かれそうになるシーンを何故わざわざ見開きで書いたのかだけがすごい気になりました。ちなみにその後は特に引かれることもなく普通にトラックに同乗して話が進むだけです。

 あくまで素人としての意見を述べると、エロさやグロさが足りないとかどうとか言うのではなく、この作品にはホラー的要素が致命的に欠けているから読後感が物凄く悪いんじゃないかと勝手に想像しています。やはりホラー漫画の大家である楳図かずお氏や伊藤潤二氏の作品を読むとそのグロテスクな造形はもとより、話の奇妙さというか意味不明な名状しがたき怖さが読後も強く余韻に残り、ちょっと怖いけどもう一回読んでみたいという興味が湧いてきます。それに比べて「辱」を含めた最近のエログロ作品は、「どや、エログロいやろ!」と無駄に行為の残虐さや死体の描写を移すだけで、まぁこう言ってはなんですが花がありません。描写が激しければいいというのは映画で言えばB級ホラーにしかとどまれず、「一体何故こうならなくてはならないのか……」と読者が見ていて感じるような舞台設定があってこそ名作ホラーは生まれます。

 なおこの「辱」の舞台設定については、たまたま一致しただけかもしれませんが映画「ホステル」と共通する点が多い気がします。映画の方は文句なしに名作で「SAW」と並んで私が目を背けるくらいリアルに怖い作品だったのですが、漫画の方はそうでもなく鼻歌交じりに読んでました。決してダメな作品というわけではないですが上記の通りホラー的要素が致命的に欠けているように感じるため、続編ではその点をカバーしてくれたらいいなと切に願っています。

 あと最後に余談ですがある新聞社で尼崎支局にいた人が当時の事についてぽつりと、「尼崎だったらバラバラ殺人なんて日常茶飯事」と言っていたことがあり、これを関西出身者に話すと誰も否定しないのが密かに面白かったりします。


日本の駅構内で気になる黒いアレ

 中国語の豆知識ですがクロワッサンは「牛角」と言います。牛の角に似てるからでしょうが日本で牛角といったら焼肉なだけにちょい違和感があるのですが、自分が最後に牛角を訪れた際は友人と一緒で、精算時にTポイントカードを出し渋る友人に早く出すよう促したら、「じゃあ……出します」と渋々出すのを見て、万引きの補導員もこんな感じするなのかなと当時思いました。

 話は本題ですが、昨年秋に日本へ帰国した際に実は駅を見てすごい気になっていたことがありました。具体的には、「なんでこんな黒い物がいっぱい……」と最初はリアルに何が何だかわからなかったのですが大体五分くらいしてから、「あ、これガムか!」と、駅構内の地面に張り付き黒くなったガムの正体に気が付きました。ここ数年中国でJFK並に連投し続けているせいか、決して誇張でなく最初見た時は何なのかわかりませんでした。

 こういうと驚かれるというか書いてる私も書きながら妙に感じるものの、中国の駅構内であのようにガムが地面に張り付いたままになってることはまず有り得ません。そもそも中国人は路上だろうが駅構内だろうが電車内だろうが余裕で唾を吐き散らす癖に何故だかガムを路上で吐くことは恐ろしいくらいなく、実際に公道上でもガムがくっついている地面を見ることはまずないっていうか私が見たのは本当に数回くらいのような。
 一方、日本人は中国人みたくそこらじゅうに唾吐くことはないものの、多分JRの駅構内だったら多かれ少なかれああしたこびりついたガムが構内で散見されるでしょう。普段見ている人からしたら何でもないでしょうが、久々に日本帰ってきた自分からするとただそこに存在するだけで強い違和感を覚える代物で、黒いだけにやけに目につきます。

 今現在の日本だと昔と比べてガムをぺっぺ吐く非文明人はそんなにいないとは思うのですが、一体何故駅構内でああしたこびりついたガムが残っているのか。考えられる理由の一つはやはり未だにガムを吐くバーバリアンがいる、もう一つは昔にこびりついたガムがそのままになっていると言ったところでしょう。結論を述べると、もし後者であるのならコールドスプレーかけると剥がしやすいというので(「伊藤家の食卓」で言ってた)、可能な限り早く、最低でも東京五輪の2020年までにすべて剥がし終えておく必要があると思います。先程にも述べた通り見慣れていない人間からしたら有り得ないほどの存在感を放つので、美観的にとっておいた方が絶対的にいいと思うからです。

