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2010年7月9日金曜日

匿名性と攻撃性

 なんかこの所、選挙が近いせいか出張所の方に記事内容とは全く関係のない、一方通行な政治主張をしつつ特定のアドレス、書籍ばかりを並び立てるコメントが多いので、最近私の気が立っているのもあるのでそれらコメントを削除すると共にコメント主をアクセス禁止にしました。言っちゃなんだけど、何が楽しくてやるんだろこういう人達。

 それはともかくとして、やっぱりこういったブログなり掲示板のコメントともなると中には日常世界で言ったらすぐに村八分になりかねないほどの過激な意見が書かれる事が多いと言われています。一体どうしてネット上では現実世界より意見が過激化、先鋭化するのかですが、原因は間違いなくネットの匿名性にあるでしょう。

ミルグラム実験(Wikipedia)

 私のような社会学系の人間にはもしかしたら「アイヒマン実験」と書いた方が通りがいいかもしれませんが、上記リンクに貼ったある実験の内容と結論を簡単に説明すると、質問者と回答者がお互いに顔が見えない様に2グループに別れ、もし回答者が質問者からの問題の答えを間違えたら質問者は罰として回答者に電圧を流すよう言われた所(実際には電圧はかけられず、回答者は痛がるような声を出すだけ)、質問者は回答者が回答を間違える度にどんどんと電圧を上げていき、最終的には実験者の大半が450ボルトという、人が死んでも全くおかしくないほどの電圧をかけるという結果になりました。

 ちょうど昨日にテレビ番組の「奇跡体験 アンビリーバボー」でこれと同じ実験をしたフランスのテレビ番組を取り上げていましたが、この実験が何を言わんとしているのかと言うと、人間は自分に責任が及ばないとわかるや直接顔の見えない相手に対してとことん冷酷になりうるということで、それゆえに上記のミルグラム実験はナチスドイツにおいてユダヤ人の大量虐殺を指揮したアドルフ・アイヒマンの名前を関するようになったわけです。

 これがネット上の意見とどう関わるかというと、いちいち言うまでもありませんがネット上では言い合う相手の顔も見えなければ個人の特定も難しく、まさに先ほどのアイヒマン実験のような環境にあります。それゆえに日常生活上では言えないほどの攻撃的な言葉や批判が行われ、それに対して言われた側もカチンと来てより激しく言い返して加熱して行くという現象があるとインターネット黎明期より指摘されていましたが、政治系の内容を扱う上は自分のブログもそうなるのかなと危惧していましたが今の所はまだそうはなっていない気がします。今回削除したのも、どちらかと言えば宣伝目的のものだったし。

 よくうちの親父から、このブログでの記事内容やコメントに対する私の対応が普段の私の姿からは想像も出来ないほど落ち着いているので意外だと言われます。実際に書いている自分でも、日常生活ではほぼ毎日、「死ね、ボケっ(# ゚Д゚)カス!!」とリアルに言っている自分がどうしてネット上だと攻撃性が低まるのかよくわかりません。なんていうか、むかつく相手の顔を見ている方が私の場合はイライラするのかな。

 ただ敢えて無理な解釈をすると、私はこのブログで自分のメールアドレスも公開していますし、通常のプライバシーを保てる範囲内では出来るだけ自分の匿名性を下げようと意識しています。政治系の主張をする以上は自分の発言に責任を持たねばならないと考えているがゆえの意識ですが、それゆえに私はかえってネット上の方が「人に見られている」と強く感じます。

 ここで言った「人に見られている」という意識ですが、これこそが日本人の行動に影響を与える意識の中では恐らく最も強いものでしょう。また暇があったらこれ単体で記事を書きますが、ネット上でも見られていると思うか見られていないと思うか、この意識の違いが結局はその日本人の潜在的攻撃性を図る上で一つの指標になるんじゃないかと今日バスに乗りながら考えていたわけです。

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