前友人と会った時に、
「あれほしいんだけど、なかなか決心がつかないんだよなぁ」
といったその翌日に、とうとう買ってしまいました。
・ヴァンパイア ダークストーカーズコレクション(カプコン)
これはPS2のゲームで、これまでに発売されたヴァンパイアシリーズという対戦格闘ゲームのシリーズを一本にまとめておまけをつけた愛蔵版ですが、この中に入っている「ヴァンパイアハンター」は恐らく私が最も時間をかけてプレイした対戦格闘ゲームです。
改めてやってみると、ブランクがあるから相当下手になっているかと思ったらそうでもなく、そこそこ戦えました。これですっかり自信をつけて、じゃあ最初の「ヴァンパイア」からローラー作戦でクリアしてこうと思ったら、なぜか「ハンター」と「セイバー」では余裕だったのに、最初の「ヴァンパイア」では全然勝てませんでした。
やっぱりやってみて、最初の「ヴァンパイア」ではゲーム速度も遅いだけではなく、一撃のダメージが滅茶苦茶大きいです。でもってゲームバランスもまだ出始めた頃というのもあり、相性が悪いキャラだと延々と同じことの繰り返しで負け続けます。そう考えてみると、後半になるにしたがって初心者でも上級者とそこそこ渡り合えるシステムに変えていったのだと思いました。
まぁなんにしても懐かしいゲームで、しばらくはこれとパワプロで時間が潰せそうです。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2008年12月15日月曜日
2008年12月14日日曜日
失われた十年とは~その十三、言葉狩り~
まず最初に、私のある体験からお話します。
これは私が小学校一、二年生の頃の話ですが、ある日先生が、「馬鹿を馬鹿といってはいけません」と言い出しました。なんかこう文章にすると一休さんのとんち話のようにも見えますが、当時の私はというとこれを結構真に受けたりし、友達同士で悪口の言い合いになると、
「馬鹿って言う人が馬鹿なんですぅ」
「馬鹿を馬鹿と言っちゃいけないんだぞ」
などとお互いに言い合ったりしてました。
これはちょっと解説をすると、当時に流行った言葉狩りの一端だったと今では思います。
当時、馬鹿という言葉が知能障害者への差別に当たるとして、当時の文部省だかが通達を出したのか、ほぼ全国的にこのようなわけのわからない、まるで言葉遊びのような妙な教育というか言葉狩りが行われていました。なおうちの親父の世代だと、親父が関西地方出身だからかもしれませんが「四つ」というのがタブーワードとして使うなと言われていたそうです。
さてこうした言葉狩りが使われた背景には、この失われた十年におけるフェミニズムの勃興があると私は考えています。ふと気がついてみるとこのフェミニズムという言葉自体、現代ではあまり聞かなくなった(どうも「左翼」という言葉に含められている気がする)のですが、失われた十年にはこのフェミニズムを冠する、掲げる集団が非常に大きな力を持っていました。
このフェミニズムが私の記憶する限り初めて社会に大きな影響を与えた言葉狩り事件というと、「ちび黒サンボ事件」だと思います。この事件は少年サンボが知恵を使ってトラを退治する「ちび黒サンボ」という童話に対しある団体が、「ちび黒」という表現は黒人への侮蔑に当たると批判し、なんとその批判を受けて1988年にはこの本自体が絶版してしまった事件です。
そもそもこの童話はインドの話で、少年サンボをアフリカ系黒人と勘違いしている時点からかなり駄目駄目な問題なのですが、当時はこのように何かの表現が誰かへの侮蔑に当たると言われると複数の団体がものすごい批判が集まり、批判を受ける側としても要求を飲むケースが非常に多く、この「ちび黒サンボ」も「ちび黒さんぽ」という、サンボのかわりにさんぽという犬(しかも色は白)の話に取り替えられ再出版するという、まるでギャグのような結末になってしまいました。どうせなら「ちび黒コマンドサンボ」にすりゃいいのに。
こうした例を筆頭に、この時期に数多くの日本語表現がまるで魔女狩りのように槍玉に挙げられては無理やり変えられていきました。特にこのフェミニズムと言うだけあって、女性が関係する言葉は片っ端から変更が加えられ、代表的なものだと「スチュワーデス」が「キャビンアテンダント」、「看護婦」が「看護士」といったように変更され、その他数多くの言葉も現在までに定着こそしなかったものの、代替語が一時は用意されていきました。
最も、最近だとこういうような「侮蔑に当たる」として表現差し止めを要求する行為が行われればネット上で激しい逆批判が起こり、またメディア側もこの時期みたいにそういった要求を行う団体に肩入れした報道を行わなくなったので、現在だとめっきりこのような事件は目にしなくなりました。
私が記憶する中でも2005年末に、当時人気絶頂だったレイザーラモンHGをもじり、テレビ番組の企画で「黒ひげ、危機一髪」ならぬ「黒ひゲイ、危機一髪」という名前の玩具をおもちゃメーカーが発売したところ、
「同性愛者をナイフで刺して遊ぶ、差別感情を増長させる玩具だ」
として、ある人権団体が抗議したのを最後に確認して以来は全く見なくなりました。それにしても、同性愛者の偏見といったらレイザーラモンHGの存在の方がよっぽど妙な誤解を生むような気がするのですが。
では一体何故このようにフェミニズムが失われた十年に台頭したかですが、これは完全に私の推論ですが、高度経済成長を終えて男女差別論が欧米から輸入されてきたのを受けての現象だったと見ています。そのため必然的にこの言葉狩りは女性論とも密接に結びつき、本流のジェンダー論ともいろいろない交ぜになってわけのわからない事態を生んでしまったのだと思います。
この辺は次回の、フェミニズムについての解説にて詳しく行います。
これは私が小学校一、二年生の頃の話ですが、ある日先生が、「馬鹿を馬鹿といってはいけません」と言い出しました。なんかこう文章にすると一休さんのとんち話のようにも見えますが、当時の私はというとこれを結構真に受けたりし、友達同士で悪口の言い合いになると、
「馬鹿って言う人が馬鹿なんですぅ」
「馬鹿を馬鹿と言っちゃいけないんだぞ」
などとお互いに言い合ったりしてました。
これはちょっと解説をすると、当時に流行った言葉狩りの一端だったと今では思います。
当時、馬鹿という言葉が知能障害者への差別に当たるとして、当時の文部省だかが通達を出したのか、ほぼ全国的にこのようなわけのわからない、まるで言葉遊びのような妙な教育というか言葉狩りが行われていました。なおうちの親父の世代だと、親父が関西地方出身だからかもしれませんが「四つ」というのがタブーワードとして使うなと言われていたそうです。
さてこうした言葉狩りが使われた背景には、この失われた十年におけるフェミニズムの勃興があると私は考えています。ふと気がついてみるとこのフェミニズムという言葉自体、現代ではあまり聞かなくなった(どうも「左翼」という言葉に含められている気がする)のですが、失われた十年にはこのフェミニズムを冠する、掲げる集団が非常に大きな力を持っていました。
