恐らくあまり中国について専門的に研究しているという方でなくとも、「中国脅威論」という言葉を一回くらいは聞いたことくらいはあると思います。この中国脅威論の元ネタは実は日本で、それも防衛大学の教授が現状の中国の国軍こと人民解放軍はまだそれほど脅威ではないが、もし今のペースのままで増強が続けられた場合は将来お大きな脅威になると言った事から生まれました。
そうして生まれた中国脅威論という言葉ですが、実際に使われている回数が多いのは実は日本以上にアメリカで、主に軍関係の幹部が中国脅威論を強調しては自分とこの部署の予算獲得の方便としていました。しかし実際にはそうした予算をふんだくる連中を含め、人民解放軍は世間で言われている以上に実力はないという認識は学者や関係者などの間で一致していました。
これは大分前の文芸春秋の記事で書かれていた内容ですが、人民解放軍は確かに兵数こそ二百万を越え、準軍隊の武装警察などを含めると三百万人という大所帯ですが、この人数は実際には有り余る失業者や食い詰め物対策の公共事業的な要素が強く無理やり雇っている数で、鄧小平の時代には百万人もの削減を行ったに飽き足らず今でも幹部らはこの多すぎる人数を減らしたいと考えているそうです。
それで肝心の兵装ですが、実は主力兵器は日本と同様に戦車で、こと海軍の艦船ともなると質、量ともに他国に劣り、潜水艦に至っては音が大きいので日本領海に入ってくるたびに簡単にばれてしまっています。聞くところによると実際にはニュースにならないだけで何度も領海侵犯しているそうですが、日本、米国側としてはそのほとんどの行動を監視しているそうです。
そして一番人民解放軍で致命的だったのは、実は空母を持っていなかったということです。先ほどの記事によると中国には確かにミサイルや兵数といった高い攻撃力こそ保有しているものの、目標地に上陸して占領するための艦船や空母が存在しないため、たとえ台湾と戦争が起こったとしても屈服させることは出来ず、米国の補助がつけば勝利することすら難しいと分析し、先ほどの主力兵器が戦車ということとかけて、「人民解放軍こそ自衛隊である」と分析していました。
言われてみて私の方でも調べてみましたが、記事に書いてある内容は確かに真実で、いざ戦闘が起きたとしてもこと防衛だけなら日本の自衛隊でもそこそこ対応できるのではないかと私も考えるようになりました。
しかし先々週あたりの朝日新聞の一面記事にて、「中国、空母の建艦に着手」と書かれた見出しを見るに至り、いよいよ脅威論が現実化したかと私も見方を変えさせられるに至りました。これ以前にも中国は去年にフランスからお古とはいえ古い空母を払い下げてもらっており、近々自前でも空母の建艦に入るだろうといわれていましたが、ここまで動きが早いとは思いもよりませんでした。
これを受けて先週の朝日新聞の社説には、ここ数年で中国はそれ以前と比べて大分軍事予算の情報公開を行うようになってきたと前置きした上で、それでも未だ非公開の部分が多く、今年も前年比二桁増しの予算の上に自前で空母の建艦も始めようとしていることは非常に問題のある行動だと指摘し、極東アジアの平和維持のためにも今以上の情報公開が必要であるという主張が書かれていました。あまり空母建艦のニュースが流れない中、なかなかよくまとめている上に警鐘を促している立派な社説です。
よく2ちゃんねるの人たちは朝日新聞は中国の悪いニュースを報じないと批判しますが、逆に私はなんでこの中国の空母建艦開始のニュースがあまり報じられないのかが凄い気になります。他紙は今はチェックしていないのですが他は当時どうだったんだろうなぁ、朝日の言う通りに、極東アジアのパワーバランスが一気に崩れかねないほどの重大なニュースだと私は思うのですが。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2009年1月29日木曜日
スーパーファイヤープロレスリングの思い出
突然ですが、「スーパーファイヤープロレスリング」というゲームを知っているでしょうか。これはスーパーファミコンのゲームで、タイトル通りに内容はプロレスのゲームなのですが、私が小学生だった頃に友人らとよく一緒に遊んだゲームの一つです。
私たちが遊んでいたのは「スーパーファイヤープロレスリング3」で、このゲームでは今じゃ「エキサイティングプロレス」で有名なレスラーエディットといって、自分で好きなレスラーキャラを作る機能が搭載されていました。
当時、このゲームを持っていたのは友人なのですが、私が言うのもなんですがその友人は非常にセンスに溢れた友人で、このゲームでよく及びもつかないレスラーを作っては私たちを驚かせていました。何が凄いかって言うとレスラーの名前で、私が覚えている彼が作ったレスラーの名前を挙げますと、
・シンジュクダイヒョウホームレス
取り立てて名前以外は特徴のないレスラー。
・全身タイツZOP27号
頭のてっぺんから肌の色、つま先に至るまで全部真っ白なキャラ。
・久怪タダノアホ
ごつい身体のレスラー。得意技は毒霧殺法。
・今泉牛肉大好
