堅い記事を書いたばっかなので、ちょっと気を抜くがてらに笑い話として私の貧乏時代のエピソードを紹介しようと思います。
私が貧乏な生活を余儀なくされたのは学生時代の初期の頃で、今もそうですが責任感の強い性格が災いして、実家から離れて下宿生活をするなら生活費くらいは自分で稼がねばならないとわけのわからないルールを自分に課して最低限の生活費で如何に生活をするか、それこそ毎日いい方法はないかと考えていた時期がありました。
それでもまだ初期にアルバイト先が見つかっていればあんな馬鹿なことはしないで済んだのでしょうが、学校に入った頃から授業を休んでまでアルバイトはしてはいけないと壮大な決意を持っていたためになかなか時間に都合の効くバイト先が見つからず、お金を稼げない一方で両親からの仕送りだけで生活する自分に強い罪悪感を抱き続けていました。
幸い家賃(当時二万九千円)の方は奨学金でまかなっていたので、ひとまず生活費を削るところまで削らねばと、いろんな部門で徹底的なコストカットを当時に行いました。
まずは単純に食費を削り、当時昼食は学校の食堂で食べていましたが出来るだけ費用を削るため、自分で炊いたお米を毎日タッパーに入れておかずだけ買い、しかもそのおかずも出来るだけ安いのを選ぶので大抵は「ほうれん草のおひたし」か「豆腐」に味噌汁をつけただけで、確か当時の昼食で200円以上払ったことは一度もなかった気がします。もちろんこんなことしてればおなかは減る一方なので、夕食はその代わりに豪華に行こうと、高いおかずは買えないので近くのスーパーで60円のコロッケを買ってはキャベツの千切りに、200円で10パックついてくるインスタントの味噌汁を一食一回使うのを定番のメニューとして、その代わりお米をどんぶりで二杯とか三杯、勢いがあるときは一回の食事で二合(全盛期は三合も食べれた)食べたりして胃をごまかしていました。
次に光熱費で、水道代は初めから先ほどの家賃に加え五千円と決められていたので気にしませんでしたが、ガス代の方は削ればどうとでもなると踏み、調理の際も煮込みなど火を長く使うのを出来るだけさけた結果、安い野菜を調達できた際はいつも炒めて食べ、シャワーを浴びる際もまず一回お湯を身体にかけ、シャンプーをしてから石鹸で身体を拭き、最後にもう一回お湯をかけて全身を一気に洗い流す手段を使って一秒たりとも無駄に流さないように心がけていました。
でもって最後に交際費も削りました。当時は友人らと夕方まで会っていたとしても、友人らは揃って夕食を外食で済ませようとするところを私だけが一人下宿先に帰り、いつも一人で自炊して外食費を浮かせていました。これは結構寂しかったのですが、背に腹は変える事が出来ませんでした。
こんなアホなことをやっていた甲斐もあり、元々痩せ型ですが当時は体重が激減し、なんか中学生の頃の体重にまで一時戻っていました。さすがに夏休みに帰省した際には頬もこけ、親から驚かれていっぱい食べさえてもらってまた体重を戻しましたが、その後も下宿先に戻ればまた体重が減るという繰り返しが続きました。
もっともその後は授業時間に都合の効くバイト先を見つけられたこともあり、多少は自分で生活費を出しているという安堵感から食費にもお金をかけるようになりましたが、それでも当時に作った貧乏性は抜け切れず徹底的に生活費を削減しようと真夏に後輩が下宿先に遊びに来ても、
「先輩、暑いから冷房入れましょうよ」
「アホ、これくらい扇風機で我慢せぇっ!」
と、一顧だにしなかったこともありました。今思うと、冷房くらいつけてあげればよかったです。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2009年2月1日日曜日
個人の幸福追求と社会の幸福追求の一致性について
週末なので久々に力の入った記事でも書いてみようと思います。まずいきなり結論ですが、個人の幸福を追求するのと同時に社会全体の発展を一緒に行うというのは、理想論としてはいくらでも語られてはいるけど実際には一致させるのは非常に難しいと私は思います。
こんな話をするのも最近読んだ本で知ったのですが、なんでも19世紀末から20世紀初頭の資本主義と社会主義が対立するようになったあの時代に、人間はどう生きるべきかということで個人を優先するべきか社会を優先するべきかでいろいろと議論になってたそうです。
話の構図はこうです。産業革命によって急激に発展した欧州では資本主義の発達に伴い、一部の資本家による経済活動によって公害や社会問題が次々と起こされ、段々と個人の幸福の追求(営利活動)は社会に対して必ずしも貢献にならず、むしろ対立するものだと考えられていったそうです。そんな世の中で人間はどのように生きるべきか、言ってしまえば社会のために自分を犠牲にするか、それとも社会のルールとかを無視して自己の幸福を追求するか、この二派閥に分かれて当時の欧州の思想家や学者は激しく対立したそうです。
これまでの日本人的価値観からすると、前者の「社会優先、個人犠牲」を選んで当たり前のように思うかもしれませんが、欧州では伝統的に「個」に対する概念が強いので、自分が不幸になってまで(我慢をしてまで)周りや社会を幸福にさせるということに生き方として意味があるのか、本当にそれで人間は充実した人生を送れるのか、という風に疑問に思うのも無理はない気がします。もっとも現代の日本もこれまで企業や国、政党といったものに個人を犠牲にすることが社会全体、日本人の幸福につながると信じてやってきたものの、失われた十年の経験で必ずしもそうは行かないし、当時に頻発した企業犯罪などでむしろ害を為す加害者に回っていた反省もあるので、中には後者の「個人優先、社会無視」に理解を示す人も増えてきているのかもしれません。
この二派閥の対立はそのまま経済学での論争になり、元ネタをもう出してしまいますが「ケインズとハイエク」(間宮陽介著)の本で書かれているように、当時の資本主義経済学の二代巨頭のケインズとハイエクの対立へと持っていかれたそうです。ケインズというのは少し専門的な話になりますが管理経済学を主張し、何でもかんでも市場に自由にはさせず、政府は規制や税法などを用いてコントロールしていかねばならないと主張したのに対し、ハイエクの方は従来の資本主義同様、市場の競争原理に任せて自由にやらせる方が全体の発展につながると主張し、いわば新自由主義こと今のフリードマン経済学、ひいては竹中平蔵氏の思想の祖先となる主張を行っています。
先ほどの個人と社会の幸福に話をまとめると、どちらも社会を発展させるにはどうすればいいかということを論じてはいるのですが、ケインズの場合は個人の行動や考えを一部制限するのに対し、ハイエクの場合は個人の行動や考えを自由にさせることがその手段として適当だと真っ向から対立する構図となります。もっともハイエクの場合はまだあまり勉強してなくて言うのもなんですが、その主張の根源には「弱肉強食」的な価値観があると言われており、真に実力のある人間が好き勝手にやって何が悪いんだという価値観を持っていたという様に聞いています。