このフェミニズムが私の記憶する限り初めて社会に大きな影響を与えた言葉狩り事件というと、「ちび黒サンボ事件」だと思います。この事件は少年サンボが知恵を使ってトラを退治する「ちび黒サンボ」という童話に対しある団体が、「ちび黒」という表現は黒人への侮蔑に当たると批判し、なんとその批判を受けて1988年にはこの本自体が絶版してしまった事件です。
そもそもこの童話はインドの話で、少年サンボをアフリカ系黒人と勘違いしている時点からかなり駄目駄目な問題なのですが、当時はこのように何かの表現が誰かへの侮蔑に当たると言われると複数の団体がものすごい批判が集まり、批判を受ける側としても要求を飲むケースが非常に多く、この「ちび黒サンボ」も「ちび黒さんぽ」という、サンボのかわりにさんぽという犬(しかも色は白)の話に取り替えられ再出版するという、まるでギャグのような結末になってしまいました。どうせなら「ちび黒コマンドサンボ」にすりゃいいのに。
こうした例を筆頭に、この時期に数多くの日本語表現がまるで魔女狩りのように槍玉に挙げられては無理やり変えられていきました。特にこのフェミニズムと言うだけあって、女性が関係する言葉は片っ端から変更が加えられ、代表的なものだと「スチュワーデス」が「キャビンアテンダント」、「看護婦」が「看護士」といったように変更され、その他数多くの言葉も現在までに定着こそしなかったものの、代替語が一時は用意されていきました。
最も、最近だとこういうような「侮蔑に当たる」として表現差し止めを要求する行為が行われればネット上で激しい逆批判が起こり、またメディア側もこの時期みたいにそういった要求を行う団体に肩入れした報道を行わなくなったので、現在だとめっきりこのような事件は目にしなくなりました。
私が記憶する中でも2005年末に、当時人気絶頂だったレイザーラモンHGをもじり、テレビ番組の企画で「黒ひげ、危機一髪」ならぬ「黒ひゲイ、危機一髪」という名前の玩具をおもちゃメーカーが発売したところ、
「同性愛者をナイフで刺して遊ぶ、差別感情を増長させる玩具だ」
として、ある人権団体が抗議したのを最後に確認して以来は全く見なくなりました。それにしても、同性愛者の偏見といったらレイザーラモンHGの存在の方がよっぽど妙な誤解を生むような気がするのですが。
では一体何故このようにフェミニズムが失われた十年に台頭したかですが、これは完全に私の推論ですが、高度経済成長を終えて男女差別論が欧米から輸入されてきたのを受けての現象だったと見ています。そのため必然的にこの言葉狩りは女性論とも密接に結びつき、本流のジェンダー論ともいろいろない交ぜになってわけのわからない事態を生んでしまったのだと思います。
この辺は次回の、フェミニズムについての解説にて詳しく行います。
失われた十年とは コラム一、中内功
昨日友人と会ったら、ダイエー創業者の中内功氏と満州帝国について今調べていると言っていたので、ちょうどこの失われた十年の草稿でコラムを書いていたので、大分連載がのびのびになっているのあるのでここで一気に放出します。
このコラム自体は二年前に執筆したもので、他の草稿については参考にすることはあっても、草稿の文体が常体であるため書き直しであるのだが、敢えてこのコラムについてはそのままカット&ペーストにして紹介してみようと思います。一部見苦しい表現がありますが、気にせずに読んでください。
今となっては産業再生機構からイオンに売却される(提携と言ってあげるべきか)ダイエーだが、かつては小売業界一の売上を誇り、かつて日本の小売形態をすべてひっくり返した企業であった。その先導役となったのが、創業者の中内功である。
彼の企業形態の基本は安売りである。ほかよりも安く、ほかよりも多くという薄利多売方式でこれが高度経済成長時代にはぴったりと当てはまった。また土地本位制ともいう、駅前に店舗を構え、周辺地域の開発が進む事によって跳ね上がる地価を担保に金を借り、また新たな店舗を拡大するという形態で、このやり方によって全国制覇も成し遂げた。しかしこれはほとんどの解説でも触れられているが、消費者の嗜好が量より質へと変化していく事に対応できず、いわゆる「ダイエーには何でもあるが、欲しいものはない」という言葉にまとめられる客層へのニーズ対応の鈍さが最終的に彼の命取りになった。また土地本位制においても、恒久的に地価が上がるなどとというありえない前提の上で行わってきたため、何度も本解説において出てくる不良債権となるのは目に見えていた。
こうした経緯もあり、中内功は80年頃に一時経営を引き下がる事になった。彼が引いた後、かわりに社長になった平山敞によってダイエーは見事なV字回復を遂げ、「失われた十年」の直前のバブル期においてもダイエーは小売業界の王様であった。当時の私は幼稚園くらいだったが、私もこの時期に買い物とくれば親に近くのダイエーによく連れて来られ、それこそ土曜日ともなると家族全員でダイエーに行き、コージーコーナーでアイスを食べ、私と姉がおもちゃ売り場をうろちょろしている間に両親は買い物というパターンまで出来上がってたくらいである。
ここで終わっていれば中内功もそれなりの評価で終わったかもしれない。しかし残念というべきか、彼は自分の息子に社長を継がせようと考え、その後再び自ら社長に就任。そして前社長の取り巻きを追い払い、自らの周りをイエスマンで固めてしまった。その結果、「失われた十年」の間にダイエーは再び失墜する事になる。またこれは後述するが、95年には阪神大震災も起こり、関西拠点のダイエーは大きな痛手を受ける事になった。
こうして2001年、中内功は全面的にダイエーから退任する事となった。しかしウィキペディアの項目上でも「時既に遅し」と書かれているように、傾いたダイエーは再び栄光を取り戻すことなく、後に国家機関の産業再生機構の管理課に入ることになる。余談だが、この産業再生機構自体がダイエーの借金を抱えると国家財政が傾くという危機感から2003年に生まれた機関であり、ある意味本願成就した形となった。
なおこの産業再生機構入りする際も一悶着あり、再生機構はホークス球団の売却を迫ったのだが、当時もオーナーは続けていた中内功は球団保持を最後の最後まで拘泥し、当時はそれほど野球に興味が少なかった私ですらこれには幻滅した。結局、ソフトバンクが買収する事になったのだが、こうしたこだわりが晩節を汚したとしかいいようがない。
そうした球団の売却が行われた翌年の2005年9月、中内功は自宅で死亡する。かつての栄光むなしく、私の目からするとその死の報道は非常に小さな扱いであった気がする。もっとも、この時私は中国に留学中で、北京でNHKしか見ていないからそう思うだけなのかもしれないが、その際に感じた無常観を愚作ながら俳句にしたためて手帳に残してある。
秋風(しゅうふう) 見果てぬ先の 大栄華
その一つ前の日には「中国人はポルノが少ないから過熱しやすいんだと思う」と手帳に書いてある。全然脈絡がないな。