ドラマの「古畑任三郎」に出てくるキャラが名前の由来。裏技ですべての能力がMAXにされており、コンピューターに任せると手がつけられないキャラだった。
こんな具合で、どこをどうしたらこんな名前が小学生だったあの友人から出てきたのか今でも不思議です。
こうしたエディットキャラを使い、私たちはよく「今泉牛肉大好」と「久怪タタノアホ」をコンピューターに任せてタッグ戦で戦ってたのですが、相手キャラがもう強いの何ので、ちょっと油断したらすぐに毒霧ぶっかけられてから固め技に持っていかれてしょっちゅう負けていました。あんまりにも負けるもんだから先にレフリーをラリアットで気絶させて判定負けをなしにした上で、ほとんど勝てはしなかったものの必死で抵抗を続けていました。
またあるときには無駄なアクションを徹底的に追求しようと、リング上でむやみやたらに「火吹き殺法」をやり続けたり、相手をダウンさせてからコーナーポストに上りフライングタックルをかけると思いきや何もせずにポストを降りたりと、飽きもせずにアホなことをやり続けていました。多分友人の家に行けば、まだあるんだろうなぁ。
私たちが遊んでいたのは「スーパーファイヤープロレスリング3」で、このゲームでは今じゃ「エキサイティングプロレス」で有名なレスラーエディットといって、自分で好きなレスラーキャラを作る機能が搭載されていました。
当時、このゲームを持っていたのは友人なのですが、私が言うのもなんですがその友人は非常にセンスに溢れた友人で、このゲームでよく及びもつかないレスラーを作っては私たちを驚かせていました。何が凄いかって言うとレスラーの名前で、私が覚えている彼が作ったレスラーの名前を挙げますと、
・シンジュクダイヒョウホームレス
取り立てて名前以外は特徴のないレスラー。
・全身タイツZOP27号
頭のてっぺんから肌の色、つま先に至るまで全部真っ白なキャラ。
・久怪タダノアホ
ごつい身体のレスラー。得意技は毒霧殺法。
・今泉牛肉大好
ドラマの「古畑任三郎」に出てくるキャラが名前の由来。裏技ですべての能力がMAXにされており、コンピューターに任せると手がつけられないキャラだった。
こんな具合で、どこをどうしたらこんな名前が小学生だったあの友人から出てきたのか今でも不思議です。
こうしたエディットキャラを使い、私たちはよく「今泉牛肉大好」と「久怪タタノアホ」をコンピューターに任せてタッグ戦で戦ってたのですが、相手キャラがもう強いの何ので、ちょっと油断したらすぐに毒霧ぶっかけられてから固め技に持っていかれてしょっちゅう負けていました。あんまりにも負けるもんだから先にレフリーをラリアットで気絶させて判定負けをなしにした上で、ほとんど勝てはしなかったものの必死で抵抗を続けていました。
またあるときには無駄なアクションを徹底的に追求しようと、リング上でむやみやたらに「火吹き殺法」をやり続けたり、相手をダウンさせてからコーナーポストに上りフライングタックルをかけると思いきや何もせずにポストを降りたりと、飽きもせずにアホなことをやり続けていました。多分友人の家に行けば、まだあるんだろうなぁ。
2009年1月28日水曜日
歴史の断絶について
おととい電車に乗ったところある週刊誌の中吊り広告にて、「御手洗よ、メザシの土光を見習え!」と書かれた見出しが目に入ってきたのですが、なんというか見た瞬間に言いようのないむなしさを私は覚えてしまいました。別にこの見出しが悪いわけでなく、むしろ現在の経団連会長であるキャノンの御手洗に対してかつて同じく経団連会長を務めた土光敏夫氏と比較するあたりなかなか着眼点がいいと思うくらいなのですが、肝心要なこととして、恐らく私と年の近い二十代の人間からすると「メザシの土光」と言われても恐らく何の意味だかわからない人が大半だろうという事実が、先ほどのむなしさを感じさせたのだと思います。
簡単に説明すると、リンクに貼ったウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますがこの土光敏夫氏というのは少し以前の経済界の重鎮で、その質素な生活ぶりから当時は日本中で大人気で、特に国鉄民営化の際には中曽根元首相によって臨時調査委員会が組織されて土光氏も委員に名を連ねたのですが、その高い人気から「土光臨調」とまでその会議が呼ばれたほどだったそうです。
恐らく自分らより上の世代の方ならほとんどの人が知っている名前なのですが、これが若い世代になると逆にほとんど知られていないのが実情でしょう。何もこの土光氏に限らず、私が失われた十年の連載で書いた事実も今の十代の方には知らなかった事実も多いと思います。
歴史というのはこのように、遠い昔以上に案外近い時代の方が隔絶というものが起こりやすいといわれています。その事実自体はわかるのですが、それを推しても近年の世代間の断絶、年齢的に言えば今の四十台を境にした上と下で事実ごとに知っている、知っていないが真っ二つに分かれる事例が今の日本には多すぎるような気がします。それこそこれまた私が連載して紹介した「文化大革命」についても、まぁ教える学校がないというのが一番の原因ですが、あれだけの影響の大きい大事件ですらほとんど知らないという人間が私の世代には数多くいる一方、やはり大事件だったということもあり同じ時代に直接伝え聞いている私の親の世代などは紅衛兵についても別に中国について勉強していたわけでもないのによく知っており、そのギャップにはなにか考えさせられてしまいます。