私も日本人なので、やっぱりケインズの価値観の方が正しいんじゃないかなぁと思う一方、これまでの日本の過剰な集団主義によって社会がうまく機能しなかった過去を思い浮かべると、程度の差こそあれハイエクの思想にも共鳴するところもあります。それこそ本当に個人を犠牲にすれば社会は発展するのかも曖昧ですし、それに社会のために皆で自分の幸福を犠牲にし合う世界が本当に幸福な世界なのか、少し悩んでしまいます。
特に日本においては労働に対する美徳が私の目からして強過ぎ、確かに前に書いた「労働の意義」で主張したように労働それ自体は人間の幸福にも社会の発展にもつながるという確信はありますが、あまりに強すぎる日本の労働への価値依存は逆に日本人を生き方として不幸にさせているのではないかと思うことがよくあります。よく就職情報誌では労働は自己実現の場や手段だと謳われていますが、なにかを実現させる一方で失うものもあまりにも多いのが日本の労働現場ではないかと前から疑問に感じます。
社会のため、社会のためと、さもそれが絶対的価値観のようにあちこちで叫ばれていますが、私は個人をあまりにも不幸にさせる過剰な労働などの行為は、本質的には個人にも社会にもよくないものだと考え、共産党政権下の初期の中国やソ連なんてまさにそんな世界だったから否定されているのだと思います。確かに社会の幸福が最終的に個人の幸福にもつながることも数多くあり、そのために個人が我慢しなければならない所もあるとは思います。しかし一切合財に個人の犠牲で成り立つ社会というのは、言い方は悪いですが地獄のようなものです。
現在の日本も新自由主義と旧来のバラ撒き主義でいろいろと対立が起こっていますが、こういう二項対立的な議論より、どこまで個人は我慢して、どこまで社会の発展を追求するのかという議論こそ必要なのではないかと私は思います。日本の労働についても、「実現するもの>失うもの」の数式が成り立つような雇用方法や労働環境についてなど、個人の幸福をどう社会の発展と折り合いをつけるか日本人全体であれこれ考えてみるべきなのかもしれません。
こんな話をするのも最近読んだ本で知ったのですが、なんでも19世紀末から20世紀初頭の資本主義と社会主義が対立するようになったあの時代に、人間はどう生きるべきかということで個人を優先するべきか社会を優先するべきかでいろいろと議論になってたそうです。
話の構図はこうです。産業革命によって急激に発展した欧州では資本主義の発達に伴い、一部の資本家による経済活動によって公害や社会問題が次々と起こされ、段々と個人の幸福の追求(営利活動)は社会に対して必ずしも貢献にならず、むしろ対立するものだと考えられていったそうです。そんな世の中で人間はどのように生きるべきか、言ってしまえば社会のために自分を犠牲にするか、それとも社会のルールとかを無視して自己の幸福を追求するか、この二派閥に分かれて当時の欧州の思想家や学者は激しく対立したそうです。
これまでの日本人的価値観からすると、前者の「社会優先、個人犠牲」を選んで当たり前のように思うかもしれませんが、欧州では伝統的に「個」に対する概念が強いので、自分が不幸になってまで(我慢をしてまで)周りや社会を幸福にさせるということに生き方として意味があるのか、本当にそれで人間は充実した人生を送れるのか、という風に疑問に思うのも無理はない気がします。もっとも現代の日本もこれまで企業や国、政党といったものに個人を犠牲にすることが社会全体、日本人の幸福につながると信じてやってきたものの、失われた十年の経験で必ずしもそうは行かないし、当時に頻発した企業犯罪などでむしろ害を為す加害者に回っていた反省もあるので、中には後者の「個人優先、社会無視」に理解を示す人も増えてきているのかもしれません。
この二派閥の対立はそのまま経済学での論争になり、元ネタをもう出してしまいますが「ケインズとハイエク」(間宮陽介著)の本で書かれているように、当時の資本主義経済学の二代巨頭のケインズとハイエクの対立へと持っていかれたそうです。ケインズというのは少し専門的な話になりますが管理経済学を主張し、何でもかんでも市場に自由にはさせず、政府は規制や税法などを用いてコントロールしていかねばならないと主張したのに対し、ハイエクの方は従来の資本主義同様、市場の競争原理に任せて自由にやらせる方が全体の発展につながると主張し、いわば新自由主義こと今のフリードマン経済学、ひいては竹中平蔵氏の思想の祖先となる主張を行っています。
先ほどの個人と社会の幸福に話をまとめると、どちらも社会を発展させるにはどうすればいいかということを論じてはいるのですが、ケインズの場合は個人の行動や考えを一部制限するのに対し、ハイエクの場合は個人の行動や考えを自由にさせることがその手段として適当だと真っ向から対立する構図となります。もっともハイエクの場合はまだあまり勉強してなくて言うのもなんですが、その主張の根源には「弱肉強食」的な価値観があると言われており、真に実力のある人間が好き勝手にやって何が悪いんだという価値観を持っていたという様に聞いています。
私も日本人なので、やっぱりケインズの価値観の方が正しいんじゃないかなぁと思う一方、これまでの日本の過剰な集団主義によって社会がうまく機能しなかった過去を思い浮かべると、程度の差こそあれハイエクの思想にも共鳴するところもあります。それこそ本当に個人を犠牲にすれば社会は発展するのかも曖昧ですし、それに社会のために皆で自分の幸福を犠牲にし合う世界が本当に幸福な世界なのか、少し悩んでしまいます。
特に日本においては労働に対する美徳が私の目からして強過ぎ、確かに前に書いた「労働の意義」で主張したように労働それ自体は人間の幸福にも社会の発展にもつながるという確信はありますが、あまりに強すぎる日本の労働への価値依存は逆に日本人を生き方として不幸にさせているのではないかと思うことがよくあります。よく就職情報誌では労働は自己実現の場や手段だと謳われていますが、なにかを実現させる一方で失うものもあまりにも多いのが日本の労働現場ではないかと前から疑問に感じます。
社会のため、社会のためと、さもそれが絶対的価値観のようにあちこちで叫ばれていますが、私は個人をあまりにも不幸にさせる過剰な労働などの行為は、本質的には個人にも社会にもよくないものだと考え、共産党政権下の初期の中国やソ連なんてまさにそんな世界だったから否定されているのだと思います。確かに社会の幸福が最終的に個人の幸福にもつながることも数多くあり、そのために個人が我慢しなければならない所もあるとは思います。しかし一切合財に個人の犠牲で成り立つ社会というのは、言い方は悪いですが地獄のようなものです。
現在の日本も新自由主義と旧来のバラ撒き主義でいろいろと対立が起こっていますが、こういう二項対立的な議論より、どこまで個人は我慢して、どこまで社会の発展を追求するのかという議論こそ必要なのではないかと私は思います。日本の労働についても、「実現するもの>失うもの」の数式が成り立つような雇用方法や労働環境についてなど、個人の幸福をどう社会の発展と折り合いをつけるか日本人全体であれこれ考えてみるべきなのかもしれません。