私自身の評価として、やはり後年に経営感覚が時代の変化に合わせられなかった事に尽きる。彼自身、「最近、客が何を欲しがるのかがわからなくなった」と洩らしており自覚していたようではあるが、それならばなおの事引き際をわきまえるべきだった。それにしても、どうにも彼の生涯を見るにつけて筑前守を重ねずにはいられない。
といったところでしょうか。この中内氏に限らず草稿では藤田田氏についても書いており、これなんか私の自慢の愛弟子と話題になるたびに盛り上がる人物なので、こちらもタイミングを狙ってまた紹介します。
このコラム自体は二年前に執筆したもので、他の草稿については参考にすることはあっても、草稿の文体が常体であるため書き直しであるのだが、敢えてこのコラムについてはそのままカット&ペーストにして紹介してみようと思います。一部見苦しい表現がありますが、気にせずに読んでください。
今となっては産業再生機構からイオンに売却される(提携と言ってあげるべきか)ダイエーだが、かつては小売業界一の売上を誇り、かつて日本の小売形態をすべてひっくり返した企業であった。その先導役となったのが、創業者の中内功である。
彼の企業形態の基本は安売りである。ほかよりも安く、ほかよりも多くという薄利多売方式でこれが高度経済成長時代にはぴったりと当てはまった。また土地本位制ともいう、駅前に店舗を構え、周辺地域の開発が進む事によって跳ね上がる地価を担保に金を借り、また新たな店舗を拡大するという形態で、このやり方によって全国制覇も成し遂げた。しかしこれはほとんどの解説でも触れられているが、消費者の嗜好が量より質へと変化していく事に対応できず、いわゆる「ダイエーには何でもあるが、欲しいものはない」という言葉にまとめられる客層へのニーズ対応の鈍さが最終的に彼の命取りになった。また土地本位制においても、恒久的に地価が上がるなどとというありえない前提の上で行わってきたため、何度も本解説において出てくる不良債権となるのは目に見えていた。
こうした経緯もあり、中内功は80年頃に一時経営を引き下がる事になった。彼が引いた後、かわりに社長になった平山敞によってダイエーは見事なV字回復を遂げ、「失われた十年」の直前のバブル期においてもダイエーは小売業界の王様であった。当時の私は幼稚園くらいだったが、私もこの時期に買い物とくれば親に近くのダイエーによく連れて来られ、それこそ土曜日ともなると家族全員でダイエーに行き、コージーコーナーでアイスを食べ、私と姉がおもちゃ売り場をうろちょろしている間に両親は買い物というパターンまで出来上がってたくらいである。
ここで終わっていれば中内功もそれなりの評価で終わったかもしれない。しかし残念というべきか、彼は自分の息子に社長を継がせようと考え、その後再び自ら社長に就任。そして前社長の取り巻きを追い払い、自らの周りをイエスマンで固めてしまった。その結果、「失われた十年」の間にダイエーは再び失墜する事になる。またこれは後述するが、95年には阪神大震災も起こり、関西拠点のダイエーは大きな痛手を受ける事になった。
こうして2001年、中内功は全面的にダイエーから退任する事となった。しかしウィキペディアの項目上でも「時既に遅し」と書かれているように、傾いたダイエーは再び栄光を取り戻すことなく、後に国家機関の産業再生機構の管理課に入ることになる。余談だが、この産業再生機構自体がダイエーの借金を抱えると国家財政が傾くという危機感から2003年に生まれた機関であり、ある意味本願成就した形となった。
なおこの産業再生機構入りする際も一悶着あり、再生機構はホークス球団の売却を迫ったのだが、当時もオーナーは続けていた中内功は球団保持を最後の最後まで拘泥し、当時はそれほど野球に興味が少なかった私ですらこれには幻滅した。結局、ソフトバンクが買収する事になったのだが、こうしたこだわりが晩節を汚したとしかいいようがない。
そうした球団の売却が行われた翌年の2005年9月、中内功は自宅で死亡する。かつての栄光むなしく、私の目からするとその死の報道は非常に小さな扱いであった気がする。もっとも、この時私は中国に留学中で、北京でNHKしか見ていないからそう思うだけなのかもしれないが、その際に感じた無常観を愚作ながら俳句にしたためて手帳に残してある。
秋風(しゅうふう) 見果てぬ先の 大栄華
その一つ前の日には「中国人はポルノが少ないから過熱しやすいんだと思う」と手帳に書いてある。全然脈絡がないな。
私自身の評価として、やはり後年に経営感覚が時代の変化に合わせられなかった事に尽きる。彼自身、「最近、客が何を欲しがるのかがわからなくなった」と洩らしており自覚していたようではあるが、それならばなおの事引き際をわきまえるべきだった。それにしても、どうにも彼の生涯を見るにつけて筑前守を重ねずにはいられない。
といったところでしょうか。この中内氏に限らず草稿では藤田田氏についても書いており、これなんか私の自慢の愛弟子と話題になるたびに盛り上がる人物なので、こちらもタイミングを狙ってまた紹介します。
日本で何故レイオフが行われないのか
本日トヨタ自動車が今年の役員賞与を全額廃止する方針を発表しました。今回削減される役員賞与は総額約十億円との事でこれも景気の悪化を受けてのことらしいですが、皮肉にもトヨタは役員報酬は大企業の中でも非常に少ない会社(確か社長で三千万だったと思う)であるので、削減したところでどれほど節約になるかといったらすこし心もとない気はします。それでも、やるだけえらいと思うけど。
そんなかんだで、今の日本はどの企業もあっちこっちで経費削減の嵐です。特にトヨタやソニーといった輸出に過剰に依存している企業だと先週末で88円台をつけた急激な円高を受け、確か今年の前半にトヨタは110円、ソニーは100円で社内レートをつけていたと思うから、当初の業績予想で言うとトヨタは9000億円、ソニーは500億円もこの為替だけで予想損益がマイナスを喰らうのですから、そりゃ必死にもなるでしょう。
そのためさきほどのトヨタを筆頭にして今後もあちこちで役員給与や報酬の返納や見直しが行われることは確実ですが、それ以前に既に実行されているものとして、派遣社員の契約打ち切りなどの下部労働者の解雇も急激に広がり、ニュースなどでも報道されているように社会問題化しております。
この労働者の解雇について不況の度に私は毎回思うのですが、一体何故日本にはレイオフがないのかいつも不思議に感じます。あんまり実態を把握してないで言うのもなんですが、金の論理で企業を動かすアメリカ企業がレイオフを行うのに対し、人の論理で企業を動かす日本がしないというのにはどうにもギャップを感じます。
