話は本題ですが以前に福岡市を訪れた際、この地を長く治めた黒田家に対するお土産なりグッズなりがあんま見当たらないなと感じました。実際に福岡出身の人に黒田家の話を聞くと、「あんま意識してない(´・ω・)」と返事され、そんなに地元に浸透していないなという印象を覚えました。
反対にというか同じ九州の熊本県では、現在に至っても加藤清正を神の如く崇めており、関連グッズもくまモンには負けるけどたくさんあります。まぁ加藤家が熊本治めてた期間は実は短く、逆に長く治めた細川家に対する意識は低かったりもするのですが。
こんな具合に江戸時代までその地を支配したり輩出した各地元大名への意識は地域によってかなり変わります。千葉や埼玉のように主に旗本が支配して支配者も変わりやすかった地域に関してはこの手の意識は全くないのですが、熊本以外にも石川県なんかは今でも加賀百万石を強い誇りとしており、何かにつけて百万という単語をお土産につけてきますし、前だけに対する意識も外から見る限り強そうに感じます。
また江戸時代に佐竹家が支配した秋田県でも、こちらも外から見る限り佐竹家当主が県知事になったりと今でも現地には強い影響力が残っているように見えます。あと岐阜県は江戸時代は天領だったところも多いですが、戦国時代にこの地を支配した信長への関心が高く、お土産も信長グッズが中心です。
マムシの道三も輩出してんだから、マムシ酒も出せばいいのに……。
このほか九州に戻ると、鹿児島県の島津家に対する意識も高いものがあります。何気に鎌倉時代からの守護大名で最後まで生き残ったのは島津、伊達、佐竹の三家のみで、このうち伊達、佐竹は江戸時代初期にお国替えで出身地から動いているため、鎌倉時代からずっと同じ場所を支配し続けたという意味では島津が一番長かったりします。
ただ鹿児島の場合、西郷隆盛が島津家を上回るほどの尊敬を集めているため、島津家に対する意識もその分弱まっている感があります。まさか身内に追いやられるとは……。
一方、徳川家が支配した水戸や紀伊はなんか外から見ている限りだとそれほど地元民の意識が強くない気がします。明治維新で徳川家が追放されたということが大きいように思えるのですが、名古屋のみ尾張徳川家に対する意識や信頼が例外的に未だ強いと感じ、実際関連グッズもよく見ます。
この辺、熊本もそうですがお城が残っているというのが地味に大きな要素である気がします。名古屋も徳川家への意識の半分以上は名古屋城というシンボルの影響であるように思え、やはり城が残っているとそれが街のシンボルとなり、そのまま地元大名への意識向上につながっている気がします。まぁ和歌山城も残っているんですがね。
最後に山口県に関しては、毛利家よりも幕末に輩出した維新志士の方が数も多くて有名で、現代にも直接影響を残しているため、鹿児島同様に若干割食っている気がします。こうしたライバルの存在やお城などのシンボリックな遺産の有無が、地元大名への意識を決定づけていると言っていいでしょう。
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