2009年1月31日土曜日
最近の見上げた若者について
確か二、三年前の話だったと思いますが地中海にある紀元前の遺跡から出土した石版に、「最近の若い者はなっとらん」と書かれたものが出てきたそうで、いつの時代も年配の世代は若年世代に対して万国共通で批判的であるという風なニュースがありました。かくいう現代の日本も多かれ少なかれそういうところがあり、この前にあった成人の日ではあまりニュースになりませんでしたが、成人式で新成人が暴れるというニュースはここ毎年の日常茶飯事と化し、その他のメディアでも若者という言葉は「元気がない」、「消費意欲がない」などと否定的な言葉と組み合わせられて数多く使われています。
そんな現代の日本で私は二十代ということで一応若者に属してはいますが、そんな私から見てどうもこのところの若者、というより自分より年齢が下の世代について、若いのにしっかりしたのが多いなぁと関心する機会が増えています。
まずエントリーナンバー1番はマー君こと楽天の田中将大選手で、この子なんか甲子園の頃はメディアから徹底的に現早稲田大学野球部の斉藤佑樹選手に対するヒール扱いされっぱなしで、見ているこっちがかわいそうになるくらいの扱われようでした。しかしそれにもめげず、果てにはドラフトで希望していた日ハムではなく楽天に決まった際もプロとしてやってけるのならと言ってすんなり入団し、入団後は野村監督に「マー君」って呼ばれて毎回ネタにされても文句もいわず、挙句に去年のオリンピックでは初戦の敗退を受けてダルビッシュに言われて(脅されて?)素直に丸坊主頭にするなど、見ていて素直で人の言うこと聞くしテレビカメラの前でも非常に謙虚で落ち着いた対応は大したものだと感心させられます。
そんなマー君以上に落ち着いているのとくれば、こちらはエントリーナンバー2のプロゴルファーの石川遼選手です。この石川選手もテレビの前でも全然落ち着きを保ち、またプレー前のコメントでは常に低く謙虚に構えて年齢が上の選手を立てるように話すだけでなく、今年大活躍しても一切それを鼻にかけない態度など文句の付け所がありません。特に私が一番感心したのは今年の賞金総額が一億円を越えたことについてのコメントで、
「別に僕のポケットに一億円が入っているわけじゃありませんから、実感がありません」
と、実に清々しく答えています。
これに対して、今の大人連中はどんなもんでしょうか。
そりゃまぁいっぱい人がいるんだから中には変な人もいて当然ですが、謙虚で落ち着いているという点で今の二人に比肩する人って言うのはそう多くないんじゃないかと思いますし、むしろ私は嫌いじゃないけど政治評論家の三宅久之氏をはじめとして絶叫激怒型のコメンテーターが増えていて、ちょっとはこの二人を「最近の若者は」などといわずに見習ったらどうだろうかという人もいます。
確かに自分の周りを見ていると教養もないしふにゃふにゃした若者もたくさんいますが、中には年配の方以上にしっかりした人間もおるので、一概に若者と侮るべきではないのではないかと思います。特にこれはテレビを始めとしたメディアの方に強く言いたいのですが、街頭調査などで「いかにも」って感じの変でフラフラしてそうな若者を写すのだけはやめてもらいたいです。やっぱりワイドショーを見ていると女子高生とかでも派手なアクセサリーをつけた人ばっかり映ってくるし、逆に「毎月本を十冊以上読んでいます」って感じの若者はほとんど登場してこない……まぁ少ないのはわかっているけど、もう少し真面目そうな若者も映してもらいたいと個人的に思います。
これなんか社会学的な解釈になりますが、やっぱり変な若者ばっかり映していると、世の中の標準はこれなんだと変に勘違いする若者も出てきてしまいかねないので、全く映すなとは言いませんがもう少し真面目そうで謙虚な若者もいるんだ、っていうくらいの報道を心がけてもらいたいです。
そんな現代の日本で私は二十代ということで一応若者に属してはいますが、そんな私から見てどうもこのところの若者、というより自分より年齢が下の世代について、若いのにしっかりしたのが多いなぁと関心する機会が増えています。
まずエントリーナンバー1番はマー君こと楽天の田中将大選手で、この子なんか甲子園の頃はメディアから徹底的に現早稲田大学野球部の斉藤佑樹選手に対するヒール扱いされっぱなしで、見ているこっちがかわいそうになるくらいの扱われようでした。しかしそれにもめげず、果てにはドラフトで希望していた日ハムではなく楽天に決まった際もプロとしてやってけるのならと言ってすんなり入団し、入団後は野村監督に「マー君」って呼ばれて毎回ネタにされても文句もいわず、挙句に去年のオリンピックでは初戦の敗退を受けてダルビッシュに言われて(脅されて?)素直に丸坊主頭にするなど、見ていて素直で人の言うこと聞くしテレビカメラの前でも非常に謙虚で落ち着いた対応は大したものだと感心させられます。
そんなマー君以上に落ち着いているのとくれば、こちらはエントリーナンバー2のプロゴルファーの石川遼選手です。この石川選手もテレビの前でも全然落ち着きを保ち、またプレー前のコメントでは常に低く謙虚に構えて年齢が上の選手を立てるように話すだけでなく、今年大活躍しても一切それを鼻にかけない態度など文句の付け所がありません。特に私が一番感心したのは今年の賞金総額が一億円を越えたことについてのコメントで、
「別に僕のポケットに一億円が入っているわけじゃありませんから、実感がありません」
と、実に清々しく答えています。
これに対して、今の大人連中はどんなもんでしょうか。
そりゃまぁいっぱい人がいるんだから中には変な人もいて当然ですが、謙虚で落ち着いているという点で今の二人に比肩する人って言うのはそう多くないんじゃないかと思いますし、むしろ私は嫌いじゃないけど政治評論家の三宅久之氏をはじめとして絶叫激怒型のコメンテーターが増えていて、ちょっとはこの二人を「最近の若者は」などといわずに見習ったらどうだろうかという人もいます。
確かに自分の周りを見ていると教養もないしふにゃふにゃした若者もたくさんいますが、中には年配の方以上にしっかりした人間もおるので、一概に若者と侮るべきではないのではないかと思います。特にこれはテレビを始めとしたメディアの方に強く言いたいのですが、街頭調査などで「いかにも」って感じの変でフラフラしてそうな若者を写すのだけはやめてもらいたいです。やっぱりワイドショーを見ていると女子高生とかでも派手なアクセサリーをつけた人ばっかり映ってくるし、逆に「毎月本を十冊以上読んでいます」って感じの若者はほとんど登場してこない……まぁ少ないのはわかっているけど、もう少し真面目そうな若者も映してもらいたいと個人的に思います。
これなんか社会学的な解釈になりますが、やっぱり変な若者ばっかり映していると、世の中の標準はこれなんだと変に勘違いする若者も出てきてしまいかねないので、全く映すなとは言いませんがもう少し真面目そうで謙虚な若者もいるんだ、っていうくらいの報道を心がけてもらいたいです。
韓国政府、L/C発行規制か?