何もこれだけに限らず、、もし今ここで羅列しろというのならそのような世代間隔絶の激しい事例を相当な量を挙げる自信が私にはあります。確かに今回の土光氏の名前など細かいものについて実感が湧かないことから知らないというのも私もわかるのですが、文化大革命や赤軍派の事件など今聞いてもショッキングで大きな事件が上と下の世代間でこれだけ認知に差があるのはやはり問題でしょう。それこそ上の世代がいなくなったら、その事件の影響力は無視されて一気に忘れ去られるのではないかという危惧が私にはあります。
そのためこのブログでもなるべく、「あまり世間で紹介されていないちょっと前の大きな事件」というものを積極的に紹介するようにしております。文化大革命も失われた十年も、そういった意識が一つのきっかけとして書こうという気になりました。
これは私見ではありますが、やっぱりこうした認識の隔絶が異世代間で無用な意識の差を生んでしまうのではないかと思います。そういう意味で知らないよりはやっぱり知っている方がいいと思うので、私個人ではこういった戦後から現在に至るまでの歴史について意識的に収集に努めています。
今日はちょっと昔を思い出してブルーになったのが影響しているのか、どうも文章のノリが悪いですね。情けない話ですが今でも中学、高校時代を思い出すと涙が止まらなくなることが多々あり、今日もなぜか「ゼルダの伝説」でマスターソードを手に入れた瞬間にぶわっと泣き始めてしまいました。
簡単に説明すると、リンクに貼ったウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますがこの土光敏夫氏というのは少し以前の経済界の重鎮で、その質素な生活ぶりから当時は日本中で大人気で、特に国鉄民営化の際には中曽根元首相によって臨時調査委員会が組織されて土光氏も委員に名を連ねたのですが、その高い人気から「土光臨調」とまでその会議が呼ばれたほどだったそうです。
恐らく自分らより上の世代の方ならほとんどの人が知っている名前なのですが、これが若い世代になると逆にほとんど知られていないのが実情でしょう。何もこの土光氏に限らず、私が失われた十年の連載で書いた事実も今の十代の方には知らなかった事実も多いと思います。
歴史というのはこのように、遠い昔以上に案外近い時代の方が隔絶というものが起こりやすいといわれています。その事実自体はわかるのですが、それを推しても近年の世代間の断絶、年齢的に言えば今の四十台を境にした上と下で事実ごとに知っている、知っていないが真っ二つに分かれる事例が今の日本には多すぎるような気がします。それこそこれまた私が連載して紹介した「文化大革命」についても、まぁ教える学校がないというのが一番の原因ですが、あれだけの影響の大きい大事件ですらほとんど知らないという人間が私の世代には数多くいる一方、やはり大事件だったということもあり同じ時代に直接伝え聞いている私の親の世代などは紅衛兵についても別に中国について勉強していたわけでもないのによく知っており、そのギャップにはなにか考えさせられてしまいます。
何もこれだけに限らず、、もし今ここで羅列しろというのならそのような世代間隔絶の激しい事例を相当な量を挙げる自信が私にはあります。確かに今回の土光氏の名前など細かいものについて実感が湧かないことから知らないというのも私もわかるのですが、文化大革命や赤軍派の事件など今聞いてもショッキングで大きな事件が上と下の世代間でこれだけ認知に差があるのはやはり問題でしょう。それこそ上の世代がいなくなったら、その事件の影響力は無視されて一気に忘れ去られるのではないかという危惧が私にはあります。
そのためこのブログでもなるべく、「あまり世間で紹介されていないちょっと前の大きな事件」というものを積極的に紹介するようにしております。文化大革命も失われた十年も、そういった意識が一つのきっかけとして書こうという気になりました。
これは私見ではありますが、やっぱりこうした認識の隔絶が異世代間で無用な意識の差を生んでしまうのではないかと思います。そういう意味で知らないよりはやっぱり知っている方がいいと思うので、私個人ではこういった戦後から現在に至るまでの歴史について意識的に収集に努めています。
今日はちょっと昔を思い出してブルーになったのが影響しているのか、どうも文章のノリが悪いですね。情けない話ですが今でも中学、高校時代を思い出すと涙が止まらなくなることが多々あり、今日もなぜか「ゼルダの伝説」でマスターソードを手に入れた瞬間にぶわっと泣き始めてしまいました。
2009年1月27日火曜日
学力テストの結果公開について
