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2010年12月31日金曜日

自分の今年を振り返って

 年末最後の記事ということもあって、ちょっと今年を振り返ることでも書こうかと思います。

 中国で正月とくれば二月初旬の旧正月なので西暦での年末年始はあまり大きなイベントではなく、実際に今日も私は客先の日本企業は全部閉まってて暇でしたが会社に出勤してきました。それでも日系企業ということもあって明日から三ヶ日の三日間はお休みですが、土日を挟むのでなんか損をしているような気分がすごくします。
 それにしてもちょうど一年前の去年の12月頃、恐らくこうして中国で一人で年を越すなんて私は想像だにしていなかったでしょう。転職を考え始めたのはまさにその頃ではありましたが、内心ではどうせ今回も計画倒れで実行までは行かないだろうと思っていました。

 私に限って今年一年を振り返れば、やはり最大の事件は中国への転職に尽きます。決断する前から転職したら転職したで後悔するだろうと考えていましたがやらなかったらそれ以上の後悔をするだろうと思って最終的に決断に至りましたが、案の定というかこっちに来てからはほぼ毎日、「日本に残ってさえいれば」という考えが頭をよぎります。ただ人間、基本的に少し辛いと思うくらいの状況が本人にとっていい環境だと私は考えているので、死ぬほど辛い状況ではないので今くらいの環境が一番自分にとっていいのだと納得するようにしてます。
 幸いというか最近はこっちの生活とこっちの南方訛りにも徐々に慣れてきて、またひどく汚れてて電気もほとんどつかなかった自分の部屋もあちこちいじくった甲斐あって住みやすくなり、二週間前と比べると随分と生活に余裕を感じるようになってきました。

 ただこうして次のステージへの第一歩は踏んだものの、今年一年間で見ると自己研鑽が少なかったという反省があります。資格も何も取らなかったし運動も自転車乗り回すだけで必殺技とか何も編み出さなかったし、何かしらテーマを決めた勉強もあまりやってきませんでした。唯一少し勉強したと言えるのはホームページの「陽月旦」をリニューアルする際にスタイルシートとか簡単なHTMLを覚えなおした位ですが、こっちだとFC2にアクセスできないからまた放置することになるかもしれません。アップロードはできるのだろうか。

 執筆活動というかブログの方は他サイトにて取り上げてもらう記事がいくつかあり、またそこそこ固定読者を獲得できたと実感することも増えてきたのでそんなに悪くなかったと思います。ただ大学時代の貯金が減ったと言うか何か知られていない話題や知識を解説することがはっきり自覚するくらいに減って、やはりこのところの勉強不足が徐々に響いてきており再勉強の必要性を感じる一年でした。
 ただそうやって育ててきたブログの「陽月秘話」を中国のアクセス禁止の壁に阻まれてまたこのgooブログで一からやり直す羽目となってしまいましたが、こうして中国で再スタートを切るという意味では心機一転のいい機会だったかもしれません。必然的にこの「陽月秘抄」は前の「陽月秘話」以上に中国関連の記事が増えるでしょうし、ブログの方向性もややか違ってくることになるでしょう。

 逆に来年に対して抱負を述べると、もっと中国国内のニュースをこのブログの中で配信できるようになれるのと、中国人に直接インタビューできるくらい語学を伸ばして人脈も作れればいいかなと思ってます。
 今に始まったわけじゃないですが、このブログを中心に生活上の物事を組み立てることが増えてきました。来年はもっと固定読者が増えるといいな。

2010年12月30日木曜日

日本の司法が変わった年

 自分は見ていないのですが、友人が先日日本で放送されたタレントのビートたけし氏が司会する今年を振り返る番組で死刑制度が取り上げられてなかなか興味深い内容だったそうです。死刑制度については二年前に鳩山邦夫氏が法務大臣だった頃にそれまでなかなか執行されなかった案件を一挙に処理したことから朝日新聞に死神呼ばわりされましたが、この前もインタビューにて鳩山邦夫氏は大量執行したことに後悔はなく、むしろもっと執行命令を出すべきだったと息巻いていました。
 ただこうした死刑の問題以上に、今年はいろんな面で日本の司法が大いに変革を迫られた年だったように思えます。恐らく今後語られる日本の司法史において、このに、三年間は大きな転換の年として取り扱われるのではないかと早くも私は予想しています。

 具体的にどのような点で変革が起きたのかを挙げるとすれば、まず筆頭となるのは裁判員裁判でしょう。開始前でこそ適正に裁判が行われるのか、秘密やプライバシーなどは守れるのか、法律知識のない一般人に何が出来るなどと非難轟々ではありましたが、いざ実際に始まってみると思ってた以上に裁判員に選ばれた方々が真摯に裁判に対応し、また裁判所など司法側も法律知識の少ない裁判員にも理解してもらうためそれまで難解な法律用語を飛び交わせて専門家同士にしか通じない議論だったものを平易な言葉に切りかえ、裁判員のみならず傍聴者、または当事者である被告や原告にも内容が伝わりやすくなったそうです。

 裁判員裁判は去年から始まりましたが今年には早くも大きな節目があり、数件の裁判において死刑判決が議決されました。最初に裁判員裁判で死刑判決が下りた裁判では判決後に裁判長が被告に対し控訴を促すという前代未聞の発言があり各所で批判がありましたが、私は逆にこのときの裁判官のこの発言を高く評価しております。
 普通に考えれば中立を保つべき裁判官がこのように被告に控訴を促すというのは許されないことですが、仮に裁判員裁判の一審にて刑が確定した場合、裁判員らがその被告に直接死刑を議決して死に追いやったと心的負担を抱えることが大いに予想され、結果は同じだとしても裁判員の負担を考えるなら二審、三審で刑が確定させるべきだろうと私も思います。実際に死刑判決に関わる裁判に関わった裁判員らは会見などで強いストレスがあり、死刑に関わる裁判は専門の裁判官のみがやるべきではとも発言しています。

 こうした制度面での変革の一方、司法のあり方というか存在意義についても今年は大いに議論というか事件が起こりました。まずその前兆とも呼べるのは去年に起きた足利事件における菅谷さんの冤罪発覚事件で警察の捜査はもとより裁判において菅谷さんが無罪を主張していたにもかかわらずどうして見抜けなかったのかと、それ以前から一部で批判が起きていた国策操作などとあいまって司法への国民の信頼が大きく揺らいだ事件となりました。

 そんな中で起きたのが今年の郵便不正事件裁判における村木さんの裁判で、言うまでもありませんがこの事件では村木さんが無実だと明らかにわかっていたにもかかわらず検事が証拠を偽造し、無理やり罪に落とそうとしたという前代未聞の不祥事が発覚しました。この事件では証拠偽造を直接行い逮捕された前田容疑者に続き、村木さんの事情聴取を行った国井検事についても検察官適格審査会において罷免すべきかどうかが議論されていますが、前に見た村木さんのインタビューによるとこの国井検事は全く村木さんの話を聞かないばかりか暴言も多く、文面から村木さんが相当に怒りをもっていた人物なのだろうという印象を受けました。
 この証拠偽造事件を受けてか早くも各所で影響が出ていると思える事例があり、どこかの刑事裁判では警察による被告が自白を行ったという主張に対して裁判所側が自白は強要によるものとして退けたり、警察の要請を拒否して検察が立件を見送るなど司法側が捜査に対して慎重になっている節があります。

 私としてはかねがね日本の司法に疑問を持っていたので、ここ最近の事件などによるこのような影響を歓迎して見ています。また市民も司法に対して注目をするようになり、司法の壁というか閉じきった変な世界が徐々に開かれてきているようにも思えます。
 今、立法府においては小沢氏の裏金疑惑が訴状に上っておりますが、行政を含めて三権がきちんと機能するためには司法が独立性と正当性を保たねばなりません。今後も司法改革というか清浄化がいっそう進むことを切に願います。

 スカイプチャットしながら書いたから、えらく時間かかったな。

2010年12月28日火曜日

中国の外交が強硬化した理由

 中国の正月は二月なのと、新しい仕事に未だ慣れないためにいまいち年末気分で盛り上がれずにいますがそれにもめげずに今日もブログを更新します(つД`)

 さて今年も残りわずかとなってきましたが、今年一年を振り返ってみると中国関係では何よりもあの尖閣諸島沖漁船衝突事故が日本にとって一番大きな事件だったでしょう。いろいろ細かい事件はありましたが小泉政権が終わってから日中は割と波風少なく経済交流が進んできていたのですが、あの衝突事件以降はそれ以前からも徐々に輸出枠は減らされてきていましたが報復としか思えないレアアースの輸出差し止め(実際には他の貨物も止められてたけど)を始めとしていろんなところで無理難題を中国は日本に要求するようになって来ました。

 ただこのような中国の態度は日本に限らず先日のノーベル賞授賞式に平和賞を受賞した劉暁波氏の問題から他国に参加しないようにと斡旋したり、スウェーデンとの通商交渉をひっくり返すなど目に見えて近頃は強気な姿勢を出してきています。さらには同じ漁業の問題だとつい少し前にお隣韓国でも同じような漁船事故が起こって、日本の時同様に例の謝罪と賠償を強く請求しているようです。

 正直に言って漁船衝突事故が起きた際も私は最初は強気なことを言うけれども適当な落とし所で中国も引いて、事を余計に荒立てないようにするだろうと考えていました。しかし予想は見事に外れて中国は最初から最後まで強気な姿勢を崩さずにきたわけですが、どうも去年と比べて今年の中国は外交に対して一切の妥協を示さず我が物顔に振舞うように転換してきたように思えます。もちろんこれまでも十分わがまま放題な国ではありましたが今年はそれに輪をかけたというくらいの変貌振りで、何か内部に変動でもあったのかと疑うくらいでした。

