このブログでも解説記事を多く載せているのでわかるでしょうが、私は相当な歴史好きです。この傾向は小学生時代から始まっており、この手のタイプとしてご多分に漏れず自分も歴史に名を残したいという野心は少なからずあり、このブログも将来誰かに資料として読まれることを前提として書いている記事もあったりします。とはいえ現時点ではとても歴史に名を残すようなことはおろか重大な歴史事件にも関わることもない平穏平生な人生を歩んでいるのですが、唯一といっていいものか微妙ですが、世界史に刻まれたある事件に対してほんの一瞬、ちょっとだけですが触れたような感覚を持つことがありました。
それがあったのは私が北京に留学していた頃で、当時週に一度行われる会話の授業にてアフリカ出身のクラスメートと一緒になりました。最初は、「あ、黒人だ」っていうくらいで別に意識することもなく、また授業中でもそんなにから見なくて一回だけ、「日本語にも中国語の発音法則の四声ってあるの?」と聞かれたくらいしか関わりがなかったのですが、授業中のふとした会話から彼がルワンダ出身だということがわかりました。その際に授業の講師は、「ルワンダというと、あのフツ族とツチ族の内戦があった場所だね」とだけ話し、それ以上はどちらも深く会話せずにまたいつも通りに授業へ戻りました。ただこの瞬間、あの虐殺の現場にいたかもしれない人と自分は今同じ場所にいるんだと、私一人で強い意識を持ちました。無論、当人に詳細を確かめるようなことはできませんでしたが。
・ルワンダ虐殺(Wikipedia)
ルワンダというのは中部アフリカにある国の事で、他のアフリカ諸国同様にかつてはドイツ、次いでベルギーの植民地でした。この地にも元々住んでいた民族がいたのですが、植民に来た白人は彼らのうち遊牧を主としていた人たちをツチ族、農耕を主としている人たちをフツ族と分け、恐らくは支配を合理化するために片方のツチ族を優遇するといった政策を取りました。
なおこの民族を分ける境界線はほとんどあってない物で、両社ともに言語や文化を共通しており、見かけには多少の違いがあると言われるものの互いにIDで確認する以外はどちらに属するか判断できないくらいに差はなく、民族系統的にはほぼ同じ民族だと言っても過言ではないでしょう。しかし白人による政策での扱いの違いから多数派のフツ族はツチ族に対して根深い反感を持つようになり、独立を果たした後もその感情はずっと積もっておりました。
そうした中で起きたのが、1994年のルワンダ虐殺です。詳細は上記リンク先のウィキペディアに詳しく解説されておりますが、フツ族を中心とした政府、民間団体が結託して入念な準備が成された上で、当時の大統領が暗殺されたことをきっかけにルワンダ全土で一斉に引き起こされました。
この虐殺は文字通り民族浄化を目的としたもので、怨みがあるからとか戦略があるからなどという理由はなく、ただツチ族であるという一点でもって住人が大量に殺害されました。その犠牲者は当時のルワンダ人口の10~20%に当たる50万から100万人と言われ、老若男女の区別なく多くの人間が近隣の住民らの手によって殺されました。
この虐殺の計画自体は決行前から噂されており、国連平和維持軍の指揮官などは危険な状態にあるとして増援の派遣も要請しておりますが、これらに対して国連を始めとした国際社会はほとんど無視し続け、フランスに至っては虐殺を実行した政府軍を陰で支援していたとすら言われております。そして虐殺が開始されその実態が伝えられた後も国際社会は何の反応も示さず、隣国にいたツチ族の反政府軍が政府軍を打破して紛争が終るまでずっと続けられるのを放っておかれました。
仮にこういった虐殺が先進国内で起こっていたら、言うまでもないでしょうが国際社会は軍隊を派遣するなどして虐殺を止めるか住民を保護するようにと動くでしょう。しかしこの事件を取り扱った「ホテルルワンダ」という映画にて虐殺現場を撮影したカメラマンがルワンダ人の主人公に対し、「この映像が世界に放映されたとしても、きっと先進国の人間は『怖いね』とだけ言ってまたいつもの夕食に戻るだけだ」と、悔しげに話すシーンがありますが、私自身この言葉を否定することができません。
