2016年11月17日木曜日

あの頃は水木しげるがいた

 今月の文芸春秋に、去年一月に逝去された水木しげるの細君とその娘二人による鼎談記事が掲載されていました。三人とも「まだお父ちゃんが亡くなった実感がない」と語っており、恐らく家族以外のほかの人にとっても同じような感想が持たれるのではないかと思います。

 この鼎談によるとなんでも布団につまずいて転んで頭を打って手術してから意識がなくなった後、一切何も話すことなく亡くなったとのことです。この死に方についてご家族は寂しいと思う反面、本人としてはある意味満足な形での自然死だったのではないかと受け取っています。バイタルが弱くなりいよいよという際には医師から延命治療を受けるかと尋ねられたものの生前からそうした物は拒否する姿勢を示していたこともあって提案は拒否し、そのすぐ後に亡くなったという顛末も書かれていました。

 こうした逝去時の顛末に加え生前の頃の話も語られており、個人的に印象に残っているのは双方ともにライバル視していた手塚治虫への態度で、娘たち曰く本人らは同じ時代に漫画業界でしのぎを削り合った戦友だと思っていた節があり、ラジオで手塚の逝去を聞いた際には、「ああ、逝ったのか手塚……」と呟き、葬儀にも出向いたというエピソードを披露していました。
 この二人の関係は若い頃に手塚からやっかみに近い文句を水木が受けたことは事実でそれを以って終生仲が悪かったようにも言われていますが、実際にはお互い連絡を取ろうと思えば取れるような関係で、水木の娘が手塚のサインを求めた際も、「今度頼んでおく」といってもらってきたこともあったそうで言われている程は仲が悪くなく、実力についても双方認め合う中であったことも間違いないでしょう。何気にスランプだった時期もある程度被ってるし。

 なお少し蛇足ですが、水木の命日は「ゲゲゲ忌」と呼んで関係者やフォロワー同士で何かすると報じられていますが、素直な感想を述べるとものすっごい語呂が悪くて発音し辛いように思います。それだったらもっとストレートに、「水忌しげる」でいいんじゃないのと密かに考えています。

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