 では一体何故中国の外交が強硬化したのかですが、いくつか考えられる理由がありますがまず第一に考えられるのは今年の十月で上海万博が閉幕したからです。中国は08年の北京オリンピックと今年の上海万博と、ごく近い期間に世界の注目が集まる国際イベントを連続して開催しました。無論中国としてもこれらのイベントは何が何でも成功させたいイベントだっただけに、北京五輪開会式での口パク少女、上海万博テーマソングが岡本真夜氏の曲のパクリだったなどいろいろ騒動はあったものの必死で押さえ込みにかかって何とか大過なく終わらせることが出来ました。
 この二年間は中国にとってまさにそんな慎重にならざるを得ない期間であり、事実私の目からも中国は地のわがままな性格を必死で抑えているなぁと感じる場面が少なからずあったのですが、今回上海万博が終わったことでようやく抑えるものがなくなったというかまた元の性格が出てきたのではないかと考えることが出来ます。そ

 こうした国際イベントの開催という理由ともう一つ、中国共産党内部で権力移動が起きているのではないかという疑いがあります。
 中国共産党は事実上中国政府と言ってかまわないのですがこの内部の権力ルールというのは割合にはっきりしていて、現在胡錦濤氏が務めている総書記職の任期はきっかり十年で、任期が切れるのは2012年なので実質胡錦濤氏の任期は残り二年間です。それだけに早くも胡錦濤政権の次についてはいろいろと慌しい動きがあり、元上海市長でこの前日本に来て天皇に謁見をした習近平氏が事実上ポスト胡錦濤に内定しております。

 元々胡錦濤氏が総書記に就任した際もその前の総書記であった江沢民氏の派閥が内部に多くいるためにあまり胡錦濤氏は好き勝手出来ないだろうと言われていましたが、習近平氏も江沢民派の流れを受ける人物であるために早くも胡錦濤氏が残り少ない任期という足元を見られて発言力が弱まっているのではないかと一部で報じられています。
 こういっては何ですが胡錦濤氏はこれまで日本に対し、あくまで損得勘定の上でしょうが割と好意的に対応してくれていたと私は思います。仮に江沢民時代、もしくは現在の状況で小泉元首相のように菅首相が靖国神社に参拝でも行おうものなら中国は官民揃って物凄い反応を示すでしょうが、小泉氏の参拝時はまだ胡錦濤氏らが中国国内を抑えてくれたおかげかその混乱のレベルもまだ知れていました。

 それだけに今回の漁船衝突事故時も適当なところで落とすだろうと私も踏んだのですが、結果はこのざまでした。江沢民派は元々対日強硬派が多いとの事で、2012年以降はこれまでのように日中がやっていけるかとなると少し雲行きが怪しいです。

2010年12月27日月曜日

就職情報の嘘と本当

 今年の大学生の内定率はかつて失われた十年と呼ばれた90年代の氷河期を越すほど悪化したと各所で報じられているのを筆頭に、不況ゆえかあちこちで週所気宇に関するいろいろな情報を目にします。それらの情報の全部とはいいませんが、私の見ている限りでもいくつか怪しいデータというか報道内容に疑問を感じる情報も少なくないので、今日はちょっと気になる就職に関するいくつかの情報について私の意見を述べようと思います。

  検証情報その一、「今年の大学生の内定率は57.6%」
 はっきり言えばこの57.6%という数字は嘘でしょう。
 日本、というより中国や韓国を含むアジア諸国は欧統計数字に感情を込めたがる傾向があり、数字に対して徹底的に冷徹になる米に比べて何かと数値がゆがむ事が多いです。特に日本においてこの就職率の数値ほど当てにならないものはありません。失業率についても同じことが言えますがなるべく数値をいい方向に持っていこうとするところがあって実態を把握する数字とはとても言い切れません。

 それではこの内定率算定のどこが問題かというと結論から言えばこの数字は、

  内定を得られた÷就職を希望する学生

 という計算式で算出されるため、全学生のうちの57.6%が内定を得られたという意味ではないのです。
 詳しく解説すると当初は就職活動を行ったものの内定が得られずにやむなく大学院に進学、もしくはまた別の専門学校に進学という選択を行った学生は母数に数えられず、そのほか就職自体をあきらめてしまった学生も加えられていない可能性もあります。

 なので実際のところ、私の勝手な予想を言わせてもらうと本当は就職したかった学生を含めれば今年の内定率は四割前後というのが関の山ではないかと見ております。


  検証情報その二、大企業はともかく中小企業は人手不足で新人が欲しい
 これも学生の内定率が悪いというニュースとともによく、「中小企業は人材が欲しいのに採用のミスマッチが……」という風に報じられますが、半分正解で半分はずれというのが私の見方です。
 そもそも大企業が採用を絞っているのは新たに新人を雇うだけの財務的余力がないということに尽きます。大企業ですら不況でそんな状態なのに、中小企業が新人を雇えるだけの余力があるかというと普通に疑問を感じずにはいられません。

 実際に私もまだ景気が良かった頃に就職活動をしてましたが、大企業と比べて中小企業は本当にいい人材を探そうとしているのか不思議になるくらいぞんざいでいい加減な募集をしているところが多く、「後で面接日などを連絡する」と言ったきりで何の連絡も来ないというのもざらでした。逆にこっちからまだ日程は決まらないのかと聞いたらもう採用は終わったと返事が来るし……。

 ただ人手不足というのは大企業を含めて当てはまる事実で、これも細かい説明は省きますが人手が足りなくて忙しいのに人員を増やせないという負の連鎖が今の日本社会の問題点の根幹であり、その原因はほかでもなくデフレにあるのが私の考えです。


  検証情報その三、企業は即戦力を欲しがっている
 わざわざ書くまでもないですがこれは事実でしょう。先にも言った通りに企業はどこも余力がなくて雇ってすぐに結果を出す人員しか求めていません。実際にはそんな即戦力な人間はそうそう転がっているわけじゃなくて言うこと信じて拾ったら実際とは違っていたというのが多いような気もしますが、社会経験のない新卒の学生にこんなことを要求する自体が間違いでしょう。
 これは逆に言えば学問に対して通常生活では役に立たないと価値を見出せなくなってきているとも取れ、無形の物を評価することができなくなるほど退廃してしまったとも取れるように思えます。今の学生が必ずしも勉強をしているとは私も言い切れませんが、私の就職活動中に大学でどのようなことをしたのかと聞く面接官はいても、どのような学問を学んだかという質問をした面接官はついぞ一人たりともいなかったという事実が如実に現わしているでしょう。

2010年12月26日日曜日

この週末の過ごし方

 昨日今日は中国に来て二回目の週末でしたが、まだ生活が安定していないのとのんびり過ごしたかったのとであまり家から離れずに過ごしました。

 まず昨日は早朝八時に家を出て先週に買った380元(約4,560円)の自転車でサイクリングに出かけました。走った距離は土地勘もないためにいまいちはっきりしませんが大体15キロ前後で、買った自転車性能を試す意味で走ってみたのですが結果はあまり芳しいものではありませんでした。

 一応中国の自転車メーカー(風鳳自行車)純正だと言われて買ったのですがまずギアがほとんど噛み合っておらず、前輪三段後輪七段であるものの前輪ギアは動かすとカタカタ鳴りだしてなかなか噛まず、後輪は多少は融通が利くもののペダル一回転ではギアが変わらず、三、四回転してから突然ガチャンと比較的強い衝撃とともに変わるので乗ってて非常に怖いです。多分普通の人と比べても私は自転車のギアを変える回数が明らかに多いのですが、この自転車ではそうそう変えてたら絶対にすっ転びます。しかもその後輪七段のギアのうち感覚的には表示は変わってもペダルの重さが変わらないギア段があり、実質三段くらいしか変速できません。
 こうしたギアの不調に加えてハンドルのパイプがきちんとフレームにはまっていないのか、ブレーキの度にハンドルが前のめりに少し動いては「ガッ」って金属がぶつかる音がします。動くといっても本当にミリ以下ではありますが乗ってると結構気になるし、故障の原因になるならなるでかまわないけど乗っている時に折れたらすごく嫌です。

 あと私にとって致命的だったのは、サドルを限界ギリギリまで上げたにもかかわらず私の体幹に合わずペダルを強く漕げない点です。手首足首がリアルに女性並みに細く(骨自体が細い)てお世辞にも体格には恵まれなかった私ですが、こと背筋に関しては子供の頃から群を抜いててこれだけは明らかに恵まれていました。その背筋を自転車を漕ぐ際に使う場合、自転車のサイズ(サドルからペダルの距離)と体が合うか合わないかでその使える範囲が大きく変わってくるのですが、比較的小柄な私にも関わらず今回買った自転車はやや小さ過ぎた気がします。自転車屋を眺めていた際にも思いましたがどうもこちらの自転車は全体的に小さいサイズが多く、その中で大きめのサイズを選んだつもりでしたがこれでもだめだったようです。通常ならそれほど苦労せずに時速30キロ以上の速度を出せるのですが、立ち漕ぎすれば無理じゃないけど全然スピードが出ない……。
 まぁ文句ばかり言ってもしょうがないので三ヶ月くらいは我慢して乗るとして、それ以降はもっと高くていいやつに乗り換えようかなと早くも検討中です。唯一褒める点があれば、ブレーキだけは利きがいいです。ほんとこれだけだけど、こんな自転車にブランドつけるあたりはさすが中国だな。