このレイオフ(layoff)というのはリンクに貼ったウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますが、敢えて日本語に直すとしたら「一時解雇」という意味の言葉です。このレイオフが具体的にどういう風に使われるかというと、今みたいに景気の変動を受けて事業を縮小せざるを得なくなった際に抱えている従業員に対して一旦は解雇を申し渡すのですが、その際に再び景気がよくなってきたら再雇用する旨を契約する条件として用いられます。そのため不景気が去って企業がまた事業を拡大するようになると、また新規に従業員を募集するのではなくかつて雇用していた従業員を優先的に呼び集めて人員が補充されます。また好条件だと、一時解雇中も労働契約が続くとしてわずかながらですが給料も支払われ続ける場合もあります。
このレイオフ制度の強みは何かというと、不景気後に再び事業拡大を図る場合にまた一から従業員を教育しなおす必要がなく、かつてその企業で業務に携わっていた人間を再び雇用できるので建て直しがはかりやすい点にあります。また一時解雇の条件として先にあげたように減額された給料を支払う条件であれば、解雇されていきなり無収入になるということは避けられるので社会保障の点でも大きい効果が狙え、企業としても円滑に人員削減による経費削減が行えます。
日本でこの制度が運用されている例としては、産児一時休暇制度等に代表される出産をする女性社員への一時休職制度がこれに当たります。これも失われた十年に社員数を大幅に厳選した企業が業務に熟知した女性社員を出産などでみすみす手放すより、一時休職させてその後に復職してもらったほうが都合がいいとの事で、私の見ている限りでは以前からは想像も出来ないほど日本企業に普及しているように見えます。
さすがに大メーカーなどでは抱えている労働者全員にこのレイオフを行うことは事実上不可能というのはわかるのですが、熟練工や正社員の削減時にも一切この制度が使われないというのは、やっぱり日本企業にとってマイナスなのではないかと思う時があります。何故日本でレイオフが行われないか、そういった背景についてはあまり詳しくないのでもし誰か知っている方があれば是非コメントをしてもらいたいのですが、こんな時代だからこそ、如何に不況を乗り切る知恵をみんなで出し合うべきだと私は思います。
ついでに言うと、たとえば語学留学や一年間羽を伸ばしたいというような、貯金はあるが時間がない社員に対しても結構有効な制度だと私は思っています。レイオフによって自由な時間を与えることによって最終的に、日本全体で消費の向上も望めますし、消費する側も復職する希望があれば動きやすいでしょう。
そんなかんだで、今の日本はどの企業もあっちこっちで経費削減の嵐です。特にトヨタやソニーといった輸出に過剰に依存している企業だと先週末で88円台をつけた急激な円高を受け、確か今年の前半にトヨタは110円、ソニーは100円で社内レートをつけていたと思うから、当初の業績予想で言うとトヨタは9000億円、ソニーは500億円もこの為替だけで予想損益がマイナスを喰らうのですから、そりゃ必死にもなるでしょう。
そのためさきほどのトヨタを筆頭にして今後もあちこちで役員給与や報酬の返納や見直しが行われることは確実ですが、それ以前に既に実行されているものとして、派遣社員の契約打ち切りなどの下部労働者の解雇も急激に広がり、ニュースなどでも報道されているように社会問題化しております。
この労働者の解雇について不況の度に私は毎回思うのですが、一体何故日本にはレイオフがないのかいつも不思議に感じます。あんまり実態を把握してないで言うのもなんですが、金の論理で企業を動かすアメリカ企業がレイオフを行うのに対し、人の論理で企業を動かす日本がしないというのにはどうにもギャップを感じます。
このレイオフ(layoff)というのはリンクに貼ったウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますが、敢えて日本語に直すとしたら「一時解雇」という意味の言葉です。このレイオフが具体的にどういう風に使われるかというと、今みたいに景気の変動を受けて事業を縮小せざるを得なくなった際に抱えている従業員に対して一旦は解雇を申し渡すのですが、その際に再び景気がよくなってきたら再雇用する旨を契約する条件として用いられます。そのため不景気が去って企業がまた事業を拡大するようになると、また新規に従業員を募集するのではなくかつて雇用していた従業員を優先的に呼び集めて人員が補充されます。また好条件だと、一時解雇中も労働契約が続くとしてわずかながらですが給料も支払われ続ける場合もあります。
このレイオフ制度の強みは何かというと、不景気後に再び事業拡大を図る場合にまた一から従業員を教育しなおす必要がなく、かつてその企業で業務に携わっていた人間を再び雇用できるので建て直しがはかりやすい点にあります。また一時解雇の条件として先にあげたように減額された給料を支払う条件であれば、解雇されていきなり無収入になるということは避けられるので社会保障の点でも大きい効果が狙え、企業としても円滑に人員削減による経費削減が行えます。
日本でこの制度が運用されている例としては、産児一時休暇制度等に代表される出産をする女性社員への一時休職制度がこれに当たります。これも失われた十年に社員数を大幅に厳選した企業が業務に熟知した女性社員を出産などでみすみす手放すより、一時休職させてその後に復職してもらったほうが都合がいいとの事で、私の見ている限りでは以前からは想像も出来ないほど日本企業に普及しているように見えます。
さすがに大メーカーなどでは抱えている労働者全員にこのレイオフを行うことは事実上不可能というのはわかるのですが、熟練工や正社員の削減時にも一切この制度が使われないというのは、やっぱり日本企業にとってマイナスなのではないかと思う時があります。何故日本でレイオフが行われないか、そういった背景についてはあまり詳しくないのでもし誰か知っている方があれば是非コメントをしてもらいたいのですが、こんな時代だからこそ、如何に不況を乗り切る知恵をみんなで出し合うべきだと私は思います。
ついでに言うと、たとえば語学留学や一年間羽を伸ばしたいというような、貯金はあるが時間がない社員に対しても結構有効な制度だと私は思っています。レイオフによって自由な時間を与えることによって最終的に、日本全体で消費の向上も望めますし、消費する側も復職する希望があれば動きやすいでしょう。
2008年12月13日土曜日
私の好きな野球選手
最近めちゃ堅い内容ばかりが続いているので、ちょっと気を抜くがてらに私の好きな野球選手の話をします。
まず往年の選手の中で私が誰が一番好きかと言うと、元ヤクルトのブンブン丸こと池山選手が一番好きです。当時はよく神宮球場に行ってヤクルトの試合を見ていたのもあり、そこでまた全盛期だった池山選手の活躍をよく見ていたので、多分今でも家には当時に買った池山選手のマグカップがあると思います。
この池山選手というとひょうきんな性格でも有名で、現役時にはチームメイトに対して様々ないたずらをよくやっていたそうです。また試合後の発言も面白く、確か今でも最長試合時間として記録に残っている延長に延長が続いた試合で、池山選手が二本のホームランを打った事によって無事試合に勝った後のインタビューにて、
