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2018年4月17日火曜日

ブラック企業大賞について

 結論から書くと、ブラック企業大賞の集計及び発表は全くその意味を持たないと思うので早くにやめるべきではないかと私は思います。

ブラック企業大賞

 ブラック企業た問題となり始めた数年前より毎年ネット上で、その年で最も過剰労働やパワハラの激しい会社を決めるのがこのブラック企業大賞ですが、その存在意義に関しては疑問を通り越してもはや言いようのないしょうもなさを覚えています。問題点は複数あり、列挙すると以下の通りです。

1、問題となる労働行為が受賞年に発生したとは限らない
2、何を持って大賞となるのか違法の軽重基準がない
3、どの年もメディアに大きく報道された企業が受賞している

 一つ一つ解説するとまず1について言うと、違法な労働はどこも長年にわたり続いてきていたというケースが多く、それが槍玉に挙げられるのは発覚したせいだからです。逆を言えば発覚年にブラック企業大賞に選ばれ、過去の自殺やパワハラなど違法な行為について実現期間と受賞期間が食い違っていることが多く、極端な話10年くらい前の話でも急に話題になれば受賞する可能性があるでしょう。
 これによって想定されるケースとして、過去に一度受賞していながらその後も改善されない企業はその後も受賞するのかという懸念があり、多分一回取り上げられた企業は改善の有無にかかわらずその後は取り上げられないでしょう。果たしてそれでいいのか、公共への周知の面や社会牽制の観点からすると疑問です。

 次に2については説明するまでもありません。違法な労働行為は会社ごとに千差万別で、何をもって一番ひどいかは決めるのは困難でしょう。それでもいくつか評価基準、被害者数、期間、社内か社外か、問題行為に差別があるのかなど分野ごとに大まかでもいいから基準なりポイントでもあればいいのですが見る限りそんなものはなく、独自の分析や考察なんかも見えず、なんとなく敢えて言えば雰囲気で受賞企業を選んでいるようにしか見えません。

 その雰囲気こそが3で、以前電通が受賞したように結局は報道の大きさで受賞企業が決まって閉まっているとしか思えないところがあります。だから私はむしろ、「ブラック企業報道大賞」とこの際名前を変えた方がいいように思え、その年に一番報道されたブラック企業を選ぶ賞であれば基準も明確だし、その表彰の無意味さもはっきりするだけに良いのではないかと思います。
 言わなくてもいいことですが、本来こうした槍玉に挙げる表彰というのは先にも書いたように公共への周知と社会牽制という意味で考えるべきです。しかしすでに社会で大きく報道されている企業をいちいち「ここはブラック企業だ!」と発表しても果たしてその効果があるのかといえばほとんどなく、なんとなくですが年を追うごとにこのブラック企業大賞も社会の関心が薄れてきているような気がします。

 むしろそれだったら、ほとんど誰も知らないけどこんなひどい会社があったなどとマイナーなブラック企業を取り上げる方が価値があるように思え、また一度受賞、認定された企業は文字通りブラック企業リストみたいなもので常に公開し、労働環境の改善や是正があるまで批判し続けるというスタンスの方が社会牽制上で意味がある気がします。なんなら、その企業と取引のある会社もばーって載せてもいいんだし。

 最後に、これは別記事にしてもいいのですが、これまでのブラック企業の話題で語られるのは「社内に対する劣悪さ」だけでしたが、そろそろ「社外に対する劣悪さ」という観点でのブラック企業をもっと取り上げて、批判していくべきだと思います。真面目になんでこの手の議論が出てこないのかいつも不思議に思っていますが、やっぱ日本は目線が内側に行きやすいのかなと密かに見ています。

2 件のコメント:

ルロイ さんのコメント...

特別に目立った悪者を晒し上げにしてこらしめるってやり方は実に日本的だなと思いますね。
多くの人を萎縮させて従わせることには有効かもしれませんが、日本人はこういう自尊心を打ち砕く罰を子育ての段階からよくやるので、他国民に比べて自己評価が高くないと言われるのかなと思ったりもします。

花園祐 さんのコメント...

 いつも自分の言いたかったことを代弁していただきありがとうございます。
 結局はそこに尽きるというか、叩きやすいところを改めて取り上げて叩いてるようにしか見えないんですよねこの賞。もっと世間の注目は低いけど問題のある会社を取り上げるならまだしも、反論できない相手をあげつらってるだけで、日本人らしい賞っちゃ賞ですが、それでいいのかと疑問感じる人はどれくらいいるのかって考えながら書きました。