 と、自転車の話ばかりしてもしょうがないのでここらでやめて、そんな風にしてひとしきり走った後はちょっと優雅にケンタッキーで軽食を取り、そのまま近くのショッピングセンターに行って200元(約2,400円)の三洋製炊飯器を買いました。普段の食事は基本的に外食なのでそれほど必要でもないのですが、一応炊飯器があれば米をたいて小原がすいたときにおにぎりが食べられると考えて思い切って買うことにしました。ちなみにこのほか日本製ではパナソニック製も売ってましたが値段はどれも700元(約8,400円)を下らず、中国国内メーカーで最低価格が100元(1,200円)のと比べるとやはり割高でした。
 で、今度からブランド自体なくなる三洋の炊飯器ですが、敢えて規定されている水の量で炊いたところどうもパサパサした感じに炊き上がりました。米自体が中国米なのでその特性かもしれませんが、どうも日本と比べて水の量が少なめに規定されている気がするので今度はもう少し多めに入れて炊いてみようと計画中です。

 土曜日はその後だらだらとネット見たりPSPしたりして過ごしましたが、今回中国に持ってきたPSPソフトの「ガンダム バトルユニバース」が非常に面白くて助かっています。正直に言ってこんなゲームが存在したのかというくらいに面白くて、この感動は初めてPS2で「真・三国無双」をやった時以来です。

 そうして今日の日曜日。今朝はゆっくり起きて部屋の掃除などを午前中に行い、早めの昼食の後の正午ごろに家を出てまた自転車で近くの市場に向かいました。中国には築地みたいな市場があちこちにあって、屋根つきの広い建物の中で違法DVDやら服やら鞄やらそれぞれ様々なものを売る露天商が集まっています。
 今回私がそんな市場に行って探したのは掛け布団の下に使うような毛布で、近くのショッピングセンターにちょうどいい感じの毛布が売ってないので怪しい所だけどわざわざ探しに来たわけです。結果から言うと意外とちゃんとしたものを売っているおばちゃんがいて、180元のところを170元(2,040円)まで交渉して一枚の毛布を買いました。家で広げてちょっと横になった感じは悪くなく、値段的にも納得の金額ですが土曜の炊飯器といいちょっとお金を使い過ぎているような気がします。

 毛布を買ってきた後はちょっと買い物をしておにぎり用の塩を買い、家でごろごろした後の夕食は粗食で行こうとご飯一合のおにぎりのみを食べました。そうしてブログを書く今に至るわけですが、日記くらいでこんなみっちり書くものかとちょっと思います。

2010年12月25日土曜日

中国人は漢民族なのか?

 このところブログのタイトルを何にするか考える時間が増えておりますが、今回もまた考えるだけあって珍妙なタイトルになったと思います。恐らく大半の方は一見して、「何を当たり前のことを?」という具合に思ったのでは。

 現在の中国は多民族国家ではありますがその中で主要民族として一番力を持っているのは漢民族です。漢民族とは黄河流域に端を発する民族で、古代にて栄えた中国統一王朝の漢という国からその民族名が付き、何度か異民族の侵略を受け支配された歴史もありますが長きに渡ってこの地域に住み続けて現在の中国人口でも90%以上が漢民族とされます。それゆえに一般的にも中国人=漢民族という図式が浸透しており、メディアなどでもそのように扱われます。

 そんな当たり前の事実に何故今回私は疑問符をつけたのかですが、勘違いされないように先に言っておくと血統的には現在の漢民族は地域によって多少の混血がなされているとはいえ間違いなく歴史上の漢民族と同一民族です。今回私が言いたいのはそういった血統上の漢民族ではなく、文化という点で現在と過去の漢民族とで連続性があるかということです。

 漢民族の文化と聞いて一般的にもすぐ浮かんでくるのはこの文章でも数多く使用している漢字でしょう。この漢字は東アジア文化圏にて広く伝播しましたが現在でも使用しているのは日本、中国、台湾だけで、しかも日本は一部、中国は大半の文字を簡略化したために比較的オリジナル性を保っているのはもはや繁体字を使用している台湾位となっております。
 中国は早い時期からこの漢字という文字を持つ優越からかなり初期の時代よりさまざまな思想書、書道、文学といったものを作り、また科学的な研究も火薬や紙の発明や実用を行うなどあらゆる点で強い文化を持っておりました。

 それゆえに私の目からすると歴史上の漢民族は旺盛な好奇心と新奇性、独自性を持っていたように思えるのですが、翻って現在の漢民族こと中国人を見ていると厳しい言い方になりますがそのような性格がほとんど見られません。以前のブログの「陽月秘話」にても書きましたが日本の高度経済成長期と比して中国はすでに世界第二位の経済力を持つに至ったものの未だに中国発で世界に浸透し標準化した規格や発明、ブランドといったものはなく、その圧倒的に大きな市場を持つにもかかわらずついぞグローバルスタンダードへ昇華したチャイナスタンダードはありません。
 それどころか、日本もかつては「猿真似野郎」とアメリカさんから散々言われた時代もありましたが、今に始まるわけじゃありませんが中国は諸外国のブランドや技術を勝手に盗用、コピーをし続け、しかも日本のように「本物を越えるコピー」を作るのではなくあくまで「劣化コピー」を作り続けております。しかもその劣化様がデザインが妙に崩れたりとわざとやってるのかと言いたくなるような劣化ぶりだし。

 かつて東アジア諸国に漢字を広く伝播させたのと比べると現在の中国人は文化発信力というか、創造力などの点で本当に同じ民族かと疑いたくなるくらい差があります。しかも私が今の中国人を見ていて信じられないというか呆れる点として、パクッたものを堂々と自分が作ったなどとオリジナルを主張する点です。
 先日の四川省の遊園地に現れたガンダム騒動といい、パクッたところで本当に商売になるか怪しいもので且つ中国人同士でもはっきりとどこかからのパクリだとわかるものすらオリジナルだと主張する人が後を絶ちません。確かに中国人はいっぱいいるんだから中には変な人も少なからずいるのは仕方のないことでしょうが、妙なところでプライドが高いくせに人の物を盗んで恥ずかしいと思わないというのは歴史上の中国人と比べると隔世の感があります。

 一体どうしてこれほどまでに今と昔の漢民族で違いがあるのかといえば、結論を言うと原因は間違いなく文化大革命です。文化大革命については「陽月秘話」内で私も必死に解説しましたが、文化大革命によってシャレや冗談抜きでそれ以前の中国文化を継承してきた人の大半が根絶されたことからそれまでの中国文化の積み重ねや土台はすべて崩されました。しかも中国は先にも述べた通りに漢字を日本以上に簡略化したことで、日本もあまり言えた義理ではありませんが自国の古典を個人の力で読むことは不可能となって、この点でも文化の継承が出来なくなっています。

 以上のような考察から私は文化大革命以前と以後で、血統的には同じ漢民族でも文化的には全く別の民族として扱うべきだと考えています。しかもまだ文化大革命以前の時代を知る人間がいる今ならともかく、現代の若者のように全くその時代の空気を吸ったことがない世代が大半を占めるようになればますますこの傾向に拍車がかかることでしょう。そういう意味では現代中国人の行動や思考を読むのに昔の文献とかはあまり役に立たず、比較的新しい時代の自分ら社会学士や社会学者の研究や論文のが有用かもしれません。新しい論文は玉石混合だけど。

 最後に今回の逆説として、日本人は日本人なのかという問いについて少し書いておきます。これ一つで記事書いても面白いトピックですが現代日本史で一番大きな転換期は言うまでもなく終戦によるGHQ統治で、当時の議論とか坂口安吾や三島由紀夫の話を聞くに付け日本人は悪い意味で変わってしまったと当時の言論人や学者は考えたようですが、あくまで現代の若者として私の意見を言うと明治から昭和前期までの日本人こそがそれまでの日本の歴史上で異端であったように思います。かえって現代の日本人は明治や大正期よりも、時代は離れていますが江戸時代の日本人の方が近いのではないかと考えています。ま、江戸っ子文化は関東大震災でなくなったそうですけど。

2010年12月23日木曜日

郵政国営化見送りと嵐の前の正月

 2005年の小泉政権時、俗に言う「郵政選挙」にて大勝した自民党は郵政公社を民営化する郵政民営化法案を可決させました。これによって国の機関の一部であった郵政は計画通りならば数年後には株式公開によって完全民営化が果たされることとなったわけですが、小泉政権を引き継いだ安倍、福田、麻生政権はこの民営化に逆行する政策を採り(麻生元首相にいたっては在任中に民営化に反対だったと公言までした)、去年民主党が政権交代を果たすと元々郵政民営化に反対していた国民新党と連立を組んだことにより民営化は完全に見直しを図られることとなりました。

 そもそもの話をすると民主党は2000年代初頭は民営化に肯定的な立場を取っており、郵政選挙の際も小泉政権の計画では完全に民営化できないと逆の意味で批判がされていました。それが政権交代後に立場をひっくり返したのはほかならぬ国民新党との連立以外に理由はないのですが、当時の鳩山前首相はこの郵政民営化見直し、というよりも事実上の郵政再国営化にやけに乗り気で今年の通常国会で法案を可決させようと随分意欲的に活動していたように思えます。

 しかしここで大きなハプニングが起きます。法案提出間近といわれた通常国会終盤で鳩山前首相が突然の辞意を表明し、民主党内で党首選挙が行われることとなったのです。結局その党首選挙は菅首相が勝って今に至るわけですが、菅首相は当初、この郵政民営か見直し法案を選挙前の通常国会前に提出して可決させると国民新党の亀井代表に約束しておりました。しかし結論を言えばその国会内では法案は提出されず、菅首相は参議院選挙を控えて会期がほとんど残されていなかったということを理由に挙げた上で選挙後の臨時国会では必ず可決させると国民新党に約束しました。