「いやー長い試合で、最初のホームランがまるで昨日のように思えます」
といったところ、この時既に時刻は午前零時を回っていたことから、実際に最初のホームランは昨日のことだったというエピソードがあります。
この池山選手と同じく往年の選手だと、こちらはまだ新しいですが、元巨人の桑田投手も非常に大好きな選手です。
実はこの桑田投手が現役だった頃、今と違って私は逆にこの人が大嫌いでした。その嫌いな理由というのも当時の桑田選手はしょっちゅう怪我をしてはあまり試合に出ないにも関わらず、毎年すごい額の年俸をもらっていてなにかおかしいんじゃないかという風に考え、当時は目にするのも嫌なくらいに嫌ってました。
しかし現役晩年にすでに選手として高年齢に入っていたにもかかわらずメジャー挑戦を表明し、二軍からスタートしてオープン戦にて実績を残し、もしかしたら本当にメジャーの舞台で投げるのではと思っていた矢先、守備中に審判と激突して怪我をしてしまったところから見方が変わってきました。
実は当時、私も外せない日程がたくさん詰まっていたにもかかわらず自然気胸という、肺に穴が空く病気を起こしてしまって一週間ほど入院せざるを得なくなり、実際にこれで大きなチャンスを逃してしまいました。この時はすっかり精神的にも参って、それから数ヶ月ほど苦しい時期が続いて体重もめっきり落としてしまったのですが、桑田の方はというと見事に怪我を乗り越え、二軍での試合で実績を残し、数試合ではありましたがとうとう実際にメジャーのマウンドに立ちました。
当時の私はこの桑田選手の活躍に本当に勇気付けられました。
それから興味を持って桑田選手のことをいろいろ調べてみたところ、日本での現役時にも肘を怪我して選手生命の危機に追い込まれながらも手術を行い見事に復活し、その後成績が低迷して引退を考えたこともあった後に原監督に励まされプレイを続行し、2002年に元阪神の井川と最後まで争った挙句に最優秀防御率を取るなど、文字通り不死鳥のごとく逆境から何度も蘇っている姿を見て、当時にかなり打ちひしがれていた自分と比べて再び頑張ろうという気持ちになり、どうにかその時の苦境を乗り越えることが出来ました。
その後再び二軍に落ちて、翌年に桑田選手が引退を発表した際には本当に大泣きしました。今でも思い出すたびに涙が出そうになるのですが、当時に自分が苦しかった分、今でもその支えになった桑田選手には感謝する気持ちが絶えません。
以前にある解説者が、野球というのは本当に見ていてつまらないスポーツで、二時間以上ある試合の中で面白いシーンやプレイというのは一回、あるかないかだと言っていました。これは実際にその通りですが、一試合にとどまらずに長く見ることで、本当に人をひきつけるヒーローというのは見えてくるのだと思います。
まず往年の選手の中で私が誰が一番好きかと言うと、元ヤクルトのブンブン丸こと池山選手が一番好きです。当時はよく神宮球場に行ってヤクルトの試合を見ていたのもあり、そこでまた全盛期だった池山選手の活躍をよく見ていたので、多分今でも家には当時に買った池山選手のマグカップがあると思います。
この池山選手というとひょうきんな性格でも有名で、現役時にはチームメイトに対して様々ないたずらをよくやっていたそうです。また試合後の発言も面白く、確か今でも最長試合時間として記録に残っている延長に延長が続いた試合で、池山選手が二本のホームランを打った事によって無事試合に勝った後のインタビューにて、
「いやー長い試合で、最初のホームランがまるで昨日のように思えます」
といったところ、この時既に時刻は午前零時を回っていたことから、実際に最初のホームランは昨日のことだったというエピソードがあります。
この池山選手と同じく往年の選手だと、こちらはまだ新しいですが、元巨人の桑田投手も非常に大好きな選手です。
実はこの桑田投手が現役だった頃、今と違って私は逆にこの人が大嫌いでした。その嫌いな理由というのも当時の桑田選手はしょっちゅう怪我をしてはあまり試合に出ないにも関わらず、毎年すごい額の年俸をもらっていてなにかおかしいんじゃないかという風に考え、当時は目にするのも嫌なくらいに嫌ってました。
しかし現役晩年にすでに選手として高年齢に入っていたにもかかわらずメジャー挑戦を表明し、二軍からスタートしてオープン戦にて実績を残し、もしかしたら本当にメジャーの舞台で投げるのではと思っていた矢先、守備中に審判と激突して怪我をしてしまったところから見方が変わってきました。
実は当時、私も外せない日程がたくさん詰まっていたにもかかわらず自然気胸という、肺に穴が空く病気を起こしてしまって一週間ほど入院せざるを得なくなり、実際にこれで大きなチャンスを逃してしまいました。この時はすっかり精神的にも参って、それから数ヶ月ほど苦しい時期が続いて体重もめっきり落としてしまったのですが、桑田の方はというと見事に怪我を乗り越え、二軍での試合で実績を残し、数試合ではありましたがとうとう実際にメジャーのマウンドに立ちました。
当時の私はこの桑田選手の活躍に本当に勇気付けられました。
それから興味を持って桑田選手のことをいろいろ調べてみたところ、日本での現役時にも肘を怪我して選手生命の危機に追い込まれながらも手術を行い見事に復活し、その後成績が低迷して引退を考えたこともあった後に原監督に励まされプレイを続行し、2002年に元阪神の井川と最後まで争った挙句に最優秀防御率を取るなど、文字通り不死鳥のごとく逆境から何度も蘇っている姿を見て、当時にかなり打ちひしがれていた自分と比べて再び頑張ろうという気持ちになり、どうにかその時の苦境を乗り越えることが出来ました。
その後再び二軍に落ちて、翌年に桑田選手が引退を発表した際には本当に大泣きしました。今でも思い出すたびに涙が出そうになるのですが、当時に自分が苦しかった分、今でもその支えになった桑田選手には感謝する気持ちが絶えません。
以前にある解説者が、野球というのは本当に見ていてつまらないスポーツで、二時間以上ある試合の中で面白いシーンやプレイというのは一回、あるかないかだと言っていました。これは実際にその通りですが、一試合にとどまらずに長く見ることで、本当に人をひきつけるヒーローというのは見えてくるのだと思います。
2008年12月12日金曜日
現代日本のアノミー現象
・「生きた証し残すため」小泉容疑者が供述…強い自己顕示欲(YAHOOニュース)
上に貼ったニュースによると、厚生次官連続殺傷事件の犯人の小泉容疑者は今回の事件の動機として、「自分が生きた証を残したかった」などという内容の供述をし始めているようです。率直に言って、これを聞いて私もなんとなく納得した気持ちを覚えました。
