2010年7月27日火曜日

刑事罰における責任の捉え方

 昔、確か六年前に友人とテレビでニュースを見ていると、線路に自転車を投げ込んだとして中学生が捕まったというニュースが報じられていました。そのニュースを見て私は友人に、

「この中学生、もう死刑でいいよね」
「せやろなぁ。こいつも自転車投げ込んだら脱線するかもしれへんことくらいわかっとるやろしなぁ」

 自分でも本当に自分は死刑廃止論者なのかと時々疑わしく思いますが、この事件について言うならば私は投げ込んだ中学生は少年法とかそういった物を一切無視してもいいとこの時思いましたし、今でもそう考えております。

 そもそも何故少年法があるのかと言うと、善悪の判断がつかない、何が犯罪になるのか分からない子供は罪悪感を持つ事が出来ないため、罰を与えるよりはしっかりと教育を行っていくほうが当人にも、社会にもよいという考えから存在します。しかし先ほどの線路に自転車を投げ込むという行為については友人の言の通り、中学生であればそれがきっかけで電車が脱線する可能性も、それによってたくさんの人間が死ぬ可能性も容易に予測できるはずです。
 もしこの行為で少年法が適用するのであれば、私は本当に右も左もわからない小学校の低学年くらいまでの子供であればまだ仕方がないと思いますが、いくらなんでも中学生でこんなことも分からないで実際に行動に移すというのであれば先が思いやられるにも程があります。

 近年、著名な刑事裁判においては少年法、もしくは心神耗弱などといった理由によって弁護側より減刑を求めるという主張がほぼ確実になされていますが、そもそもの話としてこれらの適用があまりにも幅広すぎないかという気がしてなりません。報道される裁判を見ていても心神耗弱にしても善悪の区別がつかない状態というにはあまりにも程遠い容疑者ばかりで、それこそ先ほど私が言った「小学校低学年くらいまでの子供」のような状態なんてまずないでしょう。

 今日何を思ったのか三年前に起きた「渋谷区短大生切断遺体事件」をまた調べなおしていたのですが、この事件の一審では被告人に多重人格が認められて求刑17年に対して判決は懲役7年へ一部減刑が認められていました。言っちゃなんですが殺害後にバラバラに切断し、家族に対して知らない素振りを見せて遺体を隠匿しようとする行動を見るにつけてとても被告がそのような精神状態であったとは思えません。
 そしたら案の定二審では多重人格は否定されて懲役12年になったそうですが、いい加減、こういうくだらないことを裁判で言い合うのはもうよして、認められなかった場合には弁護側に明確なペナルティをつけるとかした方が裁判も効率化していいような気がします。

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