 ちょっと前置きが長くなりましたがそのような過程を経て現在に至るものの、結局その臨時国会でも法案は提出されず菅首相は国民新党への約束を事実上ないがしろにしました。この菅首相の郵政国営化に対する姿勢について私の意見を述べると、実によくやってくれたと声を大にして誉めてあげたいです。
 私の郵政に対する意見は前のブログの「陽月秘話」で散々書いたのでここにはもう書きませんが、基本的には電子メールの発達した今の時代で郵便事業は不良債権となるよりほかがなく、早めに民営化などで切り離し、後々の禍根を絶っておくべきだとして民営化に賛成です。

 そんな郵政民営化の現在の状況についてだけなら誰でも解説できるので今日この記事でトピックとして挙げたいのは、一体どうして菅首相は国営化を推進しなかったのかということです。
 いくつか考えられる理由がありますが、まず第一に菅首相自身が初めから民営化に対して賛成でなかったという説です。これは本人でないとなかなか推し量れないのですが、仮にそうだとしたらなかなかに菅首相は寝業師だと評価することができます。何故かというとすでに述べたように菅首相は就任自から国民新党に法案の可決を約束しており、やる気もないくせにこのような秋風を送ったというのは国民新党との連立を維持するための空約束だったということになるからです。日常生活で嘘をつく人間はいろいろと迷惑ですが政治上ではある程度こういった駆け引きが要求されるので、「アホ菅」と言われながらも意外にやる時はやるもんだと評価することができます。

 ただ私としてはこの「初めから反対説」ではなく、「途中でやる気をなくした説」のが可能性が高いと考えています。
 元々郵政民営化見直しは国民新党の案で民主党内の議員もそれほど積極的ではありませんでした。加えて前回参議院選挙の結果から国民新党との連立の必要性も薄れており、ほかの法案の審議時間を削ってでも何が何でも通す必要性は小さくなっていました。また菅首相のほうも参議院選挙後はAPECやら中国漁船衝突事件などがあって余り関りたくなかったのかもしれません。

 ただそうした政権内の問題以上にこの問題に一番影響を与えたと私が見ているのは、夏に起きたお歳暮が遅配事件ではないかと思います。覚えている人には話が早いのですが今年夏のお歳暮シーズンを前に郵政とペリカン便が今後連携を取るにあたって集配システムを統合したのですが、新システムの訓練もままならないままに押し切ってやってしまったようでその時期に大量に流れてきたお歳暮の配達処理がままならず全国各地で遅配、誤配が相次いで起きました。
 ちょうどうちのお袋もこの時期にワインを通販で購入していたのですが、案の定配達が指定日から数日遅れて届きました。ただうちはまだワインだったので遅配してもそれほど影響はありませんでしたが、生ものとか冷凍品の場合は腐ってたり解凍された状態で届けられたらしく被害に遭った人のことを考えると不憫な気がしてなりません。

 ペリカン便との統合は郵政が多角化をせず単独でもやっていくためという目的で実施されたわけですが、かえって郵政の郵便宅配システムの信頼を落とすこととにしかなりませんでした。この事件を見て多分私以外にも、民営化から国営化にまた舵を振り戻したからこうなったのではと考える人もいたのではないかと思います。少なくとも民営化法案が可決してから数年間、このような遅配はなかったのだし。

 こうした混乱を受けて民主党内では郵政に関しては手を触れないでおこうという認識が出来、菅首相の空約束につながったのではないかと考えているわけです。私としても再度国営化なんてされるべきではないと考えているのでこのような民主党の姿勢は歓迎しているわけですが、今度のこの郵政の試金石となるのは日本で一番郵送物が集中する正月だと見ています。別に民営化される以前から年賀状の誤配などがいつも起きるこの時期に果たして今の郵政がどれだけ対応できるのか、少なくとも年末のこのお歳暮シーズンは何とか乗り切っているようですが郵政の今後を考える上で非常に重要な正月となることでしょう。


  おまけ
 私が高校二年生だった頃、たまにはふざけた年賀状を作ろうとゲームで使われたある画像のみをはがき裏に印刷して友人らに出しました。その年賀状に使った画像というのはひげを生やした変な首だけの妖怪が中央にいるのを筆頭に、背景には鬼とか人魂とかが写っているというゴーストチックなインパクトの強い画像でしたが、冬休み明けに学校に行くと各家庭でそこそこ話題になっていたようで、「あの年賀状を出した奴」でしばらく通用したそうです。

2010年12月22日水曜日

伊能忠敬と勉強を始める年齢

 昔テレビ番組にてタレントのタモリが、「一番好きな歴史上の人物は?」という質問に対し伊能忠敬の名前をあげたのを見てやっぱりこの人は通な人なんだなぁと感じたことがあります。

 伊能忠敬については知っている方も多いと思いますが、日本中を歩き回って衛星写真はおろか航空写真すらない当時にして非常に正確な日本地図である「大日本沿海輿地図」を作成した人物です。この地図はかのシーボルトが出国の際に持ち出したことで国外追放処分を受けることとなった因縁の地図でもあるのですが、シーボルトが持ち出したものを(恐らく写本となって)回りまわって日本に開国を求めてきたペリーも持参してきており、Wikipediaの記述によるとペリーはこの地図を大まかな見取り図かと思っていたら海岸線の距離など余りにも精確であったために驚いたそうで、日本は侮るべからずと心胆寒からしめたというほどの出来だったそうです。

 そんなすごい地図を作った伊能忠敬ですが、彼は始めから測量を行う役人はおろか地図作りに関して専門的な教育を受けていた人物ではありませんでした。彼は村の名主の生まれではありますが若い頃は商人として生き、店を息子に譲って隠居してから江戸に出て本格的に勉強を始めたのですがそのときの年齢は実に五十歳で、当時の平均寿命といってももいい年齢でありました。地図作りが始まったのは勉強開始から六年後の五十六歳からですがいい年しながら実に健脚この上なく、最終的に地図は彼の没後に弟子が完成させるのですが地図作成までに彼が歩いた距離は地球を数周するほどだったそうです。

 私がこの伊能忠敬のエピソードで一番よく使うのは、学問を始めるのに年齢は関係ないということを説明する際です。確かに伊能忠敬が相当頭のいい人だったというのは間違いないでしょうが、それにしたって一般的には物忘れが激しくなりだす五十歳から勉強を始めてこれほどの偉業を達成できたということは注目に値し、やり始めるのに年齢は関係ないということを強く示す例でしょう。また伊能忠敬に限らず、ある程度年齢がいってから勉強を始めてすごい記録や偉業を打ち立てた人はほかにもいます。

 ちょっと検索をかけてみたらあっさり見つかって話は早いのですが、あの小中学生が妙に競い合う円周率の暗誦において世界一位の人物はほかならぬ日本人で、下記サイトの運営者です。

円周率πの達人 原口證

 その世界記録である原口氏の暗誦数は101,031桁という途方もないものですが、私は以前にこの原口氏の暗誦記録挑戦のエピソードを読んだことがありました。そのエピソードによると原口氏はある日新聞を読んでいると海外で円周率を五千桁まで暗誦して世界記録を作ったという人のニュースを読み、「向こうが五千桁なら五万桁に挑戦してみよう」と考えたそうです。
 原口氏は確か二十歳か三十歳かの頃に記憶力が落ちてきていると感じてそれから記憶力を高める練習をやり始めたのですが、その五万桁暗誦挑戦時は確か四十歳をとうに過ぎていながらも、居並ぶ記録証明人らの前で一回だけ詰まったものの、見事五万桁を正確に暗証して見せたそうです。知らないうちに十万桁まで達成してたようだけど。

 この原口氏ともう一人、私がよくこの手の話で引用する人物ですが、生憎こちらは名前を失念してしまったのですがある樹木医の方です。その方はかねてから朽ち果てそうな樹木を再生するような仕事をしたいと考えており、定年の60歳まで働いた後から植物について勉強を始め、その後逝去するまでの間に数百本の樹木の再生を行ったそうです。再生した樹木は主に寺社や仏閣などにある大木なのですが、その中には触るとたたりが下るという平家関連の樹木もあったそうですが、さすがに平家の落ち武者もお医者さんには手を出さなかったようでたたりはなかったそうです。

 うちのお袋なんかはよく、「若い頃は何だって覚えられたのに」とパソコンの操作を私に聞く時にぼやいたりするのですがその度に私は、「お袋が若い時ほど物を覚えようという気力がないだけで、年齢のせいにするな」と厳しく言い含めています。
 上記に上げた三者のエピソードといい、また自分の体験談からといい、年齢とともに物覚えが悪くなるというのは肉体の衰え異常に学ぼうという気力の衰えが原因だと私は思います。年をとっても自分の興味のあるものはすぐ覚えられますし、若い頃はなんだって覚えられたというのは学校というある種勉強を強制する機関があるからこそでしょう。

 これは逆に言えば学問を始めるのに年齢は関係ないということです。物を始めるのに遅すぎるという年齢はなく、やる気さえあればこと学問に関しては私は何とかなると思います。
 最近は不況の影響か生涯学習という言葉が余り聴かれなくなりましたが、私は日本において本来大学に行くべき年齢はある程度社会経験を経た三十歳くらいの方々だという気がします。理想は高校卒業から数年間働いてから行くべきだと思いますが、紋切り型新卒一括採用の今の日本では難しいでしょう。

2010年12月19日日曜日

サイト移転のお知らせ

毎度、陽月秘話をご贔屓いただき、誠にありがとうございます。この度管理人
が中国に長期滞在することとなり、中国からではこのサイトにアクセスができず
更新もままならないために今後は下記サイトにて更新を行うことにしました。

移転先サイト:陽月秘抄
http://blog.goo.ne.jp/miyamakikai

陽月秘話をお気に入りに登録されている方は、誠にご面倒ではありますが上記
アドレスに変更を行っていただくようお願いします。今後とも、陽月秘話改め陽
月秘抄をよろしくご閲覧のほどお願いします。