本当はもう少し情報ソースを確認してから紹介しようと思っていたネタなのですが、この際もったいぶらずに紹介しようと思います。
まずいきなり本題から言っちゃいますが、どうも今年に入り韓国政府がL/Cこと信用状の発行を規制しているのではないかと各所で言われています。この信用状というのは貿易決済に使う一つの手段で、商品を買う側と売る側の間に銀行を仲介することによってお互いの食いっぱぐれを防ぐ手段で、具体的な例を挙げて説明すると、日本のある会社が韓国の会社に商品の車を売る際、まず買う側の韓国の会社が地元の銀行に信用状口座を開設する申請を出し、それを受けて韓国の銀行が口座開設をするとその旨を車を売る側の日本の会社と取引のある銀行に伝えます。
そうして伝えられた情報を元に、日本の銀行はその売り側の会社に信用状書類を届けます。日本の企業はその書類を元に貿易書類を作り、運送業者に商品の車を渡す代わりに受け取る書類(荷為替証券)とともに日本の銀行に発行された信用状を届けます。この時点で、売り側の日本の会社は日本の銀行より販売する自動車の代金を受け取ります。
そして代金を払った日本の銀行は今度は韓国の銀行へその書類を売ります。なぜならこの信用状取引ではその書類自体が商品の所有権を証明する有価証券となるので、いわば車の所有権をその代金で日韓の銀行で取引する構図となります。そうして韓国の銀行へ書類が渡ると、車を買う韓国の会社はその車の代金を銀行に支払うことで商品を受け取るのに必要な諸々の書類を受け取り、最終的にその手に商品を得ることになるのです。
一見するとややこしいこの取引が何故行われるかというと、国際間の取引では片方が商品を出したところで買う側がお金を払わなかったり、逆に前払いでお金を出していたのに売り側が商品を出さなかったりするというトラブルがよく起こるため、それぞれの国の銀行が仲介することによってこのような問題を解決しようという目的からこの信用状取引が生まれていきました。
それでこの信用状取引なのですが、なんでもメガバンクに勤めている方から聞くと、今年に入りこの信用状が韓国から全くといっていいほど発行されなくなったというらしいです。単純に韓国側が信用状を発行するということは韓国のお金を外国に流すこととほぼ同義なので、もしかするとこの世界的金融危機に瀕して韓国政府が自国の現金保護のために信用状開設を制限、もしくは規制しているのではないかということが考えられます。
一部のSF小説家ばりの評論家はこの世界的恐慌がきっかけとなり、世界各国はかつての二次大戦前のように保護貿易が進み対外取引が急激に減っていくのではないかと予想していましたが、この信用状取引の規制も見方によってはそうとれます。
この信用状の口座開設が少なくなってきていることに関してまた何か続報があればお伝えしますが、単純にいってあまり日韓双方にとってあまりよくない状況なのではないかと個人的には憂えています。
まずいきなり本題から言っちゃいますが、どうも今年に入り韓国政府がL/Cこと信用状の発行を規制しているのではないかと各所で言われています。この信用状というのは貿易決済に使う一つの手段で、商品を買う側と売る側の間に銀行を仲介することによってお互いの食いっぱぐれを防ぐ手段で、具体的な例を挙げて説明すると、日本のある会社が韓国の会社に商品の車を売る際、まず買う側の韓国の会社が地元の銀行に信用状口座を開設する申請を出し、それを受けて韓国の銀行が口座開設をするとその旨を車を売る側の日本の会社と取引のある銀行に伝えます。
そうして伝えられた情報を元に、日本の銀行はその売り側の会社に信用状書類を届けます。日本の企業はその書類を元に貿易書類を作り、運送業者に商品の車を渡す代わりに受け取る書類(荷為替証券)とともに日本の銀行に発行された信用状を届けます。この時点で、売り側の日本の会社は日本の銀行より販売する自動車の代金を受け取ります。
そして代金を払った日本の銀行は今度は韓国の銀行へその書類を売ります。なぜならこの信用状取引ではその書類自体が商品の所有権を証明する有価証券となるので、いわば車の所有権をその代金で日韓の銀行で取引する構図となります。そうして韓国の銀行へ書類が渡ると、車を買う韓国の会社はその車の代金を銀行に支払うことで商品を受け取るのに必要な諸々の書類を受け取り、最終的にその手に商品を得ることになるのです。
一見するとややこしいこの取引が何故行われるかというと、国際間の取引では片方が商品を出したところで買う側がお金を払わなかったり、逆に前払いでお金を出していたのに売り側が商品を出さなかったりするというトラブルがよく起こるため、それぞれの国の銀行が仲介することによってこのような問題を解決しようという目的からこの信用状取引が生まれていきました。
それでこの信用状取引なのですが、なんでもメガバンクに勤めている方から聞くと、今年に入りこの信用状が韓国から全くといっていいほど発行されなくなったというらしいです。単純に韓国側が信用状を発行するということは韓国のお金を外国に流すこととほぼ同義なので、もしかするとこの世界的金融危機に瀕して韓国政府が自国の現金保護のために信用状開設を制限、もしくは規制しているのではないかということが考えられます。
一部のSF小説家ばりの評論家はこの世界的恐慌がきっかけとなり、世界各国はかつての二次大戦前のように保護貿易が進み対外取引が急激に減っていくのではないかと予想していましたが、この信用状取引の規制も見方によってはそうとれます。
この信用状の口座開設が少なくなってきていることに関してまた何か続報があればお伝えしますが、単純にいってあまり日韓双方にとってあまりよくない状況なのではないかと個人的には憂えています。
2009年1月30日金曜日
猛将列伝~田単~
この猛将列伝も本当に久しぶりです。別に忘れていたわけじゃないのですが、このところはニュース以外に書くことなかったら連載記事を優先していたのでほとんど書くことがなくなって来ていました。
それで今日は「田単(でんたん)」という人物について紹介しますが、この人のことを知っているのはほとんどいないといっていいくらい超マイナーな人物で、よっぽどの中国史マニアでなければまず知らない人でしょう。。
田単は中国の戦国時代、西暦にすると紀元前三世紀の人物で斉国の下役人でしたが、それ以前に斉が滅亡の寸前にまで追い込んだ燕国が名将楽毅を擁して六カ国連合軍を作って攻撃を始めることによって一転、斉がそれまで所有していた七十城(中国は都市を城壁で囲んで城と呼ぶ。「七十都市」と言い換えても問題ありません)が奪取されてたった二城だけとなり、今度は逆に斉が滅亡の寸前へと追い込まれていました。しかもそんなドサクサにまぎれて二城の一つの莒城では宰相が斉の国王を殺して反乱を起こしこのまま滅亡かと思いきや、皇太子が宰相に逆襲したことによって城内で一致団結が強まり、これは攻め落とすのには難しいと判断した楽毅は軍勢を一旦引き上げ、残りの一城の即墨城(現在の山東省即墨市)へと兵力を集中させました。この城の中に、今日の主役の田単も逃げ込んでいたのです。
