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2018年2月19日月曜日

忘れていた感情 後編

 昨日の記事で私は平松伸二氏の「そして僕は外道マンになる」を読んでその感想を述べるとともに、自分がある感情を忘れていたことに気が付かされたということを書きました。その忘れていた感情は何なのかですが、はっきり言えば「怒り」です。

 自分でいうのもなんですが、ここ数年の自分は非常に恵まれて過ぎてきます。それ以前のスチール棒で殴られて流血してるのに病院にも連れて行かれないどころか逆に糾弾されるようなブラック企業にいた頃と比べると、非常に安定した職に移れたし、またこのブログがきっかけ(「火付盗賊改方 中山勘解由」を読んだらしい)でJBpressでこうしてコラムを連載出来て、個人コラムとしてはかなり例外的なYahooトップ掲載も果たし、2ちゃんねるにもスレが立つ記事にもなると最近はもう数えていません。
 このほか職場の同僚にも恵まれ、残業代は未だに人生で一度も受け取ったことはなく周囲からは「やや普通な環境になっただけじゃないの?」と言われることもありますが、今までが明らかに普通じゃない環境に身を置いてきただけに、単純にこれまでと比べてあらゆる生活面で楽になってきています。

 しかしそれゆえというべきか、単純に社会に対して怒り覚えることがなくなりました。普段の生活でも怒鳴って声枯らすこともこのところほぼ全くないし、日中の社会問題や不条理に対して「ふざけんなこのカス死ねっ!」ということもほぼなくなりました。最近の過激発言といえば、「Black Box」を読んだ感想として、「拉致ってケツ掘って『合意の上だった』と言えば済む話ではないか?」と友人に言ったくらいですが、これでもかつての自分と比べると大人しくなったように感じます。

 まどろっこしいいい方せずに言うと、生活の安定ぶりが返って自分の感性を鈍らせているという実感を、「外道マン」を読んではっきり感じました。というのも「外道マン」では少年ジャンプ編集部の理不尽な要求によって作者の平松氏が何度も悔しい思いをさせられ、その悔しさや苦しさを作品に昇華させていたと思わせられる描写が何度もあるからです。ちょうど今連載中の回がまさにその点を突いたところらしく、マシリトに「楽して描いてない?だからつまらないんだよ」と指摘されるところだそうですが、恐らくこの指摘と私の分析は正しいでしょう。

作品に宿る「負のオーラ」

 上の記事は3年前に私が書いた記事ですが、この記事で書いているように鬱屈した負の感情というものほど作品を高める原動力はありません。逆を言えばクリエイター、表現者にとって、逆境以上の好材料はないのです。断言しますが仮にゴッホが生前から評価されて収入も安定していれば、彼自身の人生としては幸福なものになったかもしれませんが、現在ほどの名声を得られるほどの作品を生み出すことはなかったでしょう。
 もちろん、安定した生活を維持しつつ立派な作品も残せれば言うことなしなのですが。

 自分が怒りを覚えなくなった、特に社会問題に対するものを感じなくなったのは単純に血気盛んな年代を過ぎて年齢的に落ち着いたからとも解釈できますが、だったらなおさら対策が必要なのではないかって話になります。現実に日本の様々な政治、経済、社会問題についてはかつてのように、単純にあきらめるようになってきたのもありますが、あれこれ現状分析や対策を行うことがめっきりなくなりました。まぁ政治に関しては明らかに議論がないだけで私が悪いわけではありませんが。

 特に自分がかつての自分との差を感じた点として、このところ自分の記事につくヤフコメの論理の成り立たない批判に対する反応で、現在は「相手にする価値もない」とあまり気にすることがありませんが、かつてであればコメントを書いた人間の情報を調べ上げた上でリストアップし、保存した上で何かしらネタにしようとするくらいの怒り狂っていたことでしょう。やらないとは言いませんが。
 これに限らなくても政治家や著名人の汚職、犯罪者に対してどこか他人事というか、冷めた感情を持つようになりました。心身の健康、あと公共性においては今の方がいいのでしょうが、表現者としてみたら本当にこのままでいいのだろうかと不安を感じます。

 なんとなくオチをまとめ辛いのですが、やはり自分はもっと怒るべき人間だと思います。先の「負のオーラ」の記事にも書いていますが、「ジョジョの奇妙な冒険」(最近はあまりの詰まらなさに読まなくなった)の第7部のセリフにある通り、「飢えなきゃ勝てない」というのは絶対的な真実です。如何に生活が安定しようと、頭のおかしい人間が近くにいないとしても、それで気持ちまで安定させては表現者としては失格であり、もっと自分を追い込む必要があるでしょう。

 そういう目で見ればやや傲岸とも取られるかもしれませんが、やはり現在の執筆活動に関してはまだ十分に評価されていないという実感があります。JBpressの編集からも、「どうしてうち以外からもっと依頼が来ないの?」と聞かれたことがありますが、これだけ毎日ブログ記事を量産できる人間ともなれば、原稿料にも寄りますがもっと声がかかっても私自身おかしくない気がします。なおJBpressは最初に声をかけてきてくれたという恩もあるので、破格的な原稿料でいつも書いています。
 傲岸と言われようとも、現在の自分の環境を分析してまだ平和的にフラストレーションを溜められる箇所となればやはりこの一点ではないかと思うので、意識的にこの点を留意して、もっと飢えるように心がけたいと思います。あとこのブログの記事も、最近自分でも大人しいと感じるきらいがあるため、もっとオフエンシブな感じに持っていくつもりです。

  おまけ
 年齢について先日同僚から、隠しているわけでもないのに、社内で年齢不詳と噂されていると教えられました。この「年齢不詳」というキーワードは前の職場でもよく言われました。
 うどん屋の奥さんからは、「実年齢からしたら見た目が若い」と言われたので、多分見かけに比して口にする内容が古いのが原因じゃないかと分析しています。

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