2010年12月11日土曜日

今日漫画喫茶で読んだ漫画

 今日は朝早くから漫画喫茶に行って来ました。目当ては「スティールボールラン」の最新刊と先日最終巻が出た「鋼の錬金術師」で、本当はコーヒーのうまい別の漫画喫茶に行きたかったのですがその店はこのところ店長の体調不良でやってないので、本当にシャレにならないくらいまずいコーヒーを出す所に行きました。それでも飲んだけど。

 それで読んだ感想ですが、「スティールボールラン」もほとんど終わりに近くて前刊から迫真の戦闘シーンが続いていて非常に面白く、この刊に限るわけじゃないですがジョジョシリーズは戦闘の最中にちょこっとエピソードじみた話を入れるのがうまく、今回もそれが強く印象に残っています。

 もう片っ方の「鋼の錬金術師」については説明するまでもない近年、というより2000~2009年代の漫画における最大ヒット作といっていい作品ですが、最終巻はどんな結末になるかとこちらも楽しませて読ませてもらいました。詳しい内容についてはネタバレになってしまうと良くないので言いませんが、この作品についていいたいことというかなんというか、なんでも作者の荒川弘氏はこの漫画の連載中に普通に妊娠、出産を経験しているらしいのですが、他の雑誌でも連載を掛け持ちしているにもかかわらず一切休まずに連載を続けたそうです。

 荒川氏だけならこの人が相当すごい人だで終わるのですが私が贔屓にしていて、荒川氏と同様に他の雑誌の掛け持ち連載をしている楠桂氏も同じスクウェアエニックス発行の雑誌で連載中に妊娠、出産をしており、恐らく本人らも編集部と話はしているでしょうが、この出版社はもう少し作家の体調管理を考えてやれよと言いたいです。

2010年12月10日金曜日

鹿児島夫婦強殺事件での無罪判決について

 今日はいろいろ書かなくちゃいけないのに、つい先ほどに私が愛読している「ノノノノ」という漫画が打ち切られていたという事実を知ってかなりしょげています。何もブログ書く前に知ることになるなんて……。

・<鹿児島夫婦強殺>「疑わしきは被告の利益に」 原則貫き(毎日新聞)

 今日取り上げるニュースは上記リンクの、鹿児島県鹿児島市で夫婦が殺害された事件で犯人として捕まり検察から死刑が求刑された白浜政広被告に対し、裁判員裁判にて無罪判決が下りたという事件についてです。

 事件詳細については他の記事に譲りますがこの事件における警察の捜査、検察の立件の仕方に対しては疑問を感じざるを得ません。警察がどうして白浜氏を犯人として捕まったのかというと犯行現場から白浜氏のDNAが網戸から、指紋がタンスから見つかったからだと主張していますが、網戸のDNAについてはすでに試料を使い切っているので再鑑定できないとしており、タンスについていた指紋というのもよくよく調べてみるとタンスそのものではなく、タンスの中に入ってあった封筒一枚についていたものだったようです。
 また警察は今回の事件を金に困った白浜氏が金銭目的で強盗に入ったと動機を説明していますが、タンス自体は荒らされていたにもかかわらず現金や通帳には一切手がつけられておらず、先ほど述べたように封筒にだけ指紋がついているというなにやら腑に落ちない点も少なくありません。指紋についてはこのほか凶器とされたスコップにもついておらず、夫婦を殺害する際に手袋などをつけて指紋を残さなかったとしたら、その後タンスを開ける際に手袋を脱ぐとは考え難いと裁判員からも指摘されております。

 そして極めつけが犯行現場に数多く残されていたという靴跡で、白浜被告の所持していた靴とは全く違う靴底だったようです。もちろん犯行用に使用して使用後は処分したとも考えられますが、それでもその場合は入手経路などを辿る事も不可能でなく、この点についてなんら言及をしなかった鹿児島県警は一体どんな捜査をしたのかという気がします。さらにはこれだけ曖昧な点、はっきりと証明され切っていない点があるにもかかわらず、いわば取り返しがつかなくなる恐れのある死刑を求刑した検察にも頭を傾げざるを得ません。ついこの前にDNA鑑定の結果のみに頼った挙句冤罪を作ってしまった足利事件が出たにも関わらずどうしてこれほどまで強気で来たのか、時代遅れも甚だしいでしょう。

 過去を穿り返すと鹿児島県警は以前にも志布志事件といって、初めから冤罪だとわかっていた一般市民らに対して暴言や脅迫を行って選挙法違反の自白を強要するという呆れた事件を起こしています。私も鹿児島に生まれた人間の一人であるためにもうこういうことは会って欲しくないと陰ながら願っていましたが、群馬県警、栃木県警、神奈川県警、大阪府警、北海道警らと同じで、不祥事を起こすところは何度でも起こすものです。

 最後に、仮にこの裁判が裁判員裁判でなかったら、以前までの裁判だったらと考えた場合、私は死刑とはならずとも無期懲役刑が判決されていた可能性が高いと考えております。裁判員裁判や足利事件、そしてつい最近の厚生労働省の村木氏の裁判の影響から、日本の刑事裁判はここ一、二年で劇的に変化が起きています。私としてはこの変化を大いに歓迎しており、今回の無罪判決も報道を聞く限りで支持する次第であります。

2010年12月9日木曜日

政倫審を巡る仙谷対小沢の攻防、絡む自民党

 本日の朝日新聞の朝刊でも取り上げられていましたが、政治倫理審査会への小沢一郎氏を招致するかどうかで民主党内が揺れていると各所で報じられています。首相の菅直人氏は来週月曜にも来年の通常国会にて小沢氏を招致することを発表すると言われていますが、これに対してリアルに焦っているのか小沢氏側もここ数日の間に異様に活動的な様子が報じられています。

・きな臭い…小沢氏、舛添氏、鳩山兄弟会食(日刊スポーツ)

 上記リンク先ニュースにある通りに一昨日の晩、小沢氏、桝添要一氏、鳩山由紀夫、邦夫兄弟が四人揃って会談を行いました。そこで話された内容について参加者は明かしてはいませんが評論家に伺うまでもなく反菅政権色の強い四人なだけに、菅政権を崩壊させた上での政界再編を話し合ったのではないかと思われます。
 また同日、自民党の谷垣氏はかねてから自民と民主の大連立を主張している読売新聞の渡辺恒夫と会っており、報道によるとやはり渡辺から大連立を進められたものの谷垣氏は今の民主党とでは組めないとして拒否したと伝えられております。

 この小沢氏と渡辺氏の動きは内容はもとより時間が一致していることからもある程度示し合わせてのものだと思われます。大メディアの報道では政倫審に菅首相もとい仙谷官房長官がどうしても出席を求めるのであれば党を割る、もしくはそのような牽制でもって菅政権を崩壊させ、自民党の面々と合流した上で新たな内閣を小沢氏が作ろうとしているのではと報じられていますが、私としても同じような見方をしています。そしてそんな小沢氏の動きに失地回復を図ろうとしている鳩山由紀夫元首相、中途半端な自分から脱却したい鳩山邦夫氏、勢力を伸ばしたい桝添要一氏が同調し、渡辺恒夫は自民党へ地ならしに行ったというのが12/8の夜だったと思います。

 ただこうした小沢氏の目論見が上手くいくかとなると、私はそうも行かないと思います。小沢氏側は仙谷氏に問責決議案が下りたのだから菅政権より自分達に支持が集まると思っているかもしれませんが前回の民主党代表選といい、今の時点で以っても菅か小沢かといったら菅首相を取る人間の方が多いような気がしますし、私自身もその側です。その上で小沢氏はすでに検察審査会での強制起訴が決まっており、お仲間が爆弾兄弟こと鳩山兄弟に人気が急落している桝添氏だけでは話にならないでしょう。特に桝添氏については以前はあれだけ口汚く小沢氏を批判していたのにという気持ちが私にはあります。

 そして凌ぎ場となるはずの自民党側もその辺のリスクを承知しているのか、谷垣氏も大連立には難色を示しており、また昨日には石破政調会長も、

・自民・石破氏、大連立「脱小沢の民主なら」 可能性に言及(日経新聞)

 と、谷垣氏と全く同じ事を言っているので、福田元首相くらいの年代ならともかく大半の自民党議員は民主党以前に小沢氏と組む事自体に警戒感を持っているように伺われます。

 私としては是非このまま仙谷官房長官に小沢氏を政倫審にかけてもらい、小沢氏にも手下を引き連れて民主党を分裂してもらいたいと考えております。それによって政界再編が起きるのであれば今現在で理想的な分かれ方になり、日本政治全体にも好影響を与えると信じております。
 さらに注文をつけるなら、これを気に小沢氏を完全に政界から放逐できれば何も言う事はないです。小沢氏を支持している方には申し訳ないですが、私はこの十年の間に小沢氏が政策的な発言をしたのを全く見たことがなく、むしろ政策的議論をなんらかの不祥事なり事件なりにかこつけることで政争に祭り上げ、議論をおかしくさせてきたようにしか見えません。私は渡辺恒夫ともども小沢氏は今の時代には不必要な人材であり、早く表舞台から退場、それも過去の清算も果たしていなくなるに越した事がないと考えております。

 今の菅政権は誉められた政権運営だとはとても言えません。ただ小沢一派を放逐することに価値があると私は考えているので、もしそのように動くのであれば私は支持していこうかと思います。

悪法は守るべきかどうか

 昨日は「お上と法律」といって、市民に法を従わせるためにはお上がある程度率先して法を守らねばならないという事を私は主張しましたが、この法律を守るか守らないかの議論において一番重要な議題となるのは、「悪法といえども守らなければならないのか」という事だと私は思います。そしてこの根源的な議論に最初に挑んだというか象徴的に取り上げられるのは、今日取り上げるソクラテスでしょう。