この事件では小泉容疑者が無職だったり、エリート街道から脱落したことなどが犯行の原因ではないかと、昨日に書いた「最近の格差問題への報道について」で書いたように安直に格差を動機に結びつける報道が多くされていたのですが、私としてはこの事件で犯人は犯行前からクレーマー的な行動を繰り返したり逮捕時に主張した「愛犬の仇」の証言から、ただ単に犯人が特殊な人物であったということからこの事件が起きたと私は見ていましたが、今日のこのニュースを見て、犯人が特殊な人物であるが故に事件が起きたという事には変わりませんが、その犯人の特殊性がやや落ちて少しは普通の人間っぽいところもあったのだなと思い直すようになりました。
社会学を学ぶ者ならまず絶対に知らなければいけない人物と概念として、「エミール・デュルケイム」と彼の提唱した「アノミー論」というのがあります。このアノミー論が展開されたのは「自殺論」といって社会学の古典の中の古典に入る傑作からですが、この本では極論すると、「社会的な拘束が緩い自由な社会であるがゆえに、自殺者も多くなる」という主張がなされており、私もこの意見について異論を持ちません。
もう少し細かく説明すると、人間というのは自分に対して必ず自分の人間像を持ちます。それこそナルシストであれば自分はかわいいとか格好いいとか思い、武士の家の者なら誇りを持って恥ずかしくないように生きるべきというようにです。
しかしこうした自分像で一番大きな幅を占めるのはなんといってもやはり、お金に関するものでしょう。たとえば周りが皆バンバンお金を使っているのに自分にはお金がなくて貧しい暮らしを強いられるとすると、「あいつらはあんなにお金があるのに、何で自分にはないんだ」というように、周囲と自分との差異を感じることによって精神的にプレッシャーを覚えるものでしょう。
概して自分像というのは周囲との比較によって生まれるもので、「周りの人と比べて自分は……」といった具合に作られるもので、そうして周囲の人間の環境から作られる「本来、自分はこうあるべき」と思っている自分像と「現実の自分の状況」に違いがあれば人間は不安を覚える、というのがこの「アノミー」という状態です。
ではこのアノミーがどのようにこの事件に関係しているかですが、私が見るに近年の日本は生活的な環境や富については以前ほど価値観を見出さなくなり、その代わりに「社会的に認められる、注目されること」に異常に執着心を持つようになったと思えます。言ってしまえば先ほどの武士的な価値観で、最近の日本人は自らが幸せを感じる条件として豊かな生活を送ることよりも、社会的に認められたい、注目されたいという気持ちの方が強くなってきていると私は見ています。
何気にこの辺は今、私が手伝っている後輩の卒論にも関係しており、このように富から名誉へと欲求が移り変わっていくのもマズローって人が「欲求段階論」で説明しています。
ちょっと話がそれましたが、そんな具合に日本人は幸福追求をするため豊かな生活を得ようと遮二無二に働くことをあまりしたがらなくなり、その代わりになにかしらこう、自分の生き方や価値観に意味があったのだという意味づけを行いたがるようになっていきました。
そのような価値観の変化が起きた為、今の日本では職がなかったり人との交流がない人間にとってすれば、食うに困らない環境で生活していたとしても幸福を感じることがなく、楽観的に今の自分はいい身分だと考えることが出来ずにどんどんと気が滅入っていきます。
そういった人間は一体どうしたいかというと、ちょっと厳しい書き方になりますが、「それでも自分は生きていたのだ」と強く主張したがっているように私は思えます。実は数年前に集団自殺について調べたことがあったのですが、この集団自殺の数多くの例で自殺の決行直前に、「自分はこれから死ぬ」といった内容のメールを知人に送っている者がいました(それがきっかけで、救助が間に合った例もある)。
言ってしまえばなにもメールなんて書かなければそのまま目的通りに自殺が達成できるにもかかわらずこうした行動をとることについて、ある心理学者がこうした自殺志願者は生活の苦しさから開放されたいがためというより、注目されたいがために自殺を選ぶからだと指摘していました。つまり、練炭自殺や塩化水素自殺などが流行する背景には、それが世間に注目される自殺方法だからだという風に私は考えています。
ここでようやく元の話題に戻ります。
今回のこの厚生次官連続殺傷事件も犯人の証言通りに「生きた証が残したかった」というように、愛犬が保健所で処分されたのは所詮は口実で、実際には自らの名誉心を最後に満足させたいがために起きた事件だったと私は今回の報道で解釈しました。皮肉な話ですが、そういう犯人にとって何が一番うれしいのかというと、自分の起こした事件が大々的に報道されることに他なりません。
無論こういったことは間違ったことで繰り返されるべきではなく、忘れろとは言いませんが犯人も無事捕まったこともありますし、今後はあまり話題に出すべきではないかと私は思います。なのでこの記事も本来なら書くべきではないのですが、現代日本のアノミー化現象と異常犯罪の背景を説明するにいい好例と思い、反省しながらも書いた次第であります。
上に貼ったニュースによると、厚生次官連続殺傷事件の犯人の小泉容疑者は今回の事件の動機として、「自分が生きた証を残したかった」などという内容の供述をし始めているようです。率直に言って、これを聞いて私もなんとなく納得した気持ちを覚えました。
この事件では小泉容疑者が無職だったり、エリート街道から脱落したことなどが犯行の原因ではないかと、昨日に書いた「最近の格差問題への報道について」で書いたように安直に格差を動機に結びつける報道が多くされていたのですが、私としてはこの事件で犯人は犯行前からクレーマー的な行動を繰り返したり逮捕時に主張した「愛犬の仇」の証言から、ただ単に犯人が特殊な人物であったということからこの事件が起きたと私は見ていましたが、今日のこのニュースを見て、犯人が特殊な人物であるが故に事件が起きたという事には変わりませんが、その犯人の特殊性がやや落ちて少しは普通の人間っぽいところもあったのだなと思い直すようになりました。
社会学を学ぶ者ならまず絶対に知らなければいけない人物と概念として、「エミール・デュルケイム」と彼の提唱した「アノミー論」というのがあります。このアノミー論が展開されたのは「自殺論」といって社会学の古典の中の古典に入る傑作からですが、この本では極論すると、「社会的な拘束が緩い自由な社会であるがゆえに、自殺者も多くなる」という主張がなされており、私もこの意見について異論を持ちません。
もう少し細かく説明すると、人間というのは自分に対して必ず自分の人間像を持ちます。それこそナルシストであれば自分はかわいいとか格好いいとか思い、武士の家の者なら誇りを持って恥ずかしくないように生きるべきというようにです。
しかしこうした自分像で一番大きな幅を占めるのはなんといってもやはり、お金に関するものでしょう。たとえば周りが皆バンバンお金を使っているのに自分にはお金がなくて貧しい暮らしを強いられるとすると、「あいつらはあんなにお金があるのに、何で自分にはないんだ」というように、周囲と自分との差異を感じることによって精神的にプレッシャーを覚えるものでしょう。