 ただもし現在進行形でガム吐く人間が多いとするならば、啓発ポスターなんかも作っておいた方がいいかもしれません。中国だったらこういう時、「文明人はガム吐かない」みたいにプライドに訴えかけるポスターや標語を使うのですが、日本人は同情心に訴えかけるため「吐いたガムを剥がす人もいる」とか、「ガム吐かれるとみんなが迷惑」みたいな標語辺りが使われるかと思います。
 この訴えかける対象がプライドか同情心かってのは案外文化的な差異が影響していて個人的に面白いと思うのですが、敢えて挑発的なポスター作れってんなら私なら「中国人は唾を吐く、日本人はガムを吐く?」とか、「見つけたぞ、ガムを吐く奴バーバリアン」、あとは「ガム吐く奴は殺せ」とストレートに言うのもいいかもしれません。

 ちなみに五輪関連の美観についてもう少し書くと、コンビニからエッチな本を排除するか否かでなんかその方面の出版社が物凄い戦々恐々としていると聞きます。私個人としてはそっち方面よりも、新小岩とか錦糸町当たりの駅前に乱立するラブホテルの看板をまずどうにかすべきだと思いますが。

2017年1月7日土曜日

中国で導入される外国人就業等級制度

中国、就労外国人をランク分け…4月から導入へ(読売新聞)

 今日はマルクス主義的(=意味なく、空虚な)にブログは書かないでおこうと思っていたらこの件が日本でも報じられていたので、一つ自分の方でも解説が必要だと思うので書くことにしました。

 中国当局が中国国内で就労する外国人をランク分けする就業等級制度を導入すると私が聞いたのは昨年十一月頃でした。この方面に通じている知人から話を聞いたのですが、上野読売新聞の報道と比べるといくらか内容に差があります。

 まず等級についてですが、読売の報道では「AからC」の三段階となっておりますが私が聞いた情報では「AからD」の四段階でした。Aは大学教授など超VIPであることは共通していますが、Bランクについては中国語も話せて比較的就業が好ましい外国人、Cランクは一般就業外国人、Dランクは就業が認められない外国人と私は聞いております。Aランクに入る人はほぼおらず、実質的にはBかCかで区別されるだけで中国語能力資格検定のHSKで6級を持っている私などは恐らくBランクに入るだろうと言われました。

 次にその導入時期についてですが、読売は今年4月からと報じていますが私は昨年末にも開始されるという話を聞きました。何故このような食い違いがあるかについてですが、先程調べてみたところどうもこの件は国内でも詳細が細かに発信されておらず、中国現地メディアが報じている内容は何故か外国メディア(ニューヨークタイムズなど)の引用で、どうもどうもかっちりとした出所が見えてきません。
 ただ、昨年末に導入というのは恐らく間違いだったのでしょう。というのも私はこのほどビザ更新を行って今週にパスポートが返ってきたのですが、現在手帳形式の就業許可証が導入以降は就業等級の書かれたカードになると聞いていたものの、今回カードはついておらずこれまでと同じように手帳の状態で戻ってきたからです。そうなると、読売が報じているように4月導入で正しいのかもしれません。

 あとこの就業等級はポイント制となっており、前述のHSK資格を取得することによってポイントが積み上がるということから、中国語のエキスパートであるがまだHSKを受けていない同僚が今度受けようかなと検討していました。ランクが高い方が手続き上で有利になるというので、高いに越したことはないでしょうし。

 なおこの件について先日私が同僚に話したこととしては、「制度で中国に先越されたね」という内容でした。これはどういう意味かというと、日本もこういうわかりやすい制度を早く導入する必要があると感じたからです。今後の日本は労働力不足が顕在化していき好まざろうと外国人労働者の労働力が必要となるだけに、それこそ日本語能力は日本での定着具合などから就業等級を定め、再入国やビザ更新等の手続きを優遇したり、逆に犯罪歴などから日本での就労を認めない外国人をふるい分けした上、外国人の採用を考える民間企業などに示す必要があるでしょう。
 自分はこういう発想の仕方をしたけど、他の人間はどうなのかなと思う当たり我ながら日本人離れしているなという気がします。