 ソクラテスについては詳しくここでは話しませんが、彼は当時の人間からしても明らかに不当な裁判によって死刑判決を受け、それに同情する人々から逃亡を薦められるもそれを拒否し、「悪法といえども、法は法」といって自ら毒杯を煽って死しています。このソクラテスの言った「法は法」という言葉と彼の行動、ひいては「ソクラテスは生きるべきだったのか死ぬべきだったのか」に対して文系の学生なら一度は議論しておいてもらいたいものなのですが、果たしてどれくらいいることやら。こういうからにはもちろん私も議題に上げて議論をしたことがあるのですが、根源的な内容なだけに画一的にこれが正しいという結論は求めず、確か友人と意見が分かれたままで終えた気がします。

 それで私の意見を紹介すると、結局どっちつかずでした。確かにソクラテスの言うとおりに間違っていると分かりきっていたとしても法を破れば間違った法を運用する人間らと同じになってしまうというのも分かりますが、死んでしまったらその法を改革する事もどうにもする事も出来なくなる事を考えると、恥を忍んででも生きて世の中をよりよくするために活動していくべきだったのではという、どちらかといえば「生きるべき」論の側に至りました。

 ただしこれはソクラテスのように命が懸かった場合に限る話で、それ以外の軽微なものであれば私は悪法といえども従うべきだと考えています。
 今現在においてもやれ法人税を下げろとか規制を減らせという様々な法律改正の意見はありますが、その意見を発信する人間はどんな人間かと辿るとほぼ間違いなくそれらの法律改正によって利益を得る人間ばかりです。法人税の減税主張者は経団連の人間で、規制解除論者も新規参入を図る人ばかりで、こう言ってはなんですが自らが不利になるといえども公益のために法律改正を叫ぶ人間はほとんどいません。

 まぁお互いに利益を追求する事で成り立つ資本主義社会なのだからそれはあながち間違いではないのかもしれませんが、時たまこういった法律改正を叫ぶ人間を長く見ていると、時間の経過によって全く反対の意見を言い始める人間も中にはいます。何故その人間が従来の主張をひっくり返したのかと言うと、これまた言ってしまえば以前の案だと自分の不利益になってしまうように状況が変わったことに他ならないでしょう。

 最近はモンスターペアレンツなど堂々と果たすべき義務も果たさず法律が悪いという人が表にはっきりと出てくるようになりましたが、私は恐らく、彼らが悪いと言っている法律が自らに利益をもたらす立場となれば全く逆の事を言うと思います。そういった事を考えると、最低限法律を変えるべきだと主張するからには悪法といえども従うような、最低限の節度というか公益性を持つ必要があると考えます。
 ただこれも突き詰めてしまうと政府の言論統制に何でも従うべきだという意見にもなってしまい、ノーベル平和賞で揉めてる中国なんかを見ていると法律破ってでも思想や報道の自由は守らなければとも考えてしまいます。

 そういうわけで結局この議論はケースバイケースで、画一的に出せるものじゃないということになってしまいます。ただ日本においては命まで取られる様な事態はそれほど多くないと思うので、変な法律でも私は守りつつ改正を主張するべきだと思います。
 ちなみにこれまで日本の年金について私もいろいろ言ってきましたが、今度から海外で暮らすために支払いを止めたのでこれからは文句言わない事にします。

漫画家レビュー:押切蓮介

 私が押切蓮介氏を知るきっかけとなったのは、一枚の絵からでした。
 ある日いつも通りにネットを見ていると、「ホラー漫画家の押切蓮介氏が綾波レイを描いた」という記事を見つけました。綾波レイというのはいうまでもないでしょうがかつて大ヒットを記録して現在も新劇場版が続々と公開されているアニメ作品、「新世紀エヴァンゲリオン」のヒロインのことで、90年代の日本アニメを代表するヒロインの一人ですが、何でも当時にこのエヴァンゲリオンを製作したガイナックスが定期的に有名な漫画家やイラストレーターにガイナックス作品のキャラクターを書かせてホームページのトップイラストに載せていたそうです。

 このガイナックスの企画を押切氏も受けて綾波のイラストを描いたそうなのですが、今でもそのイラストはネットで「綾波 押切」とでも検索すれば出てくるでしょうが、私は押切氏が書いたそのイラストを見てちょっと不思議な感覚を覚えました。押切氏については何も知らず、ホラー漫画家と紹介されていたのでてっきりホラー漫画に特徴的な猫の目のように見開いた目で綾波が書かれているのかと思ったら、畳が敷かれた和室のような部屋で綾波が座り、ふすまの開いた背後に使徒らしきものが立っているという、やや風変わりな構図の絵でした。

 そういうわけでホラー漫画家というだけあって奇妙さを感じる絵を描く人だなとは思いはしたもののその時はそれっきりでしたが、それからしばらくしてこれまたどこかのサイトにて、「ミスミソウ」という漫画のレビューを読む機会がありました。この「ミスミソウ」のあらすじを簡単に書くと、田舎の学校に転校したところ転校先のクラス総出でいじめを受け、家族まで焼殺されるという聞いててぞっとするような内容で、一体どんな漫画家がこんな漫画を描いているのだと調べたところ、まさにその漫画家が押切氏だったわけです。

 最初の綾波のイラストを見た時期から時間がしばらく経っていたせいで当初は気づかなかったものの、Amazonで「ミスミソウ」の表紙を見ていてなんか引っかかる絵だなとじろじろ眺めて同じ漫画家だと気がついたのですが、それから興味を持つようになってまずは試しにと代表作の「でろでろ」という漫画から買ってみました。ただこの「でろでろ」はホラーはホラーであるものの、霊感体質の強い主人公の日野耳雄がそこらのオバケにしょっちゅう因縁つけては殴り倒すというホラーギャグ漫画で、「ミスミソウ」の暗いあらすじからすると程遠い漫画でした。とはいえこの「でろでろ」もつまらないわけじゃなく、むしろ今時の漫画としては珍しく一話完結のストーリーなので何度も読め、話の構成も妙なところで凝っていてすぐに気に入りました。

 そうした前段階を踏んでとうとう「ミスミソウ」にも手を出したわけですが、前評判の通りに本当に救いのない話でした。こちらはホラーはホラーでも「でろでろ」と違って幽霊の類は一切出ないのですが、現実の人間が怖いというサイコホラーに属し、猟奇的描写を含め非常に陰惨な内容に終始していました。先に「でろでろ」を読んでいたせいもあって、「本当に同じ作者が書いているのか?」と疑うくらいだったし。

 ただ押切氏の作品を読んでて、やはりほかの漫画家の作品と比べて読者を引っ張りこむ引力が格段に強いように感じました。押切氏自身もホームページの絵日記にて、「なぜ俺には美少女が描けないのだ」と悩む場面が出てきますが、確かにお世辞にも押切氏は今風でなくややレトロな画風ではありますがその分個性が強く、逆に美少女が出てきて当然な今の漫画業界の中では異様な存在感を覚えます。そんな押切氏の画風に対してこれまでどうも自分の中でも表現し切れなかったのですが、「でろでろ」の単行本巻末に寄せられた漫画評論家の話を読んで一気にそれも氷解しました。

 その評論家は以前に70~80年代に出た、作者は真面目に書いているつもりなんだろうけど読んでてギャグに見えてしまうとんでもホラー漫画を集めて出版したりした人らしいのですが、その人の出した昔のホラー漫画集を押切氏も読んでいてそれが漫画を描くきっかけとなったそうなのです。実はそのとんでもホラー漫画集ですが私も小学生くらいの頃に手に取っていて、知っている人にはわかるでしょうが「呪われた巨人ファン」とか、なんともいえないくらいに不条理極まりなく、何が怖いのかわからないのが怖いようなホラー漫画だったと今でも強く印象に残っています。
 その評論家も言っていましたが押切氏はそのような漫画に影響を受けただけあって過去と現代を繋いでると評しましたが、私も言われてみてすごく納得したというか、押切氏の漫画の妙な存在感というか空気の源泉について合点がいきました。

 そんな感じですっかりファンの一員となった私ですが、本日とうとう押切氏の最新作の「サユリ」という漫画の一巻を買ってきました。この漫画のテーマは「いわれなき怨み」だそうで、折角だからWikipediaで書かれているあらすじを引用すると、

高校受験を来年に控えた則雄は、父が購入した郊外の家に家族とともに引っ越した。駅や学校から遠い不便な場所だが、今まで住んでいたアパートよりも広く、家族は喜んでいた。別居していた祖父母と共に暮らす新しい生活が始まった矢先、父が急死する。さらに一家を襲う様々な怪異。何かに怯える祖父。様子のおかしい姉。

この家には何か恐ろしいものが存在する
やがて祖父が死に、弟が、姉が、母が、相次いで姿を消していく。恐怖に打ちひしがれる則雄の耳に、女の狂ったような哄笑が聞こえた…
そんな時、ボケていた祖母が正気に戻った。かつての気丈さを取り戻した祖母は、この家にいる“恐ろしいもの”との戦いを宣言した。

 ここで書くのもなんですが、私が考える日本ホラーの真髄というのはこのような不条理とか無慈悲さにあると思います。海外のスプラッター映画とかだと殺される人間には墓を壊したり、誰かをいじめたりといった何かしら"殺される理由"が付与されるのに対して、日本ホラーは割と本当に無関係な人間や力のない女性や子供から祟り殺されたりするところがあるように思え、先ほどの「いわれなき怨み」というものが重要なファクターな気がします。先の「ミスミソウ」でもそうでしたがこの「サユリ」でも遺憾なくその要素が発揮されており、なかなか見ごたえのある漫画でした。