即墨城に燕軍が攻め込んだことによって即墨も最初は応戦したものの、相手はあの諸葛孔明も尊敬したという楽毅とのことであっさり大敗し、その戦闘で即墨側は将軍が全滅するという非常事態に陥りました。そこでまだ兵学を勉強したことがあるということで重臣らは田単を将軍にしようと呼び出すのですが、当の田単は相手が楽毅では自分だとどうしようもないと固辞するものの、講和条件をよくするだけでもいいとせがまれてしぶしぶ承諾しました。
そうして田単が将軍になった直後、なんと燕の国で突然国王が病気で死亡してしまいました。田単はこのニュースを受け、楽毅が今度国王となる皇太子とそりが合っていなかったという噂から、ひょっとすれば何とかなるかもしれないと希望を抱くのでした。
田単はまずスパイを放ち、楽毅は遠征を続けるのは実は反乱や独立を考えているからだという噂を燕国内に流しました。これを真に受けた皇太子は楽毅に対して遠征の労をねぎらうという目的で将軍職を解いて交代する将軍まで派遣したのですが、楽毅としても新しい国王とはそれまで仲がよくなかったこともあり、その帰還命令に従えば帰国するや誅殺されると読んでそのまま帰国せずに他国に亡命してしまいました。
こうして最大の障害である楽毅を排除すると田単はまず、城内の人間に対して毎日先祖へお供え物を出すよう命令を出しました。するとすぐにそのお供え物を狙って鳥が城内に飛び集まるようになり、これは神が降りてくる前兆だとして適当な人間を神の使者に仕立てて選ぶと城内の兵士に対し、
「これからはこの者の口から出る神の作戦を取る。命令をよく聞くように」
と訓示し、それまで下役人ゆえに見くびって命令に従わなかった兵士を統率しました。
そうして城内をまとめると田単はまたもスパイを使って燕軍の中に、
「捕虜は鼻そぎの刑にあっているらしい」
「城の外のお墓が荒らされたらどうしよう」
という根も葉もない噂を流し、またもそれを真に受けた燕軍は相手の戦意が落ちるだろうと考え片っ端からその流された噂を実行して斉軍に見せつけました。すると斉軍は思ってもないそれらの暴挙に怒り、必ずや逆襲して見せるとますます団結力が高くなり、田単の思うとおりに事が動いていきました。
ことここに至り決戦の時期だと考えた田単は燕軍に使者を送り、城内の反対する人間を説得したら降伏するから五日の猶予をくれと、偽の降伏を燕軍に申し出ました。燕軍としてもそれを聞いて長らくの遠征がようやく実ったと将兵揃って大喜びし、申し出通りに五日の猶予を与えてしまいました。
すると田単はその日のうちに城内の食料をすべて放出して兵士に与えて体力をつけさせると、一部の城壁に穴を空けて城内の牛をねこそぎ集め、その牛の角に刃物をくくりつけて夜を待ちました。そして夜に入るや、田単は集めた牛を一挙に城壁の穴から追い立て、その後にはそれまでの斉軍の暴挙に怒りを持った兵士を突入をかけるという奇襲を行いました。対する燕軍はすっかり相手は降伏するもんだと油断していたのもあり突然の奇襲になすすべもなく、楽毅の代わりにきた将軍もその夜のうちに討ち取られて城を包囲していたのが一挙に敗走にまで追い込まれました。
こうして即墨を救った田単はその後も燕軍に奪われた城へ攻撃をかけると、一度は降伏したそれらの城の軍勢も悉く田単に呼応して燕に対し反乱を起こしたために、あっという間に田単は首都を含む奪われた七十城をすべて奪い返してしまいました。その功績に対し、首都に戻ってきた国王は田単に多大の領地を与えてその救国の功績に報いました。
前にも書いたように、史記には才能も実力もある人物がほとんど報われない話が多く、作者の司馬遷はそれを評して「天の力は微なり」という言葉を残していますが、そんな史記の中でこの田単のエピソードは数少ない成功したエピソードで、私が史記の中で一番好きな話でもあります。
それで今日は「田単(でんたん)」という人物について紹介しますが、この人のことを知っているのはほとんどいないといっていいくらい超マイナーな人物で、よっぽどの中国史マニアでなければまず知らない人でしょう。。
田単は中国の戦国時代、西暦にすると紀元前三世紀の人物で斉国の下役人でしたが、それ以前に斉が滅亡の寸前にまで追い込んだ燕国が名将楽毅を擁して六カ国連合軍を作って攻撃を始めることによって一転、斉がそれまで所有していた七十城(中国は都市を城壁で囲んで城と呼ぶ。「七十都市」と言い換えても問題ありません)が奪取されてたった二城だけとなり、今度は逆に斉が滅亡の寸前へと追い込まれていました。しかもそんなドサクサにまぎれて二城の一つの莒城では宰相が斉の国王を殺して反乱を起こしこのまま滅亡かと思いきや、皇太子が宰相に逆襲したことによって城内で一致団結が強まり、これは攻め落とすのには難しいと判断した楽毅は軍勢を一旦引き上げ、残りの一城の即墨城(現在の山東省即墨市)へと兵力を集中させました。この城の中に、今日の主役の田単も逃げ込んでいたのです。
即墨城に燕軍が攻め込んだことによって即墨も最初は応戦したものの、相手はあの諸葛孔明も尊敬したという楽毅とのことであっさり大敗し、その戦闘で即墨側は将軍が全滅するという非常事態に陥りました。そこでまだ兵学を勉強したことがあるということで重臣らは田単を将軍にしようと呼び出すのですが、当の田単は相手が楽毅では自分だとどうしようもないと固辞するものの、講和条件をよくするだけでもいいとせがまれてしぶしぶ承諾しました。
そうして田単が将軍になった直後、なんと燕の国で突然国王が病気で死亡してしまいました。田単はこのニュースを受け、楽毅が今度国王となる皇太子とそりが合っていなかったという噂から、ひょっとすれば何とかなるかもしれないと希望を抱くのでした。
田単はまずスパイを放ち、楽毅は遠征を続けるのは実は反乱や独立を考えているからだという噂を燕国内に流しました。これを真に受けた皇太子は楽毅に対して遠征の労をねぎらうという目的で将軍職を解いて交代する将軍まで派遣したのですが、楽毅としても新しい国王とはそれまで仲がよくなかったこともあり、その帰還命令に従えば帰国するや誅殺されると読んでそのまま帰国せずに他国に亡命してしまいました。
こうして最大の障害である楽毅を排除すると田単はまず、城内の人間に対して毎日先祖へお供え物を出すよう命令を出しました。するとすぐにそのお供え物を狙って鳥が城内に飛び集まるようになり、これは神が降りてくる前兆だとして適当な人間を神の使者に仕立てて選ぶと城内の兵士に対し、
「これからはこの者の口から出る神の作戦を取る。命令をよく聞くように」
と訓示し、それまで下役人ゆえに見くびって命令に従わなかった兵士を統率しました。
そうして城内をまとめると田単はまたもスパイを使って燕軍の中に、
「捕虜は鼻そぎの刑にあっているらしい」
「城の外のお墓が荒らされたらどうしよう」
