おととい電車に乗ったところある週刊誌の中吊り広告にて、「御手洗よ、メザシの土光を見習え!」と書かれた見出しが目に入ってきたのですが、なんというか見た瞬間に言いようのないむなしさを私は覚えてしまいました。別にこの見出しが悪いわけでなく、むしろ現在の経団連会長であるキャノンの御手洗に対してかつて同じく経団連会長を務めた土光敏夫氏と比較するあたりなかなか着眼点がいいと思うくらいなのですが、肝心要なこととして、恐らく私と年の近い二十代の人間からすると「メザシの土光」と言われても恐らく何の意味だかわからない人が大半だろうという事実が、先ほどのむなしさを感じさせたのだと思います。
簡単に説明すると、リンクに貼ったウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますがこの土光敏夫氏というのは少し以前の経済界の重鎮で、その質素な生活ぶりから当時は日本中で大人気で、特に国鉄民営化の際には中曽根元首相によって臨時調査委員会が組織されて土光氏も委員に名を連ねたのですが、その高い人気から「土光臨調」とまでその会議が呼ばれたほどだったそうです。
恐らく自分らより上の世代の方ならほとんどの人が知っている名前なのですが、これが若い世代になると逆にほとんど知られていないのが実情でしょう。何もこの土光氏に限らず、私が失われた十年の連載で書いた事実も今の十代の方には知らなかった事実も多いと思います。
歴史というのはこのように、遠い昔以上に案外近い時代の方が隔絶というものが起こりやすいといわれています。その事実自体はわかるのですが、それを推しても近年の世代間の断絶、年齢的に言えば今の四十台を境にした上と下で事実ごとに知っている、知っていないが真っ二つに分かれる事例が今の日本には多すぎるような気がします。それこそこれまた私が連載して紹介した「文化大革命」についても、まぁ教える学校がないというのが一番の原因ですが、あれだけの影響の大きい大事件ですらほとんど知らないという人間が私の世代には数多くいる一方、やはり大事件だったということもあり同じ時代に直接伝え聞いている私の親の世代などは紅衛兵についても別に中国について勉強していたわけでもないのによく知っており、そのギャップにはなにか考えさせられてしまいます。
何もこれだけに限らず、、もし今ここで羅列しろというのならそのような世代間隔絶の激しい事例を相当な量を挙げる自信が私にはあります。確かに今回の土光氏の名前など細かいものについて実感が湧かないことから知らないというのも私もわかるのですが、文化大革命や赤軍派の事件など今聞いてもショッキングで大きな事件が上と下の世代間でこれだけ認知に差があるのはやはり問題でしょう。それこそ上の世代がいなくなったら、その事件の影響力は無視されて一気に忘れ去られるのではないかという危惧が私にはあります。
そのためこのブログでもなるべく、「あまり世間で紹介されていないちょっと前の大きな事件」というものを積極的に紹介するようにしております。文化大革命も失われた十年も、そういった意識が一つのきっかけとして書こうという気になりました。
これは私見ではありますが、やっぱりこうした認識の隔絶が異世代間で無用な意識の差を生んでしまうのではないかと思います。そういう意味で知らないよりはやっぱり知っている方がいいと思うので、私個人ではこういった戦後から現在に至るまでの歴史について意識的に収集に努めています。
今日はちょっと昔を思い出してブルーになったのが影響しているのか、どうも文章のノリが悪いですね。情けない話ですが今でも中学、高校時代を思い出すと涙が止まらなくなることが多々あり、今日もなぜか「ゼルダの伝説」でマスターソードを手に入れた瞬間にぶわっと泣き始めてしまいました。
3 件のコメント:
確かに、実感としてちょっと前のことはメディアとかもあまり触れませんし忘れていることが多いですよね。正直僕なんかは、1980年から2000年までの出来事があやふやなことが多いですね。花園さんのブログは歴史の断絶を妨げている役割もしているのかもしれませんね。
友人と花園さんの記事に対する議論をすることが最近増えてきました。友人も花園さんの記事を毎日見ています。花園さんの意思は徐々に伝わっていくかもしれません。自分のためにがんばってください。
歴史というのは、そのときの権力者によって塗り替えられていくものであるのだから仕方ないですよ。文化大革命だって本国ではあまり教えられていないそうですし・・・
WW2や太平洋戦争だって、本当の真実なんてわかりませんよ。でも社会的には権力者の都合のよい歴史があればいいもんなんです。
いつもながら、また本筋と大きくかけ離れたコメントになってしましました・・・
>サカタさんへ
ネタにしてもらって光栄です。先日のご友人からのコメントはとてもうれしかったですよ。
>ロックマンさんへ
本筋とコメントは決して外れていませんし、とても大事なことに触れてくれています。ロックマンさんの言う通りに、歴史というのは時の権力者の都合によって作られるということは間違いないのですが、時代が過ぎ、余計な利害や感情がなくなって今の日本人にとっての江戸時代みたいに冷静に分析する段階に際し、評価する材料は大いにこしたことはありませんよね。
今の私がつむいでいる話というのはどちらかというとそのような目的の元で、後世に対して私の時代、私の目から見た評価を残すことを主眼にしています。
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