 レビューといいながら好き勝手に書きましたが、押切氏自身の特異性、また美少女なしでは通用しづらくなっている今の漫画界への警鐘を含めて書いてみました。個人的にもお勧めの作者なので、興味のある方はぜひ手にとってください。つっても、漫画喫茶にはあまりおいてないんだけど…・・・。


2010年12月8日水曜日

お上と法律

 昨日はきちんとブログを書こうと思っていたのですが、思っていた以上に風邪がひどくて(38度中盤までいった)パソコンに向かう事すら出来ませんでした。今はようやく平熱に戻ったけど、もう海外に行くから国民健康保険も11月に切っているので、リアルに病院にいけない事態だったことに途中で気がついてちょっと焦りました。

 私は以前に「呉起と商鞅」という記事を書いていますが、この記事に出てくる商鞅は中国における法家の始祖とも言われており(荀子を始祖とする説もある)、日本の史記関連の書籍では必ず出てくるほどポピュラーな人物であります。現在でこそ国の統治体系として法治国家は当たり前ですが商鞅以前は時の権力者が割合に好き勝手でき、揉め事の裁判に関しても恣意的な判断がまかり通っているのが当たり前でした。

 そんな世の中を画一された判断基準こと法律で統制する事で国はもっと強くなると考えた商鞅ですが、そもそも法律という概念の薄い当時の人間にどうやれば法概念を浸透させられるかを当初は考えたようです。そこである日商鞅は役人に命じ、門の前に丸太を一本立てて横の看板に、「この丸太を指定された場所に移せば懸賞金を与える」と書かせました。そんなただでお金をくれるようなことをするわけないと街の人間は最初は相手にしなかったのですが、しばらくすると懸賞金の額が上げられ、では試しにとある男が丸太を指定地へ運ぶと商鞅は約束通りの金額を男に与えたそうです。
 これには与えられた男も半信半疑で本当に受け取っていいかどうか迷ったそうですが商鞅は、お上の言う事に嘘偽りはないと言ってきちんと渡しました。

 一体商鞅は何をしたかったのかというと、お上が出す布令に対してはお上も必ず守るということを示した上で、布告された法律を一般市民もきちんと守るようにということを伝えたかったのかと私は考えています。事実その後、商鞅のいた秦は法律が隅々まで行き届いて地面に落ちている物を誰も拾わなくなるほどだったそうです。

 さてこの法律ですが、考えてみれば一体どうして我々は守っているのでしょうか。社会学とかでも何が行動を規範しているのかを取り扱う事もありますが、冷静に考えれば法律というのは刑罰という強制力こそあれども我々は刑罰にかけられない事案に関しても実に幅広く守っております。結論を言えばそれは基礎教育で育まれる遵法意識があってこそで、この辺の意識が国家から国民に至るまで薄い中国人なんかは日本人からすれば横暴に見えてしまうのでしょう。
 その中国人の遵法意識を取り上げても面白いのですが今日取り上げたいのはそれではなく、どうすれば遵法意識は高まるかです。これも結論を言えばいくつか影響させる要素があれども特に重要と思えるのは「お上への信頼」だと私は考えています。

 法律というのは身分や年齢に関係なく誰にでも平等に適用されるからこそ法律なのであって、必然的に地位が上の人間にもきちんと適用されるかどうかが一般市民からしたらその平等性のバロメーターになります。逆を言えばそういった人間らが法律を守っていないのを見ると私達からしたら、「なんだこのやろう!!(#゚Д゚)」と思うわけです。

 この遵法意識に対するお上の振る舞いについては、同列で並べるべきじゃないかもしれませんが孔子の論語でも言及されています。孔子の論語は言ってしまえばエリートに対する教本で施政者の心構えなどを説いていますが、全体を通して、「一般市民は親が子を見るように、お上の振る舞いを見て自らの振る舞いを決める。その為施政者が自らの行動を慎めば市民も慎み、道を外せば非道が横行する」と説いてます。

 翻ってみて今の日本の状況はどんなものか。平成以降ではほぼ間違いなく最大額の脱税をした鳩山由紀夫元首相は一部時効となったため本来の納税分を納めないばかりか処罰を受けず、小沢氏に至っては真っ黒なのにまだ起訴されないばかりか政治倫理審査会も拒否し、そうした不正を取り締まる検察は不正な捜査を行っている始末です。
 これまでに何度か、政治家には図抜けた胆力や決断力といった能力が求められるのであって金に対して清廉潔白な徳までいちいち求めるべきでないという評論家の意見を見たことがありますが、私は法治国家である以上は政治家には徳というものが求められるべきだと考えていますし、今の時代だからこそそういった人材が要求されていると思います。

2010年12月6日月曜日

自民と民主、どっちの政党ショー

 ようやく中国の就労ビザ申請するための書類届いたけど、風邪引いてちょっと辛い。そういわけで明日は辛いけど六本木の中国大使館に出向く予定ですが、ついでに海老蔵の血痕ビルも見に行こうかな( ゚д゚)/

 さて目下の所支持率が25%になって福田、麻生政権とあまりかわらなくなってきた民主党菅政権ですが、なんだかんだ言って二大政党制が着実に根付いてきているのか対抗馬の自民党は徐々に支持率が上がってきているそうです。民主がダメなら自民へ、私自身が選挙というのはどっちがマシなクズ共か、そういった消去法で選ぶべきだと考えているのでこのような考えも決して悪いというつもりはないのですが、私は現時点ではまだ自民よりは民主の方がマシだと考えていてもう少し政権を維持し続けてもらいたいと考えています。

 くれぐれも言っておきますが現時点の民主党を決して支持しているわけではなく、諸々の対応を見ている限りではちょっと情けない政権運営で問題視はしています。それにも関わらず何故民主をこうも擁護するのかというと、単純に今自民党が与党になった所で今以上にひどい政権になる可能性が高いと見ているからです。その根拠というのも単純で、割と暇な時間が多くて今国会はよく見てはいましたが、結局一度たりとも自民党側から「なるほど」と思わせられるような政策的提言や主張を見ることがなく、結局やっている事は民主党の閣僚が失言なり写真撮影などポカした際に野次を言っているだけでした。

 数え上げれば切りがありません蓮舫氏の国会内写真撮影に始まり仙谷氏の尖閣事件の対応、柳田法相の失言、最後に中井氏の「早く座れ」発言などに対して文句だけしか言ってなかったように見え、何かしら政府案に対して適切な批判や質問をしたかとなると何も浮かびません。そもそも蓮舫氏の写真撮影といい最後の中井氏の事件といい、自民党議員も似たような事やってるし。
 民主党が野党だった頃も大体似たようなもので当時の私も激しく非難していましたが、それでも年金問題を始めとした公務員改革関係の提言などがあり、今の自民党よりはまだ建設的な政党だったという気がします。

 身内の自民党議員も谷垣総裁に敵失を待っているだけじゃダメだと言っていましたがまさにその通りで、何かしら政策提言が行えるようになるまでは二度目の政権交代は起きてもらいたくないのが私の意見です。

2010年12月4日土曜日

西南戦争における日露戦争のキーマンたち

 以前に征韓論について取り上げましたが、今日は西南戦争についてちょこっと書きます。
 西南戦争というと日本最後の内戦、士族による最後の武力反抗として位置づけられ、この後士族らは自由民権運動など言論による反抗を行っていくようになると中学レベルでは教えられます。この説明に問題がないわけじゃありませんが、私としてはこの西南戦争はもっと後世に強い影響を与えているのではないかと睨んでおり、できればもう少し研究とか進まないものかと考えています。

 それはさておき、実はこの西南戦争に関わった人間のうち後年の日露戦争においてキーマンとなる人物が数人おります。
 まずその中でも有名なのは203高地で有名な乃木将軍こと乃木稀典で、らしいといえばらしいですが鎮圧のための官軍を率いて九州に乗り込むも西郷軍に散々にやられて軍隊としては絶対になくしてはならない連隊旗を失くすという大失態を犯してます。本人も後年に至るまでこのことをえらく気にしていたそうですが、それにもかかわらず日露で前線指揮官になるというのはやっぱりミスキャストな気がしてなりません。

 そうやって鎮圧軍に乃木がいた一方、西郷軍の当初の攻撃目標で初期から中期にかけてずっと攻撃を受けていた熊本鎮台こと熊本城に篭城していた中には、こちらも日露戦争にて陸軍を率いた児玉源太郎がいたそうです。当時から児玉は将来が渇望されていた人材だったらしく、西郷軍の撤退の後にはわざわざ無事かどうかが政府から確かめられたそうです。

 そしてこちらは西南戦争には参加していませんが、「もし自分も鹿児島にいたら西郷さんとともに戦った」と語ったのが日本海海戦で海軍を指揮した東郷平八郎です。東郷は当時イギリスに官費留学に出ていましたがそもそもその留学を叶えてくれたのはほかならぬ東郷と同じく薩摩出身の西郷で、非常に恩に感じ入っていたそうです。

 乃木はともかくとして、仮に西南戦争で児玉、東郷の両名が戦死していたらと思うとその後の歴史には思わず寒気を感じます。こういったところから西南戦争を見てみると、もっと議論の価値がある気がするのですが……。

瞬間湯沸かし器について

 実はついさっきまでブログを書いててもうほぼ完成直前だったのですが、うちのお袋が瞬間湯沸かし器を使ったところ停電が起き、折角書いた内容が全部消えてしまいました。以前まで使っていたGoogleのBloggerならどんな風に中断してもきちんと途中保存してくれていてこういうことはなかったのですが、FC2だとそうも行かないようです。

 そういうわけなのでまた一から書くとちょっと精神的にも辛いので、今回停電を引き起こした瞬間湯沸かし器について書こうと思います。
 私が瞬間湯沸かし器を初めて使ったのは中国に留学中のことでした。中国は生水が飲めないためにみんな家で喉を乾いたらお湯を沸かしてお茶などにして飲むのが普通で、ホテルや学生寮にはそのような湯沸し用にどこでも瞬間湯沸かし器が置いてあるのが普通です。