このルワンダの虐殺は時代的には非常に新しい事件であるものの、この事件について覚えている人間は現時点でもかなり少なくなってきているように思え、また事件以降に生まれた世代に至っては事件そのものを全く知らないという人も多いのではないかと思います。私自身もそこそこ年齢を積むまで文化大革命からクメールルージュについて全く知識がなかったですが、それでも小学生の時代でもナチスのユダヤ人虐殺を知っていたということを考えると、リアリスティックな意見を言えば人一人の命の重さには明確な差があると言わざるを得ません。
ただでさえ話題に上がることも少ないので伝わる量にも限界があることは百も承知ですが、知られないよりはやはり知っておくべき事件だと思え、ちょうど欧州でシリア難民が問題となっている時期でもあるだけにここでひとつ紹介しようと思い立ちました。
5 件のコメント:
私はルワンダ大虐殺については知識としては前もって知ってましたが、「ホテル・ルワンダ」を見て初めて実感ました。8月中にGyaoで無料公開されてましたが、(過去の総力戦ではない)現代の戦争がどういうものか知るにはとても良い映画だと思いました。
ルワンダは内戦後、フツ系のポール・カガメ政権の開発独裁下で高度経済成長をしてますね(内戦後に開発独裁下で経済成長、という点がカンボジアと似てる気がします)
大虐殺から20年 「奇跡」と呼ばれるルワンダの発展 WEDGE Infinity(ウェッジ) http://bit.ly/KEL874
カガメはツチ系でした、書き間違い失礼しました。
こんな賞もないネタにコメントありがとうございます。ちなみに書くきっかけとなったのはまさに8月にGYAOで「ホテルルワンダ」が公開されていたのを急に思い出したからです。
虐殺だとか何万人死んだとか言われてもパッと来ませんが、おっしゃる通りに映画で見てみてとんでもないことが起こっていたことに実感が持てるような気がします。私の場合はクメールルージュを描いた「キリングフィールド」という映画にショックを受けましたが、やはり映像の力というのはすごいものです。
お久しぶりです。
ようやくPCから送信できる状況になりました。
iPhoneからだとコメント送信できず、
かなり歯痒い思いをしておりました。
さて、このルワンダ内戦の問題、
以前、当方でも扱いましたが、
ちょうど日本では一連の「オウム問題」で、
なかなか注目されにくかった「大事件」だったのですが、
こうして改めて取り上げていただき再検証されることで、
皆が紛争解決の難しさや戦争の本質と愚かさを再認識できるので、
この時期に非常にいいところに着目されたと思います。
それと、コレが書きたかったんですが、
この、かつてのヨーロッパ式植民地支配の手法が、
最近の日本の企業で(というかかなりの数)、
「応用」(悪用)されています。
従業員同士を入社時期などで段階的にブロック分けし、
給与や昇給格差を意図的につけることで、
従業員同士が常に反目し合う関係性をつくり、
会社VS労働者という構図を完全にぶっ潰して、
コントロールするという、
皮肉な言い方をすれば「歴史に学んだ」マネジメントが、
「標準化」してきました。
なので、こういうルワンダ問題(歴史)を知ることから、
「あれ?コレって実は・・・」と一人でも多くの人が、
ハッと気が付いてくれるといいんですけどね。
とても興味深いネタでした(^^)
いつもながらお褒めの言葉、ありがとうございます。ちょうど難民問題で盛り上がっている所だったので、内戦というもの、世界情勢というものを考えるに当たっては自分でもいいタイミングでこの記事を持ってこれたと納得できてます。
それと近年の日系企業の手法ですが、なんていうかよくわかりますね。無駄に対立を煽って支配者側に有利になるよう計らうというやりかたですが、一つの企業内で行われることもあれば、一つの業界、具体的に言えば派遣業界内でもなにやら派遣社員同士を分断するかのような動きが散見されます。まぁこうしたやり方が支配を進めやすくするっていうのは、おっしゃられている通りに植民地政策で実証されていると言えるのですが。
コメントを投稿