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2016年9月10日土曜日

西洋の火砲の運用史

 前回に引き続きまた火薬の軍事利用に関する歴史を追っていきます。前回は火薬の発明国でありながら軍事転用に関しては軽い手榴弾レベルからなかなか発展させることが出来なかった中国を取り上げましたが、今回はある意味本場の西欧世界での運用を取り上げます。

<フス戦争での火器運用>
 西欧に火薬が伝わった時期についてははっきりとわかっていないものの、おおよそ11~12世紀頃であると推測されています。伝来方法はかつて紙がタラス河畔の戦いで中国から中東経由で伝わったように、大陸を席巻したモンゴル軍団の西欧・中東世界への侵略に伴い火薬も伝わったと見られています(異説もあり)。
 火薬が西欧世界へ伝来した後、その軍事転用は早くも行われ英仏百年戦争の時点で簡易的な大砲が出現したとされます。用途としてはやはり攻城戦で使われることが多く、大砲の発射に使ったり城壁の爆破などと補助兵器として使われたそうですが、それが戦争に対して大きく影響を及ぼすようになったのは15世紀前半にチェコで起こったフス戦争からです。

 気に入らない人間を窓から投げ捨てることに定評のあるチェコ人によって起こったこの宗教戦争で一般大衆によって構成されるフス派についた傭兵のヤン・シジュカによって、まだ非常に原始的だったマスケット銃が組織的に運用されたほかこれまた簡易的なハンドカノンなども応用され、戦局に大きな影響を与えました。
 この時使われたマスケット銃はまさにこの15世紀前半に発明されたばかりで、その後ドイツで徐々に量産体制が作られていきヨーロッパ中に広まっていきました。

<大砲デビュー>
 このフス戦争と共に火薬の軍事利用において大きな契機となったのは、1453年のコンスタンティノープル包囲戦です。この戦争は東ローマ帝国ことビザンツ帝国の首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)がオスマントルコのメフメト二世により攻撃され陥落し、ビザンツ帝国が滅亡した戦いになるのですが、この戦争でメフメト二世はウルバンという名のハンガリー人技術者を雇い巨大な大砲、俗に言う「ウルバンの大砲」を作らせ、これによって城壁の外から攻撃を行いました。
 このウルバンの大砲は青銅で作られたものですがその全長はなんと8メートルにも達し、現代人の目から見てもとてつもなく巨大な大砲でした。発射するのは鋼鉄の砲弾ではなく主に岩石だったそうですがその重さは500kgを越えるとされ、技術が浅かったことから一回の八社ごとに数時間のインターバルが必要であったり、運用開始から6週間程度で壊れて使えなくなったもののその効果と威力は凄まじく、攻城戦における大砲の有意性に対する認識を大いに高めてこれ以降、西欧各地で大砲の生産、装備が進んでいきます。
 なおウルバンは当初、ビザンツ帝国に自分の設計案を売り込んだそうですが拒否されただけでなく逮捕されかけ、逆にオスマントルコへ売り込んで作ったそうです。罪な男ではあるが技術者魂は強く感じる。

<違いは鋳造技術?>
 こうして西欧は中国に先駆け、銃と大砲を兵器として自らの戦術に取り込んでいきます。一体何故、火薬を発明した中国に先駆けて西欧でこれらの火薬兵器を運用するに至ったのかその背景を私なりに述べると、一つは中国がその爆発力と音響力に着目したのに対し西欧では推進力、弾丸を発射する方向で発展せしめたのと、火薬兵器の母体となる銃や大砲といった金属器の鋳造技術が優れていたからではないかと見ています。専門でないため詳しくわかりかねますが一見すると鋳造技術では西欧の方が中国を上回っているようにみられ、食器とかも西欧では金属製だったことも影響しているのかなと勝手に考えています。

 話は戻りますがこうして西欧各地で銃と大砲がバンバンつくられるようになり、大航海時代には標準的な装備兵器として定着していきます。特にスペイン人の南米への侵略においてはこれら火器が威力を発揮してごく少数の部隊で現地住民を屈服せしめるほどで、火器の有用性はますます高まっていきました。特に海戦においてはそれまでは船体を突っこませ、相手の船に乗り込んで白兵戦を行うというスタイルから、銃や大砲で双方打ち合うというスタイルに大きく様変わりし、これはそのまま現代においても変わりありません。

 銃火器単体を取ってしてもイェニチェリドラグーンといった銃を基本装備とする専門の花形部隊も生まれ、列強が形作られるようになってきた三十年戦争等になってくると銃火器武装なしではあり得なくなってきます。なお西欧では火薬の原料となる硝石が貴重だったことから火薬生産は基本的に国家事業で運営され、生産方法が確立された後でもインドからの輸入が多かったそうです。

 最後ですが、火薬というか大砲を使った戦争においてもっとも大砲を効果的に活用したのは間違いなくナポレオンでしょう。彼自身が砲兵隊出身ということもあって砲兵戦術を熟知しており、ヴァンデミエールの反乱において一般大衆目掛けて大砲をぶっ放してその地位を確立させたことといい、大砲とナポレオンは切っても切り離せない関係にあります。もっとも彼の場合は騎兵や歩兵の運用でも神がかっており、三兵戦術を完成させていますが。

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