という根も葉もない噂を流し、またもそれを真に受けた燕軍は相手の戦意が落ちるだろうと考え片っ端からその流された噂を実行して斉軍に見せつけました。すると斉軍は思ってもないそれらの暴挙に怒り、必ずや逆襲して見せるとますます団結力が高くなり、田単の思うとおりに事が動いていきました。
ことここに至り決戦の時期だと考えた田単は燕軍に使者を送り、城内の反対する人間を説得したら降伏するから五日の猶予をくれと、偽の降伏を燕軍に申し出ました。燕軍としてもそれを聞いて長らくの遠征がようやく実ったと将兵揃って大喜びし、申し出通りに五日の猶予を与えてしまいました。
すると田単はその日のうちに城内の食料をすべて放出して兵士に与えて体力をつけさせると、一部の城壁に穴を空けて城内の牛をねこそぎ集め、その牛の角に刃物をくくりつけて夜を待ちました。そして夜に入るや、田単は集めた牛を一挙に城壁の穴から追い立て、その後にはそれまでの斉軍の暴挙に怒りを持った兵士を突入をかけるという奇襲を行いました。対する燕軍はすっかり相手は降伏するもんだと油断していたのもあり突然の奇襲になすすべもなく、楽毅の代わりにきた将軍もその夜のうちに討ち取られて城を包囲していたのが一挙に敗走にまで追い込まれました。
こうして即墨を救った田単はその後も燕軍に奪われた城へ攻撃をかけると、一度は降伏したそれらの城の軍勢も悉く田単に呼応して燕に対し反乱を起こしたために、あっという間に田単は首都を含む奪われた七十城をすべて奪い返してしまいました。その功績に対し、首都に戻ってきた国王は田単に多大の領地を与えてその救国の功績に報いました。
前にも書いたように、史記には才能も実力もある人物がほとんど報われない話が多く、作者の司馬遷はそれを評して「天の力は微なり」という言葉を残していますが、そんな史記の中でこの田単のエピソードは数少ない成功したエピソードで、私が史記の中で一番好きな話でもあります。
今月の陽月秘話の成分
実は内緒にしていましたが、先月からとうとうこの陽月秘話の本店ページにも「Gogle analytics」を入れてどれくらい訪問者がいるのかとかを調べていました。出張所のほうではアクセスカウンターがついているものの、本店の方ではどれくらい毎日閲覧者が来ているのかとかどんな検索ワードで私のページが引っかかるのかとかはこれまでずっと謎で、運営している私としても内心ハラハラで興味をずっと持っていました。
そうして入れたアナリティクスですが今日を持ちましてひとまず導入から約一ヶ月が過ぎたということもあり、以前から友人らにも入れたら結果を教えてくれといわれていたので今日はそれらの情報を公開しようと思います。
まず一番重要な閲覧者数ですが、あんまりアナリティクスの用語をわかっていないのですが「ページビュー」で見てみると、十二月三十日から一月二十九日までのこの一ヶ月でなんと2268もあり、一日平均で約70人もの人が見に来てもらっているという計算になります。出張所のアクセスカウンターは大体30~40人で推移しているので、多分見る人は同じだろうから本店でもそれくらいかなと予想していただけにこの数字には私もびっくりしました。下手すら毎日四、五人くらいだと思ってたし……。
そして検索ワードについてですが、これはやっぱり見ていていろいろ面白かったです。
まず現在までで一番検索ヒット数が多い用語はやっぱりタイトルの「陽月秘話」で77回でしたが、実は最近までこのワードは二位で、それまで一位だったのは何かというとなんと「宮崎繁三郎」で、このワードは現在までに63回もヒットしています。これには私も全くの予想外だったので試しに自分でもググって見ると、本当にトップから三番目に私のブログが来ています。自分で言うのもなんですが、手抜きしたわけではありませんがあんな拙い記事でこんなにヒットしていいものかと今でも大いにたじろいでいます。
それで他の検索ワードですが、やはり目に付くのは「竹中平蔵」の四文字です。大抵はこの「竹中平蔵」に対して「功罪」や「評価」などという言葉がくっついてワード結果としてはばらついているのですが、それらをすべて合計したらまず間違いなく検索ワードとして一番ヒットを稼いでいるでしょう。これについては私の方としても異論はなく、このワードで検索に引っかかる「竹中平蔵の功罪~陽変~」の記事は私も胸を張って他人にお見せできる記事……だといいたいのですが、改めて読んでみると内容は自信がありますが結構文章が荒れていますね。まだブログ記事の書き方に慣れていない頃だったからだけど、こんど書き直そうかなぁ。
そのほか多くて気になる検索ワードは「日本の法人税」についてです。これは私もそうでしたが、案外この法人税について国際比較をきちんとまとめたサイトや資料というのはあまりネット上になく、私が記事中で使用したように紙媒体の記事でしかまだ参考に足る資料は見たことがありません。つくづくニッチなところに私のブログはひっかりますね。
逆に全く意味がわからない検索ワードで、「猥褻なネットカフェ」というものがありました。これを検索した人は私のブログに何を期待したのでしょうか。
なんにしてもこんな文字ばっかでお堅い内容のブログに対してここまで閲覧者数があるとは全く予想もしておらず、改めて閲覧者の方たちには本店、出張所を含めてこの場で厚くお礼を申し上げます。
ここで本音を書いてしまいますが、私は中学生の頃に文章に目覚めてから将来はその分野で生きていける小説家かジャーナリストになろうと、それ以降の半生はずっと知識の収集と文章技術の向上に努めて牙を磨いてきたつもりだったのですが、自分でも納得のいき辛い経過を辿って敢え無くその夢は未だに叶えられずにいます。
本来、私がこうして得た知識とそれを表現する技術はそれを使う職に就くまではじっと封印しておこうと、2006年に本格的にブログがブームになった時でさえ本音では始めたかったものの開設をせずにまで取っておいたつもりでしたが、その後しばらくはそのような職に就くことが叶わないことが確定したため、あくまで主目的は普段なかなか会うことの出来ない友人らに対して情報を流し続けることですが、ブログを始めたのには自分の実力が本当に足らないのか、半ば意趣返し的な理由も含んでいることは否定できません。
最近ではいろいろなコメントをいただけるようになり、まがりなりにも自分は情報を発信しているのだという実感は強くなってきています。他の人から見たら不思議に思われるかもしれませんが、ただこうして自分の思うことを書き続けられ、また見てもらえるということこそが表現者としての私の至上の幸福に当たります。
そうして入れたアナリティクスですが今日を持ちましてひとまず導入から約一ヶ月が過ぎたということもあり、以前から友人らにも入れたら結果を教えてくれといわれていたので今日はそれらの情報を公開しようと思います。