概して自分像というのは周囲との比較によって生まれるもので、「周りの人と比べて自分は……」といった具合に作られるもので、そうして周囲の人間の環境から作られる「本来、自分はこうあるべき」と思っている自分像と「現実の自分の状況」に違いがあれば人間は不安を覚える、というのがこの「アノミー」という状態です。
ではこのアノミーがどのようにこの事件に関係しているかですが、私が見るに近年の日本は生活的な環境や富については以前ほど価値観を見出さなくなり、その代わりに「社会的に認められる、注目されること」に異常に執着心を持つようになったと思えます。言ってしまえば先ほどの武士的な価値観で、最近の日本人は自らが幸せを感じる条件として豊かな生活を送ることよりも、社会的に認められたい、注目されたいという気持ちの方が強くなってきていると私は見ています。
何気にこの辺は今、私が手伝っている後輩の卒論にも関係しており、このように富から名誉へと欲求が移り変わっていくのもマズローって人が「欲求段階論」で説明しています。
ちょっと話がそれましたが、そんな具合に日本人は幸福追求をするため豊かな生活を得ようと遮二無二に働くことをあまりしたがらなくなり、その代わりになにかしらこう、自分の生き方や価値観に意味があったのだという意味づけを行いたがるようになっていきました。
そのような価値観の変化が起きた為、今の日本では職がなかったり人との交流がない人間にとってすれば、食うに困らない環境で生活していたとしても幸福を感じることがなく、楽観的に今の自分はいい身分だと考えることが出来ずにどんどんと気が滅入っていきます。
そういった人間は一体どうしたいかというと、ちょっと厳しい書き方になりますが、「それでも自分は生きていたのだ」と強く主張したがっているように私は思えます。実は数年前に集団自殺について調べたことがあったのですが、この集団自殺の数多くの例で自殺の決行直前に、「自分はこれから死ぬ」といった内容のメールを知人に送っている者がいました(それがきっかけで、救助が間に合った例もある)。
言ってしまえばなにもメールなんて書かなければそのまま目的通りに自殺が達成できるにもかかわらずこうした行動をとることについて、ある心理学者がこうした自殺志願者は生活の苦しさから開放されたいがためというより、注目されたいがために自殺を選ぶからだと指摘していました。つまり、練炭自殺や塩化水素自殺などが流行する背景には、それが世間に注目される自殺方法だからだという風に私は考えています。
ここでようやく元の話題に戻ります。
今回のこの厚生次官連続殺傷事件も犯人の証言通りに「生きた証が残したかった」というように、愛犬が保健所で処分されたのは所詮は口実で、実際には自らの名誉心を最後に満足させたいがために起きた事件だったと私は今回の報道で解釈しました。皮肉な話ですが、そういう犯人にとって何が一番うれしいのかというと、自分の起こした事件が大々的に報道されることに他なりません。
無論こういったことは間違ったことで繰り返されるべきではなく、忘れろとは言いませんが犯人も無事捕まったこともありますし、今後はあまり話題に出すべきではないかと私は思います。なのでこの記事も本来なら書くべきではないのですが、現代日本のアノミー化現象と異常犯罪の背景を説明するにいい好例と思い、反省しながらも書いた次第であります。
なぜ大麻に手を出すのか
最近大麻所持や吸引で捕まる人のニュースが増えており、特に先月には各有名大学の学生がそれこそ全国で次々と逮捕される事態まで起こりました。もっとも今回の場合、大麻を自分で吸う人間よりもむしろ生育し、常習者にネットなどを介して販売していた人間の逮捕が多かったのが特徴で、以前はこういう話だとよくイラン人とかが違法テレホンカードなどと一緒に「密着警察24時間」とかでやってたのですが、その時代と比べると日本人もいろいろやるようになったもんです。
さてそれでは本題ですが、何故これほどまでに社会で大麻に手を出してはならないとあちこちで注意されているにもかかわらず、日本人は大麻に手を出して常習するようになるのでしょうか。それこそ一度吸引して快感を覚えて常習化するならまだわかるとしても、これだけ危険視されているにもかかわらず最初の一回目の吸引をしてしまうのは何故なのでしょうか。
これはあくまで極論であって自分で言っててもやりすぎじゃないかと思うのですが、やっぱり大麻が「禁止されている」ものであるがゆえに、手を出してしまう人もいるんじゃないかと私は思います。
報道などで見ていると過去の常習者がよく、「当時の仲間が吸っていたから」とか、「友達に勧められたから」という風にきっかけを話すことが多く、こういうものは日本人お得意の盃の交換や集団いじめなどに代表される「同一儀式の実行による親睦強化」によるものです。こうしたものともう一つ、私がにらんでいる大きなきっかけとなるものは先ほどの、禁止されているがゆえにやってみたいという、いわゆるタブー欲求です。
タブー欲求については心理学などでよく研究されている題材で、たとえば恋人がいるのに浮気をしてはいけないと考えると自然と浮気の何がいけないのか、どこからどこまでが浮気なのかという風に意識が浮気のことばかりに集中してしまい、何故だか逆に浮気をしたくなるようになる現象を言います。なおこの場合、「絶対にしてはいけない」と考えれば考えるほどどつぼにハマるので、「今の相手が嫌になったらやろうかな」という具合に、禁止態度を緩めることがかえってタブー欲求を回避にはするいい方法のようです。
私が見ていると、特に中高生から大麻に手を出す連中にはまさにこういうのが原因でやり始めたのも少なくないんじゃないかと思います。第一未成年がタバコに手を出すのも、煙を吸いたいというよりも大人が吸うなと言うから逆に吸いたくなったというのが大半でしょうし、この大麻もその延長線上にあるような気がしてなりません。
じゃあどうすればいいのかで、大麻を吸うな吸うなと厳しく言うべきじゃないのかという風に思われる方もいるかと思いますが、私としてはそんなことを言うつもりは毛頭ありません。というのも先ほど大麻はタバコの延長線にあるのではないかと言ったように、大麻もまた更に害のある刺激物の通過点になりかねないからです。
先ほどに説明したタブー欲求ですが、言ってしまえばこれは「禁止されている」がゆえに覚える快感も大きくなります。よく背徳は最大の幸福だと説明する人もいますがタブー欲求に限ればまさにその通りで、逆にその行為が大手を振って皆で行っている、行える行為になってしまうと、身体に感じる快感も急激に少なくなってきます。よく不倫恋愛の末に結婚した人間同士が互いに元の伴侶と離婚をして、大手を振って結婚した途端に不仲になるという話がありますが、これなんかまさにこのクールダウンの好例でしょう。