 私が入った寮でもそうだったのですが、元からお茶やコーヒーといった嗜好品が好きな私(煙草は吸わない)としたら使わないわけにも行かず試しにいろいろと使ってみたのですが、これがまた意外なくらいに便利で驚きました。もともと一人暮らししている時は湯沸しポットを使っていたのですがこれだと保温時に電気使うし、かといって一回一回ヤカンで沸かしていても面倒。なおかつ一人で何か飲むときなんてコップ一杯の水を沸かす程度なので、ちょうど湯沸かし器を使う程度でいい感じでした。

 そんなわけで日本に帰国して就職後、電気屋に行ってとっても取れるティファールの湯沸かし器をすぐに購入しました。使い心地は非常によく、大体一分程度で沸かしてくれますし、ポットと違ってドリップ式のインスタントコーヒーの場合だと湯をヤカンみたいに注げるので入れ易いです。
 ただ残念なことに私の家族は私以外には誰一人としてこの湯沸かし器を使う人間はおらず、こんなに便利なのにと力の限り叫んでも効果がありません。

 ちなみにこの前に中国で就職を決めてもう部屋も決めて一週間程度住みましたけど、早速近くで100元くらいで湯沸かし器を買いました。上海人の友人からは高いと言われました。向こうでは炊飯器も100元くらいで買えるので、確かに高かったかもしれません。
 あとまだ向こうでは買ってなくて、今度就労ビザ取って向こうに住みついたらすぐさま買おうと思っているのは自転車です。普通に1000元(12,000円)くらい積んでもいいから必ずいいのを買って、盗まれないようにしないと。

2010年12月2日木曜日

足利事件の真犯人について

 今日も私の知恵袋こと文芸春秋の記事の紹介です。中国行ったら読めなくなるけど、影響とか出ないかな。

 文芸春秋を毎月買っている人なら話は早いのですが実はここ三号三ヶ月連続である特集が組まれており、その衝撃的な内容に一部で大きな議論がなされています。その特集記事というのは日本テレビ社会部記者の清水潔記者による記事で、その内容はというと昨年犯人とされて逮捕、実刑判決を受けたものの冤罪として釈放された菅谷さんが巻き込まれたあの足利事件の真犯人についての記事です。真犯人と言ってもどんな人物か皆目見当がついていないのだろうと皆さん思うかもしれませんが、清水記者はここ数ヶ月に渡る特集記事においてはっきりと”真犯人らしき人物”を特定し、その氏名から住所まで探り当てた上で捜査機関に報告まで行っていると書いております。

 実は私はこれまで今回の取材を行っている清水記者について全く知らなかったのですが、その経歴を調べてみるとこんなすごい記者が日本にいたのかとため息をつかされるような人物だったと分かりました。清水記者が初めて脚光を浴びたのは1999年に埼玉県で起きた桶川ストーカー殺人事件で、この事件において警察より先に犯人の特定を行っただけでなく、埼玉県警が被害者や家族から被害届けを受け取っていたにもかかわらず全く捜査を行っていなかったという不正も暴き、その後の警察捜査に対して大きな一石を投じております。今思うとこの時の埼玉県警の不祥事発覚はその後に起きた北海道警裏金事件など、一連の警察不祥事発覚の嚆矢だったような気がします。

 それだけに業界でも清水記者の評価は高いようで、先月号にて別の記者からも、「あの清水氏が取材しているのだから」と太鼓判まで押されていました。私自身もここ数ヶ月の清水記者の特集記事を読む限りでは実に精緻で細かく事実関係を追っており、なおかつ取材対象との信頼関係も非常に強く醸成されているようで、こういってはなんですが文章上からも只者ではないと窺える人物です。

 その清水記者ですがなんと2007年より足利事件を取材し続けており、この事件を含む群馬、栃木で79年から96年にかけて起きた複数の女児殺人事件は手法の同一性などから一人の犯人によって起こされているのではないかと考え、足利事件の犯人とされた菅谷さんは無実ではないのかと推理して取材を行っていたそうです。その過程では足利事件にて被害者となった女児の母親とも接触し、当初母親は取材を拒否していたものの清水氏の対応に信頼を覚え、実名でテレビ出演まで行っております。
 私がこの清水記者がすごいと感じるのは、警察から犯人も捕まってもう一件落着ですと言われた事件の親類とこうして信頼関係を築いている点です。仮に自分がこの母親の立場であれば今更何をと思うだろうし、むしろ嫌な記憶を蒸し返しやがってと反感を覚えたと思います(事実母親も、当初そのような感情を清水記者に持ったと証言している)。そんな母親に何度も接触を試みて会うなり清水記者は、「菅谷さんは真犯人ではない」と言い放ち、その後も取材を重ねていったそうです。

 そうした清水記者らの活動も貢献してか足利事件ではDNAの再鑑定が行われ、ついに菅谷さんの無実が証明されて冤罪が晴れることとなったのですが、では肝心の真犯人は一体誰だったのかという疑問がこの事件では残りました。この真犯人について栃木県警はすでに時効という事で捜査は未だに行っていないのですが、清水記者によると同一犯人の疑いの強い96年に起きた群馬県太田市女児連れ去り事件については時効を迎えておらず、関連が疑われる事件ながらもおざなりにされてしまっているようなのです。

 ここで一連の北関東連続幼女誘拐殺人事件について簡単に説明すると、79年から96年の間に群馬、栃木の県境付近で起きた足利事件を含む五つの事件のことで、どの事件も年端も行かない女児が誘拐され遺体で発見されるという痛ましい結果ながらも犯人は未だに捕まっておりません。清水記者の取材によると90年の足利事件と96年の太田市の事件のどちらもパチンコ店から女児が誘拐されているという大きな共通点があり、太田市の事件当日のパチンコ店にて、まさに被害者らしき女児とともに店内を出る怪しい男が店内の防犯カメラに映っているそうです。また足利事件当時、被害女児らしき子供と遺体発見現場近くを歩く不審な男を複数の人間が目撃しており、清水記者が件の防犯カメラに映った怪しい男を見せたところ似ているとその目撃者らは答えたそうです。
 ここまで言えば分かるでしょうが、清水記者が真犯人と疑っているのはまさにこの男のことで(風貌から、特集記事では「ルパン」と呼ばれている)、すでに清水記者はこの人物の情報を調べ上げて警察に提供しているそうです。

 しかし今のところ警察が足利事件、並びに太田市の事件について捜査を再開したという動きはありません。この警察の対応について清水記者は、警察、検察といった捜査機関が組織としての体裁を守るために敢えてこれらの事件を闇に葬ろうとしているためだと記事中で指摘しており、私自身もそのように考えております。

 足利事件で菅谷さんの逮捕の決め手となったのはDNA鑑定で、彼の冤罪を証明したのもDNA鑑定でした。というのも最初の鑑定では鑑定方法が古く、正確でなかった為だと警察は発表しましたがこれは実のところ嘘で、実際は犯人とされたDNAの型も菅谷さんの型も、再鑑定では当初割り出した型とは違っており、そもそもの鑑定結果を間違えて出していたというのが真実でした。当時のDNA鑑定は顕微鏡を目視してその型を調べるというやり方だったので、いわば鑑定人が型を見間違えたというごくごく単純なヒューマンエラーだったそうです。

 もちろんそれで長い間獄につながれた菅谷さんのことを考えると決して許されないミスではあるのですが、これが本当に取り返しがつかないのは、同じ鑑定方法で事件が立証され、死刑判決が下りた上にすでに執行されてしまった飯塚事件の存在です。
 この飯塚事件について詳しくはリンク先のWikipediaを読んでもらいたいのですが、犯人とされて死刑がすでに執行された方は逮捕当初から死刑直前まで一貫して無実を訴え続けていたのですが、足利事件と同じ手法のDNA鑑定が決め手となり裁判では有罪死刑を受け、2008年に刑は執行されております。

 仮に足利事件を再捜査すればこの当時のDNA鑑定方法の不備が槍玉に挙がることは目に見えており、場合によっては当時のDNA鑑定すべてが再鑑定にならざるを得なくなります。それによってこの飯塚事件が再調査となり、もしも鑑定が間違っていた場合、冤罪ながらも死刑を執行してしまったということになってしまいます。

 上記のような指摘は足利事件で菅谷さんの弁護士をしていた佐藤博史弁護士がかねてから主張しており私自身も知ってはいたのですが、今回の清水記者の取材からますます警察が事実を隠したがっているという確信を得ました。
 警察はすでに何度も書いているように足利事件について再捜査は行わないと発表しています。にもかかわらず、被害女児の母親が事件の証拠となりDNA鑑定に使われた被害女児の遺品であるシャツの返却を求めた所、栃木県警はあれこれ理由をつけては頑なに、未だに返却を拒み続けています。

 捜査がまだ行われているのならともかく、捜査が打ち切られた証拠品は通常であれば遺族らに返却されます。しかしこの真犯人のものと思われるDNAが付着しているシャツは先ほどの鑑定が根本から間違っていた事を証明しかねないがゆえか、はっきり言って異常な理由をつけて警察は返却を拒み続けているそうです。それだけに私は先ほどの飯塚事件との関連性がより疑えるのではないかと思うに至りました。
 すでにこの問題は国会の法務委員会でも取り上げられているようで、私としても北関東で明らかに異常なほど頻発している女児の誘拐、殺人事件を解明する上で再捜査が行われる事を心から祈ります。

 最後に残酷な一つの事実。清水記者によると、足利事件と飯塚事件のDNA鑑定は同一の鑑定人が行ったそうです。