まず一番重要な閲覧者数ですが、あんまりアナリティクスの用語をわかっていないのですが「ページビュー」で見てみると、十二月三十日から一月二十九日までのこの一ヶ月でなんと2268もあり、一日平均で約70人もの人が見に来てもらっているという計算になります。出張所のアクセスカウンターは大体30~40人で推移しているので、多分見る人は同じだろうから本店でもそれくらいかなと予想していただけにこの数字には私もびっくりしました。下手すら毎日四、五人くらいだと思ってたし……。
そして検索ワードについてですが、これはやっぱり見ていていろいろ面白かったです。
まず現在までで一番検索ヒット数が多い用語はやっぱりタイトルの「陽月秘話」で77回でしたが、実は最近までこのワードは二位で、それまで一位だったのは何かというとなんと「宮崎繁三郎」で、このワードは現在までに63回もヒットしています。これには私も全くの予想外だったので試しに自分でもググって見ると、本当にトップから三番目に私のブログが来ています。自分で言うのもなんですが、手抜きしたわけではありませんがあんな拙い記事でこんなにヒットしていいものかと今でも大いにたじろいでいます。
それで他の検索ワードですが、やはり目に付くのは「竹中平蔵」の四文字です。大抵はこの「竹中平蔵」に対して「功罪」や「評価」などという言葉がくっついてワード結果としてはばらついているのですが、それらをすべて合計したらまず間違いなく検索ワードとして一番ヒットを稼いでいるでしょう。これについては私の方としても異論はなく、このワードで検索に引っかかる「竹中平蔵の功罪~陽変~」の記事は私も胸を張って他人にお見せできる記事……だといいたいのですが、改めて読んでみると内容は自信がありますが結構文章が荒れていますね。まだブログ記事の書き方に慣れていない頃だったからだけど、こんど書き直そうかなぁ。
そのほか多くて気になる検索ワードは「日本の法人税」についてです。これは私もそうでしたが、案外この法人税について国際比較をきちんとまとめたサイトや資料というのはあまりネット上になく、私が記事中で使用したように紙媒体の記事でしかまだ参考に足る資料は見たことがありません。つくづくニッチなところに私のブログはひっかりますね。
逆に全く意味がわからない検索ワードで、「猥褻なネットカフェ」というものがありました。これを検索した人は私のブログに何を期待したのでしょうか。
なんにしてもこんな文字ばっかでお堅い内容のブログに対してここまで閲覧者数があるとは全く予想もしておらず、改めて閲覧者の方たちには本店、出張所を含めてこの場で厚くお礼を申し上げます。
ここで本音を書いてしまいますが、私は中学生の頃に文章に目覚めてから将来はその分野で生きていける小説家かジャーナリストになろうと、それ以降の半生はずっと知識の収集と文章技術の向上に努めて牙を磨いてきたつもりだったのですが、自分でも納得のいき辛い経過を辿って敢え無くその夢は未だに叶えられずにいます。
本来、私がこうして得た知識とそれを表現する技術はそれを使う職に就くまではじっと封印しておこうと、2006年に本格的にブログがブームになった時でさえ本音では始めたかったものの開設をせずにまで取っておいたつもりでしたが、その後しばらくはそのような職に就くことが叶わないことが確定したため、あくまで主目的は普段なかなか会うことの出来ない友人らに対して情報を流し続けることですが、ブログを始めたのには自分の実力が本当に足らないのか、半ば意趣返し的な理由も含んでいることは否定できません。
最近ではいろいろなコメントをいただけるようになり、まがりなりにも自分は情報を発信しているのだという実感は強くなってきています。他の人から見たら不思議に思われるかもしれませんが、ただこうして自分の思うことを書き続けられ、また見てもらえるということこそが表現者としての私の至上の幸福に当たります。
日本人の文化的特性
前に「中国人の好きなタイプ」という記事を書いたところ、このような文化的、民族的な違いの話は面白いとコメントが来たので、今日はちょっと趣向を変えて私がよく思う日本人の文化的な特性について書いてみようと思います。
まず私が日本人が持つ中で代表的な特性だと見ているのは、「洗練」に対する意識の深さだと思います。これは映画の「ラストサムライ」でトム・クルーズが日本人を見て言う一言ですが、
「日本人は誰に誉められるわけでもないのに、工芸等の分野で真摯に技術を日々高めようと努力する民族だ」
この一言は外国映画ながら、聞いてる日本人の私でも深く考えさせられた一言でした。この言葉の通りに、私自身も言われてみると日本人はそれが直接地位や収入の向上につながるわけでもない、というよりつながらないような場所であるほど何故だか物事に対して執着し、洗練を重ねようとするところがあります。
いくつか例を挙げると、私の場合だと掃除が好きなもんで今日は昼間に暇だったので家の掃除をしてたのですが、もうそれこそありとあらゆる場所を掃除して、またこれまでの経験から油と埃が混ざった箇所は雑巾を使わずにティッシュでふき取るテクニックを使い、細かい場所には爪楊枝にていちいち穿り返すようにして掃除しました。どうでもいいですが、私は爪楊枝を本来の用途ではなく掃除で使う回数の方が圧倒的に多いです。
これに限らず、ゲームにおいてもただ単純にクリアするだけでなく、いわゆる縛りプレイなどもこうした日本人の洗練に対する特性の現われだと思います。代表的なのは私はやりませんでしたが「バイオハザード」でのナイフクリアなどで、こうした縛りや一つの技術に対して向上を図ろうとするのは日本のあちこちで見られるはずです。
そうした特性が実社会の利益に結びついている例だと、やはり機械などの小型化が一番の好例です。今は昔ほど言われていませんが、高度経済成長期はアメリカが発明した家電機器などを片っ端から小型化して持ち運びやすくするのは日本人の役割とまで言われていました。小型化した中で私が一番影響力が強かったなと今思うのは、今も携帯電話などに使われている電池の分野で、実際90年代における急激な電池の小型化成功によって携帯電話から電子辞書までここまで実用化されるに至っています。
また小型化に限らずとも、かつてのホンダの低公害型CVCCエンジンの開発でも、元々の原案はソ連で考案された原理を実用化にまで持ってきた例など、何かを掘り下げるというメンタリティの分野では日本人は世界でもトップクラスだと私は考えています。
しかし掘り下げるという高いメンタリティの分だけ、皮肉な話ですが逆にそれまでにない全く新しい発想を持つという力こと、グランドデザインの面では非常に能力が低いと言わざるを得ません。この点なんかは大国意識が強いところがやっぱり強いのか中国人とかアメリカ人が強いような気がしますが、日本人はやっぱりこういうところは駄目駄目で、むしろ日本人同士で何か突飛な発想をする人間を排除しようと内側からブレーキをかけているところがあるような気がします。
しかしその一方、なんというかこれは島国根性とでも言うのですか、普段は周りを気にしすぎるくらい気にしているくせに変なところで全く気にしないところがあり、他の国からしたら信じられないようなことを一般的なものと思って日常化させてしまうようなところは多々あります。