私は大麻もタバコも、やっぱりそういうところが少なくないんじゃないかと思います。私は喫煙をしませんが現に喫煙者の方に聞くとその大体が本音ではやめたいと、なんだか中途半端な快感を求めて吸っているようにしか聞こえません。まぁタバコの場合は中毒性や常習性があるがゆえですが、大麻の場合はよくタバコより中毒性は低いと言われますが、先ほどのタブー欲求に照らすと吸い始めた当初は高い快感を覚えても、慣れてしまうとそういったものがだんだんと薄れます。そうなるとどうなるかですが、いちいち言うまでもなくもっと刺激の強い薬物を求めていくという風にどんどんとエスカレートしていく恐れが高くなります。
そういった先のことを考えると、いやむしろそのような先のことを考え、今以上の快感を求めたところでどんどんと得られるものは逆に少なくなっていく。それならむしろ今合法的に許されるものの中で満足していくべきだと言うように、荀子の「唯、足るを知る(現状に満足できるようになればよい)」を行っていく、指導していくことも薬物対策の上で一つの手段になるのではないかと私は思います。
追伸
私はイギリスのロンドンに一ヶ月ほど語学研修に行ったことがありますが、イギリスでは大麻は室内で吸引する分には合法で露店とかでもよく吸引機が売っていました。
そんなある日、私が相部屋の先輩格の日本人と話をしていると相手の携帯が鳴り、何でも日本人仲間の一人が大麻を吸ってオチてしまい、今大変だと別の日本人仲間から連絡が来ました。
よく大麻はタバコより身体に害がないと考える人が多くいるようですが、その先輩格の友人によると、何でも大麻を吸った直後は気分的には非常にハイになるのですが効果が切れると急激にテンションが落ち、物事を悲観的に考えたり自傷行為を行ったり、ひどい場合にははずみで自殺までしてしまうことが起きるそうです。そのような猛烈な気分の落下のことを「オチる」といい、こうした影響を考えると決して大麻は無害ではないそうです。
一応付け加えておくけど、私はイギリスだろうが日本だろうが中国だろうが、こうした薬物には一切手を出していませんからね。
さてそれでは本題ですが、何故これほどまでに社会で大麻に手を出してはならないとあちこちで注意されているにもかかわらず、日本人は大麻に手を出して常習するようになるのでしょうか。それこそ一度吸引して快感を覚えて常習化するならまだわかるとしても、これだけ危険視されているにもかかわらず最初の一回目の吸引をしてしまうのは何故なのでしょうか。
これはあくまで極論であって自分で言っててもやりすぎじゃないかと思うのですが、やっぱり大麻が「禁止されている」ものであるがゆえに、手を出してしまう人もいるんじゃないかと私は思います。
報道などで見ていると過去の常習者がよく、「当時の仲間が吸っていたから」とか、「友達に勧められたから」という風にきっかけを話すことが多く、こういうものは日本人お得意の盃の交換や集団いじめなどに代表される「同一儀式の実行による親睦強化」によるものです。こうしたものともう一つ、私がにらんでいる大きなきっかけとなるものは先ほどの、禁止されているがゆえにやってみたいという、いわゆるタブー欲求です。
タブー欲求については心理学などでよく研究されている題材で、たとえば恋人がいるのに浮気をしてはいけないと考えると自然と浮気の何がいけないのか、どこからどこまでが浮気なのかという風に意識が浮気のことばかりに集中してしまい、何故だか逆に浮気をしたくなるようになる現象を言います。なおこの場合、「絶対にしてはいけない」と考えれば考えるほどどつぼにハマるので、「今の相手が嫌になったらやろうかな」という具合に、禁止態度を緩めることがかえってタブー欲求を回避にはするいい方法のようです。
私が見ていると、特に中高生から大麻に手を出す連中にはまさにこういうのが原因でやり始めたのも少なくないんじゃないかと思います。第一未成年がタバコに手を出すのも、煙を吸いたいというよりも大人が吸うなと言うから逆に吸いたくなったというのが大半でしょうし、この大麻もその延長線上にあるような気がしてなりません。
じゃあどうすればいいのかで、大麻を吸うな吸うなと厳しく言うべきじゃないのかという風に思われる方もいるかと思いますが、私としてはそんなことを言うつもりは毛頭ありません。というのも先ほど大麻はタバコの延長線にあるのではないかと言ったように、大麻もまた更に害のある刺激物の通過点になりかねないからです。
先ほどに説明したタブー欲求ですが、言ってしまえばこれは「禁止されている」がゆえに覚える快感も大きくなります。よく背徳は最大の幸福だと説明する人もいますがタブー欲求に限ればまさにその通りで、逆にその行為が大手を振って皆で行っている、行える行為になってしまうと、身体に感じる快感も急激に少なくなってきます。よく不倫恋愛の末に結婚した人間同士が互いに元の伴侶と離婚をして、大手を振って結婚した途端に不仲になるという話がありますが、これなんかまさにこのクールダウンの好例でしょう。
私は大麻もタバコも、やっぱりそういうところが少なくないんじゃないかと思います。私は喫煙をしませんが現に喫煙者の方に聞くとその大体が本音ではやめたいと、なんだか中途半端な快感を求めて吸っているようにしか聞こえません。まぁタバコの場合は中毒性や常習性があるがゆえですが、大麻の場合はよくタバコより中毒性は低いと言われますが、先ほどのタブー欲求に照らすと吸い始めた当初は高い快感を覚えても、慣れてしまうとそういったものがだんだんと薄れます。そうなるとどうなるかですが、いちいち言うまでもなくもっと刺激の強い薬物を求めていくという風にどんどんとエスカレートしていく恐れが高くなります。
そういった先のことを考えると、いやむしろそのような先のことを考え、今以上の快感を求めたところでどんどんと得られるものは逆に少なくなっていく。それならむしろ今合法的に許されるものの中で満足していくべきだと言うように、荀子の「唯、足るを知る(現状に満足できるようになればよい)」を行っていく、指導していくことも薬物対策の上で一つの手段になるのではないかと私は思います。
追伸
私はイギリスのロンドンに一ヶ月ほど語学研修に行ったことがありますが、イギリスでは大麻は室内で吸引する分には合法で露店とかでもよく吸引機が売っていました。
そんなある日、私が相部屋の先輩格の日本人と話をしていると相手の携帯が鳴り、何でも日本人仲間の一人が大麻を吸ってオチてしまい、今大変だと別の日本人仲間から連絡が来ました。
よく大麻はタバコより身体に害がないと考える人が多くいるようですが、その先輩格の友人によると、何でも大麻を吸った直後は気分的には非常にハイになるのですが効果が切れると急激にテンションが落ち、物事を悲観的に考えたり自傷行為を行ったり、ひどい場合にははずみで自殺までしてしまうことが起きるそうです。そのような猛烈な気分の落下のことを「オチる」といい、こうした影響を考えると決して大麻は無害ではないそうです。
一応付け加えておくけど、私はイギリスだろうが日本だろうが中国だろうが、こうした薬物には一切手を出していませんからね。
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