でもまた次の週末から自分の住んでるところは今度はガチなロックダウンされる予定です。川の向こう側の浦東は予告なしで今日からロックダウンなのでまだ恵まれていますが、今度はしっかり備蓄して対策打っとこうかと思います。っていうかロックダウンを理由に仕事休みたい(ヽ´ω‘)
・「源平の戦い」を生き延びた平家唯一の男、平頼盛の数奇な一生(JBpress)
そういうわけで今日配信の自分の記事ですが、これは2017年にこのブログに書いた自分の記事の焼き直しです。なんで焼き直ししたかというと、土日も毎日普通に働くほど取材する時間がないに尽きます。ガチで今日、半ギレ気味に上司に「あと5人よこせ」と言うほど忙しいです。
そんな状況だからハナから取材はあきらめ既存記事を使いなおそうと思って歴史記事を検索して過去記事を見つけたのですが、読み直して「こんな奴おったんや(´・ω・)」と、自分の記事を見返すまで今回の主役である平頼盛の存在のことを完全に忘れていました。記憶力に定評のある自分ですが、本気でひとかけらも記憶に残ってなかったのでマジビビりました。
ただこれは私だけではなく、恐らくほとんどの人に当てはまるのではないかと思います。ヤフコメの反応見てても、こんな人物がいたなんて知らなかったなどというコメントが入っていますし、私自身も歴史通で名を馳せますが、前回調べた時にも全く知りませんでしたし、今回改めて調べなおすまで完全に存在を忘れていました。逆を言えば、それくらいこの平頼盛は影が薄い存在であるように思えます。
記事中にも書いている通り、頼盛自身は清盛の弟で、異母兄弟であるからやや嫌われて、最終的には平家の中枢ぶ賞でありながら源氏に与して天寿を全うするなどドラマ性のあるキャラクターです。にもかかわらずここまで知名度低いのはかなり特殊であるように思え、改めてその背景について少し考えてみました。
まず一番の理由としては、平家武将であることが大きいでしょう。どうも平家だと清盛とその長男の重盛以外はあまり取り上げられず、平宗盛といってもどういう人物かパッとわかる人は少ないと思います。
なお今回の記事、「~盛」という人物名がやたら多く、「清盛と頼盛は同じ忠盛の元で生まれた異母兄弟」みたいに名前を並べると見ていて非常に読み辛くなるため、なるべくお互いの名前を離し合うように気を付けています。また「頼盛は父・忠盛の~」などの様に続柄も随所に入れる工夫をしており、意外と簡単そうに見えて真似して書くにはかなり難しい記事だったりします。
話を戻すと、源氏方と比べると平家の武将はあまり取り上げられない傾向にあり、また基本やられ役ばかりなため、どうもあんまり表に出されず、マイナー化している気がします。
また頼盛の場合、最終的に平家と袂を分かって生き残ったというのも拍車をかけているでしょう。というのも平家物語を筆頭に「もののあわれ」こと滅びの美学の代表の如く平家は扱われています。そんな平家において、最終的に敗死しなかった頼盛は上記の美学範疇からも外れることとなり、この辺でも取り上げられない理由になっている気がします。
あともう一つ付け加えるとしたら、上に書いたように平家だと「~盛」という名前が多すぎるのも一因かもしれません。このせいで非常に区別し辛いし。かえって「平中納言」みたく官職などをつけて区別した方が、後の時代に伝承する上では有利かもしれません。
そういうわけでまた次の週末は忙しい本業の合間に記事書かないといけません。何か中国ネタとかでリクエストあれば受け付けるので聞きたいことあったらコメント書いてください。マジで。
2 件のコメント:
藤原景清は藤原氏ですが平家の都落ちに従ってついていったため「平景清」
と呼ばれるようになりました。歌舞伎や落語で彼を題材にした作品が
作られたため、彼の知名度は清盛並みに上がりました。
そういえば景清が主人公のゲーム「源平討魔伝」では源頼朝がラスボス
ですが、その頼朝は浮遊する畳に座りながら攻撃してきます。
源頼朝の肖像画を再現したのでしょうが、その肖像画は最近になって
頼朝ではなく足利直義の肖像画だという説が有力になっています
直接遊んだことはないですが、「源平討魔伝」は死んだらくるくる回りながら落ちて、「死」という文字が表示されるあの演出は憎いなと思います。昔フラッシュで、「死」を「合格」と差し替えてる人がいたのを思い出しました🍵
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