それで本題ですが、以前は「べ、別に興味あるわけじゃないんだからね(*ノωノ)」と言っていたけど最近は隠すことなく「週末はBLドラマ見て過ごした(´・ω・`)」と突然語りだすBL好きの中国人同僚と何故かその方面の話となり、日本の現代におけるBLの概念は、「ポーの一族」などをはじめとする昭和期の少女漫画の影響が大きいと独自理論を解説しました。これに対し同僚は、「日本はかくも先を行っていたのか。中国でBLの概念できたのは早くても90年代なのに(;゚Д゚)」などとおののいていました。
上記の通り、現代日本におけるBLことボーイズラブの概念について自分は、昭和期の少女漫画がその原型を作っていると考えています。ただその少女漫画も遡れば宝塚少女歌劇団の影響があると考えられ、そこら辺を突き詰めていくと日本のBLの起源とは何なのだろうかという疑問がもたげてきます。
BLというと、少女漫画などでは線の細い少年たちがメインですが、仮にこの少年たちにジャンルを絞らなければ、日本における男色文化はかなり深いものがあります。代表的なのは戦国時代で、この時代の主だった武将たちはほぼ全員が男色癖を持っており、むしろそういうのなかった秀吉が逆に「特殊な性癖だった」と書き残されるくらいでした。
その男色文化は江戸時代も通じて続き、阿国が始めた歌舞伎が途中からストリップショーになったことから出演者は男に限定したところ、今度は男のハッテン的な演目が主となり(若衆歌舞伎)、これまた禁止喰らって現代のガチムチ男限定の野郎歌舞伎へと至っています。
また男色向けのサービスも大っぴらであったと言います。有名な「東海道中膝栗毛」の弥二さん喜多さんもそういう関係ですし、3代目将軍の徳川家光も露骨にそういう趣味があったと言います(だから直径男子が少ない)。
あくまで自分が知る限りですが、イスラム世界を除くと、日本ほど男色が大っぴらだった社会はあまり知りません。中国でもここまで露骨だったとは聞かないし、ヨーロッパもなかったわけじゃないものの、イエズス会の連中も日本のありようにビビったというくらいなため、日本ほどではなかったのではないかと思います。
逆を言えばそうしたギャップもあって、明治維新以降に男色はやや鳴りを潜めるようになります。時代ごとに比較するなら、戦国時代が一つのピークで、江戸時代を通じて高水準が続いたものの明治期以降に一気に熱が冷めるというグラフになるでしょう。
翻って現代の日本のBL文化ですが、漫画や小説を中心に結構低年齢、っていうか中学高校女子がメインターゲットとなっているように見える点からすると、やっぱこの辺の感覚は世界的に見てもかなり特殊なんじゃないかなという気がします。中国なんかだとBLは厳しく取り締まられるため、上述の同僚も韓国やタイのドラマをよく見ると言いますし。
よく考えてみたらタイのが日本より凄いな、忘れてた。
この日本のBL文化は江戸時代以来の男色文化の系譜を引いているのか、それとも明治に一旦リセットされた後で新たな形として生まれた文化なのか、ちょっとこの辺が気になります。かつて友人が「マツコの知らない世界」でBL漫画研究家が出演した回を紹介してくれましたが、あの時の先生に聞いたらヒントとか出るのだろうか。
なお自分はBLそのものについては全く興味がなく、一部そういう要素のある作品は手に取ったことがあるものの、ガチBLな作品はほとんど触ったことがないです。しいて言えば桃栗みかん(河下水希)のメジャーデビュー前の作品を姉貴が買ってきたのを読んだくらいです。
なおその作品(高校男子)を友人に何も言わず貸したところ、「お前何とんでもないものを渡してくんだよ!」と怒られました。河下水希の昔の漫画あるよといったら貸してくれと向こうから言ってきたのに。
2 件のコメント:
起源についての知識はあまりないですが、男色とBLは本質的には違うものだと思っています。
女性はモブの名無し女主人公とイケメンキャラとの恋愛にも嫉妬するくらいに架空のキャラに自分を重ねるのが苦手なようなので、代理の異性として受けの男性があてがわれているようですが、男色は男性が性欲を満たすための代理に近いものという認識です。
異性視点の同性愛はファンタジーですが、同性視点の同性愛は非常に生々しいものなんじゃないですかね。同様に百合もファンタジーです。
百合の概念もまた特殊というか、追っかけてみると見えてくるものが何かあるような気がします。この辺、LGBTの方の価値観傾向などとも関係するのかな。
男色とBLはおっしゃる通り行為を眺める主体が違うので、本質的には確かに異なりますね。にしてもホント日本はBL産業が盛んというか、購買層がいるなという気がしてきます。
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