ちょっと古いニュースですが、全国で行われた小中学生を含む学力テストの試験結果を秋田県が市町村別に知事の主導の下で公開したというのが先月にありましたが、結論から言うと私はこのテスト結果は公表してしかるべきであり、秋田県を始めとして公表に積極的な大阪府の橋本知事を応援する立場にあります。
この問題についてはなにも難しいことをいわなくとも、教育を良くするためという一言で公表するに十分な理由になります。というのも、これなんか私が一応社会学士ということもあるからかもしれませんが、比較や議論するデータもなしでどう低下しているといわれる教育を改善しようというのか、全く持って文部科学省の言い分が理解できません。単純に全国の学校のテスト結果を公表して比較することによって、どの学校が行っている教育方法が効果を挙げるか、逆にどの学校が行っている教育法方が問題があるのかが簡単に浮き彫りに出来ます。そうやってデータを刷り合わせることによって、というよりそうしたデータの刷り合わせも行わずに「あの教育法方がいい」とか、「ああいう教え方はよくない」と案が出せるはずなんてありません。
さらに文部科学省(河村官房長官を含む)がデータ開示を否定する理由として挙げているのに、「成績が公開されることによって学校の序列化につながる」と言っており、学校が序列化することによって成績のいい学校に生徒が集中してしまうとか、成績の悪かった学校に生徒は劣等感を抱くなどといい加減なことを言っていますが、私が小中学生だった頃を思い出すと当時はそんな勉強のできるとかできないなんて全然気にしませんでしたし、それよりも運動が出来る出来ないというのがクラス内の発言力を大きく左右させ、勉強が出来る子も確かに尊敬はされますがやっぱり運動のできる子の方が圧倒的に序列が上でした。
更に言えば成績のいい中学校に生徒が集中するといいますが、なんだかんだいって家から近い公立校をみんな選ぶでしょうし、よっぽどいい学校に入ろうとする子やその親は公立校には行かず、間違いなく私立に行こうとするでしょう。むしろそうした学校ごとの成績の良し悪しに一番敏感に反応するのは子供ではなく、その周囲にいる大人たちこそ一番騒ぎ立てている気がして、そういったことこそが子供にも悪い影響があるように思えてなりません。
最後にもう一つ付け加えておきますが、私自身は公立小学校から私立中学、高校へと進学した口ですが、やっぱり小学校でも中学校でも賢い奴もいればアホな奴もおり、出来る人間はどこいっても出来ますし、逆に出来ない人間というのは本人が変わろうと思わない限り、それこそ学校を変えても急に変わることなんてないと思います。極言すればどんな学校へ行こうと、自分が努力しなければ意味がないということです。
この問題についてはなにも難しいことをいわなくとも、教育を良くするためという一言で公表するに十分な理由になります。というのも、これなんか私が一応社会学士ということもあるからかもしれませんが、比較や議論するデータもなしでどう低下しているといわれる教育を改善しようというのか、全く持って文部科学省の言い分が理解できません。単純に全国の学校のテスト結果を公表して比較することによって、どの学校が行っている教育方法が効果を挙げるか、逆にどの学校が行っている教育法方が問題があるのかが簡単に浮き彫りに出来ます。そうやってデータを刷り合わせることによって、というよりそうしたデータの刷り合わせも行わずに「あの教育法方がいい」とか、「ああいう教え方はよくない」と案が出せるはずなんてありません。
さらに文部科学省(河村官房長官を含む)がデータ開示を否定する理由として挙げているのに、「成績が公開されることによって学校の序列化につながる」と言っており、学校が序列化することによって成績のいい学校に生徒が集中してしまうとか、成績の悪かった学校に生徒は劣等感を抱くなどといい加減なことを言っていますが、私が小中学生だった頃を思い出すと当時はそんな勉強のできるとかできないなんて全然気にしませんでしたし、それよりも運動が出来る出来ないというのがクラス内の発言力を大きく左右させ、勉強が出来る子も確かに尊敬はされますがやっぱり運動のできる子の方が圧倒的に序列が上でした。
更に言えば成績のいい中学校に生徒が集中するといいますが、なんだかんだいって家から近い公立校をみんな選ぶでしょうし、よっぽどいい学校に入ろうとする子やその親は公立校には行かず、間違いなく私立に行こうとするでしょう。むしろそうした学校ごとの成績の良し悪しに一番敏感に反応するのは子供ではなく、その周囲にいる大人たちこそ一番騒ぎ立てている気がして、そういったことこそが子供にも悪い影響があるように思えてなりません。
最後にもう一つ付け加えておきますが、私自身は公立小学校から私立中学、高校へと進学した口ですが、やっぱり小学校でも中学校でも賢い奴もいればアホな奴もおり、出来る人間はどこいっても出来ますし、逆に出来ない人間というのは本人が変わろうと思わない限り、それこそ学校を変えても急に変わることなんてないと思います。極言すればどんな学校へ行こうと、自分が努力しなければ意味がないということです。
結局、今どんな景気対策をやればいいの?
