2016年11月10日木曜日

江戸時代の化け猫騒動に関する誤解


 上の写真はまたネットから拾ってきた江戸時代の化け猫を描いた絵画ですが、猫の表情がなかなか良く捉えられており個人的に気に入っているので何故か保存してしまいました。私の感覚だとこの表情はなんとなく機嫌がいい時で、普段はじゃれないくせにこういう時は何故か自分からじゃれてくるような時だと思います。
 話は本題に入りますが江戸時代に猫と言ったらそりゃもちろん鍋島藩の化け猫騒動ってことになるので今日は現代人が考えている化け猫騒動に関する誤解を指摘しようと思います。

化け猫(Wikipedia)

 一般的に認知されている化け猫騒動と言うと、江戸時代のとある武家の主人がつまらない理由で手打ちにされた後にその母、もしくは奥方が後を追って自殺し、その家で飼われていた猫が主人を手打ちにした上役の武士に復讐するため化けて出るというのがよくあるパターンです。
 こういった化け猫話のオリジナルは江戸時代に作られた講談からなのですが、出版されるやあまりの人気ぶりから芝居にも取り上げられて非常に流行したそうです。その講談の中で舞台となる地名には「嵯峨野」という実際に京都にある地名が使われているものの、これは暗に「佐賀の」と読めるようになっており、当時佐賀を治めていた鍋島家が実質的な舞台だと当時誰もがわかってたそうです。

 そもそも何故鍋島家が化け猫騒動の主役に据えられたのかと言うと、戦国から江戸時代にかけて鍋島家が成立した背景に理由があります。鍋島家の実質的な開祖とされる鍋島直茂は元々、北九州一帯に勢力を広げた龍造寺家の家臣でした。しかし龍造寺家の当主であった隆信が島津家との戦いで戦死してしまい後に残された若い世継ぎとともに直茂は自分が家宰を仕切って隆三氏家を盛り立てようとしましたが、豊臣秀吉や徳川家康といった時の権力者からは高く評価されていた直茂の方が実質的な領主であるように扱われ、龍造寺家も直系の跡取りが妻を殺した上で自殺してしまったことにより成り行きから直茂が引き継ぐこととなり、龍造寺家を引き継ぐ形で鍋島家が大名となりました。

 この過程は当時からも龍造寺家を鍋島家が乗っ取ったと見られており、鍋島家には龍造寺家の怨念が向けられているなどとよく噂されていたそうです。この噂に乗っかる形で化け猫騒動の講談が作られて大ヒットしちゃったもんだから、はっきりと名指しこそされてなかったものの鍋島家が、「非常に迷惑なんですけど!」と抗議を入れたため芝居の方は上演中止となったのですが、これが返って「やっぱりあの話ってマジだったんだ!」と、余計に真実味があるように思われてしまい、「鍋島=化け猫」という図式が広く定着してしまったそうです。

 なので鍋島家で実際に化け猫が出たという事実はなくあくまで講談の中のお話なのですが、同も聞くところによると北九州では、「うちは化け猫騒動の鍋島家ゆかりの家だから昔から猫を飼うことが出来ない」などと主張する輩が現代にもいるそうです。具体的に名前挙げると漫画家の柴田亜美氏が自分で言ってますが、そもそも化け猫騒動は現実には起きてない架空の話なので猫を忌避するという伝統が江戸時代とかにあったとは正直思えず、どちらかといえば箔をつけるために明治以降から使われだしたレトリックなのではと個人的に考えています。

 この例と同様によく瀬戸内海沿いの村上性の人が「うちは村上水軍に連なる出身だ」などと言う人がいますが、当の村上水軍は戦国時代に解散されたことを考えると真実味はやはり薄く、その動機としたらやっぱり家名に箔をつけるためでしょう。大体、歴史的な家系をきちんとした根拠なしに主張する人の大半は、そんなに悪意はなく主張してるのだと思いますが基本的には疑ってかかるべきでしょう。


 化け猫は存在しないと言っておきながらですが、こんな場面に遭遇したら、「こいつ化け猫なんじゃないか?」と疑ってしまうことでしょう。にしてもバランスいい猫だ。

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