かなり前に、「モンスターペアレントはどこから生まれたのか」という記事を書きましたが、この記事の中で取り上げている「自意識の向上」というのは、実は非常に大きな問題なのではないかとこのところよく思うようになりました。
この問題の背後にあるのは間違いなく「権威の失墜」でしょう。私が子供だった頃と比べると、警察や教師に対する社会の信用というものが数々の不祥事の発覚とともに明らかに低下しているように思えます。
その結果が私の主張する自意識の向上につながっていると思います。というのも、昔はなんとなく自分じゃ違う気がしていても、権威のある人間が言うのだから正しいのだろうというように納得できたものが、このところは専門家の意見に対しても、「自分たちの考える意見が正しい」などと主張するようになって来ました。
だからといって、私は警察や教師といった人間の権威を守るために、不祥事は明るみにするなとは言うつもりはありません。確かにこれまで閉鎖的に情報が閉ざされていた結果、冤罪事件や教師の不正採用など数々の悪事が隠されてきてしまい、そういった問題が発覚するようになったのは感激すべきでしょう。しかし、一部の小悪人の行動が全体の行動を代表しているかのように考えるのはやはり良くない気がします。
特にそれが顕著なのは医師です。ほんの1%にも満たない人間の悪事によって医師全体の国民の信頼が薄れ、この前に書いた「医療裁判事件の無罪判決について」のように、必死で行われた処置を間違っているのではないかと疑うのは医師患者双方にとってとても不幸なことだと思います。
ではどうすればいいのかということですが、これは単純にいって、相手を集団で見ないことです。警察だから、政治家だから、自民党だからというように、所属する組織や団体で相手の性格や行動を考えず、相手個人をしっかりと見つめることです。なんか擁護するような形になりますが、毎日新聞の問題にしろ、私は明らかに毎日新聞社の経営側職員の不手際がこの前の問題を引き起こし、スクープを多く拾い(最近あまり見ないけど)、現場で活躍する毎日新聞社の記者が毎日だからという形で批判されるとのは少し可哀そうな気がします。
そして何よりいいたいことですが、自分の意見と相手の意見のどちらが正しいのか、それははっきりと基準となるものはありませんが、じっくり自分で意見を比べ合い、考えることが最善の選択を得る唯一にして最大の手段であると思います。一概に自分の意見が正しいと、慢心するのはよくない……と言いたいんだけど、私が一番人の意見を聞かない性格してるからなぁ……。
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