すっかり少なくなった時事ネタを久々にやりますが、本日両院協議会によってとうとう二次補正予算案が通りました。これによって今後は本年度予算案の審議に入りますが、ひとまずは今国会の第一段階は終了したと見ていいでしょう。それでこの二次補正予算案ですが、中身は今もあれこれ議論が続いている定額給付金などいくつか問題のあるものも含まれていますが、中小企業向けの融資拡大や銀行への公的資金注入に関する法律なども込められており、やらないよりは確かにやった方がいい法律ではありますが、それでもこの不況を脱するための政策というよりは急場をしのぐ政策といっていいでしょう。
そこで一つ私から問題提起をしますが、じゃあ一体どんな政策をすることが今の不況に対して有効な手段となるのでしょうか。私の見ている限りでは、残念ながら今の二次補正や政局ついての議論は数多あれども、具体的に効力のある政策は何かというこのような議論はまだあまりなされていないような気がします。もう結論を言ってしまいますが、私は今の段階で日本がやるべきことは何もないと考えています。
まず今回の不況は日本で起こったものではなく、アメリカから発生して世界中に蔓延した不況です。それまでの日本自体は割と好況下であったのに、海外の消費が冷え込んだことによって輸出が落ち込み、挙句には円価が急騰して一挙に国内でも不況に陥り倒産も相次ぐようになりました。
この現況が何を表すかというと、ごくごく単純に今の状態は日本一国の努力ででどうにかなるというレベルではなく、言うなれば日本以外の他国が目下の問題を片付けなければなにも始まらないということです。
そういう意味でアメリカを始めとした他国は現在やるべきことというのははっきりしています。それこそ失われた十年末期の、というよりも竹中経済下の日本と同じように不良債権を抱えまくっている銀行に対して公的資金注入を含めて不良債権の処理を行わせてプライマリーバランスを回復させることです。ついでだから紹介しますが、前々回のサンデープロジェクト内で竹中平蔵氏と金子勝氏が二人でガチンコバトルをした際、大の竹中氏批判者である金子氏がとうとう、竹中氏が主導した「金融再生プログラム2002」は当時必要な政策だったと認めました。これには竹中氏も満面の笑みを浮かべて、ブラックジャック張りに「その言葉が、聞きたかった」と言わんばかりでした。
そんな話はおいといて、こうして欧米を始めとした各国はやるべき対策がはっきりしているのですが、日本はというとそのような竹中氏のヤクザじみた政策を既に実行し終えており、現在の世界の中では唯一といっていいほどにサブプライム損失の影響をほとんど受けないほど金融機関のプライマリーバランスは安定していて、この方面での政策は今更ほとんど必要がないといっていいでしょう。
もしそれでも何かやるべき対策は、と問われるのならば私はちょっと以前に江田憲治氏が述べていた、緊急対策班こと突発的な事態に対してすぐに対応する遊撃隊のような組織を整備し、中小企業向けの融資をそれこそ政府が直接行うなど、いわば前にも私が述べた細く長く行き続けるゲリラ戦のような政策を取るべきだと思います。逆に言えば、現在の日本は主導的に何か目的を持ってそれに向かって突き進むべき対策や政策はほとんどなく、世界経済が出血を止めてある程度落ち着くまでじっと耐える以外やることはないということです。
そういうことなので、今現在で経済に対してあれこれ議論してもなにも出てこないしやることもないのですから、一通りの緊急対策を行った後はこの際他に片付いていない問題、それこそ年金の問題などの議論を今の国会でするべきだと思います。なんだったら、憲法改正とか一院制についても議論してもいいかもしれません。
そこで一つ私から問題提起をしますが、じゃあ一体どんな政策をすることが今の不況に対して有効な手段となるのでしょうか。私の見ている限りでは、残念ながら今の二次補正や政局ついての議論は数多あれども、具体的に効力のある政策は何かというこのような議論はまだあまりなされていないような気がします。もう結論を言ってしまいますが、私は今の段階で日本がやるべきことは何もないと考えています。
まず今回の不況は日本で起こったものではなく、アメリカから発生して世界中に蔓延した不況です。それまでの日本自体は割と好況下であったのに、海外の消費が冷え込んだことによって輸出が落ち込み、挙句には円価が急騰して一挙に国内でも不況に陥り倒産も相次ぐようになりました。
この現況が何を表すかというと、ごくごく単純に今の状態は日本一国の努力ででどうにかなるというレベルではなく、言うなれば日本以外の他国が目下の問題を片付けなければなにも始まらないということです。
そういう意味でアメリカを始めとした他国は現在やるべきことというのははっきりしています。それこそ失われた十年末期の、というよりも竹中経済下の日本と同じように不良債権を抱えまくっている銀行に対して公的資金注入を含めて不良債権の処理を行わせてプライマリーバランスを回復させることです。ついでだから紹介しますが、前々回のサンデープロジェクト内で竹中平蔵氏と金子勝氏が二人でガチンコバトルをした際、大の竹中氏批判者である金子氏がとうとう、竹中氏が主導した「金融再生プログラム2002」は当時必要な政策だったと認めました。これには竹中氏も満面の笑みを浮かべて、ブラックジャック張りに「その言葉が、聞きたかった」と言わんばかりでした。
そんな話はおいといて、こうして欧米を始めとした各国はやるべき対策がはっきりしているのですが、日本はというとそのような竹中氏のヤクザじみた政策を既に実行し終えており、現在の世界の中では唯一といっていいほどにサブプライム損失の影響をほとんど受けないほど金融機関のプライマリーバランスは安定していて、この方面での政策は今更ほとんど必要がないといっていいでしょう。
もしそれでも何かやるべき対策は、と問われるのならば私はちょっと以前に江田憲治氏が述べていた、緊急対策班こと突発的な事態に対してすぐに対応する遊撃隊のような組織を整備し、中小企業向けの融資をそれこそ政府が直接行うなど、いわば前にも私が述べた細く長く行き続けるゲリラ戦のような政策を取るべきだと思います。逆に言えば、現在の日本は主導的に何か目的を持ってそれに向かって突き進むべき対策や政策はほとんどなく、世界経済が出血を止めてある程度落ち着くまでじっと耐える以外やることはないということです。
そういうことなので、今現在で経済に対してあれこれ議論してもなにも出てこないしやることもないのですから、一通りの緊急対策を行った後はこの際他に片付いていない問題、それこそ年金の問題などの議論を今の国会でするべきだと思います。なんだったら、憲法改正とか一院制についても議論してもいいかもしれません。
2009年1月26日月曜日
日本人は個人主義になれるか
昨日は頭痛を起こしてふらふらしながら朝青龍戦を見て、おとといに買った「街道2」というレースゲームをやっている時にふと思いつきました。どうでもいいけどこのゲーム、BGMを自由に作れるサウンドエディタ機能がついているのは別にいいが、そのおまけ機能の説明に説明書の三分の一近くを使い、下手すりゃ本編以上に細かい説明を行っているのは個人的にどうかと思う。別のゲームにして出せばいいのに。
話は戻って思いついた話です。おかげさまで無事終了した「失われた十年とは」の連載のコメントにて、日本はこの時代にそれまでの集団主義という価値意識を喪失し、なおかつこれらの意識は既に時代に適合できなくなっているのだから個々の価値観に基づく独立した個人主義を持つべきだと述べられる方々が多くいましたが、私としてもそれに越したことはないんだけどと思う一方で何か引っかかるものがありました。それが昨日、古い記事の内容を思い出すとともにいろいろと頭の中でその引っかかる内容がまとまりました。
古い記事というのは九月に書いた「権威の失墜と自意識の向上」という記事です。別に意図したわけじゃありませんが、連載の後半で書いた「権威の失墜」とほぼ同じ内容ですが、前回の方ではそれまでその意見に信用がもたれていた集団や職業の権威が堕ちたことによって、他人の意見より自分の意見の方が正しいと信じる人間が増加したことによっていわゆるモンスターペアレントが発生したのではないかと書いています。
ここで私が何を言いたいのかと言うと、もし今の段階で日本人に対して独立した個人主義を持って自分自身で自分の幸福を見つけよと伝えたところで、恐らくその意図する内容を大半の日本人は受け取れないばかりか誤解する人間が大半なのではないかということです。それこそモンスターペアレントのように、自己をはっきり持てといったら他者の都合などお構いなしにただ自分の権利だけを強く主張する人間が続出する恐れすらあります。
そこで何故日本人が欧米人のようなまともな個人主義を持つことができないかということですが、一つの理由として私はどうも日本人は権利と義務の区別がついていないんじゃないかと思います。和製英語で言うと「ノブレスアビゲーション」とでも言うのですか、直訳だと「高貴なる義務」といって、欧米では社会で成功した者は寄付活動などして社会に還元しなければ激しく後ろ指を指されるという習慣がありますが、もちろん日本ではこんなことがありません。
欧米では大量のお金を使用できる権利には、社会に対してそれを行使、還元せねばならないという義務が付きまといます。しかし日本ではホリエモンを始めとしてあまりこういった習慣はなく、お金の問題に限らず憲法上の教育の義務と権利、勤労の義務と権利など、どうも義務と権利の区別のつきづらい環境もあります。その結果、失われた十年によるそれまでの価値意識の喪失に伴い個人主義を主張するものが何人か出てきたところ、「自分の権利を自由に強く主張していい」という意識が生まれたものの、本来義務を果たした上で初めて権利が認められるといういわば当たり前の認識は生まれなかった気がします。
結論を言うと私は日本人はまだ個人主義に移る段階にはないと思います。むしろ個人主義に移るくらいならば、今の価値喪失状態を脱するために以前の集団主義的概念の方がまだ害が少ない気がします。もちろん全く昔に戻れといわれれば私も抵抗感がありますが、ほんの少し二、三歩戻るくらいがいいのではないかと思います。下手に個人主義を訴えたら、お隣の中国みたいになるんじゃないかなぁ。それはそれでにぎやかで私にとっては面白いのですが。
もちろん長期的には欧米のような個人主義的価値観の方が私も日本全体として強くなる可能性が高いと思います。ですがまだその時ではなく、私が中途半端に集団主義を引きずっているのはそういうところにあるのではないかと思います。
話は戻って思いついた話です。おかげさまで無事終了した「失われた十年とは」の連載のコメントにて、日本はこの時代にそれまでの集団主義という価値意識を喪失し、なおかつこれらの意識は既に時代に適合できなくなっているのだから個々の価値観に基づく独立した個人主義を持つべきだと述べられる方々が多くいましたが、私としてもそれに越したことはないんだけどと思う一方で何か引っかかるものがありました。それが昨日、古い記事の内容を思い出すとともにいろいろと頭の中でその引っかかる内容がまとまりました。
古い記事というのは九月に書いた「権威の失墜と自意識の向上」という記事です。別に意図したわけじゃありませんが、連載の後半で書いた「権威の失墜」とほぼ同じ内容ですが、前回の方ではそれまでその意見に信用がもたれていた集団や職業の権威が堕ちたことによって、他人の意見より自分の意見の方が正しいと信じる人間が増加したことによっていわゆるモンスターペアレントが発生したのではないかと書いています。
ここで私が何を言いたいのかと言うと、もし今の段階で日本人に対して独立した個人主義を持って自分自身で自分の幸福を見つけよと伝えたところで、恐らくその意図する内容を大半の日本人は受け取れないばかりか誤解する人間が大半なのではないかということです。それこそモンスターペアレントのように、自己をはっきり持てといったら他者の都合などお構いなしにただ自分の権利だけを強く主張する人間が続出する恐れすらあります。
そこで何故日本人が欧米人のようなまともな個人主義を持つことができないかということですが、一つの理由として私はどうも日本人は権利と義務の区別がついていないんじゃないかと思います。和製英語で言うと「ノブレスアビゲーション」とでも言うのですか、直訳だと「高貴なる義務」といって、欧米では社会で成功した者は寄付活動などして社会に還元しなければ激しく後ろ指を指されるという習慣がありますが、もちろん日本ではこんなことがありません。
欧米では大量のお金を使用できる権利には、社会に対してそれを行使、還元せねばならないという義務が付きまといます。しかし日本ではホリエモンを始めとしてあまりこういった習慣はなく、お金の問題に限らず憲法上の教育の義務と権利、勤労の義務と権利など、どうも義務と権利の区別のつきづらい環境もあります。その結果、失われた十年によるそれまでの価値意識の喪失に伴い個人主義を主張するものが何人か出てきたところ、「自分の権利を自由に強く主張していい」という意識が生まれたものの、本来義務を果たした上で初めて権利が認められるといういわば当たり前の認識は生まれなかった気がします。
結論を言うと私は日本人はまだ個人主義に移る段階にはないと思います。むしろ個人主義に移るくらいならば、今の価値喪失状態を脱するために以前の集団主義的概念の方がまだ害が少ない気がします。もちろん全く昔に戻れといわれれば私も抵抗感がありますが、ほんの少し二、三歩戻るくらいがいいのではないかと思います。下手に個人主義を訴えたら、お隣の中国みたいになるんじゃないかなぁ。それはそれでにぎやかで私にとっては面白いのですが。
もちろん長期的には欧米のような個人主義的価値観の方が私も日本全体として強くなる可能性が高いと思います。ですがまだその時ではなく、私が中途半端に集団主義を引きずっているのはそういうところにあるのではないかと思います。
2009年1月25日日曜日
中国人の好きなタイプ
昼頃から頭痛を起こしてしまい、陽月旦の更新を今日もやろうと思っていたのですが無理そうなので、軽い話を一本紹介します。
さて皆さんは映画の「レッドクリフ」を見たでしょうか。レビューを見ると賛否両論ありますが、三国志に詳しくない人でもある程度理解できる内容になっているのでそこそこいい出来だと私は思います。諸葛孔明役で出ていた金城武はその前の「ラバーズ」という映画から中国でも大人気になり、今回も難しい役ながらなかなかうまく演じていたのには舌を巻きました。
それであの映画に出てきたキャラに「張飛」というのがおります。劉備軍の中でもトップクラスの腕力にもかかわらず短気で酒飲みでしばしば失敗をしてしまう典型的な「パワー馬鹿」キャラですが、実を言うと三国志の人物の中でも中国人からはトップクラスに人気なキャラクターであります(多分トップは馬超だろうけど)。日本人の中でも私のように張飛が好きな人も少なくないのですが、よく評論家からは中国は基本的に皇帝専制のがちがちの法治国家が続いてきたから、ああいう酒を飲んでは暴れてルールを無視するキャラクターに強いシンパシーを覚えるという人がいますが、私もなんだかそんな気がします。なにも三国志に限らずとも西遊記では「孫悟空」、水滸伝では「李逵」と、パワー馬鹿は大抵どの作品にも出てきますし、みんな人気になっています。
では日本人が好きなキャラクターですが、三国志なんかでは「曹操」が割と人気ですが、この人は中国では逆に非常に嫌われている人物です。なもんだから私が「日本じゃ曹操が人気だよ」と言ったら中国人に凄い驚かれてなんでと聞かれたのですが、
「日本人は自分であまり決断をしたがらないので、ああいう風に独断専行でバンバン突き進んでくれる人間の方が好きなんだよ。織田信長もそうだし」
と言ったらなんか納得してくれました。
さて皆さんは映画の「レッドクリフ」を見たでしょうか。レビューを見ると賛否両論ありますが、三国志に詳しくない人でもある程度理解できる内容になっているのでそこそこいい出来だと私は思います。諸葛孔明役で出ていた金城武はその前の「ラバーズ」という映画から中国でも大人気になり、今回も難しい役ながらなかなかうまく演じていたのには舌を巻きました。
それであの映画に出てきたキャラに「張飛」というのがおります。劉備軍の中でもトップクラスの腕力にもかかわらず短気で酒飲みでしばしば失敗をしてしまう典型的な「パワー馬鹿」キャラですが、実を言うと三国志の人物の中でも中国人からはトップクラスに人気なキャラクターであります(多分トップは馬超だろうけど)。日本人の中でも私のように張飛が好きな人も少なくないのですが、よく評論家からは中国は基本的に皇帝専制のがちがちの法治国家が続いてきたから、ああいう酒を飲んでは暴れてルールを無視するキャラクターに強いシンパシーを覚えるという人がいますが、私もなんだかそんな気がします。なにも三国志に限らずとも西遊記では「孫悟空」、水滸伝では「李逵」と、パワー馬鹿は大抵どの作品にも出てきますし、みんな人気になっています。
では日本人が好きなキャラクターですが、三国志なんかでは「曹操」が割と人気ですが、この人は中国では逆に非常に嫌われている人物です。なもんだから私が「日本じゃ曹操が人気だよ」と言ったら中国人に凄い驚かれてなんでと聞かれたのですが、
「日本人は自分であまり決断をしたがらないので、ああいう風に独断専行でバンバン突き進んでくれる人間の方が好きなんだよ。織田信長もそうだし」
と言ったらなんか納得してくれました。
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