社会学的な一つの例としてあるのはいわゆる「一家心中」で、日本なんかはこうした事件に対して同情的な目を向けますが、欧米では精神病による異常行動と取るそうで、言われてみれば私もそんな気がしてきます。
先ほど私は日本人は突飛な発想を日本人同士で妨げるメンタリティがあると述べましたが、この「無意識に突飛な行動を取る」分野では逆に世界的にも真新しく、珍しい文化や技術を創る力は存分に溢れているように思えます。今の日本のアニメやマンガも、まぁ言ってしまえば手塚治虫という明らかに常人離れした大天才がディズニーに影響を受けたとはいえ日本に存在したことが成立した最大の要因でしょうが、変に海外に輸出されずに日本国内だけで熟成されてきたからこそ今海外で受けているのだと思います。
最後に二つほど今回私が挙げた二つのメンタリティが発揮された代表的な例を紹介します。
実は日本で飛行機の設計が初めて行われたのは江戸時代の末期で、ある男性が独自にプロペラ式飛行機を考案して日露戦争中には軍部に対して敵軍の偵察を行う道具として開発を願い出たそうですが却下されてしまい、それならば独自に開発しようと研究を重ね、動力源となるエンジンの調達を視野に入れて資金を貯めている間にライト兄弟によって先に開発されてしまったそうです。ま、開発したライト兄弟もその後は特許権の争いで決して幸福ではありませんでしたが。
もう一つの例は、これは伝聞での情報なのですがある世界的に有名なロックバンドがアルバムのジャケット写真になんと六歳くらいの裸の女の子の後姿を写したものを使用したところ、世界各国からは児童ポルノだ、不謹慎だとして発売が差し止められたそうですが、日本だけは、
「局部は写っていないのですね(´ー`)」
の一言で、発売を許可したそうです。世間知らずもここまで来ると凄いものだ。
まず私が日本人が持つ中で代表的な特性だと見ているのは、「洗練」に対する意識の深さだと思います。これは映画の「ラストサムライ」でトム・クルーズが日本人を見て言う一言ですが、
「日本人は誰に誉められるわけでもないのに、工芸等の分野で真摯に技術を日々高めようと努力する民族だ」
この一言は外国映画ながら、聞いてる日本人の私でも深く考えさせられた一言でした。この言葉の通りに、私自身も言われてみると日本人はそれが直接地位や収入の向上につながるわけでもない、というよりつながらないような場所であるほど何故だか物事に対して執着し、洗練を重ねようとするところがあります。
いくつか例を挙げると、私の場合だと掃除が好きなもんで今日は昼間に暇だったので家の掃除をしてたのですが、もうそれこそありとあらゆる場所を掃除して、またこれまでの経験から油と埃が混ざった箇所は雑巾を使わずにティッシュでふき取るテクニックを使い、細かい場所には爪楊枝にていちいち穿り返すようにして掃除しました。どうでもいいですが、私は爪楊枝を本来の用途ではなく掃除で使う回数の方が圧倒的に多いです。
これに限らず、ゲームにおいてもただ単純にクリアするだけでなく、いわゆる縛りプレイなどもこうした日本人の洗練に対する特性の現われだと思います。代表的なのは私はやりませんでしたが「バイオハザード」でのナイフクリアなどで、こうした縛りや一つの技術に対して向上を図ろうとするのは日本のあちこちで見られるはずです。
そうした特性が実社会の利益に結びついている例だと、やはり機械などの小型化が一番の好例です。今は昔ほど言われていませんが、高度経済成長期はアメリカが発明した家電機器などを片っ端から小型化して持ち運びやすくするのは日本人の役割とまで言われていました。小型化した中で私が一番影響力が強かったなと今思うのは、今も携帯電話などに使われている電池の分野で、実際90年代における急激な電池の小型化成功によって携帯電話から電子辞書までここまで実用化されるに至っています。
また小型化に限らずとも、かつてのホンダの低公害型CVCCエンジンの開発でも、元々の原案はソ連で考案された原理を実用化にまで持ってきた例など、何かを掘り下げるというメンタリティの分野では日本人は世界でもトップクラスだと私は考えています。
しかし掘り下げるという高いメンタリティの分だけ、皮肉な話ですが逆にそれまでにない全く新しい発想を持つという力こと、グランドデザインの面では非常に能力が低いと言わざるを得ません。この点なんかは大国意識が強いところがやっぱり強いのか中国人とかアメリカ人が強いような気がしますが、日本人はやっぱりこういうところは駄目駄目で、むしろ日本人同士で何か突飛な発想をする人間を排除しようと内側からブレーキをかけているところがあるような気がします。
しかしその一方、なんというかこれは島国根性とでも言うのですか、普段は周りを気にしすぎるくらい気にしているくせに変なところで全く気にしないところがあり、他の国からしたら信じられないようなことを一般的なものと思って日常化させてしまうようなところは多々あります。
社会学的な一つの例としてあるのはいわゆる「一家心中」で、日本なんかはこうした事件に対して同情的な目を向けますが、欧米では精神病による異常行動と取るそうで、言われてみれば私もそんな気がしてきます。
先ほど私は日本人は突飛な発想を日本人同士で妨げるメンタリティがあると述べましたが、この「無意識に突飛な行動を取る」分野では逆に世界的にも真新しく、珍しい文化や技術を創る力は存分に溢れているように思えます。今の日本のアニメやマンガも、まぁ言ってしまえば手塚治虫という明らかに常人離れした大天才がディズニーに影響を受けたとはいえ日本に存在したことが成立した最大の要因でしょうが、変に海外に輸出されずに日本国内だけで熟成されてきたからこそ今海外で受けているのだと思います。
最後に二つほど今回私が挙げた二つのメンタリティが発揮された代表的な例を紹介します。
実は日本で飛行機の設計が初めて行われたのは江戸時代の末期で、ある男性が独自にプロペラ式飛行機を考案して日露戦争中には軍部に対して敵軍の偵察を行う道具として開発を願い出たそうですが却下されてしまい、それならば独自に開発しようと研究を重ね、動力源となるエンジンの調達を視野に入れて資金を貯めている間にライト兄弟によって先に開発されてしまったそうです。ま、開発したライト兄弟もその後は特許権の争いで決して幸福ではありませんでしたが。
もう一つの例は、これは伝聞での情報なのですがある世界的に有名なロックバンドがアルバムのジャケット写真になんと六歳くらいの裸の女の子の後姿を写したものを使用したところ、世界各国からは児童ポルノだ、不謹慎だとして発売が差し止められたそうですが、日本だけは、
「局部は写っていないのですね(´ー`)」
の一言で、発売を許可したそうです。世間知らずもここまで来ると凄いものだ。
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