最近ちょくちょく書いている行動力関連記事で前回私は、かえって将来が予測できるようになると行動力は低下しやすいくなると指摘しました。なまじっか知恵つけて将来を予測できるようになるとそのようにして行動力が低下するので、入らぬ知恵は無理して就けなくてもいい、若しくは中途半端な予測などはさせない方がいいみたいな主張ですが、これに付随する考えとして、予測そのものが不安に直結するのではと思うに至りました。
そもそも先の「先行きの見えない不安」ですが、大抵こうして語られる場合はむしろ将来がはっきり見える、具体的に言えば「この先好転しない未来がほぼ確定」状態な人とかに使われることの方が多い気がします。一発逆転の目がなく、このままズルズルとあらゆる水準が悪化していく、具体例としては所得、経済、所属企業、人間関係などがそのような悪化トレンドに入った状態で使われ、先行きが見えないどころかむしろはっきりしてきたからこそそのように不安を感じるのだと思います。
逆にと言うか、現在どれだけ厳しい環境にあってもまだ逆転の目が残されているのであれば、やっぱり不安というのはいくらか減る気がします。これはわかりやすい例なら若者世代が当てはまり、ブラック企業に入ってしまったとしても、転職したら好転するかもという期待があればまだある程度行動力を保てるとともに、不安に対しても補償的に軽減させることができます。しかしこれが中年世代になるとそうはいかず、むしろどんどん将来が固定化されていくので、不安もストレスも増大していくわけです。
一方で、同じ中年世代でも比較的安定した仕事について順風に生きてる人でも、多分将来が固定化されていくと同じように不安を感じるのではないかと思います。こう思うのも企業における出世競争の話などで競争から脱落した人を見ると、生活上は安定しているというの途端にやる気なくして行動力も減退するというパターンが多いような気がします。やはり「もしかしたら社長になれるかも?」という心情は、人間を大きく突き動かすのでしょう。
逆の例として、行動力が低下しやすい例としてはやはり派遣社員が自分の中で上がってきます。これも「正社員になれるかも」がもっと現実的であれば違うでしょうが、実際にはそんな話は私自身もあまり耳にせず、逆に「派遣に落ちたらもう這い上がれない」という世論の方が強く、そうした「先行きの読める」背景が派遣社員の行動力を奪い、不安を増大化させているように見えます。
マージン率データすら、派遣社員たちは作らないしなぁ。
何が言いたいのか短くまとめると、未来は固定的であるより流動的である方が社会全体で活力を持ちやすいのではということです。単純にこの後何が起こるのかわからないというのはドラゴンボール的なワクワク感があり、やはりそうしたものが行動力を生むのだと思います。そういう意味で先行きの読める、見える社会というのはむしろ暗い社会であり、「次に何が起こるかわからない」といった一時期の和泉元彌氏みたいな社会の方がかえって楽しいんじゃないかと思うわけです。
かくいう私も、やはり何が起こるかわからない行き当たりばったりな決断ばかりするから、現代日本人の中ではまだ行動力を保てているのではと思います。実際このところ思いますが、安定というのを求めれば求めるほど、自分の中から活力が失われていくのを感じ、突拍子もなく「そうだ、あれやってみよう」と思いつくたびに妙な行動力が自分の中で湧いてきます。
その上で言えば、今の日本はレールから一回外れたら即死という概念が強く、だからこそ社会全体で極端に活力がなくなってきているのだと思います。一発逆転も可能と思わせる社会とまではいわなくても、何が起こるかわからない的なワクワク感くらいはもっと醸し出せよと密かに上から目線で思ってます。
2 件のコメント:
むしろ日本の場合、今後何も変化が起こらず、ずっと安泰でいられることを至上の目標として発展してきた側面があるので、この価値観を持ってる世代がいる限りは簡単には変えられないなという気がしています。
その世代がいなくなってようやく、前例が全く頼りにならないから自分たちの発想でなんとかやっていかねばという意識が生まれて、未来に複数の可能性が見えてくるような気がしています。
キリスト教の予定説じゃないですが、決まりきった人生を守ることに命かけた世代がいて、その世代の妙な価値観によっていろいろモラルハザードが起きていると密かに考えています。本来、新しい時代を切り開くのは若者なのですが、今の若者が日本の高齢層と戦えるかと言ったら全然そんなもんじゃなく、おっしゃる通りに世代が絶滅しない限りは変